FELIZ! フェリース(ポルトガル語で“幸せな”)
王国 もう怪物は生まれない?
朝日新聞 2012年(平成24年)12月11日 火曜日
10月にブラジルが4-0で日本に勝った試合には、MFカカ(レアル・マドリード)ら教え子3人が出ていた。
地元開催の2014年W杯は優勝候補の筆頭に挙げられる。
世界ランクは13位と低いかもしれないが、最多5度の優勝を誇る国には関係ない。
11月下旬に、代表のメネゼス監督が解任された。
ロンドン五輪で銀メダルに終わったことが響いた。
いい仕事はしていたけど、色々な選手を使いすぎた。
後任はJ1磐田の元監督であるフェリペ・スコラリ氏になった。
正解だと思う。
短期間の決戦やトーナメントで力を発揮できる指揮官だ。
周囲に左右されずに、W杯本番までメンバーを7人前後は固定するべきだ。
組織を成熟させないといけない。
8強に終わった10年南アフリカ大会と同じ過ちを繰り返してはいけない。
僕も00年に代表監督の候補に挙がった。
でも、報道陣に「ロマリオを呼ばない」と余計なことを言って物議を醸した。
当時はまだ監督として経験不足だった。
その後、代表を率いて02年W杯で優勝したのがスコラリ氏。
「最高の選手だ」と言い続けて、本番直前にロマリオを外した。
それはそれで大騒動となったのだが……。
W杯ブラジル大会での注目はFWネイマール(サントス)。
怪物だ。
現在20歳。
これまでに挙げたゴール数はペレに近い。
メッシ(バルセロナ)を超える可能性がある逸材だ。
10代で子供も作ってしまったけどね。
昨年、サントスと契約を更新し、年俸は16億円とも言われる。
だが、そんな選手はごく一部。
サンパウロやコリンチャンス、グレミオなど6チームくらいは破格の環境だが、他では給料の未払いなど深刻な問題が起きている。
都市化が進んで、ストリートサッカーをする場所も減っている。
原石を磨くのではなく、ビジネスに徹する代理人も絡んでくる。
町クラブからスタートして、大きな夢を追うという道がなくなってきている。
サッカー王国から怪物が生まれる可能性は低くなっているのかもしれない。
コラム終わり
この4回シリーズのコラムの第2回では確か、日本の育成システムは素晴らしいというようなことを書いていたクルピ監督だが、今回はブラジルでストリートサッカーのできる環境が失われてきている状況を嘆いている。
日本の育成システムには、当然ストリートサッカーは含まれていない。日本の道路事情では、子供がそこでサッカーをすることなど不可能だ。
つまり、同じような育成環境について、それが日本の場合であれば賞賛し、ブラジルの場合であれば問題視しているのだ。
このことから、クルピ監督は、母国ブラジルのサッカーと、異国日本のサッカーを、別物として捉えていることが読み取れる。
これは理屈を超えた、感覚的な分類なのだろうとわたしは思う。
いわば、天然物と養殖物の違いに近いのではないだろうか。
どれほど養殖技術が進んでも天然物にはかなわない、「やっぱり天然物は違うね」の世界。
そういう視点で見てみれば、確かに日本の育成システムは“養殖的”だ。
求められているニーズに合わせて、効率的に選手を作り上げる仕組みになっている。
もっともこうした育成システムは、なにもサッカー選手に限ったことじゃない。
日本の育成・教育システム全般がこうした傾向にあるのは、誰の目にも明らかだ。
育成・教育だけではない。
ビジネスの世界もそうだし、個人消費の世界もそうだ。
どれも、自分が損をしないように、そして最も効率よく、最大の利益を得ようと選択し判断決定している。
しかしこの考え方には根本的に矛盾している。
全員が「損をしないように」選択をしたら、効率は下がり、結果得られる利益は小さくなるからだ。
初期段階であれば、みなが損をせず効率よく利益をアップすることも容易だろう。
しかしいずれそれは行き詰る。
誰かの利益は誰かの損になるし、ある部分の効率アップはある部分への負担増となってしまうからだ。
ちなみに「弱肉強食」の意味は、「優れるものが勝ち残り、劣るものは消え失せる」ではないことをご存知だろうか。
「弱肉強食」の意味は、「結果として、生き残ったものが強く、消え失せたものが弱い」というものだ。
つまり、騙そうが、裏切ろうが、ルールを破ろうが、少数を多数で襲おうが、後ろから刺そうが、空から爆弾を落とそうが、それこそ弱者を強者が踏みにじろうが、まったく考慮されない価値観、それが「弱肉強食」だ。
