ちょっと古い話題ですけど、2011U-17ワールドカップ・メキシコ大会において、我が日本代表が“強豪”アルゼンチン代表を3-1で粉砕しました。
わざわざ“強豪”と「ダブル引用符、あるいはダブルコーテーション、あるいはダブルアポ」で「強豪」という表現をくくったのには訳があります。
先々週、こんな本を読みました。
『ストライカーのつくり方』
アルゼンチンはなぜ得点を量産できるのか。
著者 藤坂ガルシア千鶴
講談社現代新書 2111
2011.6.20発行 777円(税込)
──引用開始──
2018年への不安
サローリオは「2018年ワールドカップに出場しうる選手がアルゼンチンに不足している」ことを指摘。
(中略)
サローリオが2018年に抱く不安は、アルゼンチンにおいてこれまで途切れることのなかった「天才出現の連鎖」が滞ってしまった現状を明らかにしている。
「次のワールドカップにはメッシ、テベス、アグエロ、ディ・マリアがいる。ところが今のユース世代に、彼らに匹敵するだけの才能を持った天才がいないのだ」
229~230ページ
※ ヘラルド・サローリオ
ホセ・ペケルマンのスタッフとして94~07年にアルゼンチンのユースおよびフル代表のフィジカルコーチを務めた。就任期間中にアルゼンチンはU20W杯で優勝5回。現在はアルゼンチンサッカー協会より、全国のトレーニングセンターでのテクニカル・ディレクターを任されている。
---------------------
父ホルヘ・イグアインが──
(前略)イグアインが幼い頃から教えてきた大切なことがあった。それは「サッカーだけの人間にならないこと」である。
「あの子は4歳のときから将来サッカー選手になると決めていたが、プロを目指す道はとても厳しいことを理解させる必要があった。私自身、才能があるのにプロになれなかった仲間たちのケースを間近で見て来たからね。だから、もし息子たちがサッカーをつづけたいのなら、高校を卒業するまでは学校の勉強も手を抜かないことを条件としたんだ」
ホルヘ曰(いわ)く、高校卒業とプロ契約の時期はたいてい一致する。その時点でもしプロになれそうにないとわかった場合、すぐに大学に大学に進める準備をしておくためだ。
「毎日朝から晩までボールさえ蹴っていればプロになれるというわけではない。まずは学校の勉強、それからサッカー。その順番でいいのだよ」
98~99ページ
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アウェーの試合になれば、たとえそれがユース最年少のカテゴリーである9軍であろうと、観客から容赦なく野次られる。レフェリーがホームチームに不利な判定をしようものならすさまじいブーイングの嵐となる。逆にホームゲームでは、家族からの応援を一身に受けて「勝たねばならない」というプレッシャーに追い込まれる。
123ページ
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ジュニアやユースの指導者たちに「育成における最も大きな問題点は何か」と聞くと、決まって「選手の親」という答えが返ってくる。
(中略)
まず、自分の子供が試合に出してもらえない状況に耐えられず、指導者にクレームをつける。いざ試合に出ると、子供のミスを怒鳴りつづける。我が子がファウルを受けると相手選手を詰(なじ)る。交代させられようものなら、今度は監督を怒鳴りつづける。
131~132ページ
──引用終了──
U-17W杯やコパ・アメリカを見て思うのは、天才の枯渇に悩んでいるのはアルゼンチンだけじゃなくて、ブラジルもだなぁってことです(結局ドゥンガ監督の選んだ道しかなかったってことなのかも)。両国とも、中盤の才能が薄くなっています。その薄さは、とうにルーニー・スナイデル級を通り越し、もはやロッベン級です。
面白いもので、昔は両国とも、前線の才能をさがすのに苦労していたんです。
ブラジルは1970年の黄金期以降、ロマーリオやロナウドが出現するまでは、まともな前線を組めないせいでずっとW杯を逃してきました。
アルゼンチンも、八百長78年W杯のケンペスを例外とすれば、生ける伝説のディ・ステファーノ以降、バティストゥータ、クレスポまでずっとFW不在のようなものでした(ラモン・ディアスの評価については微妙)。
それがいまや、世界のトップリーグのトップチームへFWを供給する2大輸出国です。
コパで中盤の面白い選手を見ようと思ったら、パラグアイやベネズエラやチリの試合を観た方がワクワクするんだから、南米のサッカー地図も変わったってことですよねぇ。
2011年7月12日火曜日
2011年2月3日木曜日
高砂屋の終焉
桶川の老舗書店である高砂屋が2月20日(日)で店じまいすると聞いた。
桶川東口にある桶川駅通り店、桶川西口のおけがわマイン店、そして北上尾東口PAPA上尾店も閉め、今後は教材だけを扱うようになるとのことだった。
これで桶川市内から、参考書や図鑑や辞典やビジネス書、文芸書の新刊を手にとって選べる書店が消滅した。
桶川市には、書籍取り次ぎ大手のトーハンがあるが他にもいくつか出版関係の拠点がある。
トーハン桶川SCMセンター
講談社桶川流通センター
光文社桶川流通センター
東京創元社@桶川
言ってみれば書籍流通のハブ地点である桶川市から、新刊を幅広く扱う総合書店が消滅するというのもなかなかシュールで面白い。
まあ、マンガコーナーが幅をきかせるような店構えになったあたりから、街の書店の命脈が尽きつつあるのはわかっていたから、こういう日が来ても驚きはしないが(いや、ライバル書店だったバオバブのふがいなさに比べれば、高砂屋はむしろよく踏ん張ってくれた方だと思う)、桶川市の子どもたちが知的刺激を受ける機会が減ったことは間違いないので、その点だけは残念だと思う。
ネットにしろ、図書館にしろ、「目的」があって「探す」場所であって、「意図しない出会い」によって自分の知的世界が広がっていくような「偶然」が起きる場所ではないから、街の本屋さんの代替手段にはなり得ない。また、自分でどんどん勉強を深めていこうとするような子が、立ち読みで勉強できるような場所にも、ネットや図書館はならない。遊びと遊びの合間(あいま)だったり、電車や友だちを待つ暇つぶしに、タイムラグなしに情報と接することができないと、運命的な知的発見にはつながらないからだ。
結局のとここれからは、ほとんどの桶川の子供たちの貴重な「頭の柔らかい時期」の時間が携帯の無料ゲームに消費されていくのだから、どーなのかなあって思わないでもない。
こういう事態になってみると、国道17号沿いにブックオフの大型店があってよかったと思う。
あそこがなかったら、立ち読みで本を選べる場所が皆無になってしまっていたから。
万事塞翁が馬、だね。
了
桶川東口にある桶川駅通り店、桶川西口のおけがわマイン店、そして北上尾東口PAPA上尾店も閉め、今後は教材だけを扱うようになるとのことだった。
これで桶川市内から、参考書や図鑑や辞典やビジネス書、文芸書の新刊を手にとって選べる書店が消滅した。
桶川市には、書籍取り次ぎ大手のトーハンがあるが他にもいくつか出版関係の拠点がある。
トーハン桶川SCMセンター
講談社桶川流通センター
光文社桶川流通センター
東京創元社@桶川
言ってみれば書籍流通のハブ地点である桶川市から、新刊を幅広く扱う総合書店が消滅するというのもなかなかシュールで面白い。
まあ、マンガコーナーが幅をきかせるような店構えになったあたりから、街の書店の命脈が尽きつつあるのはわかっていたから、こういう日が来ても驚きはしないが(いや、ライバル書店だったバオバブのふがいなさに比べれば、高砂屋はむしろよく踏ん張ってくれた方だと思う)、桶川市の子どもたちが知的刺激を受ける機会が減ったことは間違いないので、その点だけは残念だと思う。
ネットにしろ、図書館にしろ、「目的」があって「探す」場所であって、「意図しない出会い」によって自分の知的世界が広がっていくような「偶然」が起きる場所ではないから、街の本屋さんの代替手段にはなり得ない。また、自分でどんどん勉強を深めていこうとするような子が、立ち読みで勉強できるような場所にも、ネットや図書館はならない。遊びと遊びの合間(あいま)だったり、電車や友だちを待つ暇つぶしに、タイムラグなしに情報と接することができないと、運命的な知的発見にはつながらないからだ。
結局のとここれからは、ほとんどの桶川の子供たちの貴重な「頭の柔らかい時期」の時間が携帯の無料ゲームに消費されていくのだから、どーなのかなあって思わないでもない。
こういう事態になってみると、国道17号沿いにブックオフの大型店があってよかったと思う。
あそこがなかったら、立ち読みで本を選べる場所が皆無になってしまっていたから。
万事塞翁が馬、だね。
了
2010年12月6日月曜日
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その1
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その1
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆企業は表面的にはまったく健全だと思えても、実際には衰退がはじまっていて、急速な衰退に向かう瀬戸際の危うい状態になっている可能性がある。衰退の過程が何とも恐ろしいのはこのためである。衰退は静かに忍び寄ってくる。そしてあるとき、何の前触れもないと思えるほど唐突に、大きな危機に陥っている事実に気づかされるのである。p44
◆すると妻は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭を読んでみれば、と勧めた。「幸せな家庭はどれも似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違っている」という部分だ。本書を執筆しているとき、わたしは何度も『アンナ・カレーニナ』のこの名文句を思い浮かべた。p45
◆指導者は悪いデータを小さくみせ、良いデータを強調し、曖昧なデータは良く解釈する。上に立つものは後退の原因として外部要因を指摘するようになり、自分で責任を引き受けようとはしない。p49
◆問題と(中略)失敗が積み重なって表面化し、企業の衰退が誰の目にもあきらかになる。このときの決定的な問題は、指導者がどう対応するかである。一発逆転狙いの救済策にすがろうとするのか、それとも当初に偉大さをもたらしてきた規律に戻ろうとするのか。(中略)一発逆転をもたらす「救世主」だとされるのは通常、ビジョンを掲げるカリスマ的な指導者(ゲゲ註:小泉ブームや稲盛和夫教)、大胆だが実績のない戦略(ゲゲ註:構造改革、政治主導)、抜本的な改革(ゲゲ註:ゆとり教育、地方分権)、劇的な企業文化の革命(ゲゲ註:雇用への責任放棄)、大ヒット狙いの新製品(ゲゲ註:エコ)、「ゲームを変える」買収(ゲゲ註:政権交代)など、さまざまな特効薬である。劇的な行動をとったとき、当初は業績が良くなったようにみえるかもしれないが、長続きしない。p50
その1
その2
その3
その4
その5
その6
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆企業は表面的にはまったく健全だと思えても、実際には衰退がはじまっていて、急速な衰退に向かう瀬戸際の危うい状態になっている可能性がある。衰退の過程が何とも恐ろしいのはこのためである。衰退は静かに忍び寄ってくる。そしてあるとき、何の前触れもないと思えるほど唐突に、大きな危機に陥っている事実に気づかされるのである。p44
◆すると妻は、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭を読んでみれば、と勧めた。「幸せな家庭はどれも似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違っている」という部分だ。本書を執筆しているとき、わたしは何度も『アンナ・カレーニナ』のこの名文句を思い浮かべた。p45
◆指導者は悪いデータを小さくみせ、良いデータを強調し、曖昧なデータは良く解釈する。上に立つものは後退の原因として外部要因を指摘するようになり、自分で責任を引き受けようとはしない。p49
◆問題と(中略)失敗が積み重なって表面化し、企業の衰退が誰の目にもあきらかになる。このときの決定的な問題は、指導者がどう対応するかである。一発逆転狙いの救済策にすがろうとするのか、それとも当初に偉大さをもたらしてきた規律に戻ろうとするのか。(中略)一発逆転をもたらす「救世主」だとされるのは通常、ビジョンを掲げるカリスマ的な指導者(ゲゲ註:小泉ブームや稲盛和夫教)、大胆だが実績のない戦略(ゲゲ註:構造改革、政治主導)、抜本的な改革(ゲゲ註:ゆとり教育、地方分権)、劇的な企業文化の革命(ゲゲ註:雇用への責任放棄)、大ヒット狙いの新製品(ゲゲ註:エコ)、「ゲームを変える」買収(ゲゲ註:政権交代)など、さまざまな特効薬である。劇的な行動をとったとき、当初は業績が良くなったようにみえるかもしれないが、長続きしない。p50
その1
その2
その3
その4
その5
その6
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その2
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その2
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆ここから疑問が生まれる。事実は逆になっているのに、企業が衰退するとき、イノベーションの欠如と自己満足が原因になることが多いと直感的に感じるのはなぜなのか。この疑問への答えとして、二つの点を指摘できる。第一に、偉大な企業を築いてきたものは、そもそもDNAのどこかに、意欲と情熱と猛烈さをもち、進歩への癒やしがたい欲求をもっている。(中略)第二に、人は誰しも、他人が没落したのは自分にはない性格上の欠陥のためだと考えたがり、自分も同じように転落しうるという恐ろしい可能性を認識しようとしない。「あの人たちが転落したのは怠惰になり、自己満足に陥ったからだ。わたしは信じがたいほど熱心に働いているし、情熱をもって変革し、革新し、指導しているのだから、性格上の同じ欠陥はない。わたしは安全だ。転落することなどありえない」というわけだ。しかしもちろん、破局的な衰退は、活力があり、熱心で、必死に働き、創造的な人間が引き起こすこともある。p91
