東日本大震災:スマップ・中居さん配布のゲーム機、石巻市が慰問の子から回収 /宮城
毎日新聞 2011年6月27日 地方版
◇石巻の避難所
石巻市の門脇中学校の避難所で26日、慰問に訪れた人気グループ「SMAP」のメンバー、中居正広さんが子供たちに配ったゲーム機を、市職員が、クラシックバレエの披露のために同校にいた子供たちから「避難所外の子供」を理由に回収したことが分かった。市は抗議を受け、返却することにしたが、市の対応に批判の声も上がっている。
市などの説明によると、中居さんは同日、被災した子供と一緒に、市内のバレエ教室の子供に人形や1台数万円のゲーム機を配った。中居さんから「頑張ってね」とプレゼントを手渡された子供たちは大喜びした。
ところが、被災者の子供の保護者らから「ボランティアで訪れた子供が高価なプレゼントを受けるのおかしい」と市職員に抗議。これを受け、市職員はバレエ教室の子供に返還を求めた。ゲーム機を回収された小学4年生の女児は「中居さんからもらったと、友達に自慢しようと思っていたのに」とがっかりしていたという。
一方、市には「子供たちの心を傷つけた」などと対応を批判する苦情の電話が相次いだ。市避難所対策室では「配慮に欠けた」と陳謝。ゲーム機をバレエ教室を通じて子供たちに返すことにした。【石川忠雄】
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もしこれが大人のやったことだったら、事件としてはわかりやすい。
要するに、『ボランティアスタッフによる支援物資横領事件』に過ぎないからだ。
(そういえば、震災当初はとある有名市民平和運動船団体が、支援物資を独り占めしているというような報道もあったと記憶しているが、あれはどうなったのだろうか? ボランティア担当大臣とかいうのもいたような……)
さて話を戻せば、本来は異論など出る余地のない単純な構図の事件であるはずなのに、なぜ今回のことが論議を呼んでいるかというと、横領したのが「ボランティアすることを大人から強制させられた‘被災者じゃない子供たち’」であるからだ。
横領した側の意見として、記事中では「小学4年生の女児」によるコメントが紹介されている。
このコメントが、直接本人から聞き取ったものなのか、あるいは市職員、あるいは他の第三者からの又聞き、又々聞き、あるいは記者による想像、のいずれなのかわからないが、そうした内容の発言が実際にあったと仮定してみると、この女児にはそれが『支援物資』であったかどうかの認識はなかったであろうことが読み取れる。
はたしてこの小4の女の子に、ボランティアというものが理解できていただろうか?
また、被災している子供たちの状況が理解できたいただろうか?
私には、彼女が理解できていたとは、到底思えない。
大人でさえ、「ボランティア」というものを誤解している人が大勢いるのだから、小4の子が理解していなかったとしても、決して責められるものではない。
むしろ、退院するあてのない難病の子供たちがいる小児病棟へ、元気な子供たちを大勢連れて行って「さあ、ボランティアに来ましたよ! お友達になりましょうね!」と得意満面になっている大人たちの醜悪な達成感と同じ臭いがただよってくるようで、不快極まりない──は言い過ぎでも、ちょっとどうなのかなぁとは思う(私の場合は、です)。
今回の騒動を経て学ぶべきことがあるとすれば、こうした類(たぐい)の支援物資は、被災者個人に渡すのではなくて、避難所の共有物とするような方法にしたほうが混乱が生じにくいだろう、ということだ。
あの子はもらったけど、うちの子はもらえなかった。
あの人はもらえたのに、わたしはもらえなかった。
避難所という、強ストレス下のとても狭い共同体において、上記のような不公平感は危険な状況を招きかねない。
私が危惧しているのは、震災後の初盆が終わった今年の秋以降に急増するであろう、被災地での自殺や失踪のことだ。
その際、助けになるのは、地域や避難所という小さなコミュニティでの「つながり」であり「一体感」だと私は確信している。
なので、その「つながり」や「一体感」を浸食し、脆(もろ)くさせ、断ち切る要因のひとつである「不公平感」の種をまくような今回のゲーム機騒動は、支援する側にもうちょっと想像力があれば子供たちみんなが喜んだだろうに残念だなあ、というのが私なりの感想だ。
何の本だったか記憶が確かじゃないけど、内輪もめを起こさせるには足りないように与えればいい、みたいなことが書いてあった。
君主が領民を支配する方法だったか、敵の力を削ぐ方法だったか、なんかそんなようなことについての話だったはずだ。
「援助する」とか「手を差し伸べる」ってのには、情熱や共感力にプラスして、俯瞰(ふかん)できる冷静さと先を読める賢さも必要なんだよね。
サッカーと一緒。
追伸 そもそもこの慰問バレエの子供たちには、このゲーム機などの所有権はないのだから、さっさとあやまって返却した方がいい。たまたまその場所にいて自分がそれ受け取ったからといって、その物を自分の物にできるわけではない。病室見舞いの品や、引っ越しあいさつの品を、たまたまその場所にいて直接受け取ったからといって、第三者が自分の物にできるわけじゃないのと同じことだ。品物の送り主が入院している人や引っ越し先の隣人へ渡したと思っていることは明らかだし、社会常識に照らしても、それが誰に贈られた品なのかも明らかだからだ。
なので、今回避難所の被災児童へ贈られた『中居氏のゲーム機』も、当然その所有権は避難所の被災児童にあることは明らかであって、レンポゥやセンゴクウやエダノッチが強弁しても、「避難所の被災児童、もしくは避難所の管理責任者、またはそれらに類する以外の人間」に所有権は発生しない。ボケかけたおばあちゃんが、銀行の待合で銀行員と間違えて知らない人に入金を依頼したとして、じゃあその現金を手渡された第三者がそれをもらえるのかというと、そんなことにはならないでしょ。そんなことしたら横領になっちゃう。
これが野原の真ん中で「これあげる」って手渡されたのなら、「ありがとう」ってごっちゃんしちゃえばいいんだけど、誰がどう見たって、誰にあげよううとしたのか明らかな今回みたいなケースでは、「ごめんね」って素直に返した方がお利口です。
2011年6月27日月曜日
2011年6月22日水曜日
気にするな、死ぬぞ。
全国放射線Map
全国放射線Map
香港の放射線量は、はるかに高い。
香港:大気中の放射線量、福島第一原発に近い東京より多い
4月1日(ブルームバーグ):
日本では東日本大震災後で損傷した福島第一原子力発電所の放射性物質漏れへの対応が続いているが、香港の大気中の一般的な放射線量は東京より多い。それを考えると、放射性物質の拡散への懸念は行き過ぎかもしれない。
東京都健康安全研究センターの発表によると、新宿区の放射線量は3月31日、1時間当たり最大0.109マイクロシーベルトだった。一方、香港天文台のウェブサイトによれば、香港の九竜地区では0.14マイクロシーベルトだ。胸部レントゲンの放射線量は約50マイクロシーベルト。
英王立放射線科医協会(RCR)の元幹部、ボブ・バリー氏によれば、多くの国ではもともと大気中の放射線量が東京より多い。原発事故の影響で東京の放射線量が30倍に増え、外国人が大挙して日本国外に脱出した。しかし、東京の放射線量は今でも、ロンドンやニューヨークの値よりわずかに高いだけにすぎないと、アナリストらはみている。
バリー氏は電子メールで日本の現状について、「実際の放射線による被害より放射線に対する懸念によるダメージの方がずっと大きかったチェルノブイリ原発事故のようなパターンをたどりそうな状況だ」とし、「自然界にある放射線を考慮すれば、東京の放射線量のレベルが現時点で世界の多くの場所より低いことはかなり確実だ」と指摘した。
環境放射能調査によると、ニューヨークの放射線量は3月31日まで7日間の平均で1時間当たり0.095マイクロシーベルトとなっており、東京をかろうじて下回っている。東京は原発事故の前で0.0338マイクロシーベルトだった。
シンガポール
シンガポール環境庁によれば、同国は現地時間3月31日午後4時(日本時間同5時)時点で1時間当たり0.09マイクロシーベルト。英政府機関RIMNETによると、ロンドンは同日、約0.08マイクロシーベルトだった。
英健康保護局(HPA)の試算では、英国人が1年間に浴びる自然界の放射線量は通常、約2200マイクロシーベルト。1時間当たり換算では約0.251マイクロシーベルトと、東京での観測値の2倍強だ。
HPA放射線センターのジョン・ハリソン副所長は電子メールで、「英国の住民が年間に浴びる平均的な放射線量の半分はラドンによるものだ。ラドンは目に見えず無色の放射性ガスで、すべての土壌に存在する。世界中の土壌で発見されるウランの崩壊生成物だ。量はその土地の地質による」と説明した。
世界原子力協会(WNA)によると、大気中の放射線量が世界で極めて高い地域はインドのケララ州とマドラス州で、放射線量は平均で1時間当たり3.42マイクロシーベルト。インドの土壌はトリウムを豊富に含む。ブラジルとスーダンでは4.57マイクロシーベルトに達することもある。
