2011年3月31日木曜日

2011浦和レッズ・ジュニアユースU-13

浦和レッズ・ジュニアユース
2011 U-13 中学1年生

選手氏名 身長cm/体重kg 生年月日 前登録チーム

浅賀 祐太 Yuta ASAGA 157/41 1998.5.12 浦和尾間木SSS
伊藤 敦樹 Atsuki ITO 154/35 1998.8.11 浦和道祖土SS
小崎 魁 Kai OZAKI 160/43 1998.7.2 FCアビリスタ
河内 渉真 Shoma KAWAUCHI 155/42 1998.6.5 東川口FC
川上 エドオジョン 智慧 Chie EDOJOHN KAWAKAMI 150/41 1998.4.21 西上尾キッカーズ
轡田 登 Noboru KUTSUWADA 169/54 1998.11.10 越谷サンシンSSS
斎木 大輔 Daisuke SAIKI 160/48 1998.5.6 FCアビリスタ
清水 裕太 Yuta SHIMIZU 140/32 1998.5.16 新座片山FC
関 敦也 Atsuya SEKI 163/55 1998.6.9 川越ひまわりSC
関 慎之介 Shinnosuke SEKI 152/37 1998.4.30 浦和大東SSS
高橋 海翔 Kaito TAKAHASHI 147/38 1998.4.9 浦和尾間木SSS
知久 航介 Kosuke CHIKU 150/38 1999.2.3 浦和三室SSS
中嶋 海登 Kaito NAKAJIMA 152/42 1998.12.30 FCアビリスタ
野口 琢真 Takuma NOGUCHI 142/32 1998.10.20 浦和尾間木SSS
萩原 大智 Daichi HAGIWARA 155/40 1998.8.11 江南南サッカー少年団
平野 正人 Masato HIRANO 143/38 1998.4.27 浦和土合SSS
町田 ジェフリー Jeffrey MACHIDA 158/48 1998.8.4 鶴ヶ島サザンキッカーズ
松高 遼 Ryo MATSUTAKA 157/43 1998.8.1 FCアビリスタ
宮川 聖冬 Kiyoto MIYAGAWA 150/35 1998.12.9 浦和尾間木SSS
渡辺 陽 Yo WATANABE 150/34 1998.10.14 東川口FC


【参照】
2011 マリノスジュニアユースMM
2011 マリノスジュニアユース追浜
2011 マリノスユース(上尾富士見出身)
2011 浦和レッズ ジュニアユース名簿
2011 大宮アルディージャ ジュニアユース名簿
2011 FC東京 ジュニアユース名簿
2011 レイソル ジュニアユース名簿
2011 ヴェルディジュニアユース名簿
2011 帝京FCジュニアユース名簿
2011ナショナルトレセンU14東日本
2011ナショナルトレセンU14中日本
2011ナショナルトレセンU14西日本
2010ナショナルトレセンU12関東(9月)
2010ナショナルトレセンU12関東(12月)
2010ナショナルトレセンU12関西(12月)
2010ナショナルトレセンU12中国(12月)
2010ナショナルトレセンU12四国(12月)
2010ナショナルトレセンU12九州(12月)
2011 u13ナショナルトレセン新メンバー
2011 u13ナショトレ海外遠征試合結果

以上

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

2011大宮アルディージャ・ジュニアユースU-13

大宮アルディージャ・ジュニアユース
2011 U-13 中学1年生
選手氏名 生年月日 身長cm/体重kg 前登録チーム

ゴールキーパー

加治屋 歩夢 Ayumu KAJIYA 1998.4.9 165cm / 58kg  大宮アルディージャJr
西田 航太 Kota NISHIDA  1998.7.21 158cm / 41kg  柏レイソル

フィールドプレーヤー

荒巻 洸介 Kosuke ARAMAKI 1998.5.7 143cm / 39.5kg  大宮アルディージャJr
土田 直輝 Naoki TSUCHIDA  1998.6.15 159cm / 43kg  越谷サンシン
鈴木 大晟 Taisei SUZUKI  1998.4.16 160cm / 40kg  ローズFC
蛭田 大輝 Daiki HIRUTA  1998.5.19 161cm / 48kg  川越福原SC
谷野 悠人 Yuto TANINO  1998.5.26 139cm / 30kg  AS栃木ボンディボーラたかはら
三橋 智哉 Tomoya MITSUHASHI  1998.11.23 142.5cm / 31.1kg  大宮アルディージャJr
山田 陸 Riku YAMADA 1998.4.15 151cm / 40kg  大宮アルディージャJr
長谷川 元希 Motoki HASEGAWA  1998.12.10 156cm / 41kg  新座たけしの
小柏 剛 Tsuyoshi OGASHIWA  1998.7.9 140cm / 31kg  ファナティコス
北西 真之 Masayuki KITANISHI  1998.6.18 152cm / 40kg  大宮アルディージャJr
野本 幸太 Kota NOMOTO  1998.5.5 144cm / 36kg  浦和大門
高橋 直也 Naoya TAKAHASHI  1998.10.1 140cm / 31kg  大宮アルディージャJr
横山 優太郎 Yutaro YOKOYAMA  1998.6.9 144cm / 36kg  浦和尾間木
谷村 大和 Yamato TANIMURA  1998.8.10 156cm / 41kg  FC宗岡
山本 剛嗣 Takeshi YAMAMOTO  1998.5.29 162cm / 40kg  浦和仲町


【参照】
2011 マリノスジュニアユースMM
2011 マリノスジュニアユース追浜
2011 マリノスユース(上尾富士見出身)
2011 浦和レッズ ジュニアユース名簿
2011 大宮アルディージャ ジュニアユース名簿
2011 FC東京 ジュニアユース名簿
2011 レイソル ジュニアユース名簿
2011 ヴェルディジュニアユース名簿
2011 帝京FCジュニアユース名簿
2011ナショナルトレセンU14東日本
2011ナショナルトレセンU14中日本
2011ナショナルトレセンU14西日本
2010ナショナルトレセンU12関東(9月)
2010ナショナルトレセンU12関東(12月)
2010ナショナルトレセンU12関西(12月)
2010ナショナルトレセンU12中国(12月)
2010ナショナルトレセンU12四国(12月)
2010ナショナルトレセンU12九州(12月)
2011 u13ナショナルトレセン新メンバー
2011 u13ナショトレ海外遠征試合結果

以上

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

JのJr.ユースへ2人

両チームのサイトに発表されていた。


浦和レッズジュニアユースU-13
川上 エドオジョン 智慧(Chie EDOJOHN KAWAKAMI )
1998.4.21 150cm-41kg
西上尾キッカーズ

思いっきりやって欲しい。
新しい環境からのあらゆる刺激が、すべて彼の栄養になると思う。
ただただ、楽しみです。


大宮アルディージャジュニアユースU-13
鈴木大晟(すずき たいせい)※「せい」の字は、日の下に成。
1998.4.18 160cm-40kg
伊奈 ローズFC

身長と体重から推察するに、主にセンターバックをやっていた、手足の長いひょろっとした気合い十分のキャプテン君かなあ?
確か坊主頭だった思うんだけど、アルディージャのサイトには茶髪で出てる……。
ボールの持ち方が独特なんだよね。遠目でもすぐにわかる。そういう天性の存在感を持っている選手は非常に稀(まれ)。
そんな独特の雰囲気を持った彼が、これからどんな風に成長していくのかがとても楽しみです。



がんばれ! 未来は君たちのためにある!


【参照】
2011 浦和レッズ ジュニアユース名簿
2011 大宮アルディージャ ジュニアユース名簿
2011 FC東京 ジュニアユース名簿
2011 レイソル ジュニアユース名簿
2011 ヴェルディジュニアユース名簿
2011 帝京FCジュニアユース名簿

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

次の30年後のために

まんが日本昔ばなし 「みちびき地蔵」


津波史に学ぶ失敗学 「失敗は伝わらない」


徳島県の津波教育教材



それでも私は、ただ怖がるよりも、ではどうするのかを追求したい。

2011年3月30日水曜日

海上での津波映像

2011年 平成23年 3月11日
15:47-15:57
福島県相馬市沖 約5キロ
宮城海上保安部
巡視船「まつしま」より撮影した津波


0305 陸に当たって跳ね返ってきた第一波の引き波が、船を後方から追い越していく時の速度がすごい。後続波とぶつかることで、相殺された上でのあの速度で沖5キロ地点まで戻ってくるというのだから、その衝撃力たるや想像を絶している。
これらの津波の先で何が起きたかの一端を知っているだけに、言いようのない恐ろしさを覚える。

2011年3月29日火曜日

東大院の人はユニーク

******************************************************
2011年 平成23年 3月29日 火曜日
朝日新聞 オピニオン面 私の視点

福島原発事故
「信心」捨て自ら考えよう

東京大学大学院生(社会学)
男性 H.K(紙面には本名あり)

「危険ではない、問題はない」と専門家は繰り返す。
しかし、素人目には時々刻々と事態が悪化しているように見える。
何を信じ、どう行動すべきなのか分からない。
福島第一原子力発電所の事故に関する報道を前に、多くの人が困惑している。

私は2006年から福島原発の立地地域で原発と社会の関係について調査を進めてきた。
住民に「近くに原発があって怖くないのか」と問うと、多くの人が「原発事故の確率より、外を歩いていて交通事故にあう確率の方が高いから大丈夫」「東電さんがちゃんとやってくれているから何も問題はない」と答えた。
この地で原発や関連産業で働くのは住民全体の4分の1とも3分の1ともいわれる。
その中で、素人には理解しがたい高度な科学技術の結晶である原発に向けられるまなざしは、「国が、東京電力がやっているのだから信じるしかない」というある種の「信心」だ。
日本全体を、この種の根拠のあいまいな「信心」が覆ってきた。

現代のリスクは「自然のリスク」と「人工のリスク」に分類できる。
自然のリスクとは病気、ケガ、遭難、飢饉(ききん)といった人間が自然に対峙する中に現れるものだ。
人工のリスクは人間が自然のリスクを科学技術を用いてコントロールするうえで生じるリスクだ。
牛海綿状脳症(BSE)や薬害のほか、金融危機も含めてよいだろう。

自然のリスクはある程度の高い確率で発現する。
病気やケガは誰にでもしばしば起こる。
一方、人工のリスクは発現する確率が極めて低い。
専門家集団によって安全確保のためのリスクコントロールが施されているからだ。
発現する確率は、机上の計算では何万分の1、何億分の1になる。

しかし、ここでいう確率は、専門家集団が想定したある状況の中での確率に過ぎない。
ひとたび想定外の出来事が起これば、どう科学技術が暴走するのかは彼らもわからない。
自然のリスクは発現しても個人や部分的な集団を襲うにとどまる。
一方、人工のリスクは高度な科学技術に依存しているため、より広い範囲を長時間、より複雑な形で巻き込む。


原発事故は人工のリスクの最たるものである。
想定外のトラブルがさらに想定外のトラブルを呼び、科学的な説明と対策が後手後手になる。
それは時間の経過とともにますます複雑化し、事態を困難にする。

専門家によって現代社会の高度な科学技術は支えられている。
同時に、専門家は全知全能の神ではない。
私たち素人は専門家の言うことに身を任せて安心しきったり、逆に猜疑心(さいぎしん)の塊になってパニックに陥ったりすべきではない。
あらゆる情報を集め、比べ、選び取り、いま何をすべきか常に考え続ける必要がある。
無根拠な「信心」をいまこそ捨てるときだ。
******************************************************

14歳が書いたのなら、よく書けてるねと褒めてあげたいです。
17歳が書いたのなら、悪くはないけどもう少し視野を広げたらもっとよくなるよ、とアドバイスしてあげたいです。
20歳が書いたのなら、妙な活動にはまってるんじゃないのかと心配します。
23歳が書いたのなら、ただ、同情します(腹を抱えて笑っているように見えたとしても、それは誤解です)。

同情のついでに私なりの感想を、箇条書きでそえて終わりにします。

・「あらゆる情報を集め、比べ、選び取り、いま何をすべきか常に考え続ける」ことができたら、それはもはや専門家でしょ。
・「リスク」を「自然」と「人工」で分ける発想は、「リスク」のことをわかっていない証とも読み取れますよ。
・太字にした部分については、独りよがりがすぎます。
・「住民」や「日本全体」や「専門家」の切り取り方も狭すぎます。

しかしホント、東大院の社会学系って、ある種独特な方向に突き進んでて面白いですよね。
これからも期待しています。

おわり

テレビでは伝わらないこと。


気仙沼市

どんな堤防を築いたとしても、これを抑え込むことなんてできっこない。
高台から海の見える位置にいた人以外は、何が起きたのかを把握することさえできなかったのではないだろうか。
逃げ遅れたとかそういうことじゃなく、その時、たまたま逃げ切れる位置にいたかどうか、それだけが分かれ目だった。
そう思える。

テレビも、壊れたあとの街を伝えるばかりではなく、
生きていた街が壊れていく姿を伝えるべきだ。

そうすることで、被災地が遺跡などではなくて、
まだ生きている街なのだと実感できるのだから。
瀕死(ひんし)の状態ではあるけど──

被災者の支援と復興への協力は、生き残った日本人すべての義務だ。そう確信させられる映像だと私は思う。

2011年3月28日月曜日

次は西日本大震災

【次に西日本大地震が起こるのは確実だ】

いずれ起きるだろうと言われていても、明日明後日に起きることはないだろう、と漠然と考えていた巨大地震と巨大津波が起こってしまった以上、次は西日本大地震が起きる、と考えるしかない。他に選択肢はない。起きないかもしれない、という選択肢は消滅したのだ。その現実から目を逸らさずに、従来の防災対策を根本から立て直さなければならない。

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東南海・南海地震(紀伊半島・四国沖地震)

東南海(とうなんかい)・南海(なんかい)地震が30年以内に発生する確率は約40~50%と言われている。

東海・南海・東南海連動型地震(駿河・紀伊・四国沖地震)
東海地震、南海地震、東南海地震の3つの地震が短期的に、或いは同時発生するという超巨大地震。約300年前の宝永地震(1707年10月28日)では東海、近畿、中部、南部、四国、信濃、甲斐、北陸、山陽、山陰、九州で倒壊家屋が出るという凄まじい被災範囲を持った災害。
広範囲で4~5mの津波が太平洋沿岸で観測され、最大では高さ30mに
建物全壊50万棟以上、死者数2~30,000人、経済被害は53~81兆円という被害想定もなされている。
------------------------------------------------
これらの被害予測は、根本からの洗い直しが急務となるだろう。
東日本大震災(東北関東大地震・東北地方太平洋沖地震)が太平洋プレートと北米プレートの接線で発生した以上、それぞれに隣接するユーラシアプレートとフィリピン海プレートにも変動が生じないとは言い切れない。枝野官房長官流に言うならば「ただちに地震が発生するというわけではないが──」といったところだろうか。

「これを機に、東京への一極集中を改めて、首都機能のバックアップを大阪に造ろう!」という発想はもはや過去のものとなった。
なぜなら3月11日以後、私たちは「30年以内には確実に西日本大震災が起きる」という前提に立った上で、すべての発想を構築しなければならなくなったからだ。

大前提が、「かもしれない」ではなく、「確実に起きる」となることは、政策決定の過程を根本的に変えてしまう。
市民生活にかかわる部分を考えても、海岸線に近い土地へ資産価値の高い構造物を設置することは、いずれそれらすべてを失うことを意味することになるので、不動産の価値も大きく低下することになる。

将来の大震災リスクでいえば、もう起きてしまった東日本とまだ起きていない西日本とでは、上でも書いたように、後者の方が間違いなく高いので(少なくとも今回起きた規模の地震が、再び同じ場所で起きるためには、百年以上の間隔が必要となる)、東京から西日本への移動というモーメント(グイッと回す力、動かす力)よりも、東京から海外へというモーメントの方が強まると私は考えている。

それよりも経済への大きな影響として私の頭から消えないのは、不動産神話の崩壊が加速度的に進むのではないかという危惧だ。液状化した浦安地区が良い例だが、かつて“ウォーターフロント”と称された海辺の埋め立て地の不動産評価は、今後どうなってしまうのだろう? 小学校社会科の時間に「太平洋岸ベルト地帯」と習った地区は、海抜0メートルに近い地区でもある。今回と同等の津波が襲ってくれば、まったく抵抗する術(すべ)を持たない地区だ。壊滅はまぬがれない。地下街の被災状況などは、予測することさえ恐ろしいくらいだ。

首都機能をどこかに移転し、そこを万一のバックアップにした東京との二元体制──にはならない。
バックアップとするには、同じ物を複数用意しなければならないのだが、財政が極端に厳しい日本で(それも今後はますます逼迫(ひっぱく)してくる)、そんな余裕など生まれっこない。

政治は東京で、経済は大阪、という分業制にすれば──ともならない。
政治と経済はもはや不可分であって、その傾向はすでに「政経一体」といって良いくらいで、切り離すことなどできない。
歴史的にも、京都が都であった時代には、関西圏が経済でも中心となっていた。
現在の、ますますスピードが求められる経済環境の中で、政経の分離をさせるには中国共産党のように、すべてを超越した圧倒的な制限をかけて、強引に成り立たせるしかない。そこでは当然、平等や公平といった近代法治社会の常識は通用しない。そんなことが日本で許されるとは思えないので、日本ではこれからも政治と経済は子猫が遊んだ毛糸玉のごとくに絡み続けるしかないのだ。

【東京の魅力は一極集中のみ】

日本が重要だったから東京が重要だったのではなく、すべてが集まっていることが便利だったので東京に魅力があったという上での、東京の重要さだったのだ。そこをはき違えてはいけない。