◆ビル・ゴアは、意思決定とリスク・テークに役立つ概念を発表し、「喫水線」原則と名付けている。船に乗っているとして、何らかの決定を下し、悪い結果になったとき、船の側面に穴が開くと想定する。喫水線の上に開くのであれば、海水は入ってこないので沈没することはない。穴を塞ぎ、経験から学んで、航行を続ければいい。しかし、喫水線以下に穴が開けば、大量の海水が入って、船が海底まで沈みかねない。穴が大きければ、あっという間に沈むことになり、二○○八年に金融機関の一部に起こったような破局になる。
はっきりさせておきたいが、偉大な企業は確かに大きな賭を行う。しかし、喫水線以下に大穴を開けかねない賭は避けている。データが曖昧か矛盾している状態で高リスクの賭か決定を行うとき、以下の三つの問いをたてるできだ。
一 良い結果になったときに何が得られるのか。
二 きわめて悪い結果になったときに、どのような打撃を受けるのか。
三 その打撃に耐えられるのか。確かに耐えられるのか。p128
その1
その2
その3
その4
その5
その6
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆ここから疑問が生まれる。事実は逆になっているのに、企業が衰退するとき、イノベーションの欠如と自己満足が原因になることが多いと直感的に感じるのはなぜなのか。この疑問への答えとして、二つの点を指摘できる。第一に、偉大な企業を築いてきたものは、そもそもDNAのどこかに、意欲と情熱と猛烈さをもち、進歩への癒やしがたい欲求をもっている。(中略)第二に、人は誰しも、他人が没落したのは自分にはない性格上の欠陥のためだと考えたがり、自分も同じように転落しうるという恐ろしい可能性を認識しようとしない。「あの人たちが転落したのは怠惰になり、自己満足に陥ったからだ。わたしは信じがたいほど熱心に働いているし、情熱をもって変革し、革新し、指導しているのだから、性格上の同じ欠陥はない。わたしは安全だ。転落することなどありえない」というわけだ。しかしもちろん、破局的な衰退は、活力があり、熱心で、必死に働き、創造的な人間が引き起こすこともある。p91
◆ビル・ゴアは、意思決定とリスク・テークに役立つ概念を発表し、「喫水線」原則と名付けている。船に乗っているとして、何らかの決定を下し、悪い結果になったとき、船の側面に穴が開くと想定する。喫水線の上に開くのであれば、海水は入ってこないので沈没することはない。穴を塞ぎ、経験から学んで、航行を続ければいい。しかし、喫水線以下に穴が開けば、大量の海水が入って、船が海底まで沈みかねない。穴が大きければ、あっという間に沈むことになり、二○○八年に金融機関の一部に起こったような破局になる。
はっきりさせておきたいが、偉大な企業は確かに大きな賭を行う。しかし、喫水線以下に大穴を開けかねない賭は避けている。データが曖昧か矛盾している状態で高リスクの賭か決定を行うとき、以下の三つの問いをたてるできだ。
一 良い結果になったときに何が得られるのか。
二 きわめて悪い結果になったときに、どのような打撃を受けるのか。
三 その打撃に耐えられるのか。確かに耐えられるのか。p128
その1
その2
その3
その4
その5
その6
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その3
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その3
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆第三段階の後半に共通する行動(そして、第四段階にも続くことが多い行動)の一つは、権力の座にあるものが他人か外部要因に問題があった指摘するなど、心配なデータをうまく説明し、会社が深刻な問題にぶつかっている可能性を示す厳しい現実を直視しないことである。IBMは一九八〇年代後半から九○年代初めにかけて、歴史的な衰退の道を歩むようになったとき、分散型コンピューティングの猛攻を受けて、メインフレーム事業が危うくなった。ある幹部がこの厳しいトレンドを経営陣に報告したとき、叱責を受けている。有力な指導者がふざけるなといわんばかりに報告書を払いのけ、「君のデータはどこかが間違っているはずだ」といった。そう叱責されて、若い幹部はIBMが衰退すると確信した。「起業のリスクは高いといっても、否認の環境で働きつづけるよりは低いだろうと思えた」と、IBMを退職して起業家になった理由を後に、冗談めかして語っている。p132
◆組織再編とリストラを行うと、何か生産的なことをしているとの錯覚が生まれかねない。企業はいつでも組織を動かしており、組織の進化ではこれが当然である。しかし、悪いデータや警戒信号に対応するときに組織再編を主要な戦略として使うようになると、否認の段階に入っている可能性がある。深刻な心臓疾患や癌の診断を受けたときに、リビング・ルームの家具を並べ替えて対応するようなものである。
理想的な組織などというものはない。どのような組織構造にも利点と欠点があり、どのような種類の組織にも非効率な面がある。われわれの調査では、あらゆる状況で理想的だといえる組織構造は見つかっておらず、どのような組織構造をとってもリスクや危険が消えることはない。p137
その1
その2
その3
その4
その5
その6
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆第三段階の後半に共通する行動(そして、第四段階にも続くことが多い行動)の一つは、権力の座にあるものが他人か外部要因に問題があった指摘するなど、心配なデータをうまく説明し、会社が深刻な問題にぶつかっている可能性を示す厳しい現実を直視しないことである。IBMは一九八〇年代後半から九○年代初めにかけて、歴史的な衰退の道を歩むようになったとき、分散型コンピューティングの猛攻を受けて、メインフレーム事業が危うくなった。ある幹部がこの厳しいトレンドを経営陣に報告したとき、叱責を受けている。有力な指導者がふざけるなといわんばかりに報告書を払いのけ、「君のデータはどこかが間違っているはずだ」といった。そう叱責されて、若い幹部はIBMが衰退すると確信した。「起業のリスクは高いといっても、否認の環境で働きつづけるよりは低いだろうと思えた」と、IBMを退職して起業家になった理由を後に、冗談めかして語っている。p132
◆組織再編とリストラを行うと、何か生産的なことをしているとの錯覚が生まれかねない。企業はいつでも組織を動かしており、組織の進化ではこれが当然である。しかし、悪いデータや警戒信号に対応するときに組織再編を主要な戦略として使うようになると、否認の段階に入っている可能性がある。深刻な心臓疾患や癌の診断を受けたときに、リビング・ルームの家具を並べ替えて対応するようなものである。
理想的な組織などというものはない。どのような組織構造にも利点と欠点があり、どのような種類の組織にも非効率な面がある。われわれの調査では、あらゆる状況で理想的だといえる組織構造は見つかっておらず、どのような組織構造をとってもリスクや危険が消えることはない。p137
その1
その2
その3
その4
その5
その6
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その4
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その4
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆(「恐ろしい」状況にあったゼロックスを、堅実な方法で立ち直らせたアン・マケイヒーCEO)「わたしにとって、こうした動きはすべて、従業員が引退まで勤められる会社にし、従業員の子供たちが入社して働きつづけられる会社にし、いつの日か、実績を誇れる会社にするためのものだ」p193
◆(絶望的に思える)第四段階に入っていても、一発逆転策にすがるサイクルから抜け出して一歩ずつ再建を進められる資源が残っていれば、進路を逆転させることができる。p195
◆まだ転落していないのであれば、危機ではないのに危機を宣言したくなる誘惑に警戒するべきだ。ガースナーの哲学(ゲゲ註:一発逆転の誘惑を捨て去ること)を思い起こすべきである。正しい指導者は、事業が好調なときも不調なときも、脅威に直面しているときも好機を活かそうとしているときも、いつも変わらず緊迫感をもっている。進歩を求める創造的な欲求、内部の衝動に突き動かされている。いうならば、胸がいつも熱く燃えているのであり、脅威にぶつかっていてもいなくても、この点に変わりはない。危機など存在しないときに危機だといいたて、足元に火がついているのだから間もなく猛火に包まれて崩壊すると叫んでいては、皮肉な見方を生むだけになる。適切な人材は足元に火がついていようがいまいが前進しようと努力し、他人を操ろうとはしない。p195
◆すでに衰退がはじまっているのであれば、そして、正真正銘の危機に直面しているのであれば、一発逆転策にすがるサイクルから早く抜け出すほど良い結果が生まれる。回復への道は何よりも、健全な経営慣行と厳格な戦略思考に戻ることにある。p196
◆(チャーチルが贈った母校ハロー校の卒業式式辞)「これが教訓だ。決して屈服してはならない。決して屈服してはならない。決して、決して、決して、決して、相手の大小を問わず、強弱を問わず、決して屈服してはならない。名誉と良識の確信に対してでない限りは屈服してはならない。力に屈服してはならない。敵の力が圧倒的だと思えても、屈服してはならない」p204
その1
その2
その3
その4
その5
その6
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆(「恐ろしい」状況にあったゼロックスを、堅実な方法で立ち直らせたアン・マケイヒーCEO)「わたしにとって、こうした動きはすべて、従業員が引退まで勤められる会社にし、従業員の子供たちが入社して働きつづけられる会社にし、いつの日か、実績を誇れる会社にするためのものだ」p193
◆(絶望的に思える)第四段階に入っていても、一発逆転策にすがるサイクルから抜け出して一歩ずつ再建を進められる資源が残っていれば、進路を逆転させることができる。p195
◆まだ転落していないのであれば、危機ではないのに危機を宣言したくなる誘惑に警戒するべきだ。ガースナーの哲学(ゲゲ註:一発逆転の誘惑を捨て去ること)を思い起こすべきである。正しい指導者は、事業が好調なときも不調なときも、脅威に直面しているときも好機を活かそうとしているときも、いつも変わらず緊迫感をもっている。進歩を求める創造的な欲求、内部の衝動に突き動かされている。いうならば、胸がいつも熱く燃えているのであり、脅威にぶつかっていてもいなくても、この点に変わりはない。危機など存在しないときに危機だといいたて、足元に火がついているのだから間もなく猛火に包まれて崩壊すると叫んでいては、皮肉な見方を生むだけになる。適切な人材は足元に火がついていようがいまいが前進しようと努力し、他人を操ろうとはしない。p195
◆すでに衰退がはじまっているのであれば、そして、正真正銘の危機に直面しているのであれば、一発逆転策にすがるサイクルから早く抜け出すほど良い結果が生まれる。回復への道は何よりも、健全な経営慣行と厳格な戦略思考に戻ることにある。p196
◆(チャーチルが贈った母校ハロー校の卒業式式辞)「これが教訓だ。決して屈服してはならない。決して屈服してはならない。決して、決して、決して、決して、相手の大小を問わず、強弱を問わず、決して屈服してはならない。名誉と良識の確信に対してでない限りは屈服してはならない。力に屈服してはならない。敵の力が圧倒的だと思えても、屈服してはならない」p204
その1
その2
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その4
その5
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すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その5
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その5
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆決して屈服してはならない。戦術は変える意思をもたなければならない。だが、基本目的をあきらめてはならない。たとえ自分が長く苦労した大きな部門を閉鎖することになっても、失敗に終わった事業アイデアは放棄する意思をもたなければならない。だが、偉大な企業を築くというアイデアは決して放棄してはならない。これまでとは重なる点がまったくなくなるとしても、違う事業構成へと進化していく意思持たなければならない。だが、自社の企業文化を特徴付ける原則は決して放棄してはならない。創造的破壊が不可避であることを受け入れる意思をもたなければならない。だが、みずからの将来をみずから作り出す規律は決して放棄してはならない。損失を受け入れ、痛みに耐え、一時的に自由を失う意志をもたなければならない。だが、いずれかならず勝利するとの確信は決して放棄してはならない。過去の敵とも手をつなぎ、必要に応じて譲歩する意思をもたなければならない。だが、基本的価値観は決して、絶対に放棄してはならない。
暗闇からの脱出の道は、このように腹立たしいほど頑固な人物、そもそも屈服することができない人物からはじまる。強烈な敗北を喫するのはやむをえない。永続する企業や社会団体なら、その歴史のなかでほぼかならずそういう時期がある。だが、長期にわたって苦闘する価値があるのは価値観と目標があるからであり、これを放棄してはならない。失敗とは外的な状態ではなく、心の状態である。成功とは、倒れても倒れても起き上がる動きを果てしなく続けることである。p204
◆誰かをしっかり管理する必要があると感じた場合には、採用にあたって間違いをおかした可能性がある。p253
◆「『個人の尊重』は……権利意識がはびこる一因となった。『個人』が『尊重』されるようなことを何もしなくてもいいとする見方であり、IBMの社員だというだけで充分な福利厚生と終身雇用を当然のこととして期待する考えである」。p261
その1
その2
その3
その4
その5
その6
