2011年6月12日日曜日

闘え! 闘え! 闘え!

クロアチアの愛国歌
『ウ・ボイ!(闘え!)』



いざ戦闘へ、戦闘へ!
鞘(さや)から剣を抜け
われらの死に様を 敵に知らしめよ
わが街は すでに戦火に包まれ
その火の手は ここまで迫り来る
敵の叫び声が聞こえる 激しく凶暴なまでに
わが胸に 戦意は高まり
わが刃音は 敵の叫びもかき消す
諸君、ズリンスキーに別れのキスを
兄弟たちが交わすキスのように!
われに続け とりでの門へ
わか勇敢な兵士たちよ!
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クロアチアの作曲家
イバン財津、もといイバン・ザイツ(1832-1914)が1866年に男声合唱曲として作曲。
作詞はフラーニョ・マルコビッチ(の穴)。

(註)ズリンスキー
ニコラ・シュービッチ・ズリンスキー将軍。
ヨーロッパ同盟対イスラム(オスマン・トルコ)の戦争において、天下分け目となった戦で奮闘した。
1566年(家康が松平から徳川へ改姓した年。34年後の1600年に関ヶ原合戦となる)の夏、現在はハンガリー南部の小さな街(人口1万人弱)シゲトバルとなっているかつての城塞都市で、欧州軍の中核であるハプスブルク軍の将軍として、わずか3000名の兵を率いて10万を越えるトルコ軍に相対した。「ウ・ボイ!(クロアチア語:U boj!)」は最終決戦前にあげた鬨(とき)の声。トルコ軍はこの戦いに勝利するもウィーン侵攻を断念し、イスタンブールへ引き返した。ズリンスキーなければ、ウィーンはイスラム化していたと言われている。欧州を救ったことで国民的英雄となったズリンスキー将軍は、死後およそ450年経った現在もクロアチア、ハンガリー両国で尊敬を集めている。
(ま、世界史で習ったときの記憶だと、オスマン・トルコ側の自滅なんだけどね)
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