ゲームを観ているとき、普通は「起きていること」に目線が向かってしまうものです。
パスをしたとか、ドリブルをしたとか、シュートをしたとか、タックルしたとか、ポジションを移動したとか、あるいはその逆に、パスを失敗した、ドリブルを失敗した、シュートを失敗した、相手にかわされた、ポジションを間違えた、そういうことに目を向けてしまいます。
応援しているご父兄であったり、実際にプレーしている選手であれば、それでもいいでしょう。
でも、コーチは、それだけを見ていてはだめです。
コーチが目線を向けるべきもうひとつは、「起きなかったこと」です。
「起きなかったこと」とは、以下のようなことです。
・あそこへパスすべきだったのに、そこへのパスを選択しなかった。
・もっとドリブルでチャレンジすべきだったのに、パスを選択した。
・シュートチャンスがあったのに、シュートしなかった。
・フリーだった選手が、ボールを要求しなかった。
他にもいろいろありますが、イメージとしてはこのようなことです。
あるいはこういうことも、「起きなかったこと」に含まれます。
・あそこへパスをされたら決定的なピンチだったのに、相手はそうしなかった。
・もっとドリブルで食い込まれていたら厳しかったのに、相手はそうしなかった。
・いい感じで相手がボールを回していたのに、なぜかバックパスをしてくれたので一息つけた。
これらはみな、そうなって当然だったのに、そうならなかった展開です。「起きるはずだったのに、起きなかったプレー」と言っていいでしょう。
どうしてそうならなかったのかには、必ず何か理由があります。
パスコースの先に敵が見えたとか、選択を躊躇させる声が聞こえたとか、直前に同じような状況があり、そこで失敗していたとか、あるいは試合前のコーチの一言とか、前日の練習に、その理由が隠れているかもしれません。
コーチであれば、そこまで観る必要があります。考える必要があります。
逆に言えば、それができるのはコーチだけなんです。
個々の選手の特徴や性格、普段の練習、そして試合前の指示など、そうしたことをわかっているのはコーチだけだからです。
試合中のこのようなプレーのことを、別の言い方で「見えないプレー」と呼びます。
南米や南欧の、いわゆるラテン系の選手は、こうした「見えないプレー」が巧みです。そしてコーチも、そういうプレーを見る目を持っています。
わかっているから、コーチはそういうプレーを的確にほめますし、的確にしかります。だから選手たちにも、自然とこうしたプレーが身についていきます。
それが偶然であってもいいんです。あるいは、厳密にはそうなっていなかったとしても(つまり、見えないプレーとして成立していなくても)いいんです。
それに近いような状況があったとき、コーチが一言「今のはいいプレーだ。それで相手をコントロールできたんだぞ。本当はこうしたかったのに、今のお前の見えないプレーで、相手はそれができなかったんだ」と指摘してあげましょう。
試合中であれば、どの選手がこうしたプレーを自然とできているのか、あるいはできていないのか、にも目を向けましょう。そうした情報は、その選手の今後の伸びに大きく影響する、重要なカギになるからです。
「どうしてそこで、あそこにパスをしないんだ!」
「もっとドリブルできただろ!」
「シュートしろよ!」
と、怒鳴るだけではなく、なぜそうしなかったのか、できなかったのか、あるいは、ああなっていたら決定的なピンチとなっていたのになぜそれは「起きなかったのか」にも目を向けましょう。
それができるのはコーチだけであり、また、そこを楽しむことができるのもコーチの特権なんですから。
カラーコーンを使って、ドリブルやトラップや対人スキルの練習をさせているだけでは、犬に芸を教えているのと大差ありません。
器用な犬を育てるのは、少年サッカーのコーチの仕事ではないんです。
もちろん個人技の習得は、とても重要です。
でも、子供たちは犬じゃありません。
ちゃんと考える頭を持っています。
子供たちが自分の頭で何を考え、それがどう成長していくのか、それに関わることができる、これこそが少年サッカーのコーチの醍醐味であり、大きな楽しさだと、わたしは確信しています。
ちなみに、試合で失点したとき、子供たちが下を向いてしまった、という状況で「下を向くな!」と声をかけつつ、目では「なぜ下を向いてしまったのか」「それぞれの子の下の向き具合、程度、違いはどうか」を冷静に観察している、そういうコーチがいいコーチだとも確信しています。
どうか是非、「起こったこと」だけではなく「起こらなかったこと」にも目を向けることのできるコーチが、一人でも多く少年サッカーにたずさわっていただけることを切に願う、今日この頃なのであります。
以上
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