あらゆる面で、かつて東京はアジアのハブだった。

原発リスクによって東京を離れる企業や人は確実に増えるだろう。それは賃料の低下と、空室率の上昇につながる。このことによって、東京近郊や東海、関西、九州にあった企業や人も、東京への進出が可能となる。東京の国際的な地位は落ちるが、国内的な地位はますます上がることになるだろう(またそれは同時に、日本の有力企業のグローバル化を推し進めることにもなる)。
もちろんこの流れに最も強烈に押し流されるのは、東北の企業と人だ。東京の不動産・ビル関係の業界も、東北への営業を強化するだろうし、復興支援での人と物の往来が東京進出への垣根を低くもするからだ。

その結果、仙台という街の性質が、「東北の中心都市」から「東北の終点」に変貌する可能性だって相当ある、と私は考える。終着点となった街が栄えたためしはない。

【東北に上海を】

悲しいかな、もはや日本には、壊れてしまった東北をすべて元通りに治す(修復する)財力はない。大規模埋め立てに適した場所のない、リアス式海岸地域では、がれきの撤去すらままならないだろう。
このまま行けば、なし崩し的に、以前あった街の劣化バージョンが再建される。そして東北の経済は、塩害に悩むであろう農業、無限の海底沈殿物に苦しまざるをえない漁業といった一次産業から、人も設備も失った二次三次にいたるまで、急速にしぼんでしまうことになる。よって働ける世代は、仕事を求め、否応なく地元を離れることになる。

小さな漁港が連なる、自然豊かな三陸地域の再建は、これから100年かけて成し遂げられるかどうか、というくらいの壮大な目標となったと私は断言する。というか、人も金も自然もすべてなくなってしまった状況でそれは不可能だ。一時的な復興需要で多少の延命ができたとしても、それは“次の仕事”を生まない“終わればそれまでの仕事”に過ぎず、結局若者たちは土地から離れていくしかないからだ。

しかし、私に見えている数年後の三陸地方は光り輝き、活気に満ちあふれている。

ただしそこに、優しい笑顔と民話や自然が染みこんだ『いい意味での田舎』はもうない。

数え切れないほどの巨大船が行き来する太平洋とアジア・ロシアを結ぶハブ港と、貨物機が離発着するハブ空港と、コンテナを満載したトレーラーが直接入れる高速道路と、沖縄から移転してきた米軍基地と、世界中からやってきた移民労働者と、犯罪と、環境汚染と、騒音と、ゴミのあふれる、マラリア蚊のいない上海でありドバイだ。

家に鍵をかけないで出かけても、なんの問題もなかった『田舎』は、殺人、レイプ、強盗が日常となる地域となるだろう。

私は決してこんな風になって欲しいわけではない。
遠野物語や、関口知宏の鉄道旅に出て来たような東北が好きだし、憧れてもいる。

でも、でも……仕方がないのだ。
被災した土地の大部分(実質的な資産価値を失った土地)は、国が買い上げる、もしくは半ば強制的に代替地へ等価交換するしかないだろう。

そうして地上げた空間を、すべて防災公園にできるだけの余裕は、現在の日本にない。

アジアの中で経済的優位性を失った現況、袋小路に陥っている沖縄の基地問題、進行した少子高齢化、そして東北の復興(復旧ではない)、これらを考えたとき、用地と口実を得た政権・政府が「平成ニューディール」を選択しない訳がないのだ。他人の金ででかいことをしたいのが、政治家という人種だからだ(「仕分け」なんかやって喜べるという資質の持ち主は、本来なら市民オンブズマン的な職業の方が適している)。

多くの、という言葉では言い表せないほどの、無限の尊い犠牲を、私たち日本人は無駄にしてはならない。
すべてを無為に浪費してはいけない。

岬の先の先まで開発しつくし、絶海の孤島であっても権利権利規制規制でがんじがらめになっていて、何をするにも時間と手間に忙殺されるのが当たり前だと思っていた平成の日本に、忽然と広大なスペースが現れた。
それは神からのプレゼントなどでは決してなく、無念と苦痛と涙と血が染みこんだ、延々とつながる過去から未来への、奥歯がくだけんばかりの力で握りしめた“石のこぶし”のような『現実』なのだ。

私たちはそれを、ただ無駄にしない程度では許されない。
亡くなった方たちも、失われた資産も自然も文化も歴史も思い出も、そして未来の日本人も、決してそんなことは許さない。
私たちはそれを“生かさなければならない”“歴史的な意味での新しい生命を誕生させなければならない”そういう使命を負ったのだ。

これからの選挙での一票は、それがどんな選挙であっても血の一滴だ。
もう二度と投票できなくなってしまった犠牲者の想いを胸に、その候補が命がけでその職務のために尽くしてくれるのか。他のすべてを犠牲にしてまで、政治家という権利を得たいと望んでいるのか。それを見極めて一票を投じようと、私は心に決めた。
掲げる政策を考慮する、などという愚かで傲慢な態度はもう改める。
どうせ実現するつもりなんてない政策に惑わされるのはもうやめる。
知名度を信用と混同したりなんてもうしない。

自分の投じた一票については、己の血で償うくらいの覚悟で、次の選挙からは臨(のぞ)んでみようと思っている。


終わり

【追伸】

「街は生きている」

この事が悪い方へ働かないことを、心から願う。
被災地であっても、その周辺には被害のほとんどないような人々もいる。
その人たちが経済活動を始めると、そこには「利権」が生まれ、「利権」は「そのままの形での復旧」を求めるようになる。
それが各被災地域で散発的に起き、まだら模様に「生きている街」が蘇ると、それはかつての大宮駅西口バラックや、複雑な権利関係や、立ち退き交渉と補償問題といった、「いつか来た道」を繰り返すことにもなる。
人がいなくなった被災地では、そこに残って経済活動を始めた人や集団の発言権が、威圧的なまでに大きくなる。
どんなに優れた人材であっても、「お前は一度街を捨てたじゃないか」とか「街が一番苦しかったとき、お前はどこで何をしてたんだ」「あとから来て何を言ってるんだ」「この街を再建したのは俺たちだ」などという圧力に対抗するだけの説得力を持つことは、感情を持つ動物である人間の集団社会ではまず無理だ。先の戦争でも、空襲などの戦災で居住していた家族全員が亡くなり、後々正当な権利者である親族がその土地や権利を確認したらすでに知らない誰かがそれらを乗っ取っていて、抗議しようとしても街はみんなその乗っ取った側の味方ばかりだった、というような事例がいくつもあった。

こういう混乱にまぎれて占拠した土地を合法的に所有するためには、10年もしくは20年の時効取得を画策することになることもあって、再開発などはますます進まなくなる。理由が正当な理屈ではないから、どう説得しても交渉は決裂必至で、結局は土地代以上の金銭によって明け渡してもらう他なくなる。もしそんなことにでもなったら、まさに暗黒の昭和史よ再び、だ。まあ今回の被災地域には、長年地元のに居住してきた血縁関係の濃いちゃんとした地域住民がほとんどだろうから、終戦後のようなことにはならないだろうが、可能性はゼロではない(by 官房長官)。

「地球は日本の都合を考慮してはくれない」

問題は次から次へと起きてくる。
時間は一時も止まってはくれない。
街が生きているのと同じように、世界もまた生きているのだ。
日本政府は、今度もまた頼りにはならないだろう。
自分にとっては自分の病が最重要であっても、自分以外にとっては他人の病は他人の病でしかないように、被災の深刻さは被災者当人にしかわからないし、それは被災者個々によってもそれぞれだ。
緊急時の今は力を合わせることができていても、余裕が出てくればそこにエゴも顔を出してくる。

中東情勢が厳しくなり本格的な戦争となった時、石油の供給を中東に頼り、今回の被災でも米軍及び世界の助けを借りた日本が、これまでと同じ対応でいられるとは、私には到底思えない。

「お前、“トモダチ”のはずだよな?」
そう問われたとき、日本は
「いや、お前らとは友達じゃない」
とは言えないだろう。

自衛隊への負担、財政面での負担、政府の機能、政権の能力、国民の関心、物資の振り分け、これらを考え、中東民主革命戦争と東日本大震災とを天秤にかけた時、より重きを置かれるのは果たしてどちらなのか。
私には、日本政府が前者を選択するように思われて仕方がない。
そうならないためにも、中東情勢はどうにか落ちついて欲しいし、中国経済もあと数年はがんばって欲しいと、心から切に願っている。

難問山積してる状況で、トップとその補佐役が、組織経営能力も決断実行経験も共に乏しい市民運動家と活動家系弁護士のコンビ(あるいはトリオ)というのは、運がないとしか言いようがない。
確かに彼らはお金にはクリーンだったのかもしれない(まあ直近の報道ではそうでもなさそうな感じではあるが)。しかし、そんな理由で医者を選び、彼らにメスを持たせて腹を切らせる患者がいるだろうか?
最終的に報いを受けるのは、手術を受ける自分なのだということを、私は麻酔の覚めつつある激痛と共に思い知らされる患者のような心境の中に、今いるのである。



2011年3月27日日曜日

津波には勝てない。

【津波とケンカしても勝てない】

防波堤・防潮堤が有効なのは小規模津波にだけであって、本当に防ぎたいはずの大津波に対して、防潮堤はかえって被害を大きくするということが明らかになった。

防潮堤があったがために避難が遅れた人は多かったし、また防潮堤の門を閉めるために動員されて被災した青年団の人たちも大勢いた。もっとも良くなかったのは、引き波に対して防潮堤が堰のような働きをしてしまい、水の勢いが止まって滞留し、防潮堤を越えた地域の水位を過剰に高める悪循環に陥ってしまったことだ。
もし防潮堤がなければ、津波の到達範囲は広くなっただろうが、中心部分の水位ははるかに低くなっていたはずだ。そうした条件下であったなら、今回でも鉄筋3階以上に避難した人たちの多くは助かっていたかもしれない。

防潮堤の良くないところはまだある。

それは街作りへの影響だ。

防潮堤があると、道路や工場などが防潮堤に沿うような形で設置されがちになる。
檻があると猛獣のすぐそばまで近づいてしまうのと同じ理屈で、何かのはずみで檻が壊れた時には逃げ切れなくなってしまう。

最後に、これはある意味で仕方のないことでもあるのだが、堤防があると深いまま(水量を保ったまま、勢いも維持される)街のすぐそばまで津波が来れてしまうという、構造上の問題だ。


港湾壁や堤防壁は、水面に対してほぼ垂直に切り立っている。

ここへ大量の水が一気に押し寄せると、水量の持つエネルギーが保持されたまま、街へ激突することになる。

同じ高度からの同じバケツ一杯の水であっても、広く撒(ま)くように流した場合と、一度に真上から落とした場合とでは破壊力が違うように、段々と浅くなっていくという本来の海岸線や河川敷の構造と、垂直に切り立った枠にはめ込んだ人工的な構造とでは、やはり対自然となった時の応用力が違うということなのだろう。




構造上の問題はまだある。

向かってくる物に対してそれを正面から跳ね返そうと設計してあるので、その設計意図通りに「外側から」の力には強いが、逆に「内側から」の力には脆(もろ)くなってしまうのだ。



今回も、想像するに、海側から襲ってきた津波には何とか耐えたかもしれない防潮堤・防波堤も、その想定水位を超えて壁を乗りこえられ、陸地側に大量にたまってしまった海水からの力には耐えられなかったに違いない。堤防が決壊すれば、ただでさえ強力な「引き波」の力が自然本来のものの何倍にも増幅されてしまう。ザザザザーと引いていくのが自然の引き波であるのに、その引き波をため込むだけため込んだあげく、まるで鉄砲水か土石流のように解放するのだから、その破壊力たるやどんな科学者であっても事前には想定できない、強烈なものとなっただろうと、私は推察している。

防御壁的な発想での津波対策はもはや過去のもの。終わったのだ。

2011年3月25日金曜日

北国へ春よ早くと我思う

決定的な事実があります。
それは、霞ヶ関の役人も永田町の議員も丸の内三菱村の村民も村長もお茶の水から丸の内に移転した日立製作所の社員も芝浦の東芝本社の社員も、さらに天皇皇后両陛下も皇太子皇太子妃殿下も皇室の皆々様も、みなさん東京にいらっしゃったままだということです。

東京は大丈夫です。


また、昨夕には意外なニュースも報じられました。

被曝の作業員、水に浮いた汚染物質が足の皮膚に付着か
2011年3月24日 朝日新聞
 東京電力福島第一原子力発電所で24日、復旧作業に当たる作業員3人が被曝(ひばく)し、うち2人が病院に運ばれた。東電は2人が足の皮膚に被曝によるやけどを負った可能性も否定できないとしている。
 吐き気など、全身に大量被曝した際に起きる急性放射線障害の症状はないが、水に漬かった部分には、局所的に高い線量の放射線を浴びる「局所被曝」が起きた可能性がある。これは、放射性物質に直接触れた場合などに起こる。
 東電は、水に浮いた汚染物質が足の皮膚に付着し、その部分に被曝で起こる「ベータ線熱傷」が起きた可能性も否定できないとしている。
 ベータ線は放射線の一種。紙などを突き抜けるが、アルミなどの薄い金属板は透過しない。浴びた線量にもよるが、ベータ線熱傷では1~2日後に皮膚が赤く腫れ、1~2週間後にやけどのような症状が出てくることが多いとされる。


ということらしいのです。
被曝された作業員の方々には、一日も早いご回復をお祈りします。

さて、この報道を知って私が意外に思ったことは、発電所内の放射線量がそれほどでもないのかな、ということなのです。
同じ記事の中にはこういう記述もありました。

 経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は24日の会見で、原発内に放射線量の高い場所が散見されるとし、「これからの作業は放射線量との闘い」と述べた。

ということは、今回事故に遭われた作業員の方々がいらした場所は「放射線量の高い場所」のひとつだったのではないか、と想像されるのです。
もしそうであるならば、発電所内の放射線量は私が考えていた状態よりも低いことになります。
この推測が正しいのであれば、燃料棒の損傷は非常に軽微であることになるし、炉の損傷もほとんどない可能性がそう低くはない確率で期待されます。

もちろんリスク管理のことを考えれば、最悪の事態を想定して対処するのがセオリーです。
でももしかすると、ですよ。
最もダメージを受けていたのは、水温計水量計と配管のつなぎ目部分だった、などという結末もあるえるように、私には思えます。
絵空事にしても、このまま「原子炉崩壊! 日本終了!」となるよりは、現実味があると私には思えるのです。

政府、経産省・保安院、東電、そしてマスコミは、「万が一」の「最悪の事態」を想定して、いろいろと動いているはずです。
それは裏を返せば、現在多くの国民が恐れているような事態は「万が一」にも起き得ないという証でもあるのです。
しかしそれでも責任ある立場の人は「絶対に起きない」とは口が裂けても言えないわけですから、「退避勧告」であったり「出荷制限」をかけたりしているのだろうと私は思うのです。

だってもし、本当にそんなことになる危険が高いのなら、いくら必要であっても東北道一般車両含め全面通行可なんてさせないだろうし、皇室の皆様も避難させるだろうし、成田の飛行禁止命令も出るだろうし、政府ももっとパニクってるはずだと思うんです。だってだって、尖閣諸島であのドタバタ醜態を晒した人たちのほとんどそのまんまなんですよ、官邸の皆々さんは。

こっそりきっちりいろいろ測定してるはずの米軍が、原発より被災者支援の方へ重きを置いてくれている現実から見ても、緊急性がどちらにあるのかは明白だと私には思えます。



いま水道水を飲むと、あるいはほうれん草を食べると、10年後20年後30年後にガンになる、みたいなことを言っている人がいますけど、それってつまり、今の原発の騒ぎは無事に終息して、その後10年20年30年と平穏無事に健康な生活を送れるんだって言ってるのと同じことなんですよね。

この矛盾に気づいて欲しいなあ。



早く、春よ来い。

2011年3月23日水曜日

力が欲しい




津波、三陸海岸で15m超す…国内最大級か
読売新聞 3月18日(金)
 東日本巨大地震で太平洋沿岸部を襲った津波の高さは、三陸海岸で15メートル以上になっていたことが港湾空港技術研究所の現地調査などでわかった。
 上陸した津波は山をせり上がり、海面から20メートル以上の高さに達したとみられる。

大船渡の津波23・6メートル 昭和三陸地震に匹敵
2011/03/23 【共同通信】
 東日本大震災の津波の高さが、岩手県大船渡市で23・6メートルに達していたことが23日、港湾空港技術研究所(神奈川県横須賀市)などの現地調査で分かった。
 大船渡市の綾里で23・6メートルのほか▽宮城県女川町14・8メートル▽岩手県久慈市13・4メートル▽岩手県釜石市9・0メートル▽青森県八戸市8・4メートル―に達したと判定した。



木造2階家屋の屋根の高さ 約8メートル
電柱の平均的な地上部高 約12メートル

目線を上げるのが怖い。
どうしてもそこに水面を想像してしまうから。
そしてぼくが立っているそこは海の底で
まわりはどこまでもどこまでも
黒くて臭い泥水しかないんだ。


東日本大震災:津波が奪った夢 生存確認、児童の2割--石巻の大川小 /宮城
毎日新聞 3月21日(月)
 希望の日々のすべてを、津波は一瞬で奪い去った。石巻市の市立大川小学校は18日現在、全児童108人のうち、24人しか生存が確認されていない。
 北上川が太平洋に注ぐ河口付近。津波は川を逆流して約6キロ先の小学校を襲った。
 地震が起きたのは、下校のバスが出る30分ほど前。心配して車で迎えに来た保護者もいたため、児童を校庭に集めて点呼していた。そこにいた大半の児童と教職員合わせて数十人が波にさらわれた。急いだのだろう、遺体でみつかった子どもたちの多くは上履きのままだった。水は2階建て校舎の屋根がわずかに見えるほどの高さまで達した。
 地震2日後の13日、消防団員と校庭にたまった泥を必死にかき分けると、4人の子どもが身を寄せるようにして息絶えていた。
 教職員も13人のうち無事だったのは校長を含め3人だけ。卒業式を目前にした6年生は5人の生存しか確認されていない。


秋ヶ瀬橋から浦和駅までの直線距離 約5.2キロメートル
羽根倉橋から北浦和駅までの直線距離 約5.5キロメートル
治水橋から大宮駅までの直線距離 約5.5キロメートル
開平橋から上尾駅までの直線距離 約5キロメートル
太郎右衛門橋から桶川駅までの直線距離 約4.5キロメートル
荒井橋から北本駅までの直線距離 約3.3キロメートル
御成橋から鴻巣駅までの直線距離 約1.2キロメートル





……

2011年3月20日日曜日

いま、子供と考えるべき事

いま、子供と考えるべき事


それは、もし自分があの時あの場所にいたらどうすべきだったのか、だ。


もし自分があの時あの場所にいたらどうすべきだったのか


命の大切さだとか、親子の愛だとか、助け合いの精神だとか、地震の怖さだとか、津波の仕組みだとか、菅枝野無能政府のことだとか、自衛隊や警察や消防のこととか、とにかくそういうことじゃあない。
そんなことは、“今”、じゃなくてもいいのだ。

自分たちは日常の生活に戻って来ていて、心も頭もいつもの心と頭になってきたけど、体験感覚や記憶はまだ生々しいという、今のこのタイミングで、どうか「もし自分があの時あの場所にいたらどうすべきだったのか」を、子供たちに問いかけて欲しい。


あの時あの場所では──
まわりに大人のいない状況にあった子供の中には、地震のあと、自宅へ戻った子が絶対にいたはずだ。
あるいは、自分がここにいることは親も知っているはずなので、親が迎えに来るまでその場でじっとしていようと判断した子も、絶対にいたはずだ。
あるいは、自分は避難しようかと思ったのに、一緒にいた友だちから「怖いから、わたしの家まで一緒に行って」と頼まれて、一緒に行ってしまった子もいただろう。

そんなとき、ではどうするべきなのか?