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世界で「日本回帰」の動き始まる 「放射線量モスクワより低い」
2011.4.20 産経新聞
東日本大震災後で初の政府賓客としてオーストラリアのジュリア・ギラード首相(49)が20日から日本を公式訪問する。これに先立ってオーストラリアは日本への渡航禁止措置を緩和し、被災地を除く地域への渡航を解除。同国のフラッグキャリアのカンタス航空も19日、成田への直航便の運航を再開した。韓国や米国、フランス、ロシア、英国なども東京への渡航制限を緩和し、香港からのツアーも再開した。各国は東京電力福島第1原発の状況には注意を払いながらも、復興をにらんで「日本回帰」の動きを始めたようだ。
原発事故拡大防止にメド
福島第1原発の放射能漏れ事故発生後、米国は原発から半径80キロ圏内からの待避を勧告。これに続くかのように、中国、インドを含むアジアや欧州各国が自国民に対し、待避を勧告し、さらに日本への渡航を制限してきた。外務省によると、正確な数字は把握できないものの、何らかの渡航制限を出した国は50数カ国に上るとみられる。
ただ、その後、原発事故による放射能汚染が拡大していないこともあって、4月に入って徐々に日本への渡航制限を見直す動きが出はじめた。19日までにデンマーク、イギリス、スウェーデン、韓国、オーストリア、カナダ、米国、フランス、オーストラリア、ロシア、さらに香港などが被災地以外への渡航制限を解除または緩和した。
放射線量モスクワより低い
原発事故直後の3月13日に自国民に関東圏からの待避を呼びかけたフランスは原発を推進する立場もあって31日にはサルコジ大統領が事故後初の外国首脳として来日。16日には「被災地訪問は勧めないが、東京への旅行は健康に害はない」として渡航自粛を解除した。18日に自粛を解除したロシアは「東京の放射線レベルの測定値はモスクワよりも低い」などと断じた。
ただ、アジア地域では香港が渡航自粛から渡航注意に引き下げたに止まる。その香港からは北海道、沖縄ツアーが16日に再開され、18日には関西国際空港にツアー客が到着した。ツアー客の一人は「西日本は原発から離れていて安全。温泉とグルメを楽しみたい」と話していた。
観光客はなお様子見
これに対し、米国で日本向けツアーを扱う旅行会社は「本来なら6月からの旅行シーズンの予約がまったくない状態。渡航制限は解除されたものの、お客さんはまだ様子見の段階のようだ」と今後に期待をかける。
こうしたなか、原発事故の影響や利用客の減少で成田・羽田両空港への直航便を止め、韓国・仁川などを経由していた各航空会社も4月に入りオランダ、フランス、イタリア、ドイツ、スイスのフラッグキャリアが直航便を再開した。さらに、羽田便についても3月から運航を中止していた米デルタ航空が6月から復便する。90日以内に運航を再開しないと、羽田を使用する権利を放棄したとみなされるためで、デルタ航空は今後をにらんで、採算を無視してでも羽田便を維持する方針という。
日本政府観光局(JNTO)によると、今年3月の訪日客は35万2800人と昨年同月比で半減したものの、自粛解除と航空路線などの復活で、今後徐々に増加に転じることが期待されている。(SANKEI EXPRESS)
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がんという病の発生因子が放射線被曝だけだと思っている人はいないだろう。
まるで日本中が『発ガン物質』という言葉を忘れてしまったかのように、やたら放射線量ばかり気にしている。
もちろん、実際に騒いでいるのは一部の人だけなのだろうが、声が大きいのでどうしても目立ってしまう。
放射線を浴びないで済むものなら、それに越したことはない。
しかし残念ながら、この宇宙は放射線で満ちているし、そこに存在する地球という天体もまた、放射線から逃れることはできない。
いわば放射線の海に漂うクラゲのような存在が地球という天体に暮らすわたしたち生命体だ。
海の中でしか生きられない一方で、その海によって死んでしまうこともある。
(ファースト生命の誕生や進化には放射線によるDNA変異が大きくかかわっている。しかしそのことは、すでに誕生した生命や現状維持を望むDNAにとっては有害因子として働く)
がんの発生メカニズムの研究が進んで、もしかすると将来、放射線の発ガンリスクが、現在のものよりも引き上げられる可能性もないとは言えない。
しかしそのことは、逆の方向へ、つまり放射線の発ガンリスクが引き下げられる可能性もあることを意味している。
要は、発ガンメカニズムの解明はまだその程度の段階にあるということなのだ。
(例えばマウスの実験では、ストレスを与えればがんになることは分かっているが、ストレスがどう作用してがんを発生させるのかはわかっていない。正常細胞ががんとして機能するためのメカニズムが複雑過ぎるからだ)
仮に放射線による発ガンリスクが高いことが分かったとしても、長期的にも短期的にも現在の福島県周辺より放射線量の高い地域は世界中に存在するし、また高地で暮らす民族や登山やスキーが趣味の人や飛行機に良く乗る人の浴びる放射線量は、FUKUSHIMA事故以降の数日間に浴びたであろう周辺住民の放射線量よりもずっと多い。でもそれだって、健康にはなんら問題はない。
健康への影響ということや、発ガンリスクということを考えれば、コンビニ・ファストフードから高級レストランを含む外食全般、ダイエット(ダイエットが健康に良いというのは幻想。ダイエットは美容に良い)、紫外線(もし今回のFUKUSHIMAリスクを気にするのなら、オーストラリアで数日間過ごすなんて狂気の沙汰ということになる)、飲酒、喫煙、水分不足、糖分を加えた食事、塩分を加えた食事、油分を加えた食事、そして便秘、こんなことの方がずっと深刻な影響がある。
いやそもそも、『何かを気にする』ということそのものが、ヒトという生き物にとって非常に悪いストレスなのだ。
シンプルに言えば、「『何かを気にする』ということ」それは命にかかわる。
この世の大原則は、気にしようが気にしまいが結果は変わらない、ということだ。
神さまでもない限り、時間を戻ることも、別の世界へ移動することもできないのだから、この世界はすでに決まっているのだと言える。
「今・現在」と言いながら、それを変えることはできないのだから、その実質は「昔・過去」そのもの、だと言える。
またそれは「明日・未来」についても同じ。
ただ決定的に違うのは、「明日・未来」については誰も何も知らない、ということ。
でも、知らない=変えられる、じゃあない。
ま~さ~に~、読み終えていない小説のエンディング。
昨日今日あわてて西日本へ引っ越ししても、それはひとつの水槽の中をメダカがちょこっと移動したようなものに過ぎない。
それでストレスが軽減するというのなら、やったほうがいい。でも意味はそれくらいしかない。
がんになりたくないと気にすると、がんになる。
がんになるから死ぬのではなく、長生きするからがんになるのだ。
どうしてもがんになりたくないというのなら、放射線被曝を気にするよりもずっと確実に効く方法がある。
それは、がんになる前に死んでしまうことだ。
ふざけているようで、実はこれって結構真理をついているですよ。マジで。
【参照】
みんなの放射線
ぼくの放射線
放射線サンドイッチ
最大の発がんリスクは加齢です。
汚染水に浸かった人がいたことを忘れないで。
震災前も放射線ゼロだったわけじゃない。
全国放射線Map
香港の放射線量は、はるかに高い。
香港:大気中の放射線量、福島第一原発に近い東京より多い
4月1日(ブルームバーグ):
日本では東日本大震災後で損傷した福島第一原子力発電所の放射性物質漏れへの対応が続いているが、香港の大気中の一般的な放射線量は東京より多い。それを考えると、放射性物質の拡散への懸念は行き過ぎかもしれない。
東京都健康安全研究センターの発表によると、新宿区の放射線量は3月31日、1時間当たり最大0.109マイクロシーベルトだった。一方、香港天文台のウェブサイトによれば、香港の九竜地区では0.14マイクロシーベルトだ。胸部レントゲンの放射線量は約50マイクロシーベルト。
英王立放射線科医協会(RCR)の元幹部、ボブ・バリー氏によれば、多くの国ではもともと大気中の放射線量が東京より多い。原発事故の影響で東京の放射線量が30倍に増え、外国人が大挙して日本国外に脱出した。しかし、東京の放射線量は今でも、ロンドンやニューヨークの値よりわずかに高いだけにすぎないと、アナリストらはみている。
バリー氏は電子メールで日本の現状について、「実際の放射線による被害より放射線に対する懸念によるダメージの方がずっと大きかったチェルノブイリ原発事故のようなパターンをたどりそうな状況だ」とし、「自然界にある放射線を考慮すれば、東京の放射線量のレベルが現時点で世界の多くの場所より低いことはかなり確実だ」と指摘した。
環境放射能調査によると、ニューヨークの放射線量は3月31日まで7日間の平均で1時間当たり0.095マイクロシーベルトとなっており、東京をかろうじて下回っている。東京は原発事故の前で0.0338マイクロシーベルトだった。
シンガポール
