2010年8月31日火曜日

なぜ失敗から学べないのか。

能力の低い者はなぜ失敗から学ばないのか。


理由のひとつは、

ある課題で成功するのに要求される技能が、

その同じ課題で失敗を認識するのに必要な技能と重なるからだ。



論理に弱い人は、

おそらく自分の主張の論理を

正しく評価する能力も低い。



文法にあった文書を組み立てるのに必要な技能は、

ある文章が文法的に正しいのかどうかを識別するのに必要な技能と同じだ。



正しい判断を生む能力の根底にあるまさにその知識が、

正しい判断を認識する能力の根底にある知識でもある。

前者が欠けているということは、

後者が足りないということだ。




能力に乏しい人は、

出来が悪くて、

まずい選択をするばかりか、

自己の欠陥の認識能力が欠けているのである。




『あなたもこうしてダマされる』
ロバート・レヴィーン著 草思社
2006 1700円
26ページより抜粋

ジョー・マウアー(Joe Mauer)

ジョー・マウアー
(Joe Mauer , 1983年4月19日 - )

ミネソタ・ツインズ所属のメジャーリーガー。

ツインズの地元ミネソタ州出身。
右投げ左打ち。
今季は72試合に出場し、打率3割3厘、3本塁打、34打点(4日現在)。
2006、08、09年の首位打者。

現役大リーガーで打率4割を打てる可能性がある唯一の天才打者。

4年でア・リーグで3度の首位打者。
首位打者3回のキャッチャーは大リーグ史上初。

身長196センチ。
20歳で大リーグに昇格し、2006年に23歳で打率3割4分7厘で初の首位打者。
昨季は打率3割6分5厘、28本塁打でア・リーグMVPに選ばれ、今春に8年総額約165億円の史上4番目の高額で契約延長に合意した。

現在27歳。
若くして成功した選手にありがちな、高慢さはないらしい。
練習熱心、全力プレー、柔和な笑顔が特徴。
地方球団ツインズにいながらも、オールスターの投票では全選手トップの約537万票を集める人気選手。
球宴出場はすでに4回。


アメリカンリーグ打撃成績(2010年8月26日現在)
1 ハミルトン レンジャーズ 打率.356 171安打 30本塁打 92打点 長打率.634
2 カブレラ タイガース     .342 153   31    104      .641
3 マウアー ツインズ      .329 139    8     67     .482
8 イチロー マリナーズ     .310 163    5     34     .392

※カブレラもすごい。

サッカー考古学

むかしのキーワードで漂っていたら、こんなサイトに漂着した。

なつかしのアシックス・ボンバー。

http://ameblo.jp/hasemako1414/entry-10424862273.html
http://ameblo.jp/hasemako1414/entry-10424728998.html
http://ameblo.jp/hasemako1414/entry-10424698406.html

2010年8月30日月曜日

やっぱ秋-冬がいいんじゃね?

ワールドカップが終わり、ヨーロッパ各国のリーグが開幕した。
NHKのBSで放送する試合しか見ていないが、なんだかまた一段とサッカーがスピードアップしたように感じた。
Jリーグも運動量では負けていないと思うが、スピードの面ではさらに差が開いたように見える。

梅雨から残暑までの長くて暑くて蒸す期間でそれなりのパフォーマンスを維持しようとすれば、どうしたって体力の温存をしなければならなくなる。夏のマラソンみたいなものだから、どうしたって前半はおさえて、後半勝負するしかない。前半で飛ばして、途中でスタミナ切れにでもなったらレースにならないからだ。

小学生の頃から、夏のサッカーで育ってしまうことが、どうも日本サッカーの決定的な弱点を生んでしまっているような気がしてならない。
球際の当たりの強さや体の張り方、1対1でのリスク判断、試合中にしょっちゅう途切れる集中力、こうしたことは全て真夏のサッカーによって体に染みついてしまった「業(ごう)」なのではないだろうか。

体に染みこんだ「遅いリズム」とか「もう半歩踏み込めない限界線」とかの感覚は、頭からの指令ではどうしようもない。

秋冬シーズンに反対する意見の主のものには「雪国では練習ができない」というものがある。

でも、できないならやらなければいいだけの話だ。
何も全員がサッカーをする必要はない。
九州、沖縄、四国の子供たちがスキーやスケートと縁遠いように、極端な北国や豪雪地帯の子供たちがサッカーと縁遠くなったとしても、それはむしろ自然なことではないか。
暮らしている環境にあったスポーツを楽しめばいいことであって、何も無理に、全ての子をサッカーに押し込めることはないのだから。

それにプロサッカーリーグが秋冬なのであって、サッカーを夏にしてはいけないと決めるわけでもない。

Jリーグが春夏開催である限り、監督がどうなろうが、少年サッカーが8人制になろうが、日本のサッカーは今のまま。

暑い中で、スピード感のある激しいサッカーをやれってのは、生物の生理からして無理。できません。
暑い環境で生きる動物は、みんな穏やかでスローモーなんです。
何億年もかけてそうなるように生命は進化してきたのですから。

2010年8月29日日曜日

一年中麦茶。

夏は麦茶。
一年中麦茶はおいしい。

麦茶の煎れ方。
NHKの『ためしてガッテン』を参考に。

基本は、各麦茶パックの指示に従う。

前準備として、麦茶パックは、ひたひたのお湯につけて蒸らすこと。
こうすると、確か嫌な味が抽出されなくなる、だったはず。

煮出すのは1時間~2時間。
これ以上長くすると、香りが飛んで嫌な味が残る。

最後にインスタントコーヒーをひとつまみ入れる。
香りの成分としてはコーヒーと麦茶は非常に似ている。
インスタントコーヒーを加えることにより、麦茶の香りがさらに引き立つようになる。

食欲がないときは、冷やした麦茶と水洗いしたごはんでお茶漬けにすると、さらさらいける。
二日酔いの朝にもオススメ。

円高不況といいますが、円安の時も不況っていってませんでしたっけ?

今が円高なら、そのうち円安へ揺り戻すんだから、その前に資源を買っておけばいい。
これからもっと円高になるなら、それは欧米の不況が一層深刻化するってことだから、どーせ欧米への輸出は伸びない。つうか、海外からの行き場を失った資金がどっと流れ込んできて、また20年前のように不動産バブルになるかもしれない。関東なら、当時国道16号線沿いで起きたように、圏央道周辺の土地がどかっと上がるかもしれない。

そんな素人考えを巡らせていたら、日本サッカーの未来が見えてきた。
動く人体模型中田英寿が引退してから、日本サッカー界にはスターがいなくなった。
こんな状況は、杉山釜本時代以降では初めてのことだ。
育成段階で、欠点のない選手の方が重宝されるため、結果として「型破りなスター」の芽が摘まれているのだから、まあこうなるのも当たり前だ。

企業で言うと、ソフトバンクのように、名前だけはIT企業のようでいて、実態は旧態依然の技術専門誌出版業なのに、社長の頭の輝きと笑顔と勢いとでまかせで資金をかき集めて上場までしてしまう、ような企業の芽が摘まれている、今の産業界のようなものだ。

優等生の企業ばかりじゃあ、世の中に勢いは生じない。

町田で貸しレコード店を細々やってた“ディスコ狂い”の兄ちゃん(踊りはド下手。でも企画するイベントは面白かった)が、ディスコソングを集めたカセットを売ったら結構売れて、その勢いで調子に乗って、気がついたら大レーベルの社長様におさまって、元モデルの嫁さんと豪邸で暮らしてた、くらいのことがなきゃあ、世の中つまらない。

スター選手が育つためには「勘違い」と「お山の大将さ」が必要だと思う。
そういった意味で、J下部の小中年代チームと、また同じ意味で小中世代のトレーニングセンター(トレセン)は廃止した方がいいように思える。
勘違いしまくってるお山の大将の「男」同士をガツンとぶつけるから爆発するんであって、「お子様」の年代で顔見知りにさせて、妙な「お友達関係」を持たせてしまうことは、スポーツ選手の育成という面からは「百害あって一利なし」だ。

このままだと、円高になろうが円安になろうが不況だ不況だといってるのと同じように、いつまでたっても得点力不足だ、フィジカル負けだ、と嘆くような日本サッカー界のままになってしまう、かもしれない。

でもねえ、俺は、そろそろ次のスターが発見される時期に来ているような気もしてるんだ。
それも今の小6世代から。
次の次のワールドカップでは、19、20歳のスター選手が、日本代表の中心にいる、と私は予想する。

試合情報を求む!

9月になると、少年団大会だとか4種リーグの後半だとかが始まると思うんだけど、いつどこで、どことどこが試合をするのかっていう情報が、なかなか手に入らない。

きっとチームの関係者でも、自分の地区以外の公式試合予定だとか、他のチームの練習試合計画だとかは、わからないんじゃないかな。

ましてやどこのチームの関係者でもない、ただのサッカーファンの俺なんかには、ネットの中をいろんなキーワードで検索して、情報を発見するしかない。

たまにメールで教えてくださる方もいて、そういうときはとても助かるんだけど、そういうことは実に稀で。

こっそり目立たないように観戦しますんで、コメント欄への試合情報の書き込みを、切にお願いいたしやす。

2010年8月28日土曜日

菅さんと原さん

小沢さんが代表選挙に出馬することが正式に決定した時点で、菅さんの命運も決定しちゃうんだから、菅さんはかわいそう。
たとえ代表選挙で菅さんが勝利したとしても、衆院で3分の2を持っていない「ねじれ政権」は何もできないままバイバイになっちゃうから。
小沢さんとの一騎打ちなんてなったら、そのしこりは角福戦争どころじゃないよ。
素人っぽいところが民主党議員の良さでもあったんだけど、こういう人たちの方がいざ本当の「争い」を経験しちゃうと、バージンや童貞にとっての初体験みたいに、かなりその影響に引きずられがちなんだよね。
実社会とか地方議会とかである程度経験を積んでればそうでもないんだけど。
日本赤軍が過激な方向へ行ったまま帰って来れなくなっちゃったみたいに、刃物を持ったことのないまま大人になって、いざカッとなった手のそばにナイフなんかあったりすると、とんでもない結果になっちゃったりすることもよくある話で、経験のないまま試験で弁護士や中央官僚になっただけの議員なんかは、「玉砕」して散ることが花みたいな発想になる。それくらい使えない。
菅さんにしてみれば、挙党一致体制で国会を乗り切る道を取りたいところなんだけど、挙党一致ってのは要するに大幅な内閣改造を意味してるから、それもできない。
「政治と金」を取り上げて得をするのは野党側であって、中選挙区制の時代ならともかく、小選挙区制で政権党が身内のアラを攻撃するのは、敵を前にして城内から「ここが弱点ですよー!」とアナウンスしてやるようなものだから。
つまり代表選挙の結果にかかわらず、菅さんはかわいそうなことになったなあってこと。

さて一方の原さんは、というとだ。
この原さんというのは巨人の原さん、ではなく、サッカー日本代表監督「代行」の原さんのことだ。
この原さんもかなりかわいそうだ。
そのかわいそうさでは、菅さんに負けず劣らず。
何の意味もない試合で、何の価値もない代表を構成し、指揮しなければならない。
もしこの試合で、万が一負傷者でも出したら、誰が責任を取るのだろうか?
もしそのケガで、選手生命に影響が出るようなことにでもなったら、その選手は泣くに泣けないではないか。
サッカーでは何が起こるかわからない。
いやむしろ、こういう緊張感に欠ける試合の方が、重大な事故は起きやすい。
つまり、こんな日本代表を作らなければならない監督も、こんな代表に選ばれてしまった選手も、かわいそうなことになるんじゃないかなあってこと。

2010年8月26日木曜日

国際宇宙ステーションを見た!

昨日、夜空を横切る光点に気づいた。
飛行機のような点滅も見せずにそれはすべるように天空をよぎっていった。
調べたら、あれは国際宇宙ステーションだったようだ。

初めて見た。

あれに人が乗ってると思うと、確かによく落ちないものだと不思議になる。
あそこが宇宙なのか、と思うと宇宙って意外と近いな、という気にもなった。

このサイトで計算したら、今夜と明後夜にも見えるらしい。
『国際宇宙ステーション(ISS)を見よう』
http://kibo.tksc.jaxa.jp/cgi-bin/visibation.cgi?Latitude=36&Longitude=139&Vehicle=1

8月26日(木) 19:39:30(西南西)→19:42:00(北西)→19:44:30(北北東)
8月28日(土) 18:59:00(西)→19:01:30(北西)→19:04:00(北北東)

どちらの夜も、日本海上空の高度およそ400キロあたりを飛んでいく。
つまりISSの光が見えたら、その下は日本海だということだ。
意外と近いな日本海(ん、でも昨夜見た方向は南から東にかけてだったから、日本海じゃないのか?)。

夏休みの最後に、サッカーボールから目を上げて、天空のロマンへ思いを馳せるのも悪くない。
ちなみに、地球をサッカーボールの大きさ(5号)に例えると、月は6.6メートル(小学生PKよりもちょい長い)離れたところにある野球ボール(C球)、太陽は2.5キロ先にある7~8階建てのマンションくらいになる。

宇宙でっけぇ~。
地球ちっちぇ~。
人間、もっとちっちぇ~。見えねぇ~。
でも夢は無限大。


ちなみに小惑星探査機「はやぶさ(Hayabusa)」が行ってきた小惑星「イトカワ(ITOKAWA)」までの距離は、地球から太陽までの距離の倍以上あって、またその大きさはというと、なんと! なんと! のわずか全長540メートルほどしかない(地球の直径は約1万2756km)。

2010年8月25日水曜日

足下トラップの上手下手は、体幹重心により決まる。

トラップの苦手な子がいる。
みんなと同じ練習をしているのに、なかなかうまくできるようにならない。
なぜそうなるのかというと答えは簡単で、それは、自分に合った練習をしていないから、ただこれだけのことなのだ。
でも、それを知っている大人も、子供も多くはない。

がんばりが足りない。がんばればできるようになる。他の子はできているじゃないか。もっとがんばれ。もっとがんばろう。

これじゃあいつまでたってもうまくはならない。いや、いつかはそれなりに上達するだろうが、そうとうに効率が悪い。その子にあった練習をすること、自分にあった練習をすること、これが効率よく上達するもっとも効率の良い方法である。

その一例が、冒頭にあげた

トラップの苦手な子

の場合だ。

トラップの苦手な子というのは十中八九、というかほぼ100パーセント、スピード(走力)のある子である。
どうしてそんなことがわかるのかというと、それは体幹重心の分類上、そうなるからだ。

爪先(つまさき)重心とか踵(かかと)重心とかいう話を聞いたことはないだろうか(ゴルフをやる人なら耳にしたことがあるかもしれない)。


簡単に言えば、直立二足歩行をする人類には、体の重心が中央よりも爪先側(つまり前方)に寄っているタイプと、踵側(つまり後方)に寄っているタイプがあるということだ。


もっと細かくいうと、これに内側寄り(親指側)と外側寄り(小指側)が加わって、計4タイプになるのだが、とりあえずトラップ限定ってことで、つま先とかかとに絞って話を進める。



自分がどっちのタイプなのか調べるのはものすごく簡単だ。

階段でも玄関でも歩道の縁でもどこでもいいので、段差のある場所を見つけて欲しい。そこで、つま先だけで(つまりかかとを浮かせて)直立できるか、あるいは逆に踵だけで(つまり爪先を浮かせて)直立できるか、試して欲しい。必ず、どちらかがバランスを取りやすく、もう一方はバランスを取りにくいはずだ。そしてそのやりやすい方が、自分のタイプなのだ。


話を元に戻せば、瞬発力があってスピードのある子は、当たり前だが爪先側で地面を蹴る感覚に優れている。つまり爪先重心だ。

ところがこの特性は、「受けの技術」「待ちの技術」であるトラップという技術に関しては不利に働くのだ。

実際、トラップの名手とされる選手の多くは、小野伸二にしても中村俊輔にしても、レベルは違うがシャビやイニエスタにしても、踵重心タイプである。

こうしたトラップの名手たちは、ビュンと飛んできたボールを、スペースのない状況であっても、足下にピタリと止めてしまう。

ちなみにリフティングが上手な人も、踵重心である。動かないでバランスをとることが心地よいからだ。

一方で爪先重心タイプはリフティングが大の苦手である。どうしても重心を前へ前へと移動させるように体が反応してしまう。
同じ理由で、トラップも苦手なのだ。特に、止まった状態でのトラップが楽しくない。心地よくないのだ。どうにもバランスがピタリとせず、不安定なトラップになってしまう。


だがそれも仕方ないことなのだ。そういうタイプなのだから。


では爪先重心タイプの有名選手はトラップをどうしていたのだろうか?

