2010年5月31日月曜日

ヨーロッパフットボール界の現実

2001年と2006年の記事だが、少年サッカーにたずさわる大人たちは一読する義務がある内容だ。
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http://www.nhk.or.jp/special/libraly/01/l0004/l0401s.html
●イタリアにおけるアフリカ選手の青田買いについて
イタリアの移籍ビジネスは、アフリカにまで拡大し、18歳以下の未成年選手が取引対象になっている現実がある。
1999年、コートジボワールからやってきた14歳のドゥンガニ少年のイタリアでの違法な取引が、「人身売買」の不祥事として一大スキャンダルになった。
≪主な登場人物≫
・ ドメニコ・リッチ
  ベルギー・ブリュッセルにあるアフリカン・フットボール・マネージメント社長。
  アフリカ選手を専門にあつかうエージェントで、現在、ガーナなどアフリカ5ケ国と
  提携している。
・ サリム・バドブリ
  ガーナの新興クラブ「インターミラス」のオーナー。
  クラブが育成したオスマン・アブドラ選手の所属をめぐって、イタリア人代理人
  カルロ・グエルフォとイタリア・ジェノアをFIFAに提訴している。
・ フセイニ・ドゥンガニ
  コートジボワール・アビジャン出身の14歳の少年。
  イタリア人代理人ジョルジョ・カンテリによって、イタリア中部にある
  クラブ「アレッツォ」に連れてこられ、人身売買事件としてマスコミの話題となった。
・ ルイジ・ファラスコーニ
  ドゥンガニ少年のテストを担当した元アレッツォのユースコーチ。
・ ポルチェッド弁護士
  イタリアサッカー協会の調査委員。ドゥンガニ事件など未成年問題の不祥事を扱う。
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http://www.diplo.jp/articles06/0606-4.html
ユース養成のメッカであるINFには、毎年1000人近い12歳前後の少年がチャンスに賭けようとやって来る。入校テスト合格者は20人ほどである。彼らを待ち受けるのは、フランス代表のキャンプ地がある国立テクニカルセンターでの3年間の寮生活だ。何人かは1年目や2年目の終わりに退学の最終通知を言い渡される。その理由はひとえにサッカーであって、生活態度の問題や、学業の不振ではない。

クラブチームは、いずれにせよ、厩舎に種馬をできるだけたくさんキープしておく方が得だということをよくわかっている。コーチたちはその職業柄、見事なボールさばきをみせる15歳の少年が、5年後にもいい成績を上げるとは限らないことを知っている。知力や筋力が追いつくとは限らない。早熟な才能を持った多くの選手が、それまで熱中してきたことがもはや遊びではないことを自覚して、みずみずしさを失っていく。リュディ・アダド、ムラド・メグニ、ジェレミー・アリアディエール、フィリップ・クリスタンヴァル、その他の大勢の「未来のスター」たちは、期待されていた実力の10分の1も示せずにいる。まだ「プロ」になってもいないのに、自分の名前やプレー、キャリアが一人歩きをして、いいように利用され、もはや自分のものではなくなっていることに気づいてしまったに違いない。

15歳から17歳のユースフランス代表の「国際試合出場選手」ですら、成人後はなかなか日の目を見られずにいる。国際試合での国歌斉唱から3年後、「プロ」になっているのはわずか3分の1であり、多くの者は思い出話に耽ることになる。サッカーに明け暮れた幼年時代、10代の頃、そして人生のこと。それはいつしか仕事となり(大抵の場合はただ働きだ)、個人の才能は集団の中で埋没し、無邪気な称讃は親の重圧へと変わり、約束された未来は幻想に終わってしまった。

ほとんどの者のプロ生命は平均5~6年である。選手たちはまた、所属クラブを頻繁に替えるせいで、引退後に役立つような、確かな人間関係を保つことができない。選抜の決定的な基準は、能力や才能だけではない。

アフリカ系選手たちは、情報に疎く、身分をたやすく詐称され、遊びながら練習を積んできたためコストもかかっておらず(フランスの少年たちが型にはめられ、結局は「まともな」試合を少ししか経験しないのとは大違いだ)、安定株となっている。頑強で、すばらしいテクニックを備え(南米の選手が路上や浜辺でボールタッチを身につけたのと同様である)、プレーの姿勢は真剣そのものであり、発掘してきたエージェントにとっても、移籍元のクラブチームにとっても、確実に利ざやを保証してくれる。

FIFAは2001年に国際的な移籍に規制を設け、未成年のスカウトを禁止した。しかし、この規則はかいくぐられている。手始めは、年齢の詐称である。多くはFIFAの公認を受けていない専門エージェントが、未成年の身分証に年齢を2つ3つ上乗せして、合法的な移籍に見せかける。後には逆のことも行われるようになった。22、23歳の選手を18歳の期待の星だということにすれば、残りの選手生命(投資の償却期間)が伸びるため、高値で売れることになる。移籍時に育成クラブに金を払わずに済むよう、エージェントが(本人の合意のもとで)選手の身分を偽ることもある。
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幸か不幸か、日本の子供たちはヨーロッパのエージェントから相手にされていない。
だがまがりなりにも少年サッカーにたずさわる人間の大人として、たとえそれが地球の反対側でのできごとだとしても、サッカーを愛し夢をいだいている子供たちの悲劇から目を背けてはならない。
レベルが低いだとか、金持ち国の道楽だとか陰口をたたかれたとしても、この日本という国が自分たちの国であり、そしてそこでサッカーをすることのできることは、本当に幸運なことなのだと今一度確認して、また明日からサッカーにたずさわって欲しい。
今も地球の裏側には、今年の日本最優秀少年サッカー選手よりもはるかに才能に恵まれた子供が競走馬のように売り買いされ、またその隣では、走れなくなった競走馬の行く末のような人生を歩まざるを得ない、昨日までの天才少年たちが泣いている現実がある。
ワールドカップは、そういう人間たちの上に君臨している究極の大会なのだ。
そこでまた、投げやりで、いい加減で、無様な姿をもし、日本代表が晒すようなことがあったとしたら……と考えると、私は胸が苦しくなる。
最後まであきらめないで闘ってください。もうそれしか望みません。

ナビスコ杯浦和・清水戦、テストマッチ日本・イングランド戦を続けて観て

なぜあんなに走ってるんだろう? ってのが率直な感想。
それも、どっちもたくさん走ってる方が負けてる。
そしてどっちも、後半に失点してるのも一緒。
マラソンにしたって、200メートル走だって、ほんの少しでも走る距離を短くしようとしてコースどりを工夫するのに、なんであんなにぐにゃぐにゃして走ってんだろ?
スタートが遅くなったら、そこへ行くまでの速度をあげなきゃなんない。
だったら少し早めにスタートしておけば楽なのに。
行きすぎたら戻らなくちゃいけなくなる。
だったら、行きすぎないように少し手前でスピードダウンすればいいのに。
「じゃあお前がやってみろよ。難しいんだから」
そうか。今の日本の現役サッカー選手は、何か特殊な電波か何かそんなのを受けてるんだな。
だってそうじゃないと、日本でもサッカー以外の競技ではできてることが、どうしてサッカーでだけはできないのか説明できないし、サッカー選手でも、今の日本の現役選手以外ではできてるのになあってことが説明できないもんなあ。

さぼるのとは違うんだよな。釜本とかラモスとか木村とか小野とか中村(俊)とか遠藤とかみたいな「さぼる」とは。
詰め将棋でいうとこの最短手数みたいに、無駄に見えても無駄じゃない、未来のための今、みたいな感覚が欲しいんだよね。何となく歩いてた、そしたら急にボールが来て、あわてて猛ダッシュ、そういうんじゃなくてさ。

サッカーは何が起こるかわからない、とはよく言うけど、ボールはひとつだし、人間にできることもそういきなり変わったりしないんだから(突然ヒールキックで100メートル蹴れるようになったりはしないってこと)、おおよその予測はつくはずなんだよなあ。ましてプロであったり日本代表でもあるような優秀な方々なんだから。

予測は予測なんだから、それもろくなデータも論理の蓄積もない、勘と経験に基づく予測なんだから、天気予報や株価・為替の予測以下の的中率になるのは当たり前。でも予測するってことが大事で、そこがプレーするときの面白さのひとつでもあるわけじゃん。なのになんてあんなに目暗めっぽう、やたらめったらに走り回ってるんだろ?

あれじゃ、疲れると思うんだよなあ。
それに、やってて面白くないだろっても思うんだよなあ。
サッカーなんだから、サッカーした方が楽しいと思うんだけどなあ。
違うのかなあ。

2010年5月30日日曜日

武士道──『葉隠(はがくれ)』──シュート

武士道の究極とされるものに『葉隠』という文書がある。
日本が富国強兵に走った時代には、兵士の育成にも用いられた。
『葉隠聞書』(山本常朝1659-1719)
この文書は、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な文句で始まる。
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武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。
図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにすることは、及ばざることなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。
若し図に外れて生きたらば、腰抜けなり。この境危うきなり。図に外れて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。
毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。
--------------(以下現代語訳『日本の名著17葉隠』奈良本辰也・駒敏郎訳より)----------------
武士道とは、死ぬことである。生か死かいずれか一つを選ぶとき、まず死をとることである。それ以上の意味はない。覚悟してただ突き進むのみである。「当てが外れて死ぬのは犬死だ」などと言うのは、上方風の軽薄な武士道である。生か死か二つに一つの場所では、計画どおりに行くかどうかは分からない。人間誰しも生を望む。生きる方に理屈をつける。このとき、もし当てが外れて生き長らえるならばその侍は腰抜けだ。その境目が難しい。また、当てが外れて死ねば犬死であり気違い沙汰である。しかしこれは恥にはならない。これが武士道においてもっとも大切なことだ。毎朝毎夕、心を正しては、死を思い死を決し、いつも死に身になっているときは、武士道とわが身は一つになり、一生失敗を犯すことなく職務を遂行することができるのだ。
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私はこれを、書いてある通りに読みとるのは間違いであると断じる。
理由は、私の敬愛する武将二人が、「無様であっても生き残ること」によって、最終的には天下を取ったからだ。

足利尊氏は、建武3年2月10日・2月11日(1336年3月23日・3月24日)の豊島河原合戦(てしまがわらがっせん)で惨敗し、辛くも九州へ逃げ延びたことで逆転することができた。
場所:豊島河原(大阪府箕面市・池田市)
新田義貞・北畠顕家を総大将とする後醍醐天皇軍と、足利尊氏を総大将とする反乱軍(?)の戦い。

徳川家康は元亀3年12月22日(1573年1月25日)の三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)で、脱糞するほどの無様な退却を見せた。
場所:遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)
武田信玄軍2万7,000人と、徳川家康軍1万1,000人(うち織田信長からの援軍3,000人)の戦い。

『葉隠』は三方原の戦いからおよそ百年後に作成されている。
当時の戦術・戦略研究は、現在のもののように生ぬるくない。生き残るか否か、切られるか切るか、というリアルさがいつも後ろから手をかけているような、そういう際どい覚悟を求められるものだった。つまり『葉隠』の作者が、家康や尊氏の大逃走劇を知らないわけがないのだ。
つまり、『葉隠』で述べられている「死」とは「生きるための死」なのだ、と私は理解している。

外してもいい、つもりでシュートする、これは『葉隠』の言う「死」ではないように思う。
入るか入らないか、そんなことは度外視して、己の信じる道を進む、そういう決意でシュートする、そういうことなのではないだろうか。
いっちゃあ悪いが、どーせ北足立郡北部地区の少年サッカーチームから、将来バロンドールを獲るような選手は生まれないのだから、いっそのこと『武士道』に基づいた指導を心がけてはどうだろう。
シュートひとつをとってみても、「コースを狙え」ではなく「入る入らないよりも、お前がシュートを打つと決意することの方が大切なのだ」と指導するような練習なんか、面白そうなんだけど。むしろ「外せ!」と指示してやる。意識して「外す」ことは、すなわち「外さない」ことと同義だから、意外と効果が高いかもしれない。保証はしない。

「バカの壁」というベストセラーがあった。養老たけし(たけしという字がどんなだったか記憶にない。猛だったかな?)が口述した、適当な内容の本だ。
今日の日本・イングランド戦での本田のハンドは、まさに「バカの壁」だった。
壁に入ったことのある人間ならわかるのだが、あそこで腕をあげるということは、ボールに当たることがわかっていてのことなのだ。つまり、PKをプレゼントしてあげた本田君は、きっとイングランドに勝って欲しかったんだね(死ね、と言うと乱暴だから、遠藤とお前は同じだ、程度にしてあげよう)。
不細工だけど髪型は大事だよね遠藤も死ね、っていうとキツイから、遠藤選手も落ちついてるふりじゃなくて、本当に落ちついてプレーしてくだださい、と言う程度にしておく。本音で言うと、お前と玉田がちょうど重なったところへ、隕石が突き抜けてくれないかなって、思った。マジで。今日のイングランドの前半で、あれしかできないってどういうことだよ。向こうはお前に何もしてないじゃん。好き勝手できたのに、あれはないだろ、あれは。
実は中村(俊)への期待が、非常に高まってしまった。彼の性格だと、陰湿な炎がめらめらと燃えているに違いない。第1戦目のカメルーンで、彼の暗~い怨念のようなパワーが爆発するような気がする。左足のミドル炸裂って感じで。気持ち悪いガッツポーズ&ぬるぬるの髪振り乱し、にはガマンしましょう。ワールドカップ1勝の為です。

サッカーの魅力って、勝つか負けるかだけだったのかなあ、って思うんだよね。
勝ちか負けるかだけなら、昔の島原商業とか国見とか、イングランドW杯の北朝鮮とか、日韓W杯の韓国とか、それでいいじゃん。でもサッカーの魅力ってそうじゃないと、俺は思ってる。
俺が、少年サッカーって意外と面白いなって思ったのは、偶然見たユベントスの試合がきっかけだった。
近くの会場と間違えて観戦した試合が、ユベントスの試合だったわけ。そのときは水色のユニフォームだった。
その試合で、ほんの一瞬だったけど、ユベントスは『美しいサッカー』を見せてくれたんだよね。
選手の気持ちと、ボールが行きたいところと、ほんの一瞬先の未来が合致した、美しいサッカーを、俺は見た。
偶然だったのかもしれない。見間違いだったのかもしれない(リプレーないし)。
でも、俺が「美しい」と感じたことだけは、俺にとって事実なんだ。
だからユベントスには、正直言って思い入れがある。期待のハードルも高い。
もう一度、あの一瞬を再現して欲しい、そしてそれをこの目で見たい、と心から願っている。
俺がその時見た“奇跡”であるユベントスの11番に(俺は勝手に、カフー+ジョルジーニョ=カフジーニョと呼んでいる)、もう一度(といわず何十回何百回でも)古き良き時代のサイドからの崩しを見せて欲しい。ブラジルのマイコンみたいな超絶防御+ボール奪取能力も、惜しまずに見せつけて欲しい。君はもっともっとスケールの大きな選手になれるはずだ。16番と12番と6番と7番とGKにも期待している。すげー期待している。ユベントスの試合の出来不出来は、君たちファンタスティック・ファイブの活躍にかかっているのだから。8番と10番、19番も、もっともっと伸びるように(俺には)見えたから、自主練習でがんばってイージーミスを減らして欲しい。お前さんたちの能力のラインは、自分で思ってるよりもずっと上の方にある。今が一番伸びる時期なんだから、一分一秒を惜しんで練習してくれ。最近見た、15番のファイトはルーニーっぽい。おそらく前世で君とルーニーは兄弟か親子だったはずだ。それくらい、君はルーニーに似ている。4番5番、お前らカッコイイ。でもカッコイイだけじゃダメ。もっともっともっともっともっと体張れって感じ。ケガなんか怖がんなよ、男のクセに、って感じ。骨折したってすぐくっつくさ、小学生なんだから。ガツンと体を張れるようになれば、君たちの前へ行くときのセンスがもっと生きてくるんだ。ガツンビュンシュパーってイメージを常に意識して、体を張ってくれ。そして最後に、県大会では、最近売り出し中の13番14番がラッキーボーイになってくれる夢を、俺は見た。間違いなくこれは予知夢だ。


いや、そういう贅沢は望むまい。
県大会で、卑怯なプレーが一度もないことだけで、私は満足しよう。
大人には、子供に“卑怯”なことをさせることの、その子の一生に渡る影響について、常に意識して欲しいなあ。

北足立郡北部の少年サッカーは『武士道』、なんてイメージが全国に広まったら粋だよね。
北本の解脱会の剣道部や、桶川の剣道クラブは埼玉県トップレベルなんだから、相互に協力しあうような企画はできないものだろうか。

第34回全日本少年サッカー大会 埼玉県大会日程

第34回全日本少年サッカー大会 埼玉県大会日程
第一日 6月6日 日曜日
※2-0930とは、第2グラウンドで9時30分開始予定という意味。
※第2グラウンドは観客席に屋根有り、第3グラウンドは全席芝生。

①(南)浦和三室 × (西)鶴ヶ島 2-0930
②(東)サンシン × (北)児玉 3-0930
①の勝者 × ②の勝者 2-1330

(南)鴻巣 × (東)粕壁 2-1030
④(西)川越ひまわり × (南)新座片山 3-1030
③の勝者 × ④の勝者 3-1330

⑤(東)草加 × (南)アビリスタ 2-1130
⑥(西)飯能 × (南)ユベントス 3-1130
⑤の勝者 × ⑥の勝者 2-1430

⑦(南)アルディージャ × (北)江南南 2-1230
⑧(西)1FC川越 × (東)八潮レジスタ 3-1230
⑦の勝者 × ⑧の勝者 3-1430

私の印象では、浦和三室がいろんな意味で今回は強いのかなあという感じ。
浦和三室と決勝戦を戦うのは、どこがきてもおかしくない。マジで。希望としては北足立郡北部地区第1代表のユベントスだけど、こればっかりは当日になってみないとわからない。実績ではアビリスタ、アルディージャ、江南南の3チームからどれかということになるのだが、今年のチームについては、各チーム、実績(周囲からの期待)と実力との乖離に、コーチの皆さんたちがかなり御苦心されているように見うけられた。会場とピッチ(埼スタ独特の芝)について、十分過ぎるほどの経験、慣れ、ノウハウを持っているという点では、この3チームがかなり有利であることは確か。その有利さを生かすような戦い方ができれば、というところなのだが、今年のチームではどうか……(といっても、例年のチームがどうなのかなんて私は知らないのだが、まさか例年こんなもんってこともないだろうということからの想像)。
あと個人的に、新座片山というチームには頑張って欲しい。実直で無骨な感じが、昔の明治ラグビーを見てるみたいで好きになりました。どんな相手でも手を抜かない姿勢もいい。きっとバカ正直な監督さんなんだと思う。ああいう性格の人は、意外と実生活で損な役回りを背負い込みがちなので、こちらの監督さんもそんなことになってるのではないかなあ、と他人事ながらちょっと心配している。
           『嫌なことは嫌と言える子になりましょう』
ああいうチームがあるってことは、埼玉県の少年サッカーにとってとても幸運なこと。どこもかしこも似たような、ショートパス&ドリブルばかりじゃあつまらんですよ。いつも声を出されている監督さんには、ぜひ杖を持っていただいて、それを振り回しながらの鉄拳指導という北島イズムを体現して欲しいというのが、私の秘かな願望です。

2010年5月29日土曜日

第34回 全日本少年サッカー大会 埼玉県大会組み合わせ

本日、2010年(平成22年)6月6日日曜日に埼玉スタジアム2002で執り行われる、第34回全日本少年サッカー大会埼玉県予選県大会の組み合わせ抽選があった。

抽選結果は次のとおり。

第34回 県大会組み合わせ
(トーナメントの山を正面から見て、左から)

(南)浦和三室 × (西)FC鶴ヶ島
(東)越谷サンシン × (北)児玉ディパーチャFC

(南)鴻巣FC × (東)春日部粕壁サッカー
(西)川越ひまわり × (南)新座片山

(東)草加JrFC × (南)川口FCアビリスタ
(西)飯能ブルーダー × (南)上尾ユベントス

(南)大宮アルディージャ × (北)熊谷江南南
(西)1FC川越水上公園 × (東)八潮レジスタFC

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参考までに、過去3年の結果はこうであった。

第33回 県大会組み合わせ
優勝 大宮アルディージャ 準優勝 新座片山 決勝スコア 1-0

(南)新座片山 × (西)上福岡少年少女
(東)越谷大袋 × (北)熊谷東

(南)川口FCアビリスタ × (東)行田ペガサス
(西)ふじみ野旭 × (南)桶川

(東)三郷南郷 × (南)大宮アルディージャ
(西)所沢マッシュ × (南)川口戸塚

(南)FC浦和 × (北)熊谷江南南
(西)ふじみ野大井 × (東)八潮レジスタFC

第32回 県大会組み合わせ 
優勝 FC浦和 準優勝 大宮アルディージャ 決勝スコア 1-0

(南)大宮アルディージャ × (西)坂戸千代田
(東)八潮レジスタ × (北)GETかみたの

(南)大宮NEOS × (東)三郷南郷
(西)川越福原 × (南)新座陣屋キッカーズ

(東)越谷FCカーニョ × (南)FC浦和
(西)富士見サイタマJr × (南)北本キッカーズ

(南)新座片山 × (北)熊谷江南南
(西)富士見武蔵野 × (東)久喜少年

第31回 県大会組み合わせ 
優勝 江南南 準優勝 FC鶴ヶ島 決勝スコア6-1!!