「勝てば官軍」と共に、わたしの大嫌いな言葉のひとつ、それが「弱肉強食」だ。
たとえ勝とうが賊軍は賊軍だ。
警察官を殺したら、そいつが警察官になるか? そんなわけないじゃないか。
「やられたのは、そいつが弱いからだ」 ←はあ? 何言ってんの? まず『狼王ロボ(実話)』を読んでから出直して来い。
かなり脱線したが、話を本筋へ戻せば、日本サッカーの今の「効率偏重育成システム」はいずれ、それもそれほど遠くなく、破綻するってこと。少なくとも、4、5年後には行き詰まりが表面化してくる。それはJリーグの人気低下となってまず現れる。
似たような選手ばかりの似たようなチームばかりのリーグを、誰が観戦に行こうと思うだろうか。
世界のトップチームと善戦するであろう日本代表戦の人気は衰えないだろう。
なぜなら、相手チームに個性や特徴があるので、その相対として日本にも個性や特徴があるように見えるからだ。
でも国内リーグではそうはいかない。
養殖物しかない寿司屋にしては、Jリーグチケットは高すぎる。
以上
2012年12月11日火曜日
2012年12月6日木曜日
セ大阪 クルピ監督コラム③
FELIZ! フェリース(ポルトガル語で“幸せな”)③
日本の育成には未来がある
朝日新聞朝刊 2012年12月4日 火曜日
1日の最終節の川崎戦ではロスタイムに引き分けに持ち込んだ。
自力でJ1に残れて、本当にうれしい。
残留ラインの勝ち点が過去最高になったのは驚きだ。
今季はJリーグの歴史のなかでも、誰も予想できなかった異例の年。
全体のレベルは少し落ちていた。
優勝経験のあるガ大阪がJ2に降格して、鹿島までも残留争いに巻き込まれた。
強豪は代表や五輪に選手たちを取られたうえに、育てた若手が欧州のクラブに流出してしまったのが痛かった。
優勝を争った広島と仙台はメンバーが固定されてチームの完成度が高かった。
クラブに資金力はないが、A代表などに選ばれる選手が少ないことが、逆にプラスに働いた。
今は日本の景気も悪く、ブラジルなどから最高クラスの選手を呼んでくるのは不可能。
補強にお金をかけられないクラブが増えることで、力が伯仲した時代が続くだろう。
初めてセ大阪で指揮した1997年にはジョルジーニョ、スキラッチ、ストイコビッチら各国の代表級がいた。
あの時代に興味を持った子供たちがJの育成組織に集まってきて、今、Jリーガーになっている。
日本の育成組織は素晴らしく、世界の強豪に近づくための土台となっている。
基礎技術を大事にし、ひたむきに練習する国民性もあって、技術力が高い選手が育っている。
日本人は敏捷性に優れているし、献身的なプレーも大きな特徴だ。
もっと得点を増やすなど、数字へのこだわりを持てば、MFだけでなく、世界に通用するFWも出てくる。
日本にはマンチェスター・ユナイテッドの(香川)真司のような才能を持った原石がゴロゴロいる。
歴史を積み重ねれば、これからもどんどん世界のトップで活躍する選手が出てくる。
ただ、最近の若手は海外に出るのが早すぎる。
真司もキヨ(清武)も乾もそう。
Jリーグで優勝してから移籍すれば、名前も売れて、移籍金も高くなる。
もし、3人がセ大阪に残っていれば、今季は優勝戦線に絡んで、こんなに苦労することもなかったのに。
おわり
前回までで言いたいことは言い終えたのか、あるいは最終回であろう次回のためにとってあるのか、そのどちらかなのであろうと邪推してしまうくらい、内容のない今回のコラム。
セ大阪がJで大変だったので、コラムのことにまで頭が回らなかったのかもしれない。
このコラムに関連して、わたしが常日頃抱いている疑問のひとつを簡単に書く。
【疑問 海外移籍する選手が増えたのは、本当に育成の結果?】
このコラムにもある通り、一般的には、日本の育成が素晴らしいので、その成果として海外でも活躍する選手が増えてきた、と考えられている。
でもわたしはそこに疑問を感じている。
それは本当に育成システムが向上した結果なの? と。
わたしにはそれが、サッカー開始年齢の低下(つまり、サッカー経験の量的増)と、欧州の経済悪化によるものであって、単純に、日本サッカー界の育成システムが向上したことによって選手のレベルが上がったから、とは言えないと考えている。っていうか、「日本の育成のレベルが高いって? それはないでしょ」と思っている。