また、逃げている途中で、体の不自由な人から「背負っていってくれないか」「助けてください」と懇願(こんがん)されたら、どうするだろう?
また、親、あるいは弟や妹が、がれきに挟まってしまった場合、どうするのか?

もっともっといろいろな場合が考えられるだろう。
そしてそれは、ほんの1週間前に、実際に起こったシチュエーションなのだ。

これらのことを、今の、まさに“リアル”な感覚がまだ残っているこの時期に考えることは、間違いなく子供の思考、精神、魂を成長させる。

もし自分があの時あの場所にいたらどうすべきだったのか

この問いへの答えに絶対の正解はない。
しかし、考えることで、テレビが報じる「死者○千人、行方不明者○万人」という数字の背後にある、現実に起こったことへ想像を広げることができるはずだ。
死者の一人一人に、家族や友人や親戚がいて、楽しい思い出もいっぱいあったはずだ。
そして生き残った人たちも、それぞれ失ったものを抱えてながら、避難所の冷たくて固い床で“今”を耐えている。





この問いを考えた子供たちの中に気づく子がいるはずだ、かならず。




あそこにいたのは、あるいはあそこにいるのは、もしかしたらぼくだったのかもしれない、と。





このことに気づくことは、ただテレビを見て、大人から「かわいそうねえ。ねえ?」と押しつけられるように思考の選択肢を限定されるよりもはるかに多くのことを子供たちに教えてくれる。

気づいた子は、一歩目を踏み出すことができるだろう。

そうした一歩一歩を重ねること、それを文学は「成長」と呼んできた。
決して体格や年齢のことではない。

大人は、テレビにかじりついて「大変だねえ」とそわそわしているだけではだめだ。
それでは隣にいる子供たちを成長させる大きな機会を失ってしまう。
どんなにつらくくるしいことであっても、すべては乗りこえることができる。
神は乗りこえられる試練しか与えないのだから。


終わりは始まり

2011年3月19日土曜日

踊らされる前に、こういう情報も見ましょう。

こんな程度でOKなら、鼻くそほじりながら検索するだけでもいくらでも見つかるじゃん。



北茨城市の「100倍」放射線量 中国やインドなどでは自然にあり得る数値

2011.3.15 (産経新聞)

 茨城県北茨城市で観測された1時間あたり5・575マイクロシーベルトという放射線量について東海第2発電所(茨城県東海村)を持つ日本原子力発電の放射線管理担当者は「ブラジルやインド、中国などでは普段でも同5マイクロシーベルトを超える場所もある」と説明。自然界でもあり得る数字との見解を示した。

 同発電所では、原子炉が入る原子炉建屋など放射線量が多い場所は管理区域に指定され、一般の立ち入りが禁止される。

 その管理区域内では同1ミリシーベルトの放射線量を観測する地点もあるが、職員や作業員は同1ミリシーベルトを超えない範囲で作業を実施。法令で定められた年間被曝量50ミリシーベルトを超えない範囲で仕事をしているという。

 また、放射性物質による外部被曝と内部被曝の違いはあるものの、茨城県原子力対策課も1回の胸部レントゲンによる被曝量は50マイクロシーベルトと説明しており、今回の検出値がそれらと比較して「低い」としている。

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世界の放射線

(1993年国連科学委員会報告書等により作成)

地 域 平均値
(mGy/年) (最高値)
(註)mGy=mSvミリシーベルトとほぼ同値

ラムサール(イラン) 10.2 ※1 (260)
ガラパリ(ブラジル) 5.5 ※2 (35)
ケララ(インド) 3.8 ※2 (35)
陽 江(中国) 3.51 (5.4)
香 港 0.67 (1.00)
ノルウェー 0.63 (10.5)
フランス 0.60 (2.20)
中国 0.54 (3.0)
イタリア 0.50 (4.38)
世界平均 0.50  
インド 0.48 (9.6)
ドイツ 0.48 (3.8)
★日本 0.43 (1.26)
アメリカ 0.40 (0.88)
オーストリア 0.37 (1.34)
アイルランド 0.36 (1.58)
デンマーク 0.33 (0.45)

※1 High Levels of Natural Radiation 1996, M. Sohrabi, p57-p68 Elsevier Science B.V (1997)
※2 1982年「国連科学委員会報告」


ところ変われば放射線も変わる

最も受ける量の少ない神奈川県と、最も高い岐阜県を比べると、岐阜県のほうが1年間に約1.5倍も多く受けています。
このように、地域によって自然放射線の量に差があるのは、その地域によって地質などが異なるからです。放射線を出す物質を含む花崗岩などが、地表近くにある地域では、大地からの放射線の量が多くなります。
もちろん健康に影響することはありません。


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なのに国民の不安を煽ることしかしない首相や官房長官や政府高官とかってのは、根本的な資質に問題があるとしか考えられない。
あるいは、日本を混乱させることが目的だとしか……もしそうなら、彼ら、奴らのしていることは、至極理にかなっているということになる。
国民としての最善の対抗策は、踊らされないように周りをよく見ること。
サッカーに限らず、周りを見ることのできない、視野の狭い人材は、戦力にならないどころか味方の足を引っぱる存在になっちゃうから要注意だね。


FIN

2011年3月18日金曜日

2人に1人がガンになる世の中での0.04%

適当なサイトがないかとちょっと検索しただけで、すぐ見つかった説明がこれ。↓



放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)

(1Sv シーベルト、=1,000mSv ミリシーベルト、=100万μSvマイクロシーベルト)

1.身体的影響
  被曝した人自身が受ける影響で更にa.急性影響、b.晩発影響に分けられます。急性影響は被曝後極短時間で現れる影響で、下の表に示したように被曝した線量で各種の症状が現れます。

a.放射線による急性の影響(全身照射)
線被曝線量(mSv:ミリシーベルト) 症状

250以下  ほとんど臨床的症状無し
500 白血球(リンパ球)一時減少
1000 吐気、嘔吐、全身倦怠リンパ球著しく減少
1500 50%の人に放射線宿酔
3000 5%の人が死亡(骨髄障害)
4000 30日間に50%の人が死亡
6000 14日間に90%の人が死亡(中枢神経障害)
7000 100%の人が死亡


b.晩発影響
  晩発影響は被曝後長時間を経て現れる症状で、がん、白血病、放射線白内障などが挙げられます。
  「国際放射線防護委員会(ICRP)1990年勧告」によると、1Sv(=1,000mSv=1,000,000μSv)の放射線被曝をしたときに生涯のあいだに生じる致死的なガンの発生確率は0.04%と報じています

2.遺伝的影響
 被曝した本人ではなく子孫へ伝わる影響のことです。広島や長崎の原爆被爆者に対して行ったこれまでの調査では、放射線によってヒトに遺伝的影響が増加したという報告はありません。しかしながら、国際放射線防護委員会がまとめた動物実験結果では 10mSvで1/10000の確率で遺伝的影響が現れると報告されています
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こういうのもあった。
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ほんの一瞬のうちに、1000ミリシーベルト(1シーベルト、もしくは100万マイクロシーベルト)を、全身に浴びても10人に1人が気分が悪くなって吐くかどうか、というのが、我が国の総理大臣や政府の広報官である官房長官の騒いでいる「健康への影響」の実態である(「全身照射」でないなら、浴びてない部分で修復されるので、ますます影響は小さくなる。いやむしろ影響はなくなると考えていい。長崎広島で至近距離被爆しても全身照射を受けていない人は、火傷などの外傷を乗りこえることさえできれば、意外なほどみなさんお元気です。でもって今回みたいな超微小微少な放射性物質が風に乗って飛んできて衣服について被曝したくらいでは、どうやったって全身照射は無理っつうか不可能っす)。

さらに「リンパ球の減少や白血球数の増減」にしても、こんなのは何も特別なことじゃなくて、日常生活の中で普通に繰り返されているごく当たり前の“事象”だ。

そもそもそれが本当に放射線の影響によるのかだって、相当にアヤシイ。なぜなら、ストレスや緊張といったものそれ自体が、リンパ球の大きな減少要因だからだ。睡眠不足もそうだし、急な運動だってそうだ。
「危ない危ない」と不安を煽られて、あわてて避難して、制限された食生活とトイレ、プライバシーのない環境、騒音、臭い、空調、そんな慣れない避難施設で、先の見えない中、普段と異なる緊張した生活を強いられれば、それだけでリンパ球はかなり少なくなる。
じゃあリンパ球が減少した結果、ではどんな健康リスクが生じるのかというと、いつもより風邪をひきやすくなるとか、肌が荒れるかな、といった「重大な健康被害」くらいなのだ。そんなものなのだ。


現在の菅枝野予測不安政権と、東京の大マスコミ様方は、国民を安心させる方向とは真逆のことしかしていない。
こんな連中のオモチャにされるよりは、自分でちょっとネットを検索してみれば、福島原発にからんでの不安はほぼ完全に解消させることができる。

寒風吹く中自分から裸踊りをしつつ、「このままだと、最悪の事態になる可能性がないとは言えない!」とわめいているアホに付き合って、こっちまで裸踊りするのもバカバカしいではないか。ましてやその最悪の事態が風邪をひくくらいのことだとしたら、いったい何を騒いでいるのか、という話なのだ、そもそも、が。




0.04パーセントの確率変化に、はたしてどれほどの意味があるというのだろう。
ましてそれは、「人間の生涯」という不安定で不確定の範囲での“発生”確率の話なのだ。

それぞれの人生に与えられた限られた時間の中で気にすべきことは、もっと他にあると私は確信している。
少なくとも、福島原発のニュースを見るためにテレビの前で時間を費やし、存在しないリスク予測によるストレス負荷を自らに与えるのは、あらゆる面で100パーセント無駄であると、私は断言したい。


おわり

【おまけ】
★原発80キロ圏に退避勧告 米大使館、自国民に
在日米大使館は17日付で、東日本大震災に伴う福島第1原発の事故を受け、同原発の半径80キロ以内に住む米国民に対し、予防的措置として避難するよう勧告した。避難が難しい場合は、屋内への退避を要請した。
同大使館は声明で、天候や風向きなどさまざまな条件が放射能汚染の範囲に影響すると指摘。低レベルの放射性物質は80キロ以上離れた地域に及ぶ可能性もあるとした。
2011/03/17(共同通信)

こういう反応を見ると、ホント、アメリカってパニック体質というか、パニック耐性のない国なんだなあと思わずにはいられない。イラクの時といい、昨年のトヨタの時といい、同じことを繰り返してる。
埼玉県民の私としては、このニュースのBGMにはこれしかないと思うのだが、いかがだろうか。
ぱにぃっく♪ぱにぃっく♪ぱにぃっく♪みんながあ~わ~ててぇる~♪

大卒サラリーマンが一番損?

この投稿は、地震もしくは停電による影響で、予定公開命令が未実行になっていたものです。
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※為替は2011.03.10のレートである1ドルおよそ82円でゲゲが計算。

【コラム】ハーバード大はお得か、高等教育のお値段検証-コトリコフ

 3月9日(ブルームバーグ):教育を受ければそれなりの見返りがあり、良い教育ほど見返りが大きいという考えはほぼ万人共通の常識になっている。私のような大学教授にとっては商売が廃れる心配がないわけで、実に有難い話だ。

  残念なことに、この考えは事実と異なるようだ。経済学者のステーシー・デール、アラン・クルーガー両氏の最近の研究は、トップクラスの大学を出ても将来の収入に大きな違いをもたらさないことを示した。過去の複数の研究でも同じような結果が出ていた。

  ハーバード大学に入学を希望していた若者が、私の勤めるボストン大学に入学しても将来を心配することはない。最高級の高等教育の見返りが、普通の高等教育の見返りよりも大きいということはない。それは朗報だが、そもそも高等教育を受けることにそれなりの見返りがあるということ自体、真実なのだろうか。

  一見、答えは明らかなように思われる。平均として、博士号を持つ人は修士号を持つ人よりも多くを稼ぎ、修士号を持つ人は学士号を持つ人よりも所得が多い。大学卒業者の方が高卒者よりも給料が高い。教育に見返りがないなどと、どうして言えるだろうか。

  その答えは、教育は「ただ」ではないというものだ。トップクラスの大学に通うには今、食費と寮費、授業料を合わせて1年に5万ドル(約410万円)がかかる。これは直接のコストだが、これに加えて、就労せずに学習に費やす年月という隠れたコストがある。

            すべてを含めて

  教育の「見返り」を考える時は、すべてのコストを含めて計算しなければならない。所得税は1年間の所得に対して課される。生涯収入が同じならば、働く年数が少なく1年当たりの所得が多い人の方が、高税率のグループに入る可能性が高い。

  一方で、社会保障税は課税対象額に上限があるため、生涯の稼ぎを短い年数に圧縮することで単年の所得が増えても、上限を超えてしまえば単年の課税額は増えず、一生に支払う税額は少なくなる公算だ。現在の上限は10万6800ドル(約876万円)。早くから社会保障税を払っても給付額は増えないことも、就労を遅らせる人に有利だ。

  結局のところ、教育の金銭的見返りはあるのだろうか。実は必ずしもそうではない。ジョーとジル、スー、マットという4人の18歳の若者がいたとしよう。ジョーは大学に行かず配管工になった。

             医者

  ジルは医者を目指して授業料の高い私立大学に4年間通った後、さらに高額のメディカルスクールで4年間勉強し、低賃金のインターンを2年、研修医を1年務め、高校卒業から11年後にやっと一般開業医として本物の仕事に就く。

  スーとマットはともに、ジルと同じ高い私立大学で教育学の学士号を得る。マットはさらに2年間勉強して修士になる。

  この4人が皆、結婚せず62歳になるまでオハイオ州で働いたとしよう。収入がピークになる50歳の時、配管工のジョーの年収は7万1685ドル(約588万円)。教員になったスーは8万9584ドル(約735万円)。修士号を持つ教師のマットは10万3250ドル(約847万円)。医者のジルは18万5895ドル(約1524万円)を稼いでいる。架空の4人の収入は年齢と州、職業に基づきデータを使って算定した。

  では4人が在学中の学費と生活費を一般的な金利で借り入れたとしよう。この場合、一生での可処分所得が多くなるのは誰だろうか。私の会社のソフトウエア「ESプランナー」を使ってこれを計算してみた。

             可処分所得

  学費や所得税、社会保障税・給付などを計算に入れた可処分所得が簡単にはじき出される。医者のジルは19-100歳の間、年3万3666ドル(約276万円)を使える。ピーク時の18万5895ドル(約1524万円)に比べるとひどく少ないが、ジルが働いて金を稼ぐのはこの81年のうち31年だけなのでこうなる。高所得の50歳の時の税負担は所得の36%に達する上に、学資ローンも返さなければならない。学資ローンの金利5%はジルが貯金を安全に運用して得られると考えられるリターン(3%)を上回る。

  配管工のジョーの平均年間可処分所得は3万3243ドル(約273万円)。勉強し試験を受け、病院での夜勤に耐えたジルと423ドル(34,686円)の差しかない。教員のスーはジョーより少ない2万7608ドル(約226万円)。大学院を出たマットはさらに低く2万6503ドル(約217万円)。

  高等教育の投資リターンについての精緻な研究に比べれば大ざっぱな数字だが、金銭的な見返りだけを目的に高等教育を受けようとする人にとっては重大な赤信号だ。同時に、経済的に成功するための確実な手段だとして高等教育を奨励する政府の政策にも、大きな疑問を投げ掛ける。(ローレンス・コトリコフ)

(ローレンス・コトリコフ氏はボストン大学の経済学教授で、エコノミック・セキュリティー・プランニング社の社長です。このコラムの内容は同氏自身の見解です)

原題: Study This to See Whether Harvard Pays Off:Laurence Kotlikoff (抜粋)

更新日時: 2011/03/10 07:23 JST

Bloomberg


**********原文**********
Study This to See Whether Harvard Pays Off: Laurence Kotlikoff
March 08, 2011, 7:08 PM EST

By Laurence Kotlikoff


March 9 (Bloomberg) -- The notion that education pays and that better education pays better is taken for granted by almost everyone. For college professors like me, this is a very convenient idea, providing a high and growing demand for our services.