レジェンドクラスとしては、クライフやロマーリオ、ロナウド、あたりがこのタイプの代表格だ。現役では、ロッベン、ドログバ、スアレス、フォルラン、トーレス、などが頭にうかぶ。


彼らのトラップの特徴は、「止まって止めない」ということにつきる。


「止まるとバランスが崩れるんなら止まらなきゃいいじゃん」まるでこう考えているかのように、彼らはトラップという技術を変化させ、「受けの技術」ではなく「攻めの技術」にしてしまった。彼らにとってトラップは弱点ではなく、自分を優位にするための武器になったのだ。

これはまったくの想像だが、彼らはリフティングがそれほど得意ではないような気もする。彼らがリフティングのトリックを披露している映像なんて見たことないし。


マラドーナみたいなスーパー・レジェンドになればこんな「タイプ分け」なんて超越した世界に存在してるから、こんな話はあてはまらないんだけど、一般的な人類の世界では、人間工学的にこういう話になっている。

だからもし、トラップやリフティングが上手にならないなあなんて悩んでいる子が、もし爪先重心タイプだったとしたら、それを自分の特性だと捉(とら)えて、自分の特徴・長所にできるような練習を工夫する方がはるかに効率的にスキルアップできるってことを、頭の片隅に置いておいてあげて欲しい。


踵重心タイプが速く走れるようにならないのと同じように、爪先重心タイプは足下にピタッと決まるトラップなんてのはできるようにならないんだっていう前提で、自分のプレースタイルを築(きず)き上げていって欲しい。









参考までに、トラップの練習に応用できそうな、他の競技での技術について紹介する。








【野球のバント】

●ボールの力に負けないようにバットは強く握る。
●ボールが当たる瞬間にバットを押したり引いたりしない。
●ボールの高低に対して腕でコントロールしない。やわらかく保った膝で調節する。腕や手を使うとフライにになりやすい。

「バントをする前に考えること」

まずは状況判断。

「守備力と守備位置を判断すること」がポイント。
ピッチャーのフィールディング、三塁手の前進具合などなど、よく見ておく。そして、走者、そして自分が一番セーフになりやすいのはどこにバントする時か、というのを打席に入る前に考えておくこと。

次に、転がすポイントをイメージする。

同じバントでも「走者を送るだけのバント」と「自分も生きるバント」では転がすポイントが変わってくる。
きわどい所に転がさなくてはならないのか、それとも、三塁手が捕ればそれだけでよいのか。状況判断と合わせて、転がすポイントを考えなければならない。






【テニスのボレー】

ボレーを失敗するのは、目がボールから離れているためである。とくに、サーブ・アンド・ボレーやバック・ボレーは、目がボールから離れてしまいがち。

打ち遅れてしまう原因は、ラケットをストロークのように引いてしまう事にある。

ボレーにバックスイングはいらない。

ボールが来たら腕を前に出して面を作ってしまい、ラケットを振るのではなく体ごとボールを打ち込む。
スイング癖がついてしまった人は、繰り返しシャドースイングを繰り返すことで矯正する。

●ラケットは引かない。

ボレーで陥(おちい)りやすいミスは、ストロークと同じ感覚でラケットを引いてしまうということにあります。ボレーのときのラケットをセットする位置は顔よりも前(相手方向。顔の横という意味ではない)にすること。極端なことをいえば、ボールが飛んでくるのをラケットのガット越しに見るようなイメ-ジで。ラケットを引きすぎると、速いボールに対してラケットのセットが間に合わなくなります。そして、ラケットを引くということは、ラケットを振ってボールを打つことになります。そうすると、コントロールをしにくくなりますのでラケットは前と覚えておきましょう。

●体の前に壁を作ろう。

ボレーを上達させるための意識は、相手に壁打ちをさせてる気分を味わせるということにあります。壁が相手なら絶対に勝てるわけないですよね。体の前に素早くセットして、そこにラケットの壁を作ってあげます。あとは、ボールの勢いに負けないように当たる瞬間にグリップをぎゅっと握ってあげればOKです。壁は自分よりも前方に作ってくださいね。後ろだと力が入れにくいので。

●ボールの高さにセット。

ラケットセットの位置は、ボールと同じ高さ(実際にはボールの高さのホンの少し上ですが…。)になります。毎回同じ高さにラケットをセットする人を見かけますが、高い球だと下から上に振り上げる打ち方に、低い球だと上から下に振り下ろす打ち方になってしまいます。そうすると、結局相手の力を回転に変えてしまうことになり、コントロール性が落ちたり、切れの悪いボレーしか打てないことになります。高い球ならその高い位置のほんの少し上にラケットをセットし、逆に低い球ならひざを落としてラケット全体を低い位置にセットし、ボールをキャッチしてあげます。

●決めるときは踏み込みで。

特にチャンスボールがあがったときには、どうしても緊張して腕に力が入るものです。ボレーは、腕を振ってボールのスピードを上げようとするとミスが増えてしまいます。浮いたチャンスボールには自分がしっかりと前に詰めていく力と、ボールがラケットに当たる瞬間の握力と踏み込みの力で威力をつけます。握力をいれるタイミングと、踏み込みのタイミングは同時がいいでしょう。ラケットは決して後ろにひいてはいけません。ラケットは前から前が基本です。

●ボールをラケットで迎えにいって、できるだけ前の打点でとる。

インパクトと同時に出す左足がポイントですが、踏み込んだ際左足を沈めるのです。左足だけしゃがみ込むようにです! するとラケットも一緒沈むのでそこでボールの勢いが減少するのです。ボールの勢いは左足とともに下に落ちていくのです。まさに「ドロップボレー」ですね!なのでボレーは手で打つのではなく、体全体を使って打つものなのでこの事を是非試合なので実践してみてください!


【参考 別の判別方法】

◆爪先重心か踵重心か

(A)両手をチンコの横に置き、体の前側を、太もも→ひざ→すね、の順になぞりながら前屈していく。
(B)両手を尻の上に置き、体の後ろ側を、もも裏→ひざ裏→ふくらはぎ、の順になぞりながら前屈していく(ちなみに、もしここでエビぞってしまったなら、あなたはダマされやすい人なので、別の意味で注意が必要です)。 

(A)の方が楽でよく曲がったよ。→そんなあなたは爪先重心タイプ。
(B)の方が楽でよく曲がったよ。→そんなあなたは踵重心タイプ。


◆内側重心か外側重心か

(a)両肩を後ろから前へ(つまりバタフライ泳法みたいに)回す。
(b)両肩を前から後ろへ(つまり深呼吸するときみたいに)回す。

鏡や誰かの協力を得て、どちらの方が、左右の形も、回転速度も、バランスよくなめらかに回せているかを見る。
(a)の方がきれいに回転しているね。→そんなあなたは内側重心タイプ。
(b)の方がきれいに回転しているね。→そんなあなたは外側重心タイプ。









第34回関東少年サッカー大会 結果 順位別トーナメント

第34回関東少年サッカー大会
http://www.jr-soccer.jp/kanto2010/index.html

順位別トーナメント結果

◆ 1位パートトーナメント

アビリスタ1×0フォルトゥナ
アントラ3×0韮崎
新座片山1×1柏イーグル(PK3-4)
浦和三室3×0足利
--------------
アビ1×0アントラ
柏イ1×0三室
--------------
アビ0×1柏イ
総合優勝(総合1位)
柏イーグルス

※初戦の片山・イーグル戦が事実上の決勝戦だったってことだね。トーナメント初戦でPK戦に持ち込まれて敗退ってのは、実に今シーズンの片山を象徴してるなあ。
パンチ力はあるけど自信のないボクサーが初回猛ラッシュかけたのにしのがれて、「こんなはずじゃあ」と思ってるうちに体が重くなってきて、最終的には判定負けっていうパターンに似ている気がする。
これから涼しくなってスタミナ切れの心配がなくなれば、また調子を取り戻す、はず(かな?)。



◆ 2位パートトーナメント結果

SCH1×1古河(PK3-2)
ヴァロール0×2足利
パーシモン2×0Uスポ
ばらき1×1JSCCHIBA(PK3-5)
---------------------
SCH1×0足利
パーシモン0×3JSCちば
---------------------
SCH1×0JSCちば
2位パート優勝(総合9位)
SCH

※パーシモンは堅守速攻のイメージがあるけど、0-3負けってのは意外だなあ。キーパーとセンターバックに何かあったのかな?



◆ 3位パートトーナメント

Waragoma0×0邑楽(PK2-4)
伊勢崎0×0三井千葉(PK4-3)
ともぞう0×0府ロク(PK4-5)
図南1×2リフレ
------------------------
邑楽0×0伊勢崎(PK3-4)
府ロク1×0リフレ
----------------------
伊勢崎1×2府ロク
3位パート優勝(総合17位)
府ロク

※スコアから想像するに、引いて守ってここまで残ってきたチームばかりのパートとなったみたいだ。
せっかくの関東大会で、それも総合優勝がかかっているわけでもないのにこういう戦い方しかできないチームを作って、大人たちも子供たちもサッカーを楽しむことができたのだろうか? はなはだ疑問だ。

第34回関東少年サッカー大会 結果 予選リーグ

第34回関東少年サッカー大会
http://www.jr-soccer.jp/kanto2010/index.html

予選リーグ結果

Aグループ
1位 FCアビリスタ
2位 SCHフットボールクラブ
3位 FCWaragoma

※個人的に注目していたアビリスタ・SCH戦は、1-0でアビの勝利。
ちなみにSCHは「スポーツクラブホイッスル」の略らしい。

Bグループ
1位 フォルトゥナSC
2位 古河AZUL SC
3位 邑楽サッカースクール

Cグループ
1位 鹿島アントラーズつくばジュニア
2位 ヴァロールSCイースト
3位 伊勢崎ヴォラーレJFC

Dグループ
1位 韮崎東SSS
2位 足利トレヴィータFC
3位 三井千葉SCジュニア

Eグループ
1位 新座片山FC少年団
2位 NPO FCパーシモン
3位 ともぞうSC

※片山はパーシモンと0-0の引き分け。勝ち点で並んで得失点差わずか1の差で1位抜け。
神奈川予選で見たときのパーシモンはとてもいいチームだったけれど、実力的には片山と引き分けられるようなチームではなかった。
今大会を見ていないので試合内容については何も語れないが、結果を見ての率直な感想としては、「情けない」の一言。

Fグループ
1位 柏イーグルスTOR'82
2位 Uスポーツクラブ
3位 府ロクSC

Gグループ
1位 浦和三室SSS
2位 ばらきサッカークラブ
3位 図南SC前橋

Hグループ
1位 足利FC
2位 JSC CHIBA
3位 TEAMリフレSC

2010年8月24日火曜日

ユースの笑えない話

朝日新聞 2010年 平成22年 8月24日火曜日 朝刊
スポーツ 
『SIDE CHANGE 潮智史』
23日、15歳以下による日本クラブユース選手権で清水が宿敵磐田を下して優勝した。
前日のJ1では静岡ダービーを落として3連敗を喫していた。
兄貴分の悔しさを弟がすぐさま返した。

第10回大会から3連覇を達成して以来、13年ぶりの優勝。
埼玉、広島と一緒にかつて御三家と呼ばれたサッカーどころとしては寂しい気もするが、伊達倫央育成部長がサッカーどころならではの難しさを教えてくれた。
今では当たり前にJ1で優勝争いに絡む清水はジュニアと呼ばれる小学生年代のチームを持っていない。
将来のプロを育てる育成部門が始まるのは中学生年代のジュニアユースから。
毎年、小学6年を対象にした選考会を開いて募集することになるという。

もともと少年サッカーが盛んな清水には小学生年代のチームが無数に存在する。
1993年のJリーグ発足をきっかけに誕生したエスパルスはいわば後発のクラブ。
小学生年代からチームを作って子供たちをかき集めるようなことをすれば、地元の指導者やチームとあつれきが起きかねない。
小学生年代については、普及やスクール活動にとどめているのが現状だ。

ただ、ジュニアユースからユースと6年かけて育ててもプロ契約に至るのは毎年1人出るかどうか。
経営面からトップチームの人数は限られ、結局、即戦力を大学や高校出身者などに求める。
強化の目は自前の育成選手には向いていないという自己矛盾を抱え込む。
もっとも、こちらはほかのJクラブにも当てはまる話だが。

「その結果、トップに上がれなかったユース選手の進路の面倒を見るのが大切な仕事になる」。
伊達部長の言葉は笑えないような話で終わった。
ひとを育てるのは本当に難しい。
(編集委員)
--------------------------

「ひとを育てるのは本当に難しい。」
こういう紋切り型で締めくくるようなコラムを、英国では天気予報型と呼ぶ。「ところによっては一時的に雨がぱらつく可能性もあるかもしれません。外出される場合は、折りたたみ傘などをお持ちになった方が良いかもしれません」などというあれだ。結果がどうなろうと、あなたもわたしも悪くありませんよ。誰にも責任はありませんよ。という、あれだ。うえっ、虫ずが走る。
ましてやこのコラムで語られていることは、人を育てることに苦労しているという話ではなく、育てる気などない組織が若い才能の人生を弄(もてあそ)んでいる、という話ではないか。それがこのコラム主には、わかってない。自分が何について語っているのかがわかっていない人間が書いている文章を読まされるのだから、こちらにも読解力が要求される。そういう意味では、このコラムは読み手を育てている。

