2010年8月21日土曜日

日本代表の新監督が決まらない。

日本代表の新しい監督が決まらないらしい。
それはそうだろう。
直近の2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会であんなサッカーを見せたあとなのだから。
ワールドカップで日本が見せたサッカーも、ワールドカップに出場していた日本代表の選手たちも、魅力はなかった。
がんばったとは思う。結果も、期待以上のものだった。だがこれは日本国内での話だ。
大会を通じて日本代表に目を惹かれた海外メディアも、選手に食指を動かしたスカウトも、指揮してみたいと感じた一流指導者もいなかった。これが現実だ。日本の選手を使えばスポンサーがついてくる。日本で監督をすれば経済的に大きい(円高だし)。でも、日本代表だった選手たちはヨーロッパの一流チームからは忘れられ、日本代表というチームのことも、世界から忘れられてしまった。

そりゃ、あんなサッカーを世界の目にさらしたんだから、当たり前の帰結だ。
自業自得。

「代表選手があの程度の国へ行っても、自分の指揮力は活かせない」
「代表選手があの程度の国へ行っても、自分にできることはない」
紳士的な人はこう考えるだろう。

しかし言わんとすることは、一流のシェフが調理したからといって場末の店の日替わり定食がミシュラン三つ星クラスの味になることはない、ということだ。素材も調味料も設備も器具も整って、初めて一流は一流になりうる。
「弘法筆を選ばず」ということわざも、元々は「弘法筆を選ぶ」であって、その意味は、いくら名人でも筆が悪ければ良い字はかけない、だった。一流は一流を知る。あるいは「見極めてこその名人」ということなのだろう。

当面は日本のサッカー事情のことをよく知っている人に、日本代表監督をしてもらう以外に選択肢はない。
それこそJの今シーズンが終了するまでは、岡田前監督にやってもらって、「お前のやりたかったサッカーを、思う存分見せてくれ」と肩をたたいてピッチに送り出してみて欲しい。このまま逃げさせたら、日本サッカーのためにも岡田氏本人のためにもよくない。
俺がやりたかった日本代表のサッカーってのはこれなんだ! というのを、岡田責任逃れ雲隠れ武史前日本代表監督には、日本のサッカーファンに見せる義務がある、と私は思う。
このまま全部うやむやにして頬被りして、ほとぼりが冷めた頃に協会の役員に収まって高給と権力いただきでは、日本サッカーのためにならないと確信しているからだ。

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