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆決して屈服してはならない。戦術は変える意思をもたなければならない。だが、基本目的をあきらめてはならない。たとえ自分が長く苦労した大きな部門を閉鎖することになっても、失敗に終わった事業アイデアは放棄する意思をもたなければならない。だが、偉大な企業を築くというアイデアは決して放棄してはならない。これまでとは重なる点がまったくなくなるとしても、違う事業構成へと進化していく意思持たなければならない。だが、自社の企業文化を特徴付ける原則は決して放棄してはならない。創造的破壊が不可避であることを受け入れる意思をもたなければならない。だが、みずからの将来をみずから作り出す規律は決して放棄してはならない。損失を受け入れ、痛みに耐え、一時的に自由を失う意志をもたなければならない。だが、いずれかならず勝利するとの確信は決して放棄してはならない。過去の敵とも手をつなぎ、必要に応じて譲歩する意思をもたなければならない。だが、基本的価値観は決して、絶対に放棄してはならない。
暗闇からの脱出の道は、このように腹立たしいほど頑固な人物、そもそも屈服することができない人物からはじまる。強烈な敗北を喫するのはやむをえない。永続する企業や社会団体なら、その歴史のなかでほぼかならずそういう時期がある。だが、長期にわたって苦闘する価値があるのは価値観と目標があるからであり、これを放棄してはならない。失敗とは外的な状態ではなく、心の状態である。成功とは、倒れても倒れても起き上がる動きを果てしなく続けることである。p204
◆誰かをしっかり管理する必要があると感じた場合には、採用にあたって間違いをおかした可能性がある。p253
◆「『個人の尊重』は……権利意識がはびこる一因となった。『個人』が『尊重』されるようなことを何もしなくてもいいとする見方であり、IBMの社員だというだけで充分な福利厚生と終身雇用を当然のこととして期待する考えである」。p261
その1
その2
その3
その4
その5
その6
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その6
すげー奴が落ちぶれる理由(わけ) その6
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆「IBMでの約十年間に、わたしは企業文化が経営のひとつの側面などではないことを理解するようになった。ひとつの側面ではなく、経営そのものなのだ」。p263
◆「親切な人を雇って販売方法を教えることはできるが、販売のプロを雇って親切になるよう教えることはできない」。
「ときおり裁判で負けることになっても、当社の基準に達しない従業員を維持するより良いと考えている。弱い従業員は周囲に影響を与えて、足を引っぱるからだ」p275
◆偉大な組織を築いた指導者は適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、適切な人を主要な席につけ、その後に、バスの行き先を決めている。「だれを選ぶか」をまず決めて、その後に「何をすべきか」を決める。p281
◆規律ある考えができ、規律ある行動をとる規律ある人材が各人の責任の範囲内で自由に行動することが、偉大な組織を築く規律ある文化のカギである。規律ある文化では、人々は仕事を与えられるのではなく、責任を与えられる。p283
----------------------------------------
これはアメリカの企業経営についての本ではあるが、他にもいろいろと応用が可能だ。
言ってみれば、この本に描かれているのは、『ホモ・サピエンス』という種が群れとなった場合の行動傾向分析だからだ。
だから当然、個々人への戒(いまし)めとしても、また過去の失敗を昇華する手助けとしても、私のこの腐りかけの脳みそに刻み込まねばと思わされた内容がいくつもあった。
同じように、規模の違いはあれ、少年サッカーチームという組織を運営する上でも、参考になるであろう本だと、私は確信した。
ご一読されることをお奨めする。
その1
その2
その3
その4
その5
その6
END
ビジョナリーカンパニー(HOW THE MIGHTY FALL すげー奴がどう落ちぶれるか)
衰退の五段階
ジェームズ・C・コリンズ(山岡洋一)
日経BP社
2010年7月26日 発行
2200円+税
その1
その2
その3
その4
その5
その6
◆「IBMでの約十年間に、わたしは企業文化が経営のひとつの側面などではないことを理解するようになった。ひとつの側面ではなく、経営そのものなのだ」。p263
◆「親切な人を雇って販売方法を教えることはできるが、販売のプロを雇って親切になるよう教えることはできない」。
「ときおり裁判で負けることになっても、当社の基準に達しない従業員を維持するより良いと考えている。弱い従業員は周囲に影響を与えて、足を引っぱるからだ」p275
◆偉大な組織を築いた指導者は適切な人をバスに乗せ、不適切な人をバスから降ろし、適切な人を主要な席につけ、その後に、バスの行き先を決めている。「だれを選ぶか」をまず決めて、その後に「何をすべきか」を決める。p281
◆規律ある考えができ、規律ある行動をとる規律ある人材が各人の責任の範囲内で自由に行動することが、偉大な組織を築く規律ある文化のカギである。規律ある文化では、人々は仕事を与えられるのではなく、責任を与えられる。p283
----------------------------------------
これはアメリカの企業経営についての本ではあるが、他にもいろいろと応用が可能だ。
言ってみれば、この本に描かれているのは、『ホモ・サピエンス』という種が群れとなった場合の行動傾向分析だからだ。
だから当然、個々人への戒(いまし)めとしても、また過去の失敗を昇華する手助けとしても、私のこの腐りかけの脳みそに刻み込まねばと思わされた内容がいくつもあった。
同じように、規模の違いはあれ、少年サッカーチームという組織を運営する上でも、参考になるであろう本だと、私は確信した。
ご一読されることをお奨めする。
その1
その2
その3
その4
その5
その6
END
2010年11月22日月曜日
攻撃時の優先順位
【攻撃の際の優先順位の一番は「サイドアタック」でいいのか?】
『サッカープロフェッショナル超観戦術』著者のブログより
--------------------------------------------------
川本
選択というのがあると思うんですよ。ゴールを目指すために、どういうところが優先順位で一番高いのか、という。
まずは、「裏」「真ん中」「サイド」。サイドは攻撃の際の3番目の選択だということ(p.101-105)をはっきりさせたかった。サイドを制するものが、試合を制するみたいな印象を与える言い方があったりして。
岡田
それはおそらく杉山茂樹さんのことですよね? これはあえて名前を出して言うんですけど、杉山さんの戦術論はネタとしては面白いけど、僕が読んでも「あれっ」と思う部分があるわけで、まともにサッカーをやっている人からすれば「なんじゃこれ」となると思うんですよ。それを取り上げるサッカーメディアも、おもしろければなんでもいいのかなと。
彼なんかはフォーメーションやシステムで試合が決まるというけれど、実際は全然そうじゃないわけじゃないですか。試合の流れの中で状況は刻一刻と変わっていくわけで、そこを見て語らないといけないと思うんですよ。
川本
まあ、僕が言っているのは杉山さんだけではないんですが。バルサの試合を見ていると、確かにサイドからの攻撃はされているんですよ。でも、よく見てると、裏を狙うために真ん中を崩してゴールを目指したいから、サイドから攻撃しているのがわかるんです。最初の選択肢がサイドじゃないんですよ。相手が真ん中をケアするので、必然的に真ん中に人がいっぱい集まっているから、サイドから攻撃してという。そうすると相手がサイドをケアしようとして真ん中が薄くなるとか。そのためのサイド攻撃であって、サイドは3番目の選択だよ、というのをはっきりさせたかったんですよね。
岡田
その選択の順序をはっきり書いているのは、わかりやすくてよかったですね。まず、裏を狙うのが1番。次が中に入れてクサビなど。3番目がサイドアタック。中が空かないから、サイドに行くわけで、逆に言うと強いチームは簡単に中を空けないからサイドの攻防が多くなるということですよね。
川本
W杯を見ていても、リーガやブンデスの試合を見ていても、「裏」「真ん中」「サイド」という原理原則をもってゴールを目指すチームは、強豪チームがそういう選択肢をしているんですよ。目的はあくまでゴールを奪うことで、サイドアタックはその選択肢の1つでしかなくて、それも優先順位としては3番目なんだよ、と。
岡田
岡田前監督もそういう話をしてましたよね。「日本の選手はサイドから行け、というと、真ん中が空いていてもサイドからしか攻めなくなってしまう」と。
川本
林くんはどう思う?
林
いやー、日本人は特に、「こうやれ」と言ったら、そればかりをしてしまう傾向はありますね。だから、僕は常に、「状況を見ろ!」と言います。自分の置かれている立場に気づかないといけない。当然、サッカーはチームプレーが基本なので、チームの中に自分という存在があるんですけど、状況を理解できていれば、試合の流れで自分はどうやって関わっていけばいいのかといった、そうした判断は個人になるんですよね。その判断を意識してやっている、もしくは無意識にやれている選手もいるんですけど。そういうことができる選手がいいサッカー選手だと言えのだと思います。
岡田
それはやっぱり、子どもの頃から育てていかないといけないんですかね。
林
そうですね。子どもの頃から教わらないと、サッカーが上手い選手にはならないですね。たとえばボールを扱うのが上手い選手を育てるのは、簡単ではないですけど、育てやすい。ドリル的なトレーニングをさせればいい。ものすごくオーソドックスなものを言えば、リフティングが何回できるかとかですね。10回できるより、1000回できる方がいいという。
--------------------------------------------------
中央が空いているのにサイドにボールを出すというのがどういう状況なのか、私には今ひとつ想像できない。
それに「日本人は特に、「こうやれ」と言ったら、そればかりをしてしまう傾向はありますね」についても、それは子供の頃のそれこそ少年サッカーの時代から、そうしないと叱られるから、あるいは試合に出してもらえなくなるから、という「刷り込み」があるからで、それにこれはサッカーに限ったことじゃなくて、同様の傾向は日本中に蔓延している。
企業経営で「コンプライアンス」がもてはやされるのも、非難(バッシング)を避ける防衛手段としてのことなのだ。
よかれと思ってしたことでも、結果責任を、それこそ二度と立ち直れないくらいに負わされるような環境で、「こうやれ」と言われた範囲を超えるような行動を取ることはできない。あまりにもリスクが大きいからだ。
神奈川、千葉、埼玉の少年サッカーチームを比較した場合、ベンチから子供を怒鳴りつける大人(コーチとも呼ばれている)が多いのは埼玉県である、というのが私の印象だ。
長い目で見たとき、もうここしばらく、埼玉県出身の日本代表FWやMFがいないのは、こうしたことも影響しているように、私には思える。
------------とかなんとか言いながら──本心ではこう思ってます。------------
ん~でも関係ないかなあ。
関西や九州からはたくさん輩出してるもんなあ。あっちのコーチの「怖さ」は、埼玉の比じゃないもんなあ。
サッカーに正解はないという大原則、真理は、こういうことでも当てはまるってことなんだなあ。
おわり
『サッカープロフェッショナル超観戦術』著者のブログより
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川本
選択というのがあると思うんですよ。ゴールを目指すために、どういうところが優先順位で一番高いのか、という。
まずは、「裏」「真ん中」「サイド」。サイドは攻撃の際の3番目の選択だということ(p.101-105)をはっきりさせたかった。サイドを制するものが、試合を制するみたいな印象を与える言い方があったりして。
岡田
それはおそらく杉山茂樹さんのことですよね? これはあえて名前を出して言うんですけど、杉山さんの戦術論はネタとしては面白いけど、僕が読んでも「あれっ」と思う部分があるわけで、まともにサッカーをやっている人からすれば「なんじゃこれ」となると思うんですよ。それを取り上げるサッカーメディアも、おもしろければなんでもいいのかなと。
彼なんかはフォーメーションやシステムで試合が決まるというけれど、実際は全然そうじゃないわけじゃないですか。試合の流れの中で状況は刻一刻と変わっていくわけで、そこを見て語らないといけないと思うんですよ。
川本
まあ、僕が言っているのは杉山さんだけではないんですが。バルサの試合を見ていると、確かにサイドからの攻撃はされているんですよ。でも、よく見てると、裏を狙うために真ん中を崩してゴールを目指したいから、サイドから攻撃しているのがわかるんです。最初の選択肢がサイドじゃないんですよ。相手が真ん中をケアするので、必然的に真ん中に人がいっぱい集まっているから、サイドから攻撃してという。そうすると相手がサイドをケアしようとして真ん中が薄くなるとか。そのためのサイド攻撃であって、サイドは3番目の選択だよ、というのをはっきりさせたかったんですよね。
岡田
その選択の順序をはっきり書いているのは、わかりやすくてよかったですね。まず、裏を狙うのが1番。次が中に入れてクサビなど。3番目がサイドアタック。中が空かないから、サイドに行くわけで、逆に言うと強いチームは簡単に中を空けないからサイドの攻防が多くなるということですよね。
川本
W杯を見ていても、リーガやブンデスの試合を見ていても、「裏」「真ん中」「サイド」という原理原則をもってゴールを目指すチームは、強豪チームがそういう選択肢をしているんですよ。目的はあくまでゴールを奪うことで、サイドアタックはその選択肢の1つでしかなくて、それも優先順位としては3番目なんだよ、と。
岡田
岡田前監督もそういう話をしてましたよね。「日本の選手はサイドから行け、というと、真ん中が空いていてもサイドからしか攻めなくなってしまう」と。
川本
林くんはどう思う?