Unfortunately, the facts seem to disagree. A recent study by economists Stacy Dale and Alan Krueger showed that going to more selective colleges and universities makes little difference to future income once one accounts for the underlying ability of the student. Their work confirms other studies that find no financial benefit to attending top-tier schools.

It’s good to know that Harvard applicants can safely attend Boston University (my employer), and that better higher education doesn’t pay better. But does higher education pay in the first place?

The answer seems obvious. On average, doctorate holders earn more than those with master degrees, who earn more than those with bachelor degrees, who earn more than high school graduates. How can education not pay?

The answer is that education isn’t free. Top undergraduate programs are now charging students $50,000 a year to eat, sleep and, hopefully, attend class. But that’s just the direct cost. Education’s hidden cost is the time spent learning rather than earning.

Making School Pay

For education to pay it has to cover all its costs. It also has to make up for the progressive income tax, which taxes annual earnings, not lifetime earnings. If person A earns the same amount over her lifetime as person B, but does so in fewer years, A’s annual earnings, in the years she works, will be higher than B’s. This compressing of lifetime earnings into fewer years can potentially land person A in higher tax brackets during her working years.

Social Security’s payroll tax cuts the other way. It’s regressive, thanks to its ceiling on taxable income. Earnings bunching can lower lifetime payroll taxes provided the bunching pushes annual earnings above the ceiling, now at $106,800.

Social Security’s benefits formula provides no reward for paying taxes early. This too helps those who stay in school and start their careers late. On the other hand, the formula doesn’t credit earnings above the ceiling, which can penalize the better educated.

But what’s the bottom line? Does education pay?

Not necessarily. Consider four equally talented 18 year- olds -- Joe, Jill, Sue, and Matt. Joe takes a pass on attending college. Instead, he decides to become a plumber.

Jill chooses medicine. She goes to an expensive private college for four years, an expensive medical school for four years, does a low-paying internship for two years followed by a low-paying residency for one year, and finally, 11 years after high school, gets a real job, as a general practitioner.

Teaching Education

Sue and Matt both get bachelor’s degrees in education at the same expensive college Jill attends, but Matt spends an extra two years after college getting his masters.

All four of these hypothetical kids settle down in Ohio, remain single, and retire at 62. At age 50, the peak earnings year for all four, Joe, the plumber, makes $71,685 (in today’s dollars). Sue, the teacher, makes $89,584. Matt, the teacher with the master degree, makes $103,250. And Jill, the doctor, makes $185,895. All figures and others used in this analysis are based on earnings data by age, state and occupation.

Earning Power

Who ends up with the higher lifetime spending power assuming Sue, Matt, and Jill had to borrow, at high prevailing interest rates, to pay tuition and cover living expenses while in school?

To answer this question, I used ESPlanner, my company’s financial planning software. The program figures out, in two seconds, each kid’s sustainable spending, taking account of educational costs, foregone earnings, annual federal and state income taxes, annual payroll taxes, Social Security benefits, and Medicare Part B premiums.

Jill, the doctor, has the highest living standard. She gets to spend $33,666 year in and year out from age 19 through 100 This is after paying all her taxes and Medicare Part B premiums. Age 100 is the maximum age to which the kids might live and, thus, must plan.

Come again? Only $33,666? That’s a far cry from Jill’s peak earnings of $185,895. Yes, but remember, Jill has only about 31 years of significant earnings to cover some 81 years of living. And when Jill works, she gets nailed by the taxman. At age 50, for example, Jill pays 36 percent of her earnings in federal and state income taxes and payroll taxes.

Finally, Jill has a bucket load of student loans to repay at an assumed 5 percent real interest rate, which exceeds the assumed 3 percent real return she can safely earn on her savings.

Plumber’s Pay

To add insult to Jill’s injury, Joe the plumber’s sustainable spending is almost as high -- $33,243. All those grueling years of study, exams, late-night emergency calls, and Jill gets to spend a measly $423 more per year than a plumber.

What about Sue, the teacher? Sue has less spending power -- $27,608 -- than Joe.

And Matt, with his masters? His spending power is even lower than Sue’s, at $26,503. Too bad he didn’t run the numbers before sending in his graduate-school application.

These examples are a far cry from an exhaustive study of the returns on investing in higher education. And they treat higher education as purely a financial investment and ignore its tremendous personal and social non-pecuniary rewards. Still, the examples present a big red flag for those who pursue higher education solely for the money. And they raise a major question about government policy that promotes higher education as the sure path to economic success.

(Laurence Kotlikoff is professor of economics at Boston University, president of Economic Security Planning Inc. and author of “Jimmy Stewart Is Dead.” The opinions expressed are his own.)


こういうデータもあることをちゃんと教えれば、就職活動がうまくいかないくらいのことで自暴自棄になる若者も減ると思うのだがなあ。



おわり

煽られて踊らされないために

煽られて踊らされないために

【私はこう理解している】

そもそも大前提として、今の私たちが生きている地球は、ほんの30年くらい前までに、アメリカだのイギリスだのソ連(現ロシア)だのフランスだの中国だのが、好き勝手に、それこそ余裕で1000回を越えるくらいの核実験が繰り返された環境下にある。その核実験というのも、だだっ広い空き地や海上で、それこそ花火でも上げるみたいな無防備さで執り行われた、本当にいい加減な核実験だ。
当然排出された放射性物質も非常に乱暴な代物で(そりゃそうだ。なんせ敵を全滅させるための兵器開発が目的なんだから)、そういうものを平然とばらまいてきたのが米英露仏中という常任理事国のお歴々なのだ。これを忘れちゃあいけませんよ、と。

さて次に、福島原発から排出された放射性物質をどう考えるか、だ。
これは水蒸気に付着した気体のような状態で空中を漂っている。ここがとても大事なところだ。
つまり、放射線と聞くとまるで「光線」のように四方八方にまんべんなく放射されているようにイメージしてしまうが、実際には工場の煙突から吐き出される煙のように、いわば帯状に漂いながら拡散していっているのだ(放射線を発する放射性物質を一部に含む気体が)。そしてその量も、テレビ画面で見たままの量と考えてほぼ間違いない。原発から立ち上る白い蒸気の他に、見えない超強力な殺人光線が関東一円をおおうようにガンガン発せられている、なんてことはない。
ましてやまだ北風が強いこの時期、放射性物質を含んだ蒸気の筋は、太平洋上のどこかに消え、あとかたもなくなっている。

数字に徹底的に弱いらしい枝野官房長官が、いまだに理解できないでいる放射線の数値についても、あれは別に「常時固定した」数値、じゃあない。言ってみれば瞬間風速であったり……いや、違う……ある地点である瞬間に計測された風速、みたいなものに近い(実はこれでも一段階省いた例えなのだが)。
台風の風速の風が半径30キロ圏内で常時吹き続ければ、そりゃあそうとう危険だろうが、そんなことはないわけで、台風が来た時にだけ家でおとなしくしてるか、どこかに避難するか、外出するならそれなりの準備をすれば、どうってことはない程度のことなのに、それをことさら煽り立てるのは、無能が無能の冠をかぶっているよりも、周囲を巻き込むだけ悪質だ。どうか枝野氏には人々の先頭に立つようなことはやめて欲しい。自称ボランティアの親玉みたいで、百害あって一利なしなのだから。

放射線は空を自由に飛ぶけど、その放射線を発する放射性物質は空を自由には飛べない。
ダイオキシン騒動をもう忘れたのだろうか? 特にテレ朝。
ダイオキシンの毒性は、フグ毒の何倍とか何百倍とか何千倍とか、そんな感じに騒いでたよね?

何キロも先の工場の煙突から出た白い煙、それもここ数日の話なのに、なんでこんなに大騒ぎさせようとするの?
その工場の正門に設置した計測器で検出された、ある瞬間の数値が「○倍になった!」とかで右往左往? 誰かその工場の正門前で暮らしてるの?

なんだかこのままいったら核爆発でも起きそうな勢いの報道や政府の対応を見ていると、よくもまあこれで「技術大国日本」なんて看板掲げてたよなあって赤面してしまう。
燃料棒が全部溶けたって、実際にはどうってことないよね。だってあれ、発電用に焼き固めた不純物だらけのペレットだもんね。だから、プルサーマルとかで問題になったんだよね。プルサーマル処理して核燃料の純度が高くなると、核兵器に転用できる、とかなんとか。つまり逆に言えば、日本で発電用に使ってる核燃料なんて、そんなもんだってことでしょ?

一体、何をこんなに騒いでるの?
私は本当に理解できない。
計画停電が続くことの方がはるかに大問題だし、それよりももっともっと、ずっとずっと、地震と津波の被災者のことの方が心配で仕方ない。

福島の原発の事故のことなんか、東電と保安院に任せておけばいいじゃん。そのために連中は高い給料もらってるんだから。
日本国政府は、日本国民のために働けっつうの。
余計なことしないで、わかってる連中に任せておけば、自然とおさまってるって。原子力プラントってのはそういうもんだから。その方が誰も死なないし。変に無理させると、その方がよっぽど危険だよ、マジで。

ヘリで上空から水を散布させるなんて、危険なだけで何の意味もない。
周辺住民を科学的に合理的な範囲で避難させるとこまでで、とりあえずは政府の仕事は終わりでよかったのに。
消火装置の壊れた古いストーブなんだから、残ってる灯油が燃え尽きるまで、忘れない程度に管理しながら放っておくしかないでしょ。
嫌な臭いがするからって、無理に消そうとしても危ないだけだって。
あ、でもね、そのくさい煙に顔を近づけて、吸いまくったら生命に危険が及ぶ可能性があるからやめた方がいいですよ。
その煙の一番濃いところを一時間も吸い続けたら、健康に害がありますよ、きっと。
ね、かんぼーちょーかん殿。

私の敬愛する
菅膨張菅=枝野官房長官
さまへ



追伸
たとえばの話、1年間に1トン(1000キログラム、100万グラム)の砂糖を摂取したら健康リスクがある、として、ある誕生日にケーキを食べてたら、横から首のないタヌキが現れて「最大砂糖摂取数値が1㌧/年を計測しました。危険だ! 危険だ! ただちに! ただちに!」と騒ぎ出したとしたら、あなたはどうするでしょうか?(しゃべるタヌキに驚く、というのはひとまず脇へ置いておくとして、です)
別にそのままケーキを食べ続けるわけじゃないし、と相手にしない。あるいは、途中で体外に排出される分は計算しないの? と疑問を抱くかも知れません(それを訊ねても、タヌキは自分がわめきたいことをわめくだけで、答えてはくれないでしょうね。そもそも質問の意味さえ理解できないと思います。なにせタヌキですから)。
1年間、あるいは1カ月、あるいは1時間分の量を一瞬で摂取することがどれだけ大変なことなのかは、小学生の算数の「時計」の単元で習いませんでしたかね? 60×60×24×365とか、そういうのです。あそこでつまづいて、そのまま計算アレルギーになる人もたくさんいますから、まあそういうタヌキがいても、ちっとも不思議ではありませんけどね。なにせ、タヌキなんですから。そう考えると、タヌキにしてはよくやってると考えられなくもない、のかなあ。

2011年3月17日木曜日

できることからはじめよう

危機に知る己の本性

もし、レジ袋いっぱいの保存食がキッチンテーブルに置いてあったり、満タンになったまま動かしていない自家用車がガレージで停まっていたりしたら、自分は周囲からの影響を受けやすい人間であり、与えられる情報によってかんたんにコントロールされてしまう人間であることを自覚するべきだ。

いろいろ言い訳はあるだろう。

でもそんな言い訳をする前に、自分の日常からすれば取り急ぎ必要だとは思えないような物を買い込むことは、それが必要だけどそこにはいけなかった人から、“それ”を奪う行為なのだと自覚できる人間で、私はありたい。

「ダイエット」しようかな、なんて思った自分がカップ麺を買いだめする愚かさは、滑稽さを通り越して哀れでさえある。

被災地で車上荒らしが出たことをして、治安の悪化を報じるテレビは、本当にそれが「治安」の問題なのか考えるべきだ。その答えこそが、本当に報じるべき価値のある真実なのだということに、彼ら彼女らは気づかない。

総理大臣も官房長官も、過剰に不安を煽ることしかしていない。
可能性があるからといって、国のトップを担う立場にある者がそれをすべて喧伝するのが、マネージメントなのだろうか? 国民を安心させることが仕事であって、不安を煽ることによって己の権力を強化しようとするのは独裁者同然の卑劣な行為だ。





いままでの自分を思い起こしてみて欲しい。
マスコミが報じるニュースや、出演者のコメントを100パーセント信じていただろうか?
バカ菅やふてくされ枝野の、言うことや、判断力や、思考力や、正義感や、政治家としての能力を、100パーセント信用していただろうか?

もしそうでなかったとしたら、その姿勢はこういう時であっても貫くべきだ。
ましてこれほどの危機にただ中にある今、姿勢を真逆に変更するのは非常に危険だと、私は自分を戒(いまし)めている。



あらゆることは始まったばかりだ。
どういう結末であれ、東日本の電力不足(と電気料金の値上げ)は今後数年間続く。
台風の時期になっても、被災地には大量の残骸が残っている。
海水をかぶった水田、地割れした水田は、米を作ることができない。
そして東海、近畿、の地震リスクは高まったまま──。

それを考えると、今、買い占めをしている人間のアホさ加減が、ますます際だってくる。
問題は、ここ数日間の問題ではないのだから。
どんな理由があれ、被災地でもないのに今回買いだめをしてしまった人は、自分がそういう人間であることをちゃんと自覚しておかないと、いざってときに本当に痛い目にあうので注意が必要だ。

必要なのは、買いだめではなく、むしろ生活の軽量化、簡略化、だろうと私は確信している。

今回はたまたま東北三陸沖が震源だっただけなのだ。
もしこれが相模東海沖だったら──。
そのとき持って逃げる物は何なのか、そう考えると、これまで処理処分できずにいたものであっても、処理処分できる気がする。

明日が今日と同じかなんて問いには、もう何の意味もない。
昨日の悩みなんて、もう考えている余裕がない。
今こそ、助け合い、力を結集するべき時だ。
そんな時、自分の為に買いだめするような自分には、私はなりたくない。
自分さえ助かればいいなんてのは幻想なんだから。

健康って、何なんだろう?
安全って、何なんだろう?

ま、自分なりに、今を精一杯生きますか。
でもって、それを楽しいと思えるような肝っ玉があったらいいなあ。


おわり、は始まり。

2011年3月9日水曜日

ストップ・Theスピードスターのお手本

ストップ・Theスピードスターのお手本


フェイエノールトの宮市選手がきっちり止められている映像から、スピード系FW対策の基本を盗もう!


0005-0030 まずポジショニング。最初からピタリと張り付くような位置は取らない。
0043、0051 DFの顔の向きに注目。注視(ちゅうし)しているのはボールではなく選手の下半身(腰のあたり)。
0109 体を寄せるのではなく、進路への踏み込みでブロックしている。日本の「体を寄せろ!」「肩で当たれ」とは真逆。相手によって対応を使い分けるお手本。大まかに分類しても、スピード系の選手と、足元テク系の選手への対応は当然異なってくるはずなのに、それをすべて「ピッタリ寄せろ!」「振り向かせるな!」では、ディフェンスのスキル・技術は身に付かない。
0140、0210 チェックに行っているが体は当てていない。外へのターンを予測して、FWの動きを利用している。
0230 このあたりからFWはもう怖がって、振り向くことを最初からあきらめてしまった。
0250 1対1の応対。防御体制を、1対1→1対2→1対3と見事に変化させている。FWの味方もまったくフォローなし。空いたサイドを誰かが長友選手のようにフォローしていたら、こうはできなかったはずだ。
0310 疲労からか、スピードも鈍ってきた。
0335、0405 痛々しいくらい。

宮市選手については、ここが、これからぐんっと成長していくスタートなんだから、なんの心配もいらないだろう。
むしろこれ(ヨーロッパにおける自分対策)を求めて海外へ渡ったのだろうし、こんなに早くそれに出会えたことを幸運だと思っているはずだ。

宮市選手とすれば、自分個人の能力をアップすることで、この状況を打開したいと思うだろうが、チームにそれを許すだけの余裕があるかどうか。一番簡単な対抗策は、宮市選手の近くにフォロー役の選手を常に張り付かせることだ。しかしそれには、チームメートが宮市選手をどう思っているのかが微妙に影響してくる。突然やってきてサポーターからもマスコミからももてはやされる若い東洋人の助っ人新人を輝かせるための補佐役、あるいは「おとり役」をいとわないチームメート(おそらくはオランダ人)がどれくらいいるかどうか、それがポイントになるだろう。

今後宮市選手が、ボールを受けてからターンするまでの動きにどういう工夫をしてくるのか(十中八九、体の向き)、とても楽しみである。



kom op!(コム オプ! オランダ語でがんばれの意らしい)Ryo !



