2010年5月27日木曜日

もっと応援を楽しまないと!

先日、上尾市の平方スポーツ広場で開催された、2010年第34回全日本少年サッカー大会埼玉県南部地区予選を観戦した。
暑すぎず風もないという天候にも恵まれて、どの試合でも子供たちは内容のあるサッカーを見せてくれた。
私は地元北足立郡北部地区代表のユベントスを特に注目していたわけだが、その安定した試合運びと勝ち上がりっぷりは実に頼もしく、スコア以上の力量差を感じさせるにも充分すぎて、とても満足させてもらえた。逆に優勝候補同士の対決かとかなり期待していた第一戦目の浦和尾間木対川口アビリスタ戦にはがっかりさせられた。両者とも気合いが入りすぎたのか、意気込みすぎたのか、それともいつもそうなのかはわからないが、とにかくドタバタしたゲームだった。選手たちもドタバタしていた。あれではサッカーにならないのも仕方がない。案の定前半8分にはどちらもスタミナが切れ、あとはグダグダした展開がダラダラ続くだけの試合となってしまった。結果も、決定的なチャンスを外した浦和尾間木が負けたというだけであって、あれではアビリスタも「俺たちが勝ったのだ!」とは胸を張れないだろう。結局消耗しすぎた体力はこの日一日回復せず、勝ち上がったアビリスタは第二戦目となった代表決定戦でも「しょーもなー」という内容になっていた。もし相手がもうちょっとバランスの取れた戦力を有していたら、彼らが代表権を得られていたか、かなり怪しい。まあ相手となった大宮春岡も、10番君のキック頼みのみというチームだったので、どっこいどっこいだったとも言えるが。

本部テントのある側から試合を見ていると、向こう正面にいるパパさんママさんたちがよく見えた。
チームベンチのある側に、そのチームの応援団がいるので、どれがどこの応援なのかもわかりやすくて良かった。
私はすばらしい戦いを見せてくれた子供たちとチームスタッフには、ありがとうという感謝の気持ちしかない。年季の入った横断幕も伝統を感じさせてくれたし、おそろいのシャツに身を固めた保護者さんたちからも一体感が伝わってきた。だがそれは、ユベントスの応援席を除いてだ。
上尾ユベントスJFCの地元、上尾平方スポーツ広場が会場であるにもかかわらず、ユベントスの応援が一番少ないというのはどういうことなのだろう。他のチームは、遠く浦和の尾間木や川口、新座からもたくさん来ているというのに。
みな会場の設営・運営スタッフとして、裏方仕事に従事していたのだろうか。それにしたって、選手たちの兄弟やおじいちゃんおばあちゃんや、学校の友だち、あるいは北足立郡北部で互いに戦った他のチームの仲間たちやその関係者だっているじゃないか、と思うのだ。
ここで海外の例を出しても、「だから何? ああ、おたくリベラル系? 海外進んでる、日本遅れてるっていうアッチ系?」と笑われるかもしれないが、それを覚悟で私のささやかな経験をいくつか紹介する。
まずアメーリカ。
ここは少年サッカーではなくて、少年野球だったが、ちいさな大会であっても家族総出で応援に駆けつけていた。仮に仕事があっても、休みを取って応援に来ていた。おじいちゃんやおばあちゃん、ペットのでかい犬、兄弟姉妹。お兄ちゃんは彼女を連れて、お姉ちゃんは彼氏を連れて、弟や妹たちは、幼児用のユニフォームに身を包んで。白人黒人ヒスパニック関係なく、バーベキューセットとビールを広げて、ワイワイギャーギャーと応援をしていた。
ブラジルでは家族だけじゃなく、近所の人まで応援に来ていた。ただ通りかかった、まったく知らない人も試合を観戦していた。ただブラジルでは、一見「あんた間違いなくホームレスっしょ」って風ぼうの人が、元プロサッカー選手だったりするからあなどれない。審判なんかは、地元の開業医だったり市議会議員だったり、警察官だったり軍人だったり社長さんだったり、そういう人がわれ先にといった感じで、順番待ちするくらいの人気ボランティア職だ。
イタリアでは、教会の裏にある小さなグラウンドで毎週末試合をしていて、ご近所さんみんなが応援していた。
スペインでは遠くにいる親戚までが、朝早く車でかけつけてきて甥っ子の応援をしていた。
カナダのバンクーバーでは(サッカーではないが)、地元のアマチュア自転車レースなのに、街の中心街を閉鎖して、街全部で応援しているのにも出くわした。