林
いやー、日本人は特に、「こうやれ」と言ったら、そればかりをしてしまう傾向はありますね。だから、僕は常に、「状況を見ろ!」と言います。自分の置かれている立場に気づかないといけない。当然、サッカーはチームプレーが基本なので、チームの中に自分という存在があるんですけど、状況を理解できていれば、試合の流れで自分はどうやって関わっていけばいいのかといった、そうした判断は個人になるんですよね。その判断を意識してやっている、もしくは無意識にやれている選手もいるんですけど。そういうことができる選手がいいサッカー選手だと言えのだと思います。
岡田
それはやっぱり、子どもの頃から育てていかないといけないんですかね。
林
そうですね。子どもの頃から教わらないと、サッカーが上手い選手にはならないですね。たとえばボールを扱うのが上手い選手を育てるのは、簡単ではないですけど、育てやすい。ドリル的なトレーニングをさせればいい。ものすごくオーソドックスなものを言えば、リフティングが何回できるかとかですね。10回できるより、1000回できる方がいいという。
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中央が空いているのにサイドにボールを出すというのがどういう状況なのか、私には今ひとつ想像できない。
それに「日本人は特に、「こうやれ」と言ったら、そればかりをしてしまう傾向はありますね」についても、それは子供の頃のそれこそ少年サッカーの時代から、そうしないと叱られるから、あるいは試合に出してもらえなくなるから、という「刷り込み」があるからで、それにこれはサッカーに限ったことじゃなくて、同様の傾向は日本中に蔓延している。
企業経営で「コンプライアンス」がもてはやされるのも、非難(バッシング)を避ける防衛手段としてのことなのだ。
よかれと思ってしたことでも、結果責任を、それこそ二度と立ち直れないくらいに負わされるような環境で、「こうやれ」と言われた範囲を超えるような行動を取ることはできない。あまりにもリスクが大きいからだ。
神奈川、千葉、埼玉の少年サッカーチームを比較した場合、ベンチから子供を怒鳴りつける大人(コーチとも呼ばれている)が多いのは埼玉県である、というのが私の印象だ。
長い目で見たとき、もうここしばらく、埼玉県出身の日本代表FWやMFがいないのは、こうしたことも影響しているように、私には思える。
------------とかなんとか言いながら──本心ではこう思ってます。------------
ん~でも関係ないかなあ。
関西や九州からはたくさん輩出してるもんなあ。あっちのコーチの「怖さ」は、埼玉の比じゃないもんなあ。
サッカーに正解はないという大原則、真理は、こういうことでも当てはまるってことなんだなあ。
おわり
ブラジルに見る「決定力」育成法
サッカー王国ブラジルに見る「決定力」育成法
下田哲朗著 A・P・マリーニョ監修
2008年11月23日 初版第1刷発行
東邦出版 1333円
-----------以下抜粋-----------
◆実はストライカーが育たないのは日本だけの問題ではありません。ブラジルでも近年、好きなときに好きなだけ自由に蹴ることができる場所が少ない都会からは優れたFWが育っていません。最近のセレソン(ブラジル代表)の多くが、草サッカーを思う存分楽しめる郊外や田舎育ちなのです。アフリカの優秀なストライカーたちもサッカー教室出身ではなく、自由にいくらでも草サッカーができる環境に生まれた人が多いのです。欧州でもテクニシャンを多く輩出することで有名な旧ユーゴスラビア地域は子供が草サッカーを思う存分プレーできる空き地が多くあります。
◆日本の小学生には全国大会が用意されています。頑張れば日本一のステータスを手に入れられるのです。
(中略)
日本ではチームが優勝したこと自体がすごいことなのですが、ブラジルではそのチームから何人のプロ選手が育つかが重要なのです。
◆ブラジルのアマチュアプレーヤーのほとんどがブラジルサッカー協会への登録を行っていません。
日本の場合は小学生の頃から全国大会があります。これを仕切るには日本サッカー協会の力が必要となります。ですから日本の場合は日本サッカー協会へのチームおよびにプレーヤーの登録が必要となるようです。
しかし、ブラジルの場合は一番大きい大会でも州(日本でいう県)の大会で、ほとんどは市内レベルの大会です。ですからチームやプレーヤーをブラジルサッカー協会に登録する必要はないのです。
◆入団テストはそう簡単に合格できません。
(中略)
コーチは選手の素質を見抜く専門家です。今はまだただの石コロのようでも、磨けば将来宝石になる原石の場合もあります。それをテストで探し出そうというのです。
ですから「こうすれば合格する」というものはありません。クラブによって、コーチによって合格の基準は違うのです。そのためテストを受ける少年は、自分なりのセールスポイントを身につけて受験することが多いのです。
(中略)
しかし、専門家といえども才能の見極めに失敗することもあります。そのためテストに合格しても才能が伸びなかったために、後日辞めさせられる少年もいるのです。
◆テストを受けた子供の大半は落とされることになります。落選を教えるのは掲示板に落選者の名前を張り出すのでも、合格者の名前だけを発表するのでもありません。落選となった子供のところにコーチが行って、落ちたことを告げるのです。
でもコーチは冷たく「君にはサッカー選手になる素質がない」とか「下手だから」などとは滅多に言いません。多くの場合は「残念だけど、うちのチームのカラーには合わなかった。ほかのクラブならうまくいくかも」というような表現をします。
これは子供たちの夢を壊さないということだけではありません。たまたまコーチがその子の才能を見抜けなかっただけで、将来すごい選手になる可能性もあるからです。ブラジルの有名な選手でもテストで落とされた経験がある人はたくさんいます。その落選のときにコーチから「君はサッカーに向いていない」と冷酷に言われていたら、その時点でプロになる努力を止めてしまったかもしれないのです。
(中略)
ブラジルでは草サッカーを見ているおじさんも、プロのクラブのコーチも子供たちを育てようと温かい目で見ているのです。
◆勝とうとすると失敗が許されなくなります。でも成長する過程でミスは付き物です。勝とうとしてミスを怖がれば挑戦する気持ちがなくなってしまい、最終的には個人の能力が伸びなくなってしまいます。ブラジルでどのチームも参加できる全国大会が開かれない理由は、国土が広く移動が大変だからです。でも結果的に全国大会のないことが、若手が育つ一因となっているようです。もっと年齢が低ければなおさらです。ブラジルでは試合は頻繁に行われます。子供たちは勝とうとして頑張ります。でも、子供にプレッシャーのかかるような大会は開催されないのです。
日本には小学校の頃から全国大会があります。この大会で勝つことを目指しているチームは数多くあります。そのチームは勝つためにミスの少ないサッカーをするケースが少なくないようです。難しい技術ができるようになるには失敗は付き物です。ミスを減らそうとすると簡単なプレーばかりをやることになります。そうすると大人になってからも簡単なことしかできなくなってしまう可能性が高くなるのです。
◆プロ予備軍の監督は当然プロフェッショナルです。査定次第では高額な給料をもらえる場合もあれば、解雇されてしまうかもしれない厳しい世界です。では、クラブは監督の評価を何によってするのでしょうか?
それは『上のクラスに何人上げたか』によって評価します。試合の勝率はまったく関係ありません。大会での順位も査定に入れません。練習方法も評価の対象にはしません。優秀な選手を育てることのみがプロ予備軍の監督の役割だからです。
また一般の人たちも同じ評価の仕方をします。そのクラブのU‐15チームやU‐19チームが良い戦績であったとしても評価の対象にはなりません。子供たちもそれでそのクラブへ入ろうとは思いません。少年たちはプロの選手になりたいわけですから、多くのプロ選手を育成しているクラブを目指します。
(中略)
プロになれる素質を持った抜群にうまい1人とあまりうまくない10人のチームよりも、まあまあうまい11人のチームのほうがチームの戦績は良くなることが多いのです。前者を選ぶブラジルと後者を選択しがちな日本では将来に差が出てくるのは当然かもしれません。
◆プロの経験豊かなコーチが「この子はセンスがある。将来伸びるはずだ」と判断しても実際にはそれほど伸びないこともあります。逆に16才の時点では「センスがない」と判断された子供の中に17、18才になると頭角を現す少年もいるのです。
これは『選手が伸びるのは個人の持っている潜在能力の大きさ』ということを証明しています。もし、練習方法が選手の能力を伸ばすのならばプロ予備軍で同じ練習をしている選手は全員上に上がれるはずだからです。
ただし、成長するのは個々の能力によるところが大きいのですが、才能の芽を摘み取ってしまうのは簡単です。良くない指導者の下でプレーしているとそういうことがよく起こります。植物の栽培と同じで、育てるのは丹精込めて気長にやらなければなりませんが、破壊するのは一瞬で完了してしまうのです。
日本ではうまくなりたければ有名な高校やクラブに入れるのがいいと考える人も少なくないようです。確かにうまい人たちの中でプレーすれば能力を引き出してくれる可能性は高いでしょう。ただし、そのチームに入れなかったからといってあきらめることはありません。サッカーを楽しんでいればいつか才能が開花することもあるのです。
◆若手選手の大会は大騒ぎしないのがブラジルの特徴です。
1つは若いうちに注目を浴びてしまうと、その選手がミスを怖がりチャレンジをしなくなってしまうからです。
挑戦しなくなると、もうそれ以上のレベルアップは望めません。
◆今の日本のサッカーを見ていると特徴のある選手があまり見当たりません。どの選手もうまいのですが、プレースタイルは同じように見えます。
(中略)
最近の日本の少年サッカーを見ていると決められた指導方法があるようで、どこのチームも同じような練習で子供たちを型にはめているように感じます。もし、同じ型にはめているのだったら、同じようなプレーヤーに成長しても不思議ではありません。
◆ブラジルのサッカー格言
・パスは、サイドの選手やフリーな選手じゃなく、走り込んだ選手に出せ。
・ヘディングするときはボールを落下地点で待つな。後ろから走り込め。
・シュートは、GKの左右を見て、ゴールが広く空いている方を狙え。
・(アフリカバージョン)ゴールはニアサイドのゴール天井を狙え。
・こちらの都合ではなく、相手の弱いところを攻めろ。
・ドリブルとはボールを運ぶことではなく、フェイントを使って相手をかわすこと。
・考えたときにはもう遅くなっている。直感でプレーしろ。
・フェイントで大切なのはタイミング。
完
下田哲朗著 A・P・マリーニョ監修
2008年11月23日 初版第1刷発行
東邦出版 1333円
-----------以下抜粋-----------
◆実はストライカーが育たないのは日本だけの問題ではありません。ブラジルでも近年、好きなときに好きなだけ自由に蹴ることができる場所が少ない都会からは優れたFWが育っていません。最近のセレソン(ブラジル代表)の多くが、草サッカーを思う存分楽しめる郊外や田舎育ちなのです。アフリカの優秀なストライカーたちもサッカー教室出身ではなく、自由にいくらでも草サッカーができる環境に生まれた人が多いのです。欧州でもテクニシャンを多く輩出することで有名な旧ユーゴスラビア地域は子供が草サッカーを思う存分プレーできる空き地が多くあります。
◆日本の小学生には全国大会が用意されています。頑張れば日本一のステータスを手に入れられるのです。
(中略)
日本ではチームが優勝したこと自体がすごいことなのですが、ブラジルではそのチームから何人のプロ選手が育つかが重要なのです。
◆ブラジルのアマチュアプレーヤーのほとんどがブラジルサッカー協会への登録を行っていません。
日本の場合は小学生の頃から全国大会があります。これを仕切るには日本サッカー協会の力が必要となります。ですから日本の場合は日本サッカー協会へのチームおよびにプレーヤーの登録が必要となるようです。
しかし、ブラジルの場合は一番大きい大会でも州(日本でいう県)の大会で、ほとんどは市内レベルの大会です。ですからチームやプレーヤーをブラジルサッカー協会に登録する必要はないのです。
◆入団テストはそう簡単に合格できません。
(中略)
コーチは選手の素質を見抜く専門家です。今はまだただの石コロのようでも、磨けば将来宝石になる原石の場合もあります。それをテストで探し出そうというのです。
ですから「こうすれば合格する」というものはありません。クラブによって、コーチによって合格の基準は違うのです。そのためテストを受ける少年は、自分なりのセールスポイントを身につけて受験することが多いのです。
(中略)
しかし、専門家といえども才能の見極めに失敗することもあります。そのためテストに合格しても才能が伸びなかったために、後日辞めさせられる少年もいるのです。
◆テストを受けた子供の大半は落とされることになります。落選を教えるのは掲示板に落選者の名前を張り出すのでも、合格者の名前だけを発表するのでもありません。落選となった子供のところにコーチが行って、落ちたことを告げるのです。
でもコーチは冷たく「君にはサッカー選手になる素質がない」とか「下手だから」などとは滅多に言いません。多くの場合は「残念だけど、うちのチームのカラーには合わなかった。ほかのクラブならうまくいくかも」というような表現をします。
これは子供たちの夢を壊さないということだけではありません。たまたまコーチがその子の才能を見抜けなかっただけで、将来すごい選手になる可能性もあるからです。ブラジルの有名な選手でもテストで落とされた経験がある人はたくさんいます。その落選のときにコーチから「君はサッカーに向いていない」と冷酷に言われていたら、その時点でプロになる努力を止めてしまったかもしれないのです。
(中略)
ブラジルでは草サッカーを見ているおじさんも、プロのクラブのコーチも子供たちを育てようと温かい目で見ているのです。
◆勝とうとすると失敗が許されなくなります。でも成長する過程でミスは付き物です。勝とうとしてミスを怖がれば挑戦する気持ちがなくなってしまい、最終的には個人の能力が伸びなくなってしまいます。ブラジルでどのチームも参加できる全国大会が開かれない理由は、国土が広く移動が大変だからです。でも結果的に全国大会のないことが、若手が育つ一因となっているようです。もっと年齢が低ければなおさらです。ブラジルでは試合は頻繁に行われます。子供たちは勝とうとして頑張ります。でも、子供にプレッシャーのかかるような大会は開催されないのです。
日本には小学校の頃から全国大会があります。この大会で勝つことを目指しているチームは数多くあります。そのチームは勝つためにミスの少ないサッカーをするケースが少なくないようです。難しい技術ができるようになるには失敗は付き物です。ミスを減らそうとすると簡単なプレーばかりをやることになります。そうすると大人になってからも簡単なことしかできなくなってしまう可能性が高くなるのです。
◆プロ予備軍の監督は当然プロフェッショナルです。査定次第では高額な給料をもらえる場合もあれば、解雇されてしまうかもしれない厳しい世界です。では、クラブは監督の評価を何によってするのでしょうか?
