最後だとわかっていたなら
作/ノーマ・コーネット・マレック
訳/佐川 睦
サンクチュアリ出版
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても
わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい…「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも大切な存在だということを
そっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
Fin
2012年1月18日水曜日
2011年6月12日日曜日
闘え! 闘え! 闘え!
クロアチアの愛国歌
『ウ・ボイ!(闘え!)』
いざ戦闘へ、戦闘へ!
鞘(さや)から剣を抜け
われらの死に様を 敵に知らしめよ
わが街は すでに戦火に包まれ
その火の手は ここまで迫り来る
敵の叫び声が聞こえる 激しく凶暴なまでに
わが胸に 戦意は高まり
わが刃音は 敵の叫びもかき消す
諸君、ズリンスキーに別れのキスを
兄弟たちが交わすキスのように!
われに続け とりでの門へ
わか勇敢な兵士たちよ!
----------------------------------------------------------------
クロアチアの作曲家
イバン財津、もといイバン・ザイツ(1832-1914)が1866年に男声合唱曲として作曲。
作詞はフラーニョ・マルコビッチ(の穴)。
(註)ズリンスキー
ニコラ・シュービッチ・ズリンスキー将軍。
ヨーロッパ同盟対イスラム(オスマン・トルコ)の戦争において、天下分け目となった戦で奮闘した。
1566年(家康が松平から徳川へ改姓した年。34年後の1600年に関ヶ原合戦となる)の夏、現在はハンガリー南部の小さな街(人口1万人弱)シゲトバルとなっているかつての城塞都市で、欧州軍の中核であるハプスブルク軍の将軍として、わずか3000名の兵を率いて10万を越えるトルコ軍に相対した。「ウ・ボイ!(クロアチア語:U boj!)」は最終決戦前にあげた鬨(とき)の声。トルコ軍はこの戦いに勝利するもウィーン侵攻を断念し、イスタンブールへ引き返した。ズリンスキーなければ、ウィーンはイスラム化していたと言われている。欧州を救ったことで国民的英雄となったズリンスキー将軍は、死後およそ450年経った現在もクロアチア、ハンガリー両国で尊敬を集めている。
(ま、世界史で習ったときの記憶だと、オスマン・トルコ側の自滅なんだけどね)
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『ウ・ボイ!(闘え!)』
いざ戦闘へ、戦闘へ!
鞘(さや)から剣を抜け
われらの死に様を 敵に知らしめよ
わが街は すでに戦火に包まれ
その火の手は ここまで迫り来る
敵の叫び声が聞こえる 激しく凶暴なまでに
わが胸に 戦意は高まり
わが刃音は 敵の叫びもかき消す
諸君、ズリンスキーに別れのキスを
兄弟たちが交わすキスのように!
われに続け とりでの門へ
わか勇敢な兵士たちよ!
