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2011年9月5日月曜日

ザック氏の3バック

現役時代は「ブラックエンジェル」「見えないひじを持つ男」「サッカーができる若頭(わかがしら)」「さわやかテロリスト」との異名を馳せた福西現NHK解説者と、現日本代表不動のボランチ遠藤選手の対談です。

遠藤選手が、ザッケローニ監督の3バック戦術について説明しています。
(ガンバTVより)


http://youtu.be/tg8VqMV6gvQ
(動画の埋め込みができませんでした)



遠藤選手が語った内容から、ザッケローニ監督が求める“343”がどういう戦術なのかをざっと推察してみます。

従来の3人のセンターバックによる3バック戦術と異なって、ザック監督の3バックというのは、4バックにおけるサイドバックがサイドハーフの役割もこなす、というもののようです。
でもそうかといって、5バックの両サイドバックが、時には攻撃にも参加するというような岡田俺解説は得意なんだよね武史氏の実質5バック型の3バックとはまったく違います。
ザック監督の3バックは、3バックの3人がセットを保ったまま振り子のように左右へ移動し、それによって空いたサイドを同サイドのハーフがカバーするというもののようです。ただしこの場合でも、サイドハーフは、安易にDFラインへ吸収されることのないよう、高度なリスク判断が求められるみたいです。つまり、リスクの危険度に応じて、ポジションの調節をする(例えば、リスクが低ければ高い位置を保ち続ける、みたいな)ってことです。
これって当たり前みたいに思えますけど、遠藤選手の話では、ボランチも前線の選手も、サイド地域のカバーは求められていないらしいので(前線の選手も、以前の日本代表のような、強烈なプレスは求められていないそうです)、両サイドに1人ずつ配置されるハーフの選手は相当頭も体力も使うことになるでしょう。それに「勇気」も!
心理的には、大事な試合になればなるほど、ギリギリの展開になればなるほど、安全ゾーンを多めに見積もって低めにポジションを取りたくなるものです。裏を取られたら全て自分の責任になりますから。でもそこを高めに取れ! っていうのがザック氏の戦術のキモ。これ、勇気いりますよね。監督も、本人も、周りも。
テレビの画面からも、常に逆サイドはガラガラに見えるんでしょうね。松木氏のような解説者が「危険だ! 危険だ!」などと大騒ぎするのが、今から見えるようです。


この戦術の一端を私なりに理解したところで言うと、ザック監督は「前でボールを奪うこと」を求めていない、ということなのでしょう。
ボールのあるサイドのDFライン+ボランチによって形成したブロックでボールを奪い、それを逆サイド方向へ早く動かすことでダイナミックに攻めたい、みたいなイメージなのではないでしょうか。

これがうまく機能すれば、とても効率的に守備と攻撃をリンクさせることができます。
問題は、非常に高度な頭脳と体力を要求される両サイドの選手を2人確保以上確保できるのかどうかなのですが、それは長友選手と酒井(柏)選手の成長次第ということなのかもしれません。

追伸 内田選手は、いまのままなら、日本代表には、いらないのではないでしょうか。

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

2011年6月23日木曜日

選手名鑑─160センチ54キロ─

マキシミリアーノ・モラレス Maximiliano Moralez

Maximiliano Nicolas Moralez (born 26 February 1987) is an Argentine football
attacking midfielder who plays for Velez Sarsfield in the Argentine Primera
Division.
At 1.60 m
Moralez is one of the shortest players in the Argentine league.











ニックネーム: Frasquito フラスキート(in English: little flask)
生年月日: 1987/02/26
出身地: Granadero Baigorria (Santa Fe)
国籍: アルゼンチン
身長: 160 cm.
体重: 54 Kg.
ポジション: ミッドフィルダー
背番号: -
クラブ: ベレス・サルスフィエルド





little flask=ちっこいビン。小型のフラスコ。
あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

2011年6月12日日曜日

闘え! 闘え! 闘え!