シンガポール環境庁によれば、同国は現地時間3月31日午後4時(日本時間同5時)時点で1時間当たり0.09マイクロシーベルト。英政府機関RIMNETによると、ロンドンは同日、約0.08マイクロシーベルトだった。
英健康保護局(HPA)の試算では、英国人が1年間に浴びる自然界の放射線量は通常、約2200マイクロシーベルト。1時間当たり換算では約0.251マイクロシーベルトと、東京での観測値の2倍強だ。
HPA放射線センターのジョン・ハリソン副所長は電子メールで、「英国の住民が年間に浴びる平均的な放射線量の半分はラドンによるものだ。ラドンは目に見えず無色の放射性ガスで、すべての土壌に存在する。世界中の土壌で発見されるウランの崩壊生成物だ。量はその土地の地質による」と説明した。
世界原子力協会(WNA)によると、大気中の放射線量が世界で極めて高い地域はインドのケララ州とマドラス州で、放射線量は平均で1時間当たり3.42マイクロシーベルト。インドの土壌はトリウムを豊富に含む。ブラジルとスーダンでは4.57マイクロシーベルトに達することもある。
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世界で「日本回帰」の動き始まる 「放射線量モスクワより低い」
2011.4.20 産経新聞
東日本大震災後で初の政府賓客としてオーストラリアのジュリア・ギラード首相(49)が20日から日本を公式訪問する。これに先立ってオーストラリアは日本への渡航禁止措置を緩和し、被災地を除く地域への渡航を解除。同国のフラッグキャリアのカンタス航空も19日、成田への直航便の運航を再開した。韓国や米国、フランス、ロシア、英国なども東京への渡航制限を緩和し、香港からのツアーも再開した。各国は東京電力福島第1原発の状況には注意を払いながらも、復興をにらんで「日本回帰」の動きを始めたようだ。
原発事故拡大防止にメド
福島第1原発の放射能漏れ事故発生後、米国は原発から半径80キロ圏内からの待避を勧告。これに続くかのように、中国、インドを含むアジアや欧州各国が自国民に対し、待避を勧告し、さらに日本への渡航を制限してきた。外務省によると、正確な数字は把握できないものの、何らかの渡航制限を出した国は50数カ国に上るとみられる。
ただ、その後、原発事故による放射能汚染が拡大していないこともあって、4月に入って徐々に日本への渡航制限を見直す動きが出はじめた。19日までにデンマーク、イギリス、スウェーデン、韓国、オーストリア、カナダ、米国、フランス、オーストラリア、ロシア、さらに香港などが被災地以外への渡航制限を解除または緩和した。
放射線量モスクワより低い
原発事故直後の3月13日に自国民に関東圏からの待避を呼びかけたフランスは原発を推進する立場もあって31日にはサルコジ大統領が事故後初の外国首脳として来日。16日には「被災地訪問は勧めないが、東京への旅行は健康に害はない」として渡航自粛を解除した。18日に自粛を解除したロシアは「東京の放射線レベルの測定値はモスクワよりも低い」などと断じた。
ただ、アジア地域では香港が渡航自粛から渡航注意に引き下げたに止まる。その香港からは北海道、沖縄ツアーが16日に再開され、18日には関西国際空港にツアー客が到着した。ツアー客の一人は「西日本は原発から離れていて安全。温泉とグルメを楽しみたい」と話していた。
観光客はなお様子見
これに対し、米国で日本向けツアーを扱う旅行会社は「本来なら6月からの旅行シーズンの予約がまったくない状態。渡航制限は解除されたものの、お客さんはまだ様子見の段階のようだ」と今後に期待をかける。
こうしたなか、原発事故の影響や利用客の減少で成田・羽田両空港への直航便を止め、韓国・仁川などを経由していた各航空会社も4月に入りオランダ、フランス、イタリア、ドイツ、スイスのフラッグキャリアが直航便を再開した。さらに、羽田便についても3月から運航を中止していた米デルタ航空が6月から復便する。90日以内に運航を再開しないと、羽田を使用する権利を放棄したとみなされるためで、デルタ航空は今後をにらんで、採算を無視してでも羽田便を維持する方針という。
日本政府観光局(JNTO)によると、今年3月の訪日客は35万2800人と昨年同月比で半減したものの、自粛解除と航空路線などの復活で、今後徐々に増加に転じることが期待されている。(SANKEI EXPRESS)
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がんという病の発生因子が放射線被曝だけだと思っている人はいないだろう。
まるで日本中が『発ガン物質』という言葉を忘れてしまったかのように、やたら放射線量ばかり気にしている。
もちろん、実際に騒いでいるのは一部の人だけなのだろうが、声が大きいのでどうしても目立ってしまう。
放射線を浴びないで済むものなら、それに越したことはない。
しかし残念ながら、この宇宙は放射線で満ちているし、そこに存在する地球という天体もまた、放射線から逃れることはできない。
いわば放射線の海に漂うクラゲのような存在が地球という天体に暮らすわたしたち生命体だ。
海の中でしか生きられない一方で、その海によって死んでしまうこともある。
(ファースト生命の誕生や進化には放射線によるDNA変異が大きくかかわっている。しかしそのことは、すでに誕生した生命や現状維持を望むDNAにとっては有害因子として働く)
がんの発生メカニズムの研究が進んで、もしかすると将来、放射線の発ガンリスクが、現在のものよりも引き上げられる可能性もないとは言えない。
しかしそのことは、逆の方向へ、つまり放射線の発ガンリスクが引き下げられる可能性もあることを意味している。
要は、発ガンメカニズムの解明はまだその程度の段階にあるということなのだ。
(例えばマウスの実験では、ストレスを与えればがんになることは分かっているが、ストレスがどう作用してがんを発生させるのかはわかっていない。正常細胞ががんとして機能するためのメカニズムが複雑過ぎるからだ)
仮に放射線による発ガンリスクが高いことが分かったとしても、長期的にも短期的にも現在の福島県周辺より放射線量の高い地域は世界中に存在するし、また高地で暮らす民族や登山やスキーが趣味の人や飛行機に良く乗る人の浴びる放射線量は、FUKUSHIMA事故以降の数日間に浴びたであろう周辺住民の放射線量よりもずっと多い。でもそれだって、健康にはなんら問題はない。
健康への影響ということや、発ガンリスクということを考えれば、コンビニ・ファストフードから高級レストランを含む外食全般、ダイエット(ダイエットが健康に良いというのは幻想。ダイエットは美容に良い)、紫外線(もし今回のFUKUSHIMAリスクを気にするのなら、オーストラリアで数日間過ごすなんて狂気の沙汰ということになる)、飲酒、喫煙、水分不足、糖分を加えた食事、塩分を加えた食事、油分を加えた食事、そして便秘、こんなことの方がずっと深刻な影響がある。
いやそもそも、『何かを気にする』ということそのものが、ヒトという生き物にとって非常に悪いストレスなのだ。
シンプルに言えば、「『何かを気にする』ということ」それは命にかかわる。
この世の大原則は、気にしようが気にしまいが結果は変わらない、ということだ。
神さまでもない限り、時間を戻ることも、別の世界へ移動することもできないのだから、この世界はすでに決まっているのだと言える。
「今・現在」と言いながら、それを変えることはできないのだから、その実質は「昔・過去」そのもの、だと言える。
またそれは「明日・未来」についても同じ。
ただ決定的に違うのは、「明日・未来」については誰も何も知らない、ということ。
でも、知らない=変えられる、じゃあない。
ま~さ~に~、読み終えていない小説のエンディング。
昨日今日あわてて西日本へ引っ越ししても、それはひとつの水槽の中をメダカがちょこっと移動したようなものに過ぎない。
それでストレスが軽減するというのなら、やったほうがいい。でも意味はそれくらいしかない。
がんになりたくないと気にすると、がんになる。
がんになるから死ぬのではなく、長生きするからがんになるのだ。
どうしてもがんになりたくないというのなら、放射線被曝を気にするよりもずっと確実に効く方法がある。
それは、がんになる前に死んでしまうことだ。
ふざけているようで、実はこれって結構真理をついているですよ。マジで。
【参照】
みんなの放射線
ぼくの放射線
放射線サンドイッチ
最大の発がんリスクは加齢です。
汚染水に浸かった人がいたことを忘れないで。
震災前も放射線ゼロだったわけじゃない。
2011年5月8日日曜日
ユッケ vs 放射線
かたや、すでに4人を殺して何十何百という入院患者を生み出した。
かたた、恐ろしいらしいけど、まだ誰も死んでもいないし健康被害を受けてもいない。
こんにゃくゼリー←消費者庁激怒(野田聖子)
ユッケ←「生肉食べたい」(インタビューを受けていた女子)
「放射能が怖い」←朝日新聞&テレビ朝日・TBSに登場した子持ち主婦
お餅やご飯←見て見ぬふり
毎年3万数千人の自殺者←見て見ぬふり
人間の不安心理ってのは、本当に面白いなあ。
てか、そんなに生肉食べたい?