2010年8月23日月曜日

ちょっとイイ話 夏の思い出 バディーSCの場合

ちょっと調べたいことがあって検索していたら、こんな記事を見つけた。
-----------------------
『バディーSC初出場制覇へあと1勝…全日本少年サッカー』
◆報知新聞社後援 第34回全日本少年サッカー大会第5日 
▽準決勝 バディーSC2―1柏レイソル(6日、西が丘)
http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/etc/news/20100807-OHT1T00019.htm

逆転勝利の裏には“虫捕りリフレッシュ”があった。1次ラウンド、準々決勝はJヴィレッジ(福島)で行われたため、福島・いわき市に宿泊していた。5日、東京へ移動する前、約1時間、宿舎近くの山で、虫捕りをした。「あまりに行きたいとはしゃぐので」と南雲監督は笑うが、イレブンには連戦の疲れをとる最高の“薬”となった。チーム一の虫好きのMF小笠原由多(6年)は「リラックスできた。今日の試合結果につながった」と虫捕り効果を強調。逆転弾をたたき込んだ土田も「宿舎には少なくてもクワガタ8匹にカブトムシ2匹はいる」と虫に癒やされての勝利を喜んだ。

------------------------
日本一になるような超強豪チームというのはサッカー以外みんなシャットアウトして、夏休みは合宿と連戦のサッカー一色、だと思っていたのだが、こんなこともしてるんだなあと良い意味で驚いた。
監督氏の「あまりに行きたいとはしゃぐので」というセリフからは、きっといい雰囲気のチームなんだろうなあと想像させられる。こういうチームでサッカーができて、あげく日本一になったんだから、子供たちにとっては最高の夏休みになっただろう。「少年年代のサッカーチーム」としては、実に理想的な運営がなされているように見える。

サッカーのない日や、友だちと遊んでいても、ケイタイやDSしかしない子も多い中、「虫取りがしたい!」とコーチに直談判する子や、「チーム一の虫好き」などという肩書きを持つ子がいるチームが、それも神奈川県の横浜市にあるなんて信じられない。だって、神奈川大会を見に行ったときの会場だったマリノスタウンがある環境なんて、「虫取り」とはまったく対極にある、「コンクリートだらけの人工タウン」なんだよ。周囲は巨大マンションだらけだし。あんな環境で育ったら、ふつうは虫に触れない子や、まったく関心を示さないような子になるはずなのに。

小学生年代での長期遠征とかにはあまり好意的な考えを持っていなかった私だが、こういう事例があることを知った今は、地方の自然豊かな場所での大会に遠征することも、都会のチームにとっては、子供たちの『世の中経験』の幅を広げる可能性があるかもしれない、と考えれば全部ダメってことでもないかもしれないかも、と考え始めている。

ただこういうことが出来る引率者や監督・コーチはそうそういないだろうな。
万が一の事故のリスクを考えたら、試合と練習以外は室内でゲームでもしててくれた方が安心だと考える「大人」がほとんどだろうから。
子供の方にも、バカをやったらみんなに大迷惑がかかるということが想像できるくらいの脳みそが必要になる。

結局のところ、こういうイベントができるってことは、大人も子供を信用していて、子供も大人を信用しているような、そういう信頼関係を構築できているようなチームだってことなんだよな。
そりゃあ強いわけだわ。

髪は男の命です。 (ジダン、ロッベン、イニエスタ、より)

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1445624774
うちの兄は2月前まで川崎フロンターレのユースに所属していました。
でも先輩が問題をおこしてしまいみんな坊主ということになってしまい
兄は1回は短くしたんですけど、長さがダメと言われ結局辞めてしまいました。
自分は無責任な気がします。親にもそうだしなれなかった人はとてもたくさんいるのに!
それに何より自分の可能性を髪で捨てほしくないです。
皆さんどう思いますか?




【ベストアンサーに選ばれた回答】
その程度の意気込みだって事ではないでしょうか?
因みに、静岡出身の自分の周りに、過去に中学県選抜~静岡学園で1年からレギュラーで全国制覇×2~エスパルス入団も2年で退団~現在:町の少年サッカーのコーチの友達がおります。
そいつは、志が低すぎたけど、同じような経歴で、未だに年収180万なんてサッカー馬鹿もいます。
志を持ちすぎても馬鹿をみるよ。ともお伝え下さい。

第39回 埼玉県サッカー少年団中央大会 実施要項

第39回 埼玉県サッカー少年団中央大会 実施要項

期日会場 平成22年(2010年)

11月7日(日)1回戦 熊谷スポーツ文化公園

11月13日(土)2・3回戦 埼玉スタジアム第2・3グラウンド

11月21日(日)準決勝 埼玉スタジアム第2・3グラウンド
         決 勝 埼玉スタジアム第2グラウンド

【ベンチについて】
チームベンチは競技のフィールドに向かって左側を、トーナメント表の若い番号のチームとし、対戦相手が右側とする。
ベンチでの携帯電話の使用は禁止する。

2010年8月22日日曜日

第34回関東少年サッカー大会が終わる。

第34回 関東少年サッカー大会
2010年(平成22年)
8月21日(土)・8月22日(日)

A組
SCHフットボールクラブ(神奈川1)
FCアビリスタ(埼玉2)
FC Waragoma(東京3)

B組
古河AZUL SC(茨城3)
邑楽サッカースクール(群馬1)
フォルトゥナSC(山梨2)

「邑楽(おうら)」と読むらしい。俺には難読。たぶんこれを読める奴は群馬県人。

C組
鹿島アントラーズつくばジュニア(茨城2)
伊勢崎ヴォラーレJFC(群馬3)
ヴォアロールSCイースト(東京1)

D組
足利トレヴィータFC(栃木1)
三井千葉SCジュニア(千葉2)
韮崎東SSS(山梨3)

E組
新座片山FC少年団(埼玉1)
ともぞうSC(栃木2)
NPO FCパーシモン(神奈川3)

F組
府ロクSC(東京2)
柏イーグルスTOR'82(千葉3)
Uスポーツクラブ(山梨1)

G組
ばらきサッカークラブ(茨城1)
図南SC前橋(群馬2)
浦和三室SSS(埼玉3)

「図南(ずなん)」は前橋商業OBに起源を持つチームで、チーム名も前橋商業の校歌に由来があるらしい。
これを読める奴は、群馬県のサッカー関係者。あるいは前橋商業出身者か。

H組
TEAMリフレSC(栃木3)
JSC CHIBA(千葉1)
足利FC(神奈川2)


これだけ暑さが続く上に各チーム夏休み連戦の折り返しが過ぎてもうすぐ新学期が見えてくるこの時期となると、地元千葉のチームくらいしかフィジカルコンディションもモチベーションも、維持できないのではないだろうか。
ざっと検索してみたが、第34回関東少年サッカー大会の結果はアップされていないようだ。
誰かにわざわざ問い合わせるほどの関心もない。
ここに来て絶不調の新座片山がどうなったのかを多少知りたいくらいだ。

私の気持ちはすでに4種リーグ秋の後半戦へと移っている。
残暑がきつくないことを切に祈る。
お天道様、お願いしますだ!

2010年8月21日土曜日

日本代表の新監督が決まらない。

日本代表の新しい監督が決まらないらしい。
それはそうだろう。
直近の2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会であんなサッカーを見せたあとなのだから。
ワールドカップで日本が見せたサッカーも、ワールドカップに出場していた日本代表の選手たちも、魅力はなかった。
がんばったとは思う。結果も、期待以上のものだった。だがこれは日本国内での話だ。
大会を通じて日本代表に目を惹かれた海外メディアも、選手に食指を動かしたスカウトも、指揮してみたいと感じた一流指導者もいなかった。これが現実だ。日本の選手を使えばスポンサーがついてくる。日本で監督をすれば経済的に大きい(円高だし)。でも、日本代表だった選手たちはヨーロッパの一流チームからは忘れられ、日本代表というチームのことも、世界から忘れられてしまった。

そりゃ、あんなサッカーを世界の目にさらしたんだから、当たり前の帰結だ。
自業自得。

「代表選手があの程度の国へ行っても、自分の指揮力は活かせない」
「代表選手があの程度の国へ行っても、自分にできることはない」
紳士的な人はこう考えるだろう。

しかし言わんとすることは、一流のシェフが調理したからといって場末の店の日替わり定食がミシュラン三つ星クラスの味になることはない、ということだ。素材も調味料も設備も器具も整って、初めて一流は一流になりうる。
「弘法筆を選ばず」ということわざも、元々は「弘法筆を選ぶ」であって、その意味は、いくら名人でも筆が悪ければ良い字はかけない、だった。一流は一流を知る。あるいは「見極めてこその名人」ということなのだろう。

当面は日本のサッカー事情のことをよく知っている人に、日本代表監督をしてもらう以外に選択肢はない。
それこそJの今シーズンが終了するまでは、岡田前監督にやってもらって、「お前のやりたかったサッカーを、思う存分見せてくれ」と肩をたたいてピッチに送り出してみて欲しい。このまま逃げさせたら、日本サッカーのためにも岡田氏本人のためにもよくない。
俺がやりたかった日本代表のサッカーってのはこれなんだ! というのを、岡田責任逃れ雲隠れ武史前日本代表監督には、日本のサッカーファンに見せる義務がある、と私は思う。
このまま全部うやむやにして頬被りして、ほとぼりが冷めた頃に協会の役員に収まって高給と権力いただきでは、日本サッカーのためにならないと確信しているからだ。

2010年8月20日金曜日

長友がイタリアでプレーする勇姿を見よ!

8月30日(月) NHK-bs1
20:00-21:50 サッカー イタリア セリエA第1節
「ASローマ」対「チェゼーナ」


<長友佑都(ながとも・ゆうと)プロフィール>
1986年9月12日生まれ。愛媛県西条市出身。
幼稚園の頃にサッカーに出会う。
神拝サッカースクール(西条市立神拝小学校)。6年次に愛媛FCジュニアユースのセレクションを受けたが不合格。
地元の西条北中学校で、その後に大きな影響を受けることになる恩師井上博と出会う。
全国的な強豪校である東福岡高校に入学。2年生の夏にはほぼレギュラー入りした。しかし県選抜歴等を条件とするスポーツ推薦を得られず(つまり選抜には入れなかった)、明治大学の政治経済学部には指定校推薦で入学した(つまり、そこそこ勉強も出来たってこと)。
北京五輪2次予選最終戦のマレーシア戦で初招集。2ゴールにからむ活躍を見せる。
07年5月にJリーグの特別指定選手としてFC東京に。7月のナビスコ杯で公式戦デビュー。
その後の活躍は皆の知るところ。

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結局のところ、ジュニアとかジュニアユース段階での名門とか、J下部とかいうのは、各選手個人個人の素材を越える価値はないってことなんだ。
むしろその価値は、その世代におけるモチベーション形成に役立つ「目標」としての存在感にある。
大昔の浦和FCや清水FC、本太中や常盤中、若干世代は上がるが、浦和南高や藤枝東高、帝京高、清水東高なんていうのはまさにそうだった(一方で島原商業高や国見高というのは、圧倒的な強豪高という認知はあっても「目標」とはされなかった)。
いまや日本に、かつてのような「名門ブランド」はない。
これは素晴らしいことだ。日本にサッカー文化の裾野が広がり、かつ指導者のレベルも、またそれを支える後背環境も全国的に根付いた証だからだ。極一部の地域がサッカーのノウハウを独占していた時代は終わったのだ。
サッカーの才能がいつどこに出現するのか不確定である以上、一部の地域が「名門」や「王国」などとされていたことの意味は、要するに、才能のある素材がサッカーをしていなかった、というだけのことなのだ。サッカーを知っていて熱意のある優秀な指導者が数人しかいなかった、というだけのことなのだ。
長友選手がなぜここまでの選手になれたのかは、トレセンで認められたからでも、名門少年サッカーチームにいたからでもない。まっすぐサッカーと向き合って、たとえ選抜チームに選ばれなくともサッカーを続け、そして勉強もやっていたからである。
そうは言っても、幸運だったと思われることはある。
まずひとつ目は、まず地元の中学校が楽しそうな、雰囲気が良さそうな、中学校だったことだ。

西条市立西条北中学校PTAのホームページ
http://hokuchuu.net/main.htm
「お父さんもお母さんも先生もまだまだ青春」
西条市PTA親睦球技大会

これを見ても、なんだか楽しそうだなって感じが伝わってくる。
まあこういう活動が盛んな地域ってのは、昔、かなり荒れた時期があって、それを乗りこえる過程でこうなってるケースが多いのだが、この西条市がそうなのかは知らない。

次は、明治の推薦を取れたこと。確か明治のサッカー部の監督が、当時のFC東京関係者の先輩だったか何かで、非公式ルートを使って長友の情報を伝えたというのがメジャーデビューへのきっかけだった(ような記憶がある)。
日本サッカー界では、まだまだスカウトの能力が低いので、どこかからかそれなりに信頼のおける情報が、それなりに才能を見る目を持った、それなりの立場の人にもたらされないと、せっかくの才能が見逃されてしまうことが多い。もし明治じゃない道を選んでいたら、長友の才能が開花するのはもっと遅くなっていたかもしれない。

長友がもし、どこかのJ下部のジュニアユースにでも入っていたら、毎年何人も出てくる「縦へのスピードのあるドリブラー」のひとりで終わっていたかもしれない。少なくとも、あれほど献身的に、いや自己犠牲といとわずに、アップ&ダウンを繰り返す体力を身につけようとはしなかっただろう。エリート意識とJのプライドが、「うまい選手」である自分を鏡に映し出すからだ。
私は地元埼玉のJリーグチームを、もちろんその誘致段階から応援しているつもりだが、どちらもパッとしないことの最大の理由がここにあるように思っている。
各ユースを構成している選手が、系列のジュニアユース出身者に占められ過ぎていることが非常によくない。
いまJのジュニアやジュニアユースにいる選手は、もっと地元のチームで「お山の大将」的にプレーして、自分の可能性を広げるべきだと思う。
サッカーはお受験じゃないんだから、早く詰め込めば有利だとかってことは絶対にない。一年前倒しに勉強して、最後の一年間は受験の準備みたいなことはできないのだから。

そういう意味でも、長友選手には成功してもらいたいと、私は心から願っている。
逆にプロ野球選手やJリーガーの息子が、J下部からエスカレーターで昇ってきて、「ぼく海外に挑戦します!」みたいなのは、まったく応援する気にならない。さっさと帰ってきて、お父さんの資産管理会社の役員にでもなってくださいって感じ。

2010年8月18日水曜日

埼玉県少年サッカー番付 2010年8月18日

埼玉県少年サッカー番付
2010年8月18日


        東            西
横綱   大宮アルディージャ     レジスタ(八潮)
大関    新座片山FC       アビリスタ(川口)
関脇     江南南          FC鶴ヶ島
小結    川口戸塚FC        浦和尾間木
前頭筆頭   川越福原       上尾ユベントス 
前頭二枚目 新座片山SC        新座エース