クロアチアの愛国歌
『ウ・ボイ!(闘え!)』



いざ戦闘へ、戦闘へ!
鞘(さや)から剣を抜け
われらの死に様を 敵に知らしめよ
わが街は すでに戦火に包まれ
その火の手は ここまで迫り来る
敵の叫び声が聞こえる 激しく凶暴なまでに
わが胸に 戦意は高まり
わが刃音は 敵の叫びもかき消す
諸君、ズリンスキーに別れのキスを
兄弟たちが交わすキスのように!
われに続け とりでの門へ
わか勇敢な兵士たちよ!
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クロアチアの作曲家
イバン財津、もといイバン・ザイツ(1832-1914)が1866年に男声合唱曲として作曲。
作詞はフラーニョ・マルコビッチ(の穴)。

(註)ズリンスキー
ニコラ・シュービッチ・ズリンスキー将軍。
ヨーロッパ同盟対イスラム(オスマン・トルコ)の戦争において、天下分け目となった戦で奮闘した。
1566年(家康が松平から徳川へ改姓した年。34年後の1600年に関ヶ原合戦となる)の夏、現在はハンガリー南部の小さな街(人口1万人弱)シゲトバルとなっているかつての城塞都市で、欧州軍の中核であるハプスブルク軍の将軍として、わずか3000名の兵を率いて10万を越えるトルコ軍に相対した。「ウ・ボイ!(クロアチア語:U boj!)」は最終決戦前にあげた鬨(とき)の声。トルコ軍はこの戦いに勝利するもウィーン侵攻を断念し、イスタンブールへ引き返した。ズリンスキーなければ、ウィーンはイスラム化していたと言われている。欧州を救ったことで国民的英雄となったズリンスキー将軍は、死後およそ450年経った現在もクロアチア、ハンガリー両国で尊敬を集めている。
(ま、世界史で習ったときの記憶だと、オスマン・トルコ側の自滅なんだけどね)
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あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

2011年6月10日金曜日

選手名鑑 ─ファルファン(ファンファンじゃないよ)─

2011年 平成23年 6月4日(土)
朝日新聞 朝刊 スポーツ

内田「みんなに見てほしい」
ペルーFWファルファン キリン杯で来日中

サッカーのキリン杯で来日しているペルー代表のFWファルファン。
ドイツ・シャルケで同僚の日本代表DF内田は「日本のみんなに見てもらいたい」と薦める選手だ。
世界のトップレベルのプレーを体現しているという。
1日の日本戦でもデータが質の高さを裏付けた。
ペルーは4日、チェコと対戦する。

内田はファルファンを評して「速さ、強さ、技術のどれをとってもレベルが高い。一発で勝負する力もある。ここぞというときにそれを出せる」と話した。
日本-ペルー戦では目立たなかったが、データスタジアム社が集計したデータでファルファンとほぼ同じポジションでプレーした日本のFW前田を比べるとその差は歴然だった。

ファルファンが敵陣でパスを受けた回数は19回で、13回はそのプレーを成功させた。
前田は敵陣でパスを受けた回数は5回で成功は2回。
映像で内容を確認すると、前田がすべて後ろ向きでプレーしているのに対し、ファルファンは必ずゴールへ向かってプレーしていた。

シュート数など攻撃の数値でペルーが日本を上回った理由の一つだ。

「世界ではこういう選手と戦うということを知ってもらいたい」と内田は話していた。
(編集委員・忠鉢信一)
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Full name Jefferson Agustin Farfan Guadalupe
Date of birth 26 October 1984 (1984-10-26) (age 26)
Place of birth Lima, Peru
Height 1.77 m



ラテン系、アフリカ系のストライカーに時折ありがちな“草サッカーの空気”を感じさせてくれる選手(もちろん賛辞です)。
一方でアスリートとしてフィジカルバランスの良すぎることが、かえってプレーでのキャラを薄めてしまっているような印象も(個人的見解です)。
プレミア向きな選手だと思うので、ぜひ来期はプレミアでプレーしてくれないかなあ。


あしなが育英会 遺児奨学金「あしながさん」 継続寄付

2011年6月1日水曜日

18歳ルカクがチェルシーへ

チェルシーが「ドログバ2世」と移籍合意
[2011年6月1日 ニッカン]

 チェルシーが、ベルギー1部アンデルレヒトの同国代表FWロメル・ルカク(18)を獲得する事で基本合意に達したと、1日付の英各紙が報じた。同選手は昨季のベルギーリーグで18歳ながら得点王に輝き、「ドログバ2世」と注目を集めた。

 移籍金は1800万ポンド(約24億円)で、同選手は今週末に現地入りし、週明けにもサインする見込み。ルカクは「6日までに去就を決めたい。その翌日から大学の試験が始まるからね」と語った。

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16歳で得点王になった神童ルカクはチェルシー移籍の噂を否定
[2011年05月06日 サッカーキング]