どうしてそう思うのかという理由を、ここでは2点だけ述べる。
・長年日本サッカーと似たようなレベルで戦ってきた他の国(韓国、中国、アメリカ、オーストラリア、イラク、イランなど)を見ると、日本人選手よりもずっと先に、すでにたくさんの選手がヨーロッパ各地で活躍している。
・長友がいい選手であって、わたしも好きなプレースタイルであることは間違いなのだが、それでもインテルでポジションを確保できるようなレベルにないことは、誰の目にも明らか。
以上の点を頭において、同じテーマを考えてみれば、どうも「日本の育成が素晴らしいから日本人選手のレベルがアップした」という分析は成立しにくいのがわかると思う。なぜなら、日本以外の国の選手の活躍についてと、インテルというチーム自体の低迷っぷりの説明がつかないから。
それに、育成の方法でそれほど劇的な変化があったとは思えない日本野球界でも、年々北米メジャーでプレーする選手が増えていることも忘れてはいけない。
あとJのチームがここ数年陥っている、ACLでの悲惨な状況からも目をそらしてはいけない。
日本サッカー界の育成には、まだまだ問題が多いし、レベルも決して高くはない、と私は確信している。
以上
日本の育成には未来がある
朝日新聞朝刊 2012年12月4日 火曜日
1日の最終節の川崎戦ではロスタイムに引き分けに持ち込んだ。
自力でJ1に残れて、本当にうれしい。
残留ラインの勝ち点が過去最高になったのは驚きだ。
今季はJリーグの歴史のなかでも、誰も予想できなかった異例の年。
全体のレベルは少し落ちていた。
優勝経験のあるガ大阪がJ2に降格して、鹿島までも残留争いに巻き込まれた。
強豪は代表や五輪に選手たちを取られたうえに、育てた若手が欧州のクラブに流出してしまったのが痛かった。
優勝を争った広島と仙台はメンバーが固定されてチームの完成度が高かった。
クラブに資金力はないが、A代表などに選ばれる選手が少ないことが、逆にプラスに働いた。
今は日本の景気も悪く、ブラジルなどから最高クラスの選手を呼んでくるのは不可能。
補強にお金をかけられないクラブが増えることで、力が伯仲した時代が続くだろう。
初めてセ大阪で指揮した1997年にはジョルジーニョ、スキラッチ、ストイコビッチら各国の代表級がいた。
あの時代に興味を持った子供たちがJの育成組織に集まってきて、今、Jリーガーになっている。
日本の育成組織は素晴らしく、世界の強豪に近づくための土台となっている。
基礎技術を大事にし、ひたむきに練習する国民性もあって、技術力が高い選手が育っている。
日本人は敏捷性に優れているし、献身的なプレーも大きな特徴だ。
もっと得点を増やすなど、数字へのこだわりを持てば、MFだけでなく、世界に通用するFWも出てくる。
日本にはマンチェスター・ユナイテッドの(香川)真司のような才能を持った原石がゴロゴロいる。
歴史を積み重ねれば、これからもどんどん世界のトップで活躍する選手が出てくる。
ただ、最近の若手は海外に出るのが早すぎる。
真司もキヨ(清武)も乾もそう。
Jリーグで優勝してから移籍すれば、名前も売れて、移籍金も高くなる。
もし、3人がセ大阪に残っていれば、今季は優勝戦線に絡んで、こんなに苦労することもなかったのに。
おわり
前回までで言いたいことは言い終えたのか、あるいは最終回であろう次回のためにとってあるのか、そのどちらかなのであろうと邪推してしまうくらい、内容のない今回のコラム。
セ大阪がJで大変だったので、コラムのことにまで頭が回らなかったのかもしれない。
このコラムに関連して、わたしが常日頃抱いている疑問のひとつを簡単に書く。
【疑問 海外移籍する選手が増えたのは、本当に育成の結果?】
このコラムにもある通り、一般的には、日本の育成が素晴らしいので、その成果として海外でも活躍する選手が増えてきた、と考えられている。
でもわたしはそこに疑問を感じている。
それは本当に育成システムが向上した結果なの? と。
わたしにはそれが、サッカー開始年齢の低下(つまり、サッカー経験の量的増)と、欧州の経済悪化によるものであって、単純に、日本サッカー界の育成システムが向上したことによって選手のレベルが上がったから、とは言えないと考えている。っていうか、「日本の育成のレベルが高いって? それはないでしょ」と思っている。