それは『上のクラスに何人上げたか』によって評価します。試合の勝率はまったく関係ありません。大会での順位も査定に入れません。練習方法も評価の対象にはしません。優秀な選手を育てることのみがプロ予備軍の監督の役割だからです。
また一般の人たちも同じ評価の仕方をします。そのクラブのU‐15チームやU‐19チームが良い戦績であったとしても評価の対象にはなりません。子供たちもそれでそのクラブへ入ろうとは思いません。少年たちはプロの選手になりたいわけですから、多くのプロ選手を育成しているクラブを目指します。
(中略)
プロになれる素質を持った抜群にうまい1人とあまりうまくない10人のチームよりも、まあまあうまい11人のチームのほうがチームの戦績は良くなることが多いのです。前者を選ぶブラジルと後者を選択しがちな日本では将来に差が出てくるのは当然かもしれません。
◆プロの経験豊かなコーチが「この子はセンスがある。将来伸びるはずだ」と判断しても実際にはそれほど伸びないこともあります。逆に16才の時点では「センスがない」と判断された子供の中に17、18才になると頭角を現す少年もいるのです。
これは『選手が伸びるのは個人の持っている潜在能力の大きさ』ということを証明しています。もし、練習方法が選手の能力を伸ばすのならばプロ予備軍で同じ練習をしている選手は全員上に上がれるはずだからです。
ただし、成長するのは個々の能力によるところが大きいのですが、才能の芽を摘み取ってしまうのは簡単です。良くない指導者の下でプレーしているとそういうことがよく起こります。植物の栽培と同じで、育てるのは丹精込めて気長にやらなければなりませんが、破壊するのは一瞬で完了してしまうのです。
日本ではうまくなりたければ有名な高校やクラブに入れるのがいいと考える人も少なくないようです。確かにうまい人たちの中でプレーすれば能力を引き出してくれる可能性は高いでしょう。ただし、そのチームに入れなかったからといってあきらめることはありません。サッカーを楽しんでいればいつか才能が開花することもあるのです。
◆若手選手の大会は大騒ぎしないのがブラジルの特徴です。
1つは若いうちに注目を浴びてしまうと、その選手がミスを怖がりチャレンジをしなくなってしまうからです。
挑戦しなくなると、もうそれ以上のレベルアップは望めません。
◆今の日本のサッカーを見ていると特徴のある選手があまり見当たりません。どの選手もうまいのですが、プレースタイルは同じように見えます。
(中略)
最近の日本の少年サッカーを見ていると決められた指導方法があるようで、どこのチームも同じような練習で子供たちを型にはめているように感じます。もし、同じ型にはめているのだったら、同じようなプレーヤーに成長しても不思議ではありません。
◆ブラジルのサッカー格言
・パスは、サイドの選手やフリーな選手じゃなく、走り込んだ選手に出せ。
・ヘディングするときはボールを落下地点で待つな。後ろから走り込め。
・シュートは、GKの左右を見て、ゴールが広く空いている方を狙え。
・(アフリカバージョン)ゴールはニアサイドのゴール天井を狙え。
・こちらの都合ではなく、相手の弱いところを攻めろ。
・ドリブルとはボールを運ぶことではなく、フェイントを使って相手をかわすこと。
・考えたときにはもう遅くなっている。直感でプレーしろ。
・フェイントで大切なのはタイミング。
完
2010年11月19日金曜日
いわゆるひとつのサッカーうぉっちんぐ
【いわゆるひとつの“広岡・森・野村的サッカーうぉっちんぐ”でしょうか~】
こういう見方の方が、これまでずうっと日本での主流だった「感覚的(長島茂雄的)」なサッカーの捉え方よりも、日本人には合っているのかもしれない。
「サッカープロフェッショナル超観戦術」
出版社: カンゼン
ISBN-10: 4862550592
ISBN-13: 978-4862550590
発売日: 2010/10/13
1680円
どんな本なのかまだ読んでいないのでわからないが、以下のような考え方を文章によって具体化しようと試みているのであれば、「外れ本(はずれぼん)」ってことはなさそうだ。
----------------------------------------------------------------
1人ひとり、いろんなタイプの選手がいるわけじゃないですか。相手もそうなんですけど、自分たちもそうですよね。攻撃する時には、自分たちのいいものを活かしたいわけで。もしFWが得点力のある選手ならば、そこを活かしたい。サイドハーフにスピードがある選手がいたら、そのスピードを活かしたい。そうした選手の長所を活かすやり方を、全部やれるのかと言えば現実にはやれない。なぜなら、自分たちのいいところを、相手はなにかしらケアしてくるからです。
自分たちのMFはビルドアップ能力が高いとする。そこをいつも経由しているけれども、相手がマンツーマンでMFについてくるという状況になった。それをどれだけの選手が、流れの中でわかって、それにどうやって対処すればいいのかをわかって、どういう選択肢をとれるのかどうか。もしも、そのCHのマークがMFにきついとするなら、マークされたMFが自分で気付かないといけないのは、「逆に俺がおとりになって相手のCHを連れてスペースを作ればいいんだ」と考えることです。
そうしたら、MFにマーカーがついてくるのか、ついてこないのか、やってみないとわからないわけですよね。もし、マーカーがMFにどこまでもついてくるようなら、MFを基点にしないで、中盤を飛ばして最初にFWにボール当てるなりして、直接FWにボールを入れるという別のビルドアップのやり方をやればいい。FWにボールが通るようになったら相手はまた何か対策を立ててくる。
自分たちのサッカーをやり通せばいいんだとか、1つのことだけ、たとえばサイドから攻撃しようとそこに軸足を置いたとしても、サッカーって上手くいかないんですよ。試合は流れているわけで、常に、「見て」×「考えて」×「決定」をしていかないと。
自分たちも試合中に変化していくのですが、相手にも状況の変化は同時に起こっている。自分たちにとって嫌ところを潰しにかかったりとか。その状況の流れを読むという力は、日本の選手という言い方は、偏見かもしれないんですが、「状況の流れを読む」ということを小さい頃から教えられていないと難しいですよね。それを教えられる指導者が日本には少ないというのが、原因かもしれないんですが。「見て」×「考えて」×「決定」という思考が育てられてないと感じます。
----------------------------------------------------------------
私なりに要約すれば、サッカーはゲームなんだという“根っ子”を忘れてはいけない、ということだろうと思う。
試合では、練習でやったことを繰り返すのではなく、練習でやったことはやったこととして利用しながら、一期一会の新たなサッカーを創り出すのだと、そう基本概念を書き直した方がよいようなチームもいっぱいあったし、そうした固定観念に凝り固まってしまった子供たちもたくさん見た。
そういうチームや子供たちには、この本のようなアプローチで刺激して、サッカーをとらえる視点を再構築させてあげるのも一考かもしれないと思う今日この頃なのであった。
bye-bye
こういう見方の方が、これまでずうっと日本での主流だった「感覚的(長島茂雄的)」なサッカーの捉え方よりも、日本人には合っているのかもしれない。
「サッカープロフェッショナル超観戦術」
出版社: カンゼン
ISBN-10: 4862550592
ISBN-13: 978-4862550590
発売日: 2010/10/13
1680円
どんな本なのかまだ読んでいないのでわからないが、以下のような考え方を文章によって具体化しようと試みているのであれば、「外れ本(はずれぼん)」ってことはなさそうだ。
----------------------------------------------------------------
1人ひとり、いろんなタイプの選手がいるわけじゃないですか。相手もそうなんですけど、自分たちもそうですよね。攻撃する時には、自分たちのいいものを活かしたいわけで。もしFWが得点力のある選手ならば、そこを活かしたい。サイドハーフにスピードがある選手がいたら、そのスピードを活かしたい。そうした選手の長所を活かすやり方を、全部やれるのかと言えば現実にはやれない。なぜなら、自分たちのいいところを、相手はなにかしらケアしてくるからです。
自分たちのMFはビルドアップ能力が高いとする。そこをいつも経由しているけれども、相手がマンツーマンでMFについてくるという状況になった。それをどれだけの選手が、流れの中でわかって、それにどうやって対処すればいいのかをわかって、どういう選択肢をとれるのかどうか。もしも、そのCHのマークがMFにきついとするなら、マークされたMFが自分で気付かないといけないのは、「逆に俺がおとりになって相手のCHを連れてスペースを作ればいいんだ」と考えることです。
そうしたら、MFにマーカーがついてくるのか、ついてこないのか、やってみないとわからないわけですよね。もし、マーカーがMFにどこまでもついてくるようなら、MFを基点にしないで、中盤を飛ばして最初にFWにボール当てるなりして、直接FWにボールを入れるという別のビルドアップのやり方をやればいい。FWにボールが通るようになったら相手はまた何か対策を立ててくる。
自分たちのサッカーをやり通せばいいんだとか、1つのことだけ、たとえばサイドから攻撃しようとそこに軸足を置いたとしても、サッカーって上手くいかないんですよ。試合は流れているわけで、常に、「見て」×「考えて」×「決定」をしていかないと。
自分たちも試合中に変化していくのですが、相手にも状況の変化は同時に起こっている。自分たちにとって嫌ところを潰しにかかったりとか。その状況の流れを読むという力は、日本の選手という言い方は、偏見かもしれないんですが、「状況の流れを読む」ということを小さい頃から教えられていないと難しいですよね。それを教えられる指導者が日本には少ないというのが、原因かもしれないんですが。「見て」×「考えて」×「決定」という思考が育てられてないと感じます。
----------------------------------------------------------------
私なりに要約すれば、サッカーはゲームなんだという“根っ子”を忘れてはいけない、ということだろうと思う。
試合では、練習でやったことを繰り返すのではなく、練習でやったことはやったこととして利用しながら、一期一会の新たなサッカーを創り出すのだと、そう基本概念を書き直した方がよいようなチームもいっぱいあったし、そうした固定観念に凝り固まってしまった子供たちもたくさん見た。
そういうチームや子供たちには、この本のようなアプローチで刺激して、サッカーをとらえる視点を再構築させてあげるのも一考かもしれないと思う今日この頃なのであった。
bye-bye
2010年9月3日金曜日
対策を講じるほど惨劇は大きくなる
『歴史は「べき乗則」で動く』
〈数理を愉しむ〉シリーズ
種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学
著者 マーク・ブキャナン(Mark Buchanan)
1961年オハイオ州生まれ。サイエンスライター。
訳者 水谷 淳
発行 2009年8月25日
早川書房
840円
目次
第1章 なぜ世界は予期せぬ大激変に見舞われるのか
第2章 地震には「前兆」も「周期」もない
第3章 地震と規模と頻度の驚くべき関係──べき乗則の発見
第4章 べき乗則は自然界にあまねく宿る
第5章 最初の地滑りが運命の分かれ道──地震と臨界状態
第6章 世界は見た目よりも単純で、細部は重要ではない
第7章 防火対策を講じるほど山火事は大きくなる
第8章 大量絶滅は特別な出来事ではない
第9章 臨界状態へと自己組織化する生物ネットワーク
第10章 なぜ金融市場は暴落するのか──人間社会もべき乗則に従う
第11章 では、個人の自由意志はどうなるのか
第12章 科学は地続きに「進歩」するのではない
第13章 「学説ネットワークの雪崩」としての科学革命
第14章 「クレオパトラの鼻」が歴史を変えるのか
第15章 歴史物理学の可能性
サッカーにおいて鉄壁なはずの守備が崩壊する瞬間も、間違いなくべき乗則に沿っている、と思う。
〈数理を愉しむ〉シリーズ
種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学
著者 マーク・ブキャナン(Mark Buchanan)
1961年オハイオ州生まれ。サイエンスライター。
訳者 水谷 淳
発行 2009年8月25日
早川書房
840円
目次
第1章 なぜ世界は予期せぬ大激変に見舞われるのか
第2章 地震には「前兆」も「周期」もない
第3章 地震と規模と頻度の驚くべき関係──べき乗則の発見
第4章 べき乗則は自然界にあまねく宿る
第5章 最初の地滑りが運命の分かれ道──地震と臨界状態
第6章 世界は見た目よりも単純で、細部は重要ではない
第7章 防火対策を講じるほど山火事は大きくなる
第8章 大量絶滅は特別な出来事ではない
第9章 臨界状態へと自己組織化する生物ネットワーク
第10章 なぜ金融市場は暴落するのか──人間社会もべき乗則に従う
第11章 では、個人の自由意志はどうなるのか
第12章 科学は地続きに「進歩」するのではない
第13章 「学説ネットワークの雪崩」としての科学革命
第14章 「クレオパトラの鼻」が歴史を変えるのか
第15章 歴史物理学の可能性
サッカーにおいて鉄壁なはずの守備が崩壊する瞬間も、間違いなくべき乗則に沿っている、と思う。
2010年7月16日金曜日
もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』
岩崎夏海(いわさきなつみ)著
ダイヤモンド社 1600円
2009年12月3日第1刷発行
5年前に死んでしまったピーター・ドラッカーは、世の中が不況になる度にブームがやってくる経営学者だ。
ビジネスマン向けの自己啓発本という、新しい分野を開拓した先駆者と言っていい。
実はドラッカーが語っているその内容は、実際の経営やビジネスの現場にダイレクトに応用できるようなものではない。
宮本武蔵の『五輪書』のようなもので、読んでいるときは「おおなるほど!」と納得し、開眼したような気がするのだが、実際の場面に出来くわすとかなり心許ない。真剣勝負の場では、「戦いに勝つとは~」よりも、筋力や技量や武器の差といったものが勝敗を決するからだ。K-1チャンピオンvsマニラの改造拳銃を持った小僧の闘いで、K-1チャンピオンに賭けるのはお金をドブに捨てるようなものだ。
ビジネスの話に限っても、まあ中国の経営者でドラッカーに傾倒している人はいないだろう。それでも中国経済は絶好調だ。
とか言いつつも、私はこの手の自己啓発的ビジネス本が嫌いではない。いやむしろかなり好きな方だろう。
「仕事の価値とは」あるいは「働くことの意味とは」のようなテーマは、ドラッカーの思想の根幹となっている価値観なのだが、私はこの手の話が大好物なのだ。
こんな例え話があった(と思う)。
大規模な教会建設現場(わたしは勝手にサグラダファミリアだろうとイメージして記憶している)で作業中の石工に「何をしているのか」と聞いたのだそうだ。
(石工たちは、忙しいのに邪魔すんじゃねえ。お前はキリストかっつうの。ぶん殴られないだけでも幸運と思え。とかって思いながらも、さっさと追っ払うために仕方なく──)
1人目の石工は『母ちゃんとガキどもにメシ食わさねえとな』と答えた。
2人目の石工は『仕事』と答えた。
3人目の石工は『ぼくは世界一の教会を建てているんだ!』と答えた。
最後に、奥の方で作業していた4人目の石工が答えた。
「俺はみんなの心のよりどころをつくっている」
4番目の石工は「かっちょい~」、けど扱い辛そうだよなあ、とずっとひっかかっている例え話だ。
腕が良さそうなのは1と2。彼らは仕事も早そう。3は、張り切ってる分、失敗が多そうなんだよなあ。そして4は、正論を盾に妥協しないタイプなような気がする。俺は4みたいな人の仕事が好きなんだけど、仕事を頼む側の立場になったら使いたくない職人だよね。お前のその思いは、お前の家で発揮してくれって。
でも人生ってのは、生まれたときのほぼゼロだった基準点から出発して、いつかなんらかの価値を創り上げるだろうプロセスだと思ってるわけさ、俺は。
自分の価値観を築き上げ、それと社会が求める価値とをぶつけ合いながら、歪(いびつ)だった自分を整形していって、社会にフィードバックすることで、自分も社会も豊かになっていくことを理想とする世界観。これが俺が考えている、この世に自分が生まれたことの意味。
何のために働くのか?