全日本少年サッカー番付 2010年8月18日

全日本少年サッカー番付
2010年8月18日

東      西
横綱  バディーSC(神奈川) 柏レイソル
大関   Fマリノスプライマリ   大宮アルディージャ
関脇   レジスタ(埼玉八潮)    川崎フロンターレ    
小結  新座片山FC    ディアブロッサ高田(奈良)
前頭筆頭  柏イーグルス    太陽SC国分(鹿児島)

2010年8月17日火曜日

みんなえらいなあ

お盆期間中も、少年サッカーチームは試合漬けだったようで、

平成22年8月12日(木)~16日(月) 開催された
清水カップ(全日本少年少女草サッカー大会)へ参加した埼玉のチームは、

川越FCミドルサッカー少年団
戸塚フットボールクラブジュニア
戸塚ドリームズ
狭山アゼィリアFC
春日部幸松サッカースポーツ少年団
上尾NEO.FCスポーツ少年団
ネオスフットボールクラブ
行田西サッカースポーツ少年団
レジスタフットボールクラブ
東川口フットボールクラブ
上尾上平サッカースポーツ少年団
新座片山フットボールクラブ少年団
新座片山サッカークラブ少年団
川越ひまわりサッカークラブ

14チーム(13チーム?)あった。

優勝は レジスタフットボールクラブ (埼玉)
3位は 新座片山フットボールクラブ少年団 (埼玉)

北足立北部地区チームの成績は、
43位/256チーム中 上尾上平サッカースポーツ少年団
87位/256チーム中 上尾NEO.FCスポーツ少年団
だった。



■タカナシ乳業協賛 第18回 F・マリノスカップU-12大会
期日:2010年8月13日(金)・14日(土)・15日(日)
会場:マリノスタウン(横浜F・マリノスMM21トレーニングセンター)
参加チーム:
【Jクラブ】柏レイソル、川崎フロンターレ、東京ヴェルディジュニア、名古屋グランパス、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸、横浜F・マリノスプライマリー、横浜F・マリノスプライマリー追浜
【神奈川県内】川崎TC、横須賀TC、横浜TC、リトルジャンボ、バディーSC
【神奈川県外】柏イーグルス(千葉)、江南南S.S.(埼玉)、第7ブロック選抜(東京)
◇16チーム(Jクラブ:8 神奈川県内:5 神奈川県外:3)

【大会最終結果】

優勝:横浜F・マリノスプライマリー
準優勝:柏レイソルU-12
3位:川崎フロンターレU-12
4位:名古屋グランパスU-12
5位:東京ヴェルディジュニア
6位:ヴィッセル神戸U-12
7位:バディーSC
8位:江南南サッカー少年団
9位:柏イーグルスTOR'82
10位:リトルジャンボサッカークラブ
11位:川崎TC
12位:横浜F・マリノスプライマリー追浜
13位:東京第7ブロックTC
14位:横須賀TC
15位:横浜TC
16位:ベガルタ仙台ジュニア


【1日目結果】
名古屋グランパス 3 vs 1 川崎TC 9:00k/o
東京ヴェルディ 1 vs 0 柏イーグルス 9:00k/o
柏レイソル 5 vs 0 横須賀TC 9:55k/o
川崎フロンターレ 0 vs 0 リトルジャンボSC 9:55k/o
横浜F・マリノスプライマリー 4 vs 0 ベガルタ仙台 10:50k/o
東京第7ブロック 0 vs 5 バディーSC 10:50k/o
横浜F・マリノスプライマリー追浜 2 vs 0 横浜TC 11:45k/o
ヴィッセル神戸 0 vs 2 江南南SS 11:45k/o
名古屋グランパス 1 vs 0 柏イーグルス 12:40k/o
東京ヴェルディ 0 vs 0 川崎TC 12:40k/o
柏レイソル 1 vs 0 リトルジャンボSC 13:35k/o
川崎フロンターレ 7 vs 0 横須賀TC 13:35k/o
横浜F・マリノスプライマリー 3 vs 0 東京第7ブロック 14:30k/o
ベガルタ仙台 0 vs 4 バディーSC 14:30k/o
横浜F・マリノスプライマリー追浜 0 vs 2 江南南SS 15:25k/o
ヴィッセル神戸 1 vs 1 横浜TC 15:25k/o

【2日目予選リーグ結果】
横浜F・マリノスプライマリー 0 vs 1 バディーSC 9:00k/o
東京第7ブロック 0 vs 0 ベガルタ仙台 9:00k/o
名古屋グランパス 0 vs 2 東京ヴェルディ 9:55k/o
川崎TC 0 vs 1 柏イーグルス 9:55k/o
柏レイソル 0 vs 0 川崎フロンターレ 10:50k/o
リトルジャンボSC 6 vs 0 横須賀TC 10:50k/o
横浜F・マリノスプライマリー追浜 0 vs 1 ヴィッセル神戸 11:45k/o
横浜TC 2 vs 5 江南南SS 11:45k/o

【予選リーグ結果】
※上位2チームが勝ち抜け。

<Aグループ>
バディーSC 3勝(勝点9、得失点差+10) 1位
横浜F・マリノスプライマリー 2勝1敗(勝点6、得失点差+7) 2位
ベガルタ仙台 1分2敗(勝点1、得失点差▲8) 3位
東京第7ブロック 1分2敗(勝点1、得失点差▲8) 3位

<Bグループ>
東京ヴェルディ 2勝1分(勝点7、得失点差+3) 1位
名古屋グランパス 2勝1敗(勝点6、得失点差+2) 2位
柏イーグルス 1勝2敗(勝点3、得失点差▲1) 3位
川崎TC 1分2敗(勝点1、得失点差▲3) 4位

<Cグループ>
柏レイソル 2勝1分(勝点7、得失点差+6) 1位
川崎フロンターレ 1勝2分(勝点5、得失点差+7) 2位
リトルジャンボSC 1勝1分1敗(勝点4、+5) 3位
横須賀TC 3敗(勝点0、得失点差▲18) 4位

<Dグループ>
江南南SS 3勝(勝点9、得失点差+7) 1位
ヴィッセル神戸 1勝1分1敗(勝点4、得失点差+1) 2位
横浜F・マリノスプライマリー追浜 1勝2敗(勝点3、得失点差▲1) 3位
横浜TC 1分2敗(勝点1、得失点差▲5) 4位

【準々決勝】
バディーSC 1 vs 2 名古屋グランパス 12:40k/o
横浜F・マリノスプライマリー 0 vs 0(5 PK 3) 東京ヴェルディ 12:40k/o
柏レイソル 1 vs 0 ヴィッセル神戸 14:30k/o
川崎フロンターレ 0 vs 0(8 PK 7) 江南南SS 14:30k/o

【準決勝】
名古屋グランパス 0 vs 1 柏レイソル 10:50k/o
横浜F・マリノスプライマリー 2 vs 1 川崎フロンターレ 11:45k/o

【3位決定戦】
名古屋グランパス 0 vs 2 川崎フロンターレ 14:50k/o

【決勝】
柏レイソル 1 vs 2 横浜F・マリノスプライマリー 15:50k/o


マリノスカップで江南南はよくがんばった! けど、チームの本音としては、せっかくの機会なんだからもっと強い相手とガチ(に限りなく近い)の試合をしたかったんじゃないかなあ。
柏レイソルは、コンディション的に厳しい中、よくがんばりました。
バディーは、「さすがのバディーでも疲れました」というところなのだろう。それでも優勝のマリノス(みなとみらい)にはきっちり勝つあたりは、モンスタークラブの面目躍如といったところか。

ただいま絶好調の八潮レジスタや、本気モードの新座片山あたり(実はすでに本気、という可能性もなきにしもあらずの今シーズンではあるが)が出場していたらどうなっていたのだろうかと想像すると、ワクワクしてくる。

でもその一方で、彼らの人生で最後になる「“子供”の夏休み」を子供らしく過ごせた記憶をちゃんと持てたかどうか、気がかりでもある。
ザリガニ釣りや虫取りの思い出を、彼たちは胸に刻み込むことができただろうか。
チン毛が生える前の夏は、チン毛以降の夏とは決定的に違うものだからなあ、男にとって。
「子供」であることと「子供っぽい」の間には、「男」と「男っぽい」以上の差があるからなあ。
「男の子」の夏と「子供っぽい男」の夏。
こうして比べると、「子供っぽい男の夏」にはダメな臭いがしてくるのに、「子供っぽい女の夏」からはそんな臭いはしてこないような気がするのは、私が男だからだろうか。

2010年8月14日土曜日

お盆特集 いらないもの 健康

「健康」なんかいらない。
そもそも生命の誕生そのものが不健康ではないか。
「そうよ! ふしだらだわ」とかいう意味での倫理的に不健康ということを言っているのではない。
「健康」の指す状態が「欠陥のない」を意味するのであれば、整っていた遺伝情報をわざわざ半分にして、それを他人の遺伝情報と混ぜ合わせる「受精」という行為を「不健康」だと言っているのだ。
こんなことをして不具合が起きないわけがないではないか。
まあもっとも、こうした不具合の中から偶然に生き残ったものを、我々は「進化」と呼んで尊んでいたりするんだから、元々不具合こそが本来の姿なのかもしれないが。

受精からしてこの体たらくなのだから、生まれてきた個体に欠陥がないことなどあり得ない。
欠陥がないことを「健康」と言うのであれば、生命は誕生したときから「不健康」なのだ。

健康の反対は「病」だろうか?
健康ではない状態「不健康」とは「病」を意味しているのか?

「病」は「不健康」の一部でしかない。「不健康」の意味するところはもっと広い。
というよりも「健康」として許される範囲が非常に狭く、そこから外れれば全て「不健康」なのだ。

妙なことに、自分が健康でないと不安になる人がいる。それも大勢。
100点じゃないと不安なのだという。99点では不安なのだ、と。
国語で100点取ったら、次は算数。算数でも100点取ったら、今度は理科。理科で──というように、100点を取れなくなるまでテストを受け続ける。そして何番目かのテストでお望みの90点が出ると、「ああ、自分は健康じゃないんだ」と落胆する。

何が完璧なのかなんてものは、ものさしが変われば変わるものなのだ。
書店やCDショップをのぞいてみればいい。
それこそ専門家やプロや才能がある(らしい)人たちが生産した作品がずらっと並んでいるが、見向きもされていない。リサイクルショップや新古書店の100円ワゴンに積まれているオレンジレンジや浜崎あゆみや倖田來未や元ミリオンセラーアルバムは、完璧なのかゴミクズなのか?

健康かどうかなんていうものさしも、あるいは、何が健康なのかというものさしさえも、時が経てば、社会環境が変われば、すっかり変わってしまうものなのだということを忘れてはいけない。
生命そのものも、進化という仕組みも、完璧さを崩すことからスタートしていることを理解しなけれいけない。

チビでデブでハゲでバカでブスだと悩んでいる人は、グラビアアイドルや二枚目俳優には確かになれないだろう。でも、それ以外にならなれるんだということも忘れないで欲しい。

完璧からはブレイクスルーもブームも生まれない。

この世界は完璧にはほど遠い。
そういう意味では、この世界は健康じゃない。
でも、健康じゃないけど、そんなに悪くもないじゃないか。
それでいいんじゃね?

2010年8月12日木曜日

お盆特集 幽霊は存在する

物理学というのはどういう学問なのかを簡単にいうと、「この世に存在するものは質量を持つ」ということを証明しよとしている学問だと言える。
陽子(ようし)だとか中性子だとか電子だとか、量子だとか、ニュートリノだとか、反物質だとか、重力だとか引力だとか磁力だとかいうあたりの話しも、要はその質量のことをいろいろ考えているのだ。引力が質量とどう関係するのかわからないという人は、ピンっと張った布の上に鉄の玉を置いた様子をイメージして欲しい。そうすると鉄の玉を置いたところが下に下がる姿が想像できるだろう。これはつまり、他よりも重い(質量がある)ものが存在すると、その周辺は影響を受けるという原理を表している。これは「布」という2次元での姿だが、これを3次元だとか4次元だとかに普遍化することができる、という前提に立って物事を明らかにしようというのが、要するに物理学なのだ。

幽霊は存在しない、とされる論拠もここにある。

幽霊には質量がない=幽霊は存在しない

しかし質量がないことが即、存在しないことになるのだとしたら、この世の多くのことが存在しないことにもなる。
まず色や音の違いだ。
色や音は、その波長の違いによって、青だったり赤だったり、またドだったりソだったりする。
光や音は存在するが、青や赤、あるいはドやソは存在しないのだ、と言えるだろうか?

