2010年7月31日土曜日

今さらながらTwitterについて学んでみた。

Twitter(ツイッター)について、今さらながらだがちょこっと調べてみた。
ざっくり概要をまとめると、
『アラシが発生しにくい、ショートメール志向の掲示板ソートシステム』
ということのようだ。

●アラシが発生しにくい。
一般的な掲示板(BBS)は、誰かが設置した共有の大きな掲示板に、みんなが書き込んでみんなが閲覧するというシステムだ。この方式の問題点として、悪質な参加者による「アラシ」があった。
対してTwitterでは、「共有される掲示板」というのがない。掲示板は、IDごとに専用のものが設置される。そしてこの専用掲示板へ書き込めるのは、その掲示板を設定したIDのみなのだ。これで「アラシ」は発生しなくなる(多重人格や統合失調症でもない限り)。
この専用掲示板は、基本的に公開されている。つまり、「見る」ことは誰でもOKなのだ。だがそこに書き込むことはできない。
しかしこのままでは、コメント不可に設定された従来のブログとなんら変わらない。
Twitterの工夫は、この問題の解消方法の斬新さにある。

●ソートシステム。
Twitterでは、別のIDを指定することによって、その指定されたID専用の掲示板から、コメント(Tweet:ツイートという)を引用してくれる。その際、時系列に沿って自分のTweetの間へ割り込ませるという形式をとる。こうすることで、私たちが日常交わしている「会話」を擬似的に再現しようとしているのだ。独居房へ収監された囚人が、反響してくる声を頼りに通路へ向かって話しているような状況を思い浮かべることができるだろうか。Twitterで作り出されている疑似コミュニケーション(TL:タイムラインという)は、いわばそれにとてもよく似ている。

●「Twitter=独り言を言っている人」とは見事なネーミングだ。
IT系の記事ではTweetを「つぶやき」と訳しているのが多いようだが、ふつうは「独り言」と訳すのが一般的だ。つまりTwitterとは「独り言を言っている人、ひとりごちている人」を意味している。
「会話」とは読んで字のごとく「会って話すこと」だ。
対してTwitterでは、「会わない」。ニコニコ動画や実況BBSで流れるコメント群のように、その発言ひとつひとつは孤立しているのに、タイミングを合わせることによって「それを読む側から見ると、会話しているように見える」ように構成している。

●ソート範囲の指定の仕方

・基本
指定(フォローという)したID掲示板での発言(Tweet)を引っぱってきてソート。
向こうへは、こちらが指定(フォロー)したことと、こちらの発言(Tweet)が知らされる。
「わたしの独り言をあなたへ届けます」

・基本その2
お互いに指定(フォロー)し合っている状態。お互いの独り言が、互いに聞こえ合っている。
これだと、かなり会話状態に近くなる。
ただし、実際に自分の掲示板に記録されているのはお互いに自分の発言のみであって、それをTwitter側で並べ替え組み直して、会話がかみ合っているかのように見えている。もしかすると相手はトーキングドール(お話し人形:自動応答システム)かも。

・@宛先ID 自分の独り言
まず宛先ID先へ届く。それプラス、宛先IDをフォローしている別の誰かと、あと自分のIDをフォローしている誰かに届く。
同じ教室内で誰かが誰かへ話している話しが、教室内のみんなに聞こえてるイメージか。

・自分の独り言 RT @引用元ID 引用した独り言
RTはリツートの略。まず引用したID先へ、どの独り言を引用したのかと、それに対して自分がどんな独り言を言ったのかが届く。
さらに、自分のIDをフォローしている誰かの掲示板へも、引用した発言、引用先ID、自分の独り言、が届く。
「私の友だちの○○がこう言っててさああ、で、私はこう思ったわけ」とみんなに聞こえるようにひとりごちている状態か。

・d 宛先ID 自分の独り言
「d」はダイレクトのD。
自分の独り言が、それ単独で相手先に届く。掲示板へはソート挿入されない。
こっそりメモを手渡すイメージか。

●はぶ
・プロテクト(非公開設定)
これを設定をすると、基本的には公開されている自分の独り言を、特定のID以外には読めないようにできる。
要するに、お友達(フォローしている、されているID)だけに聞こえるように独り言をいう状態。
・ブロック
愛知にだけは、もといあいつにだけは絶対教えない。お前らも教えるなよ、設定。

●自分がハブられているかを調べる方法

相手のHomeを開いたのにTweet(独り言)を見ることが出来ない場合、あなたはプロテクトされている。

各Tweetの、約***前(表示設定で英語にしているのならabout *** ago)の部分をクリック。
http://twitter.com/相手のID/status/数字 というページが開く。
ここで、画面上部に
"このツイートを見ることを許可されていないため、見ることができません。"
("Sorry, you are not authorized to see this status.")
と表示されてTweetが見えなかったら、あなたはブロックされている。

これで自分がどれだけ嫌われているのかを自覚できる。

●なぜ流行っている(らしい)のか。
独り言であることにつきる。
他人の独り言を非難する人はいない。つまり、独り言である限りにおいて、攻撃される可能性は極めて低いのだ。
でも、自分の存在はリスペクト(そこに確かに存在していると認識されること)して欲しい。透明な存在にはなりたくないけど、いじめられたくはないという、まさに「ポストいじめ世代」にピッタリのツールがTwitterなのだろうと思う。

本来、独り言には何の責任も生じない。
駅のホームで、柱に向かってブツブツと「革命起こしてやる。世界中のパンダの目の模様を、メガネみたいにつなげてやる」とひとりごちている人がいたからと言って、誰も取り合おうとはしないだろう。
だが同じ発言を世界に向けて発進したらどうなるか。
パンダのマークでお馴染みのWWF(世界自然保護基金)から抗議が来るかもしれないし、中国政府から暗殺者を送られるかもしれない。

このようにTwitterは独り言のように見えても、実際には独り言などでは済まなくて、様々なトラブルとなっている事件も多い。当然、発言への責任を問われることにもなる。

こうした面から考えて、Twitterやって喜んでるような政治家は駄目なんじゃないかな。

2010年7月30日金曜日

発想の転換──こんなもんだ、と思ってみる──


日本のサッカー文化はここが頂点だと思ってみる。


Jのチームが40を越えようが、少年サッカーが8人制になろうが、ヨーロッパでプレーする選手が常時二桁となろうが、日本人のサッカー選手レベルはこんなもんだと思ってみる。


だってそう思えて仕方ないから。


選手の育成に関して、日本の環境は相当いいところまでいっている。


正直言って、これ以上どうすりゃあいいのってところまでいっている。


来年度から少年サッカーが8人制になるが、そうなったからといって何か劇的な変化が起きるわけもない。


Jリーグができて日本サッカーのレベルは向上したが、トップレベルの選手レベルが向上したのかというと、そうは見えない。平均値の厚みが増しただけにしか見えない。


正規分布で平均付近の厚みが増すと、極値が拡大していくわけじゃなく、むしろ全体が平均値に集約しようとする傾向を見せる。
これは日本に限ったことじゃなくて、世界中でそうだ。
ワールドカップやチャンピオンズリーグ、あるいは各国のリーグで展開されるサッカーのレベルは平均的に向上したが、その一方で突出した選手はいなくなった。いわゆる「スター不在」「スーパースター不在」というやつだ。
少年サッカーでも同じだ。
全国どこのチームもなかなかのサッカーを見せるようにはなった。でも、ずば抜けた子は見られない。全国大会を中継するテレビ局のアナウンサーが、無理矢理に「怪物」だとかいう称号をかぶせて持ち上げようとするが、関係者も視聴者も子供たちも騙されはしない。
でもこういうもんなんだ、と思ってみると現状が違って見えてくる。
レベルが向上するということは、平均値が厚くなるということであって、それは偏差が縮小するという意味だから、当然極値の値も小さくなる。つまり、極端にヘタな子も、極端にうまい子も、いなくなる。
8人制にすると今以上にみんなが上手になるかもしれないけど、今以上に図抜けた選手は育たなくなる。
でも、それでいいんじゃないの。
どうせ、何がどうなったって、日本サッカー文化のレベルはこんなもんなんだから。
と思ってみるのも一興だ。


2010年7月29日木曜日

カラスウリの花

日が落ちてからの帰路、ふと目の隅に白い影が入ったりすることがある。
歩みを止めて確かめ、それがカラスウリの花だったりしたときは、しばし見とれてしまったりもする。
花言葉は「誠実」「良い便り」そしてなんと「男嫌い」だそうな。
クソつまらないJリーグを見るよりも、この美しい花を愛でていた方がはるかに有意義な時の過ごし方だと思う。
カラスウリなんていう名前じゃなくて「サマー・ナイト・ドリームス」とかいう名前だったらもう少し認知されたかもしれないけど、でももしホームセンターの園芸コーナーに並べて売られていたりしたら、この儚(はかな)さと妖艶で高貴な空気感は失われてしまうかもしれないから、このままでいいのかもしれないなあ。



2010年7月28日水曜日

マラドーナ監督退任との報道

コーチスタッフの刷新を求めたAFAと、完全人事権を要求したマラドーナとの折り合いがつかず、最終的にマラドーナ監督との契約は延長更新されなかった、と報道された。
グループリーグを全勝で突破し、メキシコに3-1で勝利した実績は一切評価されず、ドイツに0-4で負けた準々決勝の結果によって、マラドーナ監督のアルゼンチン代表は終わったと断じる人も多い。
とりあえずはU-20監督のバチスタが暫定監督として指揮をとることになったらしい。

なんだかこの雰囲気は、ふりだし(2008年11月のマラドーナ監督就任以前)に戻ったような感じがしてしまう。

マラドーナがいて準優勝した1990W杯イタリア大会以降の成績は、
1994 ベスト16
1998 ベスト8
2002 1次リーグ敗退
2006 ベスト8
2010 ベスト8
悲しいかなこれがアルゼンチン代表の現実だ。

コパ・アメリカでも、2004、2007と連続してブラジルに決勝で負けている。


2011年のコパ・アメリカはアルゼンチンで開催される。
自国開催のコパ・アメリカで、もしまたブラジルに負けたりしたら……
それを思ったとき、AFAの無責任会長が2011年のコパ終了までとなっているマラドーナとの契約を反故にするとは考えにくい。
万が一のときに、国民からの非難を浴びるのは、自分以外の人物の役にしたいはずだ。
もしここでマラドーナをそのまま解任し、あらたな監督を選定して、もしそれで負けたりしたら、その責任は協会が一身に背負い込むことになる。それよりも契約が残っていることを言い訳にして、コパが終わるまではマラドーナを利用しようと計算するのがAFAの会長とそのお仲間たちだ。もちろんマラドーナもそれをわかっている。だからこその今回の条件闘争だったと私は読んでいる。スラムで生まれ育ち、カストロとも親交の厚いマラドーナが、交渉で下手を引くわけがない。マラドーナはナイーブなお人好しなどではないのだから。

バチスタだろうが、ビエルサだろうが、ビアンチだろうが、サベラだろうが、自国開催のコパで負けたら責任を背負いきることは出来ない。
紆余曲折(うよきょくせつ)の末、アルゼンチン代表は自国開催の2011コパ・アメリカをマラドーナ監督で戦うことになるだろう。

ブラジルの新監督

ドンガ監督がクビになり、ブラジル代表の監督が変わった。
第一候補はMuricy Ramalho(ムルシィ・ラマーリョ)監督54歳だということは、半ば公のこととなっていた。
でも、現在監督をしているフルミネンセが、2012年までの契約であることを盾に、ブラジル監督就任を認めなかったらしい。







その代わりに白羽の矢が立ったのがMano Menezes(マノ・メネゼス)監督48歳だった。
彼はドンガと同じくブラジル南部の出身で、テクニックよりもフィジカルを信奉するブラジリアンであることは確かだが、それでもドンガよりはかなりましだ。生真面目な性格(もちろんブラジル基準でだが)で、選手たちからも愛されている。
マノは、U-20、U-23(つまりロンドンオリンピックを狙う代表チーム)も指揮することになるだろう。
そうなると彼に求められるハードルは、そうとうに高いものとなるはずだ。ドンガによって失ったブラジルサッカーへの威信を再構築する役割と、同時に世界一という称号を奪還する役割だ。

就任初戦となる国際親善試合(8/10 対アメリカ)の代表メンバー24人を発表した。
2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会代表からの継続組はFWロビーニョ(サントス)ら4人にとどまり、MFカカ(レアル・マドリード)、FWルイスファビアーノ(セビリア)らは外れた。俺からすれば、まあ当然というところだ。特にルイスファビアーノのセンスの感じられないシュートメイキングは、見ていてほんとうにカチンと来る。
GK
ビクトル(グレミオ)
レナン(アバイ)
ジェフェルソン(ボタフォゴ)
DF
D・アウベス(バルセロナ)
ラファエウ(マンチェスター・ユナイテッド)
A・サントス(フェネルバフチェ)
マルセロ(レアル・マドリー)
D・ルイス(ベンフィカ)
エンリケ(ラシン・サンタンデール)
レベウ(アトレティコ・ミネイロ)
T・シウバ(ミラン)
MF
サンドロ(インテルナシオナウ)
ラミレス(ベンフィカ)
ルーカス(リヴァプール)
ジュシエウ(コリンチャンス)
ガンソ(サントス)
エデルソン(リヨン)
エルナネス(サンパウロ)
C・エドゥアルド(ホッフェンハイム)
FW
ロビーニョ(サントス)
D・タルデッリ(アトレティコ・ミネイロ)
パト(ミラン)
アンドレ(サントス)
ネイマール(サントス)
守備をヨーロッパ組で固め、攻撃はサントス組で行くというこの構成は、ブラジル国内でも喝采をもって受け入れられたことだろう。ガンソ、ネイマール、パトを同時に起用することはないだろうが、それでももしもこの3人が同じピッチ上に揃ったとしたら、その時にしか生まれない何かを見せてくれるかもしれないと期待してしまう。
ブラジルサッカーは今混迷のまっただ中にある。
だがこの新しいブラジル代表には、大いに期待できそうだ。

2010年7月27日火曜日

トレセンは時代遅れ~ピラミッド型選抜のジレンマ~

トレーニングセンター制度(通称:トレセン)ができて、もう何年になるだろう。
大昔(たぶん30年くらい前)、旧浦和市内の中学だけで選抜チームを作ってたまに集まって練習してたのが、いつの間にやら全県に広がって、最近では小学生年代でまでトレセントレセン言うようになっていたことに、私は最近になって気づいた。
元々は、オリンピックへの出場を目指し、ドイツの育成システムと日本バレーボール界のやり方を参考にしながら手探りでトレセン制度は始まったと記憶している。
浦和や静岡なら指導者も競技者もたくさんいるので選抜もそれなりに形となっていたが、東北や中国、四国、九州などでは、トレセン=地元の名門チーム、となってしまっていた地区がほとんどだった。
中央からの指導といっても、目新しい用語と用具で飾り立てた、借りてきた舶来品のような練習メニューを週末にちんたら講習を受けるだけで、まったく意味のないものだった。
各地区のサッカーレベルが向上していったのは、日本のアマチュア指導者の勤勉さ、研究熱心さ、熱意によってであって、トレセン制度の功績はほぼゼロであったと私は断言する。

そもそもトレセン型の育成システムというのは、言い換えれば社会主義的な中央集権のピラミッド型選抜に他ならない。
この方式による選抜は、競技に要求される条件が限定されていて、かつそれが固定化している場合には、非常に有効である。例えば体操や水泳のような競技であるとか、団体競技でもバレーボールのように体格=戦力のようなものでは、選抜する際のフィルターも正確に機能する。
ところがサッカーのような競技となると、これが機能しないどころか逆に多様性を薄める方向への圧力となって働いてしまうのだ。

北足立郡北部地区に関係するトレセンでも、各市トレセン、北足立北部トレセン、県南トレセン、県トレセン、くらいはあるのだろう。仮にそうであってとして、各トレセン前には、自薦他薦によらず何らかの選抜が行われるわけだ。
選抜にたずさわる人間がそれぞれ異なる以上、選抜される回数が増せば増すほど、選抜の結果残される選手たちは同質化してくる。ザルで砂をさらうと、最後には大きさも形も整った小さくてきれいな丸の粒ばかりになるように、異なる基準(各選抜者が持っているサッカー観や経験は異なるから)による選抜を重ねていくと、どんなに対策を施したつもりでいても、結果はどうしてもそうなってしまうのだ。

子供たちや、その親御さんらにしてみれば、わが子がトレセンに選ばれたことは大きな励みとなるであろうことは想像に難くない。トレセン制度があるおかげで、全国大会には進めないようなチームの子であっても、ちゃんとピックアップされる可能性があることも事実だ。

ただ私は、う~んと考えてしまうのだ。
こんなことは第二次性徴期の落ちついた14歳くらいからでいいのではないか、と。
小学生年代のトレセンで、県選抜とか、あるいは関東とか全日本とかの合宿に呼ばれたりしてしまうと、彼の可能性を狭めてしまうことになりやしないか、と私は危惧してしまう。彼自身やまわりが、彼のプレーでの「正解」あるいは「目標」を、そのトレセンに選ばれた「成功体験」の延長線上で見出そうとしてしまいがちになると思うからだ。
これはエリートコースにとてもこだわる日本人に非常に強い傾向で、私はこのことが、他の分野でも第二次性徴期以降の落ちこぼれや引き篭もりを生んでいるとにらんでいる。つまり、自分が進む道をさあ決めようというその時期に、すでに自分が歩いてきた(と思っている)コースにこだわるあまり、そこから外れてしまったと思い込んで、目標を見失ったり、その現実から逃避してしまう子供を、かえって生んでしまっているのではないだろうか。

日本代表のフル代表や各年代別代表の無個性な(髪型は別として)選手たちを見れば明らかなように、日本のトレセン制度は成功していない。
これは日本に個性的なサッカー選手がいないからではなく、選抜の過程で、各選抜担当者の持っている「個性」に対する価値観、評価眼、許容範囲が異なっているからだ。

いずれ各県に複数のJチームがあるような環境が整ったら、トレセン制度は発展的解消となるだろう。
そして各Jの下部チームも、スクール形式などという責任回避&スクール料徴収で少しでもコスト削減方式をやめて、いっさい費用負担のない代わりに、ダメなら即クビという方式に移行していくべきだ。そうじゃないと、いまのままでは、ジュニアからジュニアユース、ジュニアユースからユース、といったステップアップの時に落とされた子や親のショックが大きすぎる。それほどの合理的理由はないのに、まるでサッカー人生が終わったかのようなショックを受ける子が相当数存在する。そしてそのことを各Jの育成スタッフも知っている。でもどうすることもできず、個人的に心の負担として抱えてしまっている人もいる。

