2010年8月8日日曜日

全日本少年サッカー大会決勝戦 日本型ドリブル観からの脱却

ディアブロッサ高田は7番の選手から攻撃を作ろうとしているのが、試合を見はじめてすぐにわかった。
監督からの指示はどうだったのかは知る由(よし)もないが、高田の子供たちの意識は、明らかに7番をまずさがしていた。
高田の子たちは良く訓練されているというのもわかった。
チーム全体の個人技のレベルは、バディーの選手たちよりも上だった。
ただ気になったのは、視野の狭さと、発想の柔軟さが見られなかったことだ。

視野の狭さというと誤解を受けるかも知れない。
高田の選手、特に8番の選手などは逆サイドも見えていた。しかし、その見ている方向に意外性がないのだ。
目の前の直近と、ほぼ真横方向の逆サイド、高田の選手たちの視野はこの2方向しかない。おそらくはそういう形の練習を積んできたせいなのだろう。
ドリブルも上手で、パスもつながるが、私が興味をひかれるようなプレーは最後までなかった。
珠算塾や公文の暗算コンテストを見ているかのような「すごいね」しか感じられなかった。

それはそれですごいことだし、立派なことだとは思う。が、これなら去年も見られたかもしれないし、来年も見られるだろうな、プレーする選手は違う子だろうけど、というたぐいなのだ。今年の今、このときしか見られない、という選手たちではなかった。

そういう意味では、バディーの17番の選手は、今年のこの時にしか見られない小学生のプレーを見せてくれた。
彼は体格もいいが、何より素晴らしいのは、頭のよさと視野の広さ、そしてプレーイメージの柔軟さだ。
視野の広さという点では、日本人にはこれまでにあまりみられないくらいのものを持っていた。
ちなみに、ふつう「視野が広い」というと「遠くまで見えている」ことだと考えがちだが、サッカーやバスケットボールにおける視野の広さとは、単に遠くが見えていることではない。

キーワードは「俯瞰(ふかん)」だ。

水平方向視野では高性能な望遠レンズでも感知できないようなスペースも、俯瞰(バードアイ:上から下を見る)視野に立ってみると発見できることがある。
それは、自分のすぐうしろや、寄せてきているマーカーの陰にフリースペースがあるような状況だ。
決勝戦後半にバディーの17番がペナルティエリアでターンしたシーンがまさにそれだった。
広い視野とは、遠くを見ることではなくて、上から見ているようなイメージで周辺状況を分析できる能力のことなのだ。

ボール扱いではディアブロッサ高田の選手の方が上だろうと書いたが、頭のよさではバディーの選手の方が上回っていた。特にゴールキーパー、5番、11番、そして17番は、とても頭がいい選手なのだろうと思えた。
サッカーのプロ選手になれるのはディアブロッサ高田の選手の方が多いと思われる。あれだけ動けて、ドリブルができる選手は、見込みがつきやすいし、好不調の波も小さいから。J下部のセレクションに通過しやすいのも、こういうタイプの選手たちだ。
しかし、こういってはなんだが、その手の選手はJ2に腐るほどいる。
そしてわたしはそういう選手たちのプレーに魅力は感じない。
限界まで体力を消耗し、ガッツあふれるファイトには、真夏の甲子園を見るのと同じ感情で応援したくはなる。でもそれは決して、サッカーという競技の魅力にひかれてのことじゃない。
バディーからプロにまでなれる選手は17番だけかもしれない。その17番の選手にしても、もちろん今後はわからない。
しかし、プロにならなかったとしても、人生の目標を見失うような事態には陥らないはずだ。彼らはちゃんと自分で考えることができていたから。

日本でドリブルというと、足下でボールを細かく運ぶことというイメージになったのはいつ頃からだろうか。
どうも私は、セルジオ越後のサッカー教室が、悪い形で影響してしまったのではないか、という気がしている。

ドリブルはあくまでもサッカーにおける戦術の一部でしかないのに、まるでそれが個人の能力の証であるかのようなイメージを持たれてしまっている。そしてそのドリブルも、相手ディフェンスを「抜く」ドリブル限定で、「キープ」するドリブルは含まれない。こんなドリブル観を持っているのは、日本のサッカー界しかないのではないだろうか。少なくとも私には、他国でこのようなドリブル観を見聞きした経験はない。

そろそろ、こういう日本だけのドリブル観から卒業してもいい時期なのではないだろうか。
日本式ドリブルの上手な子というのは、やたらと暗算の得意な子供みたいなもので、北朝鮮のリフティング曲芸師とそう大差ない偏った能力の持ち主になってしまう可能性さえある。これは非常にもったいないことだと私は思うのだ。

決勝戦で負けたディアブロッサ高田が、見ていて応援したくなるようなサッカーを見せてくれていた一方で、どうすればこの選手たちに「頭を使う」ことを学ばせることが出来るのかなあ、と考えてしまった。
安定して強いチームを作るには、走り負けない+足下のドリブル強化、は指導の黄金方程式だとは思う。
江南南なども、こうした方針でチームを作っているのではないかと想像している。
でもそれで良かった時代は、2002年で終わってしまった、と、私は確信している。
ヨーロッパにおける育成の重点は、すでに「足下の技術」から「頭を使う技術」へと明確に移行したように思うのだが、いかがだろうか。

1 件のコメント:

  1. 私は サッカーをあまりしりません ですが 今の日本代表の試合を見ていると、あまりに不甲斐無いと思えるのは私だけでしょうか、 日本のサッカーでいま一番足りないのは、個人技に長けた人材だと、思います。 あのバルセロナだってメッシがいないときの試合は得点出来ない状況にあると思います。確かにドリブルだけでは、勝つことは難しいでしょう。でも育成年代のサッカーはある意味で、個人技を目指すことに重点を置いてほしいと思います。その意味では、高田が取り組んでいるサッカーは間違っていないと思います。 プロなら観客を魅了するようなサッカーをしてほしいものです。 私は高田の関係者ではありませんが
    やはり個人技に特化したクラブチームの保護者です。

    返信削除