俺なんかはもう、「なまにく」っていう響きからして受けつけないんだけど。
実際、食べてもそんなに美味しくなかったし。
アレって要は、うま味調味料たっぷりのタレと食用油の味でしょ?
少なくとも、これまでに焼肉店へ平気で通ってた人が飛散放射性物質のリスクをうんぬん語るのは、バカまる出しだよね。
必要のない放射線は浴びないに越したことはないけど、外食で焼肉食べてるくせに健康を気にするのは、タバコをぷかぷかのみながら、顔を青くしてがん検診受けるみたいに矛盾してる。
結局寿命なんてのは、がんになる前に死ぬかどうかなんだよってことを、ちゃんとわきまえないと。
人間、いつかは必ず死ぬわけで。
心臓も脳も血管も問題がなければ、死因は事故か事件かがんしかないのが現実。
みんな、放射線のことを気にしすぎ。
放射線で遺伝子が影響を受けるよりも、そもそもXYとXXの染色体がかけ合わさった段階で、とっくに問題が生じている可能性の方がはるかに高いんだから。
放射線のもたらす影響だって、負のものばっかとは限らない。同じ確率で、良い方に働くことだってあるはずなんだから。
足の小指をぶつけた時だけ「この柱はリスクだ」と言って柱の悪い面ばっかり見て、でもってその柱をガッツり切ったりしちゃったら、台風や地震の時に家がどうなるかわからない。
一方的に悪いばっかりなんて存在は、そもそも神さまが許さないでしょ。だから、どんなことにも違う面があるってことを忘れないことが、判断を誤らない秘訣なような気がするのです。
脱原発ってのはコッソリやるべきで、こんなに大々的に騒いだら、原油や天然ガスの価格への影響だって無視できない。原油価格や為替相場も、たぶん日本が望んでいるような推移はしないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしてる。
でもまあ、それにしたって、生肉なんてもの、ユッケなんてものは「ゲテモノ食い」だということは百パーセント確実で、気味が悪い。悪趣味。げろげろ~。
「生食用の肉なら大丈夫だったはず」っていう意見も目にするけど、同じ調理場で、同じ調理人が扱ってるんだから、リスクは変わらないよね。
食べて死んだ子どもはかわいそうだけど、このニュースが報じられた後、生肉に当たって腹を下したアホにはまったく同情の余地なしです。
どんな奴(バイト?)がどんな調理場(どんな衛生管理?)で調理してるか分からないのに、生野菜+生卵+生肉のぐちゃぐちゃ混ぜあわせを食べるんだから、それも焼肉の素材と同じ肉に割高なお金を払って……、お好きにどうぞです。
かたた、恐ろしいらしいけど、まだ誰も死んでもいないし健康被害を受けてもいない。
こんにゃくゼリー←消費者庁激怒(野田聖子)
ユッケ←「生肉食べたい」(インタビューを受けていた女子)
「放射能が怖い」←朝日新聞&テレビ朝日・TBSに登場した子持ち主婦
お餅やご飯←見て見ぬふり
毎年3万数千人の自殺者←見て見ぬふり
人間の不安心理ってのは、本当に面白いなあ。
てか、そんなに生肉食べたい?
俺なんかはもう、「なまにく」っていう響きからして受けつけないんだけど。
実際、食べてもそんなに美味しくなかったし。
アレって要は、うま味調味料たっぷりのタレと食用油の味でしょ?
少なくとも、これまでに焼肉店へ平気で通ってた人が飛散放射性物質のリスクをうんぬん語るのは、バカまる出しだよね。
必要のない放射線は浴びないに越したことはないけど、外食で焼肉食べてるくせに健康を気にするのは、タバコをぷかぷかのみながら、顔を青くしてがん検診受けるみたいに矛盾してる。
結局寿命なんてのは、がんになる前に死ぬかどうかなんだよってことを、ちゃんとわきまえないと。
人間、いつかは必ず死ぬわけで。
心臓も脳も血管も問題がなければ、死因は事故か事件かがんしかないのが現実。
みんな、放射線のことを気にしすぎ。
放射線で遺伝子が影響を受けるよりも、そもそもXYとXXの染色体がかけ合わさった段階で、とっくに問題が生じている可能性の方がはるかに高いんだから。
放射線のもたらす影響だって、負のものばっかとは限らない。同じ確率で、良い方に働くことだってあるはずなんだから。
足の小指をぶつけた時だけ「この柱はリスクだ」と言って柱の悪い面ばっかり見て、でもってその柱をガッツり切ったりしちゃったら、台風や地震の時に家がどうなるかわからない。
一方的に悪いばっかりなんて存在は、そもそも神さまが許さないでしょ。だから、どんなことにも違う面があるってことを忘れないことが、判断を誤らない秘訣なような気がするのです。
脱原発ってのはコッソリやるべきで、こんなに大々的に騒いだら、原油や天然ガスの価格への影響だって無視できない。原油価格や為替相場も、たぶん日本が望んでいるような推移はしないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしてる。
でもまあ、それにしたって、生肉なんてもの、ユッケなんてものは「ゲテモノ食い」だということは百パーセント確実で、気味が悪い。悪趣味。げろげろ~。
「生食用の肉なら大丈夫だったはず」っていう意見も目にするけど、同じ調理場で、同じ調理人が扱ってるんだから、リスクは変わらないよね。
食べて死んだ子どもはかわいそうだけど、このニュースが報じられた後、生肉に当たって腹を下したアホにはまったく同情の余地なしです。
どんな奴(バイト?)がどんな調理場(どんな衛生管理?)で調理してるか分からないのに、生野菜+生卵+生肉のぐちゃぐちゃ混ぜあわせを食べるんだから、それも焼肉の素材と同じ肉に割高なお金を払って……、お好きにどうぞです。
2011年5月4日水曜日
19時より映画『マラドーナ』
BS-TBS
映画
シアターA「マラドーナ」
11/05/04(水)19:00~20:54
神の子と呼ばれた男は、一人の人間だった
Cast
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ、エミール・クストリッツァ、マラドーナ・ファミリー、カストロ将軍、エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ、マヌ・チャオ 他
Staff
2008年 スペイン・仏
監督・脚本:エミール・クストリッツァ
番組内容
アルゼンチン国民の英雄、ナポリの救世主、稀代のエンターテナー、そして薬に溺れた堕ちた偶像・・・。20世紀スポーツ界もっともスキャンダラスなスーパースター。“神の子”ディエゴ・アルマンド・マラドーナ 49歳。名匠エミール・クストリッツァ監督がブエノス・アイレスからナポリ、ベオグラードへと“魂の反逆児”の真実を追った話題のドキュメンタリー作品。
映画
シアターA「マラドーナ」
11/05/04(水)19:00~20:54
神の子と呼ばれた男は、一人の人間だった
Cast
ディエゴ・アルマンド・マラドーナ、エミール・クストリッツァ、マラドーナ・ファミリー、カストロ将軍、エミール・クストリッツァ&ノー・スモーキング・オーケストラ、マヌ・チャオ 他
Staff
2008年 スペイン・仏
監督・脚本:エミール・クストリッツァ
番組内容
アルゼンチン国民の英雄、ナポリの救世主、稀代のエンターテナー、そして薬に溺れた堕ちた偶像・・・。20世紀スポーツ界もっともスキャンダラスなスーパースター。“神の子”ディエゴ・アルマンド・マラドーナ 49歳。名匠エミール・クストリッツァ監督がブエノス・アイレスからナポリ、ベオグラードへと“魂の反逆児”の真実を追った話題のドキュメンタリー作品。
2011年3月25日金曜日
北国へ春よ早くと我思う
決定的な事実があります。
それは、霞ヶ関の役人も永田町の議員も丸の内三菱村の村民も村長もお茶の水から丸の内に移転した日立製作所の社員も芝浦の東芝本社の社員も、さらに天皇皇后両陛下も皇太子皇太子妃殿下も皇室の皆々様も、みなさん東京にいらっしゃったままだということです。
東京は大丈夫です。
また、昨夕には意外なニュースも報じられました。
被曝の作業員、水に浮いた汚染物質が足の皮膚に付着か
2011年3月24日 朝日新聞
東京電力福島第一原子力発電所で24日、復旧作業に当たる作業員3人が被曝(ひばく)し、うち2人が病院に運ばれた。東電は2人が足の皮膚に被曝によるやけどを負った可能性も否定できないとしている。
吐き気など、全身に大量被曝した際に起きる急性放射線障害の症状はないが、水に漬かった部分には、局所的に高い線量の放射線を浴びる「局所被曝」が起きた可能性がある。これは、放射性物質に直接触れた場合などに起こる。
東電は、水に浮いた汚染物質が足の皮膚に付着し、その部分に被曝で起こる「ベータ線熱傷」が起きた可能性も否定できないとしている。