おわりん


■宮市亮(みやいち・りょう)プロフィール
愛知県岡崎市1992(平成4)年12月14日生まれ、183㎝、70㎏、O型、家族は父母弟。
小3~中3まで「シルフィードFC」でプレー(サイドバック)。
小学5年で愛知県トレセン、中学1年時には日本サッカー協会のエリートプログラム、2年時にU-14日本代表、3年時にはU-15日本代表。中京大中京高へ進学。

シャトルとステーションの最終ランデブー

スペースシャトル「ディスカバリー号」(STS-133)の目視予想情報

3月8日、9日に、日本の各地から国際宇宙ステーション(ISS)を目視できる機会がありますが、この機会に、3月7日にISSから分離したスペースシャトル「ディスカバリー号」(STS-133)を見ることができます。

ディスカバリー号は、ISSの前方を飛行しており、3月8日の目視機会ではISSとほぼ同時に、3月9日の目視機会ではISSのおよそ3分前に見える予測となっています。

ディスカバリー号は今回のミッションが最後の飛行となります。天候など条件が良ければ、この機会に是非観測にチャレンジしてみて下さい。なお、ISSに比べると暗いので、観測する際にはご注意下さい。

3月9日(水)
18時30分頃~36分頃の間

【北足立郡北部から見える方角】
熊谷上空やや意識的に視線を上げたくらいの位置に「ポッ」という感じにふっと光の点が現れ、そのまま東の方角へ進み、蓮田の方向へと消えて行くと思われます。



どうかこの時間、この方角だけは雲が晴れますように

2011年3月8日火曜日

長友家の子育て

朝日新聞 地方版
My Town 愛媛

「子の将来のために自分の命も賭けた」長友選手の母語る
2011年1月16日


 サッカー日本代表で活躍する西条市出身の長友佑都選手の母、美枝さん(48)が15日、松山市上野町の県生涯学習センターで、長友選手との人生を語った。題して「こうして佑都を育てた」。長友選手の幼少時代からの写真をスクリーンに映しながら、母子家庭の苦労、長友選手の反抗期や無名時代を赤裸々に話した。駆けつけた約230人が熱心に聴き入った。

 県教委主催の「子どもの夢を育む家庭教育を考える集会」の一こまで、フリーアナウンサー、やのひろみさんとの対話形式で進んだ。

 幼少時代の長友選手は、雨の時に家の中でサッカーボールを蹴ったり、階段や押し入れから飛び降りたりと活発で、けがが絶えなかった。美枝さんは「周りの人に迷惑をかけずに、命に別条がなければいい」と考え、めったに怒らなかったという。

 小学校からサッカーを続けてきたが、中学入学時に、愛媛FCのジュニアユースの入団テストに落ちた

 西条北中学のサッカー部に入ったころの長友選手は、教科書に描いたような反抗期だったという。部活のチームメートらの雰囲気にものまれ、練習もせずにゲームセンターに通っていた。美枝さんは、そんな長友選手に、「ゲームセンターに行くな」とは言わなかった。自分から気づいてくれると信じて大きな心で見守った。先生の指導もあり、長友選手はまた少しずつサッカーにのめり込んでいった。

 3年生になった長友選手は、母子家庭の母に苦労をかけたくないとの思いから県内の高校に進学するつもりだった。「お金のせいで子どもの夢をあきらめさせたくない」。美枝さんは、県外の名門校に行かせたかった。親族は「サッカーで食べていくわけでもないのに」と反対したが、美枝さんは長友選手の可能性を信じていた。「佑都にとってこれが一番のターニングポイントになるはずだ」。あちこちから奨学金を借りて進学の費用を工面。結局、長友選手はサッカー名門の東福岡高校に進学した。ふくれあがった借金に、美枝さんは長友選手に内緒で、自分に生命保険までかけたという。「子どもの将来のために自分の命も賭けたかった」と振り返る。

 福岡に旅立った日の夜、長友選手から美枝さんにメールが届いた。「お母さんは自分のしたいこともせずに頑張ってくれた。ありがとう」。その時に、美枝さんは「親があれをしなさい、これをしなさいと言わなくても分かってくれるんだ。やり方は間違ってなかった」と実感した。涙が止まらなかった、という。

 高校入学後、長友選手は努力を惜しまなかった。人格が変わったようだった。美枝さんは「母親が腹をくくって送り出してくれた、と本人も感じている」と確信した。部員は160人。3年目、その中でレギュラーになった

 長友選手は明治大に進学、その後プロの世界へと羽ばたいていった。2008年、長友選手が日本代表に選ばれた時も、すぐに「今の自分があるのはお母さんのおかげ」と長友選手から電話が入った。

 美枝さんは、最後に子育てのこつを、こう語った。「言葉で命令するのではなく、自分の姿勢で感じてもらうこと。そして、自分の子どもの可能性を信じてあげることが大切」。(松山尚幹)

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長友選手は「親の背を見て子は育つ」の成功例だったのかもしれない。
が、しかし、私はもう一つの可能性を指摘したい。
それは、「新しい酒は新しい革袋に」が功を奏したのではないか、ということだ。

本文に「部活のチームメートらの雰囲気にものまれ、練習もせずにゲームセンターに通っていた」ともあるように、長友選手が愛媛で交流していた友人関係は、お世辞にも克己心(こっきしん 自分のなまけぐせや邪念に打ち勝つ心)を刺激するようなものではなかったように思える。

そうした友人たちは、お互いの胸にともった「がんばってみたら自分はどうなるだろう」「もっと向上してみたい、上に行ってみたい」「リスクに挑戦してみよう、自分にもできるかもしれない」という小さな火種を「ちゃかす」こと、あるいは「冷や水をかける」ことで吹き消してしまう場合が少なくない。

周囲の「訳知り顔の大人や教師たち」も、自分たちがリスクの向こう側にある世界を知らないものだから、極端にリスクへの挑戦を怖がるような指導に陥りがちだ。「知らない物には近づかない」「閉じている扉は開かない」それが賢い判断なのだ、という“狭い経験値”から抜け出せないのだ。



わたしは、いわゆる“名門の指導”を受けたからといって、実力が伸びるということはないと確信している。
しかし、“いわゆる名門”の人間関係が、そしてリスクの向こう側への経験値が、若者たちを成長させる、チャレンジさせるのだということにはなんの疑いも抱いていない。それを一言で表現するなら「伝統」ということになるだろう。

長友選手のご家庭よりもっともっと厳しい条件下にあっても、よりはるか遠方から東福岡高校サッカー部へ入部した生徒だってたくさんいたはずだ。だから、名門校へ通わせるのに親が苦労すれば苦労するほど子供はより大きく成長する、では決してない(そうした全員が全員、長友選手のようになったとでもいうのなら話は違ってくるが、現実にはそうなっていない)。
でも、親や友人や他の人間関係を一切合切(いっさいがっさい)リセットさせ、向上心を持った新しい友人たちとリスクの向こう側を知っている大人たちがいる環境へ放り込むことは、教育に対する親の姿勢・哲学としたは“アリ”だと思う。いや、可能な限り、親はそうした環境変化を、子供たちに与えるべきだ。それが親から子への最高のプレゼントになることのひとつだ、と私は確信している。

「母に苦労をかけたくないとの思いから」とあるように、子供は親が思っている以上に、家の財政状況を気にするものだ。しかし親は、子供たちのそんな気遣いに甘えてはいけない。
無い袖は振れない、と子供に無言のアピールをするために親は自分の背中を使ってはいけない。
親の背中は、子供へプレッシャーをかけるためにあるのではない。温かくたくましく、信頼と勇気を感じさせるためにあるのだと、私は確信している。

なんでも買って与えてやるのはバカ親だ。
しかし、ここぞと言うときに必要な物を与えてやらない(それは買えるものとは限らない)のは、子供の人生への背信(はいしん 道義にそむく、あるまじき行為)だ。

あるいは大事な時期に、足を引っぱる環境から引きはがしてあげないことも、同様に子供の人生を“嫌な臭い”のするものにしてしまう親の罪だ。
そうならないための方便としてなら、「無い袖」も使いようだと私は思う。

名門校の価値は、その指導力にあるのではない。向上心のあるライバルと出会えるチャンス、さぼらないことが当たり前の空気、リスクの向こう側の世界を知っている大人たち、そうした環境の中で過ごせる時間、それこそが名門校の価値なのだ、と私は確信している。



長友選手、インテルでの初ゴールおめでとう!!!




インテルという環境におかれた長友選手のさらなる成長期待にワクワクするゲゲであった。
おわり

2011年3月6日日曜日

腐ったミカン箱

なんか早稲田も変わったなあ、という記事が出ていた。
3月4日の読売新聞だ。


逮捕の予備校生?回答酷似、早大が結果を無効に


 京都大など4大学の入試問題がインターネット質問掲示板「ヤフー知恵袋」に投稿された事件で、早稲田大学は4日、英語の試験問題がネットに流出したことが判明した文化構想学部の入試について、投稿された「回答」と酷似した答案が1枚見つかり、その受験生の結果を無効にしたと発表した。

 この受験生は逮捕された予備校生とみられるが、早大は「警察から予備校生の情報はもらっていない。無効にした受験生の情報は明かせない」と話している。

 早大によると、2月12日に行われた文化構想学部の英語の試験時間中、英語文を英語1文に要約する問題で、日本語で解答案を作成し、その英語訳を依頼する「aicezuki」のハンドルネーム名での投稿があり、英語文の「回答」が投稿された。

(2011年3月4日 読売新聞)
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大前提として、カンニングを罰するには現行犯じゃないと。

「投稿された「回答」と酷似した答案が1枚見つかり」ってさあ、ウソばればれじゃん。警察から問い合わせのあった受験生の答案だけを調べて、何とか合格を取り消す理由を作り出したんでしょ。そうでしょ?
というか、そもそも論として、仮にこのヤフ袋の回答とまるっきり同じ答案があったとして、それを後からカンニングだったなんてどうやって証明するの? それとも疑わしいだけで有罪。推定有罪の立場に立つんですか? それってどんな学問の府ですか? 法学部、あるんですよね?
早稲田大学は、疑わしきは犯人という姿勢で行きます、というのならそれでもいいです。でもだったら、教授たちの論文の再審査をまず最初にやらないと。学生のカンニングよりも、教育者による盗用・盗作の方がずっと悪質なんだから。

前に『カンニング』のところでも書いたように、この当該受験生は、確かに問題を投稿したんだろうけど、それをカンニングしたかどうかの証明は相当むずかしい。っていうか試験終了後にそれをやるのはほとんど無理。
仮にこの当該受験生が「ぼくはカンニングをやりました」と自白したとしても、未成年者が数日にわたってマスコミからの総バッシングを浴び、警察には逮捕拘束され、凶悪犯並みのメディアスクラムに囲まれる中を長距離移送までされ、あげく報道によれば1年前に父親が急死しての母子家庭で、単身寮生活してたんだよね? 自分のことで親や親族に、そして友人たちにいったいどれほどの迷惑をかけているのか。心配をさせているのか──。

──もう終わらせたい。

こんな状況に追い込まれた中での、19歳の少年の自白に、どれほどの信憑性があるかは、かつて(自称であったにしても)私学の雄、反権力の志、自主自立の精神という看板を掲げていた早稲田大学出身の弁護士諸氏に聞いてみたいところだ(いまは権力の犬として、ちぎれんばかりにしっぽを振っているようですが、OBの中にはまだ気骨のある人も何人かはいるでしょう。私はそう期待しています。せめて母校の下した合格取り消しについて抗議の声くらいは上げて欲しい)。

後から調べて、「カンニングしたと思われる回答」がひとつあったくらいのことで合格を取り消す、のならば全受験生について調べなければおかしいだろう。あるいはネットをつかったカンニング、もしくは携帯電話を使用した不正行為だけは合格取り消し、という方針なのであれば、それについても全答案について、少なくとももう少し時間をかけて調査するのが、教育機関の最高学府としての最低限の誠意なのではないだろうか。

騒ぎになったから、その騒ぎの当事者を排除してしまえば、もううちには関係ないよね。

これって、教育者の姿勢としては、最悪の最悪だよね。

教育機関の看板を掲げているのなら、せめて

「我が校は、彼に合格の判定を下した。この決定は一切揺らぎません。もし彼に当校への入学を選んで頂けたのであれば、我が校は最高レベルの教育と自らの学びの場を提供することをお約束します。1882年に大隈重信総長が創設して以来、我々早稲田大学は、自分たちの提供する教育に、どこにも負けない自信を持っております。彼には、今回のことも肥やしにして、当校で成長してくれることを期待しています」

くらいの見栄(みえ)、啖呵(たんか)を切って欲しい。


教育に関するテーマとしては、「腐ったミカンの例」どころの話じゃないよね、これ。
プロが一度「OK」を出したものを、周りが「やばいんじゃないの?」「問題あるよ」って騒いだから、「やっぱダメ」って……。

最後にもう一度聞きますけど。
ネットにあった投稿と酷似してたから、合格取り消しなんですよね?
で、周辺の席の答案と酷似した回答があった場合は、お咎(とが)めなしなのでしょうか?

しっかし「酷似」って……。
専門家でもない素人が短時間で下した判断で「酷似」って……。
本当に大学なんですかね、早稲田大学って。
その程度の基準でOKの研究や論文が大手を振ってまかり通るようなレベルなら、ちょっと厳しいですよねいろんな意味で。

どうなんですかねぇ。



おわり

人を動かすには順序がある

マーケティング系のビジネス書には必ず出てくる「AIDMA」。
「AIDMA」と書いて「アイドマ」と読みます。

これは何かというと、人が物を買うという行動を起こすまでにはどういう段階を経るか、は5段階に分類できるという説を説明するキーワードです。
1920年代に、アメリカのサミュエル・ローランド・ホールという人が提唱しました。

A Attention 注意
I Interest 関心
D Desire 欲求
M Memory 記憶
A Action 行動





インターネットが一般化してからのマーケティング・広告業界では、もはや古典として軽んじられている菅も、もとい感もあるのですが、なかなかどうして、普段の生活の中での自分の行動や他人の行動をコントロールする際には十分現役で使える法則だと、私は確信しています。

【AIDMAを日常生活に応用する方法】

私などは、自分で自分に行動を起こさせるようもっていくのに、このAIDMAを使います。

最後のA(Action)から順を逆に追っていくのです。

まず手はじめに、M(Memory)を補佐するため、行動に移すべき事柄をかき出したり、張り出したりします。忘れないようにするわけです。

それでもだめなら次のD(Desire)です。
その行動を起こしたら、何が手にはいるか、どういう変化が期待できるか、そういうことをできるだけ具体的に絵にします。文字だと私はイマイチなんですよね。やはり絵の方が私には向いているみたいです。その絵には、必要なら地名とかブランド名とか金額とかも、調べて正確に書き込みます。

しかしこれでもダメってことはしょっちゅうです。

となるとI(Interest)が必要になります。やはりどんなときも愛は必要なのです。
実はこの段階がもっとも重要なのではと、私は思っています。
つまり、本気でその気があるのか、マジでやりたいの? ってことを確認すること、それがこれなのです。
たまたま流行っていたから、とかテレビで見たからとかだと、それって自分の「関心」じゃないですよね。向こうから与えられた「関心」だと私は思うんです。そしてそれじゃあ、人を動かすことはできない。少なくとも、私はそれでうまくいったためしがありません。

ただし、第一観では本物の自分の関心ではなかったように見えても、視点や切り口を変えると、同じテーマであっても本物の関心をつかむことができる場合が少なくありません。少なくとも私の場合はそうです。

その視点や切り口を見出すために必要なのが、最後に残った最初のA(Attention)です。

今日、東北新幹線の新型車両『はやぶさ』が運行デビューしました。
東京駅は鉄道ファンでごったがえしたとニュースでやっていました。
彼らをそこまで突き動かしている原動力は、鉄道に関する知識の量と深さです。知っているからこそ価値がわかるのであって、知っているからこそもっと知りたくなるのであって、知っているからこそ愛してしまうんです。
浦和レッズの熱心なサポーターも同じだと思います。みんな、知っているからこそ、行動してしまうんです。
知らないことにああはなれません。

もし子供たちにもっと自主練習をさせたいなあと思っているのなら、あるいは我が子にもっと自宅学習させたいなあと思っていらっしゃるのなら、この「AIDMA」を骨格にして計画を肉付けしてみてはいかがでしょうか。

ただ口でいくらすっぱく「やれ! やれ!」言っても、自分も含めて人は動きません。

「もっと練習しろ!」「もっと勉強しろ!」
で成果が上がるなら、誰も苦労はしていないでしょう。

まあこれも、私はこうしてきましたよっていう程度のヨタ話ですから、そのつもりでお願いします。



bye-bye

追伸
名古屋グランパスの永井謙佑選手(FW 177cm 74kg 福岡大←九州国際大学付属高)は相当いいね!
ケガにも強そうだし(今日のあのPKになったタックルなんて、田中達哉選手なら骨折、小野伸二選手だったら足がもげてたはず)。

