2011年3月28日月曜日

次は西日本大震災

【次に西日本大地震が起こるのは確実だ】

いずれ起きるだろうと言われていても、明日明後日に起きることはないだろう、と漠然と考えていた巨大地震と巨大津波が起こってしまった以上、次は西日本大地震が起きる、と考えるしかない。他に選択肢はない。起きないかもしれない、という選択肢は消滅したのだ。その現実から目を逸らさずに、従来の防災対策を根本から立て直さなければならない。

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東南海・南海地震(紀伊半島・四国沖地震)

東南海(とうなんかい)・南海(なんかい)地震が30年以内に発生する確率は約40~50%と言われている。

東海・南海・東南海連動型地震(駿河・紀伊・四国沖地震)
東海地震、南海地震、東南海地震の3つの地震が短期的に、或いは同時発生するという超巨大地震。約300年前の宝永地震(1707年10月28日)では東海、近畿、中部、南部、四国、信濃、甲斐、北陸、山陽、山陰、九州で倒壊家屋が出るという凄まじい被災範囲を持った災害。
広範囲で4~5mの津波が太平洋沿岸で観測され、最大では高さ30mに
建物全壊50万棟以上、死者数2~30,000人、経済被害は53~81兆円という被害想定もなされている。
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これらの被害予測は、根本からの洗い直しが急務となるだろう。
東日本大震災(東北関東大地震・東北地方太平洋沖地震)が太平洋プレートと北米プレートの接線で発生した以上、それぞれに隣接するユーラシアプレートとフィリピン海プレートにも変動が生じないとは言い切れない。枝野官房長官流に言うならば「ただちに地震が発生するというわけではないが──」といったところだろうか。

「これを機に、東京への一極集中を改めて、首都機能のバックアップを大阪に造ろう!」という発想はもはや過去のものとなった。
なぜなら3月11日以後、私たちは「30年以内には確実に西日本大震災が起きる」という前提に立った上で、すべての発想を構築しなければならなくなったからだ。

大前提が、「かもしれない」ではなく、「確実に起きる」となることは、政策決定の過程を根本的に変えてしまう。
市民生活にかかわる部分を考えても、海岸線に近い土地へ資産価値の高い構造物を設置することは、いずれそれらすべてを失うことを意味することになるので、不動産の価値も大きく低下することになる。

将来の大震災リスクでいえば、もう起きてしまった東日本とまだ起きていない西日本とでは、上でも書いたように、後者の方が間違いなく高いので(少なくとも今回起きた規模の地震が、再び同じ場所で起きるためには、百年以上の間隔が必要となる)、東京から西日本への移動というモーメント(グイッと回す力、動かす力)よりも、東京から海外へというモーメントの方が強まると私は考えている。

それよりも経済への大きな影響として私の頭から消えないのは、不動産神話の崩壊が加速度的に進むのではないかという危惧だ。液状化した浦安地区が良い例だが、かつて“ウォーターフロント”と称された海辺の埋め立て地の不動産評価は、今後どうなってしまうのだろう? 小学校社会科の時間に「太平洋岸ベルト地帯」と習った地区は、海抜0メートルに近い地区でもある。今回と同等の津波が襲ってくれば、まったく抵抗する術(すべ)を持たない地区だ。壊滅はまぬがれない。地下街の被災状況などは、予測することさえ恐ろしいくらいだ。

首都機能をどこかに移転し、そこを万一のバックアップにした東京との二元体制──にはならない。
バックアップとするには、同じ物を複数用意しなければならないのだが、財政が極端に厳しい日本で(それも今後はますます逼迫(ひっぱく)してくる)、そんな余裕など生まれっこない。

政治は東京で、経済は大阪、という分業制にすれば──ともならない。
政治と経済はもはや不可分であって、その傾向はすでに「政経一体」といって良いくらいで、切り離すことなどできない。
歴史的にも、京都が都であった時代には、関西圏が経済でも中心となっていた。
現在の、ますますスピードが求められる経済環境の中で、政経の分離をさせるには中国共産党のように、すべてを超越した圧倒的な制限をかけて、強引に成り立たせるしかない。そこでは当然、平等や公平といった近代法治社会の常識は通用しない。そんなことが日本で許されるとは思えないので、日本ではこれからも政治と経済は子猫が遊んだ毛糸玉のごとくに絡み続けるしかないのだ。

【東京の魅力は一極集中のみ】

日本が重要だったから東京が重要だったのではなく、すべてが集まっていることが便利だったので東京に魅力があったという上での、東京の重要さだったのだ。そこをはき違えてはいけない。