それらの応援だって、日本のように“品が良い”ものばかりではなかった。
審判の判定にはクレームを付けるし、良いプレーには敵味方関係なく拍手、悪いプレーには敵からは罵声、味方からは無声。
とにかくうるさい。
特にブラジルはうるさかった。
もう二十年以上昔のことだが、その当時のブラジルは卑怯なプレーに厳しかった。審判の目をぬすんでずるをするような選手をすべての人が軽蔑していた。ブラジルのある年齢上の層に未だマラドーナが認められていないのは、おそらくそうした理由からだと思う。

私の知っているブラジルは、おばあさんを殺して金を奪う奴はいても、孫の振りをしておばあさんから金をだまし取る奴はいない国だった(でもこれからは、日本でノウハウを覚えた出戻りブラジル人が、オレオレ詐欺系の犯罪をやるんだろうなあ)。
だから、たとえ審判が見逃しても、観客がそういう振る舞いを見逃さないんだから、自然とそういう行為はなくなっていく。360度全方位から監視されていてずるはできないんだから、あとは自分が上手くなるしか試合に勝つ手段はない。だからブラジルの選手たちは、どんな環境に行っても実力を発揮できるのだろう。つい昨日だったか一昨日だったかに破産した東京読売べるでー1969~2010には、「マリーシア」という言葉で、汚く卑怯なプレーをさも世界の常識かみたいに喧伝する最低のスポーツマン、もとい、スポーツマンの看板を掲げたいかさま師どもが多数所属していたようだが、彼らのおかげでどれほどの数の子供たちが悪影響を受けたかを考えると、その子たちが主戦力に育っている現在の日本サッカーの体たらくもむべなるかなという思いがしている。

ユベントスの親御さんたちは、南部予選の通過くらいは当たり前だと思っていたのだろうか? 負けるわけがないと思っていたのだろうか? だとしたらそれはうぬぼれであり、慢心である。勘違いである。ユベントスというチームは確かに面白いチームだが、それほど圧倒的に強いチームでなない。ちょっとしたことでどんなチームにだって負ける可能性のある、まだまだ未完成なチームだ。
サッカーには必ず勝つチームもなければ、必ず負けるチームもない。ましてトーナメント戦なんてのは、何が起こるかわからないし、少年サッカーはわずか20分ハーフなのだ。一瞬のことで、試合の勝敗が決定する。それが少年サッカーであり、それが少年サッカーの醍醐味なのだ。なのになざ応援に来ないのか。

盲腸の簡単な手術だからといって、付き添いにも見舞いにも親が来なかったとしたら、子供はどう思うだろうか。
隣のベッドの見舞いの品を見ながら、何もない自分のベッドで眠りにつくわが子を想像したことはあるだろうか。
激しい接触プレーで自分は被害者なのに、さも相手の方が被害者で自分のことを加害者のように言っているかのように聞こえる歓声を耳にするわが子のことを考えたことがあるだろうか。
痛みにうずくまり、たった一人でそれに耐えているのはあなたの子なのだ。
すぐそばでは、ラフプレーをした子が「大丈夫か! がんばれ! やれるぞ!」と励まされている。あなたの息子は、ジョン・トラボルタとキアヌ・リーブスとルイス・フィーゴを足して、どれかを引いて、何かをかけて、泡盛で割ったような、新日ファン風のコーチがのそのそと来るのを、ほほを土につけたまま奥歯を噛みしめて待っている。
そのとき応援に来ていない母親は何をしているのだろうか? テレビを見ているのか? まだベッドの中なのか? それとも趣味のテニスにでも出かけているのか? 父親はゴルフか? 政治討論番組を見てくだを巻いているのか? 
「民主党はダメだなあ~、鳩山は頼りにならんなあ~」
アホか。ダメなのも頼りにならんのもお前じゃ。お前の分身が闘っているんだぞ。痛みに耐えているんだぞ。歯を食いしばっているんだぞ。敵の応援団から非難され、バカにされているんだぞ。お前は何をしてるんだ? 一生そのままか? なんてことを言うつもりは(あまり)ないが、でもあなたの子が小学6年生であるのはこの1年間だけだし、ずっと何年間も一緒にやってきた仲間たちとサッカーができる最後の一年間を見届けてあげられるのも、この一年が一生で最初で最後なのに、もったいないんじゃないのかなあ、と言いたくはなる。