2011年3月5日土曜日

泉福寺からの絶景富士

先ほど泉福寺へ行ったら、周りを囲んでいたイチョウの大木の枝がすっかり落とされて、丸裸になっていた。

まるで山火事があったかのような図

枯れ枝が落ちて事故にでもなったら大変だから、そのための予防伐採なのだろう。
確かどこかに、それを注意する立て札が設置されていたようにも思うし。

安全のためとはいえ、風情がなくなったことが、私は残念だった。
うっそうとした木陰の中にあるのが泉福寺のイメージだったからだ。

ところがところが、だ。

荒川側の視界をさえぎっていたものがなくなったことで、私にとって長年の謎だったことが、ひとつ解決したのだ。



それは「泉福寺はなぜここに建立されたのだろう?」という謎だった。





あの場所は、なんの変哲もない、ただの荒川端だ。


と思っていた。

だがそれは大きな間違いだった。

うっそうとした木立によって隠されていたその答えを、私は今日、発見したのだ。




それは「富士山」だ。





泉福寺山門から荒川方向を望むと、それはそれは見事な富士山の絶景が見えるのだ。

秩父連山は右の方へ外れていて、そこからは富士山の山すそまでのほぼ全体が一望できた。

あいにくの春霞(はるがすみ)で写真だとその姿をとらえきれなかったが、肉眼では富士の空気がそのまま届くかのような澄んだ美姿が、そこにあった。

泉福寺を開山した円仁は、阿弥陀堂と山門と富士を一直線に結ぶことができるので、この場所を選んだのだとしか考えられない。







あと数週間もすれば新緑も芽吹いてくるだろう。

そうなると、この絶景は再び木立の中に隠れてしまうに違いない。

わたしはそれをとても残念に思う。

この光景は、観光資産にはもちろんなると思うし、それ以上に歴史的価値の高いものだと確信するからだ。

北足立郡北部地区の方々には、雲のない晴れた日にはどうにか時間を作っていただき、木々が芽吹く前にこの絶景を見に泉福寺まで足を運んで欲しい。絶対に損はさせない。約束する。




ウィキペディア「泉福寺」

泉福寺(せんぷくじ)は、埼玉県桶川市にある天台宗の寺院。山号は東叡山。院号は勅願院。房号は円頓房。本尊は阿弥陀如来及び地蔵菩薩。

歴史
829年(天長6年)円仁を開山として創建されたと伝えられる。古くから天台宗の中心的な寺院のひとつであった。1560年(永禄3年)兵火により焼失し、1647年(正保4年)に復興された。江戸時代には幕府から朱印状が与えられていた。

文化財
重要文化財(国指定)
木造阿弥陀如来坐像 - 鎌倉時代、1262年の造像。元は阿弥陀堂に安置されていたが、現在は文化財保護の観点から耐火収蔵庫内に保管されている。





そこに城があるから

泉福寺に注目したのは、中田正光著「埼玉の古城址」において「永禄3年(1560年)、越後の長尾景虎は、小田原北条によって追い出された関東管領上杉氏を擁護し、大軍をもって武蔵に侵入した。このとき川越城はすでに北条氏の手中にあった。景虎は岩槻城太田氏との連合により川越城を包囲したのである。景虎は川田谷の泉福寺に陣取ったが・・・」
と三ツ木城の解説において、長尾景虎(後の上杉謙信)の陣地であることを記しています。「日本外史」から引用しているそうです。
原本は越後が後越、川田谷が三田谷ですが、誤植なので訂正しました。

県道川越栗橋線(12号線)に「川田谷」交差点を南下、650mで寺の入り口に到着します。ちょっと不気味な入口ですが、この入口の左に土塁らしき遺構、空堀らしき遺構があります。城郭遺構か寺院遺構か不明ですが。
入口を通過すると視界は急に開け、荒川とホンダエアポートが見えます。


寺のある場所は荒川左岸の河岸段丘上に存在し、堤防がありません!それほど要害の地なのです。荒川に面した南西を中心に高台となっています。
確かに川越城が見えたことでしょう。景虎はポールポジションをキープしたのでしょうが、これでは三ツ木城の立場が(苦笑)

案内板もありましたが、長尾景虎については書かれていません。
「泉福寺
所在地 桶川市大字川田谷
この寺は、東叡山勅願院円頓房泉福寺と号し、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗の別格寺院である。東叡山とは関東の比叡山という意味で、天皇の勅願所であると共に、学僧の養成道場としての学山である。
その開祖は遠く、平安時代にさかのぼり、天長6年(829年)、淳名天皇の勅願によって、慈覚大師円仁が開山したものである。大師は自らの手で薬師如来、地蔵菩薩、阿弥陀如来の三体の仏像を刻まれ、本尊として祀り、疫病除災等の祈願をされたと伝えられている。草創当時は広大な境内に堂塔伽藍が立ち並び、多くの塔頭を擁し、盛況の中にあったが、源平の乱に於いて戦火を被り、全てを焼失したと言う。
その後、鎌倉時代の文暦元年(1234)比叡山より信尊上人が来院され、河田谷殿の庇護のもと四人の弟子と共に復興に努力され、中興を成しとげた。
その弟子の一人尊海は、川越の喜多院、中院等を次々と復興すると共に、法脈からは多くの英才が輩出し、ここに関東談林が開花し、関東天台の台頭へと発展する。
このことにより当山が関東天台の祖山といわれるものである。
しかし、戦国時代の争乱の中で度重なる火難を受け、堂塔伽藍を焼失した。
江戸時代に至り、勅願寺の故を以って幕府の庇護を辞退する中にも、その由緒により、御朱印地五十石の内の五石と、不入地四万坪のみを拝領するところとなり、堂塔も次第に整備され、宝暦2年(1752)には、山門、鐘楼を除き殆ど完成されるに至った。現在の建物は大体この時代のものである。
なお、当山には、国指定重要文化財の阿弥陀如来坐像(弘長2年・1262・銘)を始めとし、石の仁王像、雨乞いの龍など貴重な文化財が伝えられている。
昭和61年3月
埼玉県
桶川市」
と記されています。

源平時代の争乱、戦国時代の争乱で焼失!
だから石の仁王像だったりして。
ところで河田谷殿って誰?足立氏一族のことのような・・・また調べ直さないと・・・
付近には庚申塔、馬頭観音が残り、古くから栄えていた集落を実感することができます。
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おわり

2011年3月4日金曜日

カンニング

カンニングっていうより、いわゆるセカンドオピニオンを求めたんだろう。

試験開始時に配点の大きそうな問題を、ヤフ袋に投稿して、そのあとは試験に集中。
見直しのときに、余裕があったらヤフ袋をチェックして見落としがないか確認する。
そのための行為だったろうと、私は思う。

確か、そのヤフ袋の回答そのままの答案は無かったとかという報道を目にしたような気がする。
これは私の仮説を補完してくれる。

またヤフ袋への投稿のタイムテーブルも、私の仮説を補完してくれている。

もし私の仮説が正しいなら「これはそもそもカンニングなのだろうか?」という疑問がわく。

彼は「正解」を盗み見た訳ではない。

「問題の一部」を会場の外へ掲示したのだ(ただし、それが京大の入試問題だとは明らかにはしていない)。

試験問題を持ち出してはいけないという注意はされただろうが、内容をネットに投稿することは、はたして「持ち出す」ことにあたるのだろうか?(産業スパイなどの案件でよく問題になります)
予備校が、試験後に入試問題を受験者の記憶に基づいて再現することと、どこが異なるのか。
実際に答案へ書いた回答をネットから入手しない限り、試験時間中に投稿することは、受験者の不利益になるだけでそれ以外の立場の者に、なんら被害は生じていない。


繰り返すが、これはカンニングなのだろうか?

そして、偽計業務妨害は成立するのだろうか?

ぜひ京都大学法学部の見解をうかがってみたいと切に切に願うものなのである。



あ、そうそう、京都大学が警察にお願いして逮捕してもらった19歳の少年A君は、ばれたというただ一点で同情の予知無しです。ただし、彼がカンニングしたと証明されない限り、合格が取り消されるようなことがあってはならないと声を大にして言いたい。

答えを盗み見てはじめてカンニングは成立すると私は思う。
だから逆に言えば、答えを盗み見ていない限り、カンニングは成立しないのだ。
カンニングしようと思って、筆箱にちっちゃく折りたたんだメモを忍ばせただけではカンニングじゃないように、問題の一部をネットに投稿しただけではカンニングにはならない、と私は思うのだ。

違うだろうか?

頭を打った時の診断

朝日新聞の投書欄にこんなものが出ていた。
専門の教育も受け、長年多くの子供たちと接してきたベテランの保育士でさえ、知っているべき事を知らないと簡単にパニックに陥ってしまう好例だと思ったので、ここに紹介したい。


2011年 平成23年 3月2日 水曜日
朝日新聞 オピニオン・声 より
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救急車の要請 仕方ないことも
保育士 大阪府吹田市 38歳 女性(実際の紙面では実名)

11歳の息子と近所の公園に行った際、走り回る息子が転倒し、路面で側頭部を強打。
ひどく痛がったが、うっすらと血がにじむ程度の傷なので、しばらく様子を見ていた。

数時間後、頭痛がひどくなり息子は立ち上がれなくなった。
週末の夜間のため、かかりつけの病院では診てもらえない。
心当たりのある病院に連絡しても、脳神経外科を薦められる形で断られてしまう。
大阪府救急医療情報センターへ電話して三つの病院を教えて頂いたが、どこも受け入れてもらえなかった。
最初の電話から1時間が過ぎ、息子が「気が遠くなる」と訴えたため119番通報した。

救急車で30分かけて市外の脳神経外科のある救急病院へ。
ところが、診察室に入るなり担当医が開口一番「どうして救急車なんかで来たの」と質問。
CT検査の結果、脳に異常は無く痛み止めを処方された。

救急車をタクシー代わりに使う人が増えて社会問題になっている。
しかし、躊躇して手遅れになることへの恐怖心から119番通報し、救急車でなければたどり着けなかった病院で診てもらえたのもまた事実だ。
**************************************

大昔から都市伝説のように語り継がれる「昼間頭を打った時にはなんともなかったのに、夜になって苦痛を訴え、救急車で運ばれたが手遅れだった。死因は脳内出血だった」というような“お話”だ。

これは、具体的にいえば「急性硬膜外血腫」の事例で、決して珍しい症例ではないことも事実ではある。

※※
急性硬膜外血腫ってのは、原因は交通事故などの外傷で、頭蓋骨骨折やこぶなどからなることが多く、急性硬膜下血腫とも言われている。すぐに「これ」といった決定的な症状が出ないために対応が遅れることもままあって、救急の際には意識しておかなけりゃあならないものの一つだ。
急性硬膜外血腫ってのは要するに、頭蓋骨の内側で脳を格納している硬膜と、頭蓋骨の間に出血した血液が血腫となることで、一般には外傷を受けることで起こるとされている。急性硬膜外血腫の原因となるのは、やっぱり交通事故が最も多くて、次にスポーツって感じかな。
※※


なぜこの投書を取り上げたかというと、これと似たような状況は少年サッカーの現場でも頻繁に起こりうるからである。
ただし、上の※※に書いたように「頭蓋骨の内側で脳を格納している硬膜と、頭蓋骨の間に出血した血液が血腫」になるくらいの外力が必要になる。頭蓋骨というヘルメットの内側へ出血を起こさせるような衝撃というと、これはかなりのものとなる(可能性としては、極々弱い衝撃であっても“絶対無い”とは言えないが、それは「風邪で死亡する」よりは小さな確率でしか起きない)。

この投書ママのような無用な心配をしないで済むように、少年サッカーにたずさわるコーチや親御さんにはGCSという指標を頭に入れておいて欲しいと私は思うのだ。
この「GCS」というのは、開いて言うと「グラスゴー・コーマ・スケール(Glasgow Coma Scale)」という名前の指標のことで、頭部外傷の重症度を表す代表的尺度だ。テレビドラマなどでも救急の現場で医療関係者が「グラスゴー・スケール3!(超ピンチ!)」などと叫んでいるシーンを見たこともあるだろう。まさにそれだ。

GCSは開眼反応、言語反応、最良の運動反応で評価されて、その合計点の範囲は3~15点となる。
一般的には3~8点を重症、9~13点を中等症、14~15点を軽症と定義される。


グラスゴー・コーマ・スケール (Glasgow Coma Scale: GCS)

Ⅰ.開眼反応 (eye opening) E
自発的に (spontaneous) 4
呼びかけにより (to speech) 3
痛み刺激により (to pain) 2
全く開眼しない (nil) 1

Ⅱ.言語反応 (verbal response) V
見当識あり (orientated) 5
混乱した会話 (confused conversation) 4
不適当な言葉 (inappropriate word) 3
理解不能な音声 (incomprehensible sound) 2
全く音声なし (nil) 1

Ⅲ.最良の運動反応 (best motor response) M
命令に従う (obeys) 6
疼痛部位識別可能 (localizes) 5 ←「どこが痛い?」ってやつ
四肢を屈曲する:  
 非識別性逃避反応 (withdraws) 4
 異常屈曲 (abnormal flexion) 3
四肢(異常)伸展 (extends) 2
全く動かさない (nil) 1

GCSはE+V+Mの合計点をスコアと呼び、この3~15点となるスコア評価が低いほど重症と判断される。
この投書女史の息子さんのスコアは、E4V5M6のスコア15となったであろうと想像される。

硬膜外血腫で重要なのは、脳への損傷があるかないかだ。
脳への損傷がなければ、大事(おおごと)になるケースはそれほど多くはない(早期診断・早期治療が望ましいことは言うまでもない)。

【とにかくこれだけを頭に入れておけ!】
頭部打撲後に、頭痛、嘔吐が続く場合、意識障害が進行したり、運動麻痺がある場合→早期に脳神経外科施設を受診する(即119番)。


不運にも脳へ損傷を負ってしまった場合は、(当たり前だが)その程度によって予後(経過)が決定される。しかし受傷後早期に脳神経外科または救急センターへ搬送することによって、低酸素症、低血圧症などによる二次的損傷を最小限に抑えることができ、予後が悪化する可能性を小さくすることができる(かもしれない)ので、スコアが段々低下していくようであれば(あるいは、良くなってこなければ)、迷わずに救急車を呼んで欲しい。でもスコアがそんなに悪くなければ(意識があって、呼吸もあって、目立った出血もない)、経過を観察していることこそがもっとも適切な対応であって、119番するのはその後良くない変化が生じてからでも「手遅れ」になることはないだろうと私は思うのであるがいかがだろうか。



以上です。

2011年3月3日木曜日

五霊鬼の祟り

水野 勝成(みずの かつなり)
永禄7年(1564)~慶安4年(1651)
官位(大坂の陣時点) 日向守 (ひゅうがのかみ。自称)

隆慶一郎著『かぶいて候』は、徳川家と縁戚関係にある水野勝成の息子である水野成貞が主人公です。

戦国時代板@wikiというサイトに面白い評価が出ていました。


水野勝成 
統率…関が原、大阪の陣での活躍が評価傾向
武勇…猪武者として武功多数
知略…大阪の陣における計略を評価する向きがある一方、不祥事を繰り返したことから低くて良いという主張も
政治…治世において福山発展の礎を築いたと評価

掲示された数値
統率70 武勇100 知略55 政治75
統率84 武勇89 知略61 政治73
統率78 武勇91 知略25 政治69
統率65 武勇90 知略55 政治70
統率67 武勇97 知略62 政治72


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617 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 06:02:18 ID:UebbvdWr
水野
70 100 55 75
足A馬Bで戦法多め 城B内A


出世意欲or評価を欲しがってるのに行動がバカって印象
頭は切れそうだが知略は35でも70でも良いような
そんなこともあり、政治も内政能力以外が微妙


信憑性が増した前田慶次 ってとこか
残ってる話を全部信じれば、こんな数値


762 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/03(土) 22:15:39 ID:yj59sTRA
参考までに俺が革新でつけていた水野の能力値をば披露
統率 84
武勇 89
知略 61
政治 73


足軽B 騎馬A 鉄砲B
うんうん。


777 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 05:00:43 ID:rww467jv
統率と武勇はいいとして、水野の知略はそんなに高くないと思うけどな
実際でも家康が過小評価してたってことは頭悪そうな中二病的な痛い奴だったんだと思う
ただイクサ慣れしてるっつーか、戦闘能力は間違いなく高いだろうから


統率 78
武勇 91
知略 25
政治 69


こんな感じじゃね?


