2010年7月1日木曜日

英語の社内公用語化

楽天とユニクロが、社内の公用語を日本語から英語へと変更するそうだ。

これらの処置は、将来を見据え企業をグローバル化させていくための積極的な方針というよりも、やむにやまれずそうせざるを得なかった苦肉の策というのが実情だろう。

申し訳ないが、楽天やユニクロといった企業へ優秀な人材を迎え入れることはそう簡単なことではない。

長年続いた景気停滞の影響で、優秀な学生の就職選択はとても保守的なものとなってしまった。若い企業でチャレンジするよりも、自分の能力とこれまでの努力と投資を確実に回収できる『経営が安定していて、社会的なステータスも高く、給与水準も低くない』企業を目指すようになった。倒産しそうになったとき、政府が救済してくれる企業と、見捨てられる企業があることをこうまであからさまに見せつけられたら、そういう思考にならない方がおかしい。そういうリスク判断やコスト計算、情勢分析が的確にできるからこその『優秀』さなのだから。


つまり楽天やユニクロにとってみれば、日本国内で優秀な人材を確保するための努力や投資をしても、成果を得られる可能性は低いということになる。優秀な経営能力のある人材、コンピュータースキルを持った人材、ファッションセンスを持った人材、トレンドを予測できる人材、などが楽天やユニクロに入ろうと思うわけがない。楽天やユニクロの社長をやらせてくれるというなら話は違ってくるかもしれないが、その他大勢の一般社員になってくれと言われても「丁重にお断りいたします」でチャンチャンだ。それに楽天やユニクロは給料安くて休みもないし体育会系的風土が強いし宗教入っているし。


それで仕方なく、海外で人材を確保するしかなくなって、そのための方策のひとつが「社内公用語の英語化」なのだ。外国人に日本語を覚えさせたり、日本語を使える外国人の中から楽天やユニクロへ入ってくれる人材を捜すよりも、日本人にビジネス英語を学ばせた方が早いしコストもかからない。習い事好きな日本人は、自分でコストを負担して、英会話教室へ通ったりしてくれるからだ。これが外国人なら、「こういったことは業務の一環なんだから、会社はコスト全負担、およびそれにともなう時間外手当と負担が増したことへの割り増し給給付、そして有休の追加対応をするべきだ」と、間違いなく要求してくる。

どう考えても、日本人に英語を学ばせた方が、企業にとっては得なのだ。


同じことが日本人サッカー選手にも言える。
「日本人サッカー選手は世界に通用するか」という疑問を私はいたるところで目にし、耳にする。
これは設問がそもそも間違っているのだ。正しい問いは、

「日本人サッカー選手は世界のトッププレーヤーになれるか」だ。

そしてその答えは

「No」

だ。

ここ数十年は、日本人の中から世界のトッププレーヤーは生まれない。これはサッカーに限ったことではなく、他のあらゆるスポーツにも共通することだ。出現するとすれば、勝敗とは関係のない特殊な分野に限定しての世界トップレベルの選手だろう。そうイチローのような。

なぜそうなのかについてはまた別に機会に譲るとして、今回は

「日本人サッカー選手は、十分世界に通用する」

ということについてだけまとめたい。


そこそこボールを扱えて、90分走ることが出来て、戦術への理解もあり、臨機応変な対応もでき、素行の面、モラルの面でも問題を抱えていないサッカー選手であれば、どんなチームであっても歓迎される。もちろん超人的な技術やスピードやパワーがあれば申し分ないが、そんな選手ばかり11人集めてもチームにはならないのだ。しょっちゅう事件やトラブルを起こされても困るし。

さらにさらに、日本人選手には日本の経済力というオマケがついてくる。

それはスポンサーであったり、グッズの売上だったり、放映権だったり、または日本における露出度のアップ、ひいては日本やアジア市場を狙っている他のスポンサーを引き寄せる効果にもつながる、おいしいおいしいオマケだ。ここ数年は三星電子や現代自動車、そして中国企業が目につくようになったとはいえ、まだまだ額全体としての日本企業影響力は図抜けている。


誤解を招くかも知れないが、日本でレギュラーポジションを取れない選手であっても、ヨーロッパに行ってみれば試合に使ってもらえた、となる展開は普通にあり得るのだ。松井という選手も、もしJリーグにいたら、毎年契約でもめて、点々とチームを変えるだけの「ああ、昔いたかも」的な選手で終わっていたかもしれない。

Jリーグには現在33しかチームはないが、世界には何千というチームが存在している。この事実を忘れてはいけない。
海外の方がレベルが高い、というのは大きな誤解であって、

海外にはJリーグよりもレベルの高いチームある

が正解だ。


Jリーグにしがみついていたからと言って、安定した未来など約束されてはいない。それがプロスポーツ選手というものだ。いやプロスポーツ選手に限ったことではない。「安定した未来」という言葉自体が論理矛盾しているのだから。「未来」とは「不確定」だから「『未』だ『来』ず(いまだこず)」なのであって、「不確定」なものが「安定」しているわけがないのだから。

三井物産だって、あの世界のBPだって、メキシコ湾の原油プラント(韓国製にしたらえらいことになった)爆発事故の今後の展開しだいででどうなるかわからない。日航にしても、再来年くらいには第二弾の処理が行われ、破産整理されるかもしれない。大企業だから安心なわけでは決してない(結婚相手探しには有利かも知れないが)のだ。
(もちろんリスクの大きさは段違いだけど、今回それはわきへ置いておきましょう)

平均的な日本人であっても、世界基準からすればそうとう優秀なレベルにあるのだ。
日本人は世界中で求められている。
そうしたことの裏返しが、英語の社内公用語化であるのだとわかれば、
「日本人サッカー選手は世界で通用するのか」
などという疑問は持たなくなる。
日本人ならば間違いなく世界で通用するのだから。

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