ベータ線は放射線の一種。紙などを突き抜けるが、アルミなどの薄い金属板は透過しない。浴びた線量にもよるが、ベータ線熱傷では1~2日後に皮膚が赤く腫れ、1~2週間後にやけどのような症状が出てくることが多いとされる。
ということらしいのです。
被曝された作業員の方々には、一日も早いご回復をお祈りします。
さて、この報道を知って私が意外に思ったことは、発電所内の放射線量がそれほどでもないのかな、ということなのです。
同じ記事の中にはこういう記述もありました。
経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は24日の会見で、原発内に放射線量の高い場所が散見されるとし、「これからの作業は放射線量との闘い」と述べた。
ということは、今回事故に遭われた作業員の方々がいらした場所は「放射線量の高い場所」のひとつだったのではないか、と想像されるのです。
もしそうであるならば、発電所内の放射線量は私が考えていた状態よりも低いことになります。
この推測が正しいのであれば、燃料棒の損傷は非常に軽微であることになるし、炉の損傷もほとんどない可能性がそう低くはない確率で期待されます。
もちろんリスク管理のことを考えれば、最悪の事態を想定して対処するのがセオリーです。
でももしかすると、ですよ。
最もダメージを受けていたのは、水温計水量計と配管のつなぎ目部分だった、などという結末もあるえるように、私には思えます。
絵空事にしても、このまま「原子炉崩壊! 日本終了!」となるよりは、現実味があると私には思えるのです。
政府、経産省・保安院、東電、そしてマスコミは、「万が一」の「最悪の事態」を想定して、いろいろと動いているはずです。
それは裏を返せば、現在多くの国民が恐れているような事態は「万が一」にも起き得ないという証でもあるのです。
しかしそれでも責任ある立場の人は「絶対に起きない」とは口が裂けても言えないわけですから、「退避勧告」であったり「出荷制限」をかけたりしているのだろうと私は思うのです。
だってもし、本当にそんなことになる危険が高いのなら、いくら必要であっても東北道一般車両含め全面通行可なんてさせないだろうし、皇室の皆様も避難させるだろうし、成田の飛行禁止命令も出るだろうし、政府ももっとパニクってるはずだと思うんです。だってだって、尖閣諸島であのドタバタ醜態を晒した人たちのほとんどそのまんまなんですよ、官邸の皆々さんは。
こっそりきっちりいろいろ測定してるはずの米軍が、原発より被災者支援の方へ重きを置いてくれている現実から見ても、緊急性がどちらにあるのかは明白だと私には思えます。
いま水道水を飲むと、あるいはほうれん草を食べると、10年後20年後30年後にガンになる、みたいなことを言っている人がいますけど、それってつまり、今の原発の騒ぎは無事に終息して、その後10年20年30年と平穏無事に健康な生活を送れるんだって言ってるのと同じことなんですよね。
この矛盾に気づいて欲しいなあ。
早く、春よ来い。
それは、霞ヶ関の役人も永田町の議員も丸の内三菱村の村民も村長もお茶の水から丸の内に移転した日立製作所の社員も芝浦の東芝本社の社員も、さらに天皇皇后両陛下も皇太子皇太子妃殿下も皇室の皆々様も、みなさん東京にいらっしゃったままだということです。
東京は大丈夫です。
また、昨夕には意外なニュースも報じられました。
被曝の作業員、水に浮いた汚染物質が足の皮膚に付着か
2011年3月24日 朝日新聞
東京電力福島第一原子力発電所で24日、復旧作業に当たる作業員3人が被曝(ひばく)し、うち2人が病院に運ばれた。東電は2人が足の皮膚に被曝によるやけどを負った可能性も否定できないとしている。
吐き気など、全身に大量被曝した際に起きる急性放射線障害の症状はないが、水に漬かった部分には、局所的に高い線量の放射線を浴びる「局所被曝」が起きた可能性がある。これは、放射性物質に直接触れた場合などに起こる。
東電は、水に浮いた汚染物質が足の皮膚に付着し、その部分に被曝で起こる「ベータ線熱傷」が起きた可能性も否定できないとしている。
ベータ線は放射線の一種。紙などを突き抜けるが、アルミなどの薄い金属板は透過しない。浴びた線量にもよるが、ベータ線熱傷では1~2日後に皮膚が赤く腫れ、1~2週間後にやけどのような症状が出てくることが多いとされる。
ということらしいのです。
被曝された作業員の方々には、一日も早いご回復をお祈りします。
さて、この報道を知って私が意外に思ったことは、発電所内の放射線量がそれほどでもないのかな、ということなのです。
同じ記事の中にはこういう記述もありました。
経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は24日の会見で、原発内に放射線量の高い場所が散見されるとし、「これからの作業は放射線量との闘い」と述べた。
ということは、今回事故に遭われた作業員の方々がいらした場所は「放射線量の高い場所」のひとつだったのではないか、と想像されるのです。
もしそうであるならば、発電所内の放射線量は私が考えていた状態よりも低いことになります。
この推測が正しいのであれば、燃料棒の損傷は非常に軽微であることになるし、炉の損傷もほとんどない可能性がそう低くはない確率で期待されます。
もちろんリスク管理のことを考えれば、最悪の事態を想定して対処するのがセオリーです。
でももしかすると、ですよ。
最もダメージを受けていたのは、水温計水量計と配管のつなぎ目部分だった、などという結末もあるえるように、私には思えます。
絵空事にしても、このまま「原子炉崩壊! 日本終了!」となるよりは、現実味があると私には思えるのです。
政府、経産省・保安院、東電、そしてマスコミは、「万が一」の「最悪の事態」を想定して、いろいろと動いているはずです。
それは裏を返せば、現在多くの国民が恐れているような事態は「万が一」にも起き得ないという証でもあるのです。
しかしそれでも責任ある立場の人は「絶対に起きない」とは口が裂けても言えないわけですから、「退避勧告」であったり「出荷制限」をかけたりしているのだろうと私は思うのです。
だってもし、本当にそんなことになる危険が高いのなら、いくら必要であっても東北道一般車両含め全面通行可なんてさせないだろうし、皇室の皆様も避難させるだろうし、成田の飛行禁止命令も出るだろうし、政府ももっとパニクってるはずだと思うんです。だってだって、尖閣諸島であのドタバタ醜態を晒した人たちのほとんどそのまんまなんですよ、官邸の皆々さんは。
こっそりきっちりいろいろ測定してるはずの米軍が、原発より被災者支援の方へ重きを置いてくれている現実から見ても、緊急性がどちらにあるのかは明白だと私には思えます。
いま水道水を飲むと、あるいはほうれん草を食べると、10年後20年後30年後にガンになる、みたいなことを言っている人がいますけど、それってつまり、今の原発の騒ぎは無事に終息して、その後10年20年30年と平穏無事に健康な生活を送れるんだって言ってるのと同じことなんですよね。
この矛盾に気づいて欲しいなあ。
早く、春よ来い。
2011年3月17日木曜日
危機に知る己の本性
もし、レジ袋いっぱいの保存食がキッチンテーブルに置いてあったり、満タンになったまま動かしていない自家用車がガレージで停まっていたりしたら、自分は周囲からの影響を受けやすい人間であり、与えられる情報によってかんたんにコントロールされてしまう人間であることを自覚するべきだ。
いろいろ言い訳はあるだろう。
でもそんな言い訳をする前に、自分の日常からすれば取り急ぎ必要だとは思えないような物を買い込むことは、それが必要だけどそこにはいけなかった人から、“それ”を奪う行為なのだと自覚できる人間で、私はありたい。
「ダイエット」しようかな、なんて思った自分がカップ麺を買いだめする愚かさは、滑稽さを通り越して哀れでさえある。
被災地で車上荒らしが出たことをして、治安の悪化を報じるテレビは、本当にそれが「治安」の問題なのか考えるべきだ。その答えこそが、本当に報じるべき価値のある真実なのだということに、彼ら彼女らは気づかない。
総理大臣も官房長官も、過剰に不安を煽ることしかしていない。
可能性があるからといって、国のトップを担う立場にある者がそれをすべて喧伝するのが、マネージメントなのだろうか? 国民を安心させることが仕事であって、不安を煽ることによって己の権力を強化しようとするのは独裁者同然の卑劣な行為だ。
いままでの自分を思い起こしてみて欲しい。
マスコミが報じるニュースや、出演者のコメントを100パーセント信じていただろうか?
バカ菅やふてくされ枝野の、言うことや、判断力や、思考力や、正義感や、政治家としての能力を、100パーセント信用していただろうか?