820 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 18:12:24 ID:ecxWlB9B
自分が確認した参謀本部編纂の「大坂役」は、
国会図書館の近代デジタルライブラリー中の、
著作権が切れてる物凄い古いエディションだから、多少差異はあるかもね
247頁といえば、こっちでは木村重成の武者振りについて書かれてる


水野の能力値だけど統率65武勇90知略55政治70
(それぞれ±5で微調整)くらいが妥当だと思うけど、どうよ
武勇と政治が過小なのは同意だけど、統率はこんなもんじゃね


828 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 20:45:52 ID:L6GB+RLb
話題になってた武将で俺が使ってる数値
可児 58 99 20 4
水野 67 97 52 72
森   62 94 16 11
渡辺 52 83 35 19
おまけに
服部 64 81 73 26


806 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 16:24:00 ID:cldSxhx5
水野勝成スレからコピペ
178 名前: 人間七七四年 投稿日: 2007/11/23(金) 20:07:28 ID:lxtXnVSO
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 前半生
掛川対陣。○ 徳川家康VS武田勝頼。徳川家康の麾下、水野忠重の指揮下。武田勝頼戦わずして撤退。勝成、初陣の功名を上げられなかったとして涙を流した。
第二次高天神城の戦い ○ 徳川家康VS岡部元信。織田信長の与力大名。徳川家康への援軍。朝比奈弥六、その外首十五。織田信長から左文字の名刀と感状を貰う
武田征伐 ○ 織田信長VS武田勝頼。織田信忠の麾下。水野忠重の指揮下。
本能寺の変 ? 水野忠重、信長の軍に属し、中国攻めのため宿陣中この変に遭う。忠重には明智に加担していた疑惑がある。
黒駒の戦い 〇 鳥居元忠二千VS北条氏忠一万。鳥居元忠と喧嘩して勝手に先鋒を務め、自ら内藤某を打ち取る。
星崎城の戦い 〇 水野忠重VS岡田善治。水野軍は二手に別れ、一方を指揮。
長久手の戦い 〇 織田信雄、徳川家康VS三好秀次。勝成、三好軍に一番槍。重臣・白井備後(偽物)と一騎打ち。討ち取る。その後、井伊部隊に参加。麾下の杉山孫六は森長可を撃ち殺す。
蟹江城の戦い ○ 織田信雄、徳川家康VS滝川一益、九鬼嘉隆。一益の息子滝川三九郎と一騎打ち。三九郎は逃亡。
桑名の対陣 △ 水野忠重VS羽柴秀吉。この後、勝成、水野家勘定奉行の富永半兵衛を斬って奉公構にされる。
浪人中、京都清水で喧嘩して、刃傷沙汰を起こす。
紀州雑賀攻め ○ 羽柴秀長(筒井定次とも)軍として参加。秀吉から七百石。
四国長宗我部攻め ○ 羽柴秀次軍として参加。秀吉から七百石。
戸次川の戦い × 仙石秀久VS島津家久。帰還の船の中、同僚を斬り殺して出奔。秀吉に刺客を放たれる。虚無僧になって逃亡。
美作流浪。野武士の安東国貞の娘婿になるが、身持ちの悪さを注意され逆切れ、国貞を殺して逃亡。
九州攻め ○ 佐々成政の麾下として参加。
肥後一揆 ○ 佐々から千石。
 隈本城救援軍の先鋒を任される。佐々家で千石。
 救援軍の立花宗茂に合力。十時連貞と合言葉を掛け合い、無事兵糧入れ作戦を成功。
 田中城攻め 一番槍。
 首謀者の隈部親子を討ち取ったという説あり。
志岐・天草一揆 ○ 小西家で千石。
 志岐城攻め 先鋒を任された小西主殿介の補佐。
 天草城攻め 攻撃命令がでてないのに清正と呼応して攻略。自ら敵を殺す。女武者と戦った逸話あり。乱鎮圧後に出奔するわけだが、このとき、行長の本陣に首を投げつけたとか、行長の弟に手傷を負わせたとかの逸話あり。
長岩城攻め ○ 黒田長政VS野中重兼。黒田家で千石。後藤又兵衛と並び評される活躍。黒田家からも出奔。長政から追っ手を駆けられる。
朝鮮出兵 三村親成の麾下。十八石。三村家の姫を妻とする。たぶん、毛利麾下の三村軍として渡海したのでは? ちなみに三村家では茶坊主を殺して出奔するも、すぐに帰参。
再度三村家出奔。上京途中で盗賊退治した逸話あり。


807 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 16:25:17 ID:cldSxhx5
もう一つ


179 名前: 人間七七四年 投稿日: 2007/11/23(金) 20:09:11 ID:lxtXnVSO
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 後半生
関ヶ原の役 家康麾下。三万石。
 岐阜城攻め 勝成も参加していたという説もあるが、なにしていたか不明。2ちゃんねる情報だと、ミミズ食ってみせて諸大名をビビらせていたという。
 曽根城の戦い ○ 水野勝成VS島津義弘。曽根城を襲った島津に、援軍に駆けつけた勝成が鉄砲を撃つ。義弘はすぐに撤退。おそらく両軍とも死傷者なし。
 大垣城の戦い ○ 水野勝成三千余人VS福原長堯六千余人。関ヶ原の本戦が始まるまえに開戦。三の丸を占拠し、二の丸まで攻め込む。本戦から逃亡中の義弘は大垣城に入ろうとしたが、落城と誤認して方向転換。本戦後に内応工作を用いて攻略。
大坂冬の陣
 博労淵砦の戦い 家康から大砲の用意を命じられる。勝成に手柄を独占されると心配した蜂須賀が抜けがけ。
 天満橋の戦い ○ 森忠政VS堀田盛高? 森忠政の軍監として救援に駆けつける。ちなみに前任の城昌茂を勝成は職務怠慢で叱責し改易。自らが後任になった経緯がある。
大坂夏の陣
 大和の戦い ○ 水野勝成VS大野治房 治房軍は、奈良に勝成着陣に風聞に、四里退去。その後、追撃で数人討つ。
 道明寺の戦い ○ 水野勝成VS大野治長。大和口総大将は勝成だが、諸大名、特に伊達政宗はまったくいうことを聞かず、背後から鉄砲まで撃たれた。勝成が自ら槍を持って後藤又兵衛、薄田兼相を討ったという伝説あり。
 天王寺・岡山の合戦 ○ 徳川家康VS豊臣秀頼。真田信繁の寄騎・大谷吉胤を討ち取る。明石全登を撃破。勝成家人の汀三右衛門が全登を打ち取ったという説あり。大坂城桜門に一番旗。
島原の乱 ○ 松平信綱の麾下。十万石。勝成が到着すると総攻撃決定。すぐに攻略される。このときも勝成自ら前線に立って首を取ったという伝説があるらしい。原城一番乗りを争う(戦後、水野と有馬のどちらが一番乗りかで騒動になったが、公式には決まらなかった)。






戦国ちょっといい話・悪い話まとめ : Category [ 水野勝成 ]


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『五霊鬼』

水野勝成といえば後年の名君ぶりと共に、前半生の野放図で無茶無茶な生き様も有名である。
勝成自信はその生涯に後悔はなかったようではあるが、それでも気にかかることがあった。
それは彼が殺した人々についてである。

といって勘違いしてはならない。彼は数えきれないほどの人間を戦場、およびそれ以外で
殺してきたが、その殆どについて気になどかけていない。ただ、そのうちの5人だけどうにも
忘れられないのだ。何故か

「いやあ、その五人を殺したのは、今考えても理不尽だったw」

殺した人間自身が、しかも勝成のような人間が理不尽というのだから、おそらくは想像を絶する
理不尽さで殺しちゃったのであろう。その為勝成は

「まあ、あれだけ理不尽に殺しちゃったんだから、あの5人はウチに祟っても仕方ないよねw」

などと言っていたらしい。

その後いつしか、水野家中では勝成が理不尽に殺した5人のことを、誰ともなしに
”五霊鬼”と呼ぶようになり、何か不吉なことが起こるたびに”五霊鬼の祟りだ”と囁かれたそうである。
のちに福山藩水野家が5代目で断絶した時も、”五霊鬼の祟り”と取りざたされたという。


水野家の五霊鬼、と言うお話

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水野勝成
92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:10:56 ID:GmVVdQlA
たまたま手を付けちゃった女が妊娠して、仕方なしに結婚。
いわゆる「出来ちゃった婚」だが、戦国時代にもそんな男がいた。
その名は水野勝成。
彼は気に食わない家臣を叩き切って、父親に勘当され追放。
以後は槍一本で戦国の世を渡り歩くが、行く先々でトラブルを起こし、段々仕官先が無くなってきた。
毛利家の臣、三村親成に仕官した時は、それでも別格の厚遇を受け、主家の姫(お柵)と結婚。
にも関わらずその侍女(お登久)に手を出し、しかも男子出産。
やがて豊臣秀吉の死後、徳川家康の取り成しで勘当が解かれると、
生まれたばかりの子を見捨てて実家へ帰る。
その後、父が暗殺されて家督継承したり、関ヶ原に参加したりと色々あって、
大名として地盤を固めた。
そんな所へ「江戸に誰か人質下さい」と幕府から通達。
「そういや、なんかガキがいたっけ・・・」
勝成、ようやく子供を引き取りに行かせ、そのまま人質に送った。後の福山藩二代目「勝俊」である。
この時「勝俊の実母である」という理由で、自動的にお登久が正室とされてしまったのである・・・
ある意味勝成らしいとも言えるが、大名としてはかっこ悪い正室の話。


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93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:16:03 ID:gZtiRh86
ひでえな
お柵はどうなったんだ?

94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:16:13 ID:vsLy8lvR
前田慶次は、実態がよくわからない割りにマンガや小説の中ではモテまくりだが、
水野勝成はリアルに行く先々でモテまくったらしいね。

95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:46:03 ID:GmVVdQlA
>>93
お柵も水野家に引き取られ、一応正室扱いされてる。
三村家も後に福山藩家老として迎えられた。
だけど実家の七光りも無く、子も出来ないんじゃ、やっぱり正室はきついよな。
ただ、勝俊は二人の母を同列に遇している。


96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:15:26 ID:SEelcqZk
>>94
こんなにだらしなくてもモテんのかwww
まぁ、今とは恋愛観というか理想的な男性も違うんだろうなぁ。

しかし、この時代の姫さんの名前って、ちょっと不思議というか
意味がわかりづらいの多いね。このお柵とか。

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:30:55 ID:3iHjDhMy
ウィキペに載ってるかと思って水野勝成の項見たら案の定だが主君が転々としすぎてて笑った。
お柵の方については殆ど書かれてなかったけど、勝成のおかんって本願寺光佐の妹なのね。
やたらとモテるのは蓮如の血かもしれん。


98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:36:06 ID:g3IF0tSu
>>92
そういやこの前クレしんの戦国大合戦見たんだけど、主君の娘を嫁取りするって
どれくらいのハードルの高さ?

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:38:18 ID:mf3s2UlG
こいつが主人公のエロ小説が全4巻で存在する。


100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 15:14:44 ID:1t2c/xdg
>>98
ほとんど無理。
なにせ、基本戦国時代の主君の娘というのは他国に政略として送られる可能性のほうが
高いからな。

信長みたいに自分の超お気に入り側近とか、
蒲生氏郷みたいに超有能で微イケメン(ただし戦国時代の美意識的なものに限る)とか、
(※但し信長の場合は結構な娘持ちなのでそういうことができたのだが)

wikipedia見た限りでは主家の残された一人娘、ということなので、
『雷神』道雪に見込まれた高橋紹運の息子である立花宗茂みたいな感じ?
(ちょっと違うか)

つまり、「主君が『こいつになら娘やってもいい』位の気概があるほどの働きがなければ奇
跡でもなければ無理」
ということになるか。

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 16:05:27 ID:i1z4NChW
勝成の三男も蜂須賀だか山内だかの姫様オトして
生まれた子が水野十郎左衛門じゃなかったっけ?

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 16:20:46 ID:vsLy8lvR
そんな水野勝俊さん、父の後を継いでからは

幕府から松山城の在番を命ぜられたとき、藩士がみな木綿の服を着ていて、その質実さに
松山の町民がみな感心した。

不作が続いたとき、農民に大規模な資金供与や年貢の減免を行い、その没落を防いだ。

その居城、福山城が消失したとき
「町民達に迷惑がかからないよう、再建は急がないように。」

飢饉が起こったとき
「もし藩の鷹師が領民の畑を荒らすことがあったら、父勝成の領地であってもかまわないので
百姓総出でそのものを処罰してかまわない。」

と、質素倹約に努め領民の事を心から気遣う、絵に描いたような名君であったそうです。


104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 16:45:54 ID:nyNv8WeH
幼い頃、苦労したんだろうな・・・

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 17:24:14 ID:/GTS2M8B
>>96
ほんの数十年前の西部グループの創業者もえげつないぜ
時代関係ないんじゃない

*******************************
446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/10(日) 01:52:15 ID:nSOWF9t9
水野勝成は年をとってもよく鷹狩をした。年齢が年齢なので、
布団をしいた駕籠に乗って移動した。この事について勝成は
「お前達はおかしな事をしていると思っているかもしれんが、
わしにはちゃんとした考えがある」と語った。考えとは下情を
知る事だった。

勝成がいつものように鷹狩をしていると、昔勝成に仕えていた
男に会った。勝成は「お前は昔三百石で仕えていたな。越前で
召し抱えられて千石と聞いたが、何かあったのか?」と尋ねた。

男は「確かに越前で加増していただきましたが、かつて上様に
お仕えしていた頃、上様は下の者でも、お優しくしてくださいました。
また、懇ろにお話をしていただいたことも思いますと、七百石など
取るに足りないと感じ、こうして戻って来た次第です」と言った。
こうして勝成はその日の内に男をかつてよりも高禄で召し抱えた。

勝成は隠居しても鷹狩に行った。ある日、先述の男の家に行くと
門が閉ざされていた。不思議に思って理由を聞いたところ、勝成の
息子勝俊の勘気に触れて去って行った
という。

いきさつを知った勝成は「惜しい男を失った。わしの倅は下の者の
気持ちがわからないとみえる。立派な人物なら、主君や上司の
言う事だろうと無理な事を簡単に承服したりはしない。部下に
多少の咎めがあっても、二、三度は気付かぬふりをするべきだ。
例えどうしようもない場合でも、まずは相手の友人に諌めさせる
ようにするものなのに」と言って残念がったという。


*************************************

447 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/10(日) 02:28:31 ID:nf3mLhLz
>>446
この逸話って最近紹介されていても、大概が勝成の下に帰って来て
めでたしめでたしで終わるんだよな

でもここではちゃんと勝俊のオチまで書いてくれて、単なる
勝成を称賛するだけの逸話に終わらなくって良かった。

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/10(日) 12:39:26 ID:Um/cWBf4
>>446
儂も昔はヤンチャしたもんだぜ。だがな……
という、DQNから転じた名君だな。

頭ごなしに咎めたり、失敗を責めればにんげんだもの、意固地になって余計反抗したりする。
身に覚えがあるだけに聡い殿様になったんだなぁー

***************************************

水野勝成から学びたいこと、それは──
『反省はこのくらいで十分』
ということです。

時間は遡(さかのぼ)らないし、人間の記憶は曖昧(あいまい)だし、客観は主観の公約数に過ぎない以上、過去を振り返ることにさほどの価値はないと私は思っています。だって、過去をいくら振り返っても、それは「過去」はむろんのこと「未来」にさえなんの影響も及ぼさないのですから。

なぜなら存在しているのは「今」というこの瞬間だけで、「過去」も「未来」も、すべては「今」の「自分」が認識している「過去」と「未来」でしかあり得ないからです。

簡単に言うと、
忘れちゃえば無かったのと一緒
考えなければ無いのと一緒
ってことです。

あ、言っておきますけど、これってのはあくまでも私はそう思ってるってことですのであしからず。
子供の頃の強烈な体験の記憶が、実はまるっきり違っていたらしいことが後日判明したという経験以来、私はそう思っているのです。



人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)
inscrutable are the ways of heaven

or
fortune is unpredictable and changeable


Joy and sorrow are today and tomorrow.(楽しみと悲しみは今日と明日。)





過ぎたことは忘れ、先のことは考えない。ただ、今を生きる。
私の哲学です。


 
まぁ、いっか



END

2011年3月2日水曜日

夢の夢

エドガー・アラン・ポー (ポオ)
Edgar Allan Poe (1809_01_19-1849_10_07 / Boston / United States)



A Dream Within A Dream 1827年



Take this kiss upon the brow!
And, in parting from you now,
Thus much let me avow-
You are not wrong, who deem
That my days have been a dream;
Yet if hope has flown away
In a night, or in a day,
In a vision, or in none,
Is it therefore the less gone?
All that we see or seem
Is but a dream within a dream.

I stand amid the roar
Of a surf-tormented shore,
And I hold within my hand
Grains of the golden sand-
How few! yet how they creep
Through my fingers to the deep,
While I weep- while I weep!
O God! can I not grasp
Them with a tighter clasp?
O God! can I not save
One from the pitiless wave?
Is all that we see or seem
But a dream within a dream?



夢の夢 1827年



その眉にキスさせて。
きみとさよならするんだよね
でもこのことだけ、言わせて欲しいんだ──

全部夢だった……

そうかもしれないね

でも あの楽しかった時間が
ある夜 ある昼
幻やうたかたのように消えてしまったからって
だからって
それが全部夢だったって言える?
ぼくたちがいま見たり感じたりしてることだって
夢の夢なんだから

ぼくは
寄せ波がはげしくくだける荒磯のただなかに立ってる

手には黄金の砂粒をいくつか握りしめてる──
ほんのわずかだけど

それらがぼくの指の間からすべり落ちていってしまう

ぼくは泣いているだけ

ああ神さま
ぼくはもっとしっかり手を握りしめることはできないのでしょうか

ああ神さま
ぼくはほんの一粒だけでも
つめたい荒波から守ることはできないのでしょうか

ぼくたちが見たり感じたりしてることはみんな
夢の夢にすぎないのでしょうか。







(ゲゲ愚訳)

2011年3月1日火曜日

親が一番わかってないと!