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クロアチアの作曲家
イバン財津、もといイバン・ザイツ(1832-1914)が1866年に男声合唱曲として作曲。
作詞はフラーニョ・マルコビッチ(の穴)。
(註)ズリンスキー
ニコラ・シュービッチ・ズリンスキー将軍。
ヨーロッパ同盟対イスラム(オスマン・トルコ)の戦争において、天下分け目となった戦で奮闘した。
1566年(家康が松平から徳川へ改姓した年。34年後の1600年に関ヶ原合戦となる)の夏、現在はハンガリー南部の小さな街(人口1万人弱)シゲトバルとなっているかつての城塞都市で、欧州軍の中核であるハプスブルク軍の将軍として、わずか3000名の兵を率いて10万を越えるトルコ軍に相対した。「ウ・ボイ!(クロアチア語:U boj!)」は最終決戦前にあげた鬨(とき)の声。トルコ軍はこの戦いに勝利するもウィーン侵攻を断念し、イスタンブールへ引き返した。ズリンスキーなければ、ウィーンはイスラム化していたと言われている。欧州を救ったことで国民的英雄となったズリンスキー将軍は、死後およそ450年経った現在もクロアチア、ハンガリー両国で尊敬を集めている。
(ま、世界史で習ったときの記憶だと、オスマン・トルコ側の自滅なんだけどね)
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2011年5月4日水曜日
19時より映画『マラドーナ』
BS-TBS
映画
シアターA「マラドーナ」
11/05/04(水)19:00~20:54
神の子と呼ばれた男は、一人の人間だった
Cast
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ、エミール・クストリッツァ、マラドーナ・ファミリー、カストロ将軍、エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ、マヌ・チャオ 他
Staff
2008年 スペイン・仏
監督・脚本:エミール・クストリッツァ
番組内容
アルゼンチン国民の英雄、ナポリの救世主、稀代のエンターテナー、そして薬に溺れた堕ちた偶像・・・。20世紀スポーツ界もっともスキャンダラスなスーパースター。“神の子”ディエゴ・アルマンド・マラドーナ 49歳。名匠エミール・クストリッツァ監督がブエノス・アイレスからナポリ、ベオグラードへと“魂の反逆児”の真実を追った話題のドキュメンタリー作品。
映画
シアターA「マラドーナ」
11/05/04(水)19:00~20:54
神の子と呼ばれた男は、一人の人間だった
Cast
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ、エミール・クストリッツァ、マラドーナ・ファミリー、カストロ将軍、エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ、マヌ・チャオ 他
Staff
2008年 スペイン・仏
監督・脚本:エミール・クストリッツァ
番組内容
アルゼンチン国民の英雄、ナポリの救世主、稀代のエンターテナー、そして薬に溺れた堕ちた偶像・・・。20世紀スポーツ界もっともスキャンダラスなスーパースター。“神の子”ディエゴ・アルマンド・マラドーナ 49歳。名匠エミール・クストリッツァ監督がブエノス・アイレスからナポリ、ベオグラードへと“魂の反逆児”の真実を追った話題のドキュメンタリー作品。
2011年3月2日水曜日
夢の夢
エドガー・アラン・ポー (ポオ)
Edgar Allan Poe (1809_01_19-1849_10_07 / Boston / United States)
A Dream Within A Dream 1827年
Take this kiss upon the brow!
And, in parting from you now,
Thus much let me avow-
You are not wrong, who deem
That my days have been a dream;
Yet if hope has flown away
In a night, or in a day,
In a vision, or in none,
Is it therefore the less gone?
All that we see or seem
Is but a dream within a dream.
I stand amid the roar
Of a surf-tormented shore,
And I hold within my hand
Grains of the golden sand-
How few! yet how they creep
Through my fingers to the deep,
While I weep- while I weep!
O God! can I not grasp
Them with a tighter clasp?
O God! can I not save
One from the pitiless wave?
Is all that we see or seem
But a dream within a dream?
夢の夢 1827年
その眉にキスさせて。
きみとさよならするんだよね
でもこのことだけ、言わせて欲しいんだ──
全部夢だった……
そうかもしれないね
でも あの楽しかった時間が
ある夜 ある昼
幻やうたかたのように消えてしまったからって
だからって
それが全部夢だったって言える?
ぼくたちがいま見たり感じたりしてることだって
夢の夢なんだから
ぼくは
寄せ波がはげしくくだける荒磯のただなかに立ってる
手には黄金の砂粒をいくつか握りしめてる──
ほんのわずかだけど
それらがぼくの指の間からすべり落ちていってしまう
ぼくは泣いているだけ
ああ神さま
ぼくはもっとしっかり手を握りしめることはできないのでしょうか
ああ神さま
ぼくはほんの一粒だけでも
つめたい荒波から守ることはできないのでしょうか
ぼくたちが見たり感じたりしてることはみんな
夢の夢にすぎないのでしょうか。
(ゲゲ愚訳)
Edgar Allan Poe (1809_01_19-1849_10_07 / Boston / United States)
A Dream Within A Dream 1827年
Take this kiss upon the brow!