脅かすわけではないが、生きている限りいつ死ぬかはわからないのだ。
30代でガンになれば、あっという間にこの世とお別れだ。反対車線の車がふっとハンドル操作を誤れば、あっと思う間もなくぐちゃぐちゃだ。加藤○○や宅間××、あるいは数日前の大阪の女みたいなののそばを、あなたの子供がたまたま通りかかっただけで、残酷な現実が目の前に突きつけられる。時はもう二度と戻らないのだ、と。

酒が飲めるようになった息子から、ある晩、
「あの時、応援がすごくて恥ずかしかったよ」
と言われるくらいの応援ができることは、とても幸運なことであることを知って欲しい。そして、
「でも、すっげえうれしかった」
って言われるような人生は、親として最高なんだってことを覚えておいて欲しい。

カントは、人間が動物でない証は、何かのためではない行為ができることにある、と論じた。
動物は、何かの為ではない行為をすることはできない。腹が減ったから食べるし、怖いから吠える。
しかし人間は、自分がやろうと決めたことをすることが出来る。それが何の見返りのないことであっても。そしてそれができることが、人間と動物とを分けている決定的なラインなのだ。

試合に自分の子が出られないからと言って応援に行かないのは動物と同じだ、とカントは言っている。
応援したからって勝てるわけじゃないし、自分には自分のしたいことがある、と応援に行かないのは動物と同じだとカントは言っている。
自分が応援したいから応援に行く、これが人間なのだ。
試合が面白いから、わが子が出るから、応援に行かないと世間体が悪いから、だから応援に行く、ではない。それではダメだ。

ただ応援に行く。

それが答えだ。

世界中の人が同じように応援に行ったら、世界中が幸せになる。そうだからこそ応援に行くのが人間なのだ、とカントはいっている。これを『カントの定言(カテゴリー)的命法』という。

ちなみにヨーロッパやアメリカへいくと、どんな小さな街にも立派なスタジアムがあって驚いたことはないだろうか。
あれは文化として、アマチュアスポーツが盛んだから、が理由ではないことをご存じだろうか。
あれは街中の大人たちが、街の子供たちのサッカーや野球を毎週末観戦するからできあがったものなのだ。
もし街中の大人たちが利用する施設でなかったら、例えば少年サッカーチームにわが子が所属している家庭だけとか、あるいは草野球チームに参加しているおっさんたちだけとかしか利用しない施設だったとしたら、税金でその施設を建設したり維持したりすることに賛否が分かれるのは当たり前だ。みんなの税金なのだから。
毎週末、少年サッカーや少年野球の観戦者で街のグラウンドがあふれるようになれば、そういう市民の声が自然と行政を動かすようになる。なぜなら観客である市民は選挙民であるから。
自分たちのことに税金を使うことへは誰も文句は言わない。施設が先ではないのだ。まず観客が先だということを、立派な街のスタジアムが欲しい人は忘れないで欲しい。
屋根付きの観客席や仕事帰りでも観戦できるナイター設備、雨でもしっかりプレーできるピッチは、選手ではなく観客のためにあるのだ。そして観客を増やすには、まず選手たちの親や兄弟、親戚が応援に行き、声をあげることが第一歩となる。わが子がOBになったとしても、自分たちのチームとして応援は続けてあげて欲しい。ライバルチームであっても、代表になったからには、心を鬼にして、応援してやるという気概が欲しい。
そうなればいつの日か、北足立郡北部の各街に、ナイター設備と屋根付き観客席のあるスタジアムが出来ていることだろう。広大な芝生のグラウンドが何面も荒川河川敷に並んでいることだろう。そして毎週末には、スポーツを楽しむ歓声が絶えない街となっていることだろう。
そういう未来を、私は夢みている。

