2010年7月16日金曜日

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』
岩崎夏海(いわさきなつみ)著 
ダイヤモンド社 1600円 
2009年12月3日第1刷発行


5年前に死んでしまったピーター・ドラッカーは、世の中が不況になる度にブームがやってくる経営学者だ。
ビジネスマン向けの自己啓発本という、新しい分野を開拓した先駆者と言っていい。
実はドラッカーが語っているその内容は、実際の経営やビジネスの現場にダイレクトに応用できるようなものではない。
宮本武蔵の『五輪書』のようなもので、読んでいるときは「おおなるほど!」と納得し、開眼したような気がするのだが、実際の場面に出来くわすとかなり心許ない。真剣勝負の場では、「戦いに勝つとは~」よりも、筋力や技量や武器の差といったものが勝敗を決するからだ。K-1チャンピオンvsマニラの改造拳銃を持った小僧の闘いで、K-1チャンピオンに賭けるのはお金をドブに捨てるようなものだ。
ビジネスの話に限っても、まあ中国の経営者でドラッカーに傾倒している人はいないだろう。それでも中国経済は絶好調だ。

とか言いつつも、私はこの手の自己啓発的ビジネス本が嫌いではない。いやむしろかなり好きな方だろう。

「仕事の価値とは」あるいは「働くことの意味とは」のようなテーマは、ドラッカーの思想の根幹となっている価値観なのだが、私はこの手の話が大好物なのだ。

こんな例え話があった(と思う)。
大規模な教会建設現場(わたしは勝手にサグラダファミリアだろうとイメージして記憶している)で作業中の石工に「何をしているのか」と聞いたのだそうだ。

(石工たちは、忙しいのに邪魔すんじゃねえ。お前はキリストかっつうの。ぶん殴られないだけでも幸運と思え。とかって思いながらも、さっさと追っ払うために仕方なく──)

1人目の石工は『母ちゃんとガキどもにメシ食わさねえとな』と答えた。
2人目の石工は『仕事』と答えた。
3人目の石工は『ぼくは世界一の教会を建てているんだ!』と答えた。
最後に、奥の方で作業していた4人目の石工が答えた。
「俺はみんなの心のよりどころをつくっている」

4番目の石工は「かっちょい~」、けど扱い辛そうだよなあ、とずっとひっかかっている例え話だ。
腕が良さそうなのは1と2。彼らは仕事も早そう。3は、張り切ってる分、失敗が多そうなんだよなあ。そして4は、正論を盾に妥協しないタイプなような気がする。俺は4みたいな人の仕事が好きなんだけど、仕事を頼む側の立場になったら使いたくない職人だよね。お前のその思いは、お前の家で発揮してくれって。

でも人生ってのは、生まれたときのほぼゼロだった基準点から出発して、いつかなんらかの価値を創り上げるだろうプロセスだと思ってるわけさ、俺は。
自分の価値観を築き上げ、それと社会が求める価値とをぶつけ合いながら、歪(いびつ)だった自分を整形していって、社会にフィードバックすることで、自分も社会も豊かになっていくことを理想とする世界観。これが俺が考えている、この世に自分が生まれたことの意味。

何のために働くのか? 
飯を食うためとか、金を稼ぐためとか、他人から敬われる地位につくため、とかっていう実利的な理由だけじゃあ、自分がこの世に生まれてきたことの理由になるだろうかって俺は思うわけさ。それって自分じゃなくてもいいよね? 他人がやっても同じこと(だって徳川家康だったり、ビル・ゲイツとかっていうまったくの他人が、すでに天下を取ったり、世界一の資産家になったりしちゃってるわけじゃん。実利的な理由が人生の価値だとするなら、彼ら以外の人間の人生には彼ら以下の価値しかないってことになる。でもそんなことはないはずだと俺は思っているわけで、そうなると自然に、自分が生きていることの意味は実利的な理由にあるんじゃない、ってことになる)にわざわざ「自分」の人生を費やすだけの価値があるのかっつう話だ。 
仕事を通じて新しい価値を生み出し、それによって自分自身が成長するのが、人生の醍醐味なんじゃねえの? って俺は思うわけ。

これってサッカーにも通じると俺は確信してる。
「サッカーの価値とは」「サッカーをすることの意味とは」「何のためにサッカーをしているのか?」
まあサッカーじゃなくてもいいんだけどさ。
西日本の若い女子ゴルファーが高校生の時に言ったそうじゃん、部活で懸命に頑張っている同級生を見下げて、
「プロのないスポーツであんなに一生懸命になる理由がわからんわ。アホちゃう?」
つまり「無駄だ」と言ったわけだ。
俺からすれば、お前の存在がムダだ。まあ向こうに言わせれば、「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。おほほほほ」ってとこで、カエルのツラにしょんべんだろうが、それでも俺は、ここのところは譲らない。

道端の石ころにも価値はあるのだ。
聖書には「隅の親石」という話がある。これは、誰かが捨てた石が大きな家の礎石となることもある、とかいう内容だったと思う。
レギュラーじゃない子が一生懸命練習することはムダじゃない。

最後に、この本に、わざわざ購入するまでの価値はありません。
読むのなら、誰かから借りるか、図書館を利用すれば十分です。
購入するなら、親本の
『マネジメント』 P.F.ドラッカー著 ダイヤモンド社 2000円+税
の方がいいでしょう。
『もし高校~』とは差額400円あるけど、内容は比べものにならないくらいに濃いものです。
カルピスの原液と、カルピスウォーター以上の違いがあります。

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