(南)大宮三橋 × (西)FC鶴ヶ島
(東)八潮レジスタ × (北)熊谷東

(南)上尾富士見 × (東)越谷FC
(西)川越福原 × (南)川口戸塚FC

(東)春日部豊春 × (南)浦和駒場
(西)上福岡少年少女 × (南)FC浦和

(南)新座片山 × (北)江南南
(西)鶴ヶ島長鶴 × (東)白岡南

一回戦では同地区代表同士が当たらないことになっているとはいえ、北部地区代表の熊谷江南南には同情を禁じ得ない。
くじ運の悪さ(くじ悪運)のお祓いには、桶川市川田谷の熊野神社(古墳)がめちゃくちゃ効くので(私の体験談)、お近くにお寄りの際には是非一度お参りをしていただくことを、江南南の監督さんにはオススメしたい。私はこの神社のできるだけ中心に近いところにあった小石をこっそり持ち帰ってお守りにしています(内緒)。

会長がこの程度だから、代表もあの程度

朝日新聞 2010年(平成22年)5月29日 土曜日 朝刊
スポーツ面 『日本サッカー協会 犬飼会長に聞く』 より
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子供の育成法、世界視野で
──スペイン協会との提携はどんな目的ですか。
「海外では、子供を育成する指導者が一番大事だというのが常識。『20年前に気づいた』とスペインの会長が言っていたので、スペインの指導者に日本の状況を見てもらった。6月には日本の指導者に講習してもらう。育成ポイントは人間性。スペインの会長は『技術があっても、自分の考え方を伝える能力がないとダメ。倒されたら痛そうにして、審判が笛を吹いてくれるかな、という選手は話にならない。それを小さい時からたたき込まないと』と言う。この間までスペインは世界1位だったから説得力がある」
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まず、元世界1位の言うことだから説得力があるというあたりからして、あっさい人間だなあって感じがする。「世界1位」って看板があるから「説得力」がある? 中身じゃないのかよ? ギネスブック開いてみ。世界一が腐るほど載ってるから。それ全部から説得されてろ! そもそもスペインなんて、一度もワールドカップとってねえだろが。何が「世界一」だよ。スペインは好きな国だし、実はものすごく残酷だって言う面も含めてスペイン人も嫌いじゃないけど、この犬かいかい長一派のスペイン礼賛にはへどがでる。
だいたい、この犬かいかい長は、実際に少年サッカー見てねえだろ。見てたらこんなこと言うわけがない。小学生はどんな子だって、歯を食いしばって痛みを我慢してるぞ。それくらい試合に出ていたいんだ。ピッチのそばで観戦してると、その気持ちがひしひし伝わってくる。感動的ですらある。「痛い痛いっ」て転がってんのは、スペイン人とイタリア人じゃねえか。すぐコケて、ファールもらおうとするのはJリーグの影響だろうが! 日本サッカーでフリーキックが必殺技視されるのは、野球マンガの「魔球文化」の影響だけど、それにしたってテレビで解説者が「ゴール前でファールをもらえ」とか「残り時間がないですから、ここは寝ていた方がいいです」とか言うのを聞いて、子供にマネするなっていうのは勝手すぎんだろ。
全部、犬かいかい長、お前が悪い。子供や、少年サッカーの指導者のせいにすんじゃねえ。
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──長期的な視野で、日本協会がやらなければいけないことは何でしょうか。
「世界的な視野で戦略を立てないといけない。世界がやっていることに、こんなに鈍感でいられた国はそうないと思う。例えば、子供に11人制のフルコートでやらせているのは、実は日本だけだった。4分の1のコートやハーフコートで5人制、8人制でやればボールタッチの回数が何十回も増える。それと、トーナメントが主流だったが、世界は全部リーグ戦。勝っても負けても、次頑張ろうというのが定着している海外と、トーナメントで回戦ごとに半分の子供を捨てた日本の差が出ていた。だから、少人数の試合をリーグ戦でやることを、日本協会の技術委員が全国行脚して説得した。今、各都道府県で11歳以下の試合は8人制のリーグ戦になっている」
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「世界的な視野」で立てた戦略が、視察先で見たことの「丸パクリ」ってどーゆーこと? アナタ、チュゴクジンデスカ? カンコクジンデスカ?
よくわからんが、スペインと同じ練習すればスペインと同じサッカーができるはずだっていう発想は、金髪に染めれば白人になれるっていう発想と同じなんじゃねえの? 『東大生のノート』を使えば頭が良くなるとか思っちゃってたりする人なんだね、犬かいかい長さんは。きっと幸せな人なんだなあ、犬かいかい長さんは(頭の中が)。
そもそもボールタッチの回数が増えることと、日本サッカーのレベルアップがどこでどうつながるのかがまったく理解できない。日本選手は、技術はあるって話だったんじゃないの? 「技術はあるけど、サッカーを知らない」「ボール扱いはうまいが、サッカーがうまくない」みたいなことをずっと言われてきたんじゃないの? ファルカンとかトルシエとかジーコとか、あるいはファンタジスタ小野が所属した海外チームの監督さんなんかから。
だったら必要なのは、ボールタッチじゃなくて、サッカーをすることなんじゃないの? その「世界的な視野」に立った場合。
5人制とか8人制のリーグ戦なんて、少年サッカーの実情を多少知ってれば不可能だってことは、猫でもわかることじゃん。
試合時間はどうすんの? 短くすんの? ゴールキーパーはなしにするの? ゴールの大きさは? まさか買い換えさせるとか? 審判は何人? 誰が会場まで連れて行くの? 会場が分散したら?
そもそもさあ、子供たちはサッカーがしたいわけさ。フットサルとかミニサッカーじゃなくて。スペインみたいに、街の至る所で本物のサッカーに触れられる環境じゃないでしょ、日本は。スペインと日本を一緒にしなさんな犬かいかい長さん。8人制のサッカーなんかやっても、子供は面白くないって。みんなすぐ辞めちゃうよ。だって、テレビゲームのサッカーは11人でやってるんだから。Jリーグもワールドカップも11人でやってるんだから。
トーナメントになってるのは、日本一を決定するためでしょ。日本人は天下一武闘会が好きなんだよ。入試だって一発勝負でしょ。おわかりかなあ? 
それに負けた方を「捨てた」と考えるなんて、あなたのコメントを目にするまで、一度たりとも思い浮かんだことのない発想だわ。どうすればそういう発想ができるのかなあ? あなたみたいな人には、絶対に人の親にはなって欲しくないね。教師にもなって欲しくない。ましてや少年サッカーの指導者になんて、絶対に絶対になって欲しくない。「捨てる」って……いったいどこからそんな考えを持つ人間になってしまったんでしょうね。「負けた子は捨てられた子」……パラノイア入ってるよ、おたく。
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──7月に役員改選がありますが、2期目に向けてどんな構想を持っていますか。
「持っていない。役員推薦委員会でしかるべき人たちが集まって決めるので。やれと言われればやるし、この2年間見たけどだめだよと言われればやめる」
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公約も、所信表明もなしに、どうやって選んでるんでしょう? 結果ありきのやらせだって言われても仕方ないですよ。そもそもその選挙権を持つらしい役員推薦委員ってのが、おたくさんのお仲間さんなんじゃありゃあせんですかい? 
メンタリティが、岡田ナイスジョーク武史監督とまったく一緒ですね。面接で同じこと言ったら、確実に落とされますよ。再就職の時にはそのあたりを注意してください。健闘を祈ります。
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「彼(岡田監督)も『日本人は勤勉で、他のチームよりも何割か余計に走る。それからチームワーク。クリエーティブさも持っている。それで日本のサッカーを高めたい』と言っていた。いい方向だと思う。彼に託す気持ちが変わったことはない」
──代表監督は代表の顔。岡田監督はもっとメディアにしっかり対応した方がいいのでは。
「僕はちゃんとメディア対応してくれと言っているし、彼も『努力している』と言っているんだが。監督のメディア嫌いはフランス大会の時から。どれだけいじめられたか。僕がああいう経験したら、絶対口をきかないもんね」
──代表への関心という点で、最近は観客数もテレビ視聴率も、全体的に低調です。
「興行と、日本代表の使命のバランスは難しい。選手のコンディションや、いろんな選手を試す部分もある中で、ファンの期待に応える結果も必要。ただ、メディア全体がネガティブ報道なのは不満。実際にはほとんどの人は応援してくれているが、メディアにそう書かれると選手もそれしか目に入らない。『本当に日本中から応援してもらっているのかな』と首をかしげていると思う」
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根に持ちますねえ。フランスワールドカップって何年前でしたっけ? 12年前ですかね? いやあ、そのねちっこさと陰湿さは見上げたものです。江戸の仇を長崎で、って奴ですか。う~ん、陰険で素敵! まさに権力者の鏡! ヨッ大会長!
それと犬かいかい長さまと、岡田俺は額は狭いけど頭は良いんだ武史監督さまご両人さまが、北京の赤提灯で語り合われ結論に至ったとかいう『日本人観』は、完全に間違ってます。「日本人=勤勉」というイメージは、戦後から高度経済成長時にかけて生まれたものであって、この特殊な一時期を除けば日本人には「勤勉」というイメージはあいません。
日本人というのは、労働ということに関して言えばむしろ「工夫好き」「効率化好き」なのであって、「勤勉」とか「余計に走る」なんていうのは、最も嫌うたぐいのことです。皇居に残る江戸城の石垣を見てください。余計なところなどまったくない見事さに感動されることでしょう。あの石垣をどうやって積み上げたと思いますか? 足場だって、全部泥ですよ。あそこは地下水位が高くて、土も元々は湿地や干潟の土ですから。船の水路と埋め立てを巧みに組み合わせながら、最小限の人員と材料、機材を効率的に運用することで、あの大工事を成し遂げたんです。同じようなことを、日本中で、それこそ奈良時代の昔からやってきたのが日本人です。少ない人口と急峻な国土で、いかに工夫して効率的に生活するか、大陸に負けないものを生み出すか、それを積み重ねてきたのが日本人です。次は新橋の赤提灯へでも行って、もう一度よく考え直してみてください。いや、もう考えなくて良いです。消えてください。日本サッカーのために。つうか、なんで北京で日本人論。いっそ天安門で日の丸振って射殺されてくれって感じっす。
日本人のサッカーを目指すなら、どれだけ余計に走るか、じゃなくて、いかに走らないでスケールの大きなサッカーをするか、を工夫すべきでしょう。日本人なら。日本人なら。日本人なら。
あと俺はお前が嫌いだけど、お前は俺を好きになれってのは無理っす。
ネガティブって言うと、まるで「見方次第」みたいに聞こえますが、それ、ネガティブじゃなくて、かなりポジティブですから。
本当のネガティブってのは、この間のトヨタバッシングみたいな奴です。
サッカー日本代表についての報道でネガティブって、あんさん、今までどんだけ甘やかされてきたんっすか。
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2010年5月28日金曜日

ちょっとエロ系? いえエコ系

NHKの『いのちドラマチック ヒトがつくりかえた生命の不思議』

Vol.6 ヤギ -そのミルクが子どもたちを救う-
BS-hi6月30日(水)午後9:30~9:59
BS-2 7月1日(木)午後8:30~8:59


録画してあった上記の番組を見た。
わざわざ片仮名で「ヒト」と表記しているということは、人間と他の生命体とを同じカテゴリーに入れているという暗示なのだろう。非常に幼稚ではあるが、番組の『匂い』を表題で伝えようという姿勢には、誠実さを感じる。
授乳期でもないのに乳房が大きいのは、単に脂肪が蓄積しているだけのことであるという解説には、「でしょうね」って感じを持った。化膿姉妹、もとい、加納姉妹の胸が、胸として正当であるとは到底思えないのだから。

四つ足で歩いていたときは、オスはメスの尻から生殖適期を読み取ろうとしていたのだそうだ。絶好のタイミングで受精できるか否かが、即、己のが生きていることの意味の有無を左右するのだから、それは命がけの行為だったろうと思う。
やがて二本足で活動するようになると、見えなくなった尻の代わりに、体の正面に位置する乳房が、その指標となったのは、それこそ生命の摂理だ。二本足で立っているメスの尻をのぞき込んでいるオスがいたとしたら、たちまち殺されてしまったにちがいないのだから(もしかするとそういう人類・種族がいたのかもしれないが、淘汰されて現代まで生き残っていないということなのかもしれない)。

番組に出てきた、食物アレルギーの息子を持つ(微妙に)若い薄倖(そんなことはないんだろうけど)そうな母親が、
「何を食べさせていいのかという不安がいつもあった」
「これだけは大丈夫というものが見つかったので、生活が変わった。明るくなった」
と言っていたのが印象的だった。

本来「生態」を意味する「エコロジー・エコロジカル」の「エコ」が、いつしか「節約・つましい・省エネ」の「エコノミカル」の「エコ」になっている。
ここでいまいちど、【ギリシア語で家を意味するoikos + LOGY = 生活環境に関する学問】という意味の「エコロジー」に立ち戻り、エコを見つめ直してみてはどうだろう。サッカーができる「ふつう」が、どれほど幸せなことなのかがわかるだろう。
子供たちがサッカーをしているそばで、お母さんたちがサポートしている。そんな光景が見られる限り、この国は平和でいられる。
ヤギの乳の味は、人間の母乳の味に非常に近いのだと番組では言っていた。それを飲み、「オイチイ」と振り向いたアトピーの子の笑顔が忘れられない。あの母子は、少年サッカーを楽しむような生活を送ることができるのだろうか。
きっとできるようになるだろう。ヤギさんのおかげで、生活が明るくなった、とあのママさんは言っていたのだから。サッカーじゃなくてもいい。何かスポーツを楽しめるようになって欲しい。
少年サッカーとは、その街の幸せを計るバロメーターなのかもしれない、なんてことをふと考えさせられた番組だった。

アグエロの大会と呼ばれるだろう

2010UEFAヨーロッパリーグ決勝  アトレチコ・マドリー × フルハム
競技場  ハンブルク・アレナ - ハンブルク
主審 ニコラ・リツォーリ (ITA) 副審 クリスティアーノ・コペッリ (ITA), ルカ・マッギアニ (ITA) 第4審判員 エンリコ・ロッキ (ITA) 追加副審 パオロ・タリャベント (ITA), アンドレア・デ・マルコ (ITA) ※ゴール横に位置する新審判。

セルヒオ・アグエロ(Sergio Leonel Aguero del Castillo)
1988-6-2生まれ(22歳)
マラドーナの持っていた最年少トップチームデビュー記録を破った(が、その後マラドーナがトップチームの主力をなり、4ヶ月後にはフル代表デビューも果たしたのに対し、アグエロはその後結局一年以上トップチーム出場は叶わなかった)。
U-20ワールドカップには、2005,2007の2回出場。2007ではMVP。フル代表デビューは2006年。

この試合で、彼はすばらしいプレーを見せていた。一見テベスに似ているように思ってしまうが、彼に見えているサッカーはテベスよりもはるかに広く深い。ワールドカップ代表に選ばれたようなので、南アフリカ大会はアグエロの大会だったと評されることになるだろう。
彼とマスケラーノがいる限り、アルゼンチンと対戦するチームは常にカウンターの可能性に対処しなければならない。それは相手DFラインが深くなることを意味し、それは同時に、アルゼンチンが誇る世界最強のFWセットに自由を与えることを意味している。
南米予選で標高差の持つ怖さを身に染みて学んだ現アルゼンチン代表チームは、南アでの本大会にその経験を生かすことを狙っているように見える。実績のあるベテラン選手を何人か外した理由もそこにあるのではないだろうか。
短期決戦トーナメント形式のワールドカップで勝利を続けて優勝杯を手にするには、チームに“当たり”のシューター(点取り屋)が生まれるかどうかにかかっているといっても過言ではない。クライフもジーコもプラティニもストイコビッチも掲げられなかったワールドカップを、ミューラー、ケンペス、ロッシ、スキラッチ、ロマーリオ、ベベットは掲げている。これは動かしようのない事実だ。それをマラドーナ監督はわかっている。

南アフリカワールドカップで優勝するのは、間違いなくアルゼンチン代表チームだ。
私はそう確信している。

2010年5月27日木曜日

もっと応援を楽しまないと!

先日、上尾市の平方スポーツ広場で開催された、2010年第34回全日本少年サッカー大会埼玉県南部地区予選を観戦した。
暑すぎず風もないという天候にも恵まれて、どの試合でも子供たちは内容のあるサッカーを見せてくれた。
私は地元北足立郡北部地区代表のユベントスを特に注目していたわけだが、その安定した試合運びと勝ち上がりっぷりは実に頼もしく、スコア以上の力量差を感じさせるにも充分すぎて、とても満足させてもらえた。逆に優勝候補同士の対決かとかなり期待していた第一戦目の浦和尾間木対川口アビリスタ戦にはがっかりさせられた。両者とも気合いが入りすぎたのか、意気込みすぎたのか、それともいつもそうなのかはわからないが、とにかくドタバタしたゲームだった。選手たちもドタバタしていた。あれではサッカーにならないのも仕方がない。案の定前半8分にはどちらもスタミナが切れ、あとはグダグダした展開がダラダラ続くだけの試合となってしまった。結果も、決定的なチャンスを外した浦和尾間木が負けたというだけであって、あれではアビリスタも「俺たちが勝ったのだ!」とは胸を張れないだろう。結局消耗しすぎた体力はこの日一日回復せず、勝ち上がったアビリスタは第二戦目となった代表決定戦でも「しょーもなー」という内容になっていた。もし相手がもうちょっとバランスの取れた戦力を有していたら、彼らが代表権を得られていたか、かなり怪しい。まあ相手となった大宮春岡も、10番君のキック頼みのみというチームだったので、どっこいどっこいだったとも言えるが。

本部テントのある側から試合を見ていると、向こう正面にいるパパさんママさんたちがよく見えた。
チームベンチのある側に、そのチームの応援団がいるので、どれがどこの応援なのかもわかりやすくて良かった。
私はすばらしい戦いを見せてくれた子供たちとチームスタッフには、ありがとうという感謝の気持ちしかない。年季の入った横断幕も伝統を感じさせてくれたし、おそろいのシャツに身を固めた保護者さんたちからも一体感が伝わってきた。だがそれは、ユベントスの応援席を除いてだ。
上尾ユベントスJFCの地元、上尾平方スポーツ広場が会場であるにもかかわらず、ユベントスの応援が一番少ないというのはどういうことなのだろう。他のチームは、遠く浦和の尾間木や川口、新座からもたくさん来ているというのに。
みな会場の設営・運営スタッフとして、裏方仕事に従事していたのだろうか。それにしたって、選手たちの兄弟やおじいちゃんおばあちゃんや、学校の友だち、あるいは北足立郡北部で互いに戦った他のチームの仲間たちやその関係者だっているじゃないか、と思うのだ。
ここで海外の例を出しても、「だから何? ああ、おたくリベラル系? 海外進んでる、日本遅れてるっていうアッチ系?」と笑われるかもしれないが、それを覚悟で私のささやかな経験をいくつか紹介する。
まずアメーリカ。
ここは少年サッカーではなくて、少年野球だったが、ちいさな大会であっても家族総出で応援に駆けつけていた。仮に仕事があっても、休みを取って応援に来ていた。おじいちゃんやおばあちゃん、ペットのでかい犬、兄弟姉妹。お兄ちゃんは彼女を連れて、お姉ちゃんは彼氏を連れて、弟や妹たちは、幼児用のユニフォームに身を包んで。白人黒人ヒスパニック関係なく、バーベキューセットとビールを広げて、ワイワイギャーギャーと応援をしていた。
ブラジルでは家族だけじゃなく、近所の人まで応援に来ていた。ただ通りかかった、まったく知らない人も試合を観戦していた。ただブラジルでは、一見「あんた間違いなくホームレスっしょ」って風ぼうの人が、元プロサッカー選手だったりするからあなどれない。審判なんかは、地元の開業医だったり市議会議員だったり、警察官だったり軍人だったり社長さんだったり、そういう人がわれ先にといった感じで、順番待ちするくらいの人気ボランティア職だ。
イタリアでは、教会の裏にある小さなグラウンドで毎週末試合をしていて、ご近所さんみんなが応援していた。
スペインでは遠くにいる親戚までが、朝早く車でかけつけてきて甥っ子の応援をしていた。
カナダのバンクーバーでは(サッカーではないが)、地元のアマチュア自転車レースなのに、街の中心街を閉鎖して、街全部で応援しているのにも出くわした。

それらの応援だって、日本のように“品が良い”ものばかりではなかった。
審判の判定にはクレームを付けるし、良いプレーには敵味方関係なく拍手、悪いプレーには敵からは罵声、味方からは無声。
とにかくうるさい。
特にブラジルはうるさかった。
もう二十年以上昔のことだが、その当時のブラジルは卑怯なプレーに厳しかった。審判の目をぬすんでずるをするような選手をすべての人が軽蔑していた。ブラジルのある年齢上の層に未だマラドーナが認められていないのは、おそらくそうした理由からだと思う。

私の知っているブラジルは、おばあさんを殺して金を奪う奴はいても、孫の振りをしておばあさんから金をだまし取る奴はいない国だった(でもこれからは、日本でノウハウを覚えた出戻りブラジル人が、オレオレ詐欺系の犯罪をやるんだろうなあ)。
だから、たとえ審判が見逃しても、観客がそういう振る舞いを見逃さないんだから、自然とそういう行為はなくなっていく。360度全方位から監視されていてずるはできないんだから、あとは自分が上手くなるしか試合に勝つ手段はない。だからブラジルの選手たちは、どんな環境に行っても実力を発揮できるのだろう。つい昨日だったか一昨日だったかに破産した東京読売べるでー1969~2010には、「マリーシア」という言葉で、汚く卑怯なプレーをさも世界の常識かみたいに喧伝する最低のスポーツマン、もとい、スポーツマンの看板を掲げたいかさま師どもが多数所属していたようだが、彼らのおかげでどれほどの数の子供たちが悪影響を受けたかを考えると、その子たちが主戦力に育っている現在の日本サッカーの体たらくもむべなるかなという思いがしている。

ユベントスの親御さんたちは、南部予選の通過くらいは当たり前だと思っていたのだろうか? 負けるわけがないと思っていたのだろうか? だとしたらそれはうぬぼれであり、慢心である。勘違いである。ユベントスというチームは確かに面白いチームだが、それほど圧倒的に強いチームでなない。ちょっとしたことでどんなチームにだって負ける可能性のある、まだまだ未完成なチームだ。
サッカーには必ず勝つチームもなければ、必ず負けるチームもない。ましてトーナメント戦なんてのは、何が起こるかわからないし、少年サッカーはわずか20分ハーフなのだ。一瞬のことで、試合の勝敗が決定する。それが少年サッカーであり、それが少年サッカーの醍醐味なのだ。なのになざ応援に来ないのか。

盲腸の簡単な手術だからといって、付き添いにも見舞いにも親が来なかったとしたら、子供はどう思うだろうか。
隣のベッドの見舞いの品を見ながら、何もない自分のベッドで眠りにつくわが子を想像したことはあるだろうか。
激しい接触プレーで自分は被害者なのに、さも相手の方が被害者で自分のことを加害者のように言っているかのように聞こえる歓声を耳にするわが子のことを考えたことがあるだろうか。
痛みにうずくまり、たった一人でそれに耐えているのはあなたの子なのだ。
すぐそばでは、ラフプレーをした子が「大丈夫か! がんばれ! やれるぞ!」と励まされている。あなたの息子は、ジョン・トラボルタとキアヌ・リーブスとルイス・フィーゴを足して、どれかを引いて、何かをかけて、泡盛で割ったような、新日ファン風のコーチがのそのそと来るのを、ほほを土につけたまま奥歯を噛みしめて待っている。
そのとき応援に来ていない母親は何をしているのだろうか? テレビを見ているのか? まだベッドの中なのか? それとも趣味のテニスにでも出かけているのか? 父親はゴルフか? 政治討論番組を見てくだを巻いているのか? 
「民主党はダメだなあ~、鳩山は頼りにならんなあ~」
アホか。ダメなのも頼りにならんのもお前じゃ。お前の分身が闘っているんだぞ。痛みに耐えているんだぞ。歯を食いしばっているんだぞ。敵の応援団から非難され、バカにされているんだぞ。お前は何をしてるんだ? 一生そのままか? なんてことを言うつもりは(あまり)ないが、でもあなたの子が小学6年生であるのはこの1年間だけだし、ずっと何年間も一緒にやってきた仲間たちとサッカーができる最後の一年間を見届けてあげられるのも、この一年が一生で最初で最後なのに、もったいないんじゃないのかなあ、と言いたくはなる。

脅かすわけではないが、生きている限りいつ死ぬかはわからないのだ。
30代でガンになれば、あっという間にこの世とお別れだ。反対車線の車がふっとハンドル操作を誤れば、あっと思う間もなくぐちゃぐちゃだ。加藤○○や宅間××、あるいは数日前の大阪の女みたいなののそばを、あなたの子供がたまたま通りかかっただけで、残酷な現実が目の前に突きつけられる。時はもう二度と戻らないのだ、と。

