2010年5月30日日曜日

武士道──『葉隠(はがくれ)』──シュート

武士道の究極とされるものに『葉隠』という文書がある。
日本が富国強兵に走った時代には、兵士の育成にも用いられた。
『葉隠聞書』(山本常朝1659-1719)
この文書は、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な文句で始まる。
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武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり。
図に当らぬは犬死などといふ事は、上方風の打ち上りたる武道なるべし。二つ二つの場にて、図に当るやうにすることは、及ばざることなり。我人、生くる方が好きなり。多分好きの方に理が付くべし。
若し図に外れて生きたらば、腰抜けなり。この境危うきなり。図に外れて死にたらば、犬死気違なり。恥にはならず。これが武道に丈夫なり。
毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり。
--------------(以下現代語訳『日本の名著17葉隠』奈良本辰也・駒敏郎訳より)----------------
武士道とは、死ぬことである。生か死かいずれか一つを選ぶとき、まず死をとることである。それ以上の意味はない。覚悟してただ突き進むのみである。「当てが外れて死ぬのは犬死だ」などと言うのは、上方風の軽薄な武士道である。生か死か二つに一つの場所では、計画どおりに行くかどうかは分からない。人間誰しも生を望む。生きる方に理屈をつける。このとき、もし当てが外れて生き長らえるならばその侍は腰抜けだ。その境目が難しい。また、当てが外れて死ねば犬死であり気違い沙汰である。しかしこれは恥にはならない。これが武士道においてもっとも大切なことだ。毎朝毎夕、心を正しては、死を思い死を決し、いつも死に身になっているときは、武士道とわが身は一つになり、一生失敗を犯すことなく職務を遂行することができるのだ。
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私はこれを、書いてある通りに読みとるのは間違いであると断じる。
理由は、私の敬愛する武将二人が、「無様であっても生き残ること」によって、最終的には天下を取ったからだ。

足利尊氏は、建武3年2月10日・2月11日(1336年3月23日・3月24日)の豊島河原合戦(てしまがわらがっせん)で惨敗し、辛くも九州へ逃げ延びたことで逆転することができた。
場所:豊島河原(大阪府箕面市・池田市)
新田義貞・北畠顕家を総大将とする後醍醐天皇軍と、足利尊氏を総大将とする反乱軍(?)の戦い。

徳川家康は元亀3年12月22日(1573年1月25日)の三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)で、脱糞するほどの無様な退却を見せた。
場所:遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)
武田信玄軍2万7,000人と、徳川家康軍1万1,000人(うち織田信長からの援軍3,000人)の戦い。

『葉隠』は三方原の戦いからおよそ百年後に作成されている。
当時の戦術・戦略研究は、現在のもののように生ぬるくない。生き残るか否か、切られるか切るか、というリアルさがいつも後ろから手をかけているような、そういう際どい覚悟を求められるものだった。つまり『葉隠』の作者が、家康や尊氏の大逃走劇を知らないわけがないのだ。
つまり、『葉隠』で述べられている「死」とは「生きるための死」なのだ、と私は理解している。

外してもいい、つもりでシュートする、これは『葉隠』の言う「死」ではないように思う。
入るか入らないか、そんなことは度外視して、己の信じる道を進む、そういう決意でシュートする、そういうことなのではないだろうか。
いっちゃあ悪いが、どーせ北足立郡北部地区の少年サッカーチームから、将来バロンドールを獲るような選手は生まれないのだから、いっそのこと『武士道』に基づいた指導を心がけてはどうだろう。
シュートひとつをとってみても、「コースを狙え」ではなく「入る入らないよりも、お前がシュートを打つと決意することの方が大切なのだ」と指導するような練習なんか、面白そうなんだけど。むしろ「外せ!」と指示してやる。意識して「外す」ことは、すなわち「外さない」ことと同義だから、意外と効果が高いかもしれない。保証はしない。

