2011年3月8日火曜日

長友家の子育て

朝日新聞 地方版
My Town 愛媛

「子の将来のために自分の命も賭けた」長友選手の母語る
2011年1月16日


 サッカー日本代表で活躍する西条市出身の長友佑都選手の母、美枝さん(48)が15日、松山市上野町の県生涯学習センターで、長友選手との人生を語った。題して「こうして佑都を育てた」。長友選手の幼少時代からの写真をスクリーンに映しながら、母子家庭の苦労、長友選手の反抗期や無名時代を赤裸々に話した。駆けつけた約230人が熱心に聴き入った。

 県教委主催の「子どもの夢を育む家庭教育を考える集会」の一こまで、フリーアナウンサー、やのひろみさんとの対話形式で進んだ。

 幼少時代の長友選手は、雨の時に家の中でサッカーボールを蹴ったり、階段や押し入れから飛び降りたりと活発で、けがが絶えなかった。美枝さんは「周りの人に迷惑をかけずに、命に別条がなければいい」と考え、めったに怒らなかったという。

 小学校からサッカーを続けてきたが、中学入学時に、愛媛FCのジュニアユースの入団テストに落ちた

 西条北中学のサッカー部に入ったころの長友選手は、教科書に描いたような反抗期だったという。部活のチームメートらの雰囲気にものまれ、練習もせずにゲームセンターに通っていた。美枝さんは、そんな長友選手に、「ゲームセンターに行くな」とは言わなかった。自分から気づいてくれると信じて大きな心で見守った。先生の指導もあり、長友選手はまた少しずつサッカーにのめり込んでいった。

 3年生になった長友選手は、母子家庭の母に苦労をかけたくないとの思いから県内の高校に進学するつもりだった。「お金のせいで子どもの夢をあきらめさせたくない」。美枝さんは、県外の名門校に行かせたかった。親族は「サッカーで食べていくわけでもないのに」と反対したが、美枝さんは長友選手の可能性を信じていた。「佑都にとってこれが一番のターニングポイントになるはずだ」。あちこちから奨学金を借りて進学の費用を工面。結局、長友選手はサッカー名門の東福岡高校に進学した。ふくれあがった借金に、美枝さんは長友選手に内緒で、自分に生命保険までかけたという。「子どもの将来のために自分の命も賭けたかった」と振り返る。

 福岡に旅立った日の夜、長友選手から美枝さんにメールが届いた。「お母さんは自分のしたいこともせずに頑張ってくれた。ありがとう」。その時に、美枝さんは「親があれをしなさい、これをしなさいと言わなくても分かってくれるんだ。やり方は間違ってなかった」と実感した。涙が止まらなかった、という。

 高校入学後、長友選手は努力を惜しまなかった。人格が変わったようだった。美枝さんは「母親が腹をくくって送り出してくれた、と本人も感じている」と確信した。部員は160人。3年目、その中でレギュラーになった

 長友選手は明治大に進学、その後プロの世界へと羽ばたいていった。2008年、長友選手が日本代表に選ばれた時も、すぐに「今の自分があるのはお母さんのおかげ」と長友選手から電話が入った。

 美枝さんは、最後に子育てのこつを、こう語った。「言葉で命令するのではなく、自分の姿勢で感じてもらうこと。そして、自分の子どもの可能性を信じてあげることが大切」。(松山尚幹)

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長友選手は「親の背を見て子は育つ」の成功例だったのかもしれない。
が、しかし、私はもう一つの可能性を指摘したい。
それは、「新しい酒は新しい革袋に」が功を奏したのではないか、ということだ。

本文に「部活のチームメートらの雰囲気にものまれ、練習もせずにゲームセンターに通っていた」ともあるように、長友選手が愛媛で交流していた友人関係は、お世辞にも克己心(こっきしん 自分のなまけぐせや邪念に打ち勝つ心)を刺激するようなものではなかったように思える。

そうした友人たちは、お互いの胸にともった「がんばってみたら自分はどうなるだろう」「もっと向上してみたい、上に行ってみたい」「リスクに挑戦してみよう、自分にもできるかもしれない」という小さな火種を「ちゃかす」こと、あるいは「冷や水をかける」ことで吹き消してしまう場合が少なくない。

周囲の「訳知り顔の大人や教師たち」も、自分たちがリスクの向こう側にある世界を知らないものだから、極端にリスクへの挑戦を怖がるような指導に陥りがちだ。「知らない物には近づかない」「閉じている扉は開かない」それが賢い判断なのだ、という“狭い経験値”から抜け出せないのだ。



わたしは、いわゆる“名門の指導”を受けたからといって、実力が伸びるということはないと確信している。
しかし、“いわゆる名門”の人間関係が、そしてリスクの向こう側への経験値が、若者たちを成長させる、チャレンジさせるのだということにはなんの疑いも抱いていない。それを一言で表現するなら「伝統」ということになるだろう。

長友選手のご家庭よりもっともっと厳しい条件下にあっても、よりはるか遠方から東福岡高校サッカー部へ入部した生徒だってたくさんいたはずだ。だから、名門校へ通わせるのに親が苦労すれば苦労するほど子供はより大きく成長する、では決してない(そうした全員が全員、長友選手のようになったとでもいうのなら話は違ってくるが、現実にはそうなっていない)。
でも、親や友人や他の人間関係を一切合切(いっさいがっさい)リセットさせ、向上心を持った新しい友人たちとリスクの向こう側を知っている大人たちがいる環境へ放り込むことは、教育に対する親の姿勢・哲学としたは“アリ”だと思う。いや、可能な限り、親はそうした環境変化を、子供たちに与えるべきだ。それが親から子への最高のプレゼントになることのひとつだ、と私は確信している。

「母に苦労をかけたくないとの思いから」とあるように、子供は親が思っている以上に、家の財政状況を気にするものだ。しかし親は、子供たちのそんな気遣いに甘えてはいけない。
無い袖は振れない、と子供に無言のアピールをするために親は自分の背中を使ってはいけない。
親の背中は、子供へプレッシャーをかけるためにあるのではない。温かくたくましく、信頼と勇気を感じさせるためにあるのだと、私は確信している。

なんでも買って与えてやるのはバカ親だ。
しかし、ここぞと言うときに必要な物を与えてやらない(それは買えるものとは限らない)のは、子供の人生への背信(はいしん 道義にそむく、あるまじき行為)だ。

あるいは大事な時期に、足を引っぱる環境から引きはがしてあげないことも、同様に子供の人生を“嫌な臭い”のするものにしてしまう親の罪だ。
そうならないための方便としてなら、「無い袖」も使いようだと私は思う。

名門校の価値は、その指導力にあるのではない。向上心のあるライバルと出会えるチャンス、さぼらないことが当たり前の空気、リスクの向こう側の世界を知っている大人たち、そうした環境の中で過ごせる時間、それこそが名門校の価値なのだ、と私は確信している。



長友選手、インテルでの初ゴールおめでとう!!!




インテルという環境におかれた長友選手のさらなる成長期待にワクワクするゲゲであった。
おわり

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