もしそうでなかったとしたら、その姿勢はこういう時であっても貫くべきだ。
ましてこれほどの危機にただ中にある今、姿勢を真逆に変更するのは非常に危険だと、私は自分を戒(いまし)めている。
あらゆることは始まったばかりだ。
どういう結末であれ、東日本の電力不足(と電気料金の値上げ)は今後数年間続く。
台風の時期になっても、被災地には大量の残骸が残っている。
海水をかぶった水田、地割れした水田は、米を作ることができない。
そして東海、近畿、の地震リスクは高まったまま──。
それを考えると、今、買い占めをしている人間のアホさ加減が、ますます際だってくる。
問題は、ここ数日間の問題ではないのだから。
どんな理由があれ、被災地でもないのに今回買いだめをしてしまった人は、自分がそういう人間であることをちゃんと自覚しておかないと、いざってときに本当に痛い目にあうので注意が必要だ。
必要なのは、買いだめではなく、むしろ生活の軽量化、簡略化、だろうと私は確信している。
今回はたまたま東北三陸沖が震源だっただけなのだ。
もしこれが相模東海沖だったら──。
そのとき持って逃げる物は何なのか、そう考えると、これまで処理処分できずにいたものであっても、処理処分できる気がする。
明日が今日と同じかなんて問いには、もう何の意味もない。
昨日の悩みなんて、もう考えている余裕がない。
今こそ、助け合い、力を結集するべき時だ。
そんな時、自分の為に買いだめするような自分には、私はなりたくない。
自分さえ助かればいいなんてのは幻想なんだから。
健康って、何なんだろう?
安全って、何なんだろう?
ま、自分なりに、今を精一杯生きますか。
でもって、それを楽しいと思えるような肝っ玉があったらいいなあ。
おわり、は始まり。
いろいろ言い訳はあるだろう。
でもそんな言い訳をする前に、自分の日常からすれば取り急ぎ必要だとは思えないような物を買い込むことは、それが必要だけどそこにはいけなかった人から、“それ”を奪う行為なのだと自覚できる人間で、私はありたい。
「ダイエット」しようかな、なんて思った自分がカップ麺を買いだめする愚かさは、滑稽さを通り越して哀れでさえある。
被災地で車上荒らしが出たことをして、治安の悪化を報じるテレビは、本当にそれが「治安」の問題なのか考えるべきだ。その答えこそが、本当に報じるべき価値のある真実なのだということに、彼ら彼女らは気づかない。
総理大臣も官房長官も、過剰に不安を煽ることしかしていない。
可能性があるからといって、国のトップを担う立場にある者がそれをすべて喧伝するのが、マネージメントなのだろうか? 国民を安心させることが仕事であって、不安を煽ることによって己の権力を強化しようとするのは独裁者同然の卑劣な行為だ。
いままでの自分を思い起こしてみて欲しい。
マスコミが報じるニュースや、出演者のコメントを100パーセント信じていただろうか?
バカ菅やふてくされ枝野の、言うことや、判断力や、思考力や、正義感や、政治家としての能力を、100パーセント信用していただろうか?
もしそうでなかったとしたら、その姿勢はこういう時であっても貫くべきだ。
ましてこれほどの危機にただ中にある今、姿勢を真逆に変更するのは非常に危険だと、私は自分を戒(いまし)めている。
あらゆることは始まったばかりだ。
どういう結末であれ、東日本の電力不足(と電気料金の値上げ)は今後数年間続く。
台風の時期になっても、被災地には大量の残骸が残っている。
海水をかぶった水田、地割れした水田は、米を作ることができない。
そして東海、近畿、の地震リスクは高まったまま──。
それを考えると、今、買い占めをしている人間のアホさ加減が、ますます際だってくる。
問題は、ここ数日間の問題ではないのだから。
どんな理由があれ、被災地でもないのに今回買いだめをしてしまった人は、自分がそういう人間であることをちゃんと自覚しておかないと、いざってときに本当に痛い目にあうので注意が必要だ。
必要なのは、買いだめではなく、むしろ生活の軽量化、簡略化、だろうと私は確信している。
今回はたまたま東北三陸沖が震源だっただけなのだ。
もしこれが相模東海沖だったら──。
そのとき持って逃げる物は何なのか、そう考えると、これまで処理処分できずにいたものであっても、処理処分できる気がする。
明日が今日と同じかなんて問いには、もう何の意味もない。
昨日の悩みなんて、もう考えている余裕がない。
今こそ、助け合い、力を結集するべき時だ。
そんな時、自分の為に買いだめするような自分には、私はなりたくない。
自分さえ助かればいいなんてのは幻想なんだから。
健康って、何なんだろう?
安全って、何なんだろう?
ま、自分なりに、今を精一杯生きますか。
でもって、それを楽しいと思えるような肝っ玉があったらいいなあ。
おわり、は始まり。
2011年3月6日日曜日
人を動かすには順序がある
マーケティング系のビジネス書には必ず出てくる「AIDMA」。
「AIDMA」と書いて「アイドマ」と読みます。
これは何かというと、人が物を買うという行動を起こすまでにはどういう段階を経るか、は5段階に分類できるという説を説明するキーワードです。
1920年代に、アメリカのサミュエル・ローランド・ホールという人が提唱しました。
A Attention 注意
I Interest 関心
D Desire 欲求
M Memory 記憶
A Action 行動
インターネットが一般化してからのマーケティング・広告業界では、もはや古典として軽んじられている菅も、もとい感もあるのですが、なかなかどうして、普段の生活の中での自分の行動や他人の行動をコントロールする際には十分現役で使える法則だと、私は確信しています。
【AIDMAを日常生活に応用する方法】
私などは、自分で自分に行動を起こさせるようもっていくのに、このAIDMAを使います。
最後のA(Action)から順を逆に追っていくのです。
まず手はじめに、M(Memory)を補佐するため、行動に移すべき事柄をかき出したり、張り出したりします。忘れないようにするわけです。
それでもだめなら次のD(Desire)です。
その行動を起こしたら、何が手にはいるか、どういう変化が期待できるか、そういうことをできるだけ具体的に絵にします。文字だと私はイマイチなんですよね。やはり絵の方が私には向いているみたいです。その絵には、必要なら地名とかブランド名とか金額とかも、調べて正確に書き込みます。
しかしこれでもダメってことはしょっちゅうです。
となるとI(Interest)が必要になります。やはりどんなときも愛は必要なのです。
実はこの段階がもっとも重要なのではと、私は思っています。
つまり、本気でその気があるのか、マジでやりたいの? ってことを確認すること、それがこれなのです。
たまたま流行っていたから、とかテレビで見たからとかだと、それって自分の「関心」じゃないですよね。向こうから与えられた「関心」だと私は思うんです。そしてそれじゃあ、人を動かすことはできない。少なくとも、私はそれでうまくいったためしがありません。
ただし、第一観では本物の自分の関心ではなかったように見えても、視点や切り口を変えると、同じテーマであっても本物の関心をつかむことができる場合が少なくありません。少なくとも私の場合はそうです。
その視点や切り口を見出すために必要なのが、最後に残った最初のA(Attention)です。
今日、東北新幹線の新型車両『はやぶさ』が運行デビューしました。
東京駅は鉄道ファンでごったがえしたとニュースでやっていました。
彼らをそこまで突き動かしている原動力は、鉄道に関する知識の量と深さです。知っているからこそ価値がわかるのであって、知っているからこそもっと知りたくなるのであって、知っているからこそ愛してしまうんです。
浦和レッズの熱心なサポーターも同じだと思います。みんな、知っているからこそ、行動してしまうんです。
知らないことにああはなれません。
もし子供たちにもっと自主練習をさせたいなあと思っているのなら、あるいは我が子にもっと自宅学習させたいなあと思っていらっしゃるのなら、この「AIDMA」を骨格にして計画を肉付けしてみてはいかがでしょうか。
ただ口でいくらすっぱく「やれ! やれ!」言っても、自分も含めて人は動きません。
「もっと練習しろ!」「もっと勉強しろ!」
で成果が上がるなら、誰も苦労はしていないでしょう。
まあこれも、私はこうしてきましたよっていう程度のヨタ話ですから、そのつもりでお願いします。
bye-bye
追伸
名古屋グランパスの永井謙佑選手(FW 177cm 74kg 福岡大←九州国際大学付属高)は相当いいね!