酒が飲めるようになった息子から、ある晩、
「あの時、応援がすごくて恥ずかしかったよ」
と言われるくらいの応援ができることは、とても幸運なことであることを知って欲しい。そして、
「でも、すっげえうれしかった」
って言われるような人生は、親として最高なんだってことを覚えておいて欲しい。

カントは、人間が動物でない証は、何かのためではない行為ができることにある、と論じた。
動物は、何かの為ではない行為をすることはできない。腹が減ったから食べるし、怖いから吠える。
しかし人間は、自分がやろうと決めたことをすることが出来る。それが何の見返りのないことであっても。そしてそれができることが、人間と動物とを分けている決定的なラインなのだ。

試合に自分の子が出られないからと言って応援に行かないのは動物と同じだ、とカントは言っている。
応援したからって勝てるわけじゃないし、自分には自分のしたいことがある、と応援に行かないのは動物と同じだとカントは言っている。
自分が応援したいから応援に行く、これが人間なのだ。
試合が面白いから、わが子が出るから、応援に行かないと世間体が悪いから、だから応援に行く、ではない。それではダメだ。

ただ応援に行く。

それが答えだ。

世界中の人が同じように応援に行ったら、世界中が幸せになる。そうだからこそ応援に行くのが人間なのだ、とカントはいっている。これを『カントの定言(カテゴリー)的命法』という。

ちなみにヨーロッパやアメリカへいくと、どんな小さな街にも立派なスタジアムがあって驚いたことはないだろうか。
あれは文化として、アマチュアスポーツが盛んだから、が理由ではないことをご存じだろうか。
あれは街中の大人たちが、街の子供たちのサッカーや野球を毎週末観戦するからできあがったものなのだ。
もし街中の大人たちが利用する施設でなかったら、例えば少年サッカーチームにわが子が所属している家庭だけとか、あるいは草野球チームに参加しているおっさんたちだけとかしか利用しない施設だったとしたら、税金でその施設を建設したり維持したりすることに賛否が分かれるのは当たり前だ。みんなの税金なのだから。
毎週末、少年サッカーや少年野球の観戦者で街のグラウンドがあふれるようになれば、そういう市民の声が自然と行政を動かすようになる。なぜなら観客である市民は選挙民であるから。
自分たちのことに税金を使うことへは誰も文句は言わない。施設が先ではないのだ。まず観客が先だということを、立派な街のスタジアムが欲しい人は忘れないで欲しい。
屋根付きの観客席や仕事帰りでも観戦できるナイター設備、雨でもしっかりプレーできるピッチは、選手ではなく観客のためにあるのだ。そして観客を増やすには、まず選手たちの親や兄弟、親戚が応援に行き、声をあげることが第一歩となる。わが子がOBになったとしても、自分たちのチームとして応援は続けてあげて欲しい。ライバルチームであっても、代表になったからには、心を鬼にして、応援してやるという気概が欲しい。
そうなればいつの日か、北足立郡北部の各街に、ナイター設備と屋根付き観客席のあるスタジアムが出来ていることだろう。広大な芝生のグラウンドが何面も荒川河川敷に並んでいることだろう。そして毎週末には、スポーツを楽しむ歓声が絶えない街となっていることだろう。
そういう未来を、私は夢みている。

2010年6月6日(日)に埼玉スタジアム2002で行われる県大会では、ユベントスカラー(たぶんエンジ色?)を身にまとった応援団がスタジアムにあふれることを期待している。あんなに寂しい応援席を再び目にすることになったとしたら、懸命に闘うであろう子供たちが可哀想だ。
鴻巣FCのカラーは(おそらく)濃いブルー、ユベントスは(おそらく)エンジ色。
時間がなくておそろいのシャツを作れなくても、庶民の味方、世界のユニクロがあるじゃないか。
誰のためでもなく、ただ自分のためだけに、6月6日(日)は埼玉スタジアムへ足を運んで、声を張り上げて欲しい。
それがあなたの人生になるのだから。

誰のための参加資格か

『第34回全日本少年サッカー大会 埼玉県大会 実施要項』によると、大会への参加資格は以下のように規定されている。



参加資格

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(1)2010年度財団法人日本サッカー協会第4種又は女子(少女)登録済みで、年間を通じて継続的に活動している単一チームであり、地区予選を勝ち抜いたチームであること。

(2)選抜チーム(複数チームの所属選手で構成し、年間を通じて活動しないで本大会への参加のみを目的としたチーム)の参加は不可とする。

(3)前(1)のチームに所属する選手であり、財団法人日本サッカー協会発行の選手証を有する者で、かつスポーツ傷害保険に加入済であること。

(4)第34回全日本少年サッカー大会参加申込書提出後の選手変更は認めない。
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似たような話で私の頭に思い浮かんだのは、高校野球での特待生問題だった。

当時、この問題についてどのような報道がなされていたのかを検索してみた。



[ニュース]

特待生「問題ない」3割 甲子園49代表監督に聞く

ある私立の監督によると、「ほかの学校はすべて免除なのに、こんな条件しか出せないのか」と、中学生の親や少年野球の指導者から迫られることが多いという。「物を値切るような感覚で学校を選ぶようでは、教育現場とは呼べない」と嘆く。 ブローカーなどから中学生の売り込みがあるかを尋ねたところ、私立2校が「ブローカーから売り込みがあった」と回答。17校が「少年野球チームの指導者からある」と答えた。 野球をするために親元を離れ、遠方の学校に進学する「野球留学」について否定的な監督は少数派で、「問題ない」「やむを得ない」が合わせて約7割にのぼった。理由は「進路の選択は生徒の自由」が大半を占める。
 だが、容認しながらも、周囲の大人が進学先を決めている実態を挙げ、「子どもの意思によるものでない例を多く聞くのは残念」「金銭が絡むのは問題だ」などの声もあった。
http://www.asahi.com/special/070426/TKY200709190073.html


[視点]

規制を強めれば野球にマイナス 

脇村会長は「(特待生に)歯止めがかかったことが大きな前進」と言った。「望ましい姿はルール化。ルールにすれば処分できる」とさえ言った。その発言からは、「各学年5人以下」という努力目標の設定を足がかりに、少しずつ規制を強めていこうという思惑が見え隠れする。
 会長には会長の理想とする甲子園像があるのだろうが、なぜそこまで特待生を目の敵にするのか。高野連が特待生への規制を強めれば強めるだけ、私学の野球離れは進むだろう。その分、ほかの運動部の強化に力を割くようになる。それは野球というスポーツにとって大きなマイナスではないか。競技団体にとって、それはみずから首を絞める行為ではないか。
 2009年度からの3年間の試行期間を経て、次の制度が決まる。高野連が「理想像」に向かって暴走しないように、加盟校は厳しくチェックしていく必要がある。(小石川弘幸)
(2007年12月1日 読売新聞)


[視点]

特待生の必要性明らかに 

昨年、日本高野連が世論の厳しい批判を受けて、ようやく容認した特待生制度。新たに採用する学校数が89校に達したことは、高校野球の現場で、いかに必要とされているかの証明でもある。
 それでも、1学年5人以下が望ましいと条件が付けられたことで、地方には「5人と制限されたら、来年度の野球部員は5人しか集まらないかもしれない」と危機感を募らせる私学もある。少子化が進む中、公立校志向が根強い地方の私学は、野球以外の競技や生徒会活動にも特待生制度を設け、学校の特色をより鮮明に打ち出し始めている。
 特待生を認めない日本学生野球憲章の見直しを迫られた日本学生野球協会は今年、検討委員会を発足させた。その場でさえ、「特待生を含むスポーツ推薦制度は(選手の)学業参加の機会を奪っている」と、いまだに制度廃止を求める意見がある事実に驚かされた。時代のニーズに合致した制度を確立する議論が必要だ。(杉元雅彦)
(2008年10月9日 読売新聞)





より深刻な問題を抱えている競技にラグビーがある。

ラグビーでは、大会の維持さえ危ぶまれているのが現状である。




[教育ルネサンス]部活激変

ラグビー部の部員不足は限られた地域の問題ではない。高校総体の地方大会に参加したラグビーの合同チームは昨年75チームと、5年前の2倍近くになった。
 「顧問同士で『今年は何人入りましたか』というのがあいさつ代わり。強豪校以外は部員獲得が共通課題だ」と言うのは、全国高等学校体育連盟(高体連)のラグビー専門部事務局長で、東京都立富士高校ラグビー部顧問の川中子(かわなご)修教諭(47)だ。同校もここ数年、他校と合同チームを作っている。 (2006年9月15日 読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/renai/20060915us41.htm




ラグビー人気が急降下した最大の理由は、ラグビーワールドカップでの連続惨敗にある。

ラグビー国際大会といえば5カ国対抗(英国4協会+フランス)と3カ国対抗(南半球強豪3国)という時代が長く続いた。その頃は日本でもラグビー人気が高かった。新日鐵釜石が何連覇したとか、明治の北島監督の「前へー!」がどうだとか、陸の王者の炎のタックルvsワセダワセダワセダ、とかで冬の国立競技場と秩父宮には人だかりの絶えることはなかった(記憶の美化作用により、やや大げさに表現されています)。


その人だかりはもう消えてしまった。

ラグビーでもワールドカップが始まり、そこで無様な姿を見せる日本代表に目を覚まさせられたのだ。

自分たちが熱中していたものは何だったんだ?

今年はどこが強いんだなんて、どうでもいいことじゃないか。だって全部弱いんだから。


明治の近代化以降、極東の島国であることを強烈に意識させられるようになった日本国民は、自分たちが井の中の蛙だと突きつけられることに耐えられない。

明治の近代化以前には、そんなことはなかった。外国とも対等に付き合えていた。自分たちの国と、他の国とを、「強い弱い」「進んでいる遅れている」「正しい間違っている」という尺度で見ることはなく、単純に「自分たちとは違う国」としてだけ見ていた。

だから話もするし、交渉もするし、ケンカもした。

しかし視点が、強弱や上下になってしまうと、「自分は下だから、あるいは弱いから、そうなっても仕方がない、とか○○する資格はない」と思ってしまったり、また逆に「私の方が進んでいるから、あるいは正しいのかだら、こうするのは当然だ、とか○○を得る権利がある」と思ってしまったりする。

つまり「強い立場にいる」ことを自覚することができないと、「自分たちには権利がないんじゃないか」と思ってしまうがために、自分が井の中の蛙であることを認識したくないのだ。井の中の蛙であることを知らなければ、自分は強いままでいられる。そのためには上を見あげてはいけない。上を見たら、井戸の口から空の高さを見てしまうから。

バカバカしいと私は思う。

どっちが上だ下だなんてど~でもいいことなのに、と思う。

ラグビーで全日本がよわよわだっていいじゃないの。弱くったって自分たちのラグビーを追求すればいいのにって思う。

高校ラグビーが合同チームだらけになったっていいじゃん。高校野球が特待生だらけになったっていいじゃん。って、ふつーに思ってる。

暴力団が取り囲んでいる土俵の中で、外国人がまわしを締めてとっている相撲を、日本放送協会が地上波と衛星で世界中に放送してるんだぜ。日本人が、この狭い国土の中で、どんなチームに所属したっていいじゃん。ちっさい話だぜ。

FC浦和がなくなった。その代わりに××少年団が有力選手をかき集めたらしい。名前だけ登録してあって、全日本少年サッカー大会になると現れる幽霊チームがあるらしい。最初は偽名や微妙に違う漢字で選手証を申請しておいて、後で修正するっていうやりかたをしてるチームがあるって話だ。

こんなレベルの噂でゴタゴタするのはちっさいちっさい。そもそもそういうことをするのは全部大人であって、子供じゃない。大人が悪いんだ。特に親が悪い。子供にそれを拒否することはできない。

どんなにずるしたって、その行き着く先は、バカくぼとかバカめだ程度。あるいは犯罪者か、むこう正面たまり席に陣取るか、いいとこそれが関の山だ。

ぺらっぺらメッキでしかないその実力は、当然国際社会じゃあ通用しない。そういえばアホくぼさんは海外移籍したことがあったように記憶してるけど、どーなったんだっけ? また給水ボトルけっとばしてたのかな? かっこいいなあ。あこがれちゃうなあ。

埼玉県中から現時点での精鋭をかき集めて少年サッカーチームを作ったとしても、その中からは国際的に通用するような選手は生まれない。日本代表になれる選手が含まれているかさえ、かなり怪しい。日本中から精鋭を集めた(はずの)日本フル代表だってあの程度なんだから、それから推察すれば、現時点での旧浦和市小学生選抜なんて、ちっさいちっさい。完全に、指導者たちの“腐った臭いのするさみしい権力争い”と、まるで昔の自分には才能があったはずと記憶修正済みの“痛いお父さんお母さん”たちの、浅はかな作戦なんだから、「まいったです~、それは禁じ手です~」と福島社民党党首口調で抗議してあげる程度で、それ以上は相手にしないことだ。疲れるだけだ。そういう連中は、抜け穴を見つけて、どうせまた同じことをするんだから。痴漢がこりないのと一緒のメンタリティ。病気なのです。

もういっそのこと、予選で勝ち上がったチームは、既に負けたチームから選手を補強できるようにしたらどうだろう。

そうすれば、最終的に代表となったチームは、名実共に代表となれるじゃないか。すばらしいアイデアだ。

そうだこのシステムでも選手だけじゃあ片手落ちだな。

監督も入れ替え可にしよう。

選手、監督もいいのを揃えられた。あと残りは親か…使えそうな親は、いるのか、な。

2010年5月26日水曜日

もしもブッダが日本代表の監督だったら

日韓戦での完敗を受け、試合後の会見でブッダ監督は次のように述べた。

「サッカーは苦しみに満ちている。
苦しみには原因がある。
苦しみは解脱によって消せる。
それには『道』を知らねばならない。
私はその『道』を知っている。私に従いなさい。
そもそも全ての苦しみの原因は『愛』なのだ。自分を愛し、自分ではないものを愛し、自分の物を愛し、自分の物ではない物を愛し、そしてその愛を注いだ対象が『自分の思う通りにならないこと』に苦しんでいる。
あなた方の中に、今日の試合のことで苦しんでいる人がいるとしたなら、それは日本代表チームを『愛しているから』に他ならない。
だがそれは誤りである。
そこには『愛している』自分に関して、根本的な理解が欠けている。日本代表チームを愛しているあなたは無知なのだ。なぜなら、そもそも、『自分』などというものは存在しないのだから。
あなた自身も、そしてあなたがいるこの世界も、すべてはみな『空』なのだ。
あなたは日本代表チームを、『自分のものだ』と思い、それに執着し、そして苦しんでいる。実に滑稽だと私は思う。あなたも、日本代表チームも、常に変化していて、一時も留まっていないのに、それに執着するとは。
こだわっているあなた自身は、すでに生まれ変わっている。
こだわっている日本代表チームも、すでに生まれ変わっている。
先ほど負けた日本代表チームは、もうこの世界のどこにも存在していない。
そしてそれは二度と戻ってこない。
完全に消えてしまったのだ。
そしてそのことで苦しんでいたあなたもすでに消滅している。
すべては『空』であるのだから、あなたが抱いていると思っていたその『苦しみ』や『怒り』も、実はどこにも存在していないのだ。そして当然、『愛』などというものも存在しない。
存在しないものに執着してしまうことが、本来ないはずの『苦しみ』を生み出してしまう。
だがその生み出した『苦しみ』も、実際にはどこにも存在してはいない。
つまり、あなた方は今日の敗戦についてもう考える必要もないし、もし考えるのだとすれば、それは自らが自らに『苦しみ』を与えていることに他ならない。それは私にはどうすることもできない。
その『苦しみ』から逃れようとするなら、まずあなた自身が、すべてから解き放たれようと努力すべきだ。
今ここで、日本代表チームについて語ることが、それに合致しているだろうか。
私がその答えを口にする前に、あなたにはその答えがわかっているはずだ。
さあ、もうこのあたりで会見は終わりにしようではないか。この会見それ自体が『空』なのだから」

身代わり地蔵

桶川駅東口を出て、旧南小学校跡地の東沿いに『身代わり地蔵』ってのがある。
小さいけどまあまあ丁寧に作られたお堂の中の墓石みたいな石碑の上に立っている。
お地蔵さんの大きさ自体はそんなに大きくない。
由来を書いた案内板が横に立っているのは知っているが、それを読んだことはない。字と文が下手っぴだから。

お地蔵さんってのは地蔵菩薩のことで、地蔵菩薩ってのは、アホな人間どもを何でか知らないけど助けてくれるためだけに、この世にやってきてくれている。
お釈迦様はとっくにこの世から去ってしまったんだけど、次に来るはずの弥勒菩薩(みろくぼさつ)の到着がすげえ遅いんで、その間をつなぐのがお地蔵さんだ。どのくらい間があるのかっていうと、これがすごい。
なんと、56億7000万年、もある。
地球が始まったのがおよそ45億年前とか言われてるから、いまから同じ時間が過ぎたとしてもまだ16億7000万年足りない。
おそらく本気で来る気はないんじゃないかな。

♂「次、いつ会える?」
♀「56億7000万年後ね」
♂「うん。じゃあ楽しみにしてる」

それじゃああまりにも可哀想だって考えてくれて、「その間は私が着付き合ってあげる」って言ってくれたのが地蔵菩薩ちゃんだ。

拍手!(゚∇゚ノノ"☆(゚∇゚ノノ"☆(゚∇゚ノノ"☆パチパチパチ!!!

地蔵菩薩ちゃんの中でも、身代わり地蔵ちゃんは、なんと閻魔大王から受ける裁きを本人に代わって受けてくれるって言うんだから驚く。日本の現行法なら完全に犯罪だ。でもお地蔵さんならそれもOK。
さらにさらに、身代わりになってくれる内容も本人に責任があるものばかりだけじゃなくて、世間一般のことや「それって自然じゃん」ってことまで、ご苦労なことに身代わりとなってくれる。例えば今話題の口蹄疫のことや、極東安全保障問題や、メキシコ湾の原油流出や、PIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン)の財政破綻リスクや、朝鮮半島不安、大雨、すっげえ寒い、すっげえ暑い、地球温暖化、禁煙が大変、ダイエットが辛い、頭がわるい、顔が悪い、もてない、騙した、騙された、なんてのも、全部まとめて身代わりになってくれるっていうんだからありがたい。

今週末の29日(土曜日)に、全日本少年サッカー大会の県大会組み合わせ抽選会がある。
そのとき必ず、くじ運の良い悪いが生じる。
その悪いくじ運を、前もって身代わり地蔵菩薩ちゃんに持っていってもらえば、必ずや納得のいく抽選結果を得られる、に違いない、ような、気もする、と、思ってみても、楽しいんじゃないか、って考えてみた、りして。(*^.^*)エヘッ

2010年5月25日火曜日

天才少年の行き着いた先

クライフによるとオランダ人は違うとのことだが、その他のほとんどのサッカー少年にとって、究極の目標は自分の国の代表選手としてワールドカップに出場することである。
その夢を叶えることになるであろう23人が、明日国旗日の丸を背負って出立する。
十年から二十年前、彼らが少年サッカーチームでプレーしていたとき、本気でこの日が来ることを信じていただろうか。

多くの同胞の想いと労によって支えられている組織の指揮官が、その決戦に向かって旅立つ前に、「私、辞めましょうか」と冗談を言ったのだという。
たとえ真実はそうではなかったとしても、それがどんな状況下でのことであったとしても、そのことをマスコミにペラペラ話す人間を、私は認めることが出来ない。

昨日の日韓戦を見た限りにおいて、より深刻な状態にあるのは韓国チームの方だった。
あの日本の守備陣をろくすっぽ崩せないというのは、攻撃力がほとんどゼロであるということを意味している。
長友に抑えられてしまう選手に期待するしか手のない攻撃でワールドカップの本番に向かう勇気が日本以上であることは確かだが、なまじ2-0という結果を出してしまったがために、その修正を出来ないままになってしまうのではないかと、私は他人事ながら心配してい──ない。ボロ負けしたって、彼らは平気だからだ。なぜなら、南北朝鮮には、最高の言い訳が用意されているからだ。
「朝鮮半島情勢が気になって集中できなかった」
この証文がある限り、今度のワールドカップでどんな成績となろうと、彼らは誰も責任を問われることはない。

だが日本チームは違う。
少年サッカーでの天才少年たちの行き着く先が、無様な三連敗では困るのだ。
カメルーンにも、デンマークにも、オランダにも、全日本少年サッカー大会のような「ごたいそうな大大会」はない。ヨーロッパでもアフリカでもラテンアメリカでも、少年サッカー段階では地元地域のこじんまりした、日本で言う対抗戦のような試合があるくらいだ。指導者にしても、バルサやアヤックスやフラメンゴといった有名チームでさえ、常勤の専属コーチというものはなく、皆、別に本職を持った人間が、ほぼボランティアとして指導している。Jリーグの下部組織スタッフみたいに、その給料で家や車のローンを組んだりできるなんてことは絶対にない。
(つうか、万年降格争いしてるチームの練習場にポルシェが並んでるって、どんだけ甘やかされてんだよって話だ。日本人選手が海外に挑戦しない理由は実力不足なんかじゃない。いまのままポルシェに乗っていたいからだ。サッカーがしたいんじゃなくて、ポルシェに乗りたい人間の集まりなんだから、Jリーグのレベルが向上しないのも当たり前。でもたぶん、ポルシェや超高級腕時計に関するうんちくを語らせたら、Jリーグのレベルは世界一なんじゃないかな。間違いなく、岡田逃げ足スプリンター武史監督も、ものすごく詳しいと思う。サッカーについては、あんまり関心ないみたいだけど。)

少年サッカーで子供たちを指導されている方々には、どうかサッカーを好きな子供を育て伸ばすような方針で指導をして頂きたいと、心からお願いしたい。ポルシェに乗りたい、六本木で派手に遊びたい、一流芸能人みたいに扱われたい、男の子たちがそう思うのは極自然なことだけど、その気持ちを利用して、ただ勝利を目指すような指導はして欲しくない。
サッカーを最高に楽しいと思ってくれるような選手を育ててください。
ポルシェに乗る方が、サッカーをしているよりも楽しい、いや楽しいのならまだいい、サッカーをする理由が、ポルシェを買いたいからというような選手まがいの偽物を育てるような間違いに手を染めて欲しくない。そんなことのために、貴重な人生の時間を浪費しないでください。
サッカーを愛しているのですから、サッカーを愛してくれる人と世界のために、人生の一部を捧げましょうよ。
ポルシェに人生を捧げるのは、ポルシェが好きな人に任せておけばいいんですから。

最後に、昨日の日韓戦後半12分にあったように、給水のボトルを蹴り飛ばし、そのせいでピッチ内に飛んでいったボトルのふたを対戦相手に拾ってもらって、その礼も言わずにふてくされているような『お~さむ~ら~い』が出場している限り、私はそのチームを応援しません。

