2011年8月24日水曜日

それでも子供たちは成長している。



2011年 平成23年 8月24日(水)
朝日新聞 教育
いま子供たちは №121 被災地で考えた1

もったいなかった 今まで
エド・13歳


真っ青な夏空に、ペットボトルのロケットが水しぶきを上げて飛んでいく。

「やったー!」。
他の子のよりも遠くまで飛んだ自分のロケットを追って、川上エドオジョン智慧(ちえ)君(13歳)が駆け出した。

宮城県南三陸町のキャンプ場で7月、十数人の小中学生が一緒に遊んでいた。
東京からこの日バスで来た川上君たち10人と、地元の被災した子たち。
子どもが被災地を見て学ぶNPO主催のツアー「がれきの学校」のひとこまだ。

初め硬かった子どもたちの中で、みんなが「エド」と呼ぶ川上君は一番よく笑い、跳ねていた。
芝の斜面を段ボールのそりで滑り降りたり、チーム対抗リレーを始めたり。
地元の子たちは、自然と彼の周りに寄ってくる。
「どこに住んでんの?」「部活何してんの?」。
別れ際には「メアド交換しよう」。

本当は緊張していた、とエドが後で教えてくれた。
「話しかけてもらえないと思ってた」。
自分が住む埼玉県には、震災後も普通の生活がある。
大事な物を失った人たちには腹立たしく映るのではないか、と。

東京への帰り道。
「もったいなかったな」
エドがつぶやいた。
津波で流された物やお金のことではない。
自分のことだと言う。
彼はツアーで見た廃墟の小学校と、出会った子どもたちを思い出していた。
「小学校の時、俺、悪かったんすよ。授業に出なかったり。学校に行きたくても行けない子もいるのに。ちゃんとやればよかった」。
まだ声変わり途中の少しかすれた声で言った。

つい半年前、小学生だった彼は学年で十数人の「やんちゃな男子」のリーダーだった。
授業中に校内をうろつき、空き教室でほうきをバットにして野球に興じる。
自由が楽しかった。

震災にも興味はなかった。
繰り返し流れる津波や廃墟の映像に「もういいよ。分かったって」とうんざりしていた。

その彼がこのツアーに加わったのは、いま通っている中学の岩崎正芳先生(54)がきっかけだ。
5月に学年集会で、先生が岩手県へボランティアに行った話を聞いて、「連れて行ってください」と頼んだ。
「前にも先生に『人の役に立て』って言われてて。俺にも何かできるかなって」

実は中学に入るころから、そろそろリセットしたいとひそかに思っていた。
でも「問題児」との評判は中学校にも届いている。
どうせ先生には煙たがられるのだろうと思っていた。

でも岩崎先生は意外な言葉をかけてくれた。
「お前は面白いやつだ。いいものを持ってる」。
先生は「小学校の話は聞いていたが、会ってみると行動力があって、筋を通す魅力的な子。それを素直に伝えた」と話す。
エドはそれから「やっぱり変わろう」と思いを強くしたという。
「まだ間に合うのかなって」。
先生のボランティアの話を聞いたのは、そんな時だった。

8月中旬、記者はエドを訪ねた。
「もったいなかった」と悔いて、彼の日常は変わったのだろうか。

「変わりました!」。
彼は即答した。
所属するサッカークラブで自主練習を提案するようになった。
相手にボールを奪われても全力で走って戻る。
きつい時でも手を抜かない。

「被災地の子たちは良い環境にいないのに、俺らに普通に関わってくれた。それがありがたくて。だから自分が今やれることは一生懸命やろうって」。
その日も自主練習の帰りだった。
「それも『俺よくやった』って感じです」。
少し得意げに鼻をふくらませた。

「人の役に立つ」も実践中だ。
電車で高齢者に席を譲る。
きちんとあいさつし、礼儀を守る。
大人にはささやかなことのようでも今の彼には大きな一歩だ。

「人の役に立つとなんか達成感がある。今、生活の充実感がすごくあって。充実させていくのが楽しい」

あのとき南三陸で会った子たちとは、今もメールや電話でつながっている。

(原田朱美)

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エド君へ

君は良い先生と出会ったことで、自分が変わったと思っているのかもしれない。

でもそれは違うんだ。


以前の君なら、先生の体験談を聞いても、

「もういいよ。分かったって」とうんざりしていただけだっただろう。

でも、そうじゃなかった。


すでに君は変わっていたんだ。


【参照】
成長しつつあるエド君
エド君の所属チーム
エド君の旅立ちへ
2010ナショトレU12関東

あしなが育英会 遺児奨学金「あしながさん」 継続寄付

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