And, in parting from you now,
Thus much let me avow-
You are not wrong, who deem
That my days have been a dream;
Yet if hope has flown away
In a night, or in a day,
In a vision, or in none,
Is it therefore the less gone?
All that we see or seem
Is but a dream within a dream.
I stand amid the roar
Of a surf-tormented shore,
And I hold within my hand
Grains of the golden sand-
How few! yet how they creep
Through my fingers to the deep,
While I weep- while I weep!
O God! can I not grasp
Them with a tighter clasp?
O God! can I not save
One from the pitiless wave?
Is all that we see or seem
But a dream within a dream?
夢の夢 1827年
その眉にキスさせて。
きみとさよならするんだよね
でもこのことだけ、言わせて欲しいんだ──
全部夢だった……
そうかもしれないね
でも あの楽しかった時間が
ある夜 ある昼
幻やうたかたのように消えてしまったからって
だからって
それが全部夢だったって言える?
ぼくたちがいま見たり感じたりしてることだって
夢の夢なんだから
ぼくは
寄せ波がはげしくくだける荒磯のただなかに立ってる
手には黄金の砂粒をいくつか握りしめてる──
ほんのわずかだけど
それらがぼくの指の間からすべり落ちていってしまう
ぼくは泣いているだけ
ああ神さま
ぼくはもっとしっかり手を握りしめることはできないのでしょうか
ああ神さま
ぼくはほんの一粒だけでも
つめたい荒波から守ることはできないのでしょうか
ぼくたちが見たり感じたりしてることはみんな
夢の夢にすぎないのでしょうか。
(ゲゲ愚訳)
2010年11月24日水曜日
黄色のキリスト ─ポール・ゴーギャン─
「黄色のキリスト(Le Christ jaune)」
ポール・ゴーギャン作 1889年
92.1 x 73.4 cm 油彩・画布
オルブライト=ノックス・アート・ギャラリー バッファロー
92.1 x 73.4 cm 油彩・画布
オルブライト=ノックス・アート・ギャラリー バッファロー
1848年6月7日が誕生日で、1903年5月8日が命日のゴーギャンが、41歳の時に描いた作品。当時ゴーギャンは、南仏アルルでゴッホと共同生活中だったとされる(ゴッホの耳が切り落とされた頃)。
この絵の美術的評価や現在価格は考えないにしても、キリストの顔と手はこれでいいのか? ってとこあたりを考えていると、ゴーギャンは勇気のある奴だなあと思えてくる。
右の真ん中あたりで小舟に乗り込もうとしてる(たぶん)おっちゃんとか、画面のあちこちにある赤い木とか、そういうのもみんな含めてこの絵はこれでいいのだと判断したゴーギャンは、実に勇気がある。
他にも大勢の画家が、こういう木やキリストを描いていたというのなら、別に勇気はいらないけど、印象派全盛の当時にこんなのを描いてたのはゴーギャンだけだったんだから、ホント、勇気あるよなあ。
蛮勇だけが勇気じゃないってことを思い知らされる絵だと、私には思える一枚です。
※蛮勇 ばんゆう 結果を恐れずに実行すること。向こう見ずな行為。無茶な行動。
fin
2010年10月18日月曜日
卒団に向けて─カテゴリーアップの備え─
端的に言えば、日本における少年サッカーの位置づけというのは、正式なサッカーをする際に優秀なプレーヤーとなるための準備のひとつである。
だからピッチもゴールも狭く小さくし、ボールも軽くなっている。