こうなってくると、物理学の範疇を越えた話になってくる。

では幽霊も、色や音の違いと同じように、物理学から離れた世界での話として、「存在する」でいいのではないか、となるだろうか。

俺としては、そういう話でごまかされはしないんだよ、と言いたい。

「枯れ尾花」のように、それぞれの心の中に「幽霊」は存在するのだ、じゃあ納得しない。ってか、絶対にそういう話じゃあない世界の話だと思ってる。
わかったような顔をした脳タリンが、「それぞれの記憶の中では故人は生きていて、あるきっかけでその記憶が現実の中に混ざり込む。それが幽霊の正体なのさ」なんてことをいうと、俺は「ってことは、お前はそういう幽霊を見たことがあるんだよな?」と聞く。そうするとそういうことを言う奴は例外なく、「俺は見たことはないんだけどね」なんて言ってへらへらする。それを見て俺は「アホか」って思うんだ。
雪の結晶を見たことのない奴が、「雪は空気中の水分がチリやホコリを核に結晶化したものだよ」なんて言ってて「じゃあお前はあの雪の結晶の美しさはどう思うんだよ」と聞いたら「いや、実は僕はまだ、雪を見たことがないんだ」なんて言われたときよりもしらける。

俺は田舎のばあさんの葬式へ向かう途中、近くの道端でよろよろ倒れそうにしてる喪服のおばあさんを見かけて話しかけたら、俺のばあさんの葬式へ行くのだとわかって車に乗せて連れて行ったことがある。
たくさんの弔問のあった葬式が終わって、「今日、こういうことがあったんだけどあのばあちゃんはちゃんと帰れたのかなあ」なんてふと話し出したら、そのばあさんは葬式当日の朝に倒れて、そのまま死んでたってことがわかった。つまり、俺が車に乗せた時には、そのばあさんは死んでた(か、あるいはほぼ死んでた)状態にあったわけだ。
人まちがいもなにも、そんなよたよたしたばあさんは葬式に来てなかったし、俺の記憶にそのばあさんのデータがあったってこともない。忘れた記憶の中なかにあった可能性もないことはないが、それでも喪服姿のヨタヨタばあさんを車に乗せたことを忘れるってことは、いくらなんでもないだろう。
俺がそのばあさんに声をかけ、手助けして、車に乗せて、車の中で会話して、車から降ろしたときは、確かにそのばあさんには感触も体温もあった。

俺はそれ以来、あのばあさんは幽霊だったと確信している。

要するに、だ。
生命ある物が全て幽霊になるわけじゃあないってことなんだよ。
木が切り倒されても、そのまま土に還って存在を消す木もあれば、建材や工芸品となって存在し続ける木もあるように、命にも、死ねば消えてしまう命と、何かしらの姿になって存在する命もある。
脳がなくなる以上、幽霊には記憶も思考もない。
あるのは「命」そのものだけだ。
生きている俺たち自身にも、記憶や思考は意識できても「命」は意識できない。

質量がないから、あるいは意識できないから、
あるいはまた、
じゃあ、口蹄疫で埋却処分された牛はどうなんだ、鯨はどうなんだ、蚊取り線香で死ぬ虫はどうなんだ、
な、だから「命」なんてのも存在しないし、「幽霊」なんてのも存在しないんだよ、
という論に私は組みしない。

質量の問題でもなく、記憶の問題でもない、もっと単純に、時間のズレや次元・空間のズレ、というギャップに幽霊は存在しているのだ、と俺は理解している。
地球の寿命があとどれくらいあるのかは知らないが、まあ少なくともあと10億年くらいは持つだろう。となると俺たちはまだまだすんげえ長い歴史のほんの一瞬に顔を出しただけの、ちっぽけな存在でしかない。
それはまるで、質量が計測できないほどおぼろげな存在、つまり「幽霊」みたいな存在であるかのようだ。

数万年後の誰かは、今の俺たちのことを「存在した」と認識してくれるだろうか。
証拠がないから、あるいは質量を計測できないから、「存在していない」と断じられてしまうようなことにならないだろうか。

化石が残っている恐竜は存在したことになっている。
はたして、現在の俺たちの証となる化石は、いつまで残っていてくれるだろう。
コンクリートは砂に戻ってしまう。
鉄は酸化してしまう。
デジタルデータは、30年と経たずにきれいさっぱり消去されてしまう。

実は俺たちはすでに幽霊なのかもしれないなあ、なんてことを考えるのもたまには面白い。
で、俺たちは存在しているんだから、やっぱ幽霊は存在してるよなあ、というのが俺の結論なのだ。

2010年8月11日水曜日

お盆特集 恐怖は興奮を呼ぶのでブレーキにはなりません。あしからず。

毎年今くらいに時期になると、戦後○○年だとか、戦没者うんぬんだとか、原爆がどうだとか、空襲がどうだとか、そういうたぐいのテレビ番組やら新聞記事だとかがあふれる。本当にあふれる。あふれ過ぎてどこに何があるかわからなくなるくらいだ。

こうした報道(?)の目的は当初、戦争の悲惨さを蘇らせることによって、二度とこうした事態を招かないようにしたい、ということであった、のかもしれない。まあ実際には、自分の贖罪意識を軽減するためとか、自分(自組織、自社)の責任を転嫁するためとか、そのあたりの「人間くさい」目的が隠れていたような気もするが、まあそのへんは想像の域を出ない、ということにしておこう。

まあちょっと考えればわかることなのだが、恐怖というのはヒトの行動を制限しない。
ヒトはお金を払ってお化け屋敷に入ったり、法律違反や事故のリスクがあるとわかっているのに心霊スポットへ出向いたり、登山で危険なルートをあえて選んだり、一般道で暴走行為をしたりする。
これらは恐怖の実態が「興奮」であることに起因している。
そして「興奮」は「快感」と表裏一体の関係にある。
つまり「恐怖」は「興奮」を呼び「快感」を生むのだ。

スプラッター映画や、惨殺死体の写真、凄惨な事故現場写真、これらを見たときの感情の揺れ動きも、実は「恐怖」→「興奮」→「快感」という流れに沿って変化していっている。

どうしてこうなるかというと、簡単に言えば、人間のホルモン分泌の仕組みが「自己防衛」を唯一最大の目的として進化してきたからだ。
感覚器官から送られてくる信号が、「平常状態」から「異常状態」へと変化したとき、それは自分の周囲の環境が通常状態ではなくなっているからだ、と脳は反応する。「通常状態=安全状態」であるから、「異常状態」とは「危険状態」を意味している、と脳は判断する。
その瞬間に、脳は「自己防衛体制」へ移行する。
感覚を鋭敏にし、筋力を高め、失血に備える。あるいは攻撃することで防御しなければならないかもしれない。その為の準備もする。
これらのイベントは全て、アドレナリンやドーパミンというホルモン(化学物質)分泌によって開始され、展開される。
これらの化学物質が分泌されると、動物は興奮状態になる。ヒトも同じだ。アドレナリンやドーパミンで興奮する。
覚醒剤の成分であるアンフェタミンとかエフェドリンというのも、ようはこのアドレナリンやドーパミンが非通常状態になるように作用することによって、人間に快感を与えるのだ。

つまり「恐怖」や「痛さ」というのは、脳にとっては「快感」を生む「興奮」への道のひとつでしかない。
よって戦闘の壮絶さや、戦災の悲惨さを繰り返し見せることは、「快感期待」の強化でしかない(脳にとっては)。
もし誰かの復讐心や優越感を満たすためであったとしても、それは結局、「興奮」→「快感」の反応に拠って満足しているのだから、「快感期待」を強化しているという意味では同じである。

結論を言うと、いくらどれだけ「恐怖」を煽っても、植え付けても、ヒトによって戦争に陥ってしまうリスクの軽減にはならない、ということだ。

もしも国家や社会が、戦争が起きるような事態を本気で避けたいと思うなら、「戦争は損である」ことを証明し、国民に伝え、理解させた方がいい。
「大切なかけがえのない命が失われるから損」なんていう小学生の作文みたいなきれい事では駄目だ。毎日、殺人や自殺や事故や病で多くの「大切なかけがえのない命」が消えているが、それを「損」だと受け取っている人はいない。親族は「悲しい」かもしれないが、それも一時的限定的なものであるし、そもそも「悲しみ」は「損」ではない。「悲しみ」を味わいたいがために、小説や映画に対価を支払う人だって何百万人といるのだから。

「損」は、明確に、自分にとっての「損」でなければ、人は「損」として受けとめない。
戦争になると、いくら損をするのか。
どういうケースだと、どんな損を被るのか。
過去の戦争では、誰がどれくらい損をしたのか。
そのあたりのことを、できるだけ正確に、論理的にも説得力を持って、国民に伝えること以外に、ヒトを戦争から遠ざけることはできない。

ただ残念なことにこれまでの戦争は、生き残ったヒトにとっては「得」となってきた。
だからこそ戦争はなくならず、延々と繰り返されてきた。

むしろこれからは、「得な戦争」と「損な戦争」があることを知ることで、それぞれが自分にとって「損な戦争」を遠ざけるように判断することが、本当の戦闘の発生を先延ばしすることになるだろう。

最後にもう一度。
「恐怖」や「悲惨さ」を植え付けることは「興奮期待」を高める作用につながる。
怖いほどジェットコースターは流行り、残酷な動画が閲覧客を集め、悲惨な物語がロングセラーになるのは、それらが「脳」にとって「快感」を生んでくれくれるからだ。
戦争を本当に避けたいのなら、戦争によってどれだけ損をし、どれだけ交渉で不利になったか、を伝えなければ実体のある効果は望めない。

と、私は確信している。

2010年8月10日火曜日

お盆特集 いらないもの 陰毛

小学生の頃だったか中学生の頃だったかに保健体育の副読本あたりで読んだ知識なのか、確かそのあたりに頭に入った情報だと思う。

「人間に生えている毛は、大事な部分を守っている」

この説明にずっと納得できないまま、わたしは今日まで生きてきました(時には誰かの力を借りて♪)。

陰毛=子孫を残すために大事な部分を守っている。
脇毛=心臓に近い場所にある太い血管を守っている。
頭髪=脳を守っている。

この説明で、特に納得できなかったのが、「陰毛」についての説明だった。
なぜなら、そこが大事な部分であるのは生まれたときからであって、12歳あたりにならないと生えてこない陰毛の存在理由としては矛盾していると思ったからだ。もっとも当時はこんな回りくどい言い回しではなく、単純に、『ちん毛がないちんちんは大事じゃないの?』という程度の疑問だった。
それに大事なのは陰毛が実際に生えている箇所ではなく、もっと後ろの部分だろうとも思っていた。
つまりバットの上ではなく、ボールの方だろう、と。守るならそこじゃなくてこっちだろうが、と。

そんなことを思いだしネットで検索してみたら、どうもこういう理由じゃあないということにいつの間にかなっているということがわかった。

なんと陰毛は、性的フェロモン(体内で生成される分泌物)を効果的に拡散するために存在しているらしい。
ちぢれているのも、分泌されたフェロモンを保持しつつ、同時に空気層をつくることによって大気中に発散しやすくする効果を狙ってのことらしい。

目から鱗(うろこ)とはまさにこのことだ。
こういう理由なら、第二次性徴に合わせて陰毛が生えてくることも納得できる。

脇毛も同じ理由で、わきの下から分泌されるフェロモンのために存在しているのだそうだ。

ただ頭髪については、やはり大事な部分を守るため、ということが理由として掲げられていた。
だから頭髪は直毛で、また長く伸び、量も多いのだと。

しかしここでわたしは新たな疑問を抱いてしまった。

髪の毛くらいじゃあ脳は守れないよなあ?

という疑問だ。
脳を守っているのは頭蓋骨だ。衝撃からも紫外線からも、頭蓋骨が守っている。
そもそも脳を守るために頭髪があるというのなら、それはむしろ頭蓋骨が未発達である乳幼児期にこそ必要とされるはずであり、赤ん坊の頭はフサフサでなければならないはずだ。だが実際にはそうなっていない。このことは、やはり頭髪の存在理由も、「大事な部分を守る」ためではない、ということの証なのではないだろうか。
そこでわたしが考えたのは、やはり頭髪も、何かを発散させるためにあるのではないかという仮説だ。
ただしそれはフェロモンじゃあない。
おそらくそれは「熱」だ。
脳が発する熱をいかに効率的に発散するか、そのために頭髪は存在しているにちがいない。だから頭髪は直毛なのだ。熱を含んだ汗を、いかにはやく流し落とすか。そのためにはできるだけ抵抗のない、まっすぐな毛であることが望ましい。長くて量が多い理由は、気化させやすくするため。同じ理由で、頭皮には汗腺がたくさんあるのだとも思う。

これで人間に生えている毛の謎が解決した、と思っていたら、また新たな疑問が浮かんでしまった。

人間以外の生物で、ちりちりの陰毛が生えているのっていないよな?
そういう連中のフェロモン分泌はどうなってるんだ?
ちり毛であることが効果的なら、他の生物もみんなちり毛の陰毛じゃないとおかしいよな?
という疑問だ。
そして、脳の熱を放散するために頭髪があるのなら、アフリカ人の頭髪がちり毛であることの説明はどうなる?

ということで、またふるだし、もといふりだしに戻ったのであった(マル)

お盆特集 日本の子供がもし100人だったら

お盆特集ということで、適当な話を適当に。

もう何年も前に、『世界がもし100人の村だったら』とかいうタイトルのバカ本がブームになったことがある。
「バカ本」というのは、読者のことをバカだと思っているバカが書いてバカが出版した本のことだ。もちろんわたしの造語である。
実はわたしも、わたしを含めすべての人間は例外なくバカであると確信しているので、このバカ本にならって日本の子供たちについて愚論を述べる。

日本の子供の数がもし100人だったとしたら、100人が100人ともひとりっ子であるよりも、4人兄弟が25組であった方があらゆる面で世の中を良い方向へ牽引する力を持つ。
親の立場に立ってみれば、100の家庭にそれぞれ1人ずつ子供がいた場合、一度しか使わないものをそれぞれが似たようなタイミングで買っては捨てていくことになる。子育てにかかる手間も一度きりでは、子育てのノウハウもスキルも蓄積できない。若くてエネルギーに満ちた新婚期の時間も、子育てにほとんどもっていかれてしまう。
一方で4人兄弟だった場合は、いろいろなものを使いまわすことが出来るし、上の子が下の子を面倒みることもできるし、経験し学んだ子育てのノウハウやスキルによって、子育てを効率化省力化することもできるようになる。
経済の面でも、すでに持っているオモチャや本は買わないで済むのだから、選択の幅は縦(価格)にも横(分野)にも広がる。むかし各家庭にオーディオセットや百科事典、天体望遠鏡や顕微鏡、ピアノ、家族旅行、という言葉がふつうに存在していたのにはそういう理由があるからだ。今は何でもあるから物が売れない、のではない。買ってもムダになるから物を買わない、のだ。そして音楽も、本棚も、会話もない家庭が日本中に誕生してしまった。
教育の面では、まず兄弟がいることで自然と社会性が身に付く。逆に言えば、兄弟がいないと社会性は身に付かない。頭で考え計算して、知識としての「社会性」は学ぶことが出来ても、群(むれ)で生きるヒトという生物として本当の意味での社会性は体得できない。
また触れる世界が自分と同じ年代だけだと、世界の広さや深さを知ることができないまま青年になってしまう。兄きの部屋にあるエロ本や自動車雑誌やパソコン雑誌や小説なんかを盗み見たり、姉貴の女友だちのめちゃくちゃな会話を聞いたり、弟のアホさにあきれたり、妹のうっとうしさにいらついたりしているうちに、自分のいる世界の枠が広がっていくのだ。それもタダ、ふつうに生活しているだけで。

兄弟姉妹を複数、それもできれば3人以上いる家庭を増やすことが日本を活性化することになる。
わたしに言わせれば、ひとりっ子家庭が増えるくらいなら、むしろ子無し家庭が増えた方が、日本は活性化する。
最悪なのは、ひとりっ子家庭が水イボのように日本を覆い尽くすことだ。
そうなるとその社会は停滞し、暗くなり、沈んでいく。
ひとりっ子ばかりを30人、ひとつの教室や会議室に集めたらどうなるだろうか。
ひとりっ子ばかりでパーティを組んで、登山や冒険に出かけたいと思う人がいるだろうか。
自分の手術を、ひとりっ子ばかりの医療スタッフにまかせて安心できるだろうか。

子供手当を子供一人当たりで支給するのは、何の解決にもならない。
日本がやるべきなのは、子供ひとりだけでは損をするような社会作りだ。
一人目には0円。むしろいろいろ負担をさせて、マイナス感を持たせるくらいの方がいい。
でも二人目が生まれたら、毎月3万円支給。
三人目が生まれたら、さらに5万円プラスの毎月8万円支給。
もし四人目まで生まれたら、さらにさらにの10万円プラスで毎月18万円支給の、さらに公共の保育支援を優先的に受けられる権利を与える。五人目以降は、子育てのスキルも名人級になっているので、支給額さらに5万円増に戻る。

こういう発想のことを「政策」という。
全員平等とか、一律いくらとか、全国一斉とか、っていうのは「政策」とは呼ばない。
入院している患者全員に、同じ薬を、朝6時一斉に飲ませるような行為を「医療」と呼ぶだろうか?

