2010年7月10日土曜日

またいつもの朝日新聞

朝日新聞 朝刊 2010年 平成22年
7月10日 土曜日 サッカー

『西村主審が示した「J=国際基準」』
FIFA審判委員 上川徹さん 審判を語る

---以下抜粋---
先日27日は審判がクローズアップされる日となってしまった。ドイツ-イングランド戦で、ゴールラインの内側に入ったイングランドのランパードのシュートが認められなかったが、あれを人間の身体能力と動体視力で確認するのは厳しい。
----------------
上川審判の特徴は、思い込みの強い独りよがりなレフェリングと、己の未熟さ、無知さ、過失を認めないで、自分を変えることのない確固たる自信にあるのだが、こういうコラムのちょっとした一文にあらわれる頭蓋骨の中の様子を知ってしまうと、サッカーという分野を離れて、ひとりの大人として、「もう少し勉強しましょうよ。いまからでも遅くないですって」と言ってあげたくなる。
上川さん、丸いバーにあたって下に落ちたシュートが、バウンドしてもう一度バーに当たってプレーエリア(ゴールの外)に戻ってきたってことは、ボールはバーに当たってから広角にはねたってことですよね。つまり、ボールがバウンドした位置は、ゴールエリアの中(バーよりも向こう側)しかありえないです。わかりますか? 身体能力とか動体視力とかは関係ないです。完全に知力の問題です。
断面が四角い形のバーであったり、ゴール間近からの真上に近い角度でのシュートとかなら、ほぼ真下のライン上ではねて再度バーに当たるということもありえますが、ランパードのシュートみたいな軌道で飛んできたボールが、そのようなバウンドをすることはありえません(ライジングシュートのたぐいの魔球なら、ありえますが)。
この説明くらいじゃあ、上川審判にはまだむずかしいのかなあ。

『南ア日記 熱狂は持ち帰ったのに』 富田祥広
コラムの内容は、試合の終わった会場はゴミだらけであることを嘆くもの。
---以下抜粋---
(前略)祭典が似合う素晴らしい競技場ばかりだった。なのに、客席では残念な光景を見た。ペットボトル、コーヒーの紙パック、ホットドッグやスナック菓子の袋、ブブゼラ……。どの競技場でも、試合後の客席にはおびただしい量のゴミが散乱していた。飲み残したビールや炭酸飲料を床に垂れ流して帰る者もいた。日本人は別、とはいかなかった。日本代表の試合後、サポーターたちが陣取った客席にもゴミの山。「どうする、これ?」「もう使わねぇから置いとけよ」──。敗退が決まったパラグアイ戦後、あるカップルは座席の下に日の丸の小旗を捨てて立ち去った。熱狂の記憶に水をさすようだが、僕が見たW杯の一コマである。
---------------
「水をさすようだが」と断りつつ、はなから「一番ダメなのは日本人」「愛国心といっても、若者にとっては日の丸を平気でゴミにする程度のもの」がいいたいだけのアサヒのコラムだ。
Jリーグを見に行っても、試合後の観客席にゴミが落ちていることはまだまだある。先日、埼玉スタジアムであった少年サッカーの大会でも、試合後の観戦席には飲み物のストローやおにぎりの包みなどが落ちていた。子供もいたし、モラルの低い親もいるだろうから、そうしたことはどうしてもなくならない。大事なのは、それに気付いたとき、自分がどうするかなんじゃないだろうか。
落とした本人がわかるときは「落とし物ですよ」「忘れ物ですよ」と一声かけるのもいいだろう。私の場合は何も言わないで、自分が片づけられる範囲で掃除をする。ゴミが落ちていることを不快に感じているのは、私の個人的な問題だと思うからだ。
道端でウンコをしている犬を見かけたとき、犬に「そんなとこでウンチすんな」と言う人は少数だろう。ふつうは、その犬を連れている人間の方へ「片づけお願いしますね」と言うか、その人がちゃんと片づけてくれることを祈りつつ、その場を通り過ぎるか、あるいは土をかけて埋めるか、だろう。
だがもしその犬が野良犬だったらどうだろうか?
声をかけて犬に注意する人はさすがにいないだろう。日本の犬はダメだ、とフン慨する人もいないだろう(富田氏以外は)。せいぜい、土をかけて埋めるくらいが関の山だ。私だってそうだ。
私がなぜそうするのかというと、自分が歩いている道端にウンコが落ちている光景を目にするのが、不快だからだ。あるいは、何もしないよりも、何かした方が、精神的に心地よいからだ。たとえ実効性のない、自己満足で独りよがりな行為だったとしても、とりあえずちょこっとちぎった草の葉で覆い隠すくらいのことをしただけで、何となく心地よい。ただそれだけのことであって、要するに、つまり、やっぱり、これは、まったく個人的な都合でしかない。
タバコの吸い殻のポイ捨てには非常に腹が立つ。しかし、もしもカラスがどこかからくわえてきたタバコの吸い殻をポンッと目の前に置いていっても、私はそれほど腹は立たないような気がする。むしろ「おお、こんなことがあるのか。あのカラスが吸ったタバコだろうか」などと感心するかもしれない。