筋力がなくても、走力がなくても、ちゃんとサッカーをプレーすることができるようにするためだ。
そう考えると4種カテゴリーの公式戦が終了したあとは、中学(ジュニア・ユース、3種)サッカーへの橋渡しとなるようなトレーニングに変えていかなければならない。
当然どこの少年サッカーチームでもこのことは考えていて、練習メニューはそのままにしてボールサイズを5号にしたり、正式サイズのピッチとゴールで練習試合を組んだりしている。
ピッチやゴールのサイズについては、練習でもミニゲームやフットサルをしているのでそれほど戸惑いはないが、
ボールの感覚については、戸惑う子もいる。筋力の弱い子の中には、思うようにボールが蹴れなくて自信を失う子もいる。
それに3種は、サッカー自体もあまり面白くない(私にはそう見える)。
どうしてそうなるのかと私なりに考えてみると、やはりサッカーへの純粋な情熱が薄れてしまうからのような気がする。
捉(とら)え方をかえれば、子供たちの世界が広がるから、とも言える。
見えてくる世界、知る世界が広がるので、自分の能力や可能性も少し客観的に分析できるし、高校受験の準備もすぐ始まるし、好きな“女子”もできてるし、悪い付き合いに誘われることもあるし、教師との関係も複雑になるし、親も歳をとってくるし、先輩も怖いし、芸能人にもなりたいし、有名にもなりたいし、お金持ちにもなりたいし、とそんなこんなで、子供たちの中に占めるサッカーの割合が相対的に小さくなってしまう。これは仕方のないことだ。いつまでもサッカーボールを抱えて眠るわけにはいかないのだから。
だが実は、この時期こそ、サッカーがその人間にとってかけがえのないものになるかならないかを決定するかけがえのない時間なのだと私は思っている。
この時期にいい仲間とサッカーを楽しむことができた人間は、サッカーが一生の特別な存在になる。
『宝』になる。
これは選手としてプレーしていたとか、大会での成績がどうだとか、そんなちっぽけなこととは関係がない。
「いい人間関係」と「サッカーを楽しむ」こと、これだけが重要なのだ。
とかなんとかこんなことをここまで書いてきたが、私はこういうことをここで書きたかったわけではなかったことを、いま思い出した。
はじめ、書こうと考えていたのは、5号球でミニゲーム形式のボール回しをたくさんやって欲しいということだったのだ。
ガンガンに寒くなったり、雪が降ったり、霜柱でグランドがグチャグチャになる前に、タッチの使い分けでボールをコントロールする感覚を、4号球バージョンから5号球バージョンへ移行させてあげておくと、春になったとき、より実践的な練習から入ることができるからだ。
天然芝や人工芝のピッチで練習できる環境にない選手の場合、やはり日本の冬はサッカーには厳しい条件となる。
特に、「ボールタッチの慣れ」みたいな練習をする際、カチカチだったりドロドロだったりするピッチは効果を低減する要因になってしまう。
もし今年の冬が大雪だったりしたら、ほとんど5号球に慣れないままで春を迎えることになる。
「まあまあ、そんなことは大した問題じゃないじゃない」
そうだろうか?
私はそうは思わない。
小学生から中学生へと子供たちの環境が大きく変わる前に、まだ少年サッカーのままの気持ちでサッカーと向かい合い、慣れ親しんだ仲間とサッカーを楽しんでいる間に、何の疑いもなく5号球の感覚へ移行してしまった方が、ストレスが少なくて済むと私は確信している。
5号球の方が自然に感じるようになり、久しぶりに4号球に触ったら「小っさ!」「軽っ!」と違和感を覚えるくらいにはやくしてしまうこと。これがこれからの時期に求められることだと思う。
【ただし書き】
今年の冬が記録的な暖冬だった場合はこの限りではないのであしからず。
だからピッチもゴールも狭く小さくし、ボールも軽くなっている。
筋力がなくても、走力がなくても、ちゃんとサッカーをプレーすることができるようにするためだ。
そう考えると4種カテゴリーの公式戦が終了したあとは、中学(ジュニア・ユース、3種)サッカーへの橋渡しとなるようなトレーニングに変えていかなければならない。