ビッグクラブから注目されるルカク 09-10シーズンに16歳でベルギーリーグの得点王となり、“神童”として注目を集めるアンデルレヒトのFWロメル・ルカクは、今夏にチェルシーへ移籍することが決まったのではないかとの噂を否定した。

 チェルシーは早くからルカクに注目していると報じられ、獲得に乗り出すのではないかと噂されている。ルカクがFWディディエ・ドログバのファンであることから、一部では既に契約が結ばれているのではないかともささやかれていた。

 しかし、現在17歳のルカクは自身のツイッターで、「ロマンスがいつも真実であるとは限らない。チェルシーに関するロマンスについてもそうだよ」とコメント。さらにアンデルレヒトもチェルシーとの取引について否定し、この話が単なる噂に過ぎないとの見解を示している。

 なお、ルカクは今シーズンも28試合に出場して12得点を記録。得点ランキング4位につけ、昨シーズンの活躍がフロックでなかったことを証明している。

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Romelu Lukaku (born 13 May 1993)




原口選手@浦和(1991年5月9日生)や宇佐美選手@G大阪(1992年5月6日生)のライバルですね。


【参照】
世界の十代

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

2011年4月26日火曜日

リア天 ─いとうるべ─

リア天(リアルな天才)

前にも紹介した「糸売るべ~」を、もう一度紹介。

http://kitaadachi-hokubu-soccer.blogspot.com/2011/02/u20.html
『アルゼンチンの将来有望な17歳』


Juan Manuel Iturbe ファン・マヌエル・イトゥルベ
名前ファン・マヌエル・イトゥルベ・アレバロス
誕生日1993年6/4(17歳)
国籍パラグアイ、アルゼンチン
現クラブCerro Porteno
ポジションMF(FW ウィンガーという記述もあり)
身長1,69m
デビュー:2009
クラブデビューCerro Porteno

ファン・マヌエル・イトゥルベ(アルゼンチン、ブエノス・アイレス生まれ)はパラグアイとアルゼンチンの選手。
攻撃的MFとしてプレーする彼が所属するクラブはパラグアイ一部リーグのセーロ・ポルテーニョ。
特徴としてスピードと1対1の能力が上げられる。ピッチを広く使い両サイドでプレーできる。
16歳と言う若さで一部リーグデビュー。





本物の「センス(才能)」ここにあり!

あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

2011年4月25日月曜日

元気が出る



やっぱり自分が愛するチームの時は、

観戦

じゃなくて

参戦

だよね。

やっぱりこの世は面白い



珍しくもない飛行機雲が、気象条件と光の具合によってこんなに不思議な姿を見せてくれる。
これが時間軸を舞台にして起きると、俗に言う「奇跡」となる。



END

※ この動画の現象には、蜃気楼(反射)系の自然現象が関係しているはず。

2011年4月22日金曜日

キャンディーズ









プレミアリーグのような息をもつかせぬテンポがすごい。
あらためてこうしてみると、相当に実験的な番組だったことがわかる。

ご冥福をお祈りします。


2011年3月31日木曜日

次の30年後のために

まんが日本昔ばなし 「みちびき地蔵」


津波史に学ぶ失敗学 「失敗は伝わらない」


徳島県の津波教育教材



それでも私は、ただ怖がるよりも、ではどうするのかを追求したい。

2011年3月30日水曜日

海上での津波映像

2011年 平成23年 3月11日
15:47-15:57
福島県相馬市沖 約5キロ
宮城海上保安部
巡視船「まつしま」より撮影した津波


0305 陸に当たって跳ね返ってきた第一波の引き波が、船を後方から追い越していく時の速度がすごい。後続波とぶつかることで、相殺された上でのあの速度で沖5キロ地点まで戻ってくるというのだから、その衝撃力たるや想像を絶している。
これらの津波の先で何が起きたかの一端を知っているだけに、言いようのない恐ろしさを覚える。

2011年3月29日火曜日

テレビでは伝わらないこと。


気仙沼市

どんな堤防を築いたとしても、これを抑え込むことなんてできっこない。
高台から海の見える位置にいた人以外は、何が起きたのかを把握することさえできなかったのではないだろうか。
逃げ遅れたとかそういうことじゃなく、その時、たまたま逃げ切れる位置にいたかどうか、それだけが分かれ目だった。
そう思える。

テレビも、壊れたあとの街を伝えるばかりではなく、
生きていた街が壊れていく姿を伝えるべきだ。

そうすることで、被災地が遺跡などではなくて、
まだ生きている街なのだと実感できるのだから。
瀕死(ひんし)の状態ではあるけど──

被災者の支援と復興への協力は、生き残った日本人すべての義務だ。そう確信させられる映像だと私は思う。

2011年3月9日水曜日

ストップ・Theスピードスターのお手本

ストップ・Theスピードスターのお手本


フェイエノールトの宮市選手がきっちり止められている映像から、スピード系FW対策の基本を盗もう!