あらゆる面で、かつて東京はアジアのハブだった。

原発リスクによって東京を離れる企業や人は確実に増えるだろう。それは賃料の低下と、空室率の上昇につながる。このことによって、東京近郊や東海、関西、九州にあった企業や人も、東京への進出が可能となる。東京の国際的な地位は落ちるが、国内的な地位はますます上がることになるだろう(またそれは同時に、日本の有力企業のグローバル化を推し進めることにもなる)。
もちろんこの流れに最も強烈に押し流されるのは、東北の企業と人だ。東京の不動産・ビル関係の業界も、東北への営業を強化するだろうし、復興支援での人と物の往来が東京進出への垣根を低くもするからだ。

その結果、仙台という街の性質が、「東北の中心都市」から「東北の終点」に変貌する可能性だって相当ある、と私は考える。終着点となった街が栄えたためしはない。

【東北に上海を】

悲しいかな、もはや日本には、壊れてしまった東北をすべて元通りに治す(修復する)財力はない。大規模埋め立てに適した場所のない、リアス式海岸地域では、がれきの撤去すらままならないだろう。
このまま行けば、なし崩し的に、以前あった街の劣化バージョンが再建される。そして東北の経済は、塩害に悩むであろう農業、無限の海底沈殿物に苦しまざるをえない漁業といった一次産業から、人も設備も失った二次三次にいたるまで、急速にしぼんでしまうことになる。よって働ける世代は、仕事を求め、否応なく地元を離れることになる。

小さな漁港が連なる、自然豊かな三陸地域の再建は、これから100年かけて成し遂げられるかどうか、というくらいの壮大な目標となったと私は断言する。というか、人も金も自然もすべてなくなってしまった状況でそれは不可能だ。一時的な復興需要で多少の延命ができたとしても、それは“次の仕事”を生まない“終わればそれまでの仕事”に過ぎず、結局若者たちは土地から離れていくしかないからだ。

しかし、私に見えている数年後の三陸地方は光り輝き、活気に満ちあふれている。

ただしそこに、優しい笑顔と民話や自然が染みこんだ『いい意味での田舎』はもうない。

数え切れないほどの巨大船が行き来する太平洋とアジア・ロシアを結ぶハブ港と、貨物機が離発着するハブ空港と、コンテナを満載したトレーラーが直接入れる高速道路と、沖縄から移転してきた米軍基地と、世界中からやってきた移民労働者と、犯罪と、環境汚染と、騒音と、ゴミのあふれる、マラリア蚊のいない上海でありドバイだ。

家に鍵をかけないで出かけても、なんの問題もなかった『田舎』は、殺人、レイプ、強盗が日常となる地域となるだろう。

私は決してこんな風になって欲しいわけではない。
遠野物語や、関口知宏の鉄道旅に出て来たような東北が好きだし、憧れてもいる。

でも、でも……仕方がないのだ。
被災した土地の大部分(実質的な資産価値を失った土地)は、国が買い上げる、もしくは半ば強制的に代替地へ等価交換するしかないだろう。

そうして地上げた空間を、すべて防災公園にできるだけの余裕は、現在の日本にない。

アジアの中で経済的優位性を失った現況、袋小路に陥っている沖縄の基地問題、進行した少子高齢化、そして東北の復興(復旧ではない)、これらを考えたとき、用地と口実を得た政権・政府が「平成ニューディール」を選択しない訳がないのだ。他人の金ででかいことをしたいのが、政治家という人種だからだ(「仕分け」なんかやって喜べるという資質の持ち主は、本来なら市民オンブズマン的な職業の方が適している)。

多くの、という言葉では言い表せないほどの、無限の尊い犠牲を、私たち日本人は無駄にしてはならない。
すべてを無為に浪費してはいけない。

岬の先の先まで開発しつくし、絶海の孤島であっても権利権利規制規制でがんじがらめになっていて、何をするにも時間と手間に忙殺されるのが当たり前だと思っていた平成の日本に、忽然と広大なスペースが現れた。
それは神からのプレゼントなどでは決してなく、無念と苦痛と涙と血が染みこんだ、延々とつながる過去から未来への、奥歯がくだけんばかりの力で握りしめた“石のこぶし”のような『現実』なのだ。

私たちはそれを、ただ無駄にしない程度では許されない。
亡くなった方たちも、失われた資産も自然も文化も歴史も思い出も、そして未来の日本人も、決してそんなことは許さない。
私たちはそれを“生かさなければならない”“歴史的な意味での新しい生命を誕生させなければならない”そういう使命を負ったのだ。