どうしてそう思うのかという理由を、ここでは2点だけ述べる。
・長年日本サッカーと似たようなレベルで戦ってきた他の国(韓国、中国、アメリカ、オーストラリア、イラク、イランなど)を見ると、日本人選手よりもずっと先に、すでにたくさんの選手がヨーロッパ各地で活躍している。
・長友がいい選手であって、わたしも好きなプレースタイルであることは間違いなのだが、それでもインテルでポジションを確保できるようなレベルにないことは、誰の目にも明らか。
以上の点を頭において、同じテーマを考えてみれば、どうも「日本の育成が素晴らしいから日本人選手のレベルがアップした」という分析は成立しにくいのがわかると思う。なぜなら、日本以外の国の選手の活躍についてと、インテルというチーム自体の低迷っぷりの説明がつかないから。
それに、育成の方法でそれほど劇的な変化があったとは思えない日本野球界でも、年々北米メジャーでプレーする選手が増えていることも忘れてはいけない。
あとJのチームがここ数年陥っている、ACLでの悲惨な状況からも目をそらしてはいけない。
日本サッカー界の育成には、まだまだ問題が多いし、レベルも決して高くはない、と私は確信している。
以上
2012年12月4日火曜日
セ大阪 クルピ監督コラム①
FELIZ! フェリース ①
選手の傲慢 父のように諭す
J1 セレッソ大阪 レビー・クルピ監督
朝日新聞朝刊 2012年11月20日 火曜日
昨季限りでセ大阪の監督を退任したのに、また8月後半に戻ってくるとは、自分自身でもサプライズだった。
一度はオファーを断ったが、降格の危機を救えるならうれしいし、ピッチに戻りたいとアドレナリンが出始めた頃だったので、思い直した。
我が家に帰るような気持ちだった。
格別だったのが、(柿谷)曜一朗の成長ぶり。
練習への遅刻を5回も繰り返して、2009年途中にJ2徳島に放出した。
今季、期限付き移籍から戻ってきて大きく変わっていた。
彼には「若い選手が過ちを犯すことはよくあること。もう何をすべきか分かっているだろう」と声をかけた。
放出という判断が、今も正解だったのかは分からない。
違う方法でもっと早く自覚を持たせることができたなら、すでに(香川)真司と同じ道を歩んでいたかもしれない。
そこは自分の責任を強く感じる。
成功する選手に共通するのは、謙虚な気持ちを忘れないこと。
傲慢になると、パフォーマンスは必ず落ちてくる。
自分は完璧ではない、まだまだ成長する余地があると自覚することが大きな資質の一つだ。
そこはピッチの内外でしっかりと目を光らせている。
キヨ(清武)や乾も、少なからず問題はあった。
メディアに注目されて、一気に有名になると危ない。
監督と選手は、父親と息子の関係と同じで、時には尻をたたかないといけない時がある。
キヨがまだ代表で活躍していない頃の話だ。
たった1人で待っていた女性のサポーターを素通りしたことがあった。
「サインは3秒でできる。その3秒で、一生応援してくれるかもしれないサポーターを悲しませてしまうんだ」。
そう諭したことがある。
交代を命じた乾がユニホームをベンチに投げつけたこともあった。
話をしても十分に理解せず、過ちを繰り返した時には、試合のメンバーからも外した。
その後、彼らは自分を律することができるようになった。
だから、欧州への扉が開いた。
おわり
※FELIZとはポルトガル語で「幸せな」という意味。クルピ氏はサッカーチームの監督という仕事を、「幸せな仕事」と考えている。
レベルの違いはあっても、似たような状況は少年サッカーでもよくある話。
わがままな態度を目にしたとき、つい言葉で指導してしまいたくなりますが、子供は大人の言葉の真意をまだ理解できません。誤解してしまうことも多々あります。相手がまだまだ子供であるということをふまえ、言葉ではない方法で指導することを考えてみるのも、指導者には必要です。そこがサッカーを通じて、子供たちの人間としての成長にもかかわれる、少年サッカーの監督という「幸せな」仕事の面白いところでもあります。
「乾や清武もこうだったんだ」と一言加えると、子供の心にも伝わるかもしれません。
参考にできるコラムだと私は思います。
リンク
セ大阪 クルピ監督コラム②
選手の傲慢 父のように諭す
J1 セレッソ大阪 レビー・クルピ監督
朝日新聞朝刊 2012年11月20日 火曜日