第34回全日本少年サッカー大会埼玉県南部地区大会最終結果

2010(平成22)年第34回全日本少年サッカー大会
埼玉県南部地区大会最終結果

◆NTT東日本志木総合グランド(芝) 5月22日(土)
13:00~19:00 天候 曇り
Aブロック 
(南)安行東 4 × 1 ★(北)上尾東
(さ)アルディージャ 5 × 0 (南)和光イレブン
(南)安行東 0 × 2 (さ)アルディージャ

Bブロック
(さ)浦和常盤 0 × 3 (南)FC宗岡
★(北)上尾尾山台 0 × 5 (さ)浦和三室
(南)FC宗岡 0 × 3 (さ)浦和三室

◆戸田惣右衛門グランド(芝) 5月23日(日)
09:30~午後 天候 土砂降り
Cブロック 
(さ)大宮三橋 1 × 3 ☆(北)伊奈小針
(南)新座片山 5 × 0 (さ)NEOS
★(北)伊奈小針 0 × 6 (南)新座片山

Eブロック 
(南)クラッキ 3 × 2 (さ)浦和上木崎
☆(北)鴻巣FC 1 × 1 (南)戸田一 PK4-3
(南)クラッキ 0 × 2 ☆(北)鴻巣FC

◆上尾平方スポーツ広場(土) 5月22日(土)
10:00~午後 天候 曇り
Dブロック 
(南)アビリスタ 1 × 0 (さ)浦和尾間木
(さ)大宮春岡 2 × 1 (南)新座たけしの
(南)アビリスタ 3 × 1 (さ)大宮春岡

Fブロック 
(さ)大宮指扇 1 × 3 (南)新座エース
(南)川口柳崎 0 × 2 ☆(北)ユベントス
(南)新座エース 0 × 1 ☆(北)ユベントス

北足立郡北部、北足立郡南部、さいたま市、からそれぞれ2チームずつ勝ち上がった。

◆県大会組み合わせ抽選会
5月23日(土)

2010年5月24日月曜日

現日本代表に負ける方法

今の日本代表に負けるのは結構難しい。
基本的には、クリアボールが裏へ抜けるように意識して最終ラインを設定しなければ、日本代表は得点してくれない。
広く、浅く、ラインを設定し、その間からFWが簡単に抜け出ることができるようにしなければ、日本代表のFWはボールをコントロールできない。2タッチ目で強くつつくクセを全FWが持っているので、決してゴールキーパーは前に出てはいけない。もし出てしまったら、日本のFWは特攻スライディングシュートを仕掛けてくるので、ケガに注意する必要がある。

また簡単に、日本DFの裏を狙っては行けない。
彼らはミッドフィールドでボールを追い回すことに快感を感じているのだ。だから、ジャックラッセルテリアと遊ぶように、くるくると中盤地域でボールを回してあげることが、彼らに達成感を覚えさせることにつながる。彼らは「燃え尽きた感」に飢えているのだから、こちらとしても、協力してあげるべきだ。

意外なタイミングでシュートを打っては行けない。そんなことをしたら確実に得点してしまう。
シュートを打つときは、必ずドアをノックしてから。

フリーキックを与えても無駄だ。彼らはそれを得点機ではなく、マスターベーションに使ってしまう。ゴールの枠に蹴れないキッカー同士で誰が蹴るかを争っている姿を見て、もてない男の妄想経験談義のようだなどと笑ってはいけない。彼らは、自分がもてている、と思っているのだから。「彼女? 今はいないよ」と言うように「ゴール? 最近ちょっとタッチがね」と答えたとしたら、ただうなづいてあげることが大人の優しさだ。決して「お前が決めてるとこ、見たことないんだけど?」などと言ってはダメだ。“チェリーボーイ”は傷つきやすいのだから。それが心の傷となって、ずっと立たなくなったらどうするんだ。

日本の監督やスタッフは、ちょっとやそっとのことでは試合中の展開を読み取ってはくれない。
こちらから相当明確にシグナルを送っても、それがシグナルだとわかってくれない。言葉が通じないというか、コミュニケーションの仕方が違うのだと思われる。
したがって、日本チームに今がチャンスだ、あるいは今は危険だ、あるいはここがねらい所だ、あるいは注文通りになってる、などということを伝えることは至難の業なのだ。
結局のところ、後半の30分過ぎにこちらが全体を下げて、日本チームの位置取りを高くして上げることが、最も日本チームのリズムを良くできる。絶対にこの逆、つまり後半30分を過ぎた頃から、裏へロングボールなどを入れてはだめだ。そんなことをしたら得点してしまう。日本のセンターバックは、スピードもスタミナも駆け引き能力も有していないのだから。サイドバックにいたっては、サッカーよりもトラック競技の方が向いているくらいだ。彼らは道を誤っている。サッカー選手は、ボールと一緒に走らなければならない。

以上のように、現在の日本代表に負けることはかなり困難をともなうミッションだ。
日本代表の、ゲイが着るようなユニフォームも気持ちが悪い。
似合わない無精ひげにいたっては、脳みそに生えたカビが顔の表面にまで伸びてきたのかと心配にさえなる。
髪も切れ。シャキッとしろ。サッカー選手である前に、スポーツマンだろうが。
ロッベンなんて、26であの頭だぞ。
神様から、「ロッベンの才能を与える代わりに、頭もロッベンになるけどいい?」って聞かれたら、絶対に断るだろ。なあ、えんどー君、しゅんすけ君。うっちー。ホントどーすんだよ、このままでいいの?

最後に、後半の12分に給水用のボトルを蹴り飛ばしている『サムライ』に、スポーツ観戦ではなかなか覚えないくらいの怒りと軽蔑を抱いたので、このバカ、いえ『おサムライさま』が出場する限り、そのチームのことは絶対に、何があっても、これっぽっちも応援しないこと決めました。そうしたらすっと楽になりました。今は、南アフリカワールドカップの開幕がとても待ち遠しいです。

データメモ この世代の県大会成績

2009年度 第33回全日本少年サッカー大会 
埼玉県予選 県大会出場チーム
南部 新座片山 川口FCアビリスタ 桶川 大宮アルディージャジュニア 川口戸塚 FC浦和
西部 上福岡少年少女 ふじみ野旭 所沢マッシュ ふじみ野大井
東部 越谷大袋 行田ペガサス 三郷南郷 八潮レジスタFC
北部 熊谷東 熊谷江南南
ベスト8進出チーム
南部 新座片山 川口アビリスタ 大宮アルディージャ 川口戸塚 FC浦和
北部 熊谷東
西部 ふじみ野旭 ふじみ野大井
ベスト4進出チーム
南部 新座片山 川口アビリスタ 大宮アルディージャ FC浦和
決勝戦
南部 新座片山 大宮アルディージャ(優勝)

2009年度 第4回埼玉県第4種新人(5年生以下)戦
中央大会(2010-2月開催)
南部 川口FCアビリスタ 川口戸塚FC 北本キッカーズ 新座片山 浦和尾間木 大宮アルディージャ
西部 サイタマジュニア 飯能ブルーダ 上福岡少年少女 鶴ヶ島サザン
北部 チベッタ花園 熊谷江南南
東部 行田西 レジスタFC 蓮田キッカーズ 越谷サンシン
ベスト8
南部 アビリスタ 戸塚 北本 新座片山 大宮アルディージャ
西部 サイタマジュニア
北部 江南南
東部 越谷サンシン
ベスト4
南部 アビリスタ 戸塚 新座片山 大宮アルディージャ
決勝戦 
アビリスタ 大宮アルディージャ(優勝)

快挙! 北足立北部地区から2チームが県大会へ!

伝聞情報だが、鴻巣FCプライマリが県大会進出を決めた。



鴻巣FC 1-1 戸田一  4PK3

クラッキ 3-2 浦和上木崎

クラッキ 0-2 鴻巣FC 


すでに北足立郡北部からはユベントスが県大会進出を決定していたので、これでこの地区からは2チームが埼玉スタジアム2002の芝を踏むことができる! サブグランドだけど、埼スタは埼スタさ!




私は鴻巣FCの監督さんに好感を抱いている。といっても面識はなく、大会の時などに、遠くから目にするだけだが。
私は勝手に彼のイメージを、アニメ『メジャー』に出てくる三船リトルの安藤監督と重ねている。いろいろ気遣いをする性格で、礼儀にうるさく、厳しくしなきゃと思ってるみたいなんだけど、でも明らかに気が弱そうで、少年サッカーと子供たちのことが大好きで、最高にやさしい、そして家に帰るとちょっと居場所ない、みたいな風に勝手にキャラづけしている。


そんな監督さんのチームが県大会に勝ち上がってくれて、私はすごくうれしい。


鴻巣FCというチームは、なかなか他にはないようなチームスタイルを持っている。北ドイツあたりのジュニアチームなんじゃないかというくらい、体格の大きな子がそろっているのだ。シマシマじゃないけどインテルに似ているユニフォームが、その体格にこれまたよく似合う。この中から将来、ユニバーシアード代表に名を連ねる選手が育ってくれるのではないかと、私は秘かに期待している。


南部予選の会場が、悪天候により芝ピッチへ急遽変更となったことも、彼らを利したのではないかと推察する。


なぜなら彼らのホームタウンである鴻巣市には、芝ピッチのサッカー場が三つもあるのだ。


鴻巣市陸上競技場(天然芝)


鴻巣市上谷総合公園サッカー場(人工芝)


鴻巣市吹上荒川総合運動公園(天然芝)


天も味方してくれたんだ! そして県大会の会場も芝ピッチ。彼らにとって埼玉スタジアムは、ホームスタジアムみたいなものだ(ホントか?)。

この日は、同じ会場で闘った伊奈小針も健闘した。

大宮三橋 1-3 伊奈小針

新座片山 5‐0 NEOS

伊奈小針 0-6 新座片山

もしも相手が優勝候補じゃなからったら…と思わずにはいられない。そうなっていたら、北足立郡北部から3チーム…、いやそこまで贅沢を望んだらバチが当たる。5チームから2チーム勝ち進んだだけでも十分上出来上出来。

また、2チームが県大会へ進んだことで、北足立郡北部全体のレベルアップも期待できる。

1チームだけだと、北足立郡北部地区内でそのチームと対戦できるチームがかなり限られてしまう。それが2チーム、さらに上尾と鴻巣という別地域に所属しているとなると、北足立北部地区内のあらゆるチームが、これら県大会進出チームと対戦する機会を得ることができるだろう。「県大会」が遠い存在から、身近な存在へとイメージチェンジするのだ。子供たちにとってこれは大きい。がんばれば自分たちだって県大会へ行けるかもしれない、と思って練習するのと、県大会になんか行けっこないじゃん、つうか考えたことないし、と思って練習するのとでは、その効果がまったく違う。

鴻巣FCが県大会へ進出できたことは、こうした意味でもとても重要なのである。

よくやった鴻巣FCプライマリ! ユニフォームもかっこいいぞ! みんな足長いし! 監督、よかったね! うまい酒飲んで泣いたんじゃないっすか? でも油断することなく県大会でも勝利を狙ってください!

囲碁と将棋と少年サッカー

私は囲碁も将棋も面白いと思っている。その面白さは、サッカーと通じている。
囲碁と将棋は似ているようでまったく違う。囲碁は広さを読み、将棋は深さを読む。囲碁は過去を変えられず、将棋は未来を変えられない。
だがどちらにも共通しているのは、今自分が存在しているのが『過去』なのか『未来』なのかがわかった時が、勝敗が決した時だということだ。

サッカーにおける個々の局面は、将棋に似ている。それは一対一の駆け引きであったり、セットプレーであったり、ポジション取りだったり、いろいろだ。
試合全体を俯瞰してみれば、それは囲碁そのものだ。キックオフで動き出したボールが選手たちを介して模様を描き、タイムアップの瞬間により多くを取った方が勝利する。

サッカーには、さらに面白さを増す要素がある。
選手一人ひとりが、飛車なのか銀なのか桂馬なのか、その時々によって変化すること。そして審判の判定によって石を交換されたり、取り去られたりすることだ。このスペクタルは、囲碁にも将棋にもない。

弱い弱いと言われている少年サッカーチームがあったとしても、サッカーの面白さを味わうことはできるし、面白いサッカーをすることもできる。下手だ下手だと思い込んでいる子も、サッカーの上手い下手が『面白さ』ではないことさえわかれば、人生をサッカーと共に歩むことが出来る。まだ幼い子が、きゃっきゃ、きゃっきゃとサッカーボールを蹴って喜んでいるのは、上手だからでは決してない。試合を応援しているお父さんやお母さんが身を乗り出して声を張り上げているのは、馬券を握りしめた観客と同じ理由からではない。

理由は単純。
サッカーとは面白いものだからだ。
そしてどんなチームであっても、選手であっても、指導者、コーチ、監督、親御さんたちであっても、『今』を『過去』にも『未来』にもすることができる。
それがサッカー。
だからサッカーは面白い。

2010年5月23日日曜日

チャンピオンズリーグ決勝 インテルvsバイエルン

ぱっとしない決勝戦だった。
インテルの方は、
守備:ロッベンにボールを持たせて、ゴール近くには入れさせない。遠目からなら好きに打たせてOK。みんなあんま上がるな。守れば君たちがチャンピオンだ!
攻撃:この大会はミリートの大会と呼ばれることとなるだろう。だからボールを奪ったら、全部ミリートに。
バイエルンの方は、
とにかくリベリーがいない時点でお手上げだな。ロッベン君、どうにかしてくれ。

じゃあこの作戦がうまくいったのかというと、どちらもあまり成功していなかった。
ロッベンには何回かゴール近くまで侵入されてたし、バイエルンの方も、早めにロッベン頼みから脱していれば、インテルの守備は崩せていた、と思う。コンディションは明らかにインテルの方が良くなかった。
結局はやっぱりミリートの大会だったわけで、ということは、それを見越して割り切ったモウリーニョの賭がうまくいったんだから、ファンハール<モウリーニョってことは決定。この試合に限っては。


この試合はフジテレビの中継で見たのだけれど、その中で、このアナウンサーとゲスト解説者を騙すのは簡単だな、と思わざるを得ないようなことがあった。
モウリーニョとファンハール、ふたりの師弟関係を象徴するエピソードとして以下のような話が紹介された。
モウリーニョにかなり低レベルのチームから監督のオファーが来た際、

「そんなチームの監督になるくらいなら、私の元でアシスタントをするべきだ。一流になりたいのなら、一流だけを相手にしろ」


とファンハールが説得し、モウリーニョはバルサのアシスタントを続けた、というような話だった。
細部については違っているかもしれないが、だいたいはこんな話だった。
アナウンサーとゲストは、このエピソードを、モウリーニョの才能を見抜いたファンハールの親心、みたいな美談として語って、安っぽい感動を電波に乗せていた。
私に言わせれば、お前らの頭が電波だろ、って感じだったのだが、まあ試合の中継自体も同等のレベルだったので、生暖かく見守ってあげることにした。
・ファンハールがそういうことをしたのは、それが唯一じゃないかもしれない。
・モウリーニョがオファーをことわった理由はそれだけじゃないかもしれない。
・本当にそんなエピソードがあったのかわからない。
・本当だったとしても、ファンハールの意図は別だったかもしれない。
・結局さあ、モウリーニョが成功したからの話ってことでしょ。
・師弟? やってることもサッカーも価値観も、まったく違うみたいですけど。

【総評】
出場停止をくらったのがミリートだったら、間違いなく結果は逆になってた。
ベストメンバー同士だったとしても、結果は違ってた。
サッカーそのものの内容としても、共産主義国同士の試合みたいだった。

伊奈小針と鴻巣FC、頼むぞ!

天候により、CEブロックの会場と試合時間が変更になった。

戸田にある、太郎右衛門橋みたいな名前の天然芝グラウンドになって、試合時間も30分繰り上がったらしい。

◆CEブロック会場 
2010年5月23日(日)

戸田市惣右衛門サッカー場
〒335-0034埼玉県戸田市笹目1丁目38   048-422-2735

第一試合開始        09:30
Cブロック代表決定戦開始 13:30
Eブロック代表決定戦開始 14:30

Cブロック 09:30 大宮三橋 - 伊奈小針  10:30 新座片山 - ネオス  13:30 代表決定戦
Eブロック 11:30 クラッキ - 上木崎     12:30 鴻巣FC - 戸田一   14:30 代表決定戦

8時前から雨は降りだした。気温も低い。こういう日は、ピッチ状態も重要だが、それ以上に待ち時間の過ごし方が影響する。
雨の当たらない、暖のとれるような場所を確保できないと、じっとしているだけで体力を消耗してしまう。夏山で遭難した時は、食料よりもまず体を濡らさないことというのと同じで、気温が低い状況で濡れたままでいるというのは、知らない人が想像する以上に危険な状況だということを知って欲しい。
それと、寒さ、慣れない濡れた芝、大事な試合、という条件が重なると、子供たちはムチャをしがちだ。
骨折や重度の捻挫、十字靱帯断裂といった、後遺症が一生残るようなケガをするリスクが飛躍的に高くなる。
会場の責任者は、このグラウンドから近い、休日診察医療機関をリストアップして、できれば事前に、こういう大会を近くで開催していますので、何かあったときはヨロシクお願いしますと電話を一本入れておいて欲しい。
そういう一言情報があるだけで、医師としては心づもりができるから、かなり助かるものなのだ。

最後に、北足立郡北部地区の代表として、伊奈小針と鴻巣FCにはがんばって欲しい。
(○ `人´ ○) タノンマスー!       m(゚- ゚ )カミサマ!

2010年5月22日土曜日

NTT志木会場

県大会出場チーム
大宮アルディージャジュニア
浦和三室

全日本少年サッカー大会 埼玉県予選 県南大会 上尾平方

アビリスタ 1 × 0 浦和尾間木
0-0
1-0
開始からどちらも飛ばし、8分過ぎにはどちらもガス欠。
尾間木が自陣ゴール前で判断に迷う場面散見。
後半18分、超決定的ともいえる得点機を自ら枠外へ外した時点で試合終了。

大宮春岡 2 × 1 新座たけしの
2-0
0-1
春岡の10番が、プレースキック上手。
得点もそれ絡み。
新座たけしのの1点は、後半20分。

大宮指扇 1 × 3 新座エース
0-2
1-1
新座エースは、ザ・新座スタイル。

柳崎 0 × 2 上尾ユベントス
0-1
0-1
特になし。ふつうにスコアのまま。

D組代表決定戦
アビリスタ 3 × 1 大宮春岡
2-0
1-1
アビリスタ、疲れちゃったのかな?

F組代表決定戦
新座エース 0 × 1 ユベントス
0-0
0-1
いつものように、入らなそうなところからは好きに打たせるユベントス。
対戦相手が強くなってもそれを続けるのか?
手の内を隠したまま、試合終了。
新座エースも、もっとがんばれ。

【平方会場からの、県大会出場チーム】
アビリスタ、ユベントス

試合終了

ユベントス1
新座0

後半7

ユベントス1

前半終了


試合終了

アビー3
春岡1

後半11

アビー追加点

後半2

春1

前半終了

アビー2
春岡0

前半19

アビー追加点

前半17

アビー1

試合終了

ユベントス2
柳0

後半2

ユベントス追加点

前半終了

ユベントス1
柳0

前半17

ユベントス1

試合終了

新座3
指扇1

後半15

指扇1

後半2

新座追加点

前半終了

新座2
指扇0

前半11

新座追加点

前半2

新座1

試合終了

春2
た1
たけの点は20分

前半終了

春2
た0

前半16

春追加
2点目

前半12

春fk
1

試合終了

アビー1
おま0

後半

アビ
1

前半了

あ0
お0

テスト試合前

0950

名前と少年サッカー

少年サッカーを観戦していて困ることがある。
それは、似たような名前ばかりで、ベンチやチームメイトからのコーチングが誰に対してのものなのか、部外者である私にはわかりにくいことだ。おそらくいつもその声を聞き慣れている者なら、微妙な差異が判別できるのだろうが、その日その時はじめてきいた私には、いっつも同じ子が指示を受けているように聞こえるのだ。どこの会場へ行っても。

ホントにその名前が多いのか調べてみた。
(有名どころの明治生命の名前ランキングから)

1997 翔太  健太 大輝 陸 拓海 大地 大樹 翼・駿
1998 大輝 海斗  翔太 大地大樹拓海 一輝 涼太 ・智也
1999 大輝 拓海 海斗 大輔・陸・ 大樹 翔太 健太・蓮

名前の読み方ランキング50(2009)
はると ゆうと ゆうき こうき りく そら ひろと そうた ゆうま はるき こうせい はやと ゆうた たいが ひなた かいと そうま そうすけ るい えいた やまと れん りょうせい こうた れお えいと しゅん ともき ようせい りょう りょうた りくと しょう しょうた たくみ ゆいと らいと だいき はる こうすけ はるま ゆう けいと けいた しょうま たいせい りょうと あゆむ いぶき たくま ひびき りょうき れい


この太字にしたあたりの名前ばかり耳にするような気がする。
こうした名前の子が多いのか、あるいはよく指示され易いのかはわからないが、どこへ行ってもこの系統の名前ばかりが聞こえてくるのだ。
どんな名前を付けようが、どんな名前の付け方をしようが、かまわないと私は思っている。
日本中の男の子女の子の名前が「はる○」となっても一向に構わない。
でも、サッカーしてるときに、それだとやりづらいでしょとは思う。
みんながニックネームで呼び合ってくれたら混乱しないんだけどなあ。
やたらと長い名前ばかりのブラジルでは、ニックネームの方がメインになっててもまったく困ってないみたいだし、ブラジル大好きな日本のサッカー界(最近はそういう傾向も薄れてはきたけど)でそういう文化が根付くのも悪くないと思うんだけどなあ。
監督が率先して、子供たちにニックネームを付けてみるってのはどうだろう。
その子の名前を短縮化したようなちゃちな奴じゃなくて、その子の特徴と名前を融合したようなニックネームを付ければ、その子たちがOBになって、学校も離ればなれになってしまったずっとあとになっても、お互いのことをすぐに思いだせると思うんだよね。記憶術ってそういうもんだし。

勝った負けただけが少年サッカーの持つ「すばらしさ」じゃあないと、俺は確信してる。
流行と関係なく、時間と空間を越えられるもの(サッカー)をひとつ、子供たちの人生に渡してあげることのできるものだし、
人生には、いくらがんばってもどうしようもないこともあれば、思わず手に入れられることもあるんだって学べるし、
共に泣き、共に笑い、共に悔しがり、共に歓喜する経験もできるし、
そして人生の友を得ることもできる。それが少年サッカー。

いつも負けてばかりだった、ちょうど11人しかいないチーム。
そのメンバーは、一度も優勝旗を手にすることはなかった。
晒し者にされているような大敗だって何度も経験した。
でも誰もやめなかった。11人いないとチームにならないから。
ろくな指導者もいなかったから、彼らはサッカーは学べなかったかもしれない。
でも彼らは間違いなく、サッカーから何かを学んだ。
ボールがひとつあれば試合ができるサッカーだけが持つ、こんな「すばらしさ」だ。

