2011年8月29日月曜日

8月中旬の被災地状況─その3─ 岩手県山田町

岩手県宮古市の南隣にある山田町の様子です。


防潮堤を堺にして撮影しました(大沢地区)。言うまでもないことですが、右が海側で左が陸側です。
電柱をはるかに越える量の海水が一瞬で襲ってきたのだと想像すると、そら恐ろしくなります。
その一方で、この薄い構造の堤防が崩壊していないところや、あまり頑丈そうではない構造物が残っているところを見ると、こちらを襲った津波は、田老地区を襲った津波とは異なるタイプであったのだろうとも推察できます。田老の堤防はズタズタのごっそりボロボロでしたから。
徐々に水位が上昇してきたのなら逃げようもあったでしょうけど、襲ってきたのがわかったときにはすでにこの堤防以上の水量だったとかいうのでは、どうしようもなかったでしょう。
また、この写真からも、重茂半島同様に(当たり前ですが)ここの海水面位も高くなっていることがわかります。正確に計測したわけではありませんが、この時、岸壁との差は50~60センチ程度しかなかったかもしれません。

撮影当日の山田駅です。
火災で燃えてしまったようです。
駅舎も線路も撤去されてしまっていました。
再び線路を引き直すというのも、なかなか難しいのかなあという印象でした。
奧に見える白い高架が、下にあげた写真を撮影したバイパス道路です。

駅前に掲示してあった写真です。
駅舎がまだ残っています。
日付は「2011.06.08」。

上の写真と並べて貼ってあった、震災前の駅と思われる写真です。
日付は「2010.05.17」。
寅さんが降り立ちそうな、良い雰囲気の駅舎だったのですね。
駅前の立派な木は、シイノキだったのでしょうか、クスノキだったのでしょうか?

山田駅構内のホームの様子です。
レールは撤去されていました。

山側にある新しいバイパス道路よりの遠景です。
海岸線まで家々が連なっていたであろう在りし日の姿が想像されます。
以前は、海岸線も、こんな風には見えなかったんでしょうね。
写真奧左に、湾の中央に浮かぶ島が映っていますが、津波時にこの島はどうなっていたのでしょうか。
津波の水位からすると完全に水没したはずなのですが、島の木々は枯れてはいないようですね。

こちらは同じ撮影位置から、ちょっと右へ角度を変えてズームしてみました。
緑の草萌える空き地も、田畑ではないんです。
かつては家や工場などが建っていたはずの場所なんです。もう、基礎部分しか残ってはいませんが。
地面の高さが、海面とほとんど同じ高さにあるように感じられました。
川が流れているので若干の勾配はあるのでしょうけど、下水道の排水なんかは難しい環境だったのではないかなあ。
土壌自体も砂地で、大昔は広い広い砂浜だったのではないでしょうか。

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鉄道駅(陸中山田駅)と港(山田漁港市場)を一直線に結ぶ駅前通りと国道45号線との交差点が街の中心になっていたようです。

山田駅前ロータリーから港方向へ

ですがそれこそそのあたり全て、街全部が津波と火災で消失してしまっていました。
スーパーマーケット「びはん」と、ホームセンター「ホーマック」と、ファッションセンター「しまむら」は満員の人集りでした。「びはん」の近くにいた街の人の話では、「お盆だもの」とのことでした。あと、パチンコ屋の駐車場も満杯でした。

これまでこの地域に産業は漁業しかなかったのかもしれませんけど、でも漁業を中心にしていては、たぶんこの街が再興する日はこない、と私は思います。ここまで破壊された街を立て直せるほどのパワーは、現在の日本漁業にはないからです。
さらに円高ですからね。海産物の加工品輸入は、これまで以上に伸びるでしょう。『三陸』は海産物のブランドですけど、生鮮品を卸しているだけでは、儲けもたかが知れてしまいます。といって加工して付加価値をつけようとしても、ライバルは海外ですから価格で勝負になりません。TPP参加もほぼ決定でしょうし。

工場を誘致するなんてのも、それこそこの円高環境では無理筋でしょう。

円高ということは、円で商売が完結する産業を中心にしないといけないわけです。
せっかくあんなに澄んだ海と、手頃な大きさの湾と、丁度良い位置に島があるのですから、マリンスポーツに着目したらきっとうまくいくんじゃないかなあ、なんて私は思っています。



ダイバーは南の海にばっかり潜りたいわけじゃないんです。
北の海には北の海の魅力があります。
これまでも三陸の海に潜るダイバーはいましたけど、漁業関係者への説明不足もあってその存在感は今ひとつでした。
でも、そこを逆手にとって、北海道やバンクーバーにも負けない、いやある面では勝るであろう三陸ダイビングのメッカ(宗教的に正しくない表現でしたらゴメンなさい)を目指すのはどうでしょう。
ホイール・ウォッチングもできそうじゃないですか? 鯨と海の科学館とかいうのもあるようですし。
あと、岩手の道はドライブにも適していると思います。

ちょっときれいな自然があって、円高だと聞けば、すぐに観光レジャー産業だというのは安直すぎると鼻でお笑いになるかもしれませんが、ちょっと聞いてください。
日本のマリンスポーツは、常に“漁業権”との摩擦によって頭を抑えられてきました。
山田町は、その問題を克服した国内最初の海として、ブランドとなる可能性を秘めていると私は考えているのです。

漁業だけを考えれば、円高&TPP環境下での東アジアは強力なライバルです。っていうより勝ち目はありません。
でもマリンスポーツを考えてみると、太平洋に面した北の海で寒流(親潮)と暖流(黒潮)がぶつかり合う位置にある、手頃な大きさの湾で、その中心にかわいい島のある山田湾は、これから急増するであろう東アジアのマリンスポーツ愛好家たちをお客さんにできる可能性が大きいと、私は確信しています。
そう遠くない時期に、花巻空港と釜石山田道路が直結するらしいですし。
大型船が使える港に戻すのは難しくても、レジャー船が使えるレベルになら、ちょっとした手直しでも間に合うようにも見えましたし。
いかがでしょうか。
マリンスポーツの各方面へ、こんなようなことを考えているのだけれど実現可能性はどれくらいだろうか? と行政側からアドバイスを求めてみれば、きっとみんなよろこんでいろんな協力をしてくれると思いますよ。だって、みんなそういうの好きですし。

なんてことを妄想してみました。
でも、やっぱり漁業でがんばるんだ! っていうのもアリだと思います。
街の幸せは、経済だけじゃないですからね。

【参照】
震災前の山田町

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

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