0005-0030 まずポジショニング。最初からピタリと張り付くような位置は取らない。
0043、0051 DFの顔の向きに注目。注視(ちゅうし)しているのはボールではなく選手の下半身(腰のあたり)。
0109 体を寄せるのではなく、進路への踏み込みでブロックしている。日本の「体を寄せろ!」「肩で当たれ」とは真逆。相手によって対応を使い分けるお手本。大まかに分類しても、スピード系の選手と、足元テク系の選手への対応は当然異なってくるはずなのに、それをすべて「ピッタリ寄せろ!」「振り向かせるな!」では、ディフェンスのスキル・技術は身に付かない。
0140、0210 チェックに行っているが体は当てていない。外へのターンを予測して、FWの動きを利用している。
0230 このあたりからFWはもう怖がって、振り向くことを最初からあきらめてしまった。
0250 1対1の応対。防御体制を、1対1→1対2→1対3と見事に変化させている。FWの味方もまったくフォローなし。空いたサイドを誰かが長友選手のようにフォローしていたら、こうはできなかったはずだ。
0310 疲労からか、スピードも鈍ってきた。
0335、0405 痛々しいくらい。

宮市選手については、ここが、これからぐんっと成長していくスタートなんだから、なんの心配もいらないだろう。
むしろこれ(ヨーロッパにおける自分対策)を求めて海外へ渡ったのだろうし、こんなに早くそれに出会えたことを幸運だと思っているはずだ。

宮市選手とすれば、自分個人の能力をアップすることで、この状況を打開したいと思うだろうが、チームにそれを許すだけの余裕があるかどうか。一番簡単な対抗策は、宮市選手の近くにフォロー役の選手を常に張り付かせることだ。しかしそれには、チームメートが宮市選手をどう思っているのかが微妙に影響してくる。突然やってきてサポーターからもマスコミからももてはやされる若い東洋人の助っ人新人を輝かせるための補佐役、あるいは「おとり役」をいとわないチームメート(おそらくはオランダ人)がどれくらいいるかどうか、それがポイントになるだろう。

今後宮市選手が、ボールを受けてからターンするまでの動きにどういう工夫をしてくるのか(十中八九、体の向き)、とても楽しみである。



kom op!(コム オプ! オランダ語でがんばれの意らしい)Ryo !



おわりん


■宮市亮(みやいち・りょう)プロフィール
愛知県岡崎市1992(平成4)年12月14日生まれ、183㎝、70㎏、O型、家族は父母弟。
小3~中3まで「シルフィードFC」でプレー(サイドバック)。
小学5年で愛知県トレセン、中学1年時には日本サッカー協会のエリートプログラム、2年時にU-14日本代表、3年時にはU-15日本代表。中京大中京高へ進学。

2011年3月1日火曜日

また会う日まで

註釈─この記事は当初2011年2月6日付でした─


北足立郡北部からただ一人レッズジュニアユースへ加入する子(こんなにもったいぶらなくても、あの子しかいないんですけどね)を見に、上尾平方スポーツ広場まで足を伸ばしました。
この世代ももう引退、彼が北足立郡北部でプレーするのもおそらくこの大会(上尾市中央ライオンズクラブ旗争奪サッカー大会 Aクラス)が最後だろうと思うので言います。
彼はすばらしい可能性を、間違いなく秘めています。
身体能力のポテンシャルはもとより、彼は人間的にもすばらしい。チームメイトからも信頼されているし、彼もチームのことを考えることができる。本人の力だけではなく、これまで彼にかかわってきた周囲の大人たちも立派な方々だったのだろうというとこが、彼を通して伝わってきます。
レッズGKの加藤順大(かとうのぶひろ)選手も、彼と同じ西上尾地区出身らしいので、ぜひ続いてトップまで上がって欲しい逸材です。それどころか、実は秘かに、日本フル代表になれる可能性さえ小さくない、とさえ私は思っています。何しろ、彼の能力は、まだほんの入口のその手前までしか開発されていないと確信しているからです。