一般的にこのような行為のことをどう呼ぶのか。
確かわたしの記憶では「実験」と呼んだような気がする。

【実験に用いられる動物のリスト】
ハツカネズミ、モルモット、ウサギ、サル、そしてヒト(ニッポン種に限る)。

2010年8月9日月曜日

夏の風物詩 大山灯籠




日が暮れてから通りを流していると見慣れない灯に「何だ?」と思ったことはないだろうか。
それが上にあるようなものだったら、それは「大山灯籠 おおやまとうろう」である。
7月の下旬(27日の夕方)から8月中旬(18日の朝方)まで設置され、毎日夜の間だけ明かりが灯される。
五穀豊穣、雨乞い、などを祈る大山阿夫利神社(おおやま-あふり-じんじゃ)の大山信仰に由来する農村の風習だ。
それこそあちこちにあるが、私が間違いなくここにあると断言できるのは、桶川市立日出谷小学校そばの日出谷公民館脇、川田谷にあるサーフショップの向かい、ビバホーム横の道を伊奈に向かって行った先の旧坂田公会堂前、の3箇所。

明かりが点っているときよりも、ある日、すっと何もなかった状態に戻っているのに気づいたとき、ああ今年のお盆も終わったんだなあ、という気持ちにさせられる。

見晴らしの良い場所

現時点で未来が未確定である以上、「正しい判断」というのは、厳密にはあり得ないと私は思っている。
時間が移行し、状況が変化した結果、ある時点で下した判断によって自分が納得する何かを得られた、ということにすぎない。
「正しい判断」→「何かを得られた」
ではなく
「正しい判断」←「何かを得られた」
なのだ。

「あああ~、子供の時にもっと勉強しておけばよかった」
という大人がいるが、その当人には、その当人が経験してきた以外の子供時代はあり得ない。
これは論理的にもそうなのだが、ここでは感覚的に納得できるような説明を試みてみよう。
例えば、そう、中学生の頃の自分を思い返してみて欲しい。
その当時にもっと勉強していたら……、ともし考えるのならば、当時の同級生で最も勉強していた生徒の姿を思い出して、その彼(彼女)と自分を重ね合わせてみて欲しい。あるいは、当時の自分の部屋や、家族の雰囲気を思い返して見て欲しい。さて、当時の自分が当時以上に勉強したなどということがあり得るだろうか。
その最も勉強していた同級生は、その後どんな人生を歩んでいるのだろうか。
それと同じような人生を自分は歩きたいのだろうか?
もし同じような人生を歩いていたとしたら、自分は今、こんなことを考えているだろうか?

つまり、過去の自分がもし違っていたら、現在の自分も違っているということになる。
これはSF小説なんかにでてくる『タイムパラドクス(時間の矛盾)』とは違う。純粋に、「現在は現在にしか存在しない」という、厳密な論理だ。
認識できるのは(ほんのさっきまで)現在(だった過去)の極一部だけであって、未来は想像でしかなく、過去は記憶でしかない、と言い換えても言い。

しかしだからといって、脳みそを多少でも持っている以上、少しでも自分が有利になりたい、効率的に利を得たい、痛い目に遭いたくない、と考えを巡らすのは、空腹の胃が音を鳴らし、蚊に刺されるとかゆくなるのと同じく、生物としての人間の自然な反応だ。
そして脳みそが「考えてしまう」以上、なんらかの判断は下される。
下したくなくても下してしまう。
なぜならそれが脳みそという臓器の働きだから。
だが冒頭の方でも書いたように、正しい判断はあり得ない。が、間違った判断をできるだけ遠ざけることはできる。
そのためには、できりだけ「見はらしの良い場所」へ自分を置くことが重要だ。
見はらしの良い場所へ自分を置くことができれば、自然と周囲を見渡すことが出来る。
周囲を見渡すことが出来れば、何が起きて、何が起きていて、何が起きそうなのか、が見える。
それだけで、下される判断は、自分の能力をはるかにこえた、非常にリスクの低い(優位な)ものとなる。

人間個々の能力差など、ドイツシェパードと日本スピッツの能力差よりも小さい。紀州犬と甲斐犬と四国犬の能力差よりも小さい。まああっても茶トラ猫と三毛猫の能力差くらいのものだろう。
能力差がほとんどないのだから、結果の優劣は状況と偶然に拠るところが大きくなる。
谷底にいるネコよりも、木の上にいるネコの方が、往々にして良い結果を得る場合が多いのもそのせいだ。

人間の場合は、木の上にのぼってもあまり効果は得られないので、物理的な「木の上」ではなく、情報的な意味での「木の上」にあがることを考えた方がいい。
サッカーで優秀な選手が皆ヨーロッパへ行きたがるのは、なにも報酬のことからばかりではなく、こういう意味もあてのことなのだろう。
最先端の場に身を置くだけで、最先端の情報が勝手に耳目に入ってくるのだから、判断もそれなりに下すことが出来るようになる。
とはいっても、ヨーロッパの最後端にいてはだめ。それならJの最先端にいた方がずっといい。
では「最先端」はどこなのか。
実はこれも、時間が移行して初めて「正解」のわかることだから、大いに「パラドクス」を含んでいる概念ではあるのだが。

2010年8月8日日曜日

全日本少年サッカー大会決勝戦 日本型ドリブル観からの脱却

ディアブロッサ高田は7番の選手から攻撃を作ろうとしているのが、試合を見はじめてすぐにわかった。
監督からの指示はどうだったのかは知る由(よし)もないが、高田の子供たちの意識は、明らかに7番をまずさがしていた。
高田の子たちは良く訓練されているというのもわかった。
チーム全体の個人技のレベルは、バディーの選手たちよりも上だった。
ただ気になったのは、視野の狭さと、発想の柔軟さが見られなかったことだ。

視野の狭さというと誤解を受けるかも知れない。
高田の選手、特に8番の選手などは逆サイドも見えていた。しかし、その見ている方向に意外性がないのだ。
目の前の直近と、ほぼ真横方向の逆サイド、高田の選手たちの視野はこの2方向しかない。おそらくはそういう形の練習を積んできたせいなのだろう。
ドリブルも上手で、パスもつながるが、私が興味をひかれるようなプレーは最後までなかった。
珠算塾や公文の暗算コンテストを見ているかのような「すごいね」しか感じられなかった。

それはそれですごいことだし、立派なことだとは思う。が、これなら去年も見られたかもしれないし、来年も見られるだろうな、プレーする選手は違う子だろうけど、というたぐいなのだ。今年の今、このときしか見られない、という選手たちではなかった。

そういう意味では、バディーの17番の選手は、今年のこの時にしか見られない小学生のプレーを見せてくれた。
彼は体格もいいが、何より素晴らしいのは、頭のよさと視野の広さ、そしてプレーイメージの柔軟さだ。
視野の広さという点では、日本人にはこれまでにあまりみられないくらいのものを持っていた。
ちなみに、ふつう「視野が広い」というと「遠くまで見えている」ことだと考えがちだが、サッカーやバスケットボールにおける視野の広さとは、単に遠くが見えていることではない。

キーワードは「俯瞰(ふかん)」だ。

水平方向視野では高性能な望遠レンズでも感知できないようなスペースも、俯瞰(バードアイ:上から下を見る)視野に立ってみると発見できることがある。
それは、自分のすぐうしろや、寄せてきているマーカーの陰にフリースペースがあるような状況だ。
決勝戦後半にバディーの17番がペナルティエリアでターンしたシーンがまさにそれだった。
広い視野とは、遠くを見ることではなくて、上から見ているようなイメージで周辺状況を分析できる能力のことなのだ。

ボール扱いではディアブロッサ高田の選手の方が上だろうと書いたが、頭のよさではバディーの選手の方が上回っていた。特にゴールキーパー、5番、11番、そして17番は、とても頭がいい選手なのだろうと思えた。
サッカーのプロ選手になれるのはディアブロッサ高田の選手の方が多いと思われる。あれだけ動けて、ドリブルができる選手は、見込みがつきやすいし、好不調の波も小さいから。J下部のセレクションに通過しやすいのも、こういうタイプの選手たちだ。
しかし、こういってはなんだが、その手の選手はJ2に腐るほどいる。
そしてわたしはそういう選手たちのプレーに魅力は感じない。
限界まで体力を消耗し、ガッツあふれるファイトには、真夏の甲子園を見るのと同じ感情で応援したくはなる。でもそれは決して、サッカーという競技の魅力にひかれてのことじゃない。
バディーからプロにまでなれる選手は17番だけかもしれない。その17番の選手にしても、もちろん今後はわからない。
しかし、プロにならなかったとしても、人生の目標を見失うような事態には陥らないはずだ。彼らはちゃんと自分で考えることができていたから。

日本でドリブルというと、足下でボールを細かく運ぶことというイメージになったのはいつ頃からだろうか。
どうも私は、セルジオ越後のサッカー教室が、悪い形で影響してしまったのではないか、という気がしている。

ドリブルはあくまでもサッカーにおける戦術の一部でしかないのに、まるでそれが個人の能力の証であるかのようなイメージを持たれてしまっている。そしてそのドリブルも、相手ディフェンスを「抜く」ドリブル限定で、「キープ」するドリブルは含まれない。こんなドリブル観を持っているのは、日本のサッカー界しかないのではないだろうか。少なくとも私には、他国でこのようなドリブル観を見聞きした経験はない。

そろそろ、こういう日本だけのドリブル観から卒業してもいい時期なのではないだろうか。
日本式ドリブルの上手な子というのは、やたらと暗算の得意な子供みたいなもので、北朝鮮のリフティング曲芸師とそう大差ない偏った能力の持ち主になってしまう可能性さえある。これは非常にもったいないことだと私は思うのだ。

決勝戦で負けたディアブロッサ高田が、見ていて応援したくなるようなサッカーを見せてくれていた一方で、どうすればこの選手たちに「頭を使う」ことを学ばせることが出来るのかなあ、と考えてしまった。
安定して強いチームを作るには、走り負けない+足下のドリブル強化、は指導の黄金方程式だとは思う。
江南南なども、こうした方針でチームを作っているのではないかと想像している。
でもそれで良かった時代は、2002年で終わってしまった、と、私は確信している。
ヨーロッパにおける育成の重点は、すでに「足下の技術」から「頭を使う技術」へと明確に移行したように思うのだが、いかがだろうか。

2010年8月7日土曜日

全日本少年サッカー大会 決勝戦 観戦メモ&レフェリング考

主審の笠原寛貴さんのポジショニングは、はっきりいって不合格だった。
両線審の位置とのバランスを意識しすぎるあまり、プレー自体の流れや、選手の意図を読むことをおろそかにしていた。
その結果、線審の対面側エリアでのミスジャッジが非常に多くなってしまっていた。
バディー17番へのイエローカードや退場の判断、あるいは注意となった場面などはその典型だった。
主審の未熟さによって、大事な決勝戦で退場処分を受けてしまった彼が悔し涙を流していたが、おそらく今日のジャッジやゲームマネジメントに相当ガマンをしてきたのだろう。

埼玉県予選でも感じたことだが、少年サッカー(4種)の審判をする人は、選手たちをちゃんとリスペクトしているのだろうか?
小学生だと思って、軽んじているのではないだろうか?
彼らは学校制度の上では小学生であるが、サッカー選手としては独立した一個人なのだ。
ピッチ上に保護者がいるわけでもなく、ひとり一人が、個人の判断と責任でプレーしている。
そのサッカー選手、スポーツ選手に対して、今日の主審の態度はあまりにもアンフェアだったように思える。
フェアプレイとは選手たちにだけ求められているのではなく、審判も含めた競技場にいる全ての者に求められている理念だ。
決して、主審に対して服従を強いることが「フェアプレイ」ではない。


それと、バディーSCの17番が総得点20で歴代4位だったそうだが、ということは20得点より多く得点した選手が過去に3人もいたということになるのだが、記憶にまったくない。
もしかするとそれは会場がよみうりランドの頃で、大人用ゴールを使っていた時代の記録なのではないだろうか?
どうなのかなあ。
久々に少年サッカーを見たら、ディフェンスのレベルもゴールキーパーの体格も想像以上に高くて驚いてるのに、さらにゴールの大きさも少年サッカーサイズで、20得点以上あげられる選手があらわれることなんてものすごく稀なことだと思うんだけどなあ。実際、今大会だって、得点総数2位の子は、8点とかそのくらいのレベルなんだから。
どうなのかなあ。
大会サイトを見ても、そのへんのことに触れている箇所が見つからなかった。
ま、4位だろうが何位だろうが、あの17番が可能性を秘めた素材であることは間違いないんだから、どーでもいいか。

2010年8月5日木曜日

難しく考えない技術

「難しい」ってのはどういうことかっていうと、要するに「答えが出ない」ってことだ。
「答え」ってのは何かっていうと、「結論・結果」ってことだ。
テストの問題でも、外科手術でも、「難しい」のは、答えや結果がわからないってことを指している。

前にも書いているが、「未来は絶対にわからない」。
なぜかというと、時間は継続しているものではなくて、一瞬一瞬生まれては消えていくものだからだ。
川の流れのように、上流から下流へとつながっていると考えるのは宗教的な考えであって、実際には過去があって未来があって、その中間に現在があるわけではない。
存在するのは現在だけであって、現実には過去も未来も存在しない。
仮に(どういう理屈かは置いておいて)タイムマシンが発明されたとしても、それに乗って移動した「過去」や「未来」というのは、現実には「過去」や「未来」ではなく、「現在」だ。
理解できるだろうか?