昨季限りでセ大阪の監督を退任したのに、また8月後半に戻ってくるとは、自分自身でもサプライズだった。
一度はオファーを断ったが、降格の危機を救えるならうれしいし、ピッチに戻りたいとアドレナリンが出始めた頃だったので、思い直した。
我が家に帰るような気持ちだった。
格別だったのが、(柿谷)曜一朗の成長ぶり。
練習への遅刻を5回も繰り返して、2009年途中にJ2徳島に放出した。
今季、期限付き移籍から戻ってきて大きく変わっていた。
彼には「若い選手が過ちを犯すことはよくあること。もう何をすべきか分かっているだろう」と声をかけた。
放出という判断が、今も正解だったのかは分からない。
違う方法でもっと早く自覚を持たせることができたなら、すでに(香川)真司と同じ道を歩んでいたかもしれない。
そこは自分の責任を強く感じる。
成功する選手に共通するのは、謙虚な気持ちを忘れないこと。
傲慢になると、パフォーマンスは必ず落ちてくる。
自分は完璧ではない、まだまだ成長する余地があると自覚することが大きな資質の一つだ。
そこはピッチの内外でしっかりと目を光らせている。
キヨ(清武)や乾も、少なからず問題はあった。
メディアに注目されて、一気に有名になると危ない。
監督と選手は、父親と息子の関係と同じで、時には尻をたたかないといけない時がある。
キヨがまだ代表で活躍していない頃の話だ。
たった1人で待っていた女性のサポーターを素通りしたことがあった。
「サインは3秒でできる。その3秒で、一生応援してくれるかもしれないサポーターを悲しませてしまうんだ」。
そう諭したことがある。
交代を命じた乾がユニホームをベンチに投げつけたこともあった。
話をしても十分に理解せず、過ちを繰り返した時には、試合のメンバーからも外した。
その後、彼らは自分を律することができるようになった。
だから、欧州への扉が開いた。
おわり
※FELIZとはポルトガル語で「幸せな」という意味。クルピ氏はサッカーチームの監督という仕事を、「幸せな仕事」と考えている。
レベルの違いはあっても、似たような状況は少年サッカーでもよくある話。
わがままな態度を目にしたとき、つい言葉で指導してしまいたくなりますが、子供は大人の言葉の真意をまだ理解できません。誤解してしまうことも多々あります。相手がまだまだ子供であるということをふまえ、言葉ではない方法で指導することを考えてみるのも、指導者には必要です。そこがサッカーを通じて、子供たちの人間としての成長にもかかわれる、少年サッカーの監督という「幸せな」仕事の面白いところでもあります。
「乾や清武もこうだったんだ」と一言加えると、子供の心にも伝わるかもしれません。
参考にできるコラムだと私は思います。
リンク
セ大阪 クルピ監督コラム②
セ大阪 クルピ監督コラム②
FELIZ! フェリース ②
香川に口酸っぱく言ったこと
J1 セレッソ大阪 レビー・クルピ監督
朝日新聞朝刊 2012年11月27日 火曜日
マンチェスター・ユナイテッドで(香川)真司が開幕スタメンを奪ったのは、驚きでも何でもない。
ただ、イングランドに行ってほしくなかった。
ロングボールを多用して、フィジカルで渡り合うのは醜い。
サッカーとはパスやドリブルを交えて、人々を魅了する芸術だ。
スペインのバルセロナとかレアル・マドリードで、美しいサッカーを体現してほしかった。
2007年にセ大阪の監督に復帰すると、すぐに当時18歳だった真司を先発で使った。
サッカーに年齢は関係ない。
才能があったから起用した。
1週間ほど練習を見て、ブラジルのサンパウロFCで、00年に指導した駆け出しの頃のカカ(レアル・マドリード)と同じくらいの能力があると確信した。
両足でシュートをしっかり蹴れるし、運動量も豊富で、足が最後まで止まらない。
何よりも得点への意欲があり、ゴール前に飛び込んでいく勇気があった。
サイドバックはともかく、それまでボランチをやっていたのが不思議でたまらない。
ダイヤの原石の状態の真司を、試合に出しながら、磨いていった。
並外れたシュート力はない。
シュートも初めは下手だった。
イメージはすごくいいものを持っていた。
だから、どのタイミングで、どのコースを狙うのか、あらゆる場面を想定して練習した。
ゴール数にはこだわるように、口酸っぱく言った。
数字を残したか、残していないかで決まる世界。