ケガにも強そうだし(今日のあのPKになったタックルなんて、田中達哉選手なら骨折、小野伸二選手だったら足がもげてたはず)。
「AIDMA」と書いて「アイドマ」と読みます。
これは何かというと、人が物を買うという行動を起こすまでにはどういう段階を経るか、は5段階に分類できるという説を説明するキーワードです。
1920年代に、アメリカのサミュエル・ローランド・ホールという人が提唱しました。
A Attention 注意
I Interest 関心
D Desire 欲求
M Memory 記憶
A Action 行動
インターネットが一般化してからのマーケティング・広告業界では、もはや古典として軽んじられている菅も、もとい感もあるのですが、なかなかどうして、普段の生活の中での自分の行動や他人の行動をコントロールする際には十分現役で使える法則だと、私は確信しています。
【AIDMAを日常生活に応用する方法】
私などは、自分で自分に行動を起こさせるようもっていくのに、このAIDMAを使います。
最後のA(Action)から順を逆に追っていくのです。
まず手はじめに、M(Memory)を補佐するため、行動に移すべき事柄をかき出したり、張り出したりします。忘れないようにするわけです。
それでもだめなら次のD(Desire)です。
その行動を起こしたら、何が手にはいるか、どういう変化が期待できるか、そういうことをできるだけ具体的に絵にします。文字だと私はイマイチなんですよね。やはり絵の方が私には向いているみたいです。その絵には、必要なら地名とかブランド名とか金額とかも、調べて正確に書き込みます。
しかしこれでもダメってことはしょっちゅうです。
となるとI(Interest)が必要になります。やはりどんなときも愛は必要なのです。
実はこの段階がもっとも重要なのではと、私は思っています。
つまり、本気でその気があるのか、マジでやりたいの? ってことを確認すること、それがこれなのです。
たまたま流行っていたから、とかテレビで見たからとかだと、それって自分の「関心」じゃないですよね。向こうから与えられた「関心」だと私は思うんです。そしてそれじゃあ、人を動かすことはできない。少なくとも、私はそれでうまくいったためしがありません。
ただし、第一観では本物の自分の関心ではなかったように見えても、視点や切り口を変えると、同じテーマであっても本物の関心をつかむことができる場合が少なくありません。少なくとも私の場合はそうです。
その視点や切り口を見出すために必要なのが、最後に残った最初のA(Attention)です。
今日、東北新幹線の新型車両『はやぶさ』が運行デビューしました。
東京駅は鉄道ファンでごったがえしたとニュースでやっていました。
彼らをそこまで突き動かしている原動力は、鉄道に関する知識の量と深さです。知っているからこそ価値がわかるのであって、知っているからこそもっと知りたくなるのであって、知っているからこそ愛してしまうんです。
浦和レッズの熱心なサポーターも同じだと思います。みんな、知っているからこそ、行動してしまうんです。
知らないことにああはなれません。
もし子供たちにもっと自主練習をさせたいなあと思っているのなら、あるいは我が子にもっと自宅学習させたいなあと思っていらっしゃるのなら、この「AIDMA」を骨格にして計画を肉付けしてみてはいかがでしょうか。
ただ口でいくらすっぱく「やれ! やれ!」言っても、自分も含めて人は動きません。
「もっと練習しろ!」「もっと勉強しろ!」
で成果が上がるなら、誰も苦労はしていないでしょう。
まあこれも、私はこうしてきましたよっていう程度のヨタ話ですから、そのつもりでお願いします。
bye-bye
追伸
名古屋グランパスの永井謙佑選手(FW 177cm 74kg 福岡大←九州国際大学付属高)は相当いいね!
ケガにも強そうだし(今日のあのPKになったタックルなんて、田中達哉選手なら骨折、小野伸二選手だったら足がもげてたはず)。
2011年3月4日金曜日
カンニング
カンニングっていうより、いわゆるセカンドオピニオンを求めたんだろう。
試験開始時に配点の大きそうな問題を、ヤフ袋に投稿して、そのあとは試験に集中。
見直しのときに、余裕があったらヤフ袋をチェックして見落としがないか確認する。
そのための行為だったろうと、私は思う。
確か、そのヤフ袋の回答そのままの答案は無かったとかという報道を目にしたような気がする。
これは私の仮説を補完してくれる。
またヤフ袋への投稿のタイムテーブルも、私の仮説を補完してくれている。
もし私の仮説が正しいなら「これはそもそもカンニングなのだろうか?」という疑問がわく。
彼は「正解」を盗み見た訳ではない。
「問題の一部」を会場の外へ掲示したのだ(ただし、それが京大の入試問題だとは明らかにはしていない)。
試験問題を持ち出してはいけないという注意はされただろうが、内容をネットに投稿することは、はたして「持ち出す」ことにあたるのだろうか?(産業スパイなどの案件でよく問題になります)
予備校が、試験後に入試問題を受験者の記憶に基づいて再現することと、どこが異なるのか。
実際に答案へ書いた回答をネットから入手しない限り、試験時間中に投稿することは、受験者の不利益になるだけでそれ以外の立場の者に、なんら被害は生じていない。
繰り返すが、これはカンニングなのだろうか?
そして、偽計業務妨害は成立するのだろうか?
ぜひ京都大学法学部の見解をうかがってみたいと切に切に願うものなのである。
あ、そうそう、京都大学が警察にお願いして逮捕してもらった19歳の少年A君は、ばれたというただ一点で同情の予知無しです。ただし、彼がカンニングしたと証明されない限り、合格が取り消されるようなことがあってはならないと声を大にして言いたい。
答えを盗み見てはじめてカンニングは成立すると私は思う。
だから逆に言えば、答えを盗み見ていない限り、カンニングは成立しないのだ。
カンニングしようと思って、筆箱にちっちゃく折りたたんだメモを忍ばせただけではカンニングじゃないように、問題の一部をネットに投稿しただけではカンニングにはならない、と私は思うのだ。
違うだろうか?
試験開始時に配点の大きそうな問題を、ヤフ袋に投稿して、そのあとは試験に集中。
見直しのときに、余裕があったらヤフ袋をチェックして見落としがないか確認する。
そのための行為だったろうと、私は思う。
確か、そのヤフ袋の回答そのままの答案は無かったとかという報道を目にしたような気がする。
これは私の仮説を補完してくれる。
またヤフ袋への投稿のタイムテーブルも、私の仮説を補完してくれている。
もし私の仮説が正しいなら「これはそもそもカンニングなのだろうか?」という疑問がわく。
彼は「正解」を盗み見た訳ではない。
「問題の一部」を会場の外へ掲示したのだ(ただし、それが京大の入試問題だとは明らかにはしていない)。
試験問題を持ち出してはいけないという注意はされただろうが、内容をネットに投稿することは、はたして「持ち出す」ことにあたるのだろうか?(産業スパイなどの案件でよく問題になります)
予備校が、試験後に入試問題を受験者の記憶に基づいて再現することと、どこが異なるのか。
実際に答案へ書いた回答をネットから入手しない限り、試験時間中に投稿することは、受験者の不利益になるだけでそれ以外の立場の者に、なんら被害は生じていない。
繰り返すが、これはカンニングなのだろうか?
そして、偽計業務妨害は成立するのだろうか?
ぜひ京都大学法学部の見解をうかがってみたいと切に切に願うものなのである。
あ、そうそう、京都大学が警察にお願いして逮捕してもらった19歳の少年A君は、ばれたというただ一点で同情の予知無しです。ただし、彼がカンニングしたと証明されない限り、合格が取り消されるようなことがあってはならないと声を大にして言いたい。
答えを盗み見てはじめてカンニングは成立すると私は思う。
だから逆に言えば、答えを盗み見ていない限り、カンニングは成立しないのだ。
カンニングしようと思って、筆箱にちっちゃく折りたたんだメモを忍ばせただけではカンニングじゃないように、問題の一部をネットに投稿しただけではカンニングにはならない、と私は思うのだ。
違うだろうか?
2011年3月3日木曜日
五霊鬼の祟り
水野 勝成(みずの かつなり)
永禄7年(1564)~慶安4年(1651)
官位(大坂の陣時点) 日向守 (ひゅうがのかみ。自称)
隆慶一郎著『かぶいて候』は、徳川家と縁戚関係にある水野勝成の息子である水野成貞が主人公です。
戦国時代板@wikiというサイトに面白い評価が出ていました。
水野勝成
統率…関が原、大阪の陣での活躍が評価傾向
武勇…猪武者として武功多数
知略…大阪の陣における計略を評価する向きがある一方、不祥事を繰り返したことから低くて良いという主張も
政治…治世において福山発展の礎を築いたと評価
掲示された数値
統率70 武勇100 知略55 政治75
統率84 武勇89 知略61 政治73
統率78 武勇91 知略25 政治69
統率65 武勇90 知略55 政治70
統率67 武勇97 知略62 政治72
--------------------------------------------------------------------------------
617 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 06:02:18 ID:UebbvdWr
水野
70 100 55 75
足A馬Bで戦法多め 城B内A
出世意欲or評価を欲しがってるのに行動がバカって印象
頭は切れそうだが知略は35でも70でも良いような
そんなこともあり、政治も内政能力以外が微妙
信憑性が増した前田慶次 ってとこか
残ってる話を全部信じれば、こんな数値
762 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/03(土) 22:15:39 ID:yj59sTRA
参考までに俺が革新でつけていた水野の能力値をば披露
統率 84
武勇 89
知略 61
政治 73
足軽B 騎馬A 鉄砲B
うんうん。
777 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 05:00:43 ID:rww467jv
統率と武勇はいいとして、水野の知略はそんなに高くないと思うけどな
実際でも家康が過小評価してたってことは頭悪そうな中二病的な痛い奴だったんだと思う
ただイクサ慣れしてるっつーか、戦闘能力は間違いなく高いだろうから
統率 78
武勇 91
知略 25
政治 69
こんな感じじゃね?
