2010年8月14日土曜日

お盆特集 いらないもの 健康

「健康」なんかいらない。
そもそも生命の誕生そのものが不健康ではないか。
「そうよ! ふしだらだわ」とかいう意味での倫理的に不健康ということを言っているのではない。
「健康」の指す状態が「欠陥のない」を意味するのであれば、整っていた遺伝情報をわざわざ半分にして、それを他人の遺伝情報と混ぜ合わせる「受精」という行為を「不健康」だと言っているのだ。
こんなことをして不具合が起きないわけがないではないか。
まあもっとも、こうした不具合の中から偶然に生き残ったものを、我々は「進化」と呼んで尊んでいたりするんだから、元々不具合こそが本来の姿なのかもしれないが。

受精からしてこの体たらくなのだから、生まれてきた個体に欠陥がないことなどあり得ない。
欠陥がないことを「健康」と言うのであれば、生命は誕生したときから「不健康」なのだ。

健康の反対は「病」だろうか?
健康ではない状態「不健康」とは「病」を意味しているのか?

「病」は「不健康」の一部でしかない。「不健康」の意味するところはもっと広い。
というよりも「健康」として許される範囲が非常に狭く、そこから外れれば全て「不健康」なのだ。

妙なことに、自分が健康でないと不安になる人がいる。それも大勢。
100点じゃないと不安なのだという。99点では不安なのだ、と。
国語で100点取ったら、次は算数。算数でも100点取ったら、今度は理科。理科で──というように、100点を取れなくなるまでテストを受け続ける。そして何番目かのテストでお望みの90点が出ると、「ああ、自分は健康じゃないんだ」と落胆する。

何が完璧なのかなんてものは、ものさしが変われば変わるものなのだ。
書店やCDショップをのぞいてみればいい。
それこそ専門家やプロや才能がある(らしい)人たちが生産した作品がずらっと並んでいるが、見向きもされていない。リサイクルショップや新古書店の100円ワゴンに積まれているオレンジレンジや浜崎あゆみや倖田來未や元ミリオンセラーアルバムは、完璧なのかゴミクズなのか?

健康かどうかなんていうものさしも、あるいは、何が健康なのかというものさしさえも、時が経てば、社会環境が変われば、すっかり変わってしまうものなのだということを忘れてはいけない。
生命そのものも、進化という仕組みも、完璧さを崩すことからスタートしていることを理解しなけれいけない。

チビでデブでハゲでバカでブスだと悩んでいる人は、グラビアアイドルや二枚目俳優には確かになれないだろう。でも、それ以外にならなれるんだということも忘れないで欲しい。

完璧からはブレイクスルーもブームも生まれない。

この世界は完璧にはほど遠い。
そういう意味では、この世界は健康じゃない。
でも、健康じゃないけど、そんなに悪くもないじゃないか。
それでいいんじゃね?

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