トレセンの試合を見ても、大人サッカーのミニチュア版みたいで、まったくワクワクしない。
サッカーの試合としては、ちゃんと形になっているので、それなりに面白いのは認める。でも、「おっ」と身を乗り出さされるようなプレーを目にすることはない。「この年代でああいうプレーができるのはすごいよね」という選手は多い。しかしこれは裏を返せば、大人になれば誰でもやるようなプレーでしかない。テレビには時折、大人のような、あるいは老人のような物言いをする子供が面白おかしく登場するが、それとなんら変わらない。
小学生で150キロの速球を投げる子なら、確かに才能はあるだろう。だが小学生で変化球ばかりを投げる子に、君は才能があるね、と言う野球指導者がいるだろうか。
大人とか子供とか関係なしに、その選手しかできないようなスタイル、プレーを見たいと思って、私はピッチへと足を運んでいる。
いくつものフィルターで濾過された浄水器の水は、常にきれいで口当たりもまろやかだ。それをまずいと言う人はいない。
しかしサッカーという複雑な競技での育成を考えたとき、浄水器で水を濾過するようなトレセン制度の役割は、もうとっくに終わっている、と、私は思うのだがいかがだろうか。

2010年7月25日日曜日

昨日のJリーグ

NHKで放送していたマリノス・ガンバ戦を観戦した。
マリノスの最年少先発記録を更新したという小野祐二選手が注目されていた。
確かに悪い選手ではない。
足下のトラップがうまいあたりなんかは木村監督好みなのだろうと想像される選手だ。
木村監督は、足下にピタッと止められることがまず第一というサッカー観の持ち主で、足下はうまくないけどシュートはうまいっていう、例えばフェルナンド・トーレスみたいな選手はリスペクトしない。これは選手だった大昔っからそうだ。

ただテレビでこの1試合を見ただけの感想を言うと、この程度の選手なら、今のユース世代にも、また以前のユース世代にも、何人もいた。この小野選手がデビューできたのは、マリノスユースに所属していたこと、木村監督だったこと、ワールドカップがあったこと、暑い夏で体力の落ちている選手がいたこと、などが重なったからだろう。どうみても(今の)実力だけでは、いかに今のマリノスとはいえ、先発を張れるような選手ではないように見えた。タイプ的にも、髪型からイメージさせるような攻撃的で意外性のあるFW、という部類ではないようだ。どちらかというと、決勝点の場面でのアシストに見せたような、クレバーで技術志向で、だけどいざというときに責任を回避する中盤タイプが本質なのだろう。

ユース世代には人材が豊富だ。ただこの世代でJトップデビューをするには、J下部ユースに所属していなければならない。高校のサッカー部にいては、どんなに優れた選手であってもJを経験することはできないのだ。
こんな仕組みはさっさと改正してしまえばいい。
国籍でさえ二重登録が認められている国だってたくさんあるのだから、国内のユースを2種登録で一括してしまうのをやめて、Jユースを別登録、例えば英検の準1級みたいに準1種とかにしてしまって、一人の選手が2チームに所属できるようにすればいい。
これは各年代にも導入して欲しいシステムだと思う。
Jの下部への登録は別にする。こうすれば、Jクラブの負担もそうとう軽減できると思うし、2重登録となる各チームも、その選手を通じて高いレベルのサッカーに触れることができるし、他の選手たちも刺激を受けることができるし、指導者もネットワークを広げることが出来る。
とにかく現状のままでは、Jクラブの負担が大きすぎるし重すぎる。
その子(とその子のお父さんお母さん)のサッカー人生を背負い込まされてしまうような責任を持てるほど、現状のJクラブ下部組織は強くない。実態は非常に脆く、不安定であるのに、周囲からは「Jはずるい」とか「Jなんだから当たり前」とか「プロになれること決定」みたいなプレッシャーを浴びせられる。スタッフはたまったものではないだろうと思うが、しかしそれでも、サッカー、それもトップレベルのサッカーにたずさわる職業という魅力によってがんばっている。彼らはみんなサッカーが好きで、真摯な姿勢でサッカーと子供たちと向き合い、家族を犠牲にして歯を食いしばってがんばっている。スタッフは少ないし、カレンダー通りに休めないし、お子さんもまだ小さい、新婚、とあってはさぞ苦労も多いだろう。ホント、尊敬する。特に最近は選手たちの家族が妙に入れ込んでるケースが増えているので、さらにその対応も大変だと聞く。昔みたいに、「子供は子供。サッカーよりもちゃんっと勉強しろ」でまったく関心がないという親はもういない。親のバックアップがあるからこそ、子供たちのレベルがここまで向上したのは確かだが、一歩引いて、少年サッカー全体がみんな楽しく感動できるならそれで十分、わが子の将来がプロサッカー選手なのか、公務員なのか、大工の棟梁なのか、そんなことは今考える事じゃない。今このときしかない、息子たちが仲間とサッカーを楽しんでいる時間を、共有できる幸せに浸っていよう。こういう姿勢もいいんじゃないかなあなんて思う。

サッカーパパ&ママのあこがれ、小野祐二選手、宇佐美貴史選手、原口元気選手、山田直樹選手、にしても、中田英寿選手がJデビューしたときのスケール感はまったくありません。小倉隆史選手や上野良治選手たちに抱いた期待感もありません。つまりはこういうことなのです。今のユース世代は決してゴールデンエイジではないということなのです。前の世代とも、これからの世代とも、ほとんど変わらないレベルの選手たちがいる、日本のユース世代、というだけのこと。
これは日本の育成のやり方に問題があるとしか、私には思えない。
改革のひとつとして、J下部組織への登録分離を実現して欲しいと思う今日この頃です。

2010年7月24日土曜日

ヒト器官(臓器)・組織重量

性別          男           女
人種     日本人   欧州人  日本人  欧州人

脳       1333   1385   1233   1245
脳下垂体   0.66   0.62   0.75   0.70
甲状腺    18.8   29.5    17.2   30.3
胸腺     24.9   14.6    21.7    12.7
心臓     321.5   312    279    268
肝臓     1095   1582   955     1396
脾臓     96.4    161    67.6    131
腎臓左    141    280    124    249
腎臓右    137    280    116    249

2005年版理科年表より(単位はグラム)

同じ人間だとはいっても、中身がこれだけ違ってるんだから、確かに種類は違うよなあ。
各種ホルモンの分泌工場である脳下垂体は女の方がでかい。
肝臓や腎臓といったあたりの大きさの違いを見ると、酒じゃあ欧州人にゃあ勝てんなあとあきらめた。
血をきれいにする脾臓なんて倍近くでかいから、疲労回復は欧米人の方が優れているのかなあとも思う。

じゃあ日本人の器官・臓器の方がぜんぶ小さいのかっていうと、必ずしもそうじゃないってとこが面白い。
ハートは、日本人の方がでかいのさ。

2010年7月23日金曜日

世界の天気

http://tenki.jp/world/

によると、今日2010年7月23日金曜日の天気は、

スペイン マドリード 晴れ 25℃/15℃
      バルセロナ 雨 24℃/20℃
オランダ アムステルダム 晴れ 23℃/14℃
ドイツ シュツットガルト 雨 21℃/13℃
    ハンブルク 晴時々雨 22℃/15℃
    ミュンヘン 雨 22℃/14℃
ウルグアイ モンテビデオ 晴 11℃/0℃
パラグアイ アスンシオン 晴 18℃/7℃
アルゼンチン ブエノスアイレス 晴 10℃/3℃
ブラジル サンパウロ 晴時々雨 20℃/16℃
      リオデジャネイロ 晴時々雨 24℃/20℃
ガーナのデータがなかったので隣の
コートジボワール ブアケ 晴時々雨 28℃/22℃

そして我等(われら)が
日本 熊谷 晴後曇 37℃/26℃

コートジボワールやブラジルやスペインは涼し過ぎてせっかくの夏が台無しだな。
バルセロナやリオデジャネイロは最高気温が24℃。
エアコンの温度設定なら低すぎだぞ! コラッ!
シュツットは21℃でサンパウロは20℃かあ。おいおい、風邪ひいちまうぜぇ。
ああ、やっぱり日本が最高。
日本で暮らせて幸せだなあ。



ってなるかオイッ!
どう考えても暑すぎだろ。

サッカー戦術用語解説 『コンパクトな中盤』

たまにテレビで音声をオンにしてサッカー中継を見ると、どうにも気になってイライラしてしまうことがいくつかある。そのひとつが、テレビ放送で使用されているサッカー戦術用語のあいまいさだ。
ただ、テレビの音声をいちいち書き起こすのも面倒だし、まあ音声なんか消して見ればいいのだからと思っていたのだが、ちょうどおあつらえのいい加減なコラムがあったので、これを題材に戦術用語について考えてみた。

この文章は、2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会でのアルゼンチン代表について書かれたコラムの一部である。
http://number.bunshun.jp/articles/-/40315

「レーブが語るように、アルゼンチンには攻撃を作る選手がメッシしかいなかった。シャビ、シャビ・アロンソ、イニエスタら、複数の選手が中盤で連動しながら崩すスペインとの違いはそこだった。」

「複数の選手が中盤で連動しながら崩す」と紋切り型に書かれているが、「連動」する際に「複数の選手」がかかわるのは当たり前のことで、ましてや「中盤」に「複数の選手」が存在しないチームというのはあり得ない。そもそもちゃんと今大会のスペインの戦いぶりを見ていた人なら、もしケガをしたのがアルゼンチンのベロンではなく、スペインのビリャ(ビジャ)だったら、はたして結果はどうなっていただろうかと思っているはずだ(このコラムの筆者は、ベロンの負傷が必然であったかのような前提に立っている。こういうアホが証券会社の営業にいたりすると『後付け』の言い訳でそうとうイライラさせられる)。要するに今大会のスペイン代表は、中盤でボールはキープするけれど、それを効果的な攻撃につなげられないで苦労していたではないか、攻撃はビリャ(ビジャ)頼みだったじゃないか、ということだ。それなのに「複数の選手が中盤で連動しながら崩すスペイン」とは、いったいどこのスペインなの? と私は問いたい。


「しかし今大会でアルゼンチンが初めて対戦した、個も組織も整った強国ドイツには、近代サッカーの中でキーマンをどう抑えるのかを熟知した選手たちが揃っていた。
 かくしてドイツは中盤をコンパクトに保ち、メッシのためのスペースを消し去り、ボール奪取後には手数をかけずに攻め、そして4度もゴールネットを揺らした。」

「近代サッカーの中でキーマンをどう抑えるのかを熟知した選手たちが揃っていた」? 揃っていた? 誰たちのことを指しているのだろうか? 私には若さにまかせてスタミナとパワーと体格でがむしゃらに(それも後方から)突っかかっていっていただけのように見えたが。もしレフェリーがチャンピオンズリーグレベルの笛を吹いていたら、グループリーグ段階で11人揃わなくなっていたのではないか、というくらいかなりラフなディフェンスだったと私は思う。
「ドイツは中盤をコンパクトに保ち、メッシのためのスペースを消し去り、ボール奪取後には手数をかけずに攻め」
ドイツの中盤は、コンパクトというよりただ引きまくっていただけだったではないか。
本来「コンパクトな中盤」というのは、ディフェンスではなく攻撃に関する用語なのだ。ピッチ全体を考え、前後左右のバランスを取ろうとしてきた従来の中盤のポジション取りに対して、中盤の選手間の距離を縮めることによって局地的に数的優位を生み出すことで、イタリアに代表されるような堅いディフェンスラインを突破しようという考え方に拠(よ)っている。ブラジルの黄金カルテットやプラティニのフランスあたりが始まりだ。
ディフェンスでコンパクトという表現を使う場合は、チーム全体の前後長を指す。これはもはや常識となっている戦術であって、あえて今回のワールドカップで語られるようなものではない。
そもそも「中盤をコンパクトに保ち、メッシのためのスペースを消し去り」とは、いったいどういう状況のことを言っているのか皆目わからない。メッシひとりを中盤の3人なり4人で取り囲んだ、という状況なのだろうか? まるで体育のサッカーみたいな光景が目に浮かぶ。
さらに「ボール奪取後には手数をかけずに攻め」るためには、敵陣に広大なスペースとそこでパスを受ける味方が必要となるわけなのだが、そこへ走り込んでいたドイツ選手は中盤の選手だったように記憶している。ドイツ代表チームには、中盤の選手が何人いるのだろう? メッシのスペースを消し去るコンパクトな中盤と手数をかけずに攻撃する中盤が存在していたのだろうか? それとも筆者と私は、別の競技の大会を見ていたのだろうか? 15人制サッカーとか?


「 かつてマラドーナが謳歌した10番のためのスペースはなくなり、そこはピッチを走り回る運動能力の高いMFで溢れていた。メッシがボールを持てば、屈強なフィジカルを持つ数人のドイツ人がとり囲んだ。
 しっかりと自陣に引いてから手数をかけずにスピードのある攻撃を繰り返す。
 そんな守備戦術が主流となった今大会で、メッシというタレント一人に頼ったアルゼンチンは、マラドーナが現役だった頃の香りを残す、ひと昔前のチームだった。
 決勝に残ったスペインも、オランダも、タレントこそいるが、誰か一人に依存するサッカーではなかった。」

この文章は借りてきた表現を組み直しただけだ。内容も矛盾だらけ。「しっかりと自陣に引く」のか「ピッチを走り回るのか」はっきりして欲しいし、「屈強なフィジカル」の方が重要なのか、「とり囲む」方が重要なのか、そこもはっきりして欲しい。まさかサッカーは「屈強なフィジカル」がないとできない、と言いたいわけじゃないだろう。いや、そう言ってるのかな? (メッシが小柄だということに囚われすぎて、実際にそこで起きていたことが見えていないのは、とても残念なことだと思います。)

決勝のカードを引き合いに出して、まるで「誰か一人に依存するサッカーではなかった」から勝ち進めた、かのように結論づけているが、本当にアルゼンチンはメッシ一人に依存していたのだろうか? という点に、まったく疑問を感じていないこの筆者の素直さには感動すら覚える。そもそも一人に依存するって何だ? それは中心となる選手がいるって意味なのか? 
マラドーナが監督じゃなかったら、メッシ、イグアイン、テベス、ミリート、アグエロ、が同じユニフォームを着ることはなかった。マラドーナはサッカーに「魅力」「魅惑」を取り戻そうとしたのだ。それを単に「一人に依存する、ひと昔前のチーム」と断じられては、マラドーナも立つ瀬がないだろう。

勝てば官軍、負ければ賊軍とはよく言ったものだが、ドイツはセルビアに、スペインはスイスに負けているのだということを忘れないでいただきたい。
勝ったチームが全て正しかったわけでも、負けたチームがすべて間違っていたわけでもない。
勝負は往々にして時の運なのだ。
ドイツ・アルゼンチン戦にしても、開始0分でマスケラーノに後方からラフなアタックを食らわせたクローゼが一発退場、あるいは警告でも受けていたら、試合の展開は違うものになっていたかもしれないのだから。

2010年7月22日木曜日

今年の夏は熱中症のリスクが高い

スポーツ活動時の熱中症による死亡数    
-スポーツ種目別頻度ー 
(1990~1999年)(日本体育協会熱中症予防ガイドブックより)
もう10~20年前の古いデータだが、それでもサッカーが熱中症リスクの高い種目である傾向は読み取れる。
面白いのは、ラグビーとアメリカンフットボール、野球とソフトボール、ハイキング(遠足)と行進訓練の頻度差だ。2倍から9倍も違う。この差は、プレーヤーがその競技にかける意気込みの違いによって生じているように思える。言い換えると、「自発的にがんばる」競技ほど熱中症になるリスクは高い、ということだ。


1994年7月(熊谷)
1994年8月(熊谷)
2010年7月(熊谷)
1994年はアメリカワールドカップのあった、暑い夏だった。
そして今年も、ワールドカップと暑い夏が重なりそうだ。

10代で男子の死亡者数が圧倒的な理由は、間違いなく「運動・スポーツ」である。
データが示しているのは、スポーツでマジメにがんばる子ほど熱中症のリスクは高くなるという厳然たる事実だ。
私が怖いと思うのは、熱中症で死亡する例というのが、ほぼ例外なく「これまではこんなことなかった」という成功体験に裏付けされた形で起きていることだ。去年も大丈夫だった、もう何年も同じことをしてきた、昨日はなんともなかった、さっきまでは元気だった、少し休めば大丈夫だと思った、そして「本人は大丈夫だと言っていた」。
これはその通りなのだ。まわりの大人も、そして本人も、「大丈夫だ」と思ったのだ。だが事故は起きてしまった。
そしてこれは熱中症としての統計には表れてこないが、熱中症に近い状態でプレーをしていると、思わぬ大けがにつながりやすい。判断や反応が鈍くなるために、考えられないような接触・衝突をしたり、変な転び方やひねり方、あるいはもろに頭から落ちたりする。これらは熱中症としてはカウントされないが、子供の健康にとって非常に危険な要素であることは確かだ。
私がさらに危険だと感じているのは、こうした熱中症に関連する事故に対して、指導者らの受け取っている責任感が、他の事故と比べて希薄なことだ。
熱中症でお子さんを亡くされた親御さんの裁判でしばしば聞かれるのは、「そこまでがんばったのは本人であって、私が無理強いしたわけではない。たくさんの部員を管理する中で、個人の微妙な変化を完璧に判断するのは医師でもない私には不可能だった。私は常に、異常を感じたら休むように指導していた。実際、これまでこうした事故を起こしたことはない」というような、被告である指導者側の抗弁だ。要するに、本人の責任も大きいでしょ、と言っているのだ。
私もその通りだと思う。
究極的には、自分のことは自分で責任を持つしかない。
生物は自分の身を、自分で守らなければならないのだ。
これに例外はない。子供であってもそれは同じだと私は思っている。
炎天下で100本ダッシュを命じられたら、それを全力でこなそうとしてはいけない。
炎天下で3連戦させられたら、すべての試合でベストを尽くそうと思ってはいけない。
炎天下で練習後に5キロ走をかせられたら、丸々5キロを走ってはいけない。
子供はこれがわからない。
サボってはダメだ。常に全力を尽くすことこそが練習なのだ。
確かにその通りだ。
だが今年の夏は、サッカー少年にとって危険な夏になりそうなのだ。
ワールドカップから刺激を受け、そして去年の夏は涼しかった。
2009年7月(熊谷)
2009年8月(熊谷)
子供たち自身の中にある「去年の経験」が成功体験となって、今年のリスクを関知するセンサーを甘くしてしまう可能性がおおいにある。ワールドカップから受けた刺激が、なお一層、子供たちをがんばらせてしまう可能性もおおいにある。