2010年6月6日(日)に埼玉スタジアム2002で行われる県大会では、ユベントスカラー(たぶんエンジ色?)を身にまとった応援団がスタジアムにあふれることを期待している。あんなに寂しい応援席を再び目にすることになったとしたら、懸命に闘うであろう子供たちが可哀想だ。
鴻巣FCのカラーは(おそらく)濃いブルー、ユベントスは(おそらく)エンジ色。
時間がなくておそろいのシャツを作れなくても、庶民の味方、世界のユニクロがあるじゃないか。
誰のためでもなく、ただ自分のためだけに、6月6日(日)は埼玉スタジアムへ足を運んで、声を張り上げて欲しい。
それがあなたの人生になるのだから。

2 件のコメント:

  1. はじめまして。
    いつも興味深く拝見させて頂いております。
    ユベントスの事を補足として少し記載させて頂きます。

    応援ですが、ほぼメンバー全員の父兄はおりました。ただ荷物番、本部、応援、撮影等に分かれていた為少なく見えたかもしれません。会社を休んだり、抜けて来た方もいらしたようです。
    県南大会を勝ち抜き、県大会に行けるのはとてもラッキーな事だと思います。この大会で県大会に出場するのは6年ぶりらしいです。柳崎、新座エース共に強豪ですし、個人的には1点差の苦しい試合になるだろうと思っていました。
    県大会では、多くの応援を期待しつつ、メンバー、関係者には楽しく、全力を出し切れるようがんばって欲しいと思います。

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  2. 県大会では、ユベントス応援席で、たくさんの応援者を見ることが出来てほっとしました。
    私は県内に限らずいろいろなチームを見ていますが、ベスト状態のユベントスは、もっと自信を持っていいチームだと思っています。
    「1点差」などとは言わず、もっと上を目指すべきです。別にプロを目指す必要はありませんが、「自分たちはここまで。この程度」という限界の天井を突き破る経験は、子供たちの人生に、かけがえのないアクセルとして働くことでしょう。
    川口アビリスタにだって、勝って当然のチームですよユベントスは。ちゃんとやれば。6日のあれでは負けて当然ですけど。
    県大会へ行けるのはラッキー? とんでもないです。北足立郡北部の代表として、県大会へ行かなければいけないチームです、御チームは。そして簡単に負けては行けないチームです、地区の代表として。たくさんのチームが御チームに負けて、涙をのんでるんです。それだけの責任があるんです。それなのに、どうしてあのような試合を…。
    県大会は応援に行かれたのでしょうか?
    ちゃんと見ていたのならおわかりだと思います。
    彼らが実力の3分の1も出せていなかったことを。
    その原因を、チームにたずさわる大人が、子供たちの親が、究明し、解決しない限り、大人たちは子供たちの可能性を閉じ込める殻でしかありません。
    どうか、子供たちの可能性を広げる力となってください。
    江南南や新座片山、三郷レジスタの応援を見て、恥ずかしいとかいってられますか? あの人たちは、本気で子供たちを信じてるんです。あなたは本気でしたか? 「ラッキー」なんて思ってたんじゃないですか。「ラッキー」ということは、子供たちの実力じゃないという意味ですよ。
    高価なスパイクを買ってあげることがサポートではありません。アフリカの子供たちは、ぼろぼろのスパイクでも世界トップレベルのサッカーをしています。
    普段の生活の中で、子供がちょっとしたチャレンジをしそうになった時、それを後押ししてあげることが、子供の殻を破る手助けになるんです。
    そして失敗したとき、失敗したことを怒るんじゃなくて、上手くいかなかったことを考えさせるような、「叱り方」をしてあげてください。
    サッカーを学ぶのは、グラウンドの中だけではないのですから。

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