2012年10月9日火曜日

大敗濃厚なときのメンタルコントロール法

 ではさて、体育の日に浦和レッズジュニアユースがクマガヤSCに0-8の大敗を食らった、昨日の高円宮杯県予選を題材に考えてみたい。

 試合開始前のウォーミングアップのとき、リラックスしていたのは浦和の方で、クマガヤの方が緊張しているように見えた。
 キックオフ直前も、各ポジションに散った仲間に対して、「びびらないで思いっきり行こう」と声を掛けていたのはクマガヤの方だった。

 ところが試合が始まると、クマガヤが浦和を終始圧倒。浦和はハーフラインを越えられないような状態で、防戦一方となった。
 そして確か10分くらいに失点。
 浦和がキックオフして試合再開するときには、ベンチからコーチの「大丈夫だ。ゼロゼロだと考えてプレーしろ」という声が飛んでいた。
 ということは、実は浦和の方は、かなり厳しい試合になるであろうというような予想をしていたことが読み取れる。なぜなら、失点した選手たちに対して、コーチは勇気付けているからだ。これがもし、自分たちの方に自信があったのであれば、「なにやってんだ! まだ寝てんのか! 気合入れろ!」という叱責の声が飛ぶはずだ。

 前半で3点目を入れられると、浦和ベンチからは励ましの声も消えた。
 点差的にも内容的にも、こりゃあどうにもならんな状態だったからそれも致し方あるまい。

 後半になると、まず浦和のベンチが選手を次々入れ替え始めた。
 クマガヤの方は、後半5分過ぎくらいからどんどん選手を入れ替え始め、最終的にはCBの二人を除いた8人くらいが交代したのではないだろうか。

 浦和の選手たちから聞こえてくるのは「下向くな」「笛が鳴るまで」「1点取ろう」というような言葉と、味方がトラップするときに「フリー」「来てる」という声くらいだった。その声のサポートも、クマガヤの寄せが早いので、フリーと言われた直後にガツンとやられてるような場面がいくつもあった。ボールを持っていない選手にも、それくらい余裕がなくなっていたということなのだろう。フリーって教えるのも大切だけど、同時に全速力でフォローに行くことも大事だよ、って見ていてちょっと思ったシーンだった。

 さて本題。
 大敗濃厚な試合では、どのようなことを意識してプレーすべきなのだろうか。

 まず「ゼロゼロだと考えろ」と言われても、それは無理なのだということを理解する必要がある。
 知ってしまった以上、知らなかった心理状態に戻ることはできない。また「ゼロゼロだと考えろ」という指示は、心理学的には、逆に点差を意識させる効果を持つ。忘れようとすればするほど、記憶が強化されていく作用と同じように。同様に、「自信を持て」というアドバイスは、かえって不安を強めてしまう。本当に自信があれば、それができるかどうかなんてまったく考えないので、そもそも自信があるないなんて疑問は思い浮かばない。

 ではどうすればいいか。
 答えは「他の事を意識させる」だ。

 他の事を意識させることで、心理的に悪影響を与えている情報を思考から排除させる。
 人間の脳は、同時に二つのことを考えることができない。
 何かを考えているときは、そのことしか頭の中にはないのだ。寝るときに、いろいろなことが頭を離れなくて眠れない、と悩んでいる人は、実は、つまみ食いをするように、あっちを考えたら今度はこっち、こっちを考えたら次はむこう、というように思考のザッピングをしているだけで、その瞬間瞬間には、実はひとつのことしか考えられていない。

 ちなみにわたしは寝つきが悪いとき、自分の額の真ん中の、骨の厚みはどれくらいだろうかを考える。そう、自分の頭蓋骨の厚さが、皮膚の下からどこまであるのかを、感覚としてつかむことに集中するのだ。
 なんの意味もない、無駄で、馬鹿馬鹿しい行為だ。
 でもだからこそ、他の事は考えない。
 心配事や不安があっても、とにかくおでこの真ん中の骨の厚みがどれくらいなのか、それがはっきりとわかるまではそれしか考えない。
 そうしているうちに、いつしか眠ってしまう。

 大敗濃厚なときも、この人間の脳や心理の働きを利用するのが正解だ。
 問題となっていることとはまったく違うことに意識を向けることで、問題を深刻化させている心理の悪作用を解消するのだ。
 大差がついているのであれば、意識を点差以外のことへ向けざるを得ないようなことを指示する。たとえば「鼻で呼吸しろ」とか「激しく当たれ」とか、体を意識するようなことを指示すると、点差という、実体のないイメージは頭から消える。点差なんて、そのときそのときのプレーにはまったく関係がなくて、ただ最終的に勝敗を決定する際の目安として記録しているだけのものでしかないのだから、本人が意識しない限り、それは存在しないも同然なのだ。

 個人的には、知らないことは存在しないも同然だ。
 鏡や写真がなかった時代は、人は自分の顔のイメージを持っていなかった。自画像を描こうなんて思いもしなかったし、実際にはほぼ不可能だった。だから自分が美人か不細工かなんていう悩みは存在しなかった。
 健康診断のいろいろな数値だって、知らなければ自分が健康かなんて考えないし、知ったからといって健康になるわけでもない。けがや病気の原因のうち、健康診断の数値に関係するものはほんの一部でしかないからだ。

 セルフコントロールのコツは、いかに違うことを考えられるかだ。
 負けているときに「時間はまだあるぞ」と言われれば、残り時間のことを意識してしまう。
 プレッシャーを感じているときに「落ち着け」と言われれば、あわてている自分を意識してしまう。

 たとえそれがポジティブなものであったとしてもイメージは、それが問題に関係があることであれば、意識にどうしても問題それ自体へ向けさせてしまう作用を持っている。
 であるからしてである、負けている試合では、勝ち負けに関係のない、たとえば当たりについて指示を出すのが正解なのだ。
 具体的には「まず1点取り替えそう」ではなくて「マークをハードにしろ! 逃げないで強く当たれ!」と指示をする。
 負けている状況では、たいてい相手の方がボールをキープしている。そこで自分たちの攻撃に関する指示をされても、選手たちに無力感を与えるだけだ。そうじゃなくて、相手がボールを持っている状況でも、自分から積極的に戦っていけるような指示をもらえば、選手は自信を持ってそのプレーに集中できる。
 
 だからこれからは、負けている選手たちに「最後まで」とか「顔を上げろ」と言うのはやめてあげてください。
 それは顔の不自由な人に「人間は顔じゃない」とか」「心が大事だよ」と言っているようなものだからです。

 ちなみに、病気でもない人に、「あなたは将来病気になる可能性があります」といって利益を上げるビジネスは、天国行きか地獄行きかって言ったら、絶対に地獄行きだとわたしは思うのであります。
 
 話がずれたけど、要するに、考えたからって良くなることなんてないんだよってことです。人間に超能力はないんですから。




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