飯を食うためとか、金を稼ぐためとか、他人から敬われる地位につくため、とかっていう実利的な理由だけじゃあ、自分がこの世に生まれてきたことの理由になるだろうかって俺は思うわけさ。それって自分じゃなくてもいいよね? 他人がやっても同じこと(だって徳川家康だったり、ビル・ゲイツとかっていうまったくの他人が、すでに天下を取ったり、世界一の資産家になったりしちゃってるわけじゃん。実利的な理由が人生の価値だとするなら、彼ら以外の人間の人生には彼ら以下の価値しかないってことになる。でもそんなことはないはずだと俺は思っているわけで、そうなると自然に、自分が生きていることの意味は実利的な理由にあるんじゃない、ってことになる)にわざわざ「自分」の人生を費やすだけの価値があるのかっつう話だ。
仕事を通じて新しい価値を生み出し、それによって自分自身が成長するのが、人生の醍醐味なんじゃねえの? って俺は思うわけ。
これってサッカーにも通じると俺は確信してる。
「サッカーの価値とは」「サッカーをすることの意味とは」「何のためにサッカーをしているのか?」
まあサッカーじゃなくてもいいんだけどさ。
西日本の若い女子ゴルファーが高校生の時に言ったそうじゃん、部活で懸命に頑張っている同級生を見下げて、
「プロのないスポーツであんなに一生懸命になる理由がわからんわ。アホちゃう?」
つまり「無駄だ」と言ったわけだ。
俺からすれば、お前の存在がムダだ。まあ向こうに言わせれば、「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。おほほほほ」ってとこで、カエルのツラにしょんべんだろうが、それでも俺は、ここのところは譲らない。
道端の石ころにも価値はあるのだ。
聖書には「隅の親石」という話がある。これは、誰かが捨てた石が大きな家の礎石となることもある、とかいう内容だったと思う。
レギュラーじゃない子が一生懸命練習することはムダじゃない。
最後に、この本に、わざわざ購入するまでの価値はありません。
読むのなら、誰かから借りるか、図書館を利用すれば十分です。
購入するなら、親本の
『マネジメント』 P.F.ドラッカー著 ダイヤモンド社 2000円+税
の方がいいでしょう。
『もし高校~』とは差額400円あるけど、内容は比べものにならないくらいに濃いものです。
カルピスの原液と、カルピスウォーター以上の違いがあります。
岩崎夏海(いわさきなつみ)著
ダイヤモンド社 1600円
2009年12月3日第1刷発行
5年前に死んでしまったピーター・ドラッカーは、世の中が不況になる度にブームがやってくる経営学者だ。
ビジネスマン向けの自己啓発本という、新しい分野を開拓した先駆者と言っていい。
実はドラッカーが語っているその内容は、実際の経営やビジネスの現場にダイレクトに応用できるようなものではない。
宮本武蔵の『五輪書』のようなもので、読んでいるときは「おおなるほど!」と納得し、開眼したような気がするのだが、実際の場面に出来くわすとかなり心許ない。真剣勝負の場では、「戦いに勝つとは~」よりも、筋力や技量や武器の差といったものが勝敗を決するからだ。K-1チャンピオンvsマニラの改造拳銃を持った小僧の闘いで、K-1チャンピオンに賭けるのはお金をドブに捨てるようなものだ。
ビジネスの話に限っても、まあ中国の経営者でドラッカーに傾倒している人はいないだろう。それでも中国経済は絶好調だ。
とか言いつつも、私はこの手の自己啓発的ビジネス本が嫌いではない。いやむしろかなり好きな方だろう。
「仕事の価値とは」あるいは「働くことの意味とは」のようなテーマは、ドラッカーの思想の根幹となっている価値観なのだが、私はこの手の話が大好物なのだ。
こんな例え話があった(と思う)。
大規模な教会建設現場(わたしは勝手にサグラダファミリアだろうとイメージして記憶している)で作業中の石工に「何をしているのか」と聞いたのだそうだ。
(石工たちは、忙しいのに邪魔すんじゃねえ。お前はキリストかっつうの。ぶん殴られないだけでも幸運と思え。とかって思いながらも、さっさと追っ払うために仕方なく──)
1人目の石工は『母ちゃんとガキどもにメシ食わさねえとな』と答えた。
2人目の石工は『仕事』と答えた。
3人目の石工は『ぼくは世界一の教会を建てているんだ!』と答えた。
最後に、奥の方で作業していた4人目の石工が答えた。
「俺はみんなの心のよりどころをつくっている」
4番目の石工は「かっちょい~」、けど扱い辛そうだよなあ、とずっとひっかかっている例え話だ。
腕が良さそうなのは1と2。彼らは仕事も早そう。3は、張り切ってる分、失敗が多そうなんだよなあ。そして4は、正論を盾に妥協しないタイプなような気がする。俺は4みたいな人の仕事が好きなんだけど、仕事を頼む側の立場になったら使いたくない職人だよね。お前のその思いは、お前の家で発揮してくれって。
でも人生ってのは、生まれたときのほぼゼロだった基準点から出発して、いつかなんらかの価値を創り上げるだろうプロセスだと思ってるわけさ、俺は。
自分の価値観を築き上げ、それと社会が求める価値とをぶつけ合いながら、歪(いびつ)だった自分を整形していって、社会にフィードバックすることで、自分も社会も豊かになっていくことを理想とする世界観。これが俺が考えている、この世に自分が生まれたことの意味。
何のために働くのか?
飯を食うためとか、金を稼ぐためとか、他人から敬われる地位につくため、とかっていう実利的な理由だけじゃあ、自分がこの世に生まれてきたことの理由になるだろうかって俺は思うわけさ。それって自分じゃなくてもいいよね? 他人がやっても同じこと(だって徳川家康だったり、ビル・ゲイツとかっていうまったくの他人が、すでに天下を取ったり、世界一の資産家になったりしちゃってるわけじゃん。実利的な理由が人生の価値だとするなら、彼ら以外の人間の人生には彼ら以下の価値しかないってことになる。でもそんなことはないはずだと俺は思っているわけで、そうなると自然に、自分が生きていることの意味は実利的な理由にあるんじゃない、ってことになる)にわざわざ「自分」の人生を費やすだけの価値があるのかっつう話だ。
仕事を通じて新しい価値を生み出し、それによって自分自身が成長するのが、人生の醍醐味なんじゃねえの? って俺は思うわけ。
これってサッカーにも通じると俺は確信してる。
「サッカーの価値とは」「サッカーをすることの意味とは」「何のためにサッカーをしているのか?」
まあサッカーじゃなくてもいいんだけどさ。
西日本の若い女子ゴルファーが高校生の時に言ったそうじゃん、部活で懸命に頑張っている同級生を見下げて、
「プロのないスポーツであんなに一生懸命になる理由がわからんわ。アホちゃう?」
つまり「無駄だ」と言ったわけだ。
俺からすれば、お前の存在がムダだ。まあ向こうに言わせれば、「その言葉、そっくりそのままお返ししますわ。おほほほほ」ってとこで、カエルのツラにしょんべんだろうが、それでも俺は、ここのところは譲らない。
道端の石ころにも価値はあるのだ。
聖書には「隅の親石」という話がある。これは、誰かが捨てた石が大きな家の礎石となることもある、とかいう内容だったと思う。
レギュラーじゃない子が一生懸命練習することはムダじゃない。
最後に、この本に、わざわざ購入するまでの価値はありません。
読むのなら、誰かから借りるか、図書館を利用すれば十分です。
購入するなら、親本の
『マネジメント』 P.F.ドラッカー著 ダイヤモンド社 2000円+税
の方がいいでしょう。
『もし高校~』とは差額400円あるけど、内容は比べものにならないくらいに濃いものです。
カルピスの原液と、カルピスウォーター以上の違いがあります。
2010年5月7日金曜日
これが団塊の感覚スカウティングだ!
『サッカースカウティングレポート 超一流のゲーム分析』
著者 小野剛(元日本代表コーチ) 発行 株式会カンゼン 初版 2010-02-18 価格1600
-------------------------------------------------------
岡田ザ・スーパー武史現日本代表監督の、カリスマ的なチームマネジメントを学びたいのなら、絶対に読むべき奇著。
p100では、ふたりの関係を見事に伝えるエピソードを著者自ら紹介している。
当時はほとんど無名であった今野泰幸…(中略)…高校卒業を控えた時点でプロチームからの誘いを1つも受けていないことを聞いた私は、当時J1のコンサドーレ札幌で監督をしていた岡田さんに電話をして…(後略)
(今野選手は2001年にコンサドーレ札幌に入団した)
要するに岡田エクセレント武史氏と著者は、スカウトたちが落とした人材を、電話一本でJリーガーにできるような間柄なのだ(まあそれ以前に、今野を落とすJのスカウト全員の無能さが大問題なのだが)。
この本には、他にも数え切れないくらい「岡田さん」「岡田監督」といった文言が記されている。どれほど著者が心酔しているのかが、読みたくなくても読み取れる。
2人で酒でも酌み交わせば、サッカー談義で熱く盛り上がることだろう。2人はうりふたつの『サッカー観』でかたく結ばれているのだから。
ところがそのサッカー観に基づく「スカウティング」の内容と、著者のサッカーや日本代表にたずさわる姿勢を知ると、暗澹とさせれてしまう。少なくとも私は「マジっすか? こんなんでいいの?」と思わずにはいられませんでした。
まず「弟子p14」という表現を使って悦に入っている感覚や
サッカーを「観る眼」は鑑定に近いかもしれません。
鑑定士は、偽物をどれだけ見ても目利きにはなれないそうです。本物をどれだけ見たかで眼が養われると聞いたことがあります。ハイレベルな本物の試合をたくさん観ているからこそ、直感的に違和感を覚えるのでしょう。p16
私自身が見えるようになったと実感したのは、かなりあとのことです。p17
といったくだりを読むと、
スカウティングってのはそんなに感覚的にやっちゃっていいもんなのか?
と心配になってきます。
ましてやこの著者は、S級ライセンス指導の重鎮らしいのです。おいおいって感じです。
では実際、どのようなスカウティングがされたのかを紹介します。
まず、スカウティングの苦労話です。
これなど典型的な、団塊世代の「昔の苦労自慢話」に思えます。さらにスポーツマンとしても、日本男児としても、胸を張れるような振る舞いとは、私には感じられませんでした。率直に言うと、軽蔑しました。
以下は、同行した同僚の話として紹介されています。
野見山さんはイラクのスタッフに捕まっていたそうです。車から引きずり出されて、そのまま胸倉をつかまれて持ち上げられたと言っていました。けれど、メモを車の座席の下に隠し、「私は通りすがりの韓国人です」と英語で言ったら、それ以上のことはされなかったようです。
オマーンをスカウティングしたときは、軍事施設に潜入した事もありました。…(中略)…さすがに許可を取りました。p22
韓国人になりすますあたりや、許可を取っているにもかかわらず「潜入」と書くあたり、私とはかなり異なる常識の持ち主なのだなあと推察しました。
堂々と「私はサッカー日本代表チームのスタッフです。練習を見学させて欲しい」と申し出れば、普通にOKが出たんじゃないかなって思います。それをいい歳して、こそこそスパイの真似事なんかやるから、怪しまれたってだけの話のように思えました。ピンチじゃないのに勝手にピンチだと合点して、それを自分史の武勇伝として本にまで書いちゃうあたりが、いかにも団塊世代って感じですごく素敵です。うちのミーちゃん(雑種)が人間だったら、確実に惚れてますね。先日も、得体の知れない臭いものにスリスリしてましたから。
ではスカウティングの報告はどのようなものなのか。
衝撃です。
どのように質問されるのかは、24ページにありました。
「それで、相手は強いのか?」p24
衝撃的な質問だとは思いませんか? アトランタ五輪のときの西野監督からの質問として紹介されています。
そして、そう聞かれた著者はどう答えたのか。それは、
「ブラジルよりも強いと思います」p178
ぶっ倒れます。ミシュランの覆面調査員らがもし「うまいのか?」「うまいと思います」レベルでガイドブックを編集してたとしても、まあご愛敬ですけど、日本代表チームでそれをやられてしまったら頭が痛くなります。
この本全体を包んでいるのは楽天的な著者の性格です。
正直、かなり羨ましい性格をされています。
有名な自称「マイアミの奇跡」の時は、
(略)…確かにブラジルのミスでした。しかし自信を持って言えることは、日本が起こさせたミスだということ。ミスが起きるように仕向けたのです。p175
ですが、フランスワールドカップのアルゼンチン戦のこととなると、
(略)…バティストゥータの前にボールがこぼれてしまった。…(中略)…サッカーとはそういうもの。どれだけ良い形で戦っていても、どちらに幸運がもたらされるかはわからない。
となります。実に羨ましい性格だと言わざるを得ません(分析専門官としてはどうなのかな、とは思いますが)。
そして、アルゼンチンに敗れたあとの第二戦クロアチア戦で、この著者はどんなアドバイスを伝えたのか。
『絶対に負けられない戦い』への必勝アドバイスとは!
