2010年5月24日月曜日

囲碁と将棋と少年サッカー

私は囲碁も将棋も面白いと思っている。その面白さは、サッカーと通じている。
囲碁と将棋は似ているようでまったく違う。囲碁は広さを読み、将棋は深さを読む。囲碁は過去を変えられず、将棋は未来を変えられない。
だがどちらにも共通しているのは、今自分が存在しているのが『過去』なのか『未来』なのかがわかった時が、勝敗が決した時だということだ。

サッカーにおける個々の局面は、将棋に似ている。それは一対一の駆け引きであったり、セットプレーであったり、ポジション取りだったり、いろいろだ。
試合全体を俯瞰してみれば、それは囲碁そのものだ。キックオフで動き出したボールが選手たちを介して模様を描き、タイムアップの瞬間により多くを取った方が勝利する。

サッカーには、さらに面白さを増す要素がある。
選手一人ひとりが、飛車なのか銀なのか桂馬なのか、その時々によって変化すること。そして審判の判定によって石を交換されたり、取り去られたりすることだ。このスペクタルは、囲碁にも将棋にもない。

弱い弱いと言われている少年サッカーチームがあったとしても、サッカーの面白さを味わうことはできるし、面白いサッカーをすることもできる。下手だ下手だと思い込んでいる子も、サッカーの上手い下手が『面白さ』ではないことさえわかれば、人生をサッカーと共に歩むことが出来る。まだ幼い子が、きゃっきゃ、きゃっきゃとサッカーボールを蹴って喜んでいるのは、上手だからでは決してない。試合を応援しているお父さんやお母さんが身を乗り出して声を張り上げているのは、馬券を握りしめた観客と同じ理由からではない。

理由は単純。
サッカーとは面白いものだからだ。
そしてどんなチームであっても、選手であっても、指導者、コーチ、監督、親御さんたちであっても、『今』を『過去』にも『未来』にもすることができる。
それがサッカー。
だからサッカーは面白い。

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