先日の『0円移籍』に絡んで「育成補償金」に触れた記事に続いて、また朝日新聞がすばらしい内容を報じてくれた。


こうした事を多くの人、特に育成年代の子供にかかわる大人たちが知ることで、日本のサッカー界の現状が打破されることを切に祈るものである。

【大きな誤解】
大会で上位常連のチームが、すなわち育成の面で優れたシステムではないということを、サッカー少年少女を持つお父さんお母さんは正しく理解すべきだと思う。
それはとても勇気のいることだ。でも必要なことだから。

東京大学受験に例えれば、受験の名門校へ入ったから成績が伸びて東大に合格したのではなくて、元々成績の良い生徒が集中するので東大合格者数が多いのだ。東大への合格は、得点ではなく人数で切られるのだから、合格可能性のある生徒を多く抱え込んだ高校の生徒が多く合格するのは当然の結果だ。

街中から駆け足の速い子を集めて、市内大会で上位を独占したとして、はたしてそのスポーツクラブの育成能力が高いと言えるだろうか?
同じことがジュニア世代やジュニアユース世代で起きていないと思う人がいたら、その人はそうとうおめでたい。

っていうか、大人は子供たちのサッカーに対して「キーキー」なるよりも「ワーワー」とか「ワイワイ」楽しむ姿勢で接するべきだ。
そしてその方が、間違いなく子供たちもサッカーを楽しむことができるし、その結果として才能のある子はぐんっと伸びることができるし、才能のない子もサッカーを愛することのできる人生を手にできるだろう、と、私は確信している。

*****************************************************
2011年(平成23年)3月1日【朝日新聞】

〈20年目の風 Jリーグ熟考:上〉ぬるま湯の育成 さらば


 日本のアジア杯優勝で、気を引き締めた人がいる。上野山信行・Jリーグ技術委員長は「日本代表選手を多く育てているのは高校の先生たち。我々Jリーグによる育成は指導力に課題がある」と語った。

 中高時代をJリーグのユースチームで育った日本代表選手は、増えてはいるがまだ少ない。5年前のW杯ドイツ大会は登録23人中6人。昨年のW杯南ア大会は7人。今度のアジア杯は9人だった。

 「一貫指導の選手育成」を参加条件の一つにJリーグクラブが設立された20年前、学校の指導者もJリーグの関係者も、選手の供給源はJリーグのユースが中心になっていくと予想した。だがJリーグユースの現状は「いい素材を集めているが育てていない」(上野山委員長)。

 強豪国ドイツで、若い代表選手が育たない問題が深刻化したことがある。1980~90年代だ。大きな原因は育成担当のコーチの力不足だとされたが、それだけではなかった。プロが有望株をかき集めた結果、試合に出られずに経験が不足して伸び悩む選手が増えた。大人の指導抜きでプレーした経験がない選手が多くなり、創造的なプレーが減り、問題解決能力や忍耐力などが低くなった。ドイツサッカー連盟はそうした現象をつかんだ上で、育成年代の指導力向上に取り組んだ。若手の活躍が目立ったW杯南ア大会の3位はその成果だ。

 ドイツの例とJリーグが直面する問題には共通点がある。力のある指導者はプロのトップチームに行き、育成には経験や指導技術が未熟なコーチがあたることが多いこと。集めすぎや教えすぎの弊害も似ている。

 しかし、大きく異なる点もある。ドイツの事情を調査した福岡大の藤井雅人准教授がこう指摘する。「ドイツは地域のクラブがプロを頂点にしたピラミッドを作り、プロのユースチームは常に新しい選手を試す。毎年選手の入れ替えもある。全体が大きな一貫指導になっていて競争原理も厳しい。日本は自前で育てる『小さな一貫指導』しかやっていない。大きなシステムも競争も欠けている」

 Jリーグのユースは狭き門だが、入ってしまえば中学、高校の各3年間はチームから外されることがないのが通例。この「ぬるま湯」がドイツをはじめとした欧州や南米の育成現場と決定的に違う。わかっている関係者は少なくない。だが、外された側の反発や周囲の風評を恐れ、変えられないと嘆く声ばかりだ。

 今、そこに挑戦しているのは柏。小中学生のチームを持つ周辺の10クラブと提携し、いい選手がいれば柏に迎え入れ、外した選手は提携クラブで再浮上を支援するという環境を整えた。高校との連携も模索中だ。近い将来に入れ替えを活発化させ、地域の力を結集した一貫指導システムの構築を目指す。

 これは学校にはまねのできない、Jリーグの育成にしか踏み出せない一歩。「不満や誤解が出てくるかもしれないが、お互いに理解を深めながら進めていきたい」と柏の吉田達磨・強化本部長は覚悟を決めている。



☆面白い記事なので、ぜひご一読をお奨めします。

どんな親だって絶対的な自信なんかないと思います。
でも、「わたしは自信を持てるはずだ」と自分に信じ込ませることで、間接的な自信を持つことはできます。
我が子を、他の子や過去の子と比べるの、一度やめてみませんか。
でもそれを他人に求めてはダメです。
すべて、内なる自分との対話であり、戦いです。

そのあたりのことを親が一番わかってないと。



です。

3月の月曜日

NHK教育 福祉ネットワーク
月~木 午後8時から8時29分 再放送は翌週の午後0時から0時29分
2011年2月28日(月) 再放送:3月7日(月)
シリーズ 動き出した自殺対策 第一回 新公表のデータを読み解く


昨年(2010年4月12日)のアンコール放送らしい。
なんでも、3月の月曜日が、最も自殺の多い日なのだという。
確か、年間平均が80数人/日(これでも相当驚いた)で、3月の月曜日は100人超/日に増加するのだという。
それも被雇用者(つまり社長さん)や自営業者の割合が、他の期間とは段違いに多くなるのだそうだ。
年度末の月曜日に自ら命を絶つ……。

************関連記事*************
自殺者数「3月の月曜日」が最多 年度末と週初め重なり
2010年3月30日【朝日新聞】

「3月の月曜日」の自殺者数が1日あたり平均105人にのぼり、最も多いことが30日に発表された内閣府の調査で明らかになった。年度末と週初めという生活環境の変化が重なることが要因とみられる。内閣府は時期や属性、地域別の傾向を詳しく分析・公開することで、より効果的な自殺対策を進めたいとしている。

 自殺について厚生労働省が人口動態統計、警察庁が自殺統計でそれぞれ集計しているが、内閣府が初めて両省庁のデータを集約・分析した。

 内閣府によると、2004年から5年間の自殺者数を月別にみると、3月が最多の1日あたり91.0人で、4月87.5人、5月86.6人の順。最も少ないのは12月で72.9人だった。リーマン・ショック直後の10月が最多だった08年を除くと、毎年3月が最も多かった。

 3月に自殺者が多かった職業は、09年では「自営業・家族従業者」「被雇用者・勤め人」などの有職者が4割を占めた。一方、「主婦」は4~5月、「失業者・年金・雇用保険等生活者」は5~6月に多い傾向があるという。

 曜日別では月曜が92.8人と最多で、週末の土曜、日曜は少ない。また、月初めや月末に多い傾向がある。月と曜日で合わせてみると「3月の月曜」が平均105.3人で最も多く、最少は「12月の土曜」の63.1人だった。

 内閣府参与として分析にあたった、自殺予防や遺族の支援に取り組むNPO「ライフリンク」の清水康之代表は「3月は決算期で、月曜や月初めとともに生活、環境の変わり目であることが影響している可能性がある。『3月の月曜日』はそうした要因が重なり、自殺のきっかけとなってしまうのかも知れない」と分析する。

また、有名人の自殺や無理心中、いじめによる自殺などが報じられた直後に、自殺が増える傾向も明らかになった。前後で1週間あたりの自殺者数を例年の数値と比べると、当日からの1週間の自殺者数が突出していた。

 鳩山内閣は3月を自殺対策強化月間と位置づけ、自治体と連携した対策に取り組んでいる。今回は都道府県ごとに職業や時期、市区町村の特徴などについて自殺との関連を幅広く分析しており、今後の対策に役立てていく方針。清水氏は「さらに検証を続け、この複合的な分析を地域の自殺実態に合わせた対策につなげて欲しい」と話している。

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自殺は月曜、月初め、3月が危険 厚労省などが傾向分析
2010/03/30【共同通信】

 自殺対策に取り組む内閣府と厚生労働省は30日、自殺の傾向分析結果をまとめ、公表した。月曜日や毎月1日と月末、3月に自殺する人が多い傾向が鮮明になった。配偶者と別れた無職の人は自殺リスクが激増することも判明した。4月1日までに、内閣府と厚労省のホームページ(HP)に掲載する。

 内閣府と厚労省は、警察庁が提供した昨年の自殺統計と2004~08年の人口動態統計を分析。市町村単位の自殺実態が分かり、自治体の対策づくりに活用してほしいと呼び掛けている。

 04年から5年間の平均で、日別で自殺者が多いのは「3月1日」を先頭に上位10位がいずれも各月の1日か末日。曜日別では全年齢層で月曜が最多。月別ではリーマンショック直後の08年10月に同年の月別自殺者が最多だったのを除き、毎年3月が多い。「生活の変わり目」(厚労省担当者)に自殺リスクが高まることが分かる。

 また妻と死別か離別した35~54歳の男性で無職の人の自殺率は、職に就く妻帯者の20倍に達した。有名人の自殺や多人数の無理心中が報じられた直後に自殺者が急増する傾向が表れ、報道の影響がうかがわれる。

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伊奈の丸山スポーツ広場の向かいには、県の精神保健福祉センターという施設があります。
周辺住民の大反対を押し切って、県と関係者ががんばって「どうしても必要だから」と作った施設です。

埼玉県立精神保健福祉センター

mailto:n2314451@pref.saitama.lg.jp
Tel:048-723-1111(代表電話【ホームページ担当窓口】企画広報担当)
Fax:048ー723-1550

〒362-0806
北足立郡伊奈町小室818-2

開庁時間
午前8時30分から午後5時15分
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精神保健的な観点からの自殺対策はもとより、弁護士会や司法書士会などと協働し、総合的な対策を推し進めていきます。

埼玉県立精神保健福祉センター 
自殺対策キャラクター『まぁ、いっか』について

埼玉県立精神保健福祉センターではこのたび、自殺対策を検討するにあたって、センターとして共通の考え方を表すシンボルとして「まぁ、いっか」を採用しています。心の健康のために、「まぁ、いいか」と思うゆとりを持とうとのアピールのためのキャラクターです。今後さらに、総合的な自殺対策への当センターからの参画をあらわすシンボルとして活躍?してもらう予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

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社会学的に言うと、出生率の低下、未婚率の上昇、自殺者数の増加は、社会の成熟や文明の発達、大衆の知的レベルの高度化と密接に結びついています。その理由のひとつは下述のような、脳という器官がバランス悪く発達した生き物である人間という種の業(ごう)にあります。

「優秀である」ということは、突き詰め単純に言いかえれば「予測能力がある」ということになります。
ところが「予測」は「予知」ではないので、どうしても悲観的な方へ引っぱられがちになります。
「予知」ならば、それは「(将来の)結果」ということですから、良いことも悪いこともあるわけです。でも「予測」となると、リスクをヘッジする(危機への対処を準備しておく)方が「生存する」ためには有利であるので、悪いことを予測する方へ比重が置かれるようになるからです(良い結果は生存にマイナス影響ではないので)。

優秀であればあるほど悪い将来を予測してしまうので、どうしても暗くなりがちです。
いっそ、優秀であることをやめてみませんか。




おわり

また会う日まで

註釈─この記事は当初2011年2月6日付でした─


北足立郡北部からただ一人レッズジュニアユースへ加入する子(こんなにもったいぶらなくても、あの子しかいないんですけどね)を見に、上尾平方スポーツ広場まで足を伸ばしました。
この世代ももう引退、彼が北足立郡北部でプレーするのもおそらくこの大会(上尾市中央ライオンズクラブ旗争奪サッカー大会 Aクラス)が最後だろうと思うので言います。
彼はすばらしい可能性を、間違いなく秘めています。
身体能力のポテンシャルはもとより、彼は人間的にもすばらしい。チームメイトからも信頼されているし、彼もチームのことを考えることができる。本人の力だけではなく、これまで彼にかかわってきた周囲の大人たちも立派な方々だったのだろうというとこが、彼を通して伝わってきます。
レッズGKの加藤順大(かとうのぶひろ)選手も、彼と同じ西上尾地区出身らしいので、ぜひ続いてトップまで上がって欲しい逸材です。それどころか、実は秘かに、日本フル代表になれる可能性さえ小さくない、とさえ私は思っています。何しろ、彼の能力は、まだほんの入口のその手前までしか開発されていないと確信しているからです。

それはそうと、今日会場(平方スポーツ広場)で気になる話を耳にしました。
お目当ての彼がいるチームの対戦相手が、偶然にも、私が少年サッカーへ関心を向けるきっかけとなったAGミラン(仮名)(※3)だったのです。が、いつも試合に出ているメンバーのうち、数人の姿が見えません。ベンチにもいないようです。
近くにいた、何となくいろんな事情に詳しそうな、おそらく父母の方(口ぶりからは第三者的立場にあるような印象を受けました)に、それとなくそのあたりの話を振ってみると、びっくりするような返答を得られました。

その方のお話では、中学から自チーム(つまりAGミラン)系列のジュニアユースではない、他のジュニアユースに行く子は“クビ”になった、とのことでした。だから、試合に出ていないどころか、もうこのチームの選手ではない、のだそうです。そして、AGミランは毎年そういうことをしているのだ(※1)、とも聞きました。
そんなことがあるのかと、正直憤慨しました。
子供に対して大人のすることか! それも6年間、いやそれ以上の期間ずっと指導してきた子どもに対して、まがりなりにも教育者・指導者のすることなのか、と。
サッカーを通じてずっと同じ時間を成長してきた子供たちの別れを、そんな形にしてしまう「チーム経営者の横暴」(※2)に、怒りさえ感じました。お前らごときに、子供たちの人生へそんな傷を残す権利などない!

とここまで考えてふと冷静になろうと自分へ問いかけました。
でも、もしかすると少年サッカー界の慣例が、そういうものなのかもしれない、と。
確かに、大人が思い悩むほど、子供らは深刻に受けとめていなかったりすることはたくさんあります。大人が子どもの心情を想像するときにはどうしても自分自身のノスタルジックな想いがオーバーラップしてしまい、過剰にセンシティブに扱いがちになったりしてしまい、かえって事態を複雑にしてしまうことも少なくありません。

イタリアセリエAのチェゼーナからインテルに移籍した長友選手も、聞いたその翌日には新チームに合流していたらしいですし、これから世界で活躍していかなければならない未来の人材なら、こんな事でうじうじしていてはダメなのだ!──それは確かでしょう。

今回のAGミランの「クビ」も、視点を変えれば、次に行くチームへの準備に早く入ることができる、ととらえることもできます。

その時に忘れてはならないのが、新チームの方へもちゃんと事情を伝えることです。来期から自分のチームで活躍して欲しい選手に練習する環境がなくなったことを知れば、ふつうのレベル以上のコーチなら、あるいはそれなりに経験を積んでいる指導者なら、何かしらの“アドバイス(大人の知恵とも言う)”を持っていると思います。自主練習しようとグラウンドへ行ったら、偶然にも新チームの練習とかち合ってしまったので「丁度いいから」と一緒にサッカーをした、なんてこともないとは限らないのですから。
レベルが高く、当然競争も厳しい(であろう)新チームに合流する前に、大きなケガでもしたら取り返しのつかないことにもなりかねないので、そういうトラブルを避けるためにも、チームを退団させたのだ、ととらえることもできます(下世話な話になりますが……その子が大成すれば、巡り巡って出身チームの宣伝になる、という目論見も立たないわけではないですしね)。

実際のところはどうなのか、そんなことを私には知る術などありません。ですが、どうせならどんなことでも良い方に見えるように見てみようではありませんか。少なくとも私は、そう心がけています(いたらぬ人間なので、正直なかなか難しいですが……)。


最後に、もうAGミランから旅立ってしまった君たちへ
お礼の気持ちも込めて、こう伝えたい。

サッカーを続けていれば、いつかきっとどこかでまた会えるさ。
卒団は別れじゃない。
君たちをつないでいるのはチームの名前じゃなくてサッカーボールなのだから。



いつかどこかのピッチで「いいプレーだ」とふと目を止めた選手が、成長した君たちの誰かであると気づくその瞬間を、いまから私はとても楽しみにしています。



I look forward to seeing you again.
(I'm looking forward to seeing you again.)






【訂正と補足】
コメントを読み、私なりに思うところがあったので訂正及び補足を記させていただきます。

※1 私が耳にしたお話は、事実と異なる可能性がかなりある噂話程度のものだったのかもしれません。この件について本当に事の真偽をお知りになりたい方は、当該貴クラブへ直接問い合わせてみる等の確認手段を取られることをお奨めします。

※2 コメントに紹介されているAGミラン経営母体クラブの代表者様の言(げん)
「(前略)どのような形であれ大学生になっても社会人になってもサッカーを続けろ。そして仲間がいるクラブにいつでも戻ってこい。」
は、教育者として実に尊敬に値する姿勢だと、私も賛同いたします。
また、「実際に、中学校の部活動が終わってから高校の部活動が始まるまでの間に練習に来るOBがいたり、高校生大学生社会人になったOBが頻繁に遊びにきたりしています。」というのが貴クラブの雰囲気であるならば、子供たちの成長の場としてまさに理想的な環境であるとも思います。教師や親に相談できないまま、学校や家庭で道に迷いそうになったり、倒れそうになった子供たちが、貴クラブの存在によって人知れず救われていた、というケースも実は多々あるのではないでしょうか。

最後になりましたが、この度は貴重な情報を寄せて頂き感謝しております。
おかげさまで、これからもAGミランというチームのサッカーを、素直な目で楽しむことができます。
ありがとうございました。



★ もう一通のコメントについて ★

私が耳にしたお話も、そのような内容だったように記憶しています。
よろしかったら、愚ブログの下記ページもお読み頂けたらワイワイです。もとい、さいわいです。

「どうして私ばかり」スパイラル


※3 最近はからずも偶然、幼少年を対象とした体育・スポーツクラブの経営実態について詳細なレクチャーを受ける機会を得、またそのとき見聞きした情報を補完する意味もあって自分でも調査・分析してみた結果、3月1日より当記事内においては当該チーム名を「(仮名)」とすることにしました。なかなか厳しい業界ですが、どんなに苦しくてもふんばって、未就学段階にある子供たちがサッカーを楽しむことができる場を提供し続けて欲しいからです。


同業界についての私なりの考えについては、また別の機会にでも書きたいと思っています。
 
 
 
最後に、年度末なんかぶっ飛ばせ! です。
 
 
 
 
 
終わり(は、始まりです)