どうかお父さんからご自分の息子さんたちに(子供年代では、男子の熱中症死亡リスクが圧倒的に高いからであって、女子はどうでもいいということではありませんのであしからず)、どういう状態になったら、それは異常ということなのかを、教えておいてあげて欲しい。
ほぼ全ての子供は、異常な状態を知らないからだ。生きてきた時間がまだ短く、人生経験が少ないのだから当たり前だ。そこをおぎなってあげて欲しい。
つまづいたり、よろけたり、声が遠くに聞こえる感じがしたり、眠くなったり、というようなことが続いたら、脱水や異常体温の可能性がある。そういう感じがしたら、自分からピッチを出るか、それが難しかったら強引にタックルして、自分から転倒して、しばらく寝ていろと教えてあげて欲しい。いやもっと手っ取り早く、靴ひもを結び直すふりをして休め。そしてヒモをちゃんと結び直せて、またすっと立ち上がることが出来たなら、まだ大丈夫だ。そこで手元がおぼつかなかったり、立ちくらみをしたりしたら、もう無理はしないでプレーはやめるべきだ。と伝えて欲しい。
チームのスタッフは、あなたの息子さんを守ってはくれない。
最悪の事態になって、訴訟になったらそれがはっきりする。
彼らは絶対に「申し訳ありませんでした。全ては私の責任です」とは謝らない。
裁判が終われば、また何事もなかったかのように子供たちに接し、自分たちが殺した子供の親が練習場に顔を見せれば、露骨に迷惑そうな表情を浮かべる。あるいは逃げ回る。
全ての指導者がこういう人だという気は毛頭ないが、そういう人がいることも、悲しい事実なのだ。
少年サッカーでは、まだこれほどまでにひどい指導者というのには会ったことはない。
しかし、全日本少年サッカー大会への親の入れ込みようなどを知っていくと、いずれ勝利至上主義の少年サッカー指導者が現れないとも限らない。
そういう、指導者の仮面を被った悪魔にわが子を殺されないためにも、どうかお父さんは息子さんに「がんばるってことには、賢さも含まれるんだぞ。言われるがまま考えないで無理をすることは、がんばるとは違うんだ」と教えて上げてください。お願いします。
特に、今年の夏の間だけでも。
それくらい、今年の夏は、少年サッカー選手にとって危険な夏になるような気がするのです。
私の杞憂で終わればいいのですが。

2010年7月21日水曜日

ロビーニョの罠

http://www.bbc.co.uk/blogs/timvickery/2010/07/spain_or_barcelona_no_contest.html

BBCスポーツのコラムで、2010FIFAワールドカップを終えてのブラジルサッカーに関するものがあった。
要約すると、このままじゃあブラジルサッカーはダメダメなままなんじゃないの? だ。
---------以下、超訳の要約--------
終始スローペースで、スペースもガラガラで、レフェリングも甘いブラジルの国内リーグは、たとえトップレベル同士の試合であったとしてもヨーロッパレベルにははるかに及ばない二流三流へと堕落したままだ。
ロビーニョが良い例だ。彼がサントスで頭角を現してきたとき、ブラジルサッカー界は彼を天才だと褒め称えた。元ブラジル代表のセンターフォワードであったカーサグランデにいたっては、マラドーナ以上のタレントだとさえ言っていた。FIFA世界最優秀選手を受賞するのも時間の問題である、と。
しかし現実は、そうはならなかった。
それからもう何年にもなるのに、彼はまだその現実を受け入れられないで苦しんでいるようだ。同じことがGansoとNeymarにも起こるかもしれない。
悪いのは彼らではない、アイドルを必要とするクラブ、スターを必要とするメディア、見込みがある素材(hot properties)を必要とするエージェント、これらの人間らが、彼らに必要な準備をさせなかったのだ。
------------------------------------
If a youngster is hyped too soon, there is always the risk he will suffer a reality shock when he steps up his career.
あまりにも早く若い選手を売り込んでしまうと、彼が手にするはずだったキャリアを現実という壁が阻んでしまうリスクが常につきまとう。

これがこのコラムの結文である。
高いレベルを早く経験させることがよいのか、はたまたその選手にあったレベルでじっくりと育てるのがよいのか、これはサッカー選手の育成だけではなく、子育てを含む教育全般における永遠の課題だと思う。
ブラジルのロビーニョ、ガンソ、ネイマールとまでいかなくとも、レッズの山田直樹や原口元気、ガンバの宇佐見レベルの場合でも、同じ問題が横たわっている。
彼ら自身も、また周囲の大人たちも、ヨーロッパでプレーすることが彼らの能力をさらに引き出す、と思っている可能性は否定できない。しかしそれが彼らを「ロビーニョの罠(わな)」に陥れてしまうリスクも否定できないのだ。
その罠を回避するための準備として考えると、今年のゴールデンウイークあたりだったかに大宮アルディージャジュニアがヨーロッパの大会へ参加したことは、悪いことではなかったのかもしれない(アルディージャのスタッフがそこまで考えていたとは到底思えないにしても)。
次のワールドカップはブラジルで開催される。
さてブラジルの次期監督が誰になるのか。
私はパレイラだと予想する。ブラジル代表監督だけはずっと人材不足なんだよなあ。

スウェーデンは理想郷ではない

2010年平成22年7月21日水曜日 朝日新聞 声

スウェーデンは理想郷ではない

小学校教員 フス恵美子
スウェーデン 39歳

毎年一時帰国するたび、日本で、福祉大国の理想郷としてスウェーデンが語られることを苦々しく思っています。税金が高く、「高負担」は確かですが、「高福祉」には疑問点も多く、日本よりはるかに優れた社会という見方には賛同できません。
例えば、就学前の「幼児教育」は存在しません。大多数の公共保育園は、預かった子供の安全を保証するのが仕事で、資格を持たない人が数多く働いています。小学校入学前に6歳児教育が1年間ありますが、イスに座る、鉛筆を持つ、アルファベットを書く、というレベルです。
「将来への安心から貯蓄が不要」というのも、誤った解釈です。国民の多くは不安を抱えています。。年金は物価や税金の高さからすれば、十分な額とは言えず、銀行は「将来、年金では暮らせません。若いうちに蓄えましょう」と積立預金を呼びかけています。しかし、月5万円のパート収入ですら3分の1を税金で持っていかれ、最高税率25%の消費税。住居・光熱・医療費、保育料も高く、普通の家庭ではお金が残りません。国民の多くは「可処分所得が少ないから貯金できない」のが現実です。
若者の犯罪増加、就職難、麻薬や性病の蔓延。さらに、フルタイム労働で疲れ切った母親、冷凍物ばかりの夕食。これらが理想郷でしょうか。
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2009年の自殺率を国際比較したデータ
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/2770.html

これを見ると、それでもやっぱり、少なくとも現状では、スウェーデンの方がましなのかなあという気がする。
日本の自殺率をスウェーデン並みに下げることが出来れば、年間の自殺者数は約3万3千人から1万7千人にまで減らすことができるからだ。南アフリカワールドカップで日本が負けたパラグアイ並みになれば、なんと約5000人におさえることができる。これなら交通事故死者数とのバランスも自然(?)に思えるではないか!
こうした視点に立ったとき、人類という生物が生息する環境として、果たして日本とパラグアイではどちらが幸せなのか、そう簡単に断は下せないと思うのだがいかがだろうか。
80位にギリシャがあり、自殺率は3.5人/10万人となっている。だがギリシャ分は2006年のデータを基にしているようなので、2010年ではどうなっているのか興味がある、などと考えるのは悪趣味に過ぎると自重せねばなるまい。

第34回 関東少年サッカー大会 組み合わせ

第34回 関東少年サッカー大会 組み合わせ

2010年 千葉県鴨川市総合運動公園
8月21日  9:00~開会式
       1次リーグ
8月22日 決勝トーナメント

<A組>
SCHFC(神奈川①) FCアビリスタ(埼玉②) FCWaragoma(東京③)

<B組>
邑楽SC(群馬①) フォルトナSC(山梨②) 古河AZUL(茨城③)

<C組>
ヴァロールSCイースト(東京①) 鹿島アントラーズつくば(茨城②) 伊勢崎ヴォラーレ(群馬③)

<D組>
足利トレヴィータ(栃木①) 三井千葉SC(千葉②) 韮崎SSS(山梨③)

<E組>
新座片山FC(埼玉①) ともぞうSC(栃木②) FCパーシモン(神奈川③)

<F組>
Uスポーツクラブ(山梨①) 府ロクSC(東京②) 柏イーグルスTOR`82(千葉③) 

<G組>
ばらきSC(茨城①) 図南SC前橋(群馬②) 浦和三室SSS(埼玉③)

<H組>
JSCCHIBA(千葉①) 足柄FC(神奈川②) リフレSC(栃木③)


決勝戦は、トーナメントの山が分かれれば新座片山 × 柏イーグルス。
同山になったら、新座片山 × アビリスタの埼玉対決。
優勝は、どうなっても新座片山、と予想。

個人的に注目してるのは、A組のアビリスタ × SCH。
私の見立てでは、この両者はサッカーのカラーも個々の力もチーム構成も総合力も、とてもよく似ている。
県内でのポジション・存在感も、両チームは似たような位置にある。
現在の埼玉県と神奈川県の実力を推し量るのに、実にちょうど良い対戦だと私には思えるのだ。
ただ如何(いかん)せん鴨川は遠い。時期的にも曜日的にも、大渋滞は間違いないだろうし。
こんな関東の辺境で大会を開くんじゃねえ、と言いたくなったのをぐっとこらえて、海が近いのはサッカー漬けで小6の夏休みを終えかねなかった子供たちへの、むかし子供だったサッカー親父たちからのささやかなプレゼントなのだ、ということで許してつかわそう。

2010年7月20日火曜日

第34回全日本少年サッカー大会 決勝大会組み合わせ

決勝大会1次ラウンド組み合わせ

Aグループ
就将SC 鳥取県 2年ぶり4回目
愛知FC 愛知県1 4年ぶり9回目
福井市中央FC 福井県 9年ぶり2回目
柏レイソル 千葉県 2年ぶり12回目
ソルニーニョFC 佐賀県 初出場
ディアブロッサ高田 奈良県 2年連続11回目

Bグループ
OSAフォルトナ山形 山形県 初出場
FCアネーロ宇都宮 栃木県 初出場
シーガル広島 広島県 初出場
明野西JFC 大分県 28年ぶり2回目
金沢南JSC 石川県 2年ぶり22回目
久御山バイソンズ 京都府 2年連続2回目

Cグループ
兵庫FC 兵庫県 2年連続5回目
岩瀬FC 福島県 初出場
大宮アルディージャ 埼玉県 2年連続2回目
大社SC 島根県 18年ぶり4回目
藍住南FC 徳島県 初出場
あぐり西町FC 長崎県 2年ぶり2回目

Dグループ
リヴィエールFC 山梨県 8年ぶり2回目
津田FC 三重県 初出場
ヴィクサーレ沖縄FC 沖縄県 4年ぶり2回目
フォルツァ松本 長野県 初出場
青森FC 青森県 2年ぶり3回目
総社SC 岡山県 5年ぶり3回目

E グループ
エグゼ90FC  大阪府 2年連続3回目
アルビレックス新潟 新潟県 初出場
----宮崎県----
ベガルタ仙台 宮城県 4年連続4回目
東海スポーツ 愛知県2 11年ぶり2回目
鹿島アントラーズ 茨城県 2年ぶり8回目

F グループ
コンサドーレ札幌 北海道 2年連続4回目
ニカホ 秋田県 初出場
バディーSC 神奈川県 初出場
太陽SC国分 鹿児島県 初出場
十市少年SC 高知県 6年ぶり2回目
SC岐阜VAMOS 岐阜県 初出場

G グループ
丸亀FC 香川県 3年ぶり4回目
レオーネ山口 山口県 2年連続2回目
高部JFC 静岡県 初出場
JACPA東京FC 東京都 初出場
ソレッソ熊本 熊本県 初出場
宇久井SS 和歌山県 初出場

H グループ
帝人SS 愛媛県 2年ぶり8回目
ヴァレンテとおの 岩手県 初出場
FC上西郷 福岡県 2年連続3回目
ファナティコス 群馬県 3年連続3回目
野洲JFC 滋賀県 3年ぶり3回目
スクエア富山FC 富山県 初出場


各グループの1位2位が決勝トーナメントへ
(トーナメント表の山を左から右へ)
A1位 × H2位
B1位 × G2位
C1位 × F2位
D1位 × E2位
E1位 × D2位
F1位 × C2位
G1位 × B2位
H1位 × A2位

大宮アルディージャはCグループで1位となるだろうから、Fグループの2位と一回戦で対戦することになる。
この1回戦を勝ち上がることが出来れば、ほぼ間違いなくベスト4には進出できるだろう。
ベスト4は、愛知FC、柏レイソル、大宮アルディージャ、バディーSC。
優勝は、晴れれば大宮アルディージャ、雨ならバディーSCと予想する。

決勝大会1次ラウンドは福島県のJヴィレッジにて、8月1日(日)より開始される。

名言備忘録

丸くとも一かどあれや人心 あまりまろきはころびやすきぞ
まろくともひとかどあれやひとごころ あまりまろきはころびやすきぞ
坂本龍馬
円満な人格というばかりではいけない。人はどうしても譲れない何かをひとつは持つべきである。

九層の台も累土より起こり、千里の行も足下より始まる。
きゅうそうのだいもるいどよりおこり、せんりのこうもそっかよりはじまる。
老子
高層の建物も一盛りの土が始まりである。長い旅も一歩から始まる。

たとえ信仰は持っていなくとも、祈るということは何となく気の休まるものである。
チェーホフ

電光影裏春風を斬る。
でんこうえいりしゅんぷうをきる。
無学祖元(むがくそげん)
悟りを得た精神は不滅であるという意味。

本来無一物。
ほんらいむいちもつ。
慧能(えのう)
みんな元々はないようなもの。

成功に極意はない。私の場合は、ただ他人が掘ったあとをもう一間ずつよけいに掘っただけだ。
古川市兵衛

空気と光と友人の愛。これだけ残っていれば、気を落とすことはない。
ゲーテ

女性を尊べ。彼女らは地上の生活のために天国のバラを織りなす。
シラー

自分は愛されている、と思っている女はいつも魅力があるものだ。
伊藤整

誰でも間違いを犯すことはある。しかし間違いに固執するのはバカ以外にはない。
キケロ

いくらこっちで力んでも、天気と疑いばかりは向こうから晴れてくる。
尾崎紅葉

私たちが追い出されずにすむ唯一の楽園は思い出である。
ジャン・パウル

何を笑うかによって、その人の人柄がわかる。
パニョール

タイ古式マッサージ『パラウェド』

桶川の川田谷方面から桶川駅へ向かう道沿いに、タイ式マッサージの店が出来たことには気づいていた。ちょうどジャパンの真向かいの位置だ。
今日、立ち寄ってみたら、顔も尻の人、もとい顔見知りの人のお店だった。
前は、川田谷の農協裏でやっていたのを、今度この場所へ移転したとのことだった。

店内を奥さんに案内してもらった。ちなみにうろ覚えだが、タイ語で「奥さん」のことを「クンナーイ」と言うらしい。「奥さんその鯛クンナーイ?」と覚えていたのだが、これが実際に正しいのか確信はない。
施術室というのか、スタジオと呼ぶのか聞き忘れたが、そのマッサージをするスペースは2階に設けられていた。
まだ新しいからという理由だけではなく、タイから持ってきたものも多く使われているというアジアンテイストなインテリアの雰囲気も、真摯(しんし)さと清潔感が感じられてわたしは非常に好印象を持った。それに部屋全体を風が抜けていくので、今日のようなバカ夏の暑さでも、すうっと涼しいのがいい。10時半から11時くらいでもエアコンがいらないくらいだった。真冬はどうなるのかは知らない。
お試しコースが30分で2000円というのは、かなりお得感があると思う。
きょうび QB HOUSE でも10分1000円だ。
全身フルコース 60分 4000円  90分 6000円  120分 8000円
とあるのだが、120分のマッサージってのはどんなのだろう? 間が持たないような恐怖感がある。私はマッサージを受けた経験がほとんどないのでわからないのだが、世の中のマッサージというのはこれくらいの時間感覚なのだろうか?
スポーツでいうところの治療的なマッサージではなくて、リラクゼーションというか、体の調和を整えるというような作用を求めるマッサージなのかもしれない。それなら時間がかかることも納得がいく。
とか言いながら、まあ私が受けたマッサージなんて、サロメチール塗り込んで、筋肉ぐりぐりやって「ほら行け」みたいな素人マッサージだから、まったく想像できないというのが本当のところなのだが。
サッカーに関係しそうなところでいえば、タイ式フットリフレクソロジーというのに興味が引かれる。
足裏からひざ上までが対象とチラシには書いてあるが、その区間に集中したマッサージということなのだろうか。
40分 3000円  60分 4000円
とあるけど、足半分でこんなに時間がかかるのだろうか?
途中で「あ、もういいです」って言ってしまいそうで、これまた気後れしてしまう。
丈夫で疲労がたまらない身体を持っているせいなのか、ほんとマッサージと縁がないんだよなあ。
スキーに行ったときに付き合いで頼んだりすると、余計にこって体が重くなったり、寝付きが悪くなったりしたこともあった。
ご主人(タイ語でナーイという。たぶん)も奥さんも商売っ気がなさそうなんで、いいお客さんが安定して来店してくれるようになったらいいなあと心から願っている。それくらい、いい感じの皆さんだから。
タイ古式マッサージ&スクール
Asian House Prawet パラウェド
午前10時 ~ 午後10時 日曜定休 
託児OK(前日までに要連絡)
予約制 048-787-7226
女性向けにはタイ式ハーブオイルマッサージというのもあるらしい。
全身フルコース
60分 5000円  90分 7000円  120分 9000円
8月10日までは移転リニューアル記念ということで、60分コース以上にプラス10分のサービスがあるそうだ。

2010年7月18日日曜日

すさまじきもの。しょぼいゴールキック。

昨日今日と上尾市長旗杯という少年サッカーの大会を観戦した。
気温のせいなのか、夏休み前という時期的なものなのか、どうにも見るべき所のない試合ばかりだった。
内容も、個々の選手も、ライブでなければ出会えないようなすばらしいプレーも、記憶に残したくなるようなものは何もなかった。
特に、これは前々から気になっていたことなのだが、ゴールキックがどのチームもことごとくしょぼいというのはいただけない。
ゴールキックが「ベコ」とかいう音で中途半端に転がっていくのを見せられるのは、どうにも切なくなる。
ゴールキックがリスタートになってない。
ピンチの連続になってる。
なんでどのチームもこんな状態のままなのか、ずっと以前から不思議だった。
プレースキックの基本さえできていないようなキッカーばかりというのは、どうしてなのだろう?

