2010年8月10日火曜日

お盆特集 日本の子供がもし100人だったら

お盆特集ということで、適当な話を適当に。

もう何年も前に、『世界がもし100人の村だったら』とかいうタイトルのバカ本がブームになったことがある。
「バカ本」というのは、読者のことをバカだと思っているバカが書いてバカが出版した本のことだ。もちろんわたしの造語である。
実はわたしも、わたしを含めすべての人間は例外なくバカであると確信しているので、このバカ本にならって日本の子供たちについて愚論を述べる。

日本の子供の数がもし100人だったとしたら、100人が100人ともひとりっ子であるよりも、4人兄弟が25組であった方があらゆる面で世の中を良い方向へ牽引する力を持つ。
親の立場に立ってみれば、100の家庭にそれぞれ1人ずつ子供がいた場合、一度しか使わないものをそれぞれが似たようなタイミングで買っては捨てていくことになる。子育てにかかる手間も一度きりでは、子育てのノウハウもスキルも蓄積できない。若くてエネルギーに満ちた新婚期の時間も、子育てにほとんどもっていかれてしまう。
一方で4人兄弟だった場合は、いろいろなものを使いまわすことが出来るし、上の子が下の子を面倒みることもできるし、経験し学んだ子育てのノウハウやスキルによって、子育てを効率化省力化することもできるようになる。
経済の面でも、すでに持っているオモチャや本は買わないで済むのだから、選択の幅は縦(価格)にも横(分野)にも広がる。むかし各家庭にオーディオセットや百科事典、天体望遠鏡や顕微鏡、ピアノ、家族旅行、という言葉がふつうに存在していたのにはそういう理由があるからだ。今は何でもあるから物が売れない、のではない。買ってもムダになるから物を買わない、のだ。そして音楽も、本棚も、会話もない家庭が日本中に誕生してしまった。
教育の面では、まず兄弟がいることで自然と社会性が身に付く。逆に言えば、兄弟がいないと社会性は身に付かない。頭で考え計算して、知識としての「社会性」は学ぶことが出来ても、群(むれ)で生きるヒトという生物として本当の意味での社会性は体得できない。
また触れる世界が自分と同じ年代だけだと、世界の広さや深さを知ることができないまま青年になってしまう。兄きの部屋にあるエロ本や自動車雑誌やパソコン雑誌や小説なんかを盗み見たり、姉貴の女友だちのめちゃくちゃな会話を聞いたり、弟のアホさにあきれたり、妹のうっとうしさにいらついたりしているうちに、自分のいる世界の枠が広がっていくのだ。それもタダ、ふつうに生活しているだけで。

兄弟姉妹を複数、それもできれば3人以上いる家庭を増やすことが日本を活性化することになる。
わたしに言わせれば、ひとりっ子家庭が増えるくらいなら、むしろ子無し家庭が増えた方が、日本は活性化する。
最悪なのは、ひとりっ子家庭が水イボのように日本を覆い尽くすことだ。
そうなるとその社会は停滞し、暗くなり、沈んでいく。
ひとりっ子ばかりを30人、ひとつの教室や会議室に集めたらどうなるだろうか。
ひとりっ子ばかりでパーティを組んで、登山や冒険に出かけたいと思う人がいるだろうか。
自分の手術を、ひとりっ子ばかりの医療スタッフにまかせて安心できるだろうか。

子供手当を子供一人当たりで支給するのは、何の解決にもならない。
日本がやるべきなのは、子供ひとりだけでは損をするような社会作りだ。
一人目には0円。むしろいろいろ負担をさせて、マイナス感を持たせるくらいの方がいい。
でも二人目が生まれたら、毎月3万円支給。
三人目が生まれたら、さらに5万円プラスの毎月8万円支給。
もし四人目まで生まれたら、さらにさらにの10万円プラスで毎月18万円支給の、さらに公共の保育支援を優先的に受けられる権利を与える。五人目以降は、子育てのスキルも名人級になっているので、支給額さらに5万円増に戻る。

こういう発想のことを「政策」という。
全員平等とか、一律いくらとか、全国一斉とか、っていうのは「政策」とは呼ばない。
入院している患者全員に、同じ薬を、朝6時一斉に飲ませるような行為を「医療」と呼ぶだろうか?

一般的にこのような行為のことをどう呼ぶのか。
確かわたしの記憶では「実験」と呼んだような気がする。

【実験に用いられる動物のリスト】
ハツカネズミ、モルモット、ウサギ、サル、そしてヒト(ニッポン種に限る)。

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