難しく考えないで欲しい。
単純に、自分が今いるここは「現在」でしかあり得ない、ということを言っているだけのことなのだから。

だから──自分は現在にしか存在できないんだから──過去や未来のことを思い悩んでも意味がない。
存在しない対象を推測、推理、想像して、答えを導き出そうとしても、答えなんて出るわけがないんだから、そりゃあさぞ難しいだろう。
そんなことに労力を費やして、かえってストレスをため込むくらいなら、存在している唯一の現実である「現在」のことを考えた方がまだましだ。
俺なんか、もはや現在のことさえ考えなくなってきてる。

もし過去に思いを馳せて、何か後悔の念を抱いたとしても、どうすることもできない。
また未来のことを思い悩んで、その未来を恐れたとしても、どうすることもできない。
同窓会の昔話で、共通の思い出が実はまったく共通じゃなかったという経験は誰もがしている。
天気予報だって、明日の自分の体重だって、正確な予測なんて出来ない。
なら考えたって仕方ないじゃん。

頭の中から、考えたって仕方のないことを追い出して、考えても意味のあることだけを考える。
他人のことを考えたってしかたない。他人を自分の思い通りにすることなんてできないんだから。
ガンになるかどうかなんて考えたって仕方ない。ガンは何十種類もあるんだから。
事故も病気もみんな同じ。

あいつに悪いことしたなあ、ひどいことしたなあ、なんて考えても仕方ない。
もうどうすることもできないし、相手がどう思ってるかわからないし、さらに言えば、自分が忘れてるだけで、もっと誰かから恨まれてるようなことがあるかもしれない。そっちのことはどうすんの? どうにもできないんだから、考えたって仕方ないじゃん。

将来が不安?
そりゃあさあ、「不安」って考えるから「不安」になって来てるだけのことであって、実際の将来がどうなるのかなんてこととはまったく関係がない。そのことをちゃんとわかった上で、勝手に「将来が不安だ」って悩むのは良いけど、そうじゃないなら、そんなこと考えるのはやめなってこと。言い換えれば「損なこと考えるのはやめな」。

どんなに頭が良い人であっても、基本的に人間はそんなに頭が良くない生き物だ。
脳の構造というか、機能が、頭良くできてないんだから仕方ない。
データを忘れてみたり、一部しか記憶できなかったり、並列処理ができなかったり、衝撃や熱に弱かったり、再生できなかったり、リンクできなかったり、データの移動やコピーができなかったりする。
こんな情報処理装置なんて、ふつうなら使い物にならないとこだけど、他のに交換できないから仕方なく使ってる。

性能の低いこのバカな脳みそを快適に使おうと思ったら、一度に処理する作業の分量を、できるだけ小さく、そして単純化した方がいい。
そのためには、答えのわからないこと、自分にはどうすることもできないこと、この手の「考えても意味のないこと」ははなっから考えないようにすること。これが世の中を難しく考えないですむコツだ。

2010年8月4日水曜日

第34回全日本少年サッカー大会 決勝トーナメント 準決勝の展望

ディアブロッサ高田(たかだ 奈良)
×
エグゼ90FC(大阪)

ディアブロッサの勢いが、中一日おいても継続できているかがポイント。平城遷都1300年を祝う結果となるだろうか(なるだろう)。
同じ関西圏ということで、互いの手の内も知り尽くしていると思われる対戦は非常に興味深い。
ディアブロッサと名乗るからには、当然コーチたちはみんなランボルギーニ・ディアブロに乗っているだろうと私は確信しているので、西が丘の駐車場をチェックするのも楽しみにしている。



こんな感じを期待で。





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バディーSC(神奈川)
×
柏レイソル(千葉)

こちらもお互いに知り尽くした関東同士の対戦。
コーチも子供たちも、みんな顔見知りで、「よー」「おー」「どうもどうも」「どうもどうも」の対戦というのは、大人も子供もやりにくいものだ。それも全国大会の準決勝となるとなおさらだろう。
ただ、どうやっても、何が起きても、如何ともしがたいくらいの実力差があるように、私には感じられるが、その通りの結果となるだろうか。

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今日この時点でのネコの肉球占いによると、決勝カードは、

ディアブロッサ高田(奈良)×バディーSC(神奈川)

となっているが、はたしてどうなるか。
寝ているネコの肉球で無理矢理占ったので、ネコがかなり不機嫌で気乗りしていなかったことが気にかかる。
ところでJヴィレッジと西が丘では、どっちの方が暑いんだろうか?

第34回全日本少年サッカー大会 決勝トーナメント 準々決勝

ディアブロッサ高田(奈良)
×
FCアネーロ宇都宮(栃木)

1-0でディアブロッサの勝利。ディアブロッサは1次リーグからここまで、わずか1失点。すばらしい。
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コンサドーレ札幌(北海道)
×
エグゼ90FC(大阪)

0-2でエグゼの勝利。コンサドーレはよくやったと思う。
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総社SC(岡山)
×
バディーSC(神奈川)

0-7でバディーの勝利。バディーは大人げない(子供だけど)というか、容赦なさすぎ。
総社の子たちは全国ベスト8なのだから、胸を張って岡山へ帰って欲しい。
準々決勝で、6-1でバディーに負けたあぐり西町(長崎)の子たちもそう。
日本代表だってワールドカップでベスト16だった。君たちもベスト16だ。
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ソレッソ熊本(熊本)
×
柏レイソル(千葉)

1-1でPK戦。PK戦4-5で、柏レイソルが準決勝へ。
ソレッソが勝つと思ったが、まさかのまたのロスタイム同点劇。
あげくにPK負けじゃあ、泣くに泣けない。
ソレッソのDF3番の交代時間とレイソルの同点時間が同じなのは、関連があるのだろうか?
同点になってパワープレーを狙ったのならいいが、もし負傷交代が失点のきっかけになったとかいうのだったら可哀想だなあ。
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第34回全日本少年サッカー大会 決勝トーナメント

決勝トーナメント(1回戦・準々決勝) 
8月4日(水) Jヴィレッジ

ベガルタ仙台 vs 総社SC (0-2)
FCアネーロ宇都宮 vs 丸亀FC (1-0)
ディアブロッサ高田 vs ファナティコス (3-0)
帝人SS vs 柏レイソル (0-3)
バディーSC vs あぐり西町FC (6-1)
ソレッソ熊本 vs シーガル広島 (2-0)
青森FC vs エグゼ90FC (1-3)
大宮アルディージャ vs コンサドーレ札幌 (0-0)
pk戦4-5でコンサ
大宮アルディージャに同情の余地なし。

準々決勝
ディアブロッサ高田(奈良) × FCアネーロ宇都宮
コンサドーレ札幌 × エグゼ90FC(大阪)
総社SC(岡山)× バディーSC(神奈川)
ソレッソ熊本 × 柏レイソル(千葉)

世界の十代

世界の十代

エデン・アザール(Eden Hazard 1991年生まれ)LOSCリール@フランス所属


ネイマール(Neymar 1992年生まれ)サントス@ブラジル所属


ロメロ・ルカク(Romelu Lukak 1993年生まれ)RSCアンデルレヒト@ベルギー所属



私好みのプレーを見せてくれるのはエデン・アザールだが、大成しそうなのはロメロ・ルカク。
ネイマールはスタイルが、ロナウドでもロマーリオでもなく、ロビーニョに似ているという点が気にかかる。
16歳段階で、トップチームの中心選手として活躍できるあたりに、日本と世界との差を感じてしまう。
そして、これからはスピードがないとどうにもならないというか、世界のトップは「スピード、スピード、スピード」というキーワードが育成のメインに置かれているのだなとも感じた。
日本の中村(俊)や(憲)、遠藤(保)といったタイプは、もはや世界のサッカーでは旧世代にくくられてしまうのだろうか。それはそれで、少しさみしい気もするが。

第34回全日本少年サッカー大会で、トップスピードを保ちながらボールを運ぼうとする意識が特徴となっていような、『世界の十代』の卵となりうるような選手はいたのだろうか。
私は本大会を現地で見ていないのでわからないが、大会前に見た関東近郊の有力チームいくつかには、そういうタイプの選手は見受けられなかった(プレーの正確な子や、裏へ飛び出るときにスピードのある子は何人もいたが)。

実は、北足立北部地区には、2人ほど、いる。
だが、彼らがサッカーを続けてくれるのかはわからない。
プロを目指す子ばかりではから。

思春期を迎えた男の子が、世界でも最も誘惑が多いであろうこの国で、芽が出るであろう時期まで厳しい練習と孤独、そして不安と理不尽さに耐えられるかどうかは、かなり高いハードルだと思う。
続ける子はどうしても早熟な子であるとか、父親や指導者が熱心である子になってしまう傾向がある。
中学に入ると、一般の公立中学では先輩後輩の関係もあるし、いじめの問題や高校進学の問題も出てくる。刺激的な友人や魅力的な彼女もできるだろう。

サッカーの天分に恵まれた子ではなく、サッカーを続けることのできる環境に恵まれた子だけがプロになるのだとしたら、日本のサッカー界はつまらない世界になってしまう。
そのためにも、あまりきっちりし過ぎないくらいの方が、ユース年代まではいいように思うのだがどうだろうか。

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

2010年8月3日火曜日

第34回全日本少年サッカー大会 決勝トーナメントの展望

Aグループ1位
ディアブロッサ高田(奈良)
×
Hグループ2位
ファナティコス(群馬)

関東勢のファナティコスには悪いが、Aグループで圧倒的な強さを見せつけたディアブロッサ高田の勝ちは堅いように思われる。ディアブロッサのチーム内は相当に盛り上がってると想像されるからだ。小学生年代のチームでは、勢いに優る勝利の妙薬はない。

Bグループ1位 
FCアネーロ宇都宮(栃木)
×
Gグループ2位
丸亀FC(香川)

Cグループ1位
☆大宮アルディージャ(埼玉)
×
Fグループ2位
コンサドーレ札幌(北海道)

公式戦、それもトーナメント形式という試合で、今年のアルディージャに勝てるチームはそうはない。
残念ながら、コンサドーレもそうしたチームと違うとは思えない。

Dグループ1位 
青森FC(青森)
×
Eグループ2位
エグゼ90FC(大阪)

たぶん、大阪の方が暑さに強いと思う。

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この山でベスト4の西が丘に勝ち上がるのは、
ディアブロッサ高田(奈良)
☆大宮アルディージャ(埼玉)
となるだろう。
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Eグループ1位 
ベガルタ仙台(宮城)
×
Dグループ2位
総社SC(岡山)

Fグループ1位 
バディーSC(神奈川)
×
Cグループ2位
あぐり西町FC(長崎)

Gグループ1位 
ソレッソ熊本(熊本)
×
シーガル広島(広島)

Hグループ1位 
帝人SS(愛媛)
×
Aグループ2位
柏レイソル(千葉)
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この山でベスト4の西が丘に勝ち上がるのは、
バディーSC(神奈川)
ソレッソ熊本(熊本)
となるだろう。
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ネコの肉球占いではそうなった。

第34回全日本少年サッカー大会 1次リーグ終了

記録的な暑さの中、大きな事故もなく1次リーグ全試合を終えることが出来たことを心から喜ばしく思う今日この頃。

各グループの1位2位が決勝トーナメントへ進出する。

Aグループ
1位 ディアブロッサ高田(奈良) 勝ち点 15 得失点 14
2位 柏レイソル(千葉) 勝ち点 12 得失点 21
3位 愛知FC(愛知1) 勝ち点 9 得失点 13

Bグループ
1位 FCアネーロ宇都宮(栃木) 勝ち点 15 得失点 11
2位 シーガル広島(広島) 勝ち点 12 得失点 8
3位 金沢南JSC(石川) 勝ち点 7 得失点 -1

Cグループ
☆1位 大宮アルディージャ(埼玉) 勝ち点 13 得失点 21
2位 あぐり西町FC(長崎) 勝ち点 12 得失点 8
3位 兵庫FC(兵庫) 勝ち点 8 得失点 3

Dグループ
1位 青森FC(青森) 勝ち点 12 得失点 8
2位 総社SC(岡山) 勝ち点 12 得失点 6
3位 津田FC(三重) 勝ち点 9 得失点 4

Eグループ
1位 ベガルタ仙台(宮城) 勝ち点 8 得失点 4
2位 エグゼ90FC(大阪) 勝ち点 8 得失点 2
3位 東海スポーツ(愛知2) 勝ち点 5 得失点 0
4位 鹿島アントラーズ(茨城) 勝ち点 3 得失点 -1
最下位 アルビレックス新潟(新潟) 勝ち点 3 得失点 -5

Fグループ
1位 バディーSC(神奈川) 勝ち点 13 得失点 19
2位 コンサドーレ札幌(北海道) 勝ち点 10 得失点 10
3位 太陽SC国分(鹿児島) 勝ち点 9 得失点 6
4位 十市少年SC(高知) 勝ち点 7 得失点 3

Gグループ
1位 ソレッソ熊本(熊本) 勝ち点 11 得失点 8
2位 丸亀FC(香川) 勝ち点 10 得失点 5
3位 レオーネ山口(山口) 勝ち点 9 得失点 0
4位 JACPA東京FC(東京) 勝ち点 8 得失点 5

Hグループ
1位 帝人SS(愛媛) 勝ち点 12 得失点 10
2位 ファナティコス(群馬) 勝ち点 12 得失点 9
3位 FC上西郷(福岡) 勝ち点 12 得失点 8


Fグループの最終戦となった 太陽SC国分 × 十市(とおち)少年SC は壮絶な試合となったようだ。
試合開始時点での勝ち点は、
太陽SC国分 8
コンサドーレ札幌 7
十市少年SC 6
コンサドーレの対戦相手がSC岐阜VAMOS(勝ち点3得失-11)であることから、残るひとつの予選突破キップを手にする可能性は、太陽とコンサの2チームに絞られていた。
太陽は、勝てば決勝トーナメント、勝ち以外だとここで終わりだ。
得点経過を見てみよう。
前半は両者無得点のまま折り返す。 0-0
後半7分 オウンゴールにより太陽が先制。 1-0
後半9分 十市の森田君がすかさず同点にする。 1-1
後半12分 またもや十市の森田君が得点し、これで逆点。 1-2
後半13分 息つく間もなく太陽の吉村君が得点。試合は振り出しへ。 2-2
後半終了4分前 太陽の川上君がこぼれ球をぶち込んで再逆転。 3-2
ロスタイム2分 十市の大田君が同点ゴールを決めたところで試合終了。 3-3
太陽SCは、コンサドーレ戦で、自分たちがロスタイムに同点に追いついている。そして今回は、自分たちがそれをやられたわけだ。皮肉な結果となってしまったが、初出場ですばらしい戦いぶりだったと思う。さすがは桜島っ子だと感心させられた。

高部JFC(静岡)には謝らなければならない。最終戦で0-4というスコアは、静岡県人らしからぬ諦めっぷりの良さだ。緑茶のようにサラッとしたまったく後味の残らない負けっぷりは、静岡への私のイメージを大きく変えさせてくれた。ペットボトルでお茶が売られる時代なのだから、いつまでも静岡は静岡のままじゃないということなのだろう。高部JFCさん、私の個人的な偏見に満ちた失礼な物言いをどうかお許しください。これからは静岡の特徴を「あっさり、すっぱり、水のよう」にさせていただきます。

Cグループのあぐり西町FC(長崎)は、今日の1試合目で大宮アルディージャに0-3と完敗したあと、良く立て直した。最終戦の対戦相手である兵庫FCとの勝ち点差はわずかに1。負ければ逆転で決勝トーナメント行きはなくなるという状況での2-0勝ちは立派だ。試合内容も終始押し気味だった様子。決勝トーナメントでの活躍が期待される。

Aグループでは昨年の愛知県の第1代表である愛知FCが消え、これでEグループの東海スポーツ(愛知2)とともに、昨年の覇者である愛知県勢がきれいさっぱりグループリーグで姿を消した。少年サッカーで、力のあるチームを毎年作り上げてくることの難しさを感じる。これは余談だが、そういった面からも、新座片山というチームのすごさを、改めて感じずにはいられなかった(といっても、今年度は県予選で敗退してるわけだが、実力的には全国でもトップランクであろうことは間違いない)。