ゴミを捨てた人に向かって「ゴミを捨てるな」と注意するのは、注意ではなく要求だ。「私が不快なのでそこへはゴミを捨てるな」という非常にエゴイスティックな要求なのだ。
いや共同体の一員としての義務ではないか、という考えもあるだろう。私もそう思う。だがそのゴミを捨てた主体が、はたして自分と同じ共同体の一員なのか、それを確かめる術がない。なんとなく日本人のように見えるが、実は、野良犬かカラスかもしれないではないか。野良犬の尻にウンコを詰め戻そうとしたり、カラスを追い回して吸い殻を拾わせようとしても、あまりうまくはいかないと思う。かえって噛みつかれたり、突かれたりしてこっちがケガをする可能性もある。野良犬やカラスにしてみれば、「はあ? 何でお前の命令に従わなきゃならんのよ?」ってとこだろうから。

南アのスタジアムでゴミを捨てていく存在に対し、この富田という記者は、どういう行動を取ったのか聞いてみたい。
記者は嘘つきだから、いや訂正、私はこれまで嘘つきじゃない記者に会ったことがないので想像するに、もし「それでそのとき、あなたはどうしたの?」と訊ねたら「ちゃんと注意したさ」とか「全部私がかたしましたよ」くらいのことは、しらっと言うかもしれない。しかしこのねちねちと「日の丸」のことを言いたいがための文書を書いた人物であることから推察すると、何もしなかったんだろうなと、私はほぼ確信している。それどころか、この出来事が本当にあったことなのかすら、かなり疑わしいと思っている。
特に会話のやりとりは相当に怪しい(パラグアイ戦のPK戦で敗退したあとの会話として、どうなんだろう?)し、さらに私の認識からすれば、今回わざわざ南アフリカまで応援に行ったくらいのサポーターにとってみれば、そのときに振った日の丸の小旗は、他の物は忘れてもこれだけは絶対に持って帰るっていうくらいの大切な記念品だと思うのだ。

「南アフリカのパラグアイ戦で振った日の丸。PK戦で勝利を信じて降り続けた日の丸。彼女、彼氏と一緒に振った日の丸」それを会場に捨てて帰るかなあ。小旗だからたいして荷物にならないと思うんだけど。どうにも作り話っぽいんだよなあ。

捨てられていた「おびただしい量の」ゴミの中にペットボトルがあったって書いてあるけど、持ち込み可だったのだろうか?

富田祥広さん、あなたは飲み残したビールや炭酸飲料をどうしてるんですか? トイレまで持っていって、中身を流してから、容器をゴミ箱に捨ててるんですか? そしてそれを、他の人にも要求してる、と。
まさか紙面で記事にしただけで終わり、ってことはないですよね。ね、富田祥広さん。

0 件のコメント:

コメントを投稿