2010年5月9日日曜日

「チャレンジしろ」はチャレンジしない

「思いっきりやってみろ! 失敗したっていいじゃないか。それで悔しくて悔しくて、眠れない夜があったっていいんだ。そういう挫折をたくさん経験して、そこから這い上がってきた選手だけが、一流になれるんだぞ」

夕日の砂浜で、監督と選手が抱き合う。


いまどきどこを探しても、こんな脚本はないでしょう。
この手の大昭和時代のドラマでは、こう励まされた選手が立ち直って、次の試合で大逆転の活躍をするというベタ展開になりがちです。
ですが実際にこうなることはまずありません。
なぜでしょう。

それは、「チャレンジしろ」と言われても、人間は「チャレンジできない」からなんですね。

トランプカードのゲームで『ダウト(嘘)』というのをご存じでしょうか。
それぞれが裏にした手持ちのカードを場に捨てていくのですが、その際、1~13まで順々になるように捨てなければならなくて、さらに自分が捨てているカードの数字を宣言しなければならないというあれです。
他の参加者は、その宣言が嘘であると思ったら「ダウト」と告発して、そのカードが宣言通りなのかを確認します。
告発通り宣言が嘘であったなら、場に出ているカード全てが嘘をついた者のところへ行きます。もし告発が間違っていたら、つまりカードの数字が宣言通りであったなら、場の全カードは告発者が受け取らなければなりません。
このゲームですが、ちょっとした工夫がないとまったくおもしろくありません。
最終的に負けた人になんらかのペナルティが架せられていないと、「ダウト」を告発することになんら負担を感じないので、「ダウト」を連発する人が出てしまうのです。こうなったらもうゲームはなりたちません。嘘宣言をしようが、無実の人を告発しようが、どうでもよくなってしまいます。
ところが、最終的に負けた人は、『その時手にしているカードの枚数 × 10円』という罰金を払わねばならず、そのお金は勝者の元へ入る、などというペナルティを設定すると、ゲームは俄然盛り上がってきます。

ゲームとしてはこちらの方がずっとおもしろいんです。

サッカーで子供たちが消極的に見え、コーチが「チャレンジしろ」という状況というのは、子供たちがその「チャレンジ」にともなう結果について、プレッシャーを昇華できていないことに原因があります。

大きな的(まと)めがけて「ボールを当てろ」「チャレンジしろ」とコーチは言っている。
でももしも的を外したら、自分も含めてチーム全員が、崖から落とされる。

こんな状況だったとしたら、子供たちが消極的な選択をしても、当たり前だとは思いませんか。



解決法は三つあります。

①普段の練習時から、結果ではなく経過について褒めたり叱ったりすることで、「責任」への意識を「結果責任」から「経過責任」へと変換させる。

デメリット
いいシュートをほめたり、ドリブルで取られてしまったことを叱ったりすることはできない。なぜならそれは「結果」についての「責任」に直結してしまうから。
当然の帰結として、いい加減なプレー、無責任なプレーが多くなり、とうてい入る訳のないシュートを連発して笑っていたり、味方にパスせず無理なドリブルばかりするアホがおおぜい誕生する。完全に「遊びのサッカー」状態。


②「チャレンジ」ではなく「習慣化・固定化」してしまう。
このパターンでは、こうシュートするとか、パスするとか、ドリブルするとか、フェイントするとか、体に染みこませてしまう。こうすることで「チャレンジ」にともなう「迷い」が生じなくなる。判断ではなく反応によってプレーをするため、プレースピードが格段にアップする。

デメリット
創造性が消え失せる。やっててもおもしろくない。見ててもおもしろくない。
決まった展開でしか「いいプレー」ができなくなる。条件や環境の変化に適応できなくなる。


③条件として適度なペナルティが設定されている状況で「チャレンジ」することのおもしろさ・快感を体得させる。
上で紹介したダウトのように、プレッシャーがあるからおもしろいこともあるんだということを学ばせる。

デメリット
このおもしろさ・快感は、ギャンブルで感じるものと非常に近いものであるため、その後の人生に悪影響を及ぼすかも。世界的にも、ばくち好きな国民性の人たちに、いいサッカー選手が多かったりすることとも無関係ではないです。サッカーという競技がこれほど人間を魅了するのは、たぶんにこのギャンブル要素が大きいのです。


チャレンジしない子は勇気のない子でも気の弱い子でもなくて、責任感が強く、瞬時にリスク計算が出来る優秀な頭脳を持ち、最善の選択を常に考えている、とてもまじめな子なんです。
こういう子に、ただ闇雲に「チャレンジしろ!」と繰り返しても、彼や彼女は混乱してしまうだけなのだということを、指導者・コーチの皆さんは知って欲しい。
簡単にチャレンジする子は、将来、社会生活面で落ちこぼれる、あるいは法律というルールを守れなくなる可能性がとてもある、ということを意識して指導してあげて欲しい。

その試合や大会で勝てればいいのさ、では、せっかく少年サッカーという宝物に出会えた幸運を無駄にしてしまうことになります。
「チャレンジ」ということひとつをとっても、できること、学べることはいっぱいあるんですから。

0 件のコメント:

コメントを投稿