当然どこの少年サッカーチームでもこのことは考えていて、練習メニューはそのままにしてボールサイズを5号にしたり、正式サイズのピッチとゴールで練習試合を組んだりしている。
ピッチやゴールのサイズについては、練習でもミニゲームやフットサルをしているのでそれほど戸惑いはないが、
ボールの感覚については、戸惑う子もいる。筋力の弱い子の中には、思うようにボールが蹴れなくて自信を失う子もいる。
それに3種は、サッカー自体もあまり面白くない(私にはそう見える)。
どうしてそうなるのかと私なりに考えてみると、やはりサッカーへの純粋な情熱が薄れてしまうからのような気がする。
捉(とら)え方をかえれば、子供たちの世界が広がるから、とも言える。
見えてくる世界、知る世界が広がるので、自分の能力や可能性も少し客観的に分析できるし、高校受験の準備もすぐ始まるし、好きな“女子”もできてるし、悪い付き合いに誘われることもあるし、教師との関係も複雑になるし、親も歳をとってくるし、先輩も怖いし、芸能人にもなりたいし、有名にもなりたいし、お金持ちにもなりたいし、とそんなこんなで、子供たちの中に占めるサッカーの割合が相対的に小さくなってしまう。これは仕方のないことだ。いつまでもサッカーボールを抱えて眠るわけにはいかないのだから。
だが実は、この時期こそ、サッカーがその人間にとってかけがえのないものになるかならないかを決定するかけがえのない時間なのだと私は思っている。
この時期にいい仲間とサッカーを楽しむことができた人間は、サッカーが一生の特別な存在になる。
『宝』になる。
これは選手としてプレーしていたとか、大会での成績がどうだとか、そんなちっぽけなこととは関係がない。
「いい人間関係」と「サッカーを楽しむ」こと、これだけが重要なのだ。
とかなんとかこんなことをここまで書いてきたが、私はこういうことをここで書きたかったわけではなかったことを、いま思い出した。
はじめ、書こうと考えていたのは、5号球でミニゲーム形式のボール回しをたくさんやって欲しいということだったのだ。
ガンガンに寒くなったり、雪が降ったり、霜柱でグランドがグチャグチャになる前に、タッチの使い分けでボールをコントロールする感覚を、4号球バージョンから5号球バージョンへ移行させてあげておくと、春になったとき、より実践的な練習から入ることができるからだ。
天然芝や人工芝のピッチで練習できる環境にない選手の場合、やはり日本の冬はサッカーには厳しい条件となる。
特に、「ボールタッチの慣れ」みたいな練習をする際、カチカチだったりドロドロだったりするピッチは効果を低減する要因になってしまう。
もし今年の冬が大雪だったりしたら、ほとんど5号球に慣れないままで春を迎えることになる。
「まあまあ、そんなことは大した問題じゃないじゃない」
そうだろうか?
私はそうは思わない。
小学生から中学生へと子供たちの環境が大きく変わる前に、まだ少年サッカーのままの気持ちでサッカーと向かい合い、慣れ親しんだ仲間とサッカーを楽しんでいる間に、何の疑いもなく5号球の感覚へ移行してしまった方が、ストレスが少なくて済むと私は確信している。
5号球の方が自然に感じるようになり、久しぶりに4号球に触ったら「小っさ!」「軽っ!」と違和感を覚えるくらいにはやくしてしまうこと。これがこれからの時期に求められることだと思う。
【ただし書き】
今年の冬が記録的な暖冬だった場合はこの限りではないのであしからず。
2010年5月21日金曜日
セザンヌとサッカー
私はセザンヌを敬愛している。よって、来週放送される下記の番組を心待ちにしている。
BShi 5月25日(火)午後8:00~9:30
プレミアム8<文化・芸術>
シリーズ巨匠たちの肖像「革命を起こした隠者・セザンヌ」近代絵画に革命を起こした画家、セザンヌ。
『隠者のように故郷にこもって絵の技法の開発に明け暮れた。セザンヌの人生を描くとともに、セザンヌの画期的な技法の秘密を探る。ピカソから“われらみんなの父”と敬愛された画家、セザンヌ。生前は世間から認められず、南仏の故郷に隠者のように引きこもり、新たな絵の技法の開発に明け暮れた。西洋絵画に革命をもたらし、遠近法を破壊し、多視点を導入し、塗り残しや余白が多いことを特徴とする絵を描いた。番組では、求道者であり偏屈者でもあったセザンヌの人間性を描くとともに、画期的な技法の秘密を探る。』
