2011年9月4日日曜日

8月中旬の被災地状況─その5─ 岩手県釜石市&まとめ

岩手県釜石市の三陸鉄道南リアス線の高架です。


震災直後は、こんな様子でした。

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釜石市は、想像していたよりも“狭いなあ”という印象でした。海に向かった谷間の街というような地形で、有名な新日鐵の製鉄所も無理矢理そこへ押し込んだような立地にありました。


写真の右手前中寄りにあるのが新日鐵です。
上にあげた高架の写真は、写真中央の、道路でできた三角形の河川側底辺の真ん中あたり(河口の橋のやや上流)から海方向を向いて撮影しました。


釜石製鉄所で生産していたのは、自動車関連部品(タイヤ他)に使われるワイヤーとか、建築資材向けの鉄筋鉄棒針金なんからしいんですけど、それらも震災後は室蘭製鉄所や千葉の君津製鉄所へ移して生産しているそうです。
室蘭や君津の両工場は被害も浅かったということなので、移転した生産ラインが再び釜石へ戻ってくることは、もうないのかもしれません。たぶん。

釜石製鉄所の石炭火力発電設備の能力は、岩手県の一般家庭電力を40%程度をまかなえるものらしいので、今後はそっち方面で利用されることになるのでしょう。

ただ発電所は、製鉄所と比較にならないくらい独立性の強いプラントですから(産業としてのすそ野が狭いってことです)、地域経済は縮小せざるを得ません。

仕事が減るから労働人口が減る、のか、労働人口が減るから仕事も減る、のか──。

【参照】
震災前の釜石市

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【まとめ】



岩手県の三陸沿岸を宮古市田老地区から釜石市まで南下して来てわかったのは、この土地に古くから暮らす人々、それこそ十何世代にもわたって暮らしてきたような人々は、おしなべて山側の集落で暮らしているということでした。
まあ、この沿岸へは何度も何度も大津波が押し寄せているわけですから、生き残れば生き残るほど、自然とそういうことになっていくのでしょう。
ではなぜ、これほどまでの人々が沿岸部へ家屋を建てて生活するようになったのかを考えると、どうしても国家の影が濃く見えてきてしまうのです。
戦前の富国強兵期に、山に囲まれた水深の深い入江で構成される三陸のリアス式海岸は、天然の要塞として国家=軍部に目をつけられたのではないでしょうか。
沿岸に基地や造船所を建設し、製鉄所や発電所を建設し、そこに街を造り、人を住まわせた。
戦争が終わり、軍がなくなると、その設備は公や民間のものとなって社会が回り始める。そんな日々が当たり前のように繰り返されるうちに、そこで暮らす人々はなぜそこに街ができたのかをいつしか忘れてしまった。

三陸のリアス式海岸線へ軍港を建設する必要のない現在、もう一度この地域に港湾インフラや重工業インフラが整備されることは、何か特別な事情が再び生じない限り、厳しいような気がします。
もともとこの地域は、今回の震災がなかったとしても厳しい経済環境にありました。その理由は、戦後無料で利用できるようになった旧軍関連の大型公共投資による“貯金”を使い果たしてしまったから、だろうと私は考えています。

かろうじて可動していた港湾設備や鉄道、工場もこの度の震災によって破壊され、この沿岸地域の産業インフラは富国強兵時代以前に近い状態となってしまったのかもしれません。

この地域にまた巨大な堤防を設置したり、同じような鉄道を引き直したりするというのは、いかがなものかと私は思います。
この地域の将来につながらないどころか、マイナスの効果しかもたらさないと思うからです。
巨大な堤防を作るくらいなら、逆に、時代劇の撮影にも耐えられるくらいに美しい海岸線を回復させるべきだろうと思うし、鉄道を引くなら世界中の観光客を呼び込むことを考えた「失われた光景」「郷愁」といったものを意識した設計にすべきだろうと思います。

どんなに巨大な堤防で囲ったとしても、漁業に若者は魅力を感じません。巨大なコンクリートで囲われた街はまるで刑務所みたいで、そんなところでの暮らしに魅力を感じるファミリーはいないし、積極的に住もうとも思いません。そこで働くことで、他での何倍もの収入を得られるとかいうのなら、そこで生活する理由にもなるでしょうけど、逆に収入が全国平均をかなり下回るとかいうのでは、誰も戻っては来ません。あげく、夏は短く、冬も厳しいとかいうのでは……。

個人的な結論をまとめれば、この地域のストロングポイントは、美しい海岸線なのです。安い海産物じゃあありません。円高+TPPが当たり前の経済環境になったら、もっともっと安い海産物がどかっと輸入されます。そうなったときに政府へ泣きついても、どうにもなりません。手遅れです。といいますか、日本の漁業に好況が訪れる日は来ないでしょう。少なくとも、“野生生物”である海棲生物をタダで捕りまくり、量によって収益を得てきたような漁業には、未来はありません。マジで。

この地域へ人々が戻ってくるためには、身近な小さな仕事を誠実に向上させる暮らしを積み重ねて行くしかないだろう、というのが私の結論です。
小さな商店、小さな農家、小さな漁師、小さな工場、それらがきっちり足元を踏み固めて行く。
遠回りに思えて、じれったく感じるかも知れませんが、それがこの地域の未来にとって最善の道だと、私は確信しています。


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