まっすぐな助走から入って、きっちりしっかり上体をかぶせて、深く踏み込んで、蹴り足のかかとを立てて、「エイヤッ」と蹴る。

それは見事に、地をはうようなボールが飛んでいく。
それはそうだろう。
だってそういうボールを蹴る、お手本のような蹴り方なのだから。
ああいう風に蹴るように、サッカー協会から指導されてるのかなあ?
筋力のある大人なら、あの蹴り方でもいいとは思う。変に高度のあるボールだと、時間がかかって、ボールを受けた味方に敵のプレッシャーがかかりやすくなるから。
でも、筋力のない子供にあの蹴り方は、ないない。

力のない子には、もっと高度を出しやすい蹴り方を指導した方が、育成の面からもいいと思うんだけど、最新の指導方法だと違うのかなあ。
その辺は自信がないのでこっそりと、私が知っているプレースキックのコツをつかむ練習方法を、二つばかり紹介する。

【その1】体重を乗せて芯をくわして蹴る感覚を身につける。
いわゆる「ドカ蹴り」って奴だ。ガーっと助走して、ドンッと真芯で蹴るあの蹴り方だ。
あの蹴り方でボールの中心より下を蹴ることが、プレースキックの基本その1となる。
練習としては、誰かが真正面から転がしたボールへ向かって助走していって、まっすぐ蹴り上げることから始める。
キーパーのプレーイメージとすれば、裏へ抜けてきたボールを、思いっきりクリアする感じだ。
これを横回転要素がかからないように、縦の逆回転がかかるように蹴る。
転がすボールの速度は段々と遅くしてゆき、最終的にはほとんど止まりそうなボールでも蹴れるようにする。

【その2】立ち足の位置を学ぶ
これは見方を変えると、怖さを消す練習だとも言える。
ボールを飛ばす蹴り方を体が知らないうちは、どうしても立ち足に頼った蹴り方をしてしまいがちだ。しかし人間の体の構造からすると、立ち足に軸を作ると蹴り足を強く振れなくなってしまう。股関節の構造が車輪と車軸の関係ではなくて、すり鉢とすりこぎのような関係になっているからだ。こういう構造では、一方の力がもう一方へ直接つたわりにくい。結局、別々に、それぞれの筋力と体重移動で蹴ることになってしまう。これでは筋力も弱く、体重も軽い子供では、強いキックはできない。
プレースキックでは、むしろ軸を立ち足よりも蹴り足側におくようにする。体全体をひとつの回転軸にして、そこから2本の足がぶら下がっているイメージでキック全体を構成するのだ。
このような用具を用いると、それが頭ではなく体で理解できる。


これは構造をイメージしてもらおうと、今、手元にあった間に合わせで作成したものだ。

トイレットペーパー の芯を半分くらいに切って、立てやすいよう足を作り、それにヒモを結びつけただけのものだ。

芯の部分はボールをのせる台となる。

そしてヒモは、時計の9時を指す針のように横へ伸ばし、立ち足がそれを越えないよう目印となる。

立ち足を真横に踏み込めなくなることで、自然と体重は後方へ、そして蹴り足側へと移動するようになる。はじめは腰砕けのようになるが、蹴りやすい助走の角度を工夫させれば、それほど時間をかけずにうまく蹴れるようになるはずだ。

段々と台の高さを低くしてゆき(ハサミで切るとかして)、最終的にヒモを置くだけで蹴れるようになったらもうOK。


ボールの蹴り方は人それぞれで、決まった正解などはないが、それでもとっかかりとなる基本のようなものはある。

「ベコ」とか鳴るゴールキックが一日も早く、北足立郡北部のサッカー場から消え失せることを、心より願っております。

だって、興ざめですから。

目標設定の難しさ

上尾市の平方スポーツ公園へ行ってきました。
上尾市長旗杯という、少年サッカーの大会が開催されていると聞き、観戦に行ってきたのです。
どうも会場はここだけではないらしいことが、平方スポーツ広場へ行ってからわかりました。
他にも、平塚サッカー場が会場となっているらしかったです。

暑いです。

少年野球の大会も隣でやっていて、結構盛り上がっていました。

暑いです。

ユベントスの試合をちょうどやっていました。でも、運動量がまったくありませんでした。
相手の中之条というチームのコーチが南米系の日系人らしく、ベンチからのコーチングが面白かったです。
主審をしていた、白髪タヌキみたいなおっさんの言葉遣いが乱暴で、端で見ていてもむかつきました。
「手ぇ使ってんじゃねえ」
そんな言い方で子供にすごんでどうするんですかねえ?
まあ暑くていらついてたんでしょうけど、あれは大人げないと思いますよ。
それも、ドスを効かせた声で、その子にだけ聞こえるくらいに押し殺した音量でって、あれ完全に脅してますよね。
大人の主審が、子供の選手を、試合中に脅すような形でゲームをコントロールしようというのには、あまり賛成できません。
実際あのあと、あの子は元気なくなったように見えましたよ。

といっても、私も暑くて、ちゃんと試合に集中できていませんでしたけどね。

この時期、全日本少年サッカー大会や関東大会という目標を失ったチームが、どんな目標を設定したらいいのかというのは、けっこう難しい課題だなあと感じました。
今日の大会だって、結局は練習試合だと思うんですよ。練習試合にどうモチベーションを高めて挑むかっていうのは、コーチの腕の見せ所だと思うんですけど、正直、難しいですよね。
どのチームも夏休みに入ると、それこそ毎週どこかのこうした大会に参加してるような状態になると思うんです。
そこでマンネリ化させずに毎試合盛り上げていくにはどうしたらいいのでしょうか。
私なら、モチベーションのよりどころを、外ではなくて内に設定させますね。つまり、大会のタイトルや各試合での勝利(もちろんそれは求めますが、それがまず第一ではなくて)にモチベーションを向けるのではなくて、チーム内での「どういうサッカーを目指すのか具体的に細かく決めて、そのために必要なプレーをひとつひとつリストアップしてひとつひとつできるように挑戦する」とか「各選手にどういう長所を伸ばしてどういう短所を克服するのかを具体的にリストアップして挑戦させる」とか、そんな風に、具体的にリストアップしてそれを個人個人にチェックさせることでモチベーションを維持させるんです。夏休みのドリルとか、夏休みの目標方式ですね。
ただルーチンワーク的にだらだらといつもと同じように練習と試合をこなすだけだったら、夏の後、何も成長していないチームのまんまです。成長期の子供にとっては、何事もマンネリ化が一番よくないです。スポーツでも勉強でも同じです。

全日本少年サッカー大会や関東大会を経験したチームは、ぐんと伸びて秋の4種リーグ後半戦に挑んでくることでしょう。
残念ながら北足立郡北部には、両大会へ参加できるチームはありません。
しかしそこをむしろいい機会ととらえて、チームの個々の力を伸ばし、また同時にチーム全体の約束事を固めるチャンスタイムにしてしまいましょう。
大きな公式戦へ参加するチームには、こうした細かい修正をする余裕はありません。
どうやって勢いをつけて大会に入っていくかだけで精一杯でしょう。なにせ、いくら予選を勝ち抜いた強豪チームとはいえ、相手は小学生の男子ですからね。しっかりしているようでも、まだまだとても弱い部分をたくさんかかえています。大会でいつものようにプレーさせることができるかどうか。常連チームといえども、コーチたちは頭が痛いところでしょう。

梅雨も明けました。
日焼けした子供たちの見せてくれる元気なサッカーを観戦できることが、とてもとても幸せです。

2010年7月16日金曜日

犯人はお前らだったのか

読売新聞のサイトに、「大手小町」という女性向けのページがあるのをご存じだろうか。
わたしは世の中の意見の幅広さを学ぶためにここをチェックするのが趣味のようになっているのだが、そこの「発言小町」というコーナーに、こんなトピックがあるのを発見した。

『道路でのボール遊び、注意しようか悩んでます 』
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2010/0715/331422.htm

トピをご覧下さりありがとうございます。
さて、近所のお子さん(小学校低~中学年くらい)が、家の前の道路でボール遊びをしており、親御さんに注意しようか悩んでいます。
皆様だったら我慢しますか?それとも注意しますか?
忌憚のない意見をたくさん寄せてください。
【状況】
・住宅地で周囲は幼児~小学校をもつ家が大半
・周囲のお宅や車庫にボールが入っている。当たっているかどうかは不明(その家々も問題のお宅の子と年が近い子どもあり)
・問題のお宅と我が家の付きあいは挨拶程度
・ボール遊びの種類はサッカー、バレーボール、ドッジボール、テニスなど・我が家も子どもあり(幼児)
・近くにボール遊び可能なとても大きい公園(市の公園)あり
・早朝からやっていることもあるお子さんに注意したこともありますが我が家の前ではやらなくなっただけでした。
選択肢としては、
A/我が家の前でないから良いとし我慢する。近所に波風を立てたくない。自分の子も将来迷惑をかける可能性もあり。
B/近所の子だからこそ、良くないことは良くないと注意するべき。を検討しています。
道路は交通量はそこそこです。住宅地内ですので。
ボールの音が聞こえるたびにモヤモヤしています。皆さんならどうしますか?また、対処する具体的なやり方もご教示ください。


この呼びかけへ寄せられた回答・アドバイス・コメントの中から、私が「お前らだったのか」と思わずため息とともに呟いてしまったものをいくつか抜粋して紹介します。
太字にしたのは私です)

学校に一度苦情の連絡を入れたら、そこの先生に「お気持はわかりますが、子供は元気に外で遊ぶのが一番というのはご理解いただけないでしょうか?」などと筋違いな回答をもらっちゃいました。(ゆかり)

お気持ち、分かります。でも、ご近所でしたら後々に我が子へ仕返し等も怖いですよね
そもそも道路ですので、その子供達も危険です。
私の場合、自治会(町内会)役員へ相談して、自治会からのお願いとして回覧版で「危険にて禁止」となりました。言いだす勇気が無ければ、無記名で自治会へお願いしてもいいし。または、管轄交番へ相談して、危険回避の為にと注意してもらってもいいし。ボール遊びしている時にパトロールにきてもらい言ってもらう。(もも)

注意しても逆ギレする人間さらに遊び続けたり何が悪いと開き直ったり、食ってかかってくる人間もいるので直接言うのは勧めません。自宅すぐ前じゃなくても壁や門、車庫にボールがぶつかる可能性はあるし通行もします。通行時に、多少でも気を使わないとならないしボールにぶつかるかもしれないボール遊びをしていなければ、使わないで済む気も使わないとならないし
(中略)
ボールが使える公園があるなら迷惑していることを別の所に言って遊び場で遊ぶように言ってもらっていいと思います。(yuri)


何で問題を大事(おおごと)にしちゃうんだろう?
子供がサッカーボール蹴ってたら、お巡りさんに注意してもらいましょうって、いったいどこのモガディシオ(ソマリアの首都:サッカーは反イスラムだとして、南アW杯を観戦していた若者2人が銃殺された)だよ。
どうりでどこの公園にも「ボール遊び禁止」って立て札が立ってるわけだ。みんなコイツらの活動の結果だったんだな。
そのくせ子供が家の中でばっかり遊んでるのも嫌なんだろ?
こういう女の子供は、ぜひとも引き篭もりになってDV全開の元気なお子さんに育って欲しい。
家の中でボコボコにされてても、家の外にはな~んにも聞こえないんだろうね。

「学校へ苦情って、、、あんた大人だよね? 毛、はえてる?」と、面と向かって聞いてみたいね。
家の前で遊ばれるのが迷惑なら、ちゃんとその子にそう言ってやればいいだけだろうが。
そう言われることで、その子も学んでいくんだよ。
「逆ギレ」って、yuriさんさあ……、世の中を怖がりすぎ。ふつうに事情を伝えれば、開き直る子供なんていないって。
「そこは公道だけど、家の中に音が響いてうるさいから、悪いんだけど違う場所で遊んでくれる? ごめんね」とかって言って、アイスかジュースかスイカでもくれてやれば、子供らは「ごめんなさい。すみませんでした」って頭下げて、アイスくわえながらどこかに走っていっちゃうって。小学生のガキなんてそんなもんだから。だって、そいつらには、どうしてもそこでなきゃだめな理由なんてないんだから。たぶんそこがスペース的にも適度で、子供の判断では安全に思えただけだと思うよ。だいたいさあ、毎日毎日何時間もやってるわけじゃないんだから、道路工事でもしてると思って気にしなきゃいいんじゃねえの? なんて私は思うんだけど、そんなことちょっとでも言ったらメチャクチャ切れるんだろうな。ネットに悪口書きまくりで、この発言小町に「筋違いな回答」とかってトピック立てられたりして。

子供が元気じゃなくなったとか、外で遊ばないで家の中でゲームばっかりしてる、とかっていうのの原因は、子供自身の変化や公園整備の問題じゃなくて、この手の大人たちにあるんじゃないかなあ。
学校の先生も、警察のお巡りさんも、大変だなあと社会人として心から同情する。
そらストレスでエロ犯罪もしたくなるわって、それは絶対にダメです。
そんなことではなく、少年サッカーの鬼コーチとなることでストレスを発散してください。
宜しくお願いします。

祭りだ! 祭りだ!

昨日今日(2010年7月15日(木)、16日(金))と桶川の中山道祭りで、明日明後日(2010年7月17日(土)、18日
日))は上尾の中山道祭りだ。そして7月17日(土)と18日(日)は、2010年度上尾市長旗杯も開催される。会場は全日本少年サッカー大会の県南大会会場ともなった平方スポーツ広場だ。
久々に北足立郡北部地区の少年サッカーでも観戦に行こうか、なんていうつもりでいるのだが、なにせ暑い。
確かあの平方スポーツ広場には、日陰になりそうな観戦ポイントがまったくなかったような気がする。
グラウンドの周囲には、藪があって、その中を小川が流れていたような……。蚊がいるな。それも恐ろしいくらい。
明日の予報は晴れ。「大雷雨の危険有り」なんていうことをいってる予報士もいた。
大雷雨、、、怖そうだ。
特に、埼玉県の西部から北部にかけてが危ないらしい。
平方はギリギリ影響を受けそうな位置なんだよな。
川越から荒川あたりを雷雲が通過して、そのはじっこにひっかかりそうなんだよ。
雷は怖いなあ。
明日、どうしようかなあ。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』
岩崎夏海(いわさきなつみ)著 
ダイヤモンド社 1600円 
2009年12月3日第1刷発行


5年前に死んでしまったピーター・ドラッカーは、世の中が不況になる度にブームがやってくる経営学者だ。
ビジネスマン向けの自己啓発本という、新しい分野を開拓した先駆者と言っていい。
実はドラッカーが語っているその内容は、実際の経営やビジネスの現場にダイレクトに応用できるようなものではない。
宮本武蔵の『五輪書』のようなもので、読んでいるときは「おおなるほど!」と納得し、開眼したような気がするのだが、実際の場面に出来くわすとかなり心許ない。真剣勝負の場では、「戦いに勝つとは~」よりも、筋力や技量や武器の差といったものが勝敗を決するからだ。K-1チャンピオンvsマニラの改造拳銃を持った小僧の闘いで、K-1チャンピオンに賭けるのはお金をドブに捨てるようなものだ。
ビジネスの話に限っても、まあ中国の経営者でドラッカーに傾倒している人はいないだろう。それでも中国経済は絶好調だ。

とか言いつつも、私はこの手の自己啓発的ビジネス本が嫌いではない。いやむしろかなり好きな方だろう。

「仕事の価値とは」あるいは「働くことの意味とは」のようなテーマは、ドラッカーの思想の根幹となっている価値観なのだが、私はこの手の話が大好物なのだ。

こんな例え話があった(と思う)。
大規模な教会建設現場(わたしは勝手にサグラダファミリアだろうとイメージして記憶している)で作業中の石工に「何をしているのか」と聞いたのだそうだ。

(石工たちは、忙しいのに邪魔すんじゃねえ。お前はキリストかっつうの。ぶん殴られないだけでも幸運と思え。とかって思いながらも、さっさと追っ払うために仕方なく──)

1人目の石工は『母ちゃんとガキどもにメシ食わさねえとな』と答えた。
2人目の石工は『仕事』と答えた。
3人目の石工は『ぼくは世界一の教会を建てているんだ!』と答えた。
最後に、奥の方で作業していた4人目の石工が答えた。
「俺はみんなの心のよりどころをつくっている」

4番目の石工は「かっちょい~」、けど扱い辛そうだよなあ、とずっとひっかかっている例え話だ。
腕が良さそうなのは1と2。彼らは仕事も早そう。3は、張り切ってる分、失敗が多そうなんだよなあ。そして4は、正論を盾に妥協しないタイプなような気がする。俺は4みたいな人の仕事が好きなんだけど、仕事を頼む側の立場になったら使いたくない職人だよね。お前のその思いは、お前の家で発揮してくれって。

でも人生ってのは、生まれたときのほぼゼロだった基準点から出発して、いつかなんらかの価値を創り上げるだろうプロセスだと思ってるわけさ、俺は。
自分の価値観を築き上げ、それと社会が求める価値とをぶつけ合いながら、歪(いびつ)だった自分を整形していって、社会にフィードバックすることで、自分も社会も豊かになっていくことを理想とする世界観。これが俺が考えている、この世に自分が生まれたことの意味。

何のために働くのか? 
飯を食うためとか、金を稼ぐためとか、他人から敬われる地位につくため、とかっていう実利的な理由だけじゃあ、自分がこの世に生まれてきたことの理由になるだろうかって俺は思うわけさ。それって自分じゃなくてもいいよね? 他人がやっても同じこと(だって徳川家康だったり、ビル・ゲイツとかっていうまったくの他人が、すでに天下を取ったり、世界一の資産家になったりしちゃってるわけじゃん。実利的な理由が人生の価値だとするなら、彼ら以外の人間の人生には彼ら以下の価値しかないってことになる。でもそんなことはないはずだと俺は思っているわけで、そうなると自然に、自分が生きていることの意味は実利的な理由にあるんじゃない、ってことになる)にわざわざ「自分」の人生を費やすだけの価値があるのかっつう話だ。 
仕事を通じて新しい価値を生み出し、それによって自分自身が成長するのが、人生の醍醐味なんじゃねえの? って俺は思うわけ。

これってサッカーにも通じると俺は確信してる。
「サッカーの価値とは」「サッカーをすることの意味とは」「何のためにサッカーをしているのか?」
まあサッカーじゃなくてもいいんだけどさ。
西日本の若い女子ゴルファーが高校生の時に言ったそうじゃん、部活で懸命に頑張っている同級生を見下げて、
「プロのないスポーツであんなに一生懸命になる理由がわからんわ。アホちゃう?」
つまり「無駄だ」と言ったわけだ。
俺からすれば、お前の存在がムダだ。まあ向こうに言わせれば、「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。おほほほほ」ってとこで、カエルのツラにしょんべんだろうが、それでも俺は、ここのところは譲らない。

道端の石ころにも価値はあるのだ。
聖書には「隅の親石」という話がある。これは、誰かが捨てた石が大きな家の礎石となることもある、とかいう内容だったと思う。
レギュラーじゃない子が一生懸命練習することはムダじゃない。

最後に、この本に、わざわざ購入するまでの価値はありません。
読むのなら、誰かから借りるか、図書館を利用すれば十分です。
購入するなら、親本の
『マネジメント』 P.F.ドラッカー著 ダイヤモンド社 2000円+税
の方がいいでしょう。
『もし高校~』とは差額400円あるけど、内容は比べものにならないくらいに濃いものです。
カルピスの原液と、カルピスウォーター以上の違いがあります。