----------以上、番組紹介より---------
セザンヌの名言はたくさんあるが、その中でもよく知られているのはこのふたつだろう。
「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです」
「ルーヴルは参照すべき良書のような場所ですが、それも単なる仲立ちに留めるべきです。本当に取り組まなければならない驚くべき研究とは、変化に富んだ自然の光景なのです」
私がセザンヌに惹かれるのは、『当たり前に見えるものでも、それは当たり前ではない』『やり尽くしたと言えるほど、人間はまだ何もしていない』と考えていたのではないかなあ、と絵から読み取れるからだ。もちろんこれは、私がそう思っているだけで、美術研究の専門家からすれば「はあ? 何言っちゃってんの、おたく」という話かもしれない。だが私にはそう見えるのだから仕方がない。
見慣れたと思い込んでいる自然を、バラバラに解体してみる。
平面に見えているものにも、必ず奥行きがある。
目に見えている色だけが、そこに存在しているわけではない。
そして、誰かが作ったものではなく、そのものそれ自身を研究しなさい。
こういうことをセザンヌは言いたかったのだ、と私は思っている。
あらゆるものにもこれら当てはめて捉えようと、私は常に意識している。
当然サッカーにも、私は同じように接している。
セザンヌはリンゴを描いて革命を起こした。
サッカーでも、それができないわけがない。
BShi 5月25日(火)午後8:00~9:30
プレミアム8<文化・芸術>
シリーズ巨匠たちの肖像「革命を起こした隠者・セザンヌ」近代絵画に革命を起こした画家、セザンヌ。
『隠者のように故郷にこもって絵の技法の開発に明け暮れた。セザンヌの人生を描くとともに、セザンヌの画期的な技法の秘密を探る。ピカソから“われらみんなの父”と敬愛された画家、セザンヌ。生前は世間から認められず、南仏の故郷に隠者のように引きこもり、新たな絵の技法の開発に明け暮れた。西洋絵画に革命をもたらし、遠近法を破壊し、多視点を導入し、塗り残しや余白が多いことを特徴とする絵を描いた。番組では、求道者であり偏屈者でもあったセザンヌの人間性を描くとともに、画期的な技法の秘密を探る。』
----------以上、番組紹介より---------
セザンヌの名言はたくさんあるが、その中でもよく知られているのはこのふたつだろう。
「自然を円筒形と球形と円錐形によって扱いなさい。自然は平面よりも深さにおいて存在します。そのため、赤と黄で示される光の震動の中に空気を感じさせる青系統を入れる必要性があるのです」
「ルーヴルは参照すべき良書のような場所ですが、それも単なる仲立ちに留めるべきです。本当に取り組まなければならない驚くべき研究とは、変化に富んだ自然の光景なのです」
私がセザンヌに惹かれるのは、『当たり前に見えるものでも、それは当たり前ではない』『やり尽くしたと言えるほど、人間はまだ何もしていない』と考えていたのではないかなあ、と絵から読み取れるからだ。もちろんこれは、私がそう思っているだけで、美術研究の専門家からすれば「はあ? 何言っちゃってんの、おたく」という話かもしれない。だが私にはそう見えるのだから仕方がない。
見慣れたと思い込んでいる自然を、バラバラに解体してみる。
平面に見えているものにも、必ず奥行きがある。
目に見えている色だけが、そこに存在しているわけではない。
そして、誰かが作ったものではなく、そのものそれ自身を研究しなさい。
こういうことをセザンヌは言いたかったのだ、と私は思っている。
あらゆるものにもこれら当てはめて捉えようと、私は常に意識している。
当然サッカーにも、私は同じように接している。
セザンヌはリンゴを描いて革命を起こした。
サッカーでも、それができないわけがない。
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