それはそうと、今日会場(平方スポーツ広場)で気になる話を耳にしました。
お目当ての彼がいるチームの対戦相手が、偶然にも、私が少年サッカーへ関心を向けるきっかけとなったAGミラン(仮名)(※3)だったのです。が、いつも試合に出ているメンバーのうち、数人の姿が見えません。ベンチにもいないようです。
近くにいた、何となくいろんな事情に詳しそうな、おそらく父母の方(口ぶりからは第三者的立場にあるような印象を受けました)に、それとなくそのあたりの話を振ってみると、びっくりするような返答を得られました。

その方のお話では、中学から自チーム(つまりAGミラン)系列のジュニアユースではない、他のジュニアユースに行く子は“クビ”になった、とのことでした。だから、試合に出ていないどころか、もうこのチームの選手ではない、のだそうです。そして、AGミランは毎年そういうことをしているのだ(※1)、とも聞きました。
そんなことがあるのかと、正直憤慨しました。
子供に対して大人のすることか! それも6年間、いやそれ以上の期間ずっと指導してきた子どもに対して、まがりなりにも教育者・指導者のすることなのか、と。
サッカーを通じてずっと同じ時間を成長してきた子供たちの別れを、そんな形にしてしまう「チーム経営者の横暴」(※2)に、怒りさえ感じました。お前らごときに、子供たちの人生へそんな傷を残す権利などない!

とここまで考えてふと冷静になろうと自分へ問いかけました。
でも、もしかすると少年サッカー界の慣例が、そういうものなのかもしれない、と。
確かに、大人が思い悩むほど、子供らは深刻に受けとめていなかったりすることはたくさんあります。大人が子どもの心情を想像するときにはどうしても自分自身のノスタルジックな想いがオーバーラップしてしまい、過剰にセンシティブに扱いがちになったりしてしまい、かえって事態を複雑にしてしまうことも少なくありません。

イタリアセリエAのチェゼーナからインテルに移籍した長友選手も、聞いたその翌日には新チームに合流していたらしいですし、これから世界で活躍していかなければならない未来の人材なら、こんな事でうじうじしていてはダメなのだ!──それは確かでしょう。

今回のAGミランの「クビ」も、視点を変えれば、次に行くチームへの準備に早く入ることができる、ととらえることもできます。

その時に忘れてはならないのが、新チームの方へもちゃんと事情を伝えることです。来期から自分のチームで活躍して欲しい選手に練習する環境がなくなったことを知れば、ふつうのレベル以上のコーチなら、あるいはそれなりに経験を積んでいる指導者なら、何かしらの“アドバイス(大人の知恵とも言う)”を持っていると思います。自主練習しようとグラウンドへ行ったら、偶然にも新チームの練習とかち合ってしまったので「丁度いいから」と一緒にサッカーをした、なんてこともないとは限らないのですから。
レベルが高く、当然競争も厳しい(であろう)新チームに合流する前に、大きなケガでもしたら取り返しのつかないことにもなりかねないので、そういうトラブルを避けるためにも、チームを退団させたのだ、ととらえることもできます(下世話な話になりますが……その子が大成すれば、巡り巡って出身チームの宣伝になる、という目論見も立たないわけではないですしね)。

実際のところはどうなのか、そんなことを私には知る術などありません。ですが、どうせならどんなことでも良い方に見えるように見てみようではありませんか。少なくとも私は、そう心がけています(いたらぬ人間なので、正直なかなか難しいですが……)。


最後に、もうAGミランから旅立ってしまった君たちへ
お礼の気持ちも込めて、こう伝えたい。

サッカーを続けていれば、いつかきっとどこかでまた会えるさ。
卒団は別れじゃない。
君たちをつないでいるのはチームの名前じゃなくてサッカーボールなのだから。



いつかどこかのピッチで「いいプレーだ」とふと目を止めた選手が、成長した君たちの誰かであると気づくその瞬間を、いまから私はとても楽しみにしています。



I look forward to seeing you again.
(I'm looking forward to seeing you again.)