2010年7月15日木曜日

頭が良い人の頭の中

昨日(2010年 平成22年 7月14日 水曜日)の朝日新聞経済面に、原油先物価格の記事が出ていた。
原油の先物価格のチェックにはうるさい私としては、かなり腹立たしい予測となっていたので、ここに記録としてコピーしておく。

asahiドットコム記事より-----------

原油90ドルに上昇の可能性も 今年後半、米流出事故で日本エネルギー経済研究所は13日、今年後半の原油価格の見通しを発表した。国際指標となる米国産WTI原油先物価格は現在75ドル前後で推移しているが、メキシコ湾の原油流出事故の影響で80~90ドルに上昇する可能性があるとしている。
 事故を受け、米政府は新しい安全規則を打ち出すなど深海での原油開発の規制を強めており、こうした動きは他の産油国にも広がっている。最近では深海の油田開発が原油生産の増加分の3割を占めているため、規制強化によって世界の原油生産能力が2015年までに1日あたり90万バレル程度低下する可能性があるという。将来の供給減少を見越して、市場で買いが進めば、原油価格の上昇をもたらすと分析している。
 ただ、ギリシャの財政危機に端を発する金融不安で世界経済が停滞すれば、60ドル前後まで低下する可能性もある、と指摘している。
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90~60ドルの幅の予測ってのは、はたして予測と呼んでいいのか?
サッカー日本代表のワールドカップでの成績予測で、本大会ベスト4~アジア予選落ち、なんて予想を出したら、次からその評論家に仕事はないだろ。違うか?
この予測を出した日本エネルギー経済研究所ってのがどんな組織なのかと思って調べてみたら、なるほど、ずいぶんとぬるい組織みたいだってわかった。
まあ典型的な天下り財団ってことだ。
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財団法人日本エネルギー経済研究所理事長 
内藤 正久(ないとう まさひさ
1938年(昭和13年)2月20日 -72歳 )。元通商産業省産業政策局長。
1993年(平成5年)12月:通産省退官。
1994年(平成6年)9月:三和銀行常勤顧問。
1997年(平成9年)1月:伊藤忠商事株式会社顧問。
1997年(平成9年)7月:伊藤忠商事株式会社代表取締役専務。
1998年(平成10年)4月:伊藤忠商事株式会社代表取締役副社長。
2000年(平成12年)4月:伊藤忠商事株式会社取締役副会長。
2001年(平成13年)6月:明治製菓株式会社取締役。
2003年(平成15年)6月:横河電機株式会社取締役。
2003年(平成15年)6月:財団法人日本エネルギー経済研究所理事長。
2006年(平成18年)6月:エスペック株式会社取締役。
2006年(平成18年)6月:日本工営株式会社取締役。
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ここに就職するのはさぞ大変なんだろうと想像される。
給与や、福利厚生も、日本トップクラスの待遇なんだろう。
研究員には、お受験ママがよだれをたらして身もだえするような、非の打ち所のない、日本でも最高の学歴の持ち主ばかりがそろっているはずだ。
その連中が出した予測がコレ。
原油価格が今年後半までに60ドル以下とか、100ドル超えをする可能性はほとんどない。
あるとしたら、それはパニックが起きているということだ。気象にたとえれば、天変地異が起きているような状況だ。
つまり原油価格の予測で、60~90ドルっていうのは天気予報で「明日は、晴れまたは曇り、もしくは雨の日が多いでしょう」と言っているようなもので、こんなののどこが予測なんだっつう話だ。
こんな財団法人は、さっさとお取りつぶしにしてしまうべきだ。
それもしないで消費税増税とはほざいてんじゃねえぞ!

昔っからオランダ人はそうだった

2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会決勝戦でのオランダはひどかった。
とても相手のスペインを、同じフットボーラーとしてリスペクトしているとは思えないようなラフプレー、ダーティプレーの連発だった。
まあこんなのは、今に始まったことじゃない。
オランダ人ってのは昔っからそうだったのだ。長崎の出島の歴史や東南アジアでの植民地政策史を知っている人には常識の範囲の話だ。

ヨーロッパでは、オランダ人とベルギー人ってのが、とにかく嫌われている。
二度もヨーロッパを火の海にした、ドイツ人なんかとは違うタイプの嫌われ方だ。
ちょっと検索して見ただけでも、こんなサイトが上位に来た。

国の不思議2:オランダ人は嫌われ者だった!
http://blog.livedoor.jp/akakak1/archives/19497494.html

オランダ人はさらに、「礼儀がない・マナーが悪い」というイメージもあるらしく、Dutch uncleと言えば「やたらと厳しく批判する人・非難する人」という意味に使われる。He talks to people like a Dutch uncle(あいつは偉そうに批判ばっかりする奴なんだよ)なんて使い方をする。さらにDutch courageになると「酒の席でのカラ元気」のことになってしまうのだ。ここで少し解説をしておくと、本人のいない場で人の批判をしたり、悪口を言ったり、また、酒が入らないと本性が出ないような男が「根性なし」であり「男らしさに欠ける人間」なのだという信念が、西洋の男性にはあるので、これらは非常にきつい皮肉なのである。British Gentlemenからするとオランダ人はどうも「汚い奴ら」だと思われてしまうようだ。

Dutch 「オランダの」「オランダ語・人」Dutch を使った英語の偏見に満ちた表現
http://www.eigo21.com/etc/kimagure/058.htm

Dutch act 自殺Dutch auction  値段を下げるオークションDutch bargain  アルコール類を値切ることDutch comfort  冷遇Dutch concert  酔っ払いの騒ぎDutch courage  アルコールによる空元気Dutch crossing  斜めに道路を横切ることDutch defence 見せかけの防御Dutch generosity ケチDutch headache 二日酔いDutch gold イミテーションの金(きん)Dutch roll  ダッチロールDutch treat 割り勘 (動詞 go Dutch 割り勘にする)Dutch widow 娼婦Ducth wife  ダッチワイフdouble Dutch 訳のわからない言葉

よくクライフに冠される「フライング ダッチマン」にしても、あれは決して褒め言葉ではなくて、もともとオランダ商人を指して「根無し草」だとか「逃げ足が速い」とか「よそ者」という意味で使われていた旧い表現だ。渡り鳥のように、どこからかやって来ては、(好き勝ってして)またどこかへと旅立っていく、それがオランダ人。奴隷商人として、世界中の女子供の売買をビジネス化したのもオランダ人が最初なのだ。面白いことに、植民地化や奴隷ビジネスを展開したヨーロッパの国はいくつもあるが、現在になっても根深い病根が残ったままになっているのは、オランダとベルギーが植民地化した地域だけなのだ。どれだけ地域の文化を破壊し、人材を枯渇させたのがか想像される。

オランダはチューリップの国でかわいい?
とんでもない、経済史に名高いチューリップバブルなんてのは国全体が豊田商事になったようなもので、取引の実態や顧客獲得のやり方なんかは、かわいいというよりもおどろおどろしいものだったのだから。

まあとにかく、オランダ人には気を許すなってこった。

サイドバック考

内田がドイツのシャルケ、長友がイタリアのチェゼーナへ移籍した。
これまで中盤とフォワードの選手は海外に行ったことがあるが、サイドバックの選手の海外移籍はこの2人が初めてとなる(奥寺のあれは、サイドバックというんだろうか? もしそうなら奥寺以来ということになる)。

2トップ布陣が一般化してウイングというフォワードのポジションが消滅して以来、サイドバックの仕事においてはオーバーラップの重要性がぐんと増した。今後は1トップをとるチームが増えると予想されるので、サイドバックにおける守備の重要性はますます減っていくだろう。

少年サッカーの8人制では、サイドバック的なポジションというのは存在するのだろうか?
GK1、DF3、MF3、FW1というのが一般的な布陣になると想像するのだが、実際はどうなのだろう?
DF3、MF2、FW2では中央がうすくなるし、DF2、MF3、FW2ではタテパス1本で簡単に裏をとられそうだ。
むしろ、DF4、MF3、FW0、にするくらいの割り切りをした方が、チームとしては安定するような気もする。「全員がFWの意識を持て!」なんて煽ったりして、実態はドン引きポゼッションのスルーパス狙い戦術だったりするチームが好成績を残すんだろうなあ。

8人制だと、サイドの使い方がうまい選手なんてのは絶対に育たない。
サイドを攻め上がって、中にセンタリングする意味なんてなくなるんだから。
サイドでボールを受けたら、ゴールライン際に追い込まれる前に、中へと切り込んでいくことが求められる。
みんながみんな、スペインのセルヒオ・ラモスみたいなことができればいいけど、結局は中盤が拡大したような展開のサッカーが多くなるのだろう。中村俊輔みたいな選手の方が生きるように思える。サイドを突破するんじゃなくて、サイドでためを作ってパスを狙うような選手、そういう選手。
プレッシャーがなくなるから、足下のうまい選手はボールキープしやすいだろうし、スピードのある選手は裏を狙いやすい。レギュラーとなる選手も、ディフェンス力よりはパス回し力が優先されて選抜されるだろうから、ますます守備の圧力は弱くなる。
サイドのスペースを使う理由がなくなるってことだ。中央突破を狙うサッカーで、充分に勝っていける。

サイドの選手は、今後育たないことが予想される。
そういう意味でも、長友と内田の両選手には活躍してもらいたい。
こうなったら、彼らのプレーの魅力で、サイド志向の子供たちが育ってくれることを願うしかないからだ。
なぜなら、私が個人的に、両サイドを使うサッカーが好きで、そういうチームの試合をたくさん見たいから、それだけの理由なのだが。

2010年7月13日火曜日

ブルースリーが語る武士道

以下の動画で、ブルースリーが闘いに向かう心構えについて語っています。
映画の一場面ですけど。

水は自らの形を持たず、コップにそそがれればコップに、急須にそそがれれば急須になる。
勝ち方ばかりを知りたがっても勝てない。
負け方を知ること。どのように死ぬかを突き詰めれば怖さがなくなる。
水のように己を無(空)にできる。
そのような心で闘いに挑めば、自然と勝ちは見えてくる。

こんなような内容です。
これって完全に『葉隠』の武士道ですよね。
ブルースリーは空手家とも親交があつかったらしいですから、おそらくは日本の武道家からの影響でしょうね。想像ですけど。
勝ち方ばかりを教えるのではなく、負け方を学ばせることも大事なのだという指導法は、少年サッカーの育成にも通じる哲学だと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=KhzQI_DCJIo

2010年7月12日月曜日

ワールドカップとチャンピオンズリーグ

昔から何度となく交わされてきた論争が、はたして代表チームとクラブチームではどちらの方が強いのか、である。
例えば今シーズンでいうと、ワールドカップベスト4のスペイン代表、オランダ代表、ドイツ代表、ウルグアイ代表と、UEFAチャンピオンズリーグベスト4のインテル、バイエルン、バルセロナ、リヨンが闘った場合、最も強いのはどこかという話題だ。

総当たりのリーグ戦にするか、さらにホーム&アウェーにするか、あるいはトーナメント形式にするか、という問題は置いておいても、そもそも選抜チームと選抜される側のチームが同じ大会で競うことはフェアなのか、という問題が大前提として横たわっている。
つまり、メンバーが重複するスペイン代表とバルセロナが、ベストメンバー同士で対戦することは現実的に不可能ではないか、ということだ。これは他のチームにも当てはまる。要するに設問の前提がフェアではないのだ。
身近な大会で思考実験してみれば明快な話だ。
国体の県選抜チームが、高校選手権の県予選に出場することはあり得ない。日本代表が、Jリーグや天皇杯に参加することもあり得ない。他のシェフの美味しい料理をピックアップして集め、「はい、これが最高の料理です」と料理コンテストに参加したら、即失格になるのと同じ理屈だ。こうしてみれば、悩むまでもない話なのだ。

設問として成立していない問題で答えを出そうとしても、そもそも正解が出るわけないのだから、いくら考えても決着するわけがないのだ。

【結論】
選抜チームと、選抜される側のチームを比較すること自体が無理。

ワールドカップはスペインの初優勝で閉幕

2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会の決勝戦は、延長戦後半イニエスタのゴールでオランダを1-0で破ったスペインの優勝で幕を閉じた。スペインは初優勝。
今回、スペインはいくつものジンクスを破った。
・ヨーロッパのチームは、ヨーロッパ以外の大陸では優勝できない。
・初戦に敗れたチームは優勝できない。
・直近のヨーロッパ選手権(EURO)で優勝したチームは、ワールドカップで優勝できない。
所詮ジンクスは「後付け」にすぎないってことなんだろう。

スペインが優勝したことで、今回のワールドカップは救われた。
もしもオランダやドイツ、そしてブラジルあたりが優勝していたら、サッカー界でますます「フィジカル派」が幅をきかせることになったと予想できるからだ。そうした意味で、スペインが優勝してくれて本当によかった。

セルヒオ・ラモス、イニエスタ、チャビ(シャビ? どっち?)、シャビ・アロンソ、ビリャ(ビジャ)、ペドロ、セスク・ファブレガス、ダビド・シルバ、あたりに憧れて、プレーをマネする子供がたくさん出て欲しい。あるチームのサイドバックをしてる子が、憧れの選手にブラジルのマイコンをあげたときは言ってやりたくなったものだ。「マイコンが日本にいたら、サイドバックやってないから」っと。体が大きくないとダメだ、みたいな先入観を払拭する手助けに、今回のスペイン優勝は役だってくれるはずだ。

大きくなきゃダメ、東大を出てなきゃだめ、美人じゃなきゃだめ、こんなことを子供が口にするような社会は病んでいる。
小が大を制す、たたき上げがエリートをやりこめる、外見よりも内面が大切、世の中こうじゃなきゃ楽しくないし、ドラマも起きない。

子供たちを指導されている方々には、例えばイニエスタに憧れている子供に対して、形じゃなくてハートをマネしろと言ってあげて欲しい。
「でかい奴くてラフなディフェンスをしてくる相手に対して、逃げるんじゃなくて向かっていくんだ。イニエスタが逃げたか? チャビがバックパスしたか? ビリャがシュートするのをやめたか? 顔にボールが飛んできたからって避けるんじゃない。そんなのはアイドル志望の女の子がすることだ。男なら逃げるな。闘え。向かっていけ。相手が強そうだから逃げただと? ならお前は弱そうな相手にしか立ち向かわないのか? そんなのは卑怯者のすることだ。そういうやつはサッカーに向いてない。隅に行って母ちゃんのオッパイでも吸ってろ」
思春期に入りかけの男の子には、この「母ちゃんのオッパイでも吸ってろ」というセリフが非常に効果的なのだ。へたすると、こう言われた場面を一生忘れられなかったりする。
ここ一番というところでビシッと使うと、その子ががらりと変わったりする魔法のフレーズだ。
ただし安易に連発すると効果がなくなるばかりか、エロだとかセクハラだとかママさんたちからクレームが来たりするので、両刃の剣でもある。
しかしそれでも、下ネタ系の煽り言葉は、思春期に入りかけの男の子たちを指導するときうまく使いこなしたい、魔法の武器なのである。外国、それも欧米やラテン系の地域では、男の子を育てるとき、父親やコーチは下ネタや思いっきりの差別表現をはばかることなく使う。人種差別的表現だとか、外見的な特徴に基づくような表現、親の出自、歴史、そんなのを当たり前のように使ってののしられ、罵倒される。言われ続けているうちに、いつの間にか慣れっこになってしまってどうとも思わなくなるのだが、はじめて海外でこういう経験をしたジュニアやユースの年代の子の中には、これに耐えられないで帰国するような例も多い。
そこまではいかないまでも、こうした刺激的なフレーズを上手に使って、効果的に子供たちのハートに火をつけたり、叱咤激励したりして欲しい。
草食男子なんてのは一網打尽に絶滅させないと、日本がつまらなくなってしまうから。
そうした意味でも、闘牛の国、マタドールの男たちが世界一になったことは、とてもとても喜ばしいのです。
(ドン・キホーテの国でもありますが……)

2010年7月11日日曜日

参院選について考えてみた

自民党は勝ったわけだから、今の体制はそのまま。谷垣総裁&大島幹事長体制。
民主党は大敗したわけだから、今の体制のままではいられない。
【理由】
責任を取らないリーダーの言うことに従う人は少ないから。これは民主党員に限ったことじゃなくて、官僚でも一般国民でも同じ。何を言っても「あんたは国民から認められてませんから」ってことで聞く耳を持たれない。与党内にそれを跳ね返せるような支持基盤があれば持ちこたえられるけど、菅代表と枝野幹事長にそれはない(要するに、居座れないってこと)から、実質的な政治生命はとりあえず今日でいったん終わりってことになる。

【連立の相手】
みんなの党、公明党、のどちらかか、両方とということになる。
どちらも消費税増税には大反対。
選挙中から小沢前幹事長が公然と菅執行部の消費税論議に反対してたのは、たぶんこのことを見越してのことだろう。つまり、連立を組む大義名分は
『(国民を苦しめるような、そして日本経済をデフレに落とすような)消費税の増税をせずに、日本の景気を良くするために協力する』
しかないからだ。
連立を組んだあと、
「民主党は選挙中に消費税増税をうったえていましたよね」
という質問を受けたとき、
「私ははっきりと反対していた」
と答えられる証拠として、テレビ取材が来てるときにわざと反対を表明したのでしょう。
こういう風にかなり遠目にも布石を打っておくところが、妖怪とか、したたかとか、しぶといと言われるゆえんなんだろうなと感心する。でも後でこれに気づいた方は、はめられたとか騙されたと感じるかもしれない。歴代の政治家でずば抜けて敵が多い理由のいったんは、こういうところにもあるのだろう。

10パーセントへの消費税増税を掲げた自民党は、公明党に自公の協力関係から離脱する口実を与えたようなものだ。こういうところを見ても、谷垣・大島体制は正直だけど賢くないなあと思ってしまう。公明党が離れたら、結局参院でも少数野党になっちゃうのに。そうなったら「解散に追い込むぞ!」も何も雲散霧消の夢物語になってしまうってことがわかってなかったとしか思えない。

民主+みんな+公明+国民新の連立政権が誕生したら、野党は自民党と社民党と共産党という「旧い政党」だけになる。これはいろんな面で厳しい。そうなると自民党は選挙に勝ったにもかかわらず、クシの歯が抜けるようにポツポツと一本釣りされて、気づいたときには草刈り場と化している危険さえある。選挙は勝てばいいってもんじゃなくて、勝ち方も非常に大事だ。今回勝った結果、谷垣・大島体制が存続することになったことが、自民党にとって凶とならかければいいのだが。

【政権にとっての不安定要素】
小沢前幹事長に対する、第二回検察審査会の結果がどうなるかが、国をゆるがすくらいに重要だ。
高齢で、敵も多く、人気もなく、裏で汚いことをしてそう、という昨今のビジュアルポリティクス時代には最も合わないタイプの人材だが、なんだかんだいってやるときは結果を出してくれるだろうという圧倒的な存在感のある人材でもある。
結局のところ、この人が国のトップに立たないと、日本は次の段階へ脱皮できないんだろうと思う。
最悪な事態は、健康問題とか検察審査会の結果とかで、もやもやっとしたまま小沢前幹事長が表舞台から消えていってしまうことだ。そうなるとおそらく、小沢氏についていたグループがこの国の不安定要因となるだろう。
大昔、日本リーグの時代には、力のある選手が自分のシンパのグループを作って、監督よりも横暴をふるっていたようなチームもあったように聞いている(これは別に、ヤンマーの釜本選手だとか、読売クラブのラモス選手だとかを指しているわけではなく、そういう話もあったなあくらいの遠い記憶ってことです)。そういうチームは、そのリーダーの実力が衰えてくると、あるいはリーダーがいなくなると、途端にバラバラになってしまう。民主党もそうなりかねない。もしそんなことになったら、民主党が割れて、自民、民主A、民主B、という中途半端な政党ができることになって、ますます日本政界は混迷してしまう。こうなったらもう何も決められないし決まらない。