(略)…最終ラインの裏を狙っていきました。そのとき注意したのは、ボールを奪われたらすぐ切り替えて奪い返すこと。それとクサビのパスを受ける選手を孤立させないように、しっかりサポートすることでした。p237
じゃあそれまではどうしてたんだよ、と思わず突っ込みを入れたくなるような指示です。
これで本当に、クロアチアに勝てると思っていたのでしょうか? 勝つつもりがあったのか、相当に疑問です。
このアドバイスのために、どれくらいのコストがかかっているのか……考えたくないです。
最後のところで著者はこう語っています。
初出場のフランスワールドカップを終えて感じたことは、たくさんありました。
まず、決定的に太刀打ちできなかったのかというと、そんな気はしなかった。10回戦って5回勝つレベルではなかったけれど、10回負ける相手でもなかった。アルゼンチンやクロアチアが相手でも、2、3回は勝てるのではないかと思いました。p241
なるほど、と納得しました。
岡田トレビアーン武史大日本代表監督も、こんな認識でいたのだな、と。
だからこそ「ベスト4」なんてことを軽々しく目標に掲げられたのだな、と。
でも確率10分の3が2回あったとしても、ベスト4には届かないのではないかなあ。
それにそんな確率じゃあD判定にもならない***印ですよ。そんなとこを「志望校は○○大です」って掲げちゃうのは、どうなんですかねえ。
などなど、現在の日本サッカーを支えている『超一流』のサッカー観・認識が非常によくわかる希著として、花丸推薦したい本です。よくこれを書いてくれたと、本気で感謝したいです。もしこれを読んでいなかったら「もしかして……」と余計な期待を持ち続けてしまいますから。
それと現在の日本代表のスカウティング担当者の方々(お弟子さんとお呼びした方がよろしいのでしょうか?)、どうかどうか、「うまく騙してやったぜ自慢」とか「やばかったから、俺は韓国人(中国人)だって言ってやったぜ」などという、日本人全体を貶めるような行為は慎んで頂くよう、切にお願い申し上げます。
著者 小野剛(元日本代表コーチ) 発行 株式会カンゼン 初版 2010-02-18 価格1600
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岡田ザ・スーパー武史現日本代表監督の、カリスマ的なチームマネジメントを学びたいのなら、絶対に読むべき奇著。
p100では、ふたりの関係を見事に伝えるエピソードを著者自ら紹介している。
当時はほとんど無名であった今野泰幸…(中略)…高校卒業を控えた時点でプロチームからの誘いを1つも受けていないことを聞いた私は、当時J1のコンサドーレ札幌で監督をしていた岡田さんに電話をして…(後略)
(今野選手は2001年にコンサドーレ札幌に入団した)
要するに岡田エクセレント武史氏と著者は、スカウトたちが落とした人材を、電話一本でJリーガーにできるような間柄なのだ(まあそれ以前に、今野を落とすJのスカウト全員の無能さが大問題なのだが)。
この本には、他にも数え切れないくらい「岡田さん」「岡田監督」といった文言が記されている。どれほど著者が心酔しているのかが、読みたくなくても読み取れる。
2人で酒でも酌み交わせば、サッカー談義で熱く盛り上がることだろう。2人はうりふたつの『サッカー観』でかたく結ばれているのだから。
ところがそのサッカー観に基づく「スカウティング」の内容と、著者のサッカーや日本代表にたずさわる姿勢を知ると、暗澹とさせれてしまう。少なくとも私は「マジっすか? こんなんでいいの?」と思わずにはいられませんでした。
まず「弟子p14」という表現を使って悦に入っている感覚や
サッカーを「観る眼」は鑑定に近いかもしれません。
鑑定士は、偽物をどれだけ見ても目利きにはなれないそうです。本物をどれだけ見たかで眼が養われると聞いたことがあります。ハイレベルな本物の試合をたくさん観ているからこそ、直感的に違和感を覚えるのでしょう。p16
私自身が見えるようになったと実感したのは、かなりあとのことです。p17
といったくだりを読むと、
スカウティングってのはそんなに感覚的にやっちゃっていいもんなのか?
と心配になってきます。
ましてやこの著者は、S級ライセンス指導の重鎮らしいのです。おいおいって感じです。
では実際、どのようなスカウティングがされたのかを紹介します。
まず、スカウティングの苦労話です。
これなど典型的な、団塊世代の「昔の苦労自慢話」に思えます。さらにスポーツマンとしても、日本男児としても、胸を張れるような振る舞いとは、私には感じられませんでした。率直に言うと、軽蔑しました。
以下は、同行した同僚の話として紹介されています。
野見山さんはイラクのスタッフに捕まっていたそうです。車から引きずり出されて、そのまま胸倉をつかまれて持ち上げられたと言っていました。けれど、メモを車の座席の下に隠し、「私は通りすがりの韓国人です」と英語で言ったら、それ以上のことはされなかったようです。
オマーンをスカウティングしたときは、軍事施設に潜入した事もありました。…(中略)…さすがに許可を取りました。p22
韓国人になりすますあたりや、許可を取っているにもかかわらず「潜入」と書くあたり、私とはかなり異なる常識の持ち主なのだなあと推察しました。
堂々と「私はサッカー日本代表チームのスタッフです。練習を見学させて欲しい」と申し出れば、普通にOKが出たんじゃないかなって思います。それをいい歳して、こそこそスパイの真似事なんかやるから、怪しまれたってだけの話のように思えました。ピンチじゃないのに勝手にピンチだと合点して、それを自分史の武勇伝として本にまで書いちゃうあたりが、いかにも団塊世代って感じですごく素敵です。うちのミーちゃん(雑種)が人間だったら、確実に惚れてますね。先日も、得体の知れない臭いものにスリスリしてましたから。
ではスカウティングの報告はどのようなものなのか。
衝撃です。
どのように質問されるのかは、24ページにありました。
「それで、相手は強いのか?」p24
衝撃的な質問だとは思いませんか? アトランタ五輪のときの西野監督からの質問として紹介されています。
そして、そう聞かれた著者はどう答えたのか。それは、
「ブラジルよりも強いと思います」p178
ぶっ倒れます。ミシュランの覆面調査員らがもし「うまいのか?」「うまいと思います」レベルでガイドブックを編集してたとしても、まあご愛敬ですけど、日本代表チームでそれをやられてしまったら頭が痛くなります。
この本全体を包んでいるのは楽天的な著者の性格です。
正直、かなり羨ましい性格をされています。
有名な自称「マイアミの奇跡」の時は、
(略)…確かにブラジルのミスでした。しかし自信を持って言えることは、日本が起こさせたミスだということ。ミスが起きるように仕向けたのです。p175
ですが、フランスワールドカップのアルゼンチン戦のこととなると、
(略)…バティストゥータの前にボールがこぼれてしまった。…(中略)…サッカーとはそういうもの。どれだけ良い形で戦っていても、どちらに幸運がもたらされるかはわからない。
となります。実に羨ましい性格だと言わざるを得ません(分析専門官としてはどうなのかな、とは思いますが)。
そして、アルゼンチンに敗れたあとの第二戦クロアチア戦で、この著者はどんなアドバイスを伝えたのか。
『絶対に負けられない戦い』への必勝アドバイスとは!
(略)…最終ラインの裏を狙っていきました。そのとき注意したのは、ボールを奪われたらすぐ切り替えて奪い返すこと。それとクサビのパスを受ける選手を孤立させないように、しっかりサポートすることでした。p237
じゃあそれまではどうしてたんだよ、と思わず突っ込みを入れたくなるような指示です。
これで本当に、クロアチアに勝てると思っていたのでしょうか? 勝つつもりがあったのか、相当に疑問です。
このアドバイスのために、どれくらいのコストがかかっているのか……考えたくないです。
最後のところで著者はこう語っています。
初出場のフランスワールドカップを終えて感じたことは、たくさんありました。
まず、決定的に太刀打ちできなかったのかというと、そんな気はしなかった。10回戦って5回勝つレベルではなかったけれど、10回負ける相手でもなかった。アルゼンチンやクロアチアが相手でも、2、3回は勝てるのではないかと思いました。p241
なるほど、と納得しました。
岡田トレビアーン武史大日本代表監督も、こんな認識でいたのだな、と。
だからこそ「ベスト4」なんてことを軽々しく目標に掲げられたのだな、と。
でも確率10分の3が2回あったとしても、ベスト4には届かないのではないかなあ。
それにそんな確率じゃあD判定にもならない***印ですよ。そんなとこを「志望校は○○大です」って掲げちゃうのは、どうなんですかねえ。
などなど、現在の日本サッカーを支えている『超一流』のサッカー観・認識が非常によくわかる希著として、花丸推薦したい本です。よくこれを書いてくれたと、本気で感謝したいです。もしこれを読んでいなかったら「もしかして……」と余計な期待を持ち続けてしまいますから。
それと現在の日本代表のスカウティング担当者の方々(お弟子さんとお呼びした方がよろしいのでしょうか?)、どうかどうか、「うまく騙してやったぜ自慢」とか「やばかったから、俺は韓国人(中国人)だって言ってやったぜ」などという、日本人全体を貶めるような行為は慎んで頂くよう、切にお願い申し上げます。
日本少年サッカーの決定的“育成”ミス
『世界が指摘する岡田ジャパンの決定的戦術ミス イタリア人監督5人が日本代表の7試合を徹底分析』
著者 宮崎隆司 発行 株式会社コスミック出版 初版 2010-02-24 価格 1500
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4-2-3-1なのか、4-3-3なのか、あるいは3-5-2なのか、4-3-2-1なのか。日本代表の現状に限って言えば、そうしたシステム論を語る前に、まずは守備の基本に立ち返ることが必要だと思う。 p21
セオリーという常識に照らせば、今の日本代表のプレスは、残念ながら非常識の範疇を出ないということになってしまう p22
彼らが最も不可解に感じていたのは、中村(俊)のポジショニングだ。 p26
これは余りにも劣悪なポジショニングだと言わざるを得ない。セオリーを知らないのか、それともわざとやっているのか……。 p47
両サイドバック(右が内田篤人、左が阿部勇樹)を指し、特に阿部のポジションを確認すると、ウリビエリは「メチャクチャだ」と語気を強めた。「プロのDFが、しかもA代表のDFが、なぜこんなポジションを取るのだろうか……」…(中略)…なぜか右サイドバックの内田は高い位置にポジションを取っていて、逆サイドの阿部に至っては、遥か遠い彼方で突っ立っている……。 p51
大久保は果敢に…(中略)…ボールを奪いに行くのだが、案の定、…(中略)…難なくかわされ、大久保自身は勢い余って転んでいる。これは、…(中略)…セオリーに反するプレーだ。…(中略)…要するに、ここで大久保が見せたタックルは単なる個人プレーに過ぎず、これも連動性を欠いたプレスになっているのだ。 p57
長谷部は遠く離れた位置に立ち、…(中略)…慌てて詰めに行くという始末だ。…(中略)…それだけではない。…(中略)…長谷部が中途半端に間合いを詰めているのも問題だ。 p60
内田はそこにいること自体が無意味だ。内田は、あの遠いエリアで一体何を守っているのか。 p62
阿部の動きも理解に苦しむ、自殺行為と言わざるを得ない。 p62
内田は当然カバーに遅れ、…(中略)…阿部に至っては、サイドバックであるにもかかわらず画面に映し出されてさえいない。 p68
これだけ横に間延びした守備形態を最終ラインが取るのは理解に苦しむ。…(中略)…守備的MFの長谷部と遠藤の2人は一体何をしているのか。…(中略)…とりわけ遠藤の動きが問題視されるべきだ。…(中略)…長谷部も半ば傍観している。…(中略)…いずれにしても、この一連のミスの中で最も大きなものは、やはり阿部の動きだ。 p71
パスを受けた中村(俊)は、背後からの激しいマークを受けて、結局のところ何も出来ずに終わっている。 p76
内田のパス自体に確固たる意図がないというのが問題なのだが p77
闘莉王、遠藤、長谷部、中村(俊)の4人は、“陰のゾーン”に入ってしまっている。…(中略)…逆サイドの阿部に至っては遥か遠い彼方にいる……。 p78
阿部のポジショニングには理解に苦しむものがある。阿部はこんな離れたゾーンで一体何を守っているのか。 p78
これは(日本の守備的MFである長谷部と遠藤が)、2対2における守備のセオリーを熟知していない証だ p83
あろうことか左SBの阿部が飛び出し、足を出して突っ掛けている。これも、自殺行為以外の何物でもない p84
見過ごすことが出来ない動きをしている選手がいる。…(中略)…右SBの内田である。…(中略)…この場面での内田の動きは、さらに厳しく指摘しなければならない。これは、まさに…(中略)…セオリーを知らない証だ。…(中略)…内田の動きは、見過ごせるレベルのものではない。 p88
そもそも、最初にパスをカットされた中村(俊)は、その瞬間、次のプレーに移るのではなく、ボールを奪われたことに対して自ら肩を落として足を止めてしまっている。 p89
田中(達)が猛然とプレスに行くのを見ると、…(中略)…次のように指摘した。「2つの意味で、これは非常に良くないプレーだ。…(中略)…まったく意味のない動きだ。…(中略)…さらに驚かされるのは、…(中略)…引き続き田中(達)が単独で背後からプレッシャーを掛けるべくダッシュで寄せていることだ。…(中略)…一体このプレーの意図はどこにあるのか、正直、私にはわからない。ただ、私のこれまでの経験上、プロのレベルでこのようなシーンを見たことがないということだけは、確実に言える。…(中略)…」 p101
あろうことかここでボールを追っている選手は、守備的MFの遠藤だ。守備的MFが、なぜこんなに深い場所までボールを追うのか。これはもう私の理解出来る範囲を遥かに超えたプレーと言う以外にない p102
またしても田中(達)が猛然とボールを追いかけている。信じ難いプレスだ。もちろん、ここで田中(達)はボールを奪うことは出来ていない p105
中盤で1対2という数的不利の状況であるにもかかわらず、守備的MFの長谷部が…(中略)…簡単にかわされてしまう。…(中略)…中村(俊)が不用意に足を出して内にかわされてしまい、…(中略)…計5人もの選手が自分たちの背後を空けてしまう…(中略)…やはり正常とはいえない p113
日本の守備は壊滅的だと言わざるを得ない p114
闘莉王に始まったこのパス回しは、長谷部、長友、そして中村(俊)へとつながり、再び闘莉王に戻り、それを闘莉王が縦に蹴るとボールがタッチを割るという一連の流れだ。 p115
本来は横に並ぶべき4-2-3-1における3と1の4人が縦に並んでいるという事実は、それ自体に信じ難いものがある。 p120
厳しい言い方になるが、ここまでセオリーを無視したポジショニングは、イタリアではアマチュアの試合でもなかなか見ることはない p121
そもそも後半立ち上がりの時間帯で疲れきっているFWなど、世界広しといえどもそう多くはないはずだ。 p125
首を左右に振りながら「あり得ない」と呟くと、こう指摘している。 p130
日本は、積極的な姿勢というものを間違って解釈している。 p177
チームのために走ろうとする彼の献身的な姿勢はもちろん素晴らしいが、ここではそれは必要ない。…(中略)…むしろこの場面では無駄な動きだと言うべきだ。 p178
ファン・ペルシーを後ろから追いかけて、内田が何をしようとしたのかは、正直わからない。 p192
要するに、問題の根はここにあるのだ。これは、いわゆる1体1の基本が出来ていないことを如実に示している場面だ。 p195
せっかくここまで追いかけていながら、なぜ岡崎は……。 p197
これで90分間走りきれるとすれば、それは奇跡以外の何物でもない p197
まず問題は、オランダのFWエリアに対する中村(俊)の守備にある。 p198
基礎的な守備をDFが出来ていない以上、致命的な綻びを生んだのは必然だと言える p201
闘莉王の守備は余りにもお粗末だと言わざるを得ない。…(中略)…これほどの初歩的ミスを犯しておきながら、この緩い戻りを見せていることから察すると、彼は事の重大さに気付いていないのではないか。 p204
このクリアボールを受けようとしたのはFWの興梠だが、この場面における彼のプレーも信じ難いものがある…(中略)…言葉は悪いが、これはアマチュアレベルだ。 p208
「ここからまた日本はカウンターを食らうはずだ」と明言した。 p212
大切なことはこの3失点目の原因を単に疲労だけに求めないことだ。…(中略)…セオリーに則った守備を学び直す必要がある p217
駒野も闘莉王も全力で戻る素振りを見せていない。2人とも走ってはいるが、それはジョギング程度のスピードでしかない。これは、中澤を見殺しにしたも同然の行為だ。…(中略)…そしてもう1つ。ここで遠藤の戻りがないのも問題にすべきだ。…(中略)…彼もまたジョギング程度で走っているだけだ。 p225
ここでも闘莉王と駒野の戻りはない。 p226
言葉にするとすれば、それは下地ということになるだろうか。すなわち、基本だ。この基本的なことを、おそらく日本の選手たちはユースの時代から正しく積み重ねてこなかったのではないだろうか。 p237
間違った文化を、それが間違いであると気付かないまま蓄積されているのではないか p238
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この本のタイトルには『岡田ジャパン』と書かれているが、プロローグで
「このような動きはアマチュアでもあり得ない」
「同じ類のミスを繰り返すのはなぜか? これをつき詰めて考えていくと、どうしても結論は育成へと辿り着いてしまう。ユースの初期段階で何を教えるのか。育成の完成型である日本のA代表の試合を見ていると、その中身のいくつかを間違えているのではないかと思わずにいられない。仮にその根底にある流れが間違っているのであれば、やはり1日も早くそれを改めなければならないだろう」
という言葉を紹介していることからも、著者の問題意識はユースの初期段階、つまりジュニアユースやその前段階であるジュニア年代での指導内容へ向いている。
その段階で基礎を学んでいないことが、「相変わらず弱い」日本代表を生んでいるのではないか、と著者は指摘しているのだ。
悪い見本としてこの本の中に何度も登場する阿部選手、内田選手、長谷部選手は、「サッカー王国」「サッカーどころ」として名高い千葉・静岡両県の出身である。
あくまでも私の想像だが、彼らが所属していた少年団や中学校、あるいはジュニアユースやユースにも、その世界ではそれなりに名の通った、立派な指導者がいたはずである。仮にいなかったとしても、トレセンや選抜チームには、誰かがいたはずだ。
そんな環境で育成された彼らが、まったく基本を無視したような、セオリーとかけ離れたプレーしか知らないというのはどういうことなのだろうか。
たまたまこの本の中で紹介された試合の間だけ、得体の知れない別人の霊が、彼らに取り憑いていた、ということも充分に考えられるから一概には言えないが、もしかすると、彼らにサッカーを教えた大人たち自身が、基本もセオリーも知らなかった、などという可能性はないだろうか……いや、それはあり得ない。なぜなら彼らが「恩師」と慕う指導者やコーチは、日本でも指折りの「有名」指導者であるはずだから。
有能だから、有名になったはずだ。
まさか、そうじゃないのか?