2010年5月21日金曜日

セザンヌとサッカー

私はセザンヌを敬愛している。よって、来週放送される下記の番組を心待ちにしている。

BShi 5月25日(火)午後8:00~9:30
プレミアム8<文化・芸術>
シリーズ巨匠たちの肖像「革命を起こした隠者・セザンヌ」近代絵画に革命を起こした画家、セザンヌ。

『隠者のように故郷にこもって絵の技法の開発に明け暮れた。セザンヌの人生を描くとともに、セザンヌの画期的な技法の秘密を探る。ピカソから“われらみんなの父”と敬愛された画家、セザンヌ。生前は世間から認められず、南仏の故郷に隠者のように引きこもり、新たな絵の技法の開発に明け暮れた。西洋絵画に革命をもたらし、遠近法を破壊し、多視点を導入し、塗り残しや余白が多いことを特徴とする絵を描いた。番組では、求道者であり偏屈者でもあったセザンヌの人間性を描くとともに、画期的な技法の秘密を探る。』
----------以上、番組紹介より---------
セザンヌの名言はたくさんあるが、その中でもよく知られているのはこのふたつだろう。

「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです」

「ルーヴルは参照すべき良書のような場所ですが、それも単なる仲立ちに留めるべきです。本当に取り組まなければならない驚くべき研究とは、変化に富んだ自然の光景なのです」


私がセザンヌに惹かれるのは、『当たり前に見えるものでも、それは当たり前ではない』『やり尽くしたと言えるほど、人間はまだ何もしていない』と考えていたのではないかなあ、と絵から読み取れるからだ。もちろんこれは、私がそう思っているだけで、美術研究の専門家からすれば「はあ? 何言っちゃってんの、おたく」という話かもしれない。だが私にはそう見えるのだから仕方がない。

見慣れたと思い込んでいる自然を、バラバラに解体してみる。
平面に見えているものにも、必ず奥行きがある。
目に見えている色だけが、そこに存在しているわけではない。
そして、誰かが作ったものではなく、そのものそれ自身を研究しなさい。

こういうことをセザンヌは言いたかったのだ、と私は思っている。
あらゆるものにもこれら当てはめて捉えようと、私は常に意識している。
当然サッカーにも、私は同じように接している。

セザンヌはリンゴを描いて革命を起こした。
サッカーでも、それができないわけがない。

十字と礼と少年サッカー

ヨーロッパやアフリカ、南米では、試合前に十字を切ったり、左足からピッチに入ったりする。日本ではピッチの入りと出で、一礼したりする。これはどちらも、両地域の宗教的習慣に根ざした行為である。イスラム圏や仏教、ヒンズー圏などに同等の習慣はない。

十字を切るのと、一礼するのは、似ているようで違う意味を持っている。

十字を切るのは、神からの祝福(幸運)と加護(払邪)を祈っているのに対し、一礼の方は日常との切断を意味している。目上の人に頭を下げるのとはまったく違う。神社で参拝する時の礼の方に近い。ピッチで目上の人に礼じゃあ、まるで審判にごまをすってるみたいだし。


では左足からタッチラインをまたいだり、靴を履いたりするのはどういう意味があるのか。

これは、元々はヨーロッパのふるい迷信に基づいている。左足は(どっちかというと)悪い足で、右足の方は良い足。左手は悪い手で、右手は良い手。だからどこかへ入るときは、何かあっても、つまり予期しない運の悪いことがあってもダメージが少ないように、左足から入り、靴の中に毒虫や毒蛇がいるかもしれないから、靴は左足から履く。

きっとこの風習が出来たときには、戦乱の時代で、落とし穴だったり、靴の中に仕込まれた毒針で命を落としたような事例があったんじゃないかって俺は推測している。当時の文明レベルだと、きき足きき手が残るかどうかは、その後の生活に直結したのだろうから。

話は変わるが、その後、左胸を特別に扱うキリスト教文化の伝播によって、「胸に手をあてて考える」とか「国家斉唱のときは左胸に手を」とか「心臓は左胸にある」なんていうのも一般的な常識となった。
元々東アジアでは、心臓よりも肝(きも)の方が生命と結びついていた。日本で心臓が脚光をあびたのは、キリスト教が入ってきてからのことなのだ。それまで心臓が左胸にあるなんて考えは、これっぽっちもなかった。ふつうに見れば、どうみたって心臓がある位置は、胸の真ん中なんだから。


左胸に心臓があるという『文化』は、聖母子像と関係している。
どこかで目にする機会があったら確認して欲しいのだが、聖母マリアは、御子イエスを、必ず左胸に抱いている。
最も大事な象徴なのだから、胸の中央で抱いた方がおさまりもよさそうなのに、絶対に左側に寄っている。
左胸でイエスを抱くことから、左胸が命の象徴となり、心臓は左胸にあるとなって、心も左胸にあるんだから「胸に手を当ててよく考えてみろ」となったわけだ。


ちなみに十字は「天と地と聖霊と御名によってアーメン」とキリスト教における世界観を表している。
天は神、地はこの世界、聖霊は不思議なこと、御名はイエス・キリスト、アーメンは「信じて全てをおまかせします」という意味の象徴だ。


過度な緊張をしないための対策として、暗示やルーチン化といったものがある。暗示は「手に指で『人』と書いて飲み込む」とかお守りを身につけるというように、責任を自分だけで背負い込まないように自分に思い込ませることで、ルーチン化とはイチローのように事前の準備を固定化してしまって、周囲の状況から自分を切り離すことで、緊張感をコントロールすることを狙っている。

シューズは左足から履き、ピッチへは一礼、タッチラインを越えるのは左足から、そして大地へ触れた指で小さく十字を切る。これで気分はメッシかイニエスタ、になれたら儲けもの。

宗教うんぬんは大人の政治イデオロギーの話なんだから、ギミックとして、子供らにカッコウだけをマネさせてあげるだけでもかなり効果があるものなので、大人は妙な大人の常識で子供を縛らないであげて欲しい。カルト教団の特殊な念仏とかいうのじゃあ困るけど、十字を切るくらいもはや一般の習慣レベルなんだから、そんなに怖がらないでやってみてもいいんじゃないの、なんて思ったりして。

2010年5月20日木曜日

全日本少年サッカー大会 埼玉県予選 県南大会

北足立郡北部地区にある大会会場の平方スポーツ広場。
どうもこの会場の結果が、最も早く出るらしい。

◆DFブロック会場 上尾平方スポーツ広場
2010年5月22日(土)
第一試合開始        10:00
Dブロック代表決定戦開始 14:00
Fブロック代表決定戦開始 15:00

Dブロック 10:00 アビリスタ - 尾間木    11:00 大宮春岡 - 新座たけしの  
14:00 代表決定戦
Fブロック 12:00 大宮指扇 - 新座エース  13:00 柳崎 - ユベントス
15:00 代表決定戦

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他の会場は以下のような予定となっている。

◆ABブロック会場 NTT東日本志木グランド
2010年5月22日(土)
第一試合開始        13:00
Aブロック代表決定戦開始 17:00
Bブロック代表決定戦開始 18:00
(天然芝ピッチらしいので、芝慣れしているかどうかでかなり影響がでるだろう)

Aブロック 13:00 安行東 - 上尾東  14:00 アルディージャ - 和光イレブン  
17:00 代表決定戦
Bブロック 15:00 常盤 - FC宗岡   16:00 上尾尾山台 - 三室        
18:00 代表決定戦

◆CEブロック会場 新座総合公園多目的グランド
2010年5月23日(日)
第一試合開始        10:00
Cブロック代表決定戦開始 14:00
Eブロック代表決定戦開始 15:00

Cブロック 10:00 大宮三橋 - 伊奈小針  11:00 新座片山 - ネオス  
14:00 代表決定戦
Eブロック 12:00 クラッキ - 上木崎     13:00 鴻巣FC - 戸田一   
15:00 代表決定戦
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北足立郡北部地区の少年サッカーにたずさわる方々は、22日は早めに会場へ行って、他地区チームがどんなアップをしているのかまで見て欲しい。
試合前のアップには、そのチームの特色が現れているものだから。

将棋名人戦と少年サッカー

昨夜、第68期名人戦七番勝負の第4局が終わった。

羽生善治名人(39)が挑戦者の三浦弘行八段(36)を降し、4連勝で名人位を防衛した。

9時間あった残り時間は、羽生3分、三浦1分になっていた。


羽生名人は2003年から、三浦挑戦者に対しては10連勝している。これで連勝は14に伸びたことになる。

実力が拮抗しているトップ棋士において、対戦成績がこれほど一方的な組み合わせは他にはない。

第1~3局はいずれも横歩取りという戦法だった。

これは三浦挑戦者の得意戦法なのだが、羽生名人はこれを避けなかった。というよりも、相手の得意戦法の土俵に乗ることが、羽生名人の、ある意味での得意戦略であるように思える。

当然相手の得意な形で戦うことはリスクがともなう。その一方で、得意な形になった相手は“奇襲・奇策”といった変化系を出しにくくもなる。麻婆豆腐が得意な中華の料理人には、麻婆豆腐を頼んで置けば安心して待っていられるが、寿司やケーキを頼んだらどんなものが出てくるかわかったもんじゃない。後々棋譜が残り、百年後二百年後の棋士たちに研究されるうる先達のひとりとして、麻婆味のケーキのレシピに名を残したくないと羽生名人が考えているとしても、何の不思議もない。
ひとつの勝負、ひとつのタイトルよりも、最高の麻婆豆腐が誕生する可能性と、その場に自分もかかわれる可能性の方がはるかに大切だと考えているに違いない。

羽生名人の三連勝で迎えた第4局は、これまで3局続いた横歩取りではなく、三浦挑戦者側から相居飛車という戦形に持っていった。自分の得意を捨て、新たな戦型に活路を見いだそうとしたのだ。だが結果は、一勝も出来ないまま4連敗の敗退となった。

三浦八段は、事前研究の周到さで定評のある棋士だ。
対戦相手の戦術を研究し尽くし、相手の良さを出させないことで、現在の地位まで登り詰めてきた。ヒディンクとかモウリーニョみたいなタイプだ。

少年サッカーでも、こういうタイプの監督はたくさんいる。もちろんレベルは比ぶべくもないものだが、それでも対症療法的であるという面では、同じ世界からサッカーを見ている。

仮に、ドリブル大好きなサッカーチームがあったとしよう。
このチームはとにかくドリブルドリブルでボールを運ぼうとする。自陣ゴール前からでも。大昔の読売クラブみたいに。ジョージや戸塚がバリバリだった頃みたいに(たぶん)。

この手のやり方は、「個人技を育てる」と言われていた。大昔は。
だがその後の読売クラブの選手たちを見るまでもなく、それが通用するのは、学校の体育にサッカー部員が混じるような状況でだけなのだ。相手が下手っぴな場合でだけ、ドリブルドリブルで育った選手たちは、自分の技術(らしき習慣)を発揮することができる。例えば大昔の低迷期の日本リーグ2部でとか、Jリーグ初期の浦和レッズが相手とか。

当然、相手のレベルがあがると何もできなくなる。

その理由は、ドリブルという戦術を選択するための経験が圧倒的に不足してしまっているからに他ならない。
いつでも、どんなときでも、常にドリブルをさせるということは、裏を返せば、子供たちから状況を判断する機会を奪っていることにもなる。
常に状況を無意識下で把握し、分析し、判断し、一瞬の隙をのがさないで体がドリブルに反応する、こういう訓練をしなければならない時期に、ただ何でもドリブルドリブルしてればOKというのは、厳しい言い方をするなら『子供が持っているかも知れない未知の可能性を、錆びた枠形にはめ込む行為』のひとつなのだ。

天才少年や天才テクニシャンが、年齢を重ねる内に「『自分らしさ』がなくなってしまった」というような悩みを持つのは、彼本人の責任ではなく、子供の頃に妙な枠、サッカーを知らない大人が勝手に作り上げた『高い技術』という誤った概念、イメージを押しつけられたせいなのだ。

将棋の世界では、指導者が子供たちにひとつの戦法しか教えないなどということは絶対にない。
大事なのは定跡ではなく、その先にあるものだと知っているからだ。
定跡を詰め込んで地元で天才少年と騒がれても、そこから先につながる『何か』を持っていない子は、いずれ消えていくと将棋界はとうの昔に学んでいるのだ。

周到な準備研究が取り沙汰される三浦八段だが、三浦八段のそれは、定跡や一般的な研究をはるかに超えたその先に存在している。そして彼は子供の頃から、そういう風に将棋を見ようとする『何か』を持っていた。ヒディンクやモウリーニョもそうだ。

だが少年サッカーの監督に、その『何か』はあるのだろうか?
子供たちのためにある大会や試合で、その『何か』を育てるような『何か』を持って、監督は研究し、戦術を指示しているのだろうか。子供たちから、その時、その緊張感でしか得られない『何か』を奪っている可能性はないだろうか。そしてそのことに大人が気付いていないかもしれない危険について、少しは考える知性を有しているだろうか。

サッカー界でも歴史を重ねた国々の大人たちは、そのことを学んでいる。

だが残念ながら、日本の少年サッカー界はまだそこまで学んでいないように、私には思えてならないのだ。

2010年5月19日水曜日

名言備忘録

私が生きていることを実感できるのは、綱渡りをしているときだけだ。
それ以外の生活は、ただの待ち時間にすぎない。
【カール・ワレンダ】
ドイツ生まれのアメリカの曲芸師。1978年、プエルトリコのサン・ファンで綱渡り中に墜落死。

バカと死人だけは、決して自分の意見を変えない。
【ジェームズ・R・ローエル】
アメリカの評論家

頭はいつも、心にしてやられる。
【フランソワ・ド・ラ・ロシューフーコー】
フランスの公爵

過去のことばかり語るのは無益である。
それは、後から避妊するようなものだから。
【チャールズ・E・ウィルソン】
GMの元社長

出来る人間は、する。出来ない人間は、教える。
【バーナード・ショー】

アメリカ人は、黒人にメダルを稼がせていることを恥じ入るべきである。
【アドルフ・ヒトラー】

能力とは、他人が打ったホームランを全部自分の手柄にしてしまう技術のことである。
【ケーシー・ステンゲル】
メジャーリーグの名監督

私には偏見などない。
すべての人間を平等に嫌っているから。
【W・C・フィールズ】
米国のコメディアン

猫は、全てのものに役割があるわけではないことを、身をもって人間に教えるためにつかわされた。
【ギャリソン・キーラー】
米国の司会者でコラムニスト

神に話しかけるとき、それは祈り。
神が話しかけてくるとき、それは精神分裂病。
【リリー・トムリン】
米国の女優

神経衰弱に陥るときの徴候のひとつは、自分の仕事がものすごく重要に思えてくることだ。
【バートランド・ラッセル】
英国の哲学者

毎月少しずつ貯金しなさい。そうすれば年末にはびっくりすることでしょう。あまりの少なさに。
【アーネスト・ハスキンズ】
米国の公務員で作家

チームワークとは、大勢の人間が私の命令に服従すること。
【マイケル・ウィナー】
英国出身の映画監督

働くのと、動くのとを混同するな。
【アーネスト・ヘミングウェイ】

正しい判断は経験より生まれる。
経験は、誤った判断から生まれる。
【バリー・ルパトナー】
米国の経営者

凡人に限って、自分は違うと思っているものです。
【ラリー・ローレンツォーニ神父】

かねてから合衆国では、外国人の不法入国が問題になっていた。
インディアンに聞いてみてごらん。
【ロバート・オーベン】
米国のコメディアン兼ジョークライター

少年サッカーとお弁当

いちにちがかりの試合の日、子供たちがお弁当をぱくついている。
中にはかなりボリュームのあるおかずが入ったお弁当を抱え込むようにして、わいわい騒ぎながら口へと運んでいる子もいる。
でもその子が体に押し込んでいるのは、試合向かうためのエネルギーではなく、体の重みを増すウエイトなのだ。

口に入った食べ物が小腸を抜け出るまで約5時間かかる。吸収された栄養素は、すぐ筋肉で消費されるわけではないから、お昼に食べたお弁当がエネルギーとなって使われるのは早くても夕方くらい。

つまり前日の夕方から当日の朝早めにかけてとった食事がエネルギーとなるのであって、それ以降にとったものは、お腹の中で重りとなっている。試合中の水分補給にしても、それはあくまで水分補給として有効なのであって、糖分などは胃の余計な負担でしかない。美味しい味がついていれば、気分転換にはなるかもしれないけど。

よって、試合前の二時間以内に食べるお弁当には、栄養とかカロリーとか考えず、子供がやる気になるものを用意するのがいい。もちろん、胃の中でごろごろと転がるような食材はだめ。すぐにペースト状になるようなものがいい。マラソンの途中食にバナナがいいとされるのはそのためだ。すぐエネルギーに変換できるから、なんてことをいうのは、知らないのにイメージで知ったかぶる、適当でいい加減な人だから信用しないように。

遠足に持っていくジュースとお菓子の組み合わせなんていうのも、実は意外に悪くない。
肉類が好きな子なら、肉のかたまりそのままの唐揚げや生姜焼きより、ミンチを固めたハンバーグやミートボールの方が良い。
サンドイッチにハムは使わない方が良いし、おにぎりにシャケは入れない方が良い。シャケフレークならいいけど。

でもこれからの季節、食中毒のリスクを考えると、中途半端に手作りするより補助食品的なお菓子と缶ジュースだけにして、他には果物もなしっていうのがいいかもしれない。水分の多い果物は、意外と食中毒の原因になってるんだよね。

お母さんとしてはプライドが傷つくだろうけど、ここはぐっとそれを飲み込んで、お弁当箱を食器棚の奥へ仕舞い込み、代わりにコンビニの袋、じゃなくかわいいランチボックスにでも入れたお菓子と缶ジュースを、子供に持たせてあげてください。

2010年5月18日火曜日

モバイルテスト

テスト本文

突然死は防げる。

日本における突然死 

約8万人(年間)このうち心臓に原因があるもの 60%    

心室細動(心臓が停止する不整脈) → 70~80%
よって、年間 3万数千人が心室細動で死亡と推定できる。



 
突然死から子供を守ろう!

『心臓震盪(しんとう)から子供を救う会』

http://www.narumi-ecl.co.jp/shinzou-shintou/index.html



-----------------------以下サイトより抜粋---------------------

心臓震盪は胸部に衝撃が加わったことにより心臓が停止してしまう状態です。

多くはスポーツ中に、健康な子供や若い人の胸部に比較的弱い衝撃が加わることにより起こるのですが、あまりよく知られていません。

比較的弱い衝撃:胸骨や肋骨が折れるとか、心臓の筋肉が損傷するような強い衝撃ではありません。

子供が投げた野球のボールが当たる程度の衝撃で起こります。心臓の真上あたりが危険な部位です。

心臓震盪は衝撃の力によって心臓が停止するのではなく、心臓の動きの中で、あるタイミングで衝撃が加わったときに、致死的不整脈が発生することが原因と考えられています。



あるタイミング:

心臓の収縮のための筋肉の興奮が終わり始める時で、心電図上でT波の頂上から15-30msec(ミリ秒:15-30/1000秒)前のタイミングです。

致死的不整脈:

心室細動といって、心臓の筋肉が痙攣している状態となり、心臓は収縮できず血液を送り出せません。つまり心臓が停止している状態です。

アメリカでは2002年に128例の心臓震盪症例のデータが集積されましたが、多くは18歳以下に起こっています。

子供は胸郭が軟らかく、衝撃が心臓に伝わりやすいからです。

野球やソフトボール、アイスホッケー、ラクロスなどの球技や、アメリカンフットボール、サッカーなどコンタクトスポーツにおいて発症していますが、日常の遊びのなかでも起こり得ます。

ドッヂボールやサッカーボールの胸でのトラップなど大きく柔らかいボールでは発症しないようです

日本では報告もほとんどなく、実態を把握できていません。




胸郭:

胸の中央にある縦長の胸骨や肋骨などで、発育過程の子供は軟らかくたわみやすいので、衝撃が心臓に達しやすいと考えられます。




もしも発症してしまったら一刻も早くBLS(一次救命処置)を開始することです。

特に、心室細動に対し除細動を実施することです。

ですから、子供たちの指導者はもちろん、子供たち自身や関係者はBLSを実施できるよう定期的に訓練を受けるべきです。

また、AED(自動体外式除細動器)をスポーツ現場や公共施設などに常備すべきです。

119番通報してから救急隊が現場に着くまで6分くらいかかります。心室細動に対する除細動治療が1分遅れるごとに約7-10%治療成功率が低下します。また、心臓停止時間が5分以上になると、意識の回復が難しくなり社会復帰することができなくなります。従って、現場にいる人が直ちに除細動を実施することが必要なのです。

-----------------------抜粋ここまで--------------------------

【平方スポーツ広場周辺のAED設置場所】





【近距離にあるもの】

上尾市立平方小学校 平方1346-1 設置場所 職員室入口

上尾市立平方幼稚園 平方1346-1   〃    職員室

秀明英光高等学校  上野1020

つつじヶ岡幼稚園   上野1053-1   〃     事務室

【AEDの貸し出しについて】


上尾市には、AEDの貸出制度はないようです。(参照:市議会議事録)http://www.city.ageo.lg.jp/shigikai/teirei/h18_06/ippanshitumon/tanakagenzaburou1806/index.html


隣の桶川市には、AEDの貸出制度があるようです。

【桶川市AED貸し出し】

AED一台をイベント期間(原則として7日以内)に貸出します。

市が主催または後援する行事

市民が主催する営利を目的としない行事

その他市長が必要と認めたもの

※利用場所は原則として、埼玉県内に限ります。

※医療従事者または普通救命講習、上級救命講習その他これらに類する講習を修了した方が、行事開催期間中に常駐する場合に限ります。

http://www.city.okegawa.lg.jp/cts/404000/10020d/10020d.html#rental

2010年5月17日月曜日

全日本少年サッカー大会 埼玉県予選

県大会出場各地区代表チーム決定(総枠16)

東部地区代表(4)
4チーム1組のトーナメント式。1位抜け。

粕壁サッカー、レジスタFC、草加JrFC、越谷サンシン、

北部地区代表(2)
4チーム総当たりリーグ式。上位2チーム抜け。

江南南サッカー、児玉ディパーチャFC、

西部地区代表(4)
3チーム総当たりリーグ式。1位抜け。

飯能ブルーダー、川越1FC、FC鶴ヶ島、川越ひまわりSC、

南部地区代表(6)
4チーム1組のトーナメント式。1位抜け。

大宮アルディージャのスペイン遠征動画

スペイン遠征では、15分ハーフの7人制の大会に参加したようです。
大会サイト
http://www.arousafutbol7.com/
試合映像
Partido del AF7 entre Inter y Omiya
http://www.ustream.tv/recorded/6964921

【観戦メモ】
前半はインテルの選手たちもまじめに守備をして、ボールへのプレッシャーをかけてきていた。
立て続けに得点を重ねるとペースダウン。
そこを見逃さず、アルディージャは自分たちのペースを取り戻す。
ところが後半開始早々、さらに失点。
気持ちが切れるかと心配したが、そんな心配は無用とばかりに、引いて守りだしたインテルを攻め、7分、10分と連続得点!
残念ながら試合はそのまま2-3で終わってしまったが、終了後に泣いているアルディージャの選手たちにはいい思い出になっただろうと思われる。親御さんたちも、高額な旅費を負担しただけの甲斐があったというものだ。

