明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)
明日があると思っていると、桜の花がはかなく散るようにチャンスを失うことになる。
人の命のはかなさ、世の無常なことをいう。
朝に紅顔ありて夕べに白骨となる(あしたにこうがんありてゆうべにはっこつとなす)
朝、健康そうな顔をしていた者も、夕方には死んで白骨になることもある。
人の生死ははかりしれない。世は無常である。
月に叢雲花に風(つきにむらくもはなにかぜ)
月が出ると幾重にも重なった雲が覆い隠し、花が咲くと風がそれを散らす。
好事にはとかく故障が起こりやすいこと、浮き世のままならぬことのたとえ。
十日の菊六日の菖蒲(とおかのきくむいかのあやめ)
九月九日は菊の節供、五月五日は端午の節供。それぞれ一日遅れた菊と菖蒲を指している。
時期に遅れてしまって間に合わないことや、役に立たないことのたとえ。
問うに落ちず語るに落ちる
人に訊かれるときには用心しているが、自分から語るときにはうっかりしてしまうこと。
巧言令色少なし仁(こうげんれいしょくすくなしじん)
言葉巧みで人に気に入られようと表情を取り繕っている者は、儒教の道徳である仁が欠けているということ。
思うこと言わねば腹ふくる
思うことを言わないでいると、腹の中に物がたまっているようで気持ちがさっぱりしないということ。
もの言えばくちびる寒し秋の風
自慢したり、人をそしったりしたあとは、なんとなく空しい気持ちになる。
なまじ余計なことを言えば、そのために災いを招いたりもする。
断じて行えば鬼神も之を避く(だんじておこなえばきしんもこれをさく)
あえて断行するならば、鬼神でさえもこれを妨げないものである。決心して断行すれば、何物もそれを妨げえない。
進み立つ方に障りなし(すすみたつかたにさわりなし)
正しいと信じて断行すれば、障害は起こらないものだ。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)
ツバメやスズメのような小さな鳥には、オオトリやコウノトリのような大きな鳥の志はわからない。
小人物には大人物の考えることや志はわからないということ。
針の穴から天を覗く(はりのあなからてんをのぞく)
針の穴から空を見て、それを空の全体であると考えること。
自分の狭い見識を基準にして、広大な世界の物事について判断を下すこと。
鬼も十八番茶も出花(おにもじゅうはちばんちゃもでばな)
醜く恐ろしい鬼も、年頃にはそれなりに美しく見え、番茶も煎れ立ての時はおいしい。
どんな醜い女でも、年頃になればそれ相応に美しくなる。
老いて再び稚児になる(おいてふたたびちごになる)
老人となり、理解力、判断力などが衰えて子供のようになる。もうろくして幼児のようになる。
笑う顔に矢立たず
笑顔の者には矢を射かけられることがない。笑顔で接して来る者に対しては、憎しみも自然に解ける。
塞翁が馬(さいおうがうま)
「人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)」ともいう。
人生の幸不幸はまったく予測がつかないことのたとえ。
塞翁とは「とりで(塞)のそばの爺さん」という意味。爺さんの馬が逃げちゃった(アンラッキー)、そしたらその馬がすごくいい馬を連れて帰ってきた(ラッキー)、爺さんの息子が調子にのってその馬に乗ってたら落馬した(アンラッキー)、そしたら戦争が起きたんだけど落馬の負傷のせいで戦に取られず無事だった(ラッキー)。
このように、物事のラッキー・アンラッキーなんてものはどうなるかわからないのだから、そんなことを気にしても無意味なんだよってこと。
あるいは、不幸に思っていることが実は幸運なのかもしれないぞ、ということ。
禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)
禍(不幸・不運)のかげには福がよりそい、福のかげには禍が隠れている。
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