2010年5月5日水曜日

少年サッカーでのレフェリング

少年サッカーでレフリーを務める前になると、ストレスで胃が痛くなる人がいるらしい。
困ったものだ。

もしかしてそういう人は、「“正しい”レフェリングをしなければならない」とでも思い込んでいるのではないだろうか。
ちゃんちゃらおかしな話だ。
サッカーはあなたに、“正しい”レフェリングなど求めてはいないのだから。

一から考えてみよう。そうすれば、自意識過剰な人にも理解できるかもしれない。

まず、レフリーであるあなたは神ではない。
つまり全てを知ることも、真実を知ることも、それを正すこともできない。

次に、レフリーであるあなたは判事ではない。
特別な訓練も受けていないし、試験で選抜された訳でもない。さらに、全ての証拠が提示されるわけでもない。

三、レフリーであるあなたは、検事、あるいは警察官ではない。
犯罪を暴き、犯人を捕まえることがあなたの役割ではない。

四、レフリーであるあなたは、目撃者なのだ。
あなたは、自分が目撃したことを証しすることができる。

五、レフリーであるあなたは、善意の第三者なのだ。
あなたは、尊重されるべき存在なのだ。


本来、すべてのプレーヤーが正直者であるならば、レフリーなどいらないのだ。
反則は自己申告により、両者の納得の上で、判定されればいい。
だが、悲しいかな、プレーヤーの中には嘘つきがまぎれ込んでいる。
ピッチ上の22人のうちに、たった一人でも嘘つきがまぎれ込んでいた場合、自己申告は信憑性を問われてしまう。
レフリーは、そのたった一人の嘘つきの嘘を暴くために存在している。

嘘つきの方もなかなかやるから、誰が嘘つきなのかはわからない。
最近の少年サッカーでは、ピッチの外から嘘つきの親玉が大嘘をわめいたりもするから、一層面倒になことになっている。

ここで思い違いをしてはいけない。
レフリーは、嘘つきの嘘を暴きはするが、誰が嘘つきなのかは暴かなくてよいのだ。
レフリーは刑事ではないのだから。

ではどうやって嘘を暴けばよいのか。
難しいことは何もない。
あなたは、自分が見たままを試合関係者に表明すればいい。それだけのことだ。
他人にはどう見えたのかなどは、あなたにはまったく関係のないことだ。
あなたが見たそのままを表明すること、これが少年サッカーでレフリーに求められている唯一のことだ。
もしクレームを言う人間がいても、あなたにはまったく関係がない。
野良犬が「それは俺のエサだ」と吠えているのと大差ない。
それともあなたは、野良犬に吠えられると、財布を差し出す人間なのだろうか? もしそうなら、あなたは人間には向いていない。残念ながら。

レフリーには中立であることも求められてはいない。
えこひいき上等。いじめ万歳。それがレフリーだ。
生意気なガキがいたら、懲らしめてやればいい。
むかつくコーチや、うるさい応援団がいたら、思いっきりいじわるしてやればいい。
少年サッカーの判定には、懲罰委員会も、ビデオ判定もない。証拠はないのだ。
卑怯だとか、不公平だとかいう青臭い大人には、
「私は公平にジャッジしました」
と、ピシャリと言って上げましょう。
(「私としましては、精一杯可能な限り、平等公平にジャッジしたつもりです。これ以上は私にはできません」でも、嫌味が効いていてGood)

そもそも、レフリーの判定にクレームを言う大人が関わっているチーム、ましてや監督やコーチがベンチから判定に文句を言ったり、子供たちまでもが不満そうな態度をあからさまに見せたりするようなチームは、自分たち自身が嘘つきなのだ。どこかの隣国の方々のように、自分たちが糞のような嘘にまみれているから、他人まで臭いように思ってしまう。その臭いと思った他人の臭いは、実は自分から発せられた臭いなのだということに気づかないで「臭い、臭い」とわめいている。ああ、なんて可哀想な人たちなんだろうと心の片隅であわれみつつ(別にあわれまなくとも良いが)、徐々に距離を取りましょう。そうしないとこっちにまで臭いがうつりますから。