【気付いた点メモ】
体つきがまったく違う。その差は圧倒的。アルディージャの子たちは、インテルの子の肩にも届かない。本当に同じ年代なのだろうか?
今年日本でうるさく言われてる通り、確かに手を使ってプレーすることはないうように見えた。
両チームともサイドからのクロスほとんどなし。7人制の弊害か。
7人制はスペースだらけ。日本の小学生年代の体格で、7~8人制となると、さらにスペースは広がる。国際大会の規格に合わせるためだから仕方ないとはいえ、もし日本の子の育成のためだけを考えるなら、体格の整うジュニアユース年代で導入した方が数倍効率的にプラスの影響が期待できるだろう。
後半になって見せ始めた『待ちかまえて奪うイタリア式ディフェンス』は、もうこの年代からできているのだなあと感心した。マークの受け渡しや、全体をスライドさせながら守備陣形を調整していくところなど、まだまだ荒さはあるがコーチらの指導はお見事という他ない。
インテルはFWの黒人選手のためのチームとして、戦術もメンバーも構成されている。こういうところはトップから下部まで一貫してるなあ、と複雑な心境ながらも歴史からのチーム哲学を感じる。
アルディージャの山なりロングスローが印象的。ああいうこともやるんだ~。背に腹は代えられないってことなのかな~。
インテル勢いは立ち上がりがピークで、そこさえ戦略的にかわせていれば、試合そのものは勝つこともできたはず。というか、こんな程度の相手なら、倒して欲しかった。名前負け、肌の色(見た目)負け、しているように見受けられた。もったいない。
わざわざ出向いていったせっかくの機会なのに、1対1を避けるような戦い方をする意味がわからない。リーチや柔軟性やバランスやパワーの違いを、直に経験できるまたとないチャンスなのに。
ガンガン当たって、どんどんドリブルで仕掛けていくサッカーが見たかった。言っちゃ悪いけど、こんな大会、それ以外に目的なんてないんだから(地元のチームは違うだろうけど)。


投稿者のarousafutbol7さんは、他にも数試合番組としてアップされていました。
Real Madrid - Inter
Espanyol - Atletico
Valencia - Celta
Sevilla - Real Madrid
(参照)
http://www.ustream.tv/ajax/user/5505963/profile-videos

2010年5月16日日曜日

上尾市本部長杯 平成22(2010)年度 決勝トーナメント 最終日

上尾市本部長杯 平成22(2010)年度
Aクラス 決勝トーナメント 5/16
会場 桶川シロガネグラウンド

優勝   上尾東
準優勝  ユベントス
第3位   原市イレブン

A面
0900 尾山台イレブン 0 × 1 上尾富士見
0-0
0-1
0955 原市イレブン 2 × 2 上尾上平
1-1
1-1
PK戦
上○×○××
原○×○×○
1055 上尾富士見 0 × 4 上尾東   準決勝
0-1
0-3
1145 原市イレブン 0 × 4 ユベントス 準決勝
0-2
0-2
1335 上尾東 1 × 0 ユベントス    決勝戦
0-0
1-0

B面
0900 上尾東 5 × 3 西上尾キッカーズ
2-0
3-3
0955 ユベントス 1 × 1 上尾大石
1-1
0-0
PK戦
ユ○○○○○
大×○○○-
1055 尾山台イレブン 4 × 1 西上尾キッカーズ
2-0
2-1
1145 上尾上平 2 × 0 上尾大石
2-0
0-0
1335 上尾富士見 0 × 1 原市イレブン 3位決定戦
0-0
0-1(PK)

北足立郡北部地区から、県南大会への代表権を得た5チームのうち3チームが顔を見せた大会だった割りには、その内容はかなりさみしいものだった。

昨日いたあのすばらしい審判たちは、どこへ消えてしまったのだろうか?

試合開始前にゴールネットの確認をしないものだから、PK戦では穴の空いたネットを通過したボールを巡って混乱が見られた。

何とも不幸なことに、その問題となったキックは先蹴り側の一本目。それがゴールであったのかどうかを、主審、線審、第4審が確認し合ったのは、何と後蹴り側の最終キッカーがボールを蹴る寸前である。

○×○××

○×○×○

問題のPK戦は上記のように展開したわけだが、最終キッカーがける寸前まで、

××○××

○×○×-

で終わりだと、ほとんどの人が思っていたわけである。
子供たちの心理状態を考えると、もしちゃんと正しい経過を皆が認識していたら、違う結果になっていたかもしれないと思わずにはいられなかった。それほど面倒なことではないのだから、こういったチェックにはどうか手間を惜しまないで欲しい。

もっとも、この試合に限らず、今日見た試合の内容はどれも例外なく、審判のレベルうんぬん関係なく、目を見はるシーンもプレーもない、平凡な子供サッカーばかりだった。

今日一番の収穫は、虹色の美しい雲(環水平アーク)を見られたことだった。

これは、このピッチから県南大会へ挑む子供たちを神様が見守ってくれている「吉兆」だと、私は信じたい。
追伸
結束バンドは線審の必需品。これがあれば数秒でゴールネットの修復ができる。線審をされる方は、3本ほど携帯して試合にのぞんで欲しい。

2010年5月15日土曜日

上尾市本部長杯 平成22(2010)年度 Aクラス 第1日 

上尾市本部長杯 平成22(2010)年度

Aクラス 予選 5/15 

会場 平方スポーツ広場



決勝トーナメント 5/16

会場 桶川シロガネグラウンド  



A組 尾山台イレブン、NEO、大石、上尾朝日

B組 上平、西上尾サッカー、上尾東

C組 双葉台、原市、西上尾キッカー

D組 尾山台ファ、ユベントス、富士見


第一日 5月15日(土) 結果

A面

①尾山台イレブン 1 × 0 NEO

1-0

0-0

②上尾上平サッカー 7 × 0 西上尾サッカー

4-0

3-0

③尾山台ファイター 0 × 5 ユベントス

0-2

0-3

④NEO 0 × 0 上尾朝日

⑤上尾双葉台サッカー 0 × 2 西上尾キッカー

0-2

0-0

⑥NEO 2 × 0 上尾大石

1-0

1-0

⑦西上尾サ 0 × 4 上尾東

0-2

0-2

⑧ユベントス 0 × 0 上尾富士見

B面

①上尾大石サッカー 1 × 0 上尾朝日

0-0

1-0

②上尾双葉台サッカー 0 × 1 原市イレブン

0-0

0-1

③上尾尾山台イレブン 1 × 2 上尾大石サッカー

0-1

1-1

④上尾上平 1 × 2 上尾東

1-0

0-2

⑤上尾尾山台ファイター 0 × 4 上尾富士見サッカー

0-2

0-2

⑥尾山台イレブン 1 × 0 上尾朝日

1-0

0-0

⑦原市イレブン 4 × 0 西上尾キッカー

3-0

1-0



予選通過(各組1位2位)

A組 1位 尾山台イレブン 2位 大石サッカー

B組 1位 上尾東      2位 上平サッカー

C組 1位 原市イレブン   2位 西上尾キッカー

D組 1位 ユベントス    2位 富士見サッカー


今日はA面B面とも、第2試合しか観戦できなかった。
この両試合の審判団はどちらもすばらしかった。
大げさではなく、埼玉スタジアムなどで見られる一部の県協会派遣審判より、はるかに質の高いレフェリングをしていた。
運動量も、スピードも申し分ない。
判定にも確信を持っていた。あれならば、選手たちも信頼をおくだろう。
たとえ厳密には正確ではない判定があったとしても、それで信頼関係が損なわれることはなかった。地域の小さな大会で、これはすばらしいことだと思う。
スパッとフラッグをあげる線審の姿は、試合そのものの「格」さえも、数段上のものに見せていた。
美しい額は絵画をひきたてる、ということなのだろう。

上尾市の協会では、審判育成の特別なプログラムでもあるのだろうか?

虫歯と少年サッカー

ジーコがフラメンゴの下部組織に入ったとき、まず最初にクラブが取りかかったのが、虫歯の治療だった。
成長期の子供に虫歯かあると、栄養摂取はもちろんのこと、集中力や、筋力、持久力、走力、といったあらゆる面に悪影響がでるからとのことだった。そしてその悪影響は、成長そのものにも影を落とし、結果、その子の可能性を大きく減じてしまうことになる。
それくらい、虫歯という病気(ケガ)は、軽視できないのだ。

虫歯は病気なのかケガなのか。

虫歯菌の繁殖によって起こるので、その面では病気だと言える。
一方で、歯という骨格の一部が損じるという面では、ケガのようだとも言える。

事故で歯が欠ければ、それはまちがいなくケガだ。
虫歯で歯の一部が溶けつつあるなんてなると、潰瘍のようでもある。

「虫歯になると、背が伸びなくなるよ」と脅かして、子供には自主的に歯医者へ行くよう仕向けましょう。

2010年5月14日金曜日

ユース出身は使えない

2010年 平成22年 5月14日 金曜日 朝日新聞 朝刊 サッカー
岡田監督対談第9回 VS.奥島孝康 利き手、構成・潮智史
奥島孝康 日本高校野球連盟会長 71歳 第14代早大総長

──現在の代表選手は高校、大学出身が多い。エリートであるはずのJクラブのユース出身選手が少ない。

岡田 確率論的なもので、Jクラブよりも高校サッカー部の数が圧倒的に多いからそうなる部分はある。これは長い期間を見ないとわからない。ただJリーグの監督をやっていたとき、アカデミー(下部組織)から上がってくる子どもに共通点があって、全力を出し切れず、淡々とやる。ここまでダッシュだぞと言っても、ちょっと手前で力を抜く。負けて悔しい、もう1回やり直したいという反骨心、バイタリティーみたいなものがない。サッカーはうまいし、センスもあるけど、そういう子が多かった。学校終わったらすぐ電車で練習に来て、また自宅に電車でさぁーと帰って、家に帰ると家族の食事は終わっていて一人で食事して。一番大事な思春期に友だち同士で遊んだり、親と食事をしない。コミュニケーション能力が落ちると思って、「週1日休ませたら強くなる」とコーチに言った。成長期には子どもたちなりの社会が必要なのでは。

奥島 友情とか仲間意識とか、互いに欠点を知り尽くして裸の付き合いをして人間的な形で育っておく世界と、そういうもののない、友情が成立しないような世界は違う。人間であることが想像力をつくり、意欲を研ぎ澄ます。学校教育の一環としてのクラブ活動の良さがそこにある。

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Jリーグの現状では、契約金も年棒も、ここ十数年は高騰しそうにない。
となれば、別に下部組織で若い才能を抱え込む必要などないことになる。
このことはJクラブの経営側もよくわかっていて、下部組織の選手を採用する際には、「もちろんいい選手は欲しいけど、それよりも問題を起こしそうな選手は絶対に入れるなよ」と釘をさされる。
もし所属する未成年の選手が、刑法犯罪、それも暴行とか窃盗とかレイプ・痴漢・盗撮あたりの事件を起こしでもされたら、とてもその責任は負えない、というわけだ。
スポンサーさがしがとても厳しい昨今のような経済状況になると、この圧力はますます強くなる。
わが子がジュニアユースやユースに入ったからと言って喜んでばかりもいられない。なぜならそれは、あなたのご子息が、将来トップチームの戦力になってくれそうだから、ではなく、ジュニアユースあるいはユースチームを運営する上で、扱いやすいタイプだと見抜かれたからかもしれないのだ。
だが考えてみれば、それもそう悪いことではない。
あなたのご子息は、『いい息子さんですよ』とのお墨付きをもらったようなものでもあるからだ。

要するにJリーガーの年棒が安いうちは、クラブも下部組織経営に本腰は入れないということ。
当たり前と言えば当たり前の話だ。
そして下部組織があろうとなかろうと、真の才能は、そこそこの環境さえ身近にあれば、必ず芽を出すということ。

これから日本における、オリンピック関連競技の若年層組織は壊滅する。
冬季種目では、すでにそれが起こっているし、夏期種目でもトラック系と体操系では、かなり深刻な事態となっている。
従来はこうした種目に流れていた人材が、今後はどっとサッカー界に流入してくることが予想される。
そうなったとき、日本のサッカー界に、ようやく真の才能がぽつりぽつりと現れ始めるに違いない。
真の才能が出てくれば、それに牽引される形で、選手全体の年棒が上昇する。
そうなったときにようやく、下部組織はまじめに才能を発掘しようとするだろう。
それまでのJ付属下部組織は、月謝の高い名門のお稽古塾を見るような、なま暖かい目で、やさしく見守ってあげるのが、経験を積んだ正しい大人の態度ではないか、と私は思う。

パースペクティブ(遠近法)と少年サッカー

私たちは、目の前の世界をありのままに見ているわけではない。
反射した光を眼球で受け、それを電気信号に変換して、神経の束と通じて脳まで運び、そこで脳のやり方で再構成して、記憶情報と比べながら解釈して、「見た」と認識している。
かなり強引ではあるが、これを直感的に理解できるような例え話にすると、

ものすごく磨かれた透明なガラスを通して、その向こうにある景色を見ている

ようなものだと言える。
景色そのものを見ている気になているが、実際に見ているのは、真っ平らなガラスの側面なのだ。景色はそこに映りこんでいるだけ。厳密に測定すれば、その映りこんだ光は屈折して通過しているかもしれない。つまり、景色をそのまま見ていない可能性もかなり高い。しかしそれでも私たちは、そこに映りこんだ景色と、そのガラスの向こうにある実際の景色とを同一視することに、疑問を持つことはない。

ガラスが汚れていたら?
ガラスの向こうにあるのは巨大スクリーンで、景色はそのスクリーンに投影されたものだったとしたら?




子供たちを指導する立場にある大人が、「才能」という言葉を安易に使ってしまうのはとても愚かなことだ。
私たちは、偏見、あるいは思い込み、といった「透明なガラス」を通してしか物事を見ることができないからだ。
少年サッカーにおいても、それはまったく同じである。

メキシコオリンピックや東京オリンピックの頃(釜本選手とか杉山選手の頃)ならば、「才能」とは足が速いことであったり、強いシュートがけれることであった。
周りが見えるとか、トラップが柔らかいとか、スルーパスがどうだとか、フリーキックがどうだとか、そんなことはまったく判断の材料にはならなかった。

西ドイツワールドカップからアルゼンチンワールドカップの頃(クライフやケンペスの頃)ならば、「才能」とは巧みなドリブルシュートができることを指していた。その名残は、練習メニューでしょっちゅう登場するいわゆる『シュート練習』に見て取れる。単独でドリブルしていってシュート、とか、ドリブルしてから一回壁パスしてシュート、とかのあれだ。

東京ワールドユースからアメリカワールドカップの頃までは、「才能」とは足下技術とフリーキックのことを指していた。ドリブルで評価されたのは、縦に早い杉山タイプではなく、特徴的なフェイントを取り混ぜた『かわすドリブル』の方だし、フリーキックでも、実際にゴールするかどうかよりも、ボールをどれほど変化させられるかの方に重きをおかれた。

そして現在、「才能」とは「結果を出せること」となっている、かのように私には思える。
どんな形であってもいい、最終的に(監督自身のチームの)勝利という結果に貢献できるような選手が、才能のある選手だ、と。
だから、指示に従い、献身的で、走りつづけられ、体が大きく、得点も取れる、そういう選手が求められる。

だけど今、少年サッカーで懸命にやっている子供たちが青年になったとき、そして大人になったとき、その「才能」の物差しは、今と同じでいてくれるのだろうか。
「自分はそんな偏った物差しで、子供たちをはかったりしていない」という人もいるかもしれない。
だが日本の教育現場を見れば明らかなように、あの国費で専門家として育成された教員たちであってさえも、子供たちを歪めてしまっている現状があるのだ。子供たちを、その子の才能や可能性を歪めないで見ることは、専門家である教員たちにもできていない。むしろおおくの教育現場では、子供たちを歪め、型にはめようと(その型に『自由・のびのび』と書いてあったとしても)日々教育が行われている。

せめて世界に直結している、そして世界そのものであるサッカーにおいてだけは、「才能」などという透明なガラスで子供たちに妙なパースをつけないで、見てあげて欲しいと願うのです。

2010年5月12日水曜日

ACLベスト16 ガンバ大阪 無様な敗退

昨夜のACLベスト16、ガンバ大阪対韓国のチームの試合を観戦した。
つまらない試合だった。
まあ結果は0-3でガンバ大阪が負けたのだが、実力的にはガンバの方が上なのは明らかだった。
練習試合や通常のリーグ戦で対戦したのなら、ガンバの方がずっと勝率がいいだろう。
だがACLのような大きな大会、それも決勝トーナメントでの一発勝負、などとなると、たとえもっと弱い相手であってもガンバ大阪は負けてしまうのではないだろうか、と思わせてくれたしょぼい内容だった。

どうしてポゼッションを、あんなに下がった最終ラインとだらだらしているボランチで、保持しようとするのだろう?
両者の間を、グラウンダーのパスが、前後にいったりきたりしているだけ。
こんなことしてて、ほぼ全員が引いているような相手を崩せると思ってるところが、ガンバ大阪のすごいところだ。
閉じた金庫を前にして、ドロボーたちがうろうろしているようなものなのに、このドロボーたちはそれでいいのだと思っている。そうしていればなぜか金庫の扉がすっと開くと思っていて、そうなったらそのスキをのがさずに、グイッとバールのようなものでこじ開けて中を奪うんだ、と思ってる。これをすごいと言わずしてなんと言おう。

そのくせ守備となると、バーゲンセールに殺到する女どものようになる。
見境なく(でも本人はちゃんと考えて選んでいるつもりでいる)、いけそうだと思えば突っ込んでいく。
欲しくないものを掴んでいる手の力を抜いて、ふと我を取り戻してみたら、自分のバッグから財布がなくなっていた、とそんな守備だ。実際この試合でも、そんな形で2失点している。3失点目のFKとなったファールにいたっては、レジのすぐ横でせこくおつりの確認をしようとして、店の床に財布をひっくり返したみたいなまぬけさだっだ。

攻撃陣もとても褒められたもんじゃない。
確かに、体力の勝る相手にあれくらい引いて守られてる状況で、得点をするのはかなり困難なことだ。
でも、それにしても工夫がなさすぎた。アイデアがなさすぎた。というか、おまえらつまんねーって感じだった。
サッカーというボールゲームで、私がFWに求めるのは「おもしろさ」だ。
おもしろくないFWなんてのは、FWじゃない。
昔Jリーグで、PKばかりで得点を重ねて日本人得点王になった選手がいたが、私は「はあ?」って思ってた。

私がFWに求めている「おもしろさ」というのは、何も妙な自作ダンスを踊ったり、鳥肌が立つような寒いコメントをさも俺受けているでしょ的にすることではない。「おまえまたかよ。そればっかじゃん。しかも全然おしくねえし」と毒づきたくなるような無謀なミドルシュートばかり放つ小柄で非力な自称ドリブラーのことでも、もちろんない。

視聴率の分析に敏感なテレビ局が、彼らのようなタイプの選手たちをスターとして持ち上げていることから明らかなように、そういうことをおもしろいと感じる人の方が多数派であることも承知している。
でも、たとえ少数派であったとしても、私はその手のおもしろさではないおもしろさを、FWに求めてしまうのだ。

バラエティー番組にはないおもしろさ。NHKのBSでやってる5分間のスポット番組でふっと魅入ってしまったときに感じたようなおもしろさを、私はFWの選手たちに見出したい。
決して視聴率は高くはないだろうが、私はそういう番組が好きなのだ。

2010年5月11日火曜日

県南大会 試合開始時刻

当該会場での通し番号(抽選時の番号。組み合わせ結果を参照のこと)順に行われる。
仮に、Aブロック①②③④、Bブロック⑤⑥⑦⑧とすると、

1000 Aブロック一回戦 ① × ②
1100 Aブロック一回戦 ③ × ④
1200 Bブロック一回戦 ⑤ × ⑥
1300 Bブロック一回戦 ⑦ × ⑧
1400 Aブロック代表決定戦  ①②の勝者 × ③④の勝者
1500 Bブロック代表決定戦  ⑤⑥の勝者 × ⑦⑧の勝者

となる。

NTT志木会場以外は、上記のタイムスケジュールで執り行われる。
NTT志木会場は、一試合目の開始時刻が1300となっている。
以降は、開始時刻に合わせてスライドし、最終試合は1800開始となる。


北足立郡北部内にある平方スポーツ広場会場の場合は下記通り。

1000 浦和尾間木 × アビリスタ
1100 大宮春岡 × 新座たけしの
1200 大宮指扇 × 新座エース
1300 柳崎SC × 上尾ユベントス
1400 Dブロック代表決定戦
1500 Fブロック代表決定戦


第1試合の勝者は、代表決定戦まで3時間強の間隔。
第2試合の勝者は、代表決定戦まで2時間強の間隔。
第3試合の勝者は、代表決定戦まで2時間強の間隔。
第4試合の勝者は、代表決定戦まで1時間強の間隔。

気象条件にもよるが、もし当日の気温が高かった場合、1時間程度の休憩では到底体調の回復は望めない。
午後1時の最も日中気温が高くなる時刻のキックオフに当たるチームが、わずか1時間後にもう一試合というのは、体力の未熟な小学生年代にとっていかがなものだろうか。
各地区の第4試合にあたるチームは、日陰の確保、冷やしたスポーツドリンクやスニッカーズの用意、大量のアイスパックの準備、もし蚊が出るような場所なら念のために蚊取り線香や虫除けスプレーも買っておいて、わずかな時間でも横になれるよう敷物も持参させる、できれば足の血流をうながす簡単なマッサージを覚えておいてやってあげる、などの対策をお願いしたい。
第4試合の勝者チームは、次の試合まで、アップの時間も考慮すれば、体調の回復に費やせる時間は30分程度しかない。
対して、相手となるチームは余計に1時間休んでいるのだ。小学生でこの1時間の差は、大きい。特に試合展開が激しくなったとき、試合後半になると足が止まるとか、つってしまうとか、考えられないようなケガにつながりかねないほどの大きな差だ(小林製薬から足の疲労改善薬『コムレケア』が発売されたので、試してみるのもいいかも)。
決まってしまったものはしょうがないし、当日の天候もしょうがない。
だからこそ、周りの大人たちがケアしてあげて欲しい。
熱中症の可能性だって充分にある。熱中症は生命にかかわる重篤な事態さえ引き起こしかねない。もうすぐ夕方だからと侮ってはいけない。夜に熱中症を発症した例だってたくさんあるのだから。
気温が高く、湿気があり、風がない、そんな天候となった場合、試合うんぬんよりも、子供たちの体調を第一に考えて欲しい。
大人の頭部は地上160センチ以上にあるが、子供たちの頭部は140センチ程度の高さにあることを意識して欲しい。このわずか20センチの違いが油断を生むこともあるのだ。大人は涼しいと感じていても、子供は暑いと感じていることもあることを、忘れないでいて欲しい。