2010年8月2日月曜日

現実を越えた現実

今日、こんな光景を見かけた。


地域の顧客のみを相手に長年営業している、それほどやり手とも思われない自動車整備工場を思い描いて欲しい。

その隣に戸建て住宅なら2軒くらい建てられるかなというくらいの広さの空き地があって、そこにはもうかれこれ10数年前からそのままになっているようなボロ車が何台も置かれている。車種は、20年以上前のポルシェやジャガー、もっと昔のいすゞベレット、初代カムリ、ブルーバードSSSなどを含んだ、まったく統一性のないチョイス。ほとんどのタイヤからは空気が抜け、足回りやドアのすき間には雑草が入り込み、マフラーにはツタがからまっている。

そんな片隅に、昨日、大型液晶テレビの空箱が捨ててあった。私の記憶では、その箱には「REGZA」と書いてあったように思うのだが定かではない。

その大人一人では抱えきれないくらい大きなダンボール箱には白い張り紙がしてあった。

それには、

『おまえには常識がないのか! こんなとこに捨てるな! さっさと片づけろ!』

こんなようなことが、フェルトペンで殴り書きしてあった。



推測するに、最近誰かが捨てていったのだろう。



そこまではいいとしよう。だが、何かそれでは済まないような違和感を感じないだろうか。

私は感じた。そしてそれが何なのかを考えてみた。

まずゴミとしては、どう考えても自動車の方がダンボール箱よりも大物だろうということだ。
自動車は、鉄とガラスとゴムとプラスチックとビニールと塗料、オイルとガソリンのかたまりだ。対してテレビの包装に使われているのは、紙とビニールとプラスチックくらいではないだろうか。重量だってけたが違う。どう考えても車の方が環境には悪い。圧倒的に悪い。

次に、そこに置かれている時間の違いだ。
テレビの箱は、張り紙の様子からしても、箱の汚れ具合からしても、おそらくはここ数日の間に置かれただろうと想像される。一方で車の方は、どうみてもここ1、2年というスパンではない。10年、あるいは20年近く放置されているのではないかとさえ思えるようなものまである。はたして「捨ててある」のはどちらなのだろうか。

さらに考えさせられたのは、この張り紙はいったい誰に向けて訴えているのだろう、ということだ。
このダンボール箱を捨てていった誰かが、この張り紙を読むことがあるだろうか? そしてもしも読んだとして、このゴミを持って帰るなどということがあるだろうか? ということなのだ。

おそらくその張り紙を貼ったであろう、その自動車整備工場の親父さんは、そうすることが問題の解決につながると思ったはずだ。そこにそういう張り紙を貼れば、そのゴミを捨てていった不届き者が改心するであろう、と。

でも、そんなことがあり得るだろうか?



もしその場所へゴミを捨てられたくないのだとすれば、まずは放置したままになっている自動車を片づけ、草を刈り、その場所が「生きている」ことをアピールすべきだ。こうした「生きている」空間にポイ捨てされることはあまりない。

もしその場所へ、自分以外の人間がゴミを捨てることが嫌なのだとしたら、その土地を壁や塀で囲ってしまうしかない。あるいは24時間、監視するかだ。自分が嫌なことを他人にさせないということにはコストと強制力が必要になる。それを負担しないで、他人を自分の思い通りにすることは誰にも出来ない。



さらに、その張り紙を見せられるまったく関係のない者(例えば私)のことなどまったく考えていないであろうこの張り紙を貼った人間の粗雑さに、私はガッカリさせられてしまったのだと思う。

人間は、他の人間の愚かさを知ると落胆してしまう。逆に、他の人間が偉業を成し遂げたりすると、自分まで元気になってしまったりする。それは無意識のうちに、「人間」という枠の中に自分をカテゴライズしてしまうからだ。これは人間が自己を意識する際に、他との差異を帰属の違いに求めることから生じる極自然な感情だ。

要するに、だ。
私が、レグザの空き箱の張り紙に感じた違和感というのは、それを貼った人の気持ちが理解できてしまう、と私が自分で思い込んでしまったことによる、誰のせいでもない自分の内側の感情でしかない、かもしれないということなのだ。

そもそも、そのダンボール箱がゴミであるのかは断じられない。そこに誰が置いたのかもわからない。

【あり得るストーリー例その1】
その土地の持ち主である家族の誰かが薄型テレビを買った。だがそのことに、家族の誰かが不満を抱いた。あるいは、そのテレビとは関係のない理由で発生したケンカの八つ当たり先として、そのダンボール箱が選ばれた。そして上記の張り紙がなされた。それを見た家族の誰かが、嫌味を込めて、家族の誰もが目にするであろう場所に、そのダンボールを移動した。張り紙を貼ったまま。
【あり得るストーリー例その2】
深夜、家電のゴミをのせたトラックの荷台から、このダンボールが落ちた。運転手はそれに気づかずに行ってしまった。早朝、散歩をしていた誰かが、道路の真ん中に落ちているこの大きな箱を目にし、危険だと思って道のわきに避けた。次に通りかかった誰かが、そのままでは風に飛ばされて危ないと、歩道の方へ寄せた。次に通りかかった誰かが、そのままでは通行の邪魔になると、歩道から空き地の方へ寄せた。その土地の持ち主がふと見ると、自分の土地にダンボール箱が捨ててある。「くそーっ、どこのどいつが投棄しやがったんだ!」と、頭に来て張り紙を貼る。
【あり得るストーリー例その3】
自分が買ったテレビのゴミを、そこに捨てた。あるいは、ゴミ処理を請け負った業者が、そこへ捨てた。そして土地の持ち主が腹を立て、張り紙を貼った。

私は、自分で勝手に解釈して、【あり得るストーリー例その3】を採用し、自分で勝手に「違和感」を抱いていた。
事実・現実がどうであるか、とは関係なく、私が解釈した「私の中の事実・現実」によって、自分の感情を揺り動かし、ストレスに近い負担さえ自分で自分に背負わせてしまっていた。

自分自身のことを思うとき、ときに私が抱く感情(怒り、不満、感動、不遇、幸運、などなど)の多くは、こうした「実際の現実とは異なるかもしれない、私の中の現実」によって生じさせてしまっているのではないだろうか、という不安を抱いてしまう。
つまり、だ。
「実際の現実とは異なるかもしれない、私の中の現実」
つまり、
「現実を越えた現実」
によって自分は感情を揺り動かし、考え、判断し、行動しているのだとしたら、それは夢遊病によって街を徘徊しているのと大差ないのではないだろうか、という不安だ。

私たちは、目や耳といった感覚器官と神経を通じて得た情報を脳がどう解釈するかによってしか外界を知ることはできない。自然科学や原子物理、天文、考古、といった分野に限らず、空き地に置かれたダンボール箱のような日常のことですら、私たちは「真の現実」を知ることはできない。私たちが手に出来るのは「私にとっての現実」だけなのだ。

考えてみると、なかなかに怖い世界だなあって思う。
みんながみんな、それぞれの「私にとっての現実」によって感情を動かし、判断し、行動しているのだから。

みんなが自動車を「私にとってのルール」で運転したとしたら、あちこちで事故が起こって交通は機能しなくなるだろう。
しかし私たちの社会は、機能不全に陥ることなく、どうにか日々回っている。
これは奇跡に近い。
もしこの奇跡に少しでも狂いが生じると、東アフリカのソマリアのように、社会は機能しなくなる。
それくらい私たちが生きている社会というのは脆(もろ)いものなのかも知れない。

サッカーという競技についても同じだ。
同じ空間の中で22人がプレーし、それを3人の審判がさばいている。周囲には他のチームメイトがいたり、コーチや監督がいたり、サポーターがいたり、観客がいたりする。テレビカメラを通じて、切り取られた画面に見入っている視聴者もいるかもしれない。
同じ試合を見たとしても、間違いなく、これらの人々が見ているサッカーはそれぞれ違ったものであるはずだ。
であるにもかかわらず、私たちはサッカーに夢中になっている。サッカーが面白いから。楽しいから。

同様に、いまの社会についても、面白いと捉(とら)えることが出来れば、楽しいと感じることが出来れば、私たちはこの社会で生きることに夢中になれるのではないだろうか。そうなれば、きっと悲しい事件はなくなっていくような気がする。

社会について、それを面白い、楽しい、と感じるカギは、結局のところ自分の中にある。
私たちが、構造上、真の現実を捉えることが出来ない以上、私たちを苦しめている(かもしれない)現実は、全て自分の中にしか存在していないのだから。

優勝 埼玉県選抜チーム

この子は、西上尾キッカーズの子だろうか?
私の目には、とても似ているように見える。
ただ、至近距離からじっくりと顔を見たことがないので、なんとも心許ない記憶でしかないのだが。
もしそうであるなら、北足立郡北部地区の少年サッカーを応援する一ファンである私としては非常に喜ばしいことだ。
いかんせん個人情報保護のためなのか、どこにも名前が紹介されていないことが残念でならない。


埼玉国際ジュニアサッカー大会2010


埼玉県選抜チーム


第34回全日本少年サッカー大会 1次リーグ折り返し

第34回全日本少年サッカー大会の1次リーグが2日目を終えた。

各グループの短評

Aグループ
愛知県の第1代表である愛知FCが抜けていると思ったら、なんとなんとの本日、奈良県代表のディアブロッサ高田が1-0で愛知FCを破ってしまった。愛知FCが最終日に柏レイソル戦を残していることを考えると、Aグループの1位抜けはディアブロッサ高田となる可能性が高い。得失点差ではレイソルが愛知を4点も上回っているので、直接対決の結果次第では、まさかの愛知FC、グループリーグで脱落、という展開もあり得る。
柏レイソル vs 愛知FC 戦は明日8月3日の第1試合(9:30開始)。

Bグループ
栃木代表のFCアネーロ宇都宮と、広島代表のシーガル広島が、ともに勝ち点9で抜けている。3位との得失点差を考えると、この2チームのグループリーグ突破は確定的。

Cグループ
3連勝で現在グループトップのあぐり西町FC(長崎)は、最終日に大宮アルディージャ戦と兵庫FC戦を残しているのでかなり苦しい。大宮アルディージャは1位突破確実。兵庫FCも2位通過が濃厚。私があぐりのコーチだったら、10:30からのアルディ戦は捨てて、14:30からの兵庫FC戦に全力で挑むことを考えるのだが、はたしてあぐりのコーチはどうプランニングするのか。

Dグループ
混戦。最下位のフォルツァ松本(長野)にも、リーグ突破の可能性は十二分にある。

Eグループ
今日、アントラーズがアルビレックスを破ったことによって、大乱戦の大混戦グループとなった。口蹄疫汚染の影響で宮崎県代表の枠が空席となってしまったことが、この混乱の遠因であることは否めないだろう。試合数が多いのも大変だが、少ないというのもいろいろ難しいものなのだ。

Fグループ
やはりという感じで、このグループでは神奈川県代表のバディーSCがトップに立っている。鹿児島県代表の太陽SC国分戦と、コンサドーレ札幌戦をすでに終えていることを考慮すれば、バディーSCの首位通過は決定したといっていい。
現在2位の十市少年SC(高知)は、最終日にコンサドーレ戦と太陽国分戦を残している。明日10:30開始のコンサドーレ戦で勝つか引き分けたとしても、グループを突破できるかどうかは最終戦の太陽国分戦次第だ。
コンサドーレは、十市戦で勝てないと「バイバイほぼ確定」となる。今日の試合のロスタイムで、太陽国分に追いつかれたのが本当に痛かった。

Gグループ
4混2弱のグループ。2弱の一角が、いじわるな性格でお馴染みの静岡県代表であることから、高部JFC(静岡)との対戦を残しているレオーネ山口(山口)は厳しいだろう。静岡県民は、「ヘビの国の王子様」というか「AKB48の楽屋裏(想像)」というか、そのくらいさわやかに他人の足を引っぱることができる人たちだ。静岡県の特徴を示すキーワードは「笑顔、白い歯、文武両道、公私混同、嫉妬、隠蔽、無責任」。明日、レオーネ山口の子たちは、悔し涙にくれることだろう。高部JFCの子らは、それを見て高笑いするはずだ。
予選通過はソレッソ熊本と丸亀FC(香川)。

Hグループ
ここは5強1並。
ヴァレンテとおの以外は、横一線といっていい。しかし3連敗で勝ち点0のヴァレンテとおの(岩手)も、決して弱いわけじゃない。
このグループを突破しても決勝トーナメント1回戦の対戦相手はAグループの1位2位となるので、残念なグループでもある。

第34回全日本少年サッカー大会のハイライト動画

JFAの動画サイトに、第34回全日本少年サッカー大会のハイライトが置いてあった。

http://www.jfa.or.jp/jfatv/index.html?CategoryID=18&MovieID=346

でも、あまりにもハイライト過ぎて、まったく面白くない。
いっそのこと、ネット中継してしまえばいいのに。

2010年8月1日日曜日

第34回全日本少年サッカー大会 決勝大会始まる

http://www.score-book.jp/scoredata/football/u12the34/index.html

このページのおかげで、遠く離れたJヴィレッジの様子をうかがい知ることが出来る。
大会事務局には感謝感激である。

初日の意外な結果は、

・柏レイソルが、奈良県代表のディアブロッサ高田に1-2の逆転負け。

終始押される中、後半9分に先制したのもつかの間、同14分に立て続けに失点しての逆転負け。
監督さんも動揺したであろうことが、選手交代の様子からも想像できる。
これだから少年サッカーというのは怖い。

・アルディージャが兵庫FCに1-1の引き分け。

くらいで、あとはそれなりに想定の範囲内といった滑り出しを見せている。

好調な愛知FC(愛知県第1代表)がAグループで1位抜けをすると、決勝トーナメント1回戦でHグループ2位と当たる。
Hグループで予選リーグ通過が予想されるFC上西郷(福岡県)とファナティコス(群馬県)としては、対愛知FC戦を避けるためにも、できれば1位で抜けたいところだ。

仮に愛知FCが決勝トーナメント1回戦を勝ち上がった場合、次に当たるのはBグループ1位とGグループ2位の対戦の勝者となる。

BグループとGグループの両グループは、どちらも抜け出たチームのいない混戦グループだ。
どのチームにも1位突破の可能性がある。
となると難しくなってくるのが、Bグループで1位となるか2位でもOKとするかの判断だ。
Bグループ側にしてみれば、対戦するのはGグループの1位だろうが2位だろうが、実力的には大差のない戦いになることが予想される。
あまり先のことを考えると鬼が笑うかもしれないが、それでも次に愛知FCとやる可能性を残すよりは──という思いは、頭のどこかに引っかかるかもしれない。
まあこれも、意図的に2位通過を狙うというより、もしBグループで1位になれなかったとしても、それはそれでかえってよかったかもしれないと思えば気分も違ってくるかもね、という程度のことなのだが、こういう視点も持って予選リーグを見ると、面白さがなお一層増すというものだ。