日本人は国民性なのか、数字への意識が足りない。
サッカーはあくまでもスポーツというとらえ方。
ブラジルでは正しいあり方とは思わないが、戦争。
生きるか死ぬか。
勝てばいい生活、負ければ惨めな生活が待っている。
J1で15~20得点を挙げれば、A代表に選ばれて、欧州への可能性が広がる。
キヨ(清武)、乾にも、真司の成功例を持ち出して、伝えてきた。
3人ともまだまだ眠った才能がある。
スピードに乗ったドリブルシュートが魅力の乾は左足の精度を、最高のアシストができるキヨはもっとゴールへの意欲を高めるべきだ。
真司はもう少しヘディングを練習した方がいいね。
おわり
数字にこだわるのは、地元街クラブにこそ重要だとわたしは思っています。
Jの下部や、名門と呼ばれて事実上Jの下部団体化しているジュニアチームは、ジュニアの大会での成績や勝利数さほどこだわらなくても、経営は成り立ちます。有望な選手候補が、向こうから足を運んできてくれるからです。
それに対して地元の街クラブはどこも選手集めに苦心しています。
ちょっと良さそうな子供は、それこそ進学塾を選ぶように、名の通ったチームへ電車を使ってでも通ってしまいます。
幼児教育系、スポーツクラブ系、フットサル場系のチームが台頭してきた昨今、昔ながらの地元小学校少年団系のチームの選手集めはますます厳しくなってきています。
ここは割り切って、8人制に特化したチーム作りを目指すのも悪くない方針だと思います。
11人がやっとのチームであっても、8人制であれば、ベンチに3人の余裕が生まれます。
練習に広い場所もいりませんから、照明のある小さな公園や広場を利用すれば夜間練習も可能になります。
コーチ役の大人が少なくても、ちゃんと目が届きます。
しっかりしたゴールがなくてもOK。
ゴールキーパーも、全員が交代交代でやることで、無用な不満を生じさせる心配もありません。
それにゴールキーパーの経験は、必ず得点感覚を伸ばしてくれますし、身体のバランス良い成長のためにもプラスになりこそすれマイナスには絶対になりません。
メンタルでも、ボールを怖がらなくなります。
ヘディングの競り合いで、亀のように首をすぼめる玉なしチキン野郎撲滅にはもってこいです。
サッカー協会は個人技の育成のために8人制を推進しているようですが、街クラブとしては、数字を残すために8人制へ積極的に取り組むべきです。
街クラブを取り囲む状況は、それくらい急速に悪化しているからです。
街クラブにとっては、生きるか死ぬか。
生き残れるか、消滅するか。
数字を残せば、成績を残せば、実際に試合を見ていない子供や親にも、そのクラブの存在が伝わります。
地元クラブの存在が伝われば、地元の子に地元のクラブを選んでもらえる可能性が高まります。
個人技の育成への注力は、Jや有名チームに任せておきましょう。
そのあたりのことはすべて、それなりの質の選手がそれなりの量集まってから考えましょう。
子供たちにとっても、確固とした数字が残れば、自信につながります。
そうして得た自信は、サッカー以外の人生にも生きてきます。
勝てば生き残れる。負ければ消滅する。
昨今の街クラブにとっては、まさに戦争。
それくらいの気持ちで、8人制に取り組むべきだと、最近のわたしは思っています。
それくらいここほんの1、2年で、本当に、街クラブの状況、特に北足立北部地区を含む埼玉県の少年サッカーを取り巻く状況は、激変しました。
これまで通りのんびりのどかに11人制をやっている場合ではないと思います。
とはいえ、選手にとっても、コーチにとっても、観戦者にとっても、サッカーというゲームにとっても、面白いのはあきらかに11人制の方なのは変わりません。
でも、そう言ってもいられない、それが現実。
日本サッカー文化のためには、決して望ましい方向だとも思えませんが、でも、これは、生き残りをかけた戦争なのです。
子供たちが、お金をかけずともちゃんとしたサッカーの真剣試合を通じて、思いっ切り泣いたり笑ったり、ときには悔しがったり怒ったりして、人生の貴重な子供時代を存分に楽しむために、地元の街クラブは絶対になくなってはならないとわたしは確信しています。
でもそのためには、まず指導者が己の意識を変えなくては。
ただなあ…、観ていてつまらないんだよなあ、8人制。
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