大事な試合であることは確かだ。
でも、子供たちの未来より大切な試合なんてあるわけがない。
手を抜くとか、無理をさせない、とかではなく、子供たちがベストを尽くせるように、大人たちは周到な用意をしてくださいねってこと。
キャンプ用の折りたたみ椅子に偉そうにふんぞり返って、トンチンカンな指示を出しているばかりが大人の役割じゃないでしょ。
キンキンに冷やしたハチミツ漬けのレモンを用意しておいて、「俺がガキの頃、これで体力を回復させたんだ」ってすっと差し出すってのも、大人としてかっこいいんじゃないの。あるいは、「筋肉の疲労はこれで取れるから、お前たちは思いっきりやれ」とマッサージしてやるお父さんチーム参上ってのも悪くない。
子供がずっと覚えているのは、ふんぞり返っている父親じゃなくて、タッパーからつまんだレモンの味とか、マッサージしてくれた大人の手の大きさ、なんじゃないの? 私はそうだったけど。
子供たちのご両親には、観客や即席コーチじゃなく、裏方のサポートスタッフになってあげて欲しいと切に願う、今日この頃です。特に日程の条件が厳しいチームの場合。

県南大会会場 平方スポーツ広場


写真 入口
木の奥がスパイス王国


写真 売店の看板




《【バスで行く場合】》

JR上尾駅西口ロータリーの対面にある、東武(ウエスト)バス6番乗り場より

川越・平方・リハビリセンター行き
「平方学校」下車

時刻表
http://www.tobu-bus.com/pc/search/bs_tt.php?key=13201_61

平方小学校西側の道を、「スパイス王国」の案内板に従って進むと右手に入口。
降車した「平方学校」バス停から徒歩10分。スパイス王国(井上スパイス工業)のすぐ隣。

【帰り】

「平方学校前」バス停 上尾駅西口行

時刻表
http://www.tobu-bus.com/pc/search/bs_tt.php?key=13320_02

【簡単な地図】

http://local.goo.ne.jp/saitama/leisure/spotID_TO-11010826/



《【車で行く場合】》

北ルート=平方小学校の西側を入り、そのまま直進。

南東ルート
=陸運支局そばのガスワンパークという目立つ四角い建物前の道を、西へ向かう。
 ヤマト運輸の先にある柳田自動車前の押しボタン信号を右折し、ずんずん直進して林を抜けるとある。

南西ルート
=秀明英光高校前の道を東へ向かう。日産の自動車保管駐車場の先の押しボタン信号を左折。ずんずん直進して林を抜けるとある。




写真 広大な駐車場
写真 グラウンド。奥に見えるのは秀明英光高校
写真 事務所
写真 トイレ











弁当で食中毒

これからの季節の週末は、朝から試合で、弁当の昼食を取って、そのあとまた試合、などというパターンが繰り替えれる。
弁当の入ったバッグはグラウンドの片隅に置きっぱなし、という光景もごく当たり前となっている。
給水ボトルは前に使ってからザッと水でゆすいだだけで、ろくに乾燥もさせないまま再使用。

ボトルの底には、先週からの古い水が残っていて、そこでは菌が増殖し、またカバンの中で熱せられたタッパーウェアの中でも、野菜の水分や煮汁の中で、菌が爆発的に増殖し、昼食時にそれを口へ入れた子供の胃の中で──

そうならないために、多少の気遣いくらいしてもバチは当たらない。

給水ボトルの方は、ふたをしたまま保管しないこと。
ボトルの中にほこりが入ることよりも、水分が残ったままの方が、医学上ははるかに危険である。
食中毒の菌は水分中で増えるのであって、乾燥したほこりの中では生きられない。
どうしてもふたをしたまま保管したいのであれば、使用前に洗剤水でよくゆすぐようにする。
乾燥保管よりもリスクは高いが、そのまま使用するよりはずっといい。
食器洗剤の味が若干残って、それを飲んでも危険はない。食器用の洗剤は飲んでも平気だから。

弁当の方は、生野菜や煮物を入れないことと、凍らせたコンニャクゼリーを保冷剤代わりにすることで、菌の繁殖を予防する。
凍らせたおかずをそのまま弁当に入れれば、食べる頃に解けてるし、保冷効果もあってGoodということを言う人もいるが、凍ったおかずが解凍していく過程でけっこうな量の水分が流出するので、私はあまりオススメしたくない。
もしやるなら、仕切を細かくきっちりやって、流れ出た水分が他のおかずと接触したりすることがないようにしたい。

あと予防策として、ミヤリサンやビオフェルミンといった整腸剤を普段から服用させるようにしたい。
これらは腸内で善玉菌を増やし、悪玉菌が住み着きにくい体質にしてくれる作用がある。
胃腸の調子が良いと、万一食中毒菌が体内へ侵入したとしても、簡単にそれらを増殖させるような事態にはならない。つまり食中毒になりにくくなる。まあそれでもなるときはなるんだが。
さらに良いこととして、胃腸の調子が良いと、食事をたくさん取るようになる。
成長期の子供にとって、食事をたくさん取れるということは、体の成長をうながすということに直結する。
遺伝的な最終身長には、3パーセント弱程度のプラスマイナスがある。
簡単に言えば、遺伝的な最終身長175センチの男性でも、実際には170センチの人と180センチがいるということだ。
その差はどこから生じるか。
2大要因としてあげられているのが、食事と睡眠時間である。
影響の大きさは 食事 < 睡眠時間 だろうと考えられている(夜の長い北欧や栄養摂取の乏しいアフリカについては、遺伝と睡眠時間で説明されている)が、それでも食事の影響力を軽視することはできない。

いっぱい食べて、たくさん寝る、そういう子が育つのは昔から言われてきた通りでまちがいないってことだ。
だから食中毒に注意するような意識をお母さんたちが普段から持つことは、その場の食中毒リスクについてだけじゃなくて、わが子が高身長のたくましいスポーツマンになる可能性を伸ばすことにもなる、意外とお得な子育てノウハウのひとつなのだ。

2010年5月10日月曜日

日本代表は何を代表しているのか

今日、2010年南アフリカ・ワールドカップで日の丸の国旗を胸にピッチに立つ、日本代表メンバーが発表された。
日本代表……
いったい日本の何を代表しているのか……

考え方を変えて考えてみる。
オランダに勝つチームを、日本人だけで組むとすればどうなるのか。
カメルーンに勝つチームを、日本人だけで組むとすればどうなるのか。
デンマークに勝つチームを、日本人だけで組むとすればどうなるのか。

つまりはそういう考えで、岡田じじ転がし武史監督は面子を選んだのだろう。
最強の日本代表と、上記のチームに勝つ日本代表は違うのだという考えなのだろう。

基本的に岡田絶対権力者武史氏が指導できるサッカーはひとつしかない。
昔からのワンパターン。
とにかく前からボールを追っかけて、どこかで引っかけることができたら速攻でシュート。あるいはフリーキックで直接。これのみ。
中村(俊)を外せない理由は、直接フリーキック、これだけだと思われる。
本田についての評価が定まらなかったのも、これが理由だろう。本田が入って、FKも蹴るのなら、中村(俊)を使う理由がなくなる。だがそう決断出来るほどには、また本田のFKは信頼できない。本田のFKはまぐれ当たり期待だから、まあそれもわかる。当たったときはすごいけど、それを当てにしてチームを組むわけにはいかないから。

DFは心許ないことこの上ない。
オランダ、カメルーン、デンマークのFWを、どうやって止めるのかまったく想像できない。
上がらない闘莉王は無価値だから、たぶん上がるんだろう。両サイドも上がる。この両サイドも、上がらないなら意味のない選手だから。
中澤と長谷部で守るのか? 無理だろ。

FW陣の得点は、まちがいなく岡田8ビット武史監督の計算には入ってない。
とにかく犬のようにボールを追え、相手DFにプレッシャーを掛け続けろ、が指示される唯一の戦術だ。
それで疲れたら交代させる。だからこその、玉田、大久保、岡崎、矢野なのだ。前田が外れたのはこれができないからだ。得点を狙うFWはいらない。

悪い意味での覚悟を決めた選考だと思う。
この面子では、想定外の状況となったとき、事態を打開できるような変化をもたらすことはできない。
そういう事態になったら「腹を切る」覚悟なのだろう。
だが確実に、岡田俺は男だ武史監督の想定したような展開にはならない。
初戦のカメルーン戦で、開始1分に先制されるようなパターンにはまるような気がする。
初戦の立ち上がりで、じっくり行こうとして、ボールをかっさらわれてそのままシュート。ゴール!
ありがちだ。
そうなってもゲームプランは変えられない面子なので、そのまま、というか「いつもより余計に」ボールを追いかける。疲れる。ミスが出る。さらに失点……

だいたい、この『ボールも人も動くサッカー』というコンセプトそれが、私から言わせれば日本チームに向いていない。
よく言われているように、走りながらとか、プレッシャーを受けながらとかいう状況では、日本のサッカー選手は正確にプレーできない。
これを直そうとがんばるのはそれはそれとして、本番直前のこのタイミングでは、そういうのも含めて『日本の特徴』としてとらえ、その上で戦術や選考をした方がずっと建設的な結論に至ると思う。少なくとも私ならそう考える。
止まったボールを扱うのが得意な選手なら、日本代表にもたくさんいるじゃないの。
プレッシャーを受けない状況なら、すばらしく創造的なプレーのできる選手がたくさんいるじゃないの。
つまり『ボールも人も動かないサッカー』こそが、今の日本に最も適したサッカーなんだよ。
そうでしょ。うん、そうだ。そうに決めた。
ポジションを固定して、引いて守って、ロングボールで押し返して、サイドでの1対1勝負、これしかない。
これこそが、日本を代表するサッカーだ!

平成22年度・第34回全日本少年サッカー大会 埼玉県南部地区大会

平成22年度・第34回全日本少年サッカー大会 埼玉県南部地区大会
期日:2010年5月22日(土) [予備日:5月23日(日)]

会場:上尾平方スポーツ広場・NTT東日本志木総合グランド・新座多目的グランド
  (23日の会場:桶川城山公園多目的広場・与野八王子グランド・新座多目的グランド)
  ※NTT東日本志木総合グランドの試合開始時刻は13時からになるのでナイターの可能性あり

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第34回全日本少年サッカー大会 埼玉県南部地区大会組み合わせ
各ブロック4チームによるトーナメント。
A~F各ブロックで1位となった計6チームが、中央大会への出場権を得る。

【上尾平方スポーツ広場】

Dブロック(さいたま2、北足立南部2)
13南 FCアビリスタ × 14さ 浦和尾間木
15さ 大宮春岡 × 16南 新座たけしの

Fブロック(さいたま1、北足立南部2、北足立北部1)
21さ 大宮指扇 × 22南 新座エース
23南 柳崎SC × 24北 上尾ユベントス がんばれ!


【NTT東日本志木総合グランド】

Aブロック(さいたま1、北足立南部2、北足立北部1)
1南 安行東 × 2北 上尾東 がんばれ!
3さ アルディージャ × 4南 和光イレブン

Bブロック(さいたま2、北足立南部1、北足立北部1)
5さ 浦和常盤 × 6南 FC宗岡
7北 上尾尾山台 がんばれ! × 8さ 浦和三室


【新座多目的グランド】

Cブロック(さいたま2、北足立南部1、北足立北部1)
9さ 大宮三橋 × 10北 伊奈小針 がんばれ!
11南 新座片山 × 12さ NEOS

Eブロック(さいたま1、北足立南部2、北足立北部1)
17南 FCクラッキ × 18さ 浦和上木崎
19北 鴻巣FC がんばれ! × 20南 戸田一




Dブロックの「アビリスタ×尾間木」戦はハイレベルな熱戦確実。絶対に見逃したくない超好カード。

メッキのはがれつつあるアルディージャをどう立て直してくるか、個人的にはとても注目している。つうかアルディージャが思いっきりホームのNTT志木グラウンドって、えこひいきもたいがいにせいって感じでヤナ感じ。会場シードでしたっけ? 今年のチャンピオンズリーグでのレアル・マドリードみたいにならないといいですね。あ、そうそう、会場の設営や当日の管理・運営、しっかりとお願いします。

Cブロック「片山×NEOS」戦、ガチです。

2010年5月9日日曜日

母の日

今日は「母の日」だ。
大会へ行くといつも感心させられるのが、いわゆる「サッカーママ」という女性たちの熱心さと献身ぶりだ。
運営を手伝っている人、裏方をがんばっている人、重そうな道具を移動させている人、ビデオに試合の映像をおさめている人、横に並んで手をつないで念を送っている人たち、学生時代に戻ったかのような悲鳴をあげ、また励ましの声をかけ続ける人たち、そして母として厳しく鼓舞する人、etc.etc.

彼女らへの評価についてはいろいろあるだろう。
批判的なものもあるかもしれない。

だが絶対に確かなことがひとつある。

それは、あのママたちは子供たちを愛している、ということだ。

今日はそんなママたちに「ありがとう」と伝えてあげて欲しい。
チームのコーチたちは、子供たちの「ありがとう」がママたちにうまく伝わるような、仕掛けを工夫して欲しい。
彼女たちは子供たちにとっての母であると同時に、あなたたちのチームにとっての母でもあるのだから。

Jリーガーに「どうやったら背が伸びますか」と質問した子

今年の初め頃だったように記憶しているのだが、埼玉スタジアムで行われた少年サッカーの大会の応援席でのことである。
越谷だったか草加だったか、とにかく県西部のチームが準々決勝だか準決勝だかに進出し、その応援に、その少年団のOBらしい若いJリーガーが来ていた。確か川崎の選手だ。
その彼に、その少年団にまだ入りたてといった様子の、小学校低・中学年らしき少年が、まわりの大人にうながされて、スターを前にしたファンのようにおずおずと質問を口にした。

「どうやったら背が伸びますか」

それ聞くか? と心の中でこけた。



背が高いといえばオランダが思い浮かぶ人も少なくないだろう。

ほんの100年前まで、オランダの男性の平均身長は165センチほどで、当時の日本人男性よりも若干低いくらいだった。

それが今では男性の平均身長は180センチを優に超えるのだから、どうなっているんだか。


オランダ人が小柄だったのは、キリスト教カルバン主義オランダ改革派出身のヤーコブス・アルミニウスがカルバン主義の予定説に疑問を持ったことから生まれた神学的潮流であるアルミニウス主義(アルミニウスしゅぎ)の影響による。



カルバン主義の予定説というのは、

誰が天国に行くかは、生まれる前にすでに神様が決めてるに決まってるじゃん。偉そうなカトリックの神父の言うことなんて関係ないね。カトリック教会なんて無力さ。

という考え方。



これは対カトリック教会という面では説得力があったんだけど、その一方で、人間を怠け者にするという悪影響も大きかった。だって、はじめからすべて決まってて、そのあと何をどうしたってそれが変わらないのなら、努力なんかしたって無駄じゃんって考えるじゃん、ふつう。実際、そう考えた人もいた。それもいっぱい。ってか、みんなそう思った。その方が楽だし。



で、これじゃあいくらなんでもまずいだろってことで、アルミニウスが言い出したのが、


この世に神から生を受けた人で、何をやってもどーにもならない(全的堕落)の状態のままで放置されている人間なんて一人もいないんだ! キリストが十字架かけられたおかげで、とりあえず人類の罪はチャラになったんだから、これからの生活態度によってはどんな奴でも天国へ行けるぜ!

という説。
オランダはカトリックのスペインと対抗してたから、このカルバン主義に傾倒していったわけ。それで国を挙げて、聖書にある通りに、贅沢しないで質素オンリーな生活してたんで、栄養不足で成長が妨げられてた。
ちなみに、オランダでは成長ホルモンを与えた牛豚を食べてたからでかくなった、ってのはまったくの俗説。畜産業で成長ホルモンを使用していた時期はたしかにあるけど、その時期とオランダ人の身長が伸びた時期は重ならないし、それに成長ホルモンってのは肉には蓄積しないからね。

まあ要するに、ちゃんと栄養取ったら本来の身長になった、というだけの話。
じゃあカルシウムをたくさんとれば、背はでかくなるの? というとそれは逆効果。カルシウムは身長を伸ばさない。骨は太くするけど。
体は、取りすぎた(つまり不必要な)カルシウムは尿として排出しようとする。余計なカルシウムがあると、体の変なところで固まったりして、悪い影響があるからね。
この排出するとき、カルシウムだけをきっちり選別して、とまでは体は都合良くできていない。カルシウムと似た、他の栄養素まで排出してしまう。この一緒に排出されてしまう栄養素の方が、実は骨の成長に重要だったりするわけだ。
つまり
「牛乳をたくさん飲んでるのに背が伸びない」
のは、ちっともおかしくなくって、当たり前ってことになる。間違ってもお母さんは、成長期の子供にカルシウムサプリなど与えないように。あれは骨粗鬆症の年寄りが飲むものであって、成長期の子供が飲むものじゃない。まあ、怒りっぽくはなくなるから、そういう面で飲ませるならOK。

今の日本の食事事情なら、ふつうに三食とっていれば、摂取栄養の量や質で問題となることはない。
むしろ重要なのは、睡眠時間

身長の成長というのは、特に大腿骨の両端にある成長点で骨細胞がどれだけ増殖できるかにかかっている。
ここは一番稼働する関節でもあるから(股関節とひざ関節)、そこにできるだけ負担をかけない、つまり
・体重を掛けない
・動かさない
ことがポイントとなる。
人間の体は就寝時に、日中の活動で受けたダメージを修復するようにできている。骨の成長も、この時に行われる。脳が起きている状態(日中の状態)だと、脳からこの「修復モード」への切り替え命令が発せられない。どうしてかっていうと、またいつダメージを受けるかわからないっていう臨戦態勢なのに、修復なんてしてられないから。(正座するから背が伸びないも俗説。正座しなくても背が低い民俗はたくさんいる)
虐待下にある児童が小柄なのも、貧栄養が原因というより、むしろ貧熟睡眠、つまり常時びくびくしているために脳が修復モードへ入れず、骨細胞が十分増殖できないことに真の原因がある。
深夜帰宅した父親が、子供部屋をのぞいて子供を起こしてしまう行為も、そこで脳のモードをスイッチすることになるのでやめた方が良い。子供に身長を抜かれたくないお父さんは、逆に頻繁に子供の睡眠を妨げた方が良い。一度起こせば、また修復モードに戻る頃には朝になってる。そしてあなたは、いつまでも強くて大きな父親でいることができる。がんばって! お父さん!

日本の子供たちの平均身長の伸びが止まったというニュースが報じられたのは昨年だったろうか?
これからは逆に縮んでいくようになるかもしれない。もしそうなったら、私はその理由として睡眠時間を疑う。

「どうやったら背が伸びますか」
と子供にたずねられたら
「早寝遅起きすれば伸びるよ」
と教えてあげて欲しい。
昔から言われている『寝る子は育つ』は、俗説ではないのだ。

「チャレンジしろ」はチャレンジしない

「思いっきりやってみろ! 失敗したっていいじゃないか。それで悔しくて悔しくて、眠れない夜があったっていいんだ。そういう挫折をたくさん経験して、そこから這い上がってきた選手だけが、一流になれるんだぞ」

夕日の砂浜で、監督と選手が抱き合う。


いまどきどこを探しても、こんな脚本はないでしょう。
この手の大昭和時代のドラマでは、こう励まされた選手が立ち直って、次の試合で大逆転の活躍をするというベタ展開になりがちです。
ですが実際にこうなることはまずありません。
なぜでしょう。

それは、「チャレンジしろ」と言われても、人間は「チャレンジできない」からなんですね。

トランプカードのゲームで『ダウト(嘘)』というのをご存じでしょうか。
それぞれが裏にした手持ちのカードを場に捨てていくのですが、その際、1~13まで順々になるように捨てなければならなくて、さらに自分が捨てているカードの数字を宣言しなければならないというあれです。
他の参加者は、その宣言が嘘であると思ったら「ダウト」と告発して、そのカードが宣言通りなのかを確認します。
告発通り宣言が嘘であったなら、場に出ているカード全てが嘘をついた者のところへ行きます。もし告発が間違っていたら、つまりカードの数字が宣言通りであったなら、場の全カードは告発者が受け取らなければなりません。
このゲームですが、ちょっとした工夫がないとまったくおもしろくありません。
最終的に負けた人になんらかのペナルティが架せられていないと、「ダウト」を告発することになんら負担を感じないので、「ダウト」を連発する人が出てしまうのです。こうなったらもうゲームはなりたちません。嘘宣言をしようが、無実の人を告発しようが、どうでもよくなってしまいます。
ところが、最終的に負けた人は、『その時手にしているカードの枚数 × 10円』という罰金を払わねばならず、そのお金は勝者の元へ入る、などというペナルティを設定すると、ゲームは俄然盛り上がってきます。

ゲームとしてはこちらの方がずっとおもしろいんです。

サッカーで子供たちが消極的に見え、コーチが「チャレンジしろ」という状況というのは、子供たちがその「チャレンジ」にともなう結果について、プレッシャーを昇華できていないことに原因があります。

大きな的(まと)めがけて「ボールを当てろ」「チャレンジしろ」とコーチは言っている。
でももしも的を外したら、自分も含めてチーム全員が、崖から落とされる。

こんな状況だったとしたら、子供たちが消極的な選択をしても、当たり前だとは思いませんか。



解決法は三つあります。

①普段の練習時から、結果ではなく経過について褒めたり叱ったりすることで、「責任」への意識を「結果責任」から「経過責任」へと変換させる。

デメリット
いいシュートをほめたり、ドリブルで取られてしまったことを叱ったりすることはできない。なぜならそれは「結果」についての「責任」に直結してしまうから。
当然の帰結として、いい加減なプレー、無責任なプレーが多くなり、とうてい入る訳のないシュートを連発して笑っていたり、味方にパスせず無理なドリブルばかりするアホがおおぜい誕生する。完全に「遊びのサッカー」状態。


②「チャレンジ」ではなく「習慣化・固定化」してしまう。
このパターンでは、こうシュートするとか、パスするとか、ドリブルするとか、フェイントするとか、体に染みこませてしまう。こうすることで「チャレンジ」にともなう「迷い」が生じなくなる。判断ではなく反応によってプレーをするため、プレースピードが格段にアップする。

デメリット
創造性が消え失せる。やっててもおもしろくない。見ててもおもしろくない。
決まった展開でしか「いいプレー」ができなくなる。条件や環境の変化に適応できなくなる。


③条件として適度なペナルティが設定されている状況で「チャレンジ」することのおもしろさ・快感を体得させる。
上で紹介したダウトのように、プレッシャーがあるからおもしろいこともあるんだということを学ばせる。

デメリット
このおもしろさ・快感は、ギャンブルで感じるものと非常に近いものであるため、その後の人生に悪影響を及ぼすかも。世界的にも、ばくち好きな国民性の人たちに、いいサッカー選手が多かったりすることとも無関係ではないです。サッカーという競技がこれほど人間を魅了するのは、たぶんにこのギャンブル要素が大きいのです。


チャレンジしない子は勇気のない子でも気の弱い子でもなくて、責任感が強く、瞬時にリスク計算が出来る優秀な頭脳を持ち、最善の選択を常に考えている、とてもまじめな子なんです。
こういう子に、ただ闇雲に「チャレンジしろ!」と繰り返しても、彼や彼女は混乱してしまうだけなのだということを、指導者・コーチの皆さんは知って欲しい。
簡単にチャレンジする子は、将来、社会生活面で落ちこぼれる、あるいは法律というルールを守れなくなる可能性がとてもある、ということを意識して指導してあげて欲しい。