【訂正と補足】
コメントを読み、私なりに思うところがあったので訂正及び補足を記させていただきます。

※1 私が耳にしたお話は、事実と異なる可能性がかなりある噂話程度のものだったのかもしれません。この件について本当に事の真偽をお知りになりたい方は、当該貴クラブへ直接問い合わせてみる等の確認手段を取られることをお奨めします。

※2 コメントに紹介されているAGミラン経営母体クラブの代表者様の言(げん)
「(前略)どのような形であれ大学生になっても社会人になってもサッカーを続けろ。そして仲間がいるクラブにいつでも戻ってこい。」
は、教育者として実に尊敬に値する姿勢だと、私も賛同いたします。
また、「実際に、中学校の部活動が終わってから高校の部活動が始まるまでの間に練習に来るOBがいたり、高校生大学生社会人になったOBが頻繁に遊びにきたりしています。」というのが貴クラブの雰囲気であるならば、子供たちの成長の場としてまさに理想的な環境であるとも思います。教師や親に相談できないまま、学校や家庭で道に迷いそうになったり、倒れそうになった子供たちが、貴クラブの存在によって人知れず救われていた、というケースも実は多々あるのではないでしょうか。

最後になりましたが、この度は貴重な情報を寄せて頂き感謝しております。
おかげさまで、これからもAGミランというチームのサッカーを、素直な目で楽しむことができます。
ありがとうございました。



★ もう一通のコメントについて ★

私が耳にしたお話も、そのような内容だったように記憶しています。
よろしかったら、愚ブログの下記ページもお読み頂けたらワイワイです。もとい、さいわいです。

「どうして私ばかり」スパイラル


※3 最近はからずも偶然、幼少年を対象とした体育・スポーツクラブの経営実態について詳細なレクチャーを受ける機会を得、またそのとき見聞きした情報を補完する意味もあって自分でも調査・分析してみた結果、3月1日より当記事内においては当該チーム名を「(仮名)」とすることにしました。なかなか厳しい業界ですが、どんなに苦しくてもふんばって、未就学段階にある子供たちがサッカーを楽しむことができる場を提供し続けて欲しいからです。


同業界についての私なりの考えについては、また別の機会にでも書きたいと思っています。
 
 
 
最後に、年度末なんかぶっ飛ばせ! です。
 
 
 
 
 
終わり(は、始まりです)

2011年2月25日金曜日

グローバル化=レベルアップではない証拠動画

クラッシュテスト


チャイニーズ製のクロカン車

係員があきれて笑ってる。
俺は、笑えなかった。これ、今、中国国内を走り回ってるんだよな? それも大量に。




オフロードテスト

コリアン製のクロカン車

この接地性能、悪路走破性能はあまりにもpoorすぎる。
車重が重い分、間違いなく普通のFFセダンより軟弱路の走破性は劣ってる。
しかし、それにしても、この程度の傾斜でケンケンになるクロカン車ってのを初めて見た。
設計開発部は何を設計開発してたんだろう?




少し前の資料のようだが、安全への基本意識が、まだ20~30年ほどはずれている。
誰もが知らなかった時代の話じゃなくて、誰もが知っていて他は対処している時代での話なだけに、かなり悪質だと私は思う。一般消費者が持っている安全技術への認識と信頼を、逆手(さかて)にとっての“詐欺”と同じ考え方が透けて見えるからだ。
こういう、日本でのオレオレ詐欺や産地偽装詐欺、グルーポン詐欺と同等の下衆(げす)なモラル意識が、国を代表するような企業の生産した商品から伝わってくるってのはどういうことなのだろうか、と首をかしげざるを得ない。

こわいよぉ。

2011年2月16日水曜日

インテル×ユベントス

インテル × ユベントス 2011年2月13日 ダイジェスト


インテル × ユベントス 2011年2月13日 長友チョイス


長友って、こんなに自然に両足を使える選手だったのだなあとあらためて思った。

エトーは、調子良くなさそうだねえ。
もともと頭を下げてプレーするのが特徴の選手だったけど、この試合ではそれが悪い方へ出てしまって、サイドに閉じ込められてしまっている(ユベントスがうまく対応できてたと見るべきなのかもしれないけど)。
風邪でもひいてるのかもね。

監督が長友を信頼していることをチームへしっかり伝えるために、レオナルド監督が次節の試合で、長友をスタメンにせざるをえなくなった可能性をかなり感じさせる試合だった。
こういう「支配関係、上下関係の確認手段」って調教的だよね。
やっぱり人間も動物なんだなあって思ってしまう。
わお~ん。