これからの選挙での一票は、それがどんな選挙であっても血の一滴だ。
もう二度と投票できなくなってしまった犠牲者の想いを胸に、その候補が命がけでその職務のために尽くしてくれるのか。他のすべてを犠牲にしてまで、政治家という権利を得たいと望んでいるのか。それを見極めて一票を投じようと、私は心に決めた。
掲げる政策を考慮する、などという愚かで傲慢な態度はもう改める。
どうせ実現するつもりなんてない政策に惑わされるのはもうやめる。
知名度を信用と混同したりなんてもうしない。

自分の投じた一票については、己の血で償うくらいの覚悟で、次の選挙からは臨(のぞ)んでみようと思っている。


終わり

【追伸】

「街は生きている」

この事が悪い方へ働かないことを、心から願う。
被災地であっても、その周辺には被害のほとんどないような人々もいる。
その人たちが経済活動を始めると、そこには「利権」が生まれ、「利権」は「そのままの形での復旧」を求めるようになる。
それが各被災地域で散発的に起き、まだら模様に「生きている街」が蘇ると、それはかつての大宮駅西口バラックや、複雑な権利関係や、立ち退き交渉と補償問題といった、「いつか来た道」を繰り返すことにもなる。
人がいなくなった被災地では、そこに残って経済活動を始めた人や集団の発言権が、威圧的なまでに大きくなる。
どんなに優れた人材であっても、「お前は一度街を捨てたじゃないか」とか「街が一番苦しかったとき、お前はどこで何をしてたんだ」「あとから来て何を言ってるんだ」「この街を再建したのは俺たちだ」などという圧力に対抗するだけの説得力を持つことは、感情を持つ動物である人間の集団社会ではまず無理だ。先の戦争でも、空襲などの戦災で居住していた家族全員が亡くなり、後々正当な権利者である親族がその土地や権利を確認したらすでに知らない誰かがそれらを乗っ取っていて、抗議しようとしても街はみんなその乗っ取った側の味方ばかりだった、というような事例がいくつもあった。

こういう混乱にまぎれて占拠した土地を合法的に所有するためには、10年もしくは20年の時効取得を画策することになることもあって、再開発などはますます進まなくなる。理由が正当な理屈ではないから、どう説得しても交渉は決裂必至で、結局は土地代以上の金銭によって明け渡してもらう他なくなる。もしそんなことにでもなったら、まさに暗黒の昭和史よ再び、だ。まあ今回の被災地域には、長年地元のに居住してきた血縁関係の濃いちゃんとした地域住民がほとんどだろうから、終戦後のようなことにはならないだろうが、可能性はゼロではない(by 官房長官)。

「地球は日本の都合を考慮してはくれない」

問題は次から次へと起きてくる。
時間は一時も止まってはくれない。
街が生きているのと同じように、世界もまた生きているのだ。
日本政府は、今度もまた頼りにはならないだろう。
自分にとっては自分の病が最重要であっても、自分以外にとっては他人の病は他人の病でしかないように、被災の深刻さは被災者当人にしかわからないし、それは被災者個々によってもそれぞれだ。
緊急時の今は力を合わせることができていても、余裕が出てくればそこにエゴも顔を出してくる。

中東情勢が厳しくなり本格的な戦争となった時、石油の供給を中東に頼り、今回の被災でも米軍及び世界の助けを借りた日本が、これまでと同じ対応でいられるとは、私には到底思えない。

「お前、“トモダチ”のはずだよな?」
そう問われたとき、日本は
「いや、お前らとは友達じゃない」
とは言えないだろう。

自衛隊への負担、財政面での負担、政府の機能、政権の能力、国民の関心、物資の振り分け、これらを考え、中東民主革命戦争と東日本大震災とを天秤にかけた時、より重きを置かれるのは果たしてどちらなのか。
私には、日本政府が前者を選択するように思われて仕方がない。
そうならないためにも、中東情勢はどうにか落ちついて欲しいし、中国経済もあと数年はがんばって欲しいと、心から切に願っている。

難問山積してる状況で、トップとその補佐役が、組織経営能力も決断実行経験も共に乏しい市民運動家と活動家系弁護士のコンビ(あるいはトリオ)というのは、運がないとしか言いようがない。
確かに彼らはお金にはクリーンだったのかもしれない(まあ直近の報道ではそうでもなさそうな感じではあるが)。しかし、そんな理由で医者を選び、彼らにメスを持たせて腹を切らせる患者がいるだろうか?
最終的に報いを受けるのは、手術を受ける自分なのだということを、私は麻酔の覚めつつある激痛と共に思い知らされる患者のような心境の中に、今いるのである。



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