【最終的には】
最終的には、民主党は形を変えた自民党になる。政治家が国民の代表である限り、民主主義国日本における与党の本質は変わりようがないからだ。日本という国の最大公約数が与党なのだから。

【民主党に期待すること】
人権擁護法案だとか夫婦別姓とかよりも、毎年3万3000人も自殺者が出るような世の中をどうにかして欲しい。
小学校年代から準備をしないと合格できないような国立大学があるなんてのは、本来あってはならないことであって、それは公教育制度のどこかが根本的に間違っていることの証なのだということに気づいて欲しい。

【綸言汗の如し】りんげんあせのごとし
『漢書』に出典のある言葉で、幼い皇帝が遊んでいたとき「お前を××国の王に任命しゅる」とか言ったら、皇帝であってもその言葉を取り消すことができなくなって、本当に王に任命する事態となったとかっていう逸話が元になってる(はず)。
綸言ってのは君主の言葉って意味で、君主が一度発した言葉は汗の様に流れ出て二度と戻らないよってこと。
麻生、鳩山、菅と口の軽いトップリーダーが続いたから、次はそうじゃない人をお願いしたいなあ。今さっきテレビで見た岡田外相は、顔の血色がやけに良かったなあ。

2010年7月10日土曜日

第22回参議院議員選挙 2010年 平成22年 夏

明日は参議院議員選挙だ。
去年の夏の総選挙まではあれほど連呼されていた「マニフェスト」という言葉をとんと聞かなくなった。
新聞紙上でも、「各党のマニフェスト比較」のような特集を目にすることもない。
もうやめちゃったんだろうか?
そもそも、民主党の菅総理は、なんで消費税を上げるなんて言い出したんだ?
政権交代から、少なくとも4年は上げないんじゃなかったのかよ民主党。
高速道路は無料にして、子供手当は一律2万6千円、農家には個別所得保障を導入するんじゃなかったのかよ。
ホント、アマチュアだよなあ、考え方っつうか覚悟がさ。趣味の範囲。
プロだったら、請け負った仕事は何としてもやり遂げろよ。
簡単にあきらめて、「やっぱできないっす」じゃあ、もうお前のとこに仕事は頼まないよ。

なんかどこかの国には、ワールドカップでベスト4を目標に掲げて「接近・展開・連続」「人もボールも動くサッカー」を公言し、公約した監督さんがいたらしいが、それってどうなったの? って話とそっくりじゃないか。

就任会見の時には
「人もボールも動くサッカー。日本人がこれから世界と戦う上である意味、ラグビーでもよく言いましたが、接近、展開、継続というようなコンセプトは変わらないと思っています。ボールと人が動いてできるだけコンタクトを避けた状態で、しかしボールに向かっていく。ディフェンスも待っているんじゃなくて、こちらからプレッシャーをかけていく。これは変わりません」
とかほざいてた。

結局さあ、出来もしないことをホラふいてただけじゃんか。
もし家庭教師だったとしたら、第一志望(ベスト4)に落ちて、第二志望(ベスト8)にも落ちて、どうにか志望の学部じゃあないけど(つまりベタ引き、セットプレー狙いのサッカー)第三志望(ベスト16=グループリーグ通過)には合格したつうようなことじゃん。これでどうして「名家庭教師(名将)」ってことになるんだよ。
受け持ったときには
「私に任せておけば大丈夫。彼には力があります。今はまだ、彼本来の能力を発揮できていないだけです。詰め込みはダメ。考える力を付けることが一番の早道なんです」
とかいって高い授業料を取っておいて、受験日間近になったら
「こうなったらどこだろうと受かることが大事。なりふり構っちゃいられない。とにかくここからここまで暗記しろ!」
ってねじりはちまきで尻を叩きながら、志望校のランクを下げて、過去問研究に注力するようなもん。そこには当初の理想なんて微塵もない。
でも口は最高にうまいんだよなこういう家庭教師って。
頭は良いんだよ。親に取り入るのもうまい。でも肝心の、子供の学力を伸ばす能力はむしろマイナスなんだよなあ。使えないつうか、かえって混乱させて無駄足を踏ませて、回り道させる。子供だって納得してないと思うんだよね。
「そうするんなら最初からそうしてくれてれば、僕はもっとがんばれたのに」
って思ってるはずなんだ。
親は、自分のバカな子を、ちゃんと合格させてくれて感謝感謝。
家庭教師は、元々こんなバカな子は、全滅しても当然だったのに、俺のとっさの判断と経験があったおかげでどうにか合格させることができた。俺ってなんて優秀なんだろう。満足満足。
でも受験生であった子供本人は、僕が行きたかった学校・学部は違うのに。僕だってがんばったんだ。ホントはもっとがんばれたんだ。でも家庭教師の先生が、俺の言う通りにしてないと落ちるぞって脅かすから言う通りにしたのに、結局行きたい学校には入れなかった。合格した学校レベルになら、僕の力だけでも十分入れる自信があったんだ。やりきった感じがしない。もやもやしてる。納得できない。あの家庭教師は、結局僕の足を引っぱってただけなんじゃないかなあ。

つまりはさ、こういうことだ。
政治家は、日本国民の足を引っぱるんじゃねえよ。
監督は、選手の足を引っぱるんじゃねえよ。

とにかくさ、面倒くさい理屈とか正論はいいから、今一番日本で力のある政治家が総理大臣をやってくれよ。

またいつもの朝日新聞

朝日新聞 朝刊 2010年 平成22年
7月10日 土曜日 サッカー

『西村主審が示した「J=国際基準」』
FIFA審判委員 上川徹さん 審判を語る

---以下抜粋---
先日27日は審判がクローズアップされる日となってしまった。ドイツ-イングランド戦で、ゴールラインの内側に入ったイングランドのランパードのシュートが認められなかったが、あれを人間の身体能力と動体視力で確認するのは厳しい。
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上川審判の特徴は、思い込みの強い独りよがりなレフェリングと、己の未熟さ、無知さ、過失を認めないで、自分を変えることのない確固たる自信にあるのだが、こういうコラムのちょっとした一文にあらわれる頭蓋骨の中の様子を知ってしまうと、サッカーという分野を離れて、ひとりの大人として、「もう少し勉強しましょうよ。いまからでも遅くないですって」と言ってあげたくなる。
上川さん、丸いバーにあたって下に落ちたシュートが、バウンドしてもう一度バーに当たってプレーエリア(ゴールの外)に戻ってきたってことは、ボールはバーに当たってから広角にはねたってことですよね。つまり、ボールがバウンドした位置は、ゴールエリアの中(バーよりも向こう側)しかありえないです。わかりますか? 身体能力とか動体視力とかは関係ないです。完全に知力の問題です。
断面が四角い形のバーであったり、ゴール間近からの真上に近い角度でのシュートとかなら、ほぼ真下のライン上ではねて再度バーに当たるということもありえますが、ランパードのシュートみたいな軌道で飛んできたボールが、そのようなバウンドをすることはありえません(ライジングシュートのたぐいの魔球なら、ありえますが)。
この説明くらいじゃあ、上川審判にはまだむずかしいのかなあ。

『南ア日記 熱狂は持ち帰ったのに』 富田祥広
コラムの内容は、試合の終わった会場はゴミだらけであることを嘆くもの。
---以下抜粋---
(前略)祭典が似合う素晴らしい競技場ばかりだった。なのに、客席では残念な光景を見た。ペットボトル、コーヒーの紙パック、ホットドッグやスナック菓子の袋、ブブゼラ……。どの競技場でも、試合後の客席にはおびただしい量のゴミが散乱していた。飲み残したビールや炭酸飲料を床に垂れ流して帰る者もいた。日本人は別、とはいかなかった。日本代表の試合後、サポーターたちが陣取った客席にもゴミの山。「どうする、これ?」「もう使わねぇから置いとけよ」──。敗退が決まったパラグアイ戦後、あるカップルは座席の下に日の丸の小旗を捨てて立ち去った。熱狂の記憶に水をさすようだが、僕が見たW杯の一コマである。
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「水をさすようだが」と断りつつ、はなから「一番ダメなのは日本人」「愛国心といっても、若者にとっては日の丸を平気でゴミにする程度のもの」がいいたいだけのアサヒのコラムだ。
Jリーグを見に行っても、試合後の観客席にゴミが落ちていることはまだまだある。先日、埼玉スタジアムであった少年サッカーの大会でも、試合後の観戦席には飲み物のストローやおにぎりの包みなどが落ちていた。子供もいたし、モラルの低い親もいるだろうから、そうしたことはどうしてもなくならない。大事なのは、それに気付いたとき、自分がどうするかなんじゃないだろうか。
落とした本人がわかるときは「落とし物ですよ」「忘れ物ですよ」と一声かけるのもいいだろう。私の場合は何も言わないで、自分が片づけられる範囲で掃除をする。ゴミが落ちていることを不快に感じているのは、私の個人的な問題だと思うからだ。
道端でウンコをしている犬を見かけたとき、犬に「そんなとこでウンチすんな」と言う人は少数だろう。ふつうは、その犬を連れている人間の方へ「片づけお願いしますね」と言うか、その人がちゃんと片づけてくれることを祈りつつ、その場を通り過ぎるか、あるいは土をかけて埋めるか、だろう。
だがもしその犬が野良犬だったらどうだろうか?
声をかけて犬に注意する人はさすがにいないだろう。日本の犬はダメだ、とフン慨する人もいないだろう(富田氏以外は)。せいぜい、土をかけて埋めるくらいが関の山だ。私だってそうだ。
私がなぜそうするのかというと、自分が歩いている道端にウンコが落ちている光景を目にするのが、不快だからだ。あるいは、何もしないよりも、何かした方が、精神的に心地よいからだ。たとえ実効性のない、自己満足で独りよがりな行為だったとしても、とりあえずちょこっとちぎった草の葉で覆い隠すくらいのことをしただけで、何となく心地よい。ただそれだけのことであって、要するに、つまり、やっぱり、これは、まったく個人的な都合でしかない。
タバコの吸い殻のポイ捨てには非常に腹が立つ。しかし、もしもカラスがどこかからくわえてきたタバコの吸い殻をポンッと目の前に置いていっても、私はそれほど腹は立たないような気がする。むしろ「おお、こんなことがあるのか。あのカラスが吸ったタバコだろうか」などと感心するかもしれない。

ゴミを捨てた人に向かって「ゴミを捨てるな」と注意するのは、注意ではなく要求だ。「私が不快なのでそこへはゴミを捨てるな」という非常にエゴイスティックな要求なのだ。
いや共同体の一員としての義務ではないか、という考えもあるだろう。私もそう思う。だがそのゴミを捨てた主体が、はたして自分と同じ共同体の一員なのか、それを確かめる術がない。なんとなく日本人のように見えるが、実は、野良犬かカラスかもしれないではないか。野良犬の尻にウンコを詰め戻そうとしたり、カラスを追い回して吸い殻を拾わせようとしても、あまりうまくはいかないと思う。かえって噛みつかれたり、突かれたりしてこっちがケガをする可能性もある。野良犬やカラスにしてみれば、「はあ? 何でお前の命令に従わなきゃならんのよ?」ってとこだろうから。

南アのスタジアムでゴミを捨てていく存在に対し、この富田という記者は、どういう行動を取ったのか聞いてみたい。
記者は嘘つきだから、いや訂正、私はこれまで嘘つきじゃない記者に会ったことがないので想像するに、もし「それでそのとき、あなたはどうしたの?」と訊ねたら「ちゃんと注意したさ」とか「全部私がかたしましたよ」くらいのことは、しらっと言うかもしれない。しかしこのねちねちと「日の丸」のことを言いたいがための文書を書いた人物であることから推察すると、何もしなかったんだろうなと、私はほぼ確信している。それどころか、この出来事が本当にあったことなのかすら、かなり疑わしいと思っている。
特に会話のやりとりは相当に怪しい(パラグアイ戦のPK戦で敗退したあとの会話として、どうなんだろう?)し、さらに私の認識からすれば、今回わざわざ南アフリカまで応援に行ったくらいのサポーターにとってみれば、そのときに振った日の丸の小旗は、他の物は忘れてもこれだけは絶対に持って帰るっていうくらいの大切な記念品だと思うのだ。

「南アフリカのパラグアイ戦で振った日の丸。PK戦で勝利を信じて降り続けた日の丸。彼女、彼氏と一緒に振った日の丸」それを会場に捨てて帰るかなあ。小旗だからたいして荷物にならないと思うんだけど。どうにも作り話っぽいんだよなあ。

捨てられていた「おびただしい量の」ゴミの中にペットボトルがあったって書いてあるけど、持ち込み可だったのだろうか?

富田祥広さん、あなたは飲み残したビールや炭酸飲料をどうしてるんですか? トイレまで持っていって、中身を流してから、容器をゴミ箱に捨ててるんですか? そしてそれを、他の人にも要求してる、と。
まさか紙面で記事にしただけで終わり、ってことはないですよね。ね、富田祥広さん。

2010年7月9日金曜日

なんでこんなに特別あつかいするのかわかんないっす。

岡田監督は「日本サッカー界の財産」 犬飼会長、総括報告を要請  2010.7.9

日本サッカー協会の犬飼基昭会長は9日、W杯南アフリカ大会で日本を16強に導いた岡田武史監督に月内をめどに大会の総括報告を求め、今後の強化指針策定に活用する意向を明らかにした。技術委員会による報告と合わせ、次期代表監督選考の判断材料にもする方針。犬飼会長は「ああいう雰囲気を肌で感じ、(1998年フランス大会と合わせて)2回も経験している日本人は1人。日本のサッカー界の1つの財産」と話した。
 退任を表明している岡田監督とは帰国後初めての面会。今後についての話し合いもしたようだが、中身については「まあ、言わない方がいいかな」と言葉を濁した。
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大会後に、雇われた監督が、雇い主である協会へ報告するのは当たり前のように思う。
わざわざ要請しないとならんようなもんなのか? いったいどんな契約内容だったんだろう?
2回も経験してるって、そうしたのは協会じゃん。それになんでそれが「日本の財産」ってことになるんだ? まあ負債も財産、不良債権も財産だから、どういう意味で「財産」って言ったのかわからないじゃないかと言われればそうなんだけど、でもこれまでの発言から推測して、ほぼ間違いなく犬飼会長は「宝」という意味で「財産」って言ってるんだろうな。
財団法人ってのは、やっぱ腐ってんなあ。

中学受験

小学6年生の子を持つ家族の中には、中学受験をひかえてこの夏が勝負だと意気込んでいる親子も多いことだろう。
たとえ第一志望に合格できなかったとしても、選抜される経験、そして選抜されるための準備に懸命となる経験は、その後の生き方に大きくプラスに影響する。
それは努力によって自分の能力は高まるのだという経験であり、あるいはがんばってるのは自分だけじゃないということを知る経験でもある。そして辛いことではあるが、どれほどがんばっても叶わない望みもあるのだということを知る経験となる子も生まれる。
こうした経験を積んだ子と、ただ遊んで夏休みを過ごした子とでは、たとえ結果は同じ公立中学校へ進学したとしても、そこでの3年間の過ごし方には大きな差が生じるであろうことは容易に予測できる。

同じことは、ジュニアユースのセレクションを受けさせるかどうかにも言える。
もっとも、何の準備もさせないで受けさせては効果薄だが、それでも受けさせないよりはずっといい。
しかし私は、親も一緒になって、中学受験をする子と同じように、セレクションの為の準備をしてから、実際のセレクションを受けた方が、その子の経験値をはるかに高めることができると思っている。
会場の下見であったり、どういう形式で行われるのかを情報収集したり、また自分の子の得意不得意を見極めたりして、長所を伸ばして短所を補うにはどうすればいいかを一緒に考えたりする。これだけでも充分に楽しいではないか。
お父さんお母さんは、自分の子が30メートル走、50メートル走、100メートル走を何秒で走るのかを知っているだろうか。
正確な身長体重、足のサイズ、股下の長さを知っているだろうか。垂直跳びが何センチなのか、1000メートルを何分何秒で走れるのか、そういうことを知っている親はまずいない。しかしおそらく、自分の子をオリンピック選手に育てたいと考えている親や、イチローの親や、石川遼の親は、知っていただろう。彼らはそれくらい自分の子に関心があっただろうからだ。

中学受験をサポートしている親が、自分の子が勉強しているのかどうかとか、テストの成績はどう変化しているのかとかに興味がないということはあり得ない。よっぽど自分の子が成績優秀で、何の心配もなく第一志望に合格できると確信しているくらいの実力があれば別だが、たいていはそうじゃない。
サッカーでジュニアユースのセレクションを受けようと思っている子の親たちも、同じようにサポートしてみたら、思春期を迎えた子育ても充実すると思うのだがどうだろうか。
サッカーの技術は教えられなくても、車や巻き尺で、走る距離を計ってあげることは出来るし、腕時計のストップウォッチでタイムを計ってあげることも出来る。スタートの合図を送ることもできるし。シュート練習やトラップ練習をする子に、ボールを投げてあげることも出来る。テニスボールでボレーシュートやヘディングの練習したいという子には、テニスボールを買ってあげることもできるし、それを投げてあげることも出来る。
自分がどういう姿勢でプレーしているかをチェックしたいと言う子には、携帯のムービーで撮ってあげればいい。
夏休みにこれだけはやるっていう目標と毎日の計画表を作らせて、家の目立つところに張り出してあげるのもいい。

結果として合格するとかしないとかは、本当はそれほど大事なことじゃないと私は思っている。
それよりも、明確な目標を置いて、そのために計画的に段階を踏んで努力する、準備する、という経験を積む方がはるかに大事なのではないだろうか。
そしてもし、結果が自分の望むものでなかったとき、それを昇華できるようにするための経験を積むこともできる。
学生時代に何もしないでいて、社会に出てから、あるいは社会に出られないで途方にくれている若者たちを見るたびに、かわいそうだなと思いつつ、その一方で、永遠の夏休みなんてないってことはわかってたはずだろって言いたくなっている自分もいる。

今、小学6年生の子は、来年の今ごろは中学1年生になっていなければならない。
出来れば高校-3年生、あるいは大学-6年生、あるいは社会人-10年生(言い換えると、社会人になったときはすでに社会人10年目としての準備ができている状態)、くらいの気概があると頼もしい。
決して小学7年生にしてはいけない。
それは間違いなく、親の責任である。
そのための手口のひとつとして、ジュニアユースのセレクションは使いようによっては使い道があると私は思っている。