そう思わされてしまうような本でした。ぜひ少年サッカーにたずさわっていて、“サッカーを”教えたいと思っている北足立郡北部地区の大人の人に、読んで欲しいなあと思うような本でした。
でも子供や中学生、あるいは頭のわるい高校生が読んでしまうと、相当誤解してしまうだろうなと危惧せずにはいられない、危なっかしい書き方もされているので、取り扱いは要注意です。
著者 宮崎隆司 発行 株式会社コスミック出版 初版 2010-02-24 価格 1500
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4-2-3-1なのか、4-3-3なのか、あるいは3-5-2なのか、4-3-2-1なのか。日本代表の現状に限って言えば、そうしたシステム論を語る前に、まずは守備の基本に立ち返ることが必要だと思う。 p21
セオリーという常識に照らせば、今の日本代表のプレスは、残念ながら非常識の範疇を出ないということになってしまう p22
彼らが最も不可解に感じていたのは、中村(俊)のポジショニングだ。 p26
これは余りにも劣悪なポジショニングだと言わざるを得ない。セオリーを知らないのか、それともわざとやっているのか……。 p47
両サイドバック(右が内田篤人、左が阿部勇樹)を指し、特に阿部のポジションを確認すると、ウリビエリは「メチャクチャだ」と語気を強めた。「プロのDFが、しかもA代表のDFが、なぜこんなポジションを取るのだろうか……」…(中略)…なぜか右サイドバックの内田は高い位置にポジションを取っていて、逆サイドの阿部に至っては、遥か遠い彼方で突っ立っている……。 p51
大久保は果敢に…(中略)…ボールを奪いに行くのだが、案の定、…(中略)…難なくかわされ、大久保自身は勢い余って転んでいる。これは、…(中略)…セオリーに反するプレーだ。…(中略)…要するに、ここで大久保が見せたタックルは単なる個人プレーに過ぎず、これも連動性を欠いたプレスになっているのだ。 p57
長谷部は遠く離れた位置に立ち、…(中略)…慌てて詰めに行くという始末だ。…(中略)…それだけではない。…(中略)…長谷部が中途半端に間合いを詰めているのも問題だ。 p60
内田はそこにいること自体が無意味だ。内田は、あの遠いエリアで一体何を守っているのか。 p62
阿部の動きも理解に苦しむ、自殺行為と言わざるを得ない。 p62
内田は当然カバーに遅れ、…(中略)…阿部に至っては、サイドバックであるにもかかわらず画面に映し出されてさえいない。 p68
これだけ横に間延びした守備形態を最終ラインが取るのは理解に苦しむ。…(中略)…守備的MFの長谷部と遠藤の2人は一体何をしているのか。…(中略)…とりわけ遠藤の動きが問題視されるべきだ。…(中略)…長谷部も半ば傍観している。…(中略)…いずれにしても、この一連のミスの中で最も大きなものは、やはり阿部の動きだ。 p71
パスを受けた中村(俊)は、背後からの激しいマークを受けて、結局のところ何も出来ずに終わっている。 p76
内田のパス自体に確固たる意図がないというのが問題なのだが p77
闘莉王、遠藤、長谷部、中村(俊)の4人は、“陰のゾーン”に入ってしまっている。…(中略)…逆サイドの阿部に至っては遥か遠い彼方にいる……。 p78
阿部のポジショニングには理解に苦しむものがある。阿部はこんな離れたゾーンで一体何を守っているのか。 p78
これは(日本の守備的MFである長谷部と遠藤が)、2対2における守備のセオリーを熟知していない証だ p83
あろうことか左SBの阿部が飛び出し、足を出して突っ掛けている。これも、自殺行為以外の何物でもない p84
見過ごすことが出来ない動きをしている選手がいる。…(中略)…右SBの内田である。…(中略)…この場面での内田の動きは、さらに厳しく指摘しなければならない。これは、まさに…(中略)…セオリーを知らない証だ。…(中略)…内田の動きは、見過ごせるレベルのものではない。 p88
そもそも、最初にパスをカットされた中村(俊)は、その瞬間、次のプレーに移るのではなく、ボールを奪われたことに対して自ら肩を落として足を止めてしまっている。 p89
田中(達)が猛然とプレスに行くのを見ると、…(中略)…次のように指摘した。「2つの意味で、これは非常に良くないプレーだ。…(中略)…まったく意味のない動きだ。…(中略)…さらに驚かされるのは、…(中略)…引き続き田中(達)が単独で背後からプレッシャーを掛けるべくダッシュで寄せていることだ。…(中略)…一体このプレーの意図はどこにあるのか、正直、私にはわからない。ただ、私のこれまでの経験上、プロのレベルでこのようなシーンを見たことがないということだけは、確実に言える。…(中略)…」 p101
あろうことかここでボールを追っている選手は、守備的MFの遠藤だ。守備的MFが、なぜこんなに深い場所までボールを追うのか。これはもう私の理解出来る範囲を遥かに超えたプレーと言う以外にない p102
またしても田中(達)が猛然とボールを追いかけている。信じ難いプレスだ。もちろん、ここで田中(達)はボールを奪うことは出来ていない p105
中盤で1対2という数的不利の状況であるにもかかわらず、守備的MFの長谷部が…(中略)…簡単にかわされてしまう。…(中略)…中村(俊)が不用意に足を出して内にかわされてしまい、…(中略)…計5人もの選手が自分たちの背後を空けてしまう…(中略)…やはり正常とはいえない p113
日本の守備は壊滅的だと言わざるを得ない p114
闘莉王に始まったこのパス回しは、長谷部、長友、そして中村(俊)へとつながり、再び闘莉王に戻り、それを闘莉王が縦に蹴るとボールがタッチを割るという一連の流れだ。 p115
本来は横に並ぶべき4-2-3-1における3と1の4人が縦に並んでいるという事実は、それ自体に信じ難いものがある。 p120
厳しい言い方になるが、ここまでセオリーを無視したポジショニングは、イタリアではアマチュアの試合でもなかなか見ることはない p121
そもそも後半立ち上がりの時間帯で疲れきっているFWなど、世界広しといえどもそう多くはないはずだ。 p125
首を左右に振りながら「あり得ない」と呟くと、こう指摘している。 p130
日本は、積極的な姿勢というものを間違って解釈している。 p177
チームのために走ろうとする彼の献身的な姿勢はもちろん素晴らしいが、ここではそれは必要ない。…(中略)…むしろこの場面では無駄な動きだと言うべきだ。 p178
ファン・ペルシーを後ろから追いかけて、内田が何をしようとしたのかは、正直わからない。 p192
要するに、問題の根はここにあるのだ。これは、いわゆる1体1の基本が出来ていないことを如実に示している場面だ。 p195
せっかくここまで追いかけていながら、なぜ岡崎は……。 p197
これで90分間走りきれるとすれば、それは奇跡以外の何物でもない p197
まず問題は、オランダのFWエリアに対する中村(俊)の守備にある。 p198
基礎的な守備をDFが出来ていない以上、致命的な綻びを生んだのは必然だと言える p201
闘莉王の守備は余りにもお粗末だと言わざるを得ない。…(中略)…これほどの初歩的ミスを犯しておきながら、この緩い戻りを見せていることから察すると、彼は事の重大さに気付いていないのではないか。 p204
このクリアボールを受けようとしたのはFWの興梠だが、この場面における彼のプレーも信じ難いものがある…(中略)…言葉は悪いが、これはアマチュアレベルだ。 p208
「ここからまた日本はカウンターを食らうはずだ」と明言した。 p212
大切なことはこの3失点目の原因を単に疲労だけに求めないことだ。…(中略)…セオリーに則った守備を学び直す必要がある p217
駒野も闘莉王も全力で戻る素振りを見せていない。2人とも走ってはいるが、それはジョギング程度のスピードでしかない。これは、中澤を見殺しにしたも同然の行為だ。…(中略)…そしてもう1つ。ここで遠藤の戻りがないのも問題にすべきだ。…(中略)…彼もまたジョギング程度で走っているだけだ。 p225
ここでも闘莉王と駒野の戻りはない。 p226
言葉にするとすれば、それは下地ということになるだろうか。すなわち、基本だ。この基本的なことを、おそらく日本の選手たちはユースの時代から正しく積み重ねてこなかったのではないだろうか。 p237
間違った文化を、それが間違いであると気付かないまま蓄積されているのではないか p238
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この本のタイトルには『岡田ジャパン』と書かれているが、プロローグで
「このような動きはアマチュアでもあり得ない」
「同じ類のミスを繰り返すのはなぜか? これをつき詰めて考えていくと、どうしても結論は育成へと辿り着いてしまう。ユースの初期段階で何を教えるのか。育成の完成型である日本のA代表の試合を見ていると、その中身のいくつかを間違えているのではないかと思わずにいられない。仮にその根底にある流れが間違っているのであれば、やはり1日も早くそれを改めなければならないだろう」
という言葉を紹介していることからも、著者の問題意識はユースの初期段階、つまりジュニアユースやその前段階であるジュニア年代での指導内容へ向いている。
その段階で基礎を学んでいないことが、「相変わらず弱い」日本代表を生んでいるのではないか、と著者は指摘しているのだ。
悪い見本としてこの本の中に何度も登場する阿部選手、内田選手、長谷部選手は、「サッカー王国」「サッカーどころ」として名高い千葉・静岡両県の出身である。
あくまでも私の想像だが、彼らが所属していた少年団や中学校、あるいはジュニアユースやユースにも、その世界ではそれなりに名の通った、立派な指導者がいたはずである。仮にいなかったとしても、トレセンや選抜チームには、誰かがいたはずだ。
そんな環境で育成された彼らが、まったく基本を無視したような、セオリーとかけ離れたプレーしか知らないというのはどういうことなのだろうか。
たまたまこの本の中で紹介された試合の間だけ、得体の知れない別人の霊が、彼らに取り憑いていた、ということも充分に考えられるから一概には言えないが、もしかすると、彼らにサッカーを教えた大人たち自身が、基本もセオリーも知らなかった、などという可能性はないだろうか……いや、それはあり得ない。なぜなら彼らが「恩師」と慕う指導者やコーチは、日本でも指折りの「有名」指導者であるはずだから。
有能だから、有名になったはずだ。
まさか、そうじゃないのか?
そう思わされてしまうような本でした。ぜひ少年サッカーにたずさわっていて、“サッカーを”教えたいと思っている北足立郡北部地区の大人の人に、読んで欲しいなあと思うような本でした。
でも子供や中学生、あるいは頭のわるい高校生が読んでしまうと、相当誤解してしまうだろうなと危惧せずにはいられない、危なっかしい書き方もされているので、取り扱いは要注意です。
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