「バカの壁」というベストセラーがあった。養老たけし(たけしという字がどんなだったか記憶にない。猛だったかな?)が口述した、適当な内容の本だ。
今日の日本・イングランド戦での本田のハンドは、まさに「バカの壁」だった。
壁に入ったことのある人間ならわかるのだが、あそこで腕をあげるということは、ボールに当たることがわかっていてのことなのだ。つまり、PKをプレゼントしてあげた本田君は、きっとイングランドに勝って欲しかったんだね(死ね、と言うと乱暴だから、遠藤とお前は同じだ、程度にしてあげよう)。
不細工だけど髪型は大事だよね遠藤も死ね、っていうとキツイから、遠藤選手も落ちついてるふりじゃなくて、本当に落ちついてプレーしてくだださい、と言う程度にしておく。本音で言うと、お前と玉田がちょうど重なったところへ、隕石が突き抜けてくれないかなって、思った。マジで。今日のイングランドの前半で、あれしかできないってどういうことだよ。向こうはお前に何もしてないじゃん。好き勝手できたのに、あれはないだろ、あれは。
実は中村(俊)への期待が、非常に高まってしまった。彼の性格だと、陰湿な炎がめらめらと燃えているに違いない。第1戦目のカメルーンで、彼の暗~い怨念のようなパワーが爆発するような気がする。左足のミドル炸裂って感じで。気持ち悪いガッツポーズ&ぬるぬるの髪振り乱し、にはガマンしましょう。ワールドカップ1勝の為です。

サッカーの魅力って、勝つか負けるかだけだったのかなあ、って思うんだよね。
勝ちか負けるかだけなら、昔の島原商業とか国見とか、イングランドW杯の北朝鮮とか、日韓W杯の韓国とか、それでいいじゃん。でもサッカーの魅力ってそうじゃないと、俺は思ってる。
俺が、少年サッカーって意外と面白いなって思ったのは、偶然見たユベントスの試合がきっかけだった。
近くの会場と間違えて観戦した試合が、ユベントスの試合だったわけ。そのときは水色のユニフォームだった。
その試合で、ほんの一瞬だったけど、ユベントスは『美しいサッカー』を見せてくれたんだよね。
選手の気持ちと、ボールが行きたいところと、ほんの一瞬先の未来が合致した、美しいサッカーを、俺は見た。
偶然だったのかもしれない。見間違いだったのかもしれない(リプレーないし)。
でも、俺が「美しい」と感じたことだけは、俺にとって事実なんだ。
だからユベントスには、正直言って思い入れがある。期待のハードルも高い。
もう一度、あの一瞬を再現して欲しい、そしてそれをこの目で見たい、と心から願っている。
俺がその時見た“奇跡”であるユベントスの11番に(俺は勝手に、カフー+ジョルジーニョ=カフジーニョと呼んでいる)、もう一度(といわず何十回何百回でも)古き良き時代のサイドからの崩しを見せて欲しい。ブラジルのマイコンみたいな超絶防御+ボール奪取能力も、惜しまずに見せつけて欲しい。君はもっともっとスケールの大きな選手になれるはずだ。16番と12番と6番と7番とGKにも期待している。すげー期待している。ユベントスの試合の出来不出来は、君たちファンタスティック・ファイブの活躍にかかっているのだから。8番と10番、19番も、もっともっと伸びるように(俺には)見えたから、自主練習でがんばってイージーミスを減らして欲しい。お前さんたちの能力のラインは、自分で思ってるよりもずっと上の方にある。今が一番伸びる時期なんだから、一分一秒を惜しんで練習してくれ。最近見た、15番のファイトはルーニーっぽい。おそらく前世で君とルーニーは兄弟か親子だったはずだ。それくらい、君はルーニーに似ている。4番5番、お前らカッコイイ。でもカッコイイだけじゃダメ。もっともっともっともっともっと体張れって感じ。ケガなんか怖がんなよ、男のクセに、って感じ。骨折したってすぐくっつくさ、小学生なんだから。ガツンと体を張れるようになれば、君たちの前へ行くときのセンスがもっと生きてくるんだ。ガツンビュンシュパーってイメージを常に意識して、体を張ってくれ。そして最後に、県大会では、最近売り出し中の13番14番がラッキーボーイになってくれる夢を、俺は見た。間違いなくこれは予知夢だ。


いや、そういう贅沢は望むまい。
県大会で、卑怯なプレーが一度もないことだけで、私は満足しよう。
大人には、子供に“卑怯”なことをさせることの、その子の一生に渡る影響について、常に意識して欲しいなあ。

北足立郡北部の少年サッカーは『武士道』、なんてイメージが全国に広まったら粋だよね。
北本の解脱会の剣道部や、桶川の剣道クラブは埼玉県トップレベルなんだから、相互に協力しあうような企画はできないものだろうか。

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