攻撃的と守備的

サッカーでそのチームが攻撃的なのか守備的なのかは、マイボールの時に自陣ゴール前にいる人数でわかる。
少年サッカーレベルだと、守備的なチームでは、自分たちのコーナーキックだというのに4人以上残っているチームもあったりする。相手のフォワードは1人だけだというのに、4人で何を用心しているというのだろうか? どんだけ恐がりなんだよって話しだ。
攻撃的なチームはマイボールになった途端に、自陣ゴール前ががら空きになったりする。将棋で言うと、自玉周辺をスカスカのままにして、敵玉を落としにかかるような戦術になる。

今回のワールドカップでの、アルゼンチン・ドイツ戦が典型なのだが、攻撃的だから得点が多い、守備的だから得点が少ない、とは限らない。むしろカウンターになった時のスカスカ度合いが大きい分、守備的な戦術をとった方のチームが多く得点したりするのが昨今の状況だ。そういえば今年のチャンピオンズリーグもそうだった。

実は、攻撃的な戦術をとっているチームの得点が少なくなる傾向もでてきている。
攻撃的であるためには速攻を捨てなければならないからだ。
一見納得できないかも知れないが、言い換えてみるとなぜそうなるのかがわかる。
速攻をするためには相手ディフェンスラインの裏にスペースがあることが必須となるが、スペースを作り出すには、自陣へ相手を引きこまなければならない。つまり、前に多数の攻撃人員を置いて敵ディフェンスを後ろへ固定化してしまうような状況をつくってはいけないのだ。これは攻撃的であるための条件と明らかに矛盾する。

そもそも「攻撃的」とは「得点を取る」こととは異なる概念だ。
「攻撃的」「守備的」というのは、戦術というよりも哲学に近い。対して「得点を取る」「失点を防ぐ」というのは合理性の範疇に入る。前者は「サッカー」について考えているのであって、後者は「勝敗」について考えている。

ブラジルのFWルイス・ファビアーノはこう言っていた。
「どんなサッカーだったかなんて、一ヶ月もすればみんな忘れてしまう。残るのは、どっちが勝ったかだけさ。だから俺は勝つことにしか興味はないね」
ブラジルはとっくに負けてしまった。なるほど、確かに今大会のブラジルのことが後々語られることはないかもしれない。ルイス・ファビアーノのサッカーを覚えている人もいないだろう。しかし、同じラウンドで負けてしまったアルゼンチンのサッカーについて、ああだこうだ語る人は世界中にいるし、それは時間が過ぎてもいなくなりはしない。決勝戦でもしスペインが負けたとしても、彼らが見せてくれたサッカーのことは、誰も忘れないだろう。

マラドーナが未だに史上最高の選手として語られ、強烈な存在感を示しているのは、史上最も勝利したからでも、最も得点したからでもない。そのことについてルイス・ファビアーノはどう思うのか、ぜひ聞いてみたいものだ。
サッカーは記録のスポーツじゃない。記憶のスポーツなのだ。

2010年7月7日水曜日

名言備忘録 ことわざ

明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)

明日があると思っていると、桜の花がはかなく散るようにチャンスを失うことになる。
人の命のはかなさ、世の無常なことをいう。

朝に紅顔ありて夕べに白骨となる(あしたにこうがんありてゆうべにはっこつとなす)

朝、健康そうな顔をしていた者も、夕方には死んで白骨になることもある。
人の生死ははかりしれない。世は無常である。

月に叢雲花に風(つきにむらくもはなにかぜ)

月が出ると幾重にも重なった雲が覆い隠し、花が咲くと風がそれを散らす。
好事にはとかく故障が起こりやすいこと、浮き世のままならぬことのたとえ。

十日の菊六日の菖蒲(とおかのきくむいかのあやめ)

九月九日は菊の節供、五月五日は端午の節供。それぞれ一日遅れた菊と菖蒲を指している。
時期に遅れてしまって間に合わないことや、役に立たないことのたとえ。

問うに落ちず語るに落ちる

人に訊かれるときには用心しているが、自分から語るときにはうっかりしてしまうこと。

巧言令色少なし仁(こうげんれいしょくすくなしじん)

言葉巧みで人に気に入られようと表情を取り繕っている者は、儒教の道徳である仁が欠けているということ。

思うこと言わねば腹ふくる

思うことを言わないでいると、腹の中に物がたまっているようで気持ちがさっぱりしないということ。

もの言えばくちびる寒し秋の風

自慢したり、人をそしったりしたあとは、なんとなく空しい気持ちになる。
なまじ余計なことを言えば、そのために災いを招いたりもする。

断じて行えば鬼神も之を避く(だんじておこなえばきしんもこれをさく)

あえて断行するならば、鬼神でさえもこれを妨げないものである。決心して断行すれば、何物もそれを妨げえない。

進み立つ方に障りなし(すすみたつかたにさわりなし)

正しいと信じて断行すれば、障害は起こらないものだ。

燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)

ツバメやスズメのような小さな鳥には、オオトリやコウノトリのような大きな鳥の志はわからない。
小人物には大人物の考えることや志はわからないということ。

針の穴から天を覗く(はりのあなからてんをのぞく)

針の穴から空を見て、それを空の全体であると考えること。
自分の狭い見識を基準にして、広大な世界の物事について判断を下すこと。

鬼も十八番茶も出花(おにもじゅうはちばんちゃもでばな)

醜く恐ろしい鬼も、年頃にはそれなりに美しく見え、番茶も煎れ立ての時はおいしい。
どんな醜い女でも、年頃になればそれ相応に美しくなる。

老いて再び稚児になる(おいてふたたびちごになる)

老人となり、理解力、判断力などが衰えて子供のようになる。もうろくして幼児のようになる。

笑う顔に矢立たず

笑顔の者には矢を射かけられることがない。笑顔で接して来る者に対しては、憎しみも自然に解ける。

塞翁が馬(さいおうがうま)
「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」ともいう。

人生の幸不幸はまったく予測がつかないことのたとえ。
塞翁とは「とりで(塞)のそばの爺さん」という意味。爺さんの馬が逃げちゃった(アンラッキー)、そしたらその馬がすごくいい馬を連れて帰ってきた(ラッキー)、爺さんの息子が調子にのってその馬に乗ってたら落馬した(アンラッキー)、そしたら戦争が起きたんだけど落馬の負傷のせいで戦に取られず無事だった(ラッキー)。
このように、物事のラッキー・アンラッキーなんてものはどうなるかわからないのだから、そんなことを気にしても無意味なんだよってこと。
あるいは、不幸に思っていることが実は幸運なのかもしれないぞ、ということ。

禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)

禍(不幸・不運)のかげには福がよりそい、福のかげには禍が隠れている。

あなたの知らないマリノスタウン

先月マリノスタウンへ行ったときに思ったのが「これって日本的な光景だよなあ」ってことだった。
この写真は少年サッカー用のD面への入口手前から撮影したのだが、左にある白い四角がゴールで、写っていない右側にマリノスタウンの建物がある。こちらを威圧するように対面にそびえているのはマンション群。
こんな環境でサッカーをしてる子供たちなんて、世界広しといえどもここだけじゃないかな。都会の中の公園で、というのは珍しくないだろうけど、これほど整備されたサッカー専用練習場でっていうのは、かなり珍しいと思う。

こっちは空撮写真。左やや上のだ円ビルの右にある緑色をした台形の空き地がマリノスタウンで、中央の逆蓮の花か押し出されたばかりの心太(ところてん)みたいなビルの群が、上の写真のマンション群だ。
こういう写真を見ると、私はすぐ「上下水道はどうなってるんだろう?」と思ってしまう。特に下水道の設計を想像するとワクワクする。
いったんどこかの地下貯水池に溜めてから、ポンプで組み上げて、貯水池を点々と移動しながらその作業を数回繰り返して、ようやく汚水処理場まで落としてるんだろうとは思う。
一次貯水池は、周辺でもっとも低い位置に設置しなければならない。それに貯水池の上に重量構造物を建てることは出来ない。となると、写真の範囲で最も可能性が高いのは、画面下部のコスモワールドの大観覧車『コスモクロック21』の地下だろうか。
みなとみらいのマンション群&ビル群から排出された全汚水の溜められている巨大地下タンクの上にある巨大観覧車という光景がシュールで面白い。
ま、本当にそこにあるのかは知らないけどさ。

2010年7月6日火曜日

練習試合は難しい。

[ 2010Jリーグプレシーズンマッチ 草津 vs 浦和 ]

ハンプティーダンプティースペシャルマッチ
ザスパ草津vs浦和レッズ
2010年7月5日(月)19:00キックオフ
正田醤油スタジアム群馬(群馬県敷島公園陸上競技場<前橋市>)

スタメン
GK:山岸
DF:サヌ、山田暢、坪井、宇賀神
MF:細貝、山田直、柏木、ポンテ
FW:原口、エジミウソン

SUB:大谷、濱田、高橋、堀之内、啓太、セルヒオ、高崎

試合結果
ザスパ草津3-1(前半2-1)浦和レッズ
得点者:17分高田(草津)、23分後藤(草津)、25分ポンテ(浦和)、66分ラフィーニャ(PK)(草津)

浦和はオーストリア合宿の疲労が響き、J2最下位の草津に大敗した。アウェーのプレシーズンマッチで1-3の大敗。4-1-4-1の新システムで臨んだが、パスミスを連発して速攻を食らい、攻撃面でも2点を追う前半24分にMFポンテが直接FKで奪った1点に終わった。1日に帰国したばかりで時差ボケの選手も多く、DF山田暢は「今日の試合は参考にしないでほしい」と疲労困憊(こんぱい)だった。
(ニッカン)
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練習試合は難しい。
試合の目的が明確じゃないからだ。
こういう厳しいコンディション下での練習試合で見たいのは、選手個々の集中力や判断力だ。この2つの能力は、厳しい条件になればなるほど、個々のポテンシャルが表面化してくる。
時差ぼけや疲労のたまっている状態で、気持ちが切れてしまうような選手や、判断が遅くなる選手、自分のコンディションやチームのコンディションを考えて工夫することのできない選手、そしてトラップミス、キックミス、ポジショニングミス、ドリブルミス、こういうイージーミスを繰り返す選手、こういう選手はもう伸びシロがないと思っていい。
伸びる選手というのは、苦しいときにこそグングン伸びるものだからだ。
楽なときしか動けないのはおじいちゃん。桶狭間における、今川と織田の違いだ。あの戦(いくさ)だって、ベストコンディション下だったら今川が勝ってたかもしれない。しかし天下を取ったのは織田だ。

ある程度体力がついてくるジュニアユース以上の年代になったら、真夏の熊谷合宿、なんてのも殻をやぶるきっかけになるかもね。
小学生年代でそれをやるのは狂気の沙汰、児童虐待以外の何物でもないものすごく危険な行為だけど、体力がついた年代でなら、充分に準備した上で取り入れるのも私は悪くないと思う。

2010年7月5日月曜日

英雄時代の終焉

もう二度と、英雄の時代はやってこないだろう。
それほどに、守備の戦術は極められつつある。
守備と攻撃が一体化した守備戦術。
ボールを奪う形から逆襲までの一連が、ユニットとして構築されている。
そこには個人が「考えている時間」などない。
システマチックに、一気に敵陣深くまで逆襲し、決定的な形でのフィニッシュを狙う。

そのフィニッシュにしても、止めて、キーパーの位置を見て、DFをかわして、コースを狙ってシュート、とかではない。事前に設定したスペースとタイミングを合わせることだけがそこでは必要とされる。それが合えば得点、合わなければまたはじめから繰り返しだ。

神奈川県の全少予選で、パーシモンというチームが、これの極々初歩のパターンを見せていた。
カウンターに入れそうな位置でボールを奪うことができたとき、まずセンターではっているトップに渡し、ボールを受けたトップは、それを止めず、ダイレクトでサイドのスペースへはじく、そういうパターンだった。そこには「考える」時間的余裕などはない。誰かが約束通りサイドへ走っていれば、決定的なチャンスになるし、誰もいなければ敵ボールになってまたやり直しだ。

極めるといっても、それはさほど難しい話ではない。
今回のワールドカップでもほとんどの国ができていたような簡単な約束事で、サッカーではかなり効果的な守備力を手にすることが出来る。

現代守備戦術の原則第1は、最終ラインを保持し続けることである。これが基本となる。
昔のように、相手のトップにマーカーがついていったりはしない。とにかく最終ラインの保持と、距離感を守ることに専念する。
相手選手へプレッシャーを掛けるのは、前線と中盤の選手の仕事となる。
相手選手の横と後ろからプレッシャーをかけ、袋小路に追い込むようにして、最終ラインの選手がボールを奪う。
前線と中盤の選手が前後へポジションチェンジすることはあっても、左右方向でのダイナミックなポジション移動はしない。
こうすることで、奪ったボールはまずサイドへ蹴り、サイドで受けたボールはほとんど間をおかずにバイタルエリア及びバイタルエリアの斜め前の位置へ放り込む。ボールを振られたサイドではない側の中盤と前線の選手は、ボールが放り込まれてくるであろう位置へ向かって、一目散に駆け込んでくる。タイミングが合えばこれで得点機を迎えられる。
もし得点機に至らず、途中で相手ボールとなったとしても、最終ラインは保持されているし、クロスを入れた側のサイドの選手らはすでに引いているので、相手から速攻を受け手も対応が間に合わないということはない。

今回のワールドカップでベスト4に残ったチームは、基本的にはすべてこの戦術を採っている。スペインは変形的に、1トップにして中盤の2人も攻撃を中心にしているが、基本は同じ戦術だ。
この戦術をとれば、最終ラインが崩れることが減るので、とにかく流れからの失点が少なくなる。これはどんなレベルのサッカーであっても同じ効果が得られる。
ただし、前線と中盤の選手からのプレッシャーがなくなると、ドリブルやスルーパスで最終ラインをかわされてシュート、という危険が増す。あるいは最終ラインの真ん中の選手が退場になったりして意思疎通に欠けるライン構成になったりすると、ラインの保持に乱れが出てオフサイドの採り損ないから失点、ということもあり得る。

スペインの攻撃陣からすれば、今回かなり堅固に見えているドイツの守備陣も、よだれの出るような相手なのかもしれない。
ドイツの守備陣は、狭い範囲でダイレクトショートパスを駆使してくるスペインの攻撃にはまったく対応できないからだ。
スペインにしてみれば、アルゼンチンのような「狭いサッカー」慣れしてるチームよりも、「形を決めてくる」ドイツの方がはるかに扱いやすいはずだ。今年の09-10CLでのバルセロナと対戦したシュツットガルトを思い返してみて欲しい。あるいは、ロッベンのいないバイエルンを想像してみて欲しい。
ドイツはインテルがやったように、徹底して引いて、カウンター一発を狙ってくる。それしか勝つ方法はない。
もちろんスペインもそれをわかっている。挑発され、いらついたドイツ選手が早々に退場する展開もありそうだ。
スペインが圧倒的にボールをキープするも、バイタルエリア外からのシュートばかりで得点入らず。
無得点のまま延長PK、となる可能性が最も高いと、私は予想している。

もう一方のオランダ・ウルグアイ戦も守備的になる。
しかしスアレスのいないウルグアイに勝つチャンスはほとんどない。
可能性があるとすれば、PKで得点して、あとは守りきるという展開か。



これからの子供たちの体の成長には極端なばらつきが出てくる。
小学生のままの子もいれば、突如中学生みたいになる子もでてくる。
中学生みたいな子を相手に、小学生のままの体格のDFがこれまで通り1対1で勝負しても、それはあまり意味のない結果となるだけだ。体格の大きな子が技術的にもいいものを持っているというなら、それに対処することで体の小さな選手が得ることもあるかもしれないが、ただ体が大きいというだけの選手に向かっていっても、日曜にサッカー素人のお父さんと遊んでいるようなもので、私にはあまり意味があるとは思えない。
それよりも、ワールドカップでさえ守備戦術花盛りなんだから、これはドイツがやってる守備のやり方なんだぞ、とか言って、子供たちに「頭を使うサッカー」というものの扉をノックさせてあげる良いタイミングとして利用してはどうだろうか。


サッカーでの個人技=ドリブルだった時代は終焉しました。
今後、今回のワールドカップで採用されていたような守備主体のサッカーが一般化してくれば、ドリブラーなど無用の長物化してしまいかねません。ウインガーが絶滅したように、ドリブラーという種族も絶滅してしまうでしょう。C・ロナウド、メッシ、テベス、ロビーニョ、といったレベルのドリブラーでさえあのざまなんです。日本人のドリブラーなんて、どこまで極めたとしてもたかが知れてます。
これからの個人技は、ボールを取られない力、走る力、そして考える力、の3つの総合力ということになるでしょう。最後の考える力を10代の間に身につけないと、日本人選手は海外へと飛躍できません。
ボールを取られない力はラテンの選手たち、走る力はアフリカの選手や韓国の選手にかなわないんですから。
でも頭の中は、幸運にも日本人が世界で最高のものを持っているんです。大昔に海を渡ってくれたご先祖様に感謝です。
「サッカー頭」「サッカー脳」を育むには、できるだけはやいうちから戦術的にサッカーを理解する環境に慣れさせた方が効率が良いんです。将棋や囲碁、そして受験準備みたいにです。
まだはやい、なんていうのは昔の育成の考え方。個人技を身につけるにはリフティングだ、なんていうくらい昔の育成の時代の話です。
最終ラインを構成しているDFはむやみに飛び込まないでラインを保持し、プレッシャーは後と横から、他の選手がかける。ボールを奪ったら、即座にサイドへ。同時に逆サイドはポジションを押し上げる。
これを徹底させることで、戦術というものの第一歩を経験させてあげると、子供たちのサッカーを見る目がステップアップして、理解や興味も増す、かもしれませんよ。
ぜひお試しあれ。

2010年7月4日日曜日

2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会の終焉

アルゼンチンが負けたら、なんかもう見る気がなくなった。
ドイツ、オランダ、スペインらが戦う試合なら、ヨーロッパ予選とか欧州選手権の方が、応援やピッチや審判レベルや気候、時差の条件がそろうのではるかに高いレベルのサッカーが観られる。
何もバサバサの芝生のアフリカワールドカップで見る必要はない。
こうなったら、スアレスが出場停止となるウルグアイを応援する。
徹底的に守って、PK戦で勝ち上がって欲しい。内容なんてもうどうでもいい。

2010年7月3日土曜日

テレビ観戦は無音声で

僕はテレビでサッカー観戦をするとき、音声をゼロにする。
元Jリーガーだろうが、元日本代表監督だろうが、ベテランNHK実況アナウンサーだろうが、「俺はおまえの思い込みなんか聞いてないから」というのが僕の基本姿勢だ。
ちょっと想像してもらえれば、わかってもらえると思う。
映画館で、隣に座った、元アカデミー俳優だとか、ブルーリボン賞監督だとか、カンヌ受賞監督だとかが、くどくどと持論をひとりごちたら、あなたは「ありがとう」と言うだろうか? 僕なら確実に「うるせえぞ、くそじじい」と鼻の穴に指を突っ込んでしまう。こういうたぐいは、うっかり殴るとすぐ警察にチクるから。

無音声で観戦していた僕には、終始オランダのプラン通りに試合が運んだように見えていた。
前半早々のブラジルの得点にしても、バカ解説者は「ブラジルペースですね」みたいなことを言っていたみたいだけど、本来のブラジルのペースっていうのは、前半終了間際とか、後半に入ってから得点して、相手が押し込んできたところをカウンターで追加点っていうパターンだと僕は思うんだ。
あんな試合開始早々に得点するなんてのは、まったくブラジルペースじゃない。
あの得点によって何が起きたかというと、オランダは「どっちにしても勝つには1点以上必要なんだから」と冷静になってしまった。あげく、「もう1失点もできない」と、守備の集中力が格段に増してしまった。
ブラジルがポゼッションしていたのは、オランダが、ブラジルにカウンターをさせないようにペースを落とさせ、カウンターに使えるスペースを作らせないようにしていたからであって、決してブラジルがしたいサッカーができていたからじゃない(そんなこともわからないテレビ解説者の話なんか聞かなくてよかった。面白さが激減するからね)。

後半になって、オランダが同点にして、その後はもうブラジルに攻め手はなかった。
何よりカカが不調すぎた。
テレビで見てるド素人の僕がイメージするそのままのところにしかパスしないんだから、もうどうしようもない。
ルイス・ファビアーノにいたっては、試合に出ていたのかさえわからない。
マイコン? 誰それ? どの人?
ダニエウ・アウベス? もっと練習しましょう。
ルシオ? 仕事した?
ロビーニョ? ヘタクソ。お前はブラジル系アメリカ人かっつうの。

と思って見終わり、音声をオンにしたら、ブラック・エンジェル福西までが「前半はブラジルペースだった。オランダは幸運だった」みたいなことを言ってる。頭が頭痛で痛いっつうの。
あえて言うなら、この試合でブラジルペースだったのは、後半の出だしからちょい過ぎた10分間くらいだけだった。

思い返してみて欲しい。
ブラジルが勝つには、あの前半の1点を守りきる展開しかなかったとは思わないだろうか?