その試合や大会で勝てればいいのさ、では、せっかく少年サッカーという宝物に出会えた幸運を無駄にしてしまうことになります。
「チャレンジ」ということひとつをとっても、できること、学べることはいっぱいあるんですから。

「考えろ」は考えない

「自分で考えろ」
こういって子供らにプレーさせようとするコーチがいる。
おそらく、
「考えろ」
と言われれば、自分で考えるようになる、と思ってのことだろう。
だが
「考えろ」
と言われると、実際には考えなくなる。
正確には、決断が遅くなり、その結果としてろくに考えないまま行動に移してしまうことになる。

それを見てコーチは再び「考えろ!」と怒鳴る悪循環に陥るのだ。

こうした過ちはなぜ生じるのか。
それはコーチが「思考の種類」を知らないからである。

人間は情報を「視覚」「聴覚」「体感覚」という3つの感覚から判断している。そして得た情報は、以下の3つの思考パターンによって判断され、処理される。

1 視覚的思考 
画像による思考。あるものを別の何かに置き換えて、という処理が困難。見たままを再現するような写実的絵画を書くとき、頭の中で行われている思考のイメージ。
 
2 音楽・数学型 
パターンによる思考。囲碁・将棋の定石(定跡)やコード進行、和音、調、あるいは数式公式といった「型をふまえての」での情報処理が得意。分かりにくい関係性を一目で理解する。
 
3 言語・論理型 
情報の記憶や外国語の習得や翻訳といった方面に優れる。コミュニケーションに必須。復習、反省、といった過去を顧みる際には必ず使われる。

この3つの思考パターンは、そのときに働く脳の部位も異なれば進化の過程で獲得した経緯も異なるという、それぞれまったく別の能力である。人間はこのまったく異なる能力を巧みに組み合わせて、ひとつの「思考」として使っているのだ。この組み合わせ方は個々人によっていろいろで、それが数学が得意な子とか絵の上手な子とか勉強の得意な子、といったような形であらわれてくる。
つまり、一般的にいう「頭が良い」とは、脳自体の能力差ではなく、個体が獲得した思考パターンの組み合わせ方の違いなのだ。

なんてどうでもいいことは脇へ置いておいて、さて本題。
「要するにサッカーでは1の絵画的思考が大事ってことなんでしょ?」
と思いがちだが、それは誤り。正解は、
2の「音楽・数学型思考」。

密林のジャングルの中で、ルール無用のサバイバル戦なら「思考1:絵画的思考」が重要となるが、定められたルールの中で行われる競技であるサッカーにおいて、それは重要ではない。どうしてかというと、『未知の状況下での判断』が求めれれているわけじゃないから。全てはテーブルの上にある、のであ~る。

思考2の音楽・数学的思考の訓練は、基本技術とパターンの習得につきる。想像力にあふれたどんなに素晴らしいイメージであっても、それを表現できる技術や、効率的に実現するパターンの組み替え技能がないと、それは『お子ちゃまの夢』となんら変わりない。ピアニストや数学者が「ああ、そういうのなら、僕も同じこと思ってた」じゃあだめなのと一緒だ。できなきゃあ話にならない。

したがってサッカーの試合で子供たちに「考えたプレー」をさせたいのなら、練習で「試合に登場するような場面」をできるだけたくさん経験させ、その中で、応用できるその子なりの基本技術とパターンを習得させるのが最も効率的だということになる。
「実際の試合に登場するような」というところがポイントで、キーパー一人相手に、センタリングからシュートなんて練習のことじゃない。実際の試合でそんな状況になったら、センタリングなんてあげないで、そのままシュートなんだから。他のDFはどこに消えた?

テレビで試合を観戦したり、子供たちの試合を撮影した画像を見たりしているとき、そこで起きたことをどんなパターン練習に置き換えることができるか、それを考えながら見て欲しい。
終わってしまった試合や他人の試合を見て「やったー」とか「バカヤロー!」とかやってるのは、スポーツ居酒屋にたむろってるくるくるパーにまかせておいて、少年サッカーにたずさわっている指導者やコーチといった、知的な大人たちは、試合の映像を「練習のための材料」として見て欲しいのだ。

「あれはいいプレーだった」「今のはだめなプレー」
そこからもう一段階、深化して欲しい。
無駄な装飾をそぎ落として、「何が『いい』プレー」だったのか、「何が『だめな』プレー」だったのか、それを決定づけている「要素」をつかみだし、それを再現できる練習メニューを考え、子供たちに技術とパターンを習得させて欲しい。
こうしているだけで、子供たちは無意識のうちに「考えたプレー」をするようになる。
大人たちはただその“ギフトの訪れ”鮭漁でもするように待っていればいいのだ。

2010年5月8日土曜日

う~ん、やっぱやったことないんじゃないの?

レッズvsマリノス戦を観た。
どたばたした試合だった。
なんの試合だったのかは、あまり伝わってこなかった。

結局のとこ、ドイツでは、小柄な選手を走らせて、ショートパスで構成するようなサッカー、やってなかったってことんじゃないのかなあ。
そこを経験と座学で乗りこえられると思っていたけど、乗りこえられないまま、ここまで来てしまったってことなんじゃないのかなあ。

フィンケ監督がドイツでやってたようなサッカーを、浦和で見てみたかったなあ。
これぞドイツサッカーというやつを、見てみたかったなあ。
バルサ風ならなんでもいいっていう感じの風潮は、どうかと思うなあ。

負けたことよりも、2点しか取れなかったってことうよりも、あんなマリノスに3失点っていう方が、相当深刻な問題だよ。
あれは修正でどうにかなるレベルの問題じゃないよねえ。

どーするんだろ。

2010年5月7日金曜日

これが団塊の感覚スカウティングだ!

『サッカースカウティングレポート 超一流のゲーム分析』
著者 小野剛(元日本代表コーチ) 発行 株式会カンゼン 初版 2010-02-18 価格1600
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岡田ザ・スーパー武史現日本代表監督の、カリスマ的なチームマネジメントを学びたいのなら、絶対に読むべき奇著。
p100では、ふたりの関係を見事に伝えるエピソードを著者自ら紹介している。

当時はほとんど無名であった今野泰幸…(中略)…高校卒業を控えた時点でプロチームからの誘いを1つも受けていないことを聞いた私は、当時J1のコンサドーレ札幌で監督をしていた岡田さんに電話をして…(後略)

(今野選手は2001年にコンサドーレ札幌に入団した)

要するに岡田エクセレント武史氏と著者は、スカウトたちが落とした人材を、電話一本でJリーガーにできるような間柄なのだ(まあそれ以前に、今野を落とすJのスカウト全員の無能さが大問題なのだが)。
この本には、他にも数え切れないくらい「岡田さん」「岡田監督」といった文言が記されている。どれほど著者が心酔しているのかが、読みたくなくても読み取れる。
2人で酒でも酌み交わせば、サッカー談義で熱く盛り上がることだろう。2人はうりふたつの『サッカー観』でかたく結ばれているのだから。

ところがそのサッカー観に基づく「スカウティング」の内容と、著者のサッカーや日本代表にたずさわる姿勢を知ると、暗澹とさせれてしまう。少なくとも私は「マジっすか? こんなんでいいの?」と思わずにはいられませんでした。

まず「弟子p14」という表現を使って悦に入っている感覚や

サッカーを「観る眼」は鑑定に近いかもしれません。
鑑定士は、偽物をどれだけ見ても目利きにはなれないそうです。本物をどれだけ見たかで眼が養われると聞いたことがあります。ハイレベルな本物の試合をたくさん観ているからこそ、直感的に違和感を覚えるのでしょう。p16

私自身が見えるようになったと実感したのは、かなりあとのことです。p17

といったくだりを読むと、
スカウティングってのはそんなに感覚的にやっちゃっていいもんなのか?
と心配になってきます。
ましてやこの著者は、S級ライセンス指導の重鎮らしいのです。おいおいって感じです。

では実際、どのようなスカウティングがされたのかを紹介します。
まず、スカウティングの苦労話です。
これなど典型的な、団塊世代の「昔の苦労自慢話」に思えます。さらにスポーツマンとしても、日本男児としても、胸を張れるような振る舞いとは、私には感じられませんでした。率直に言うと、軽蔑しました。

以下は、同行した同僚の話として紹介されています。

野見山さんはイラクのスタッフに捕まっていたそうです。車から引きずり出されて、そのまま胸倉をつかまれて持ち上げられたと言っていました。けれど、メモを車の座席の下に隠し、「私は通りすがりの韓国人です」と英語で言ったら、それ以上のことはされなかったようです。
オマーンをスカウティングしたときは、軍事施設に潜入した事もありました。…(中略)…さすがに許可を取りました。p22

韓国人になりすますあたりや、許可を取っているにもかかわらず「潜入」と書くあたり、私とはかなり異なる常識の持ち主なのだなあと推察しました。
堂々と「私はサッカー日本代表チームのスタッフです。練習を見学させて欲しい」と申し出れば、普通にOKが出たんじゃないかなって思います。それをいい歳して、こそこそスパイの真似事なんかやるから、怪しまれたってだけの話のように思えました。ピンチじゃないのに勝手にピンチだと合点して、それを自分史の武勇伝として本にまで書いちゃうあたりが、いかにも団塊世代って感じですごく素敵です。うちのミーちゃん(雑種)が人間だったら、確実に惚れてますね。先日も、得体の知れない臭いものにスリスリしてましたから。

ではスカウティングの報告はどのようなものなのか。
衝撃です。

どのように質問されるのかは、24ページにありました。

「それで、相手は強いのか?」p24

衝撃的な質問だとは思いませんか? アトランタ五輪のときの西野監督からの質問として紹介されています。
そして、そう聞かれた著者はどう答えたのか。それは、

「ブラジルよりも強いと思います」p178

ぶっ倒れます。ミシュランの覆面調査員らがもし「うまいのか?」「うまいと思います」レベルでガイドブックを編集してたとしても、まあご愛敬ですけど、日本代表チームでそれをやられてしまったら頭が痛くなります。

この本全体を包んでいるのは楽天的な著者の性格です。
正直、かなり羨ましい性格をされています。
有名な自称「マイアミの奇跡」の時は、

 (略)…確かにブラジルのミスでした。しかし自信を持って言えることは、日本が起こさせたミスだということ。ミスが起きるように仕向けたのです。p175

ですが、フランスワールドカップのアルゼンチン戦のこととなると、

(略)…バティストゥータの前にボールがこぼれてしまった。…(中略)…サッカーとはそういうもの。どれだけ良い形で戦っていても、どちらに幸運がもたらされるかはわからない。

となります。実に羨ましい性格だと言わざるを得ません(分析専門官としてはどうなのかな、とは思いますが)。

そして、アルゼンチンに敗れたあとの第二戦クロアチア戦で、この著者はどんなアドバイスを伝えたのか。
『絶対に負けられない戦い』への必勝アドバイスとは!

(略)…最終ラインの裏を狙っていきました。そのとき注意したのは、ボールを奪われたらすぐ切り替えて奪い返すこと。それとクサビのパスを受ける選手を孤立させないように、しっかりサポートすることでした。p237

じゃあそれまではどうしてたんだよ、と思わず突っ込みを入れたくなるような指示です。
これで本当に、クロアチアに勝てると思っていたのでしょうか? 勝つつもりがあったのか、相当に疑問です。
このアドバイスのために、どれくらいのコストがかかっているのか……考えたくないです。

最後のところで著者はこう語っています。

初出場のフランスワールドカップを終えて感じたことは、たくさんありました。
まず、決定的に太刀打ちできなかったのかというと、そんな気はしなかった。10回戦って5回勝つレベルではなかったけれど、10回負ける相手でもなかった。アルゼンチンやクロアチアが相手でも、2、3回は勝てるのではないかと思いました。p241

なるほど、と納得しました。
岡田トレビアーン武史大日本代表監督も、こんな認識でいたのだな、と。
だからこそ「ベスト4」なんてことを軽々しく目標に掲げられたのだな、と。
でも確率10分の3が2回あったとしても、ベスト4には届かないのではないかなあ。
それにそんな確率じゃあD判定にもならない***印ですよ。そんなとこを「志望校は○○大です」って掲げちゃうのは、どうなんですかねえ。

などなど、現在の日本サッカーを支えている『超一流』のサッカー観・認識が非常によくわかる希著として、花丸推薦したい本です。よくこれを書いてくれたと、本気で感謝したいです。もしこれを読んでいなかったら「もしかして……」と余計な期待を持ち続けてしまいますから。
それと現在の日本代表のスカウティング担当者の方々(お弟子さんとお呼びした方がよろしいのでしょうか?)、どうかどうか、「うまく騙してやったぜ自慢」とか「やばかったから、俺は韓国人(中国人)だって言ってやったぜ」などという、日本人全体を貶めるような行為は慎んで頂くよう、切にお願い申し上げます。

日本少年サッカーの決定的“育成”ミス

『世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス イタリア人監督5人が日本代表の7試合を徹底分析』
著者 宮崎隆司 発行 株式会社コスミック出版 初版 2010-02-24 価格 1500

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4-2-3-1なのか、4-3-3なのか、あるいは3-5-2なのか、4-3-2-1なのか。日本代表の現状に限って言えば、そうしたシステム論を語る前に、まずは守備の基本に立ち返ることが必要だと思う。 p21
セオリーという常識に照らせば、今の日本代表のプレスは、残念ながら非常識の範疇を出ないということになってしまう p22
彼らが最も不可解に感じていたのは、中村(俊)のポジショニングだ。 p26
これは余りにも劣悪なポジショニングだと言わざるを得ない。セオリーを知らないのか、それともわざとやっているのか……。 p47
両サイドバック(右が内田篤人、左が阿部勇樹)を指し、特に阿部のポジションを確認すると、ウリビエリは「メチャクチャだ」と語気を強めた。「プロのDFが、しかもA代表のDFが、なぜこんなポジションを取るのだろうか……」…(中略)…なぜか右サイドバックの内田は高い位置にポジションを取っていて、逆サイドの阿部に至っては、遥か遠い彼方で突っ立っている……。 p51
大久保は果敢に…(中略)…ボールを奪いに行くのだが、案の定、…(中略)…難なくかわされ、大久保自身は勢い余って転んでいる。これは、…(中略)…セオリーに反するプレーだ。…(中略)…要するに、ここで大久保が見せたタックルは単なる個人プレーに過ぎず、これも連動性を欠いたプレスになっているのだ。 p57
長谷部は遠く離れた位置に立ち、…(中略)…慌てて詰めに行くという始末だ。…(中略)…それだけではない。…(中略)…長谷部が中途半端に間合いを詰めているのも問題だ。 p60
内田はそこにいること自体が無意味だ。内田は、あの遠いエリアで一体何を守っているのか。 p62
阿部の動きも理解に苦しむ、自殺行為と言わざるを得ない。 p62
内田は当然カバーに遅れ、…(中略)…阿部に至っては、サイドバックであるにもかかわらず画面に映し出されてさえいない。 p68
これだけ横に間延びした守備形態を最終ラインが取るのは理解に苦しむ。…(中略)…守備的MFの長谷部と遠藤の2人は一体何をしているのか。…(中略)…とりわけ遠藤の動きが問題視されるべきだ。…(中略)…長谷部も半ば傍観している。…(中略)…いずれにしても、この一連のミスの中で最も大きなものは、やはり阿部の動きだ。 p71
パスを受けた中村(俊)は、背後からの激しいマークを受けて、結局のところ何も出来ずに終わっている。 p76
内田のパス自体に確固たる意図がないというのが問題なのだが p77
闘莉王、遠藤、長谷部、中村(俊)の4人は、“陰のゾーン”に入ってしまっている。…(中略)…逆サイドの阿部に至っては遥か遠い彼方にいる……。 p78
阿部のポジショニングには理解に苦しむものがある。阿部はこんな離れたゾーンで一体何を守っているのか。 p78
これは(日本の守備的MFである長谷部と遠藤が)、2対2における守備のセオリーを熟知していない証だ p83
あろうことか左SBの阿部が飛び出し、足を出して突っ掛けている。これも、自殺行為以外の何物でもない p84
見過ごすことが出来ない動きをしている選手がいる。…(中略)…右SBの内田である。…(中略)…この場面での内田の動きは、さらに厳しく指摘しなければならない。これは、まさに…(中略)…セオリーを知らない証だ。…(中略)…内田の動きは、見過ごせるレベルのものではない。 p88
そもそも、最初にパスをカットされた中村(俊)は、その瞬間、次のプレーに移るのではなく、ボールを奪われたことに対して自ら肩を落として足を止めてしまっている。 p89
田中(達)が猛然とプレスに行くのを見ると、…(中略)…次のように指摘した。「2つの意味で、これは非常に良くないプレーだ。…(中略)…まったく意味のない動きだ。…(中略)…さらに驚かされるのは、…(中略)…引き続き田中(達)が単独で背後からプレッシャーを掛けるべくダッシュで寄せていることだ。…(中略)…一体このプレーの意図はどこにあるのか、正直、私にはわからない。ただ、私のこれまでの経験上、プロのレベルでこのようなシーンを見たことがないということだけは、確実に言える。…(中略)…」 p101
あろうことかここでボールを追っている選手は、守備的MFの遠藤だ。守備的MFが、なぜこんなに深い場所までボールを追うのか。これはもう私の理解出来る範囲を遥かに超えたプレーと言う以外にない p102
またしても田中(達)が猛然とボールを追いかけている。信じ難いプレスだ。もちろん、ここで田中(達)はボールを奪うことは出来ていない p105
中盤で1対2という数的不利の状況であるにもかかわらず、守備的MFの長谷部が…(中略)…簡単にかわされてしまう。…(中略)…中村(俊)が不用意に足を出して内にかわされてしまい、…(中略)…計5人もの選手が自分たちの背後を空けてしまう…(中略)…やはり正常とはいえない p113
日本の守備は壊滅的だと言わざるを得ない p114
闘莉王に始まったこのパス回しは、長谷部、長友、そして中村(俊)へとつながり、再び闘莉王に戻り、それを闘莉王が縦に蹴るとボールがタッチを割るという一連の流れだ。 p115
本来は横に並ぶべき4-2-3-1における3と1の4人が縦に並んでいるという事実は、それ自体に信じ難いものがある。 p120
厳しい言い方になるが、ここまでセオリーを無視したポジショニングは、イタリアではアマチュアの試合でもなかなか見ることはない p121
そもそも後半立ち上がりの時間帯で疲れきっているFWなど、世界広しといえどもそう多くはないはずだ。 p125
首を左右に振りながら「あり得ない」と呟くと、こう指摘している。 p130
日本は、積極的な姿勢というものを間違って解釈している。 p177
チームのために走ろうとする彼の献身的な姿勢はもちろん素晴らしいが、ここではそれは必要ない。…(中略)…むしろこの場面では無駄な動きだと言うべきだ。 p178
ファン・ペルシーを後ろから追いかけて、内田が何をしようとしたのかは、正直わからない。 p192
要するに、問題の根はここにあるのだ。これは、いわゆる1体1の基本が出来ていないことを如実に示している場面だ。 p195
せっかくここまで追いかけていながら、なぜ岡崎は……。 p197
これで90分間走りきれるとすれば、それは奇跡以外の何物でもない p197
まず問題は、オランダのFWエリアに対する中村(俊)の守備にある。 p198
基礎的な守備をDFが出来ていない以上、致命的な綻びを生んだのは必然だと言える p201
闘莉王の守備は余りにもお粗末だと言わざるを得ない。…(中略)…これほどの初歩的ミスを犯しておきながら、この緩い戻りを見せていることから察すると、彼は事の重大さに気付いていないのではないか。 p204
このクリアボールを受けようとしたのはFWの興梠だが、この場面における彼のプレーも信じ難いものがある…(中略)…言葉は悪いが、これはアマチュアレベルだ。 p208
「ここからまた日本はカウンターを食らうはずだ」と明言した。 p212
大切なことはこの3失点目の原因を単に疲労だけに求めないことだ。…(中略)…セオリーに則った守備を学び直す必要がある p217
駒野も闘莉王も全力で戻る素振りを見せていない。2人とも走ってはいるが、それはジョギング程度のスピードでしかない。これは、中澤を見殺しにしたも同然の行為だ。…(中略)…そしてもう1つ。ここで遠藤の戻りがないのも問題にすべきだ。…(中略)…彼もまたジョギング程度で走っているだけだ。 p225
ここでも闘莉王と駒野の戻りはない。 p226
言葉にするとすれば、それは下地ということになるだろうか。すなわち、基本だ。この基本的なことを、おそらく日本の選手たちはユースの時代から正しく積み重ねてこなかったのではないだろうか。 p237
間違った文化を、それが間違いであると気付かないまま蓄積されているのではないか p238
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この本のタイトルには『岡田ジャパン』と書かれているが、プロローグで

「このような動きはアマチュアでもあり得ない」

「同じ類のミスを繰り返すのはなぜか? これをつき詰めて考えていくと、どうしても結論は育成へと辿り着いてしまう。ユースの初期段階で何を教えるのか。育成の完成型である日本のA代表の試合を見ていると、その中身のいくつかを間違えているのではないかと思わずにいられない。仮にその根底にある流れが間違っているのであれば、やはり1日も早くそれを改めなければならないだろう」

という言葉を紹介していることからも、著者の問題意識はユースの初期段階、つまりジュニアユースやその前段階であるジュニア年代での指導内容へ向いている。
その段階で基礎を学んでいないことが、「相変わらず弱い」日本代表を生んでいるのではないか、と著者は指摘しているのだ。

悪い見本としてこの本の中に何度も登場する阿部選手、内田選手、長谷部選手は、「サッカー王国」「サッカーどころ」として名高い千葉・静岡両県の出身である。
あくまでも私の想像だが、彼らが所属していた少年団や中学校、あるいはジュニアユースやユースにも、その世界ではそれなりに名の通った、立派な指導者がいたはずである。仮にいなかったとしても、トレセンや選抜チームには、誰かがいたはずだ。
そんな環境で育成された彼らが、まったく基本を無視したような、セオリーとかけ離れたプレーしか知らないというのはどういうことなのだろうか。
たまたまこの本の中で紹介された試合の間だけ、得体の知れない別人の霊が、彼らに取り憑いていた、ということも充分に考えられるから一概には言えないが、もしかすると、彼らにサッカーを教えた大人たち自身が、基本もセオリーも知らなかった、などという可能性はないだろうか……いや、それはあり得ない。なぜなら彼らが「恩師」と慕う指導者やコーチは、日本でも指折りの「有名」指導者であるはずだから。
有能だから、有名になったはずだ。
まさか、そうじゃないのか?

そう思わされてしまうような本でした。ぜひ少年サッカーにたずさわっていて、“サッカーを”教えたいと思っている北足立郡北部地区の大人の人に、読んで欲しいなあと思うような本でした。
でも子供や中学生、あるいは頭のわるい高校生が読んでしまうと、相当誤解してしまうだろうなと危惧せずにはいられない、危なっかしい書き方もされているので、取り扱いは要注意です。