そうは言っても、レフェリングには基本があります。それに少しふれて、終わりにしましょう。

まず線審になったときの基本です。
①ラインデッドの判定は、「どっちが最後に触ったか」ではだめ。
「こっちが触ったか、そうじゃないか」を見る。

例えば青ユニと赤ユニの試合で、ボールを出したのは青か赤か、を見るのではなく、「ボールを出したのは常に青だ」を前提に見て、それが正しかったかどうかで判定するんです。
こうすると、意識がひとつに集中するので、格段に見やすくなります。
どちらのチームを意識するのかは、ふつうは線審に近いゴールへ攻める側のチームの方が良いとされています。
自分が判定責任を負う試合展開は、通常攻め込まれている状況だからです。
線審によっては、ソックスの色が見やすい方を選択することもあります。
どちらでも自分が見やすければそれでいいと思います。目撃者なんですから。

②オフサイドの判定は、「絶対にオフサイドがある」と頭から疑ってかかること。
オフサイドかどうか、なんて甘っちょろい目で見ていたら迷いが生じます。
「こいつらは絶対にオフサイドを犯す。百パーセントまちがいない」この覚悟と目が、オフサイドの判定にはとても重要なのです。

③基本の意識は、守備側よりで。
これは主審にも言えることなのですが、基本、守備側の身内という意識で判定をしていると、試合全体のコントロールがうまくできます。
守備側の身内に立つつもりで判定するということは、どちらかというと守備側の反則には甘くなる、ということになります。一見これだと、攻撃側が不利になるように思えますが、実際には「流す」ことによっていい攻撃が生かされるケースが多くなるので、決して攻撃側に一方的に不利、ということにはならないのです。
また、一方に偏った視点で試合を見ることは、集中を持続させる効果もあります。
ベンチにいる人や、応援団の方が、反則を見逃さなかったりするのは、これと同じ効果です。

以上の3点を忘れずにいれば、線審も楽しくできると思います。


主審になったときの基本。
上記の3点に加え、あと2点あります。
①「公平」「平等」「正確」「間違えない」などといったことを意識から消し去る。
意識するのはただひとつ「胸を張って、自分が見たままを表明する」それだけです。
自分が見たことが正しいのか間違っているのかとか、よく見えたよく見えなかったとか、そういうことを考えるのはレフリーの仕事ではありません。

②絶対に線審を疑わない。線審の判定は、即自分の判定であることを百パーセント確信する。
おどおどした不慣れな線審には、ちゃんと自分がそういう考えであることを伝えましょう。
そして、上記の線審の基本三箇条を教えて上げましょう。
線審の判定に、間違いの一つや二つがあったからってどうってことないじゃないですか。
莫大な予算と、人材と、時間を費やした公判廷だって、あんなにたくさんの誤判冤罪があるんです。
偏差値エリートが最新の機器を使って診察しても、医療ミスはなくなりません。
どちらも命にかかわるような間違いをしておきながら、高い給料をもらってのほほんとしています。
さすがは大物って感じで、恐れ入ります。
世間のトップがそうなんですから、目撃者でしかないレフリーに、「お前が見たことは本当に真実なのか」なんて問うのは大間違いです。
線審と主審は一心同体。
線審が見たと「思って」いることは、主審が見たのとまったく同じことなんです。

そしてもし、線審にクレームを言う外野がいたら、注意などしないで、露骨にいじわるしてやりましょう。
レフリーは神様でも聖人君子でもない、ふつうの人間なんだってことを、わからせてあげましょう。
その方が、彼、彼女らの今後の為にもなります。


最後に、こんな人は少年サッカーのレフリーには向いていない、という例をひとつ。

相手が子供だと思って、試合中に教育しようとするタイプは、レフリーには向いていません。
やめたほうがいい。
相手が大人なら、そんな態度はとらないんでしょ?
あるいは、言葉の通じない外国人が相手だったらどうするんですか?
レフリーは判事でも刑事でもないのと同様に、教師でもないんです。

子供であろうが、外国人であろうが、高齢者であろうが、ひとりのプレーヤーとしてリスペクト(存在を認めて、個人としての敬意を払うこと)できない人間は、レフリーに向いていません。

よいレフリーになるのに特別な能力は必要ないんです。
サッカー経験も必要ありません。
必要なのは、ただ目撃者たらんとする真摯な姿勢、それだけなんです。

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