2011年6月27日月曜日

配ることは簡単じゃない。

東日本大震災:スマップ・中居さん配布のゲーム機、石巻市が慰問の子から回収 /宮城
毎日新聞 2011年6月27日 地方版

 ◇石巻の避難所
 石巻市の門脇中学校の避難所で26日、慰問に訪れた人気グループ「SMAP」のメンバー、中居正広さんが子供たちに配ったゲーム機を、市職員が、クラシックバレエの披露のために同校にいた子供たちから「避難所外の子供」を理由に回収したことが分かった。市は抗議を受け、返却することにしたが、市の対応に批判の声も上がっている。

 市などの説明によると、中居さんは同日、被災した子供と一緒に、市内のバレエ教室の子供に人形や1台数万円のゲーム機を配った。中居さんから「頑張ってね」とプレゼントを手渡された子供たちは大喜びした。

 ところが、被災者の子供の保護者らから「ボランティアで訪れた子供が高価なプレゼントを受けるのおかしい」と市職員に抗議。これを受け、市職員はバレエ教室の子供に返還を求めた。ゲーム機を回収された小学4年生の女児は「中居さんからもらったと、友達に自慢しようと思っていたのに」とがっかりしていたという。

 一方、市には「子供たちの心を傷つけた」などと対応を批判する苦情の電話が相次いだ。市避難所対策室では「配慮に欠けた」と陳謝。ゲーム機をバレエ教室を通じて子供たちに返すことにした。【石川忠雄】
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もしこれが大人のやったことだったら、事件としてはわかりやすい。
要するに、『ボランティアスタッフによる支援物資横領事件』に過ぎないからだ。
(そういえば、震災当初はとある有名市民平和運動船団体が、支援物資を独り占めしているというような報道もあったと記憶しているが、あれはどうなったのだろうか? ボランティア担当大臣とかいうのもいたような……)

さて話を戻せば、本来は異論など出る余地のない単純な構図の事件であるはずなのに、なぜ今回のことが論議を呼んでいるかというと、横領したのが「ボランティアすることを大人から強制させられた‘被災者じゃない子供たち’」であるからだ。

横領した側の意見として、記事中では「小学4年生の女児」によるコメントが紹介されている。

このコメントが、直接本人から聞き取ったものなのか、あるいは市職員、あるいは他の第三者からの又聞き、又々聞き、あるいは記者による想像、のいずれなのかわからないが、そうした内容の発言が実際にあったと仮定してみると、この女児にはそれが『支援物資』であったかどうかの認識はなかったであろうことが読み取れる。

はたしてこの小4の女の子に、ボランティアというものが理解できていただろうか?
また、被災している子供たちの状況が理解できたいただろうか?
私には、彼女が理解できていたとは、到底思えない。
大人でさえ、「ボランティア」というものを誤解している人が大勢いるのだから、小4の子が理解していなかったとしても、決して責められるものではない。

むしろ、退院するあてのない難病の子供たちがいる小児病棟へ、元気な子供たちを大勢連れて行って「さあ、ボランティアに来ましたよ! お友達になりましょうね!」と得意満面になっている大人たちの醜悪な達成感と同じ臭いがただよってくるようで、不快極まりない──は言い過ぎでも、ちょっとどうなのかなぁとは思う(私の場合は、です)。

今回の騒動を経て学ぶべきことがあるとすれば、こうした類(たぐい)の支援物資は、被災者個人に渡すのではなくて、避難所の共有物とするような方法にしたほうが混乱が生じにくいだろう、ということだ。

あの子はもらったけど、うちの子はもらえなかった。
あの人はもらえたのに、わたしはもらえなかった。

避難所という、強ストレス下のとても狭い共同体において、上記のような不公平感は危険な状況を招きかねない。


私が危惧しているのは、震災後の初盆が終わった今年の秋以降に急増するであろう、被災地での自殺や失踪のことだ。
その際、助けになるのは、地域や避難所という小さなコミュニティでの「つながり」であり「一体感」だと私は確信している。
なので、その「つながり」や「一体感」を浸食し、脆(もろ)くさせ、断ち切る要因のひとつである「不公平感」の種をまくような今回のゲーム機騒動は、支援する側にもうちょっと想像力があれば子供たちみんなが喜んだだろうに残念だなあ、というのが私なりの感想だ。

何の本だったか記憶が確かじゃないけど、内輪もめを起こさせるには足りないように与えればいい、みたいなことが書いてあった。
君主が領民を支配する方法だったか、敵の力を削ぐ方法だったか、なんかそんなようなことについての話だったはずだ。


「援助する」とか「手を差し伸べる」ってのには、情熱や共感力にプラスして、俯瞰(ふかん)できる冷静さと先を読める賢さも必要なんだよね。

サッカーと一緒。

追伸 そもそもこの慰問バレエの子供たちには、このゲーム機などの所有権はないのだから、さっさとあやまって返却した方がいい。たまたまその場所にいて自分がそれ受け取ったからといって、その物を自分の物にできるわけではない。病室見舞いの品や、引っ越しあいさつの品を、たまたまその場所にいて直接受け取ったからといって、第三者が自分の物にできるわけじゃないのと同じことだ。品物の送り主が入院している人や引っ越し先の隣人へ渡したと思っていることは明らかだし、社会常識に照らしても、それが誰に贈られた品なのかも明らかだからだ。
なので、今回避難所の被災児童へ贈られた『中居氏のゲーム機』も、当然その所有権は避難所の被災児童にあることは明らかであって、レンポゥやセンゴクウやエダノッチが強弁しても、「避難所の被災児童、もしくは避難所の管理責任者、またはそれらに類する以外の人間」に所有権は発生しない。ボケかけたおばあちゃんが、銀行の待合で銀行員と間違えて知らない人に入金を依頼したとして、じゃあその現金を手渡された第三者がそれをもらえるのかというと、そんなことにはならないでしょ。そんなことしたら横領になっちゃう。
これが野原の真ん中で「これあげる」って手渡されたのなら、「ありがとう」ってごっちゃんしちゃえばいいんだけど、誰がどう見たって、誰にあげよううとしたのか明らかな今回みたいなケースでは、「ごめんね」って素直に返した方がお利口です。

あしなが育英会 遺児奨学金「あしながさん」 継続寄付

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