2010年7月2日金曜日

強いチーム=ミスのないチームbut伸びる子はミスを怖がらない子

強いチームはミスをしないチームだ。
しかし、子供が伸びるチームはミスを怖がらないチームだ。

ミスがないチームは、効率的に試合を運べるので判断にも体力にも余裕が生まれ、プレーでもいい結果につながる。
しかしその一方で、余裕があるということは限界を超えられないということにもつながる。

ブラジルやアルゼンチンに代表される南米には、育成世代での大きな大会というものがない。
サンパウロなどの下部組織では、意図的に対外試合を制限しているくらいだ。
スカウトも、「どこそこという町の××というチームに良さそうなのがいるぞ」という噂を聞いて、自ら足を運んで、実際に自分の目で見て、本当に噂通りならセレクションを兼ねたチーム練習に誘うという手順を取っている。決して大きな大会で上位に進出したチームだけを大会会場で見て、その中から目立つ子を引き抜くというようなやり方はしない。それはスカウトの求めている能力が、決してその子の「今」の力ではないからだ。

各地の少年サッカー大会を見て感じたのは、強豪とされるチームに共通する、ミスを叱るコーチと、ミスをしない子の多さだ。
もちろん全てのチームがそうだというわけではない。
江南南や大宮アルディージャ、川口のアビリスタ、神奈川県のバディー、などといったチームには子供たちのミスを怒鳴りつけるようなコーチは見受けられなかった。しかしミスを恐れる子は、それらのチームにも大勢いた。
追いつめられたり、少しプレッシャーを受けると、そのチームの中心選手へ単純にボールを集めようとしたり、縦へ縦へという意識ばかりが目立つような、判断とも呼べない機械的なプレーに陥ってしまっていた。それだけ子供たちにのしかかっている「勝利への圧力」「敗戦への恐怖」が強いということなのだろう。
同じことは、今回の2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会での日本代表にも見受けられた。

日本は失敗を許さない社会だ、と言われることがある。
これは日本に限ったことではなく、極東アジア地域に共通する傾向なのだ。
仏教、儒教、道教といった東洋思想が変遷を経て民の肉となる間に、「失敗=悪」そして「悪にはその元となる因があり、また悪はその後もつきまとう」というぬぐいがたい認識が根付いてしまった。
これは「悪」を神の敵である「悪魔」の仕業とし、「失敗」さえも「神のおぼしめし」とするキリスト教やイスラム教の「一神教の根本哲学」とは決定的に異なっている。

一度でも失敗すれば一族郎党全否定される文化と、失敗してもそれは俺のせいじゃないよという文化。
(まあだから、一神教圏には信じられないような怠け者がいるし、東アジアには正確無比で勤勉な人がたくさんいるんだけど)

いい判断、アイデア、プレーには経験が必要とされる。
しかし経験を積むには失敗が必要なのだ。
成功から経験は生まれない。
成功がもたらすのは油断だけだ。

今回のワールドカップで日本代表がグループリーグを突破できたのは、ねばり強く、タフな守備のおかげだ。
その守備を生んだのは、前回のドイツワールドカップグループリーグ第1戦対オーストラリアのラスト5分の大失敗からの経験だろう。
また今回口蹄疫が宮崎県の畜産をほぼ壊滅させてしまうような事態にまで悪化してしまったのは、約10年前の成功体験にその遠因があると私は思っている。

人は、拾った財布のことは忘れても、落とした財布のことは忘れないものだ。
ミスをしない子やチームは、「なぜ失敗したのか」を考える機会の少ない環境で、大事な育成期を過ごすことになる。
弱すぎるチームや、やる気のないコーチの元でサッカーをするのは不幸なことだが、強すぎるチームや選手層の厚すぎるチームでサッカーをすることも、それと同じくらいに不幸なことなのだ。
サッカーはお受験とは違う。
合格すれば終わり、ではない。
ひとりひとりの子供自身が、「大学」そのものとなるような「個性」が必要とされる、めちゃくちゃに「楽しい」世界なのだ。そう、選手ひとりひとりが「世界」であり、チームは「宇宙」なのだ。
宇宙には正しい形も際限もない。宇宙は無限である。
その広大な宇宙に自分という世界を構築しようとしているはずの子供たちが、もしもミスを怖がっているのだとしたら、仮にそれが強制されたものではなく、自発的な無意識下の結果だとしても、私はそれを不幸なことだと言いたい。そんな子供たちが青年になったとき、はたしてどれほどの世界を私たちに見せてくれるというのか。ちいさく無難にまとまった、去年も一昨年も十年前にも見たような、面白みのない世界なのではないだろうか。

サッカー選手の育成ということを考えたとき、小学生年代で強いチーム、レベルが高いとされる環境、でプレーさせることにどれほどの意味があるのか、私にははなはだ疑問なのである。

でも正直、負けるよりも勝つ方が楽しいけどさ。
子供に圧倒的な影響力のある親が、それにあんまり拘泥(こうでい)するなってことです。ハイ。

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