結局のところ、煎じ詰めて言えば、カウンターをするスペースのない展開になった時、今回のブラジル代表には攻め手がなかったってことにつきる。中盤にタメを作れる選手のいないブラジル代表なんて考えられないのに、ドドンガ監督はそういうブラジル代表をワールドカップへ連れてきた。さすがにおでこが狭いだけのことはある。おそらくワールドカップで当たる相手は、みんなブラジルにカウンターのチャンスをくれると思っていたのだろう。脳みそあるのかっつう話なんだけど、僕はそういうことは言わない。運が悪かった。あるいはレフェリーに問題があった。と、そうしておこう。ブラジルのテレビ放送には、リプレーのないことを祈るよ。今日のレフェリーは完璧だった。おい、ちゃんと見てるかブラジル人。盗んだスクーターで、おばあさんの手提げひったくってる場合じゃねえぞ。レジではちゃんと金払えよ。フリスクをポケットに入れて、レジ通って、「上手くいった」とか思ってるんじゃねえぞ。みんなわかってるんだよ。でも、お前らがあまりにも惨めだから、見逃してやってるんだ。むしろ日本人のやさしさに感謝しろ、ブラジル人。
でも、基本、ブラジルから観光に来るブラジル人はいい人ばっかりで好きです。
最悪なのは、出稼ぎに来たくせに、稼がないで悪さする連中。
ホント、お前らどーしたいん? って感じ。

話がそれたけど、テレビ観戦するときは、音声オフ、これおすすめです。
どーしても音を聞きたいときは、ラジオとか、あるいは、1度目は無音声で見て、2度目は音声オン、っていうやり方がまあかろうじて許せる範囲。それでもバカ解説はバカ解説のままだけど、一度自分の目のフィルターを通してるから、そんなに影響はされないかな。

基本、テレビが言ってることだからすべて正しい、なんて思うのは純朴なジュンとホタルだけでいいんです。
むしろ、テレビが言ってることは全部ウソ。
NHKでさえ「書類送検された二宮さん」って敬語を使うような連中なんだから、その程度に思っていた方がいい。
逮捕は書類送検のはるかに前の段階なんだから、当然今後は「逮捕された○○さん」って敬称付きで報じるんだろうなNHKよ。

とにもかくにも、クソ詰まらないサッカーのブラジル代表が消えて、よかったよかった。

2010年7月2日金曜日

熊野神社古墳とUFO

少し前に、熊野神社古墳へ行った。














鎮守の杜の木に、私の大好きなルリボシカミキリがいた。

ルリボシカミキリは美しくてかっこいい。子供の頃は、カブトムシを捕りに行くとよく見かけたものだった。

桑畑によくいたゴマダラカミキリは悪モンで、ルリボシカミキリはいいモンって感じだった。
でかいシロスジカミキリは悪のボス、ラスボスって感じ。


ルリボシカミキリ
(瑠璃星天牛、瑠璃星髪切)

学名「ロザリア」。
日本国のシンボル甲虫。
日本のみの特産種。
Rosalia batesi は、コウチュウ目(鞘翅目)・カミキリムシ科・ルリボシカミキリ属に分類される甲虫の一種。

「瑠璃」という名の通り、鮮やかなサックスブルーの美しいカミキリムシ。
切手にもなっている。
属名にあてられたRosaliaとは美しい乙女を象徴する女性名に由来する。
この美しいブルーの体色は死ぬと急速に失われて赤褐色化していき、標本が生前の美麗さを保つことはない。
主な餌となるのは植物の花粉、果実、樹液などで、シロスジカミキリやゴマダラカミキリのように生木を食害することはない。





































江川の下流で、着陸したUFOを巧みに隠そうとしている現場に出くわした。




強いチーム=ミスのないチームbut伸びる子はミスを怖がらない子

強いチームはミスをしないチームだ。
しかし、子供が伸びるチームはミスを怖がらないチームだ。

ミスがないチームは、効率的に試合を運べるので判断にも体力にも余裕が生まれ、プレーでもいい結果につながる。
しかしその一方で、余裕があるということは限界を超えられないということにもつながる。

ブラジルやアルゼンチンに代表される南米には、育成世代での大きな大会というものがない。
サンパウロなどの下部組織では、意図的に対外試合を制限しているくらいだ。
スカウトも、「どこそこという町の××というチームに良さそうなのがいるぞ」という噂を聞いて、自ら足を運んで、実際に自分の目で見て、本当に噂通りならセレクションを兼ねたチーム練習に誘うという手順を取っている。決して大きな大会で上位に進出したチームだけを大会会場で見て、その中から目立つ子を引き抜くというようなやり方はしない。それはスカウトの求めている能力が、決してその子の「今」の力ではないからだ。

各地の少年サッカー大会を見て感じたのは、強豪とされるチームに共通する、ミスを叱るコーチと、ミスをしない子の多さだ。
もちろん全てのチームがそうだというわけではない。
江南南や大宮アルディージャ、川口のアビリスタ、神奈川県のバディー、などといったチームには子供たちのミスを怒鳴りつけるようなコーチは見受けられなかった。しかしミスを恐れる子は、それらのチームにも大勢いた。
追いつめられたり、少しプレッシャーを受けると、そのチームの中心選手へ単純にボールを集めようとしたり、縦へ縦へという意識ばかりが目立つような、判断とも呼べない機械的なプレーに陥ってしまっていた。それだけ子供たちにのしかかっている「勝利への圧力」「敗戦への恐怖」が強いということなのだろう。
同じことは、今回の2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会での日本代表にも見受けられた。

日本は失敗を許さない社会だ、と言われることがある。
これは日本に限ったことではなく、極東アジア地域に共通する傾向なのだ。
仏教、儒教、道教といった東洋思想が変遷を経て民の肉となる間に、「失敗=悪」そして「悪にはその元となる因があり、また悪はその後もつきまとう」というぬぐいがたい認識が根付いてしまった。
これは「悪」を神の敵である「悪魔」の仕業とし、「失敗」さえも「神のおぼしめし」とするキリスト教やイスラム教の「一神教の根本哲学」とは決定的に異なっている。

一度でも失敗すれば一族郎党全否定される文化と、失敗してもそれは俺のせいじゃないよという文化。
(まあだから、一神教圏には信じられないような怠け者がいるし、東アジアには正確無比で勤勉な人がたくさんいるんだけど)

いい判断、アイデア、プレーには経験が必要とされる。
しかし経験を積むには失敗が必要なのだ。
成功から経験は生まれない。
成功がもたらすのは油断だけだ。

今回のワールドカップで日本代表がグループリーグを突破できたのは、ねばり強く、タフな守備のおかげだ。
その守備を生んだのは、前回のドイツワールドカップグループリーグ第1戦対オーストラリアのラスト5分の大失敗からの経験だろう。
また今回口蹄疫が宮崎県の畜産をほぼ壊滅させてしまうような事態にまで悪化してしまったのは、約10年前の成功体験にその遠因があると私は思っている。

人は、拾った財布のことは忘れても、落とした財布のことは忘れないものだ。
ミスをしない子やチームは、「なぜ失敗したのか」を考える機会の少ない環境で、大事な育成期を過ごすことになる。
弱すぎるチームや、やる気のないコーチの元でサッカーをするのは不幸なことだが、強すぎるチームや選手層の厚すぎるチームでサッカーをすることも、それと同じくらいに不幸なことなのだ。
サッカーはお受験とは違う。
合格すれば終わり、ではない。
ひとりひとりの子供自身が、「大学」そのものとなるような「個性」が必要とされる、めちゃくちゃに「楽しい」世界なのだ。そう、選手ひとりひとりが「世界」であり、チームは「宇宙」なのだ。
宇宙には正しい形も際限もない。宇宙は無限である。
その広大な宇宙に自分という世界を構築しようとしているはずの子供たちが、もしもミスを怖がっているのだとしたら、仮にそれが強制されたものではなく、自発的な無意識下の結果だとしても、私はそれを不幸なことだと言いたい。そんな子供たちが青年になったとき、はたしてどれほどの世界を私たちに見せてくれるというのか。ちいさく無難にまとまった、去年も一昨年も十年前にも見たような、面白みのない世界なのではないだろうか。

サッカー選手の育成ということを考えたとき、小学生年代で強いチーム、レベルが高いとされる環境、でプレーさせることにどれほどの意味があるのか、私にははなはだ疑問なのである。

でも正直、負けるよりも勝つ方が楽しいけどさ。
子供に圧倒的な影響力のある親が、それにあんまり拘泥(こうでい)するなってことです。ハイ。

2010年7月1日木曜日

岡田武史監督、おかえりなさい。

岡田武史監督、おかえりなさい。
厳しい中での闘いぶり、お見事でした。
「魂」をしっかり見せていただきました。
ありがとうございました。

素直にそう言わせていただきたくなうような、すばらしいチームでした。

埼玉県第4種リーグ戦 実施要項抜粋

平成22年度 2010年度 埼玉県第4種リーグ戦 実施要項抜粋


期日 4月24日(土)から11月20日(土)の間とし、4月から7月を前期、9月から11月を後期に区分する。

試合方法 

参加全チームを東西南北の区分ごとに基準1ブロック(組)8チームで49ブロックに分けた、ホーム&アウェーによる、リーグ戦形式。

各ブロック数は、東部11、西部15、南部15、北部8とする。

各ブロック1位チームを第4回埼玉県第4種サッカーリーグ選手権大会の出場チーム(49)とする。

4種リーグ 前半 6月30日時点 各組順位

4種リーグ 前期 6月30日時点

順位 チーム名 勝ち点 残試合


北足立北部
A組
1 ユベントス 17 0
1 ローズ 17 0
3 原市 12 1

B組
1 大石 12 3
2 双葉台 6 5
2 ドルフィンズ 6 2
2 鴻巣ジュニア 6 4

C組
1 小針 17 0
2 富士見 13 1
3 大芦 11 0

D組
1 上尾東 15 1
2 尾山台イレブン 12 0
3 北本東 7 1

前回から変化なし。


さいたま市
A組
1 西浦和 12 1
2 大和田 10 3
3 三橋 6 3

B組
1 尾間木 18 1
2 辻 12 1
2 ネオス 12 3

C組
1 アルディージャ 15 2
2 早起き 12 3
2 はくつる 12 4

アルディージャは一気に試合をこなしたのでしょうか?
それでも結果を出すんだから、やはり大したものだと感心する。


北足立南部
A組
1 和光イレブン 16 1
1 戸塚 16 1
3 川口朝日 12 2

B組
1 プログレッソ 13 0
2 東川口 12 2
3 朝志ヶ丘 10 2

C組
1 アビリスタ 18 1
2 レッツアサカ 16 0
3 柳崎 14 0

D組
1 新座片山 18 1
2 わらび錦 16 0
3 レッツドラゴン 9 0

E組
1 フェスタ 17 0
2 アズマ 11 1
2 三原 11 2

F組
1 蕨北町 16 0
1 安行東 16 1
3 東スポ 11 1

G組
1 FC宗岡 15 1
2 川口ミナミ 10 0
3 上青木南 9 1
3 戸田二 9 2

H組
1 新座エース 16 0
2 いずみ 9 1
2 たけしの 9 2

北足立南部も、前回から変化なし。

英語の社内公用語化

楽天とユニクロが、社内の公用語を日本語から英語へと変更するそうだ。

これらの処置は、将来を見据え企業をグローバル化させていくための積極的な方針というよりも、やむにやまれずそうせざるを得なかった苦肉の策というのが実情だろう。

申し訳ないが、楽天やユニクロといった企業へ優秀な人材を迎え入れることはそう簡単なことではない。

長年続いた景気停滞の影響で、優秀な学生の就職選択はとても保守的なものとなってしまった。若い企業でチャレンジするよりも、自分の能力とこれまでの努力と投資を確実に回収できる『経営が安定していて、社会的なステータスも高く、給与水準も低くない』企業を目指すようになった。倒産しそうになったとき、政府が救済してくれる企業と、見捨てられる企業があることをこうまであからさまに見せつけられたら、そういう思考にならない方がおかしい。そういうリスク判断やコスト計算、情勢分析が的確にできるからこその『優秀』さなのだから。


つまり楽天やユニクロにとってみれば、日本国内で優秀な人材を確保するための努力や投資をしても、成果を得られる可能性は低いということになる。優秀な経営能力のある人材、コンピュータースキルを持った人材、ファッションセンスを持った人材、トレンドを予測できる人材、などが楽天やユニクロに入ろうと思うわけがない。楽天やユニクロの社長をやらせてくれるというなら話は違ってくるかもしれないが、その他大勢の一般社員になってくれと言われても「丁重にお断りいたします」でチャンチャンだ。それに楽天やユニクロは給料安くて休みもないし体育会系的風土が強いし宗教入っているし。


それで仕方なく、海外で人材を確保するしかなくなって、そのための方策のひとつが「社内公用語の英語化」なのだ。外国人に日本語を覚えさせたり、日本語を使える外国人の中から楽天やユニクロへ入ってくれる人材を捜すよりも、日本人にビジネス英語を学ばせた方が早いしコストもかからない。習い事好きな日本人は、自分でコストを負担して、英会話教室へ通ったりしてくれるからだ。これが外国人なら、「こういったことは業務の一環なんだから、会社はコスト全負担、およびそれにともなう時間外手当と負担が増したことへの割り増し給給付、そして有休の追加対応をするべきだ」と、間違いなく要求してくる。

どう考えても、日本人に英語を学ばせた方が、企業にとっては得なのだ。


同じことが日本人サッカー選手にも言える。
「日本人サッカー選手は世界に通用するか」という疑問を私はいたるところで目にし、耳にする。
これは設問がそもそも間違っているのだ。正しい問いは、

「日本人サッカー選手は世界のトッププレーヤーになれるか」だ。

そしてその答えは

「No」

だ。

ここ数十年は、日本人の中から世界のトッププレーヤーは生まれない。これはサッカーに限ったことではなく、他のあらゆるスポーツにも共通することだ。出現するとすれば、勝敗とは関係のない特殊な分野に限定しての世界トップレベルの選手だろう。そうイチローのような。

なぜそうなのかについてはまた別に機会に譲るとして、今回は

「日本人サッカー選手は、十分世界に通用する」

ということについてだけまとめたい。


そこそこボールを扱えて、90分走ることが出来て、戦術への理解もあり、臨機応変な対応もでき、素行の面、モラルの面でも問題を抱えていないサッカー選手であれば、どんなチームであっても歓迎される。もちろん超人的な技術やスピードやパワーがあれば申し分ないが、そんな選手ばかり11人集めてもチームにはならないのだ。しょっちゅう事件やトラブルを起こされても困るし。

さらにさらに、日本人選手には日本の経済力というオマケがついてくる。

それはスポンサーであったり、グッズの売上だったり、放映権だったり、または日本における露出度のアップ、ひいては日本やアジア市場を狙っている他のスポンサーを引き寄せる効果にもつながる、おいしいおいしいオマケだ。ここ数年は三星電子や現代自動車、そして中国企業が目につくようになったとはいえ、まだまだ額全体としての日本企業影響力は図抜けている。


誤解を招くかも知れないが、日本でレギュラーポジションを取れない選手であっても、ヨーロッパに行ってみれば試合に使ってもらえた、となる展開は普通にあり得るのだ。松井という選手も、もしJリーグにいたら、毎年契約でもめて、点々とチームを変えるだけの「ああ、昔いたかも」的な選手で終わっていたかもしれない。

Jリーグには現在33しかチームはないが、世界には何千というチームが存在している。この事実を忘れてはいけない。
海外の方がレベルが高い、というのは大きな誤解であって、

海外にはJリーグよりもレベルの高いチームある

が正解だ。


Jリーグにしがみついていたからと言って、安定した未来など約束されてはいない。それがプロスポーツ選手というものだ。いやプロスポーツ選手に限ったことではない。「安定した未来」という言葉自体が論理矛盾しているのだから。「未来」とは「不確定」だから「『未』だ『来』ず(いまだこず)」なのであって、「不確定」なものが「安定」しているわけがないのだから。

三井物産だって、あの世界のBPだって、メキシコ湾の原油プラント(韓国製にしたらえらいことになった)爆発事故の今後の展開しだいででどうなるかわからない。日航にしても、再来年くらいには第二弾の処理が行われ、破産整理されるかもしれない。大企業だから安心なわけでは決してない(結婚相手探しには有利かも知れないが)のだ。
(もちろんリスクの大きさは段違いだけど、今回それはわきへ置いておきましょう)

平均的な日本人であっても、世界基準からすればそうとう優秀なレベルにあるのだ。
日本人は世界中で求められている。
そうしたことの裏返しが、英語の社内公用語化であるのだとわかれば、
「日本人サッカー選手は世界で通用するのか」
などという疑問は持たなくなる。
日本人ならば間違いなく世界で通用するのだから。