820 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 18:12:24 ID:ecxWlB9B
自分が確認した参謀本部編纂の「大坂役」は、
国会図書館の近代デジタルライブラリー中の、
著作権が切れてる物凄い古いエディションだから、多少差異はあるかもね
247頁といえば、こっちでは木村重成の武者振りについて書かれてる
水野の能力値だけど統率65武勇90知略55政治70
(それぞれ±5で微調整)くらいが妥当だと思うけど、どうよ
武勇と政治が過小なのは同意だけど、統率はこんなもんじゃね
828 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 20:45:52 ID:L6GB+RLb
話題になってた武将で俺が使ってる数値
可児 58 99 20 4
水野 67 97 52 72
森 62 94 16 11
渡辺 52 83 35 19
おまけに
服部 64 81 73 26
806 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 16:24:00 ID:cldSxhx5
水野勝成スレからコピペ
178 名前: 人間七七四年 投稿日: 2007/11/23(金) 20:07:28 ID:lxtXnVSO
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 前半生
掛川対陣。○ 徳川家康VS武田勝頼。徳川家康の麾下、水野忠重の指揮下。武田勝頼戦わずして撤退。勝成、初陣の功名を上げられなかったとして涙を流した。
第二次高天神城の戦い ○ 徳川家康VS岡部元信。織田信長の与力大名。徳川家康への援軍。朝比奈弥六、その外首十五。織田信長から左文字の名刀と感状を貰う
武田征伐 ○ 織田信長VS武田勝頼。織田信忠の麾下。水野忠重の指揮下。
本能寺の変 ? 水野忠重、信長の軍に属し、中国攻めのため宿陣中この変に遭う。忠重には明智に加担していた疑惑がある。
黒駒の戦い 〇 鳥居元忠二千VS北条氏忠一万。鳥居元忠と喧嘩して勝手に先鋒を務め、自ら内藤某を打ち取る。
星崎城の戦い 〇 水野忠重VS岡田善治。水野軍は二手に別れ、一方を指揮。
長久手の戦い 〇 織田信雄、徳川家康VS三好秀次。勝成、三好軍に一番槍。重臣・白井備後(偽物)と一騎打ち。討ち取る。その後、井伊部隊に参加。麾下の杉山孫六は森長可を撃ち殺す。
蟹江城の戦い ○ 織田信雄、徳川家康VS滝川一益、九鬼嘉隆。一益の息子滝川三九郎と一騎打ち。三九郎は逃亡。
桑名の対陣 △ 水野忠重VS羽柴秀吉。この後、勝成、水野家勘定奉行の富永半兵衛を斬って奉公構にされる。
浪人中、京都清水で喧嘩して、刃傷沙汰を起こす。
紀州雑賀攻め ○ 羽柴秀長(筒井定次とも)軍として参加。秀吉から七百石。
四国長宗我部攻め ○ 羽柴秀次軍として参加。秀吉から七百石。
戸次川の戦い × 仙石秀久VS島津家久。帰還の船の中、同僚を斬り殺して出奔。秀吉に刺客を放たれる。虚無僧になって逃亡。
美作流浪。野武士の安東国貞の娘婿になるが、身持ちの悪さを注意され逆切れ、国貞を殺して逃亡。
九州攻め ○ 佐々成政の麾下として参加。
肥後一揆 ○ 佐々から千石。
隈本城救援軍の先鋒を任される。佐々家で千石。
救援軍の立花宗茂に合力。十時連貞と合言葉を掛け合い、無事兵糧入れ作戦を成功。
田中城攻め 一番槍。
首謀者の隈部親子を討ち取ったという説あり。
志岐・天草一揆 ○ 小西家で千石。
志岐城攻め 先鋒を任された小西主殿介の補佐。
天草城攻め 攻撃命令がでてないのに清正と呼応して攻略。自ら敵を殺す。女武者と戦った逸話あり。乱鎮圧後に出奔するわけだが、このとき、行長の本陣に首を投げつけたとか、行長の弟に手傷を負わせたとかの逸話あり。
長岩城攻め ○ 黒田長政VS野中重兼。黒田家で千石。後藤又兵衛と並び評される活躍。黒田家からも出奔。長政から追っ手を駆けられる。
朝鮮出兵 三村親成の麾下。十八石。三村家の姫を妻とする。たぶん、毛利麾下の三村軍として渡海したのでは? ちなみに三村家では茶坊主を殺して出奔するも、すぐに帰参。
再度三村家出奔。上京途中で盗賊退治した逸話あり。
807 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 16:25:17 ID:cldSxhx5
もう一つ
179 名前: 人間七七四年 投稿日: 2007/11/23(金) 20:09:11 ID:lxtXnVSO
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 後半生
関ヶ原の役 家康麾下。三万石。
岐阜城攻め 勝成も参加していたという説もあるが、なにしていたか不明。2ちゃんねる情報だと、ミミズ食ってみせて諸大名をビビらせていたという。
曽根城の戦い ○ 水野勝成VS島津義弘。曽根城を襲った島津に、援軍に駆けつけた勝成が鉄砲を撃つ。義弘はすぐに撤退。おそらく両軍とも死傷者なし。
大垣城の戦い ○ 水野勝成三千余人VS福原長堯六千余人。関ヶ原の本戦が始まるまえに開戦。三の丸を占拠し、二の丸まで攻め込む。本戦から逃亡中の義弘は大垣城に入ろうとしたが、落城と誤認して方向転換。本戦後に内応工作を用いて攻略。
大坂冬の陣
博労淵砦の戦い 家康から大砲の用意を命じられる。勝成に手柄を独占されると心配した蜂須賀が抜けがけ。
天満橋の戦い ○ 森忠政VS堀田盛高? 森忠政の軍監として救援に駆けつける。ちなみに前任の城昌茂を勝成は職務怠慢で叱責し改易。自らが後任になった経緯がある。
大坂夏の陣
大和の戦い ○ 水野勝成VS大野治房 治房軍は、奈良に勝成着陣に風聞に、四里退去。その後、追撃で数人討つ。
道明寺の戦い ○ 水野勝成VS大野治長。大和口総大将は勝成だが、諸大名、特に伊達政宗はまったくいうことを聞かず、背後から鉄砲まで撃たれた。勝成が自ら槍を持って後藤又兵衛、薄田兼相を討ったという伝説あり。
天王寺・岡山の合戦 ○ 徳川家康VS豊臣秀頼。真田信繁の寄騎・大谷吉胤を討ち取る。明石全登を撃破。勝成家人の汀三右衛門が全登を打ち取ったという説あり。大坂城桜門に一番旗。
島原の乱 ○ 松平信綱の麾下。十万石。勝成が到着すると総攻撃決定。すぐに攻略される。このときも勝成自ら前線に立って首を取ったという伝説があるらしい。原城一番乗りを争う(戦後、水野と有馬のどちらが一番乗りかで騒動になったが、公式には決まらなかった)。
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ : Category [ 水野勝成 ]
*********************************
『五霊鬼』
水野勝成といえば後年の名君ぶりと共に、前半生の野放図で無茶無茶な生き様も有名である。
勝成自信はその生涯に後悔はなかったようではあるが、それでも気にかかることがあった。
それは彼が殺した人々についてである。
といって勘違いしてはならない。彼は数えきれないほどの人間を戦場、およびそれ以外で
殺してきたが、その殆どについて気になどかけていない。ただ、そのうちの5人だけどうにも
忘れられないのだ。何故か
「いやあ、その五人を殺したのは、今考えても理不尽だったw」
殺した人間自身が、しかも勝成のような人間が理不尽というのだから、おそらくは想像を絶する
理不尽さで殺しちゃったのであろう。その為勝成は
「まあ、あれだけ理不尽に殺しちゃったんだから、あの5人はウチに祟っても仕方ないよねw」
などと言っていたらしい。
その後いつしか、水野家中では勝成が理不尽に殺した5人のことを、誰ともなしに
”五霊鬼”と呼ぶようになり、何か不吉なことが起こるたびに”五霊鬼の祟りだ”と囁かれたそうである。
のちに福山藩水野家が5代目で断絶した時も、”五霊鬼の祟り”と取りざたされたという。
水野家の五霊鬼、と言うお話
*******************************
水野勝成
92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:10:56 ID:GmVVdQlA
たまたま手を付けちゃった女が妊娠して、仕方なしに結婚。
いわゆる「出来ちゃった婚」だが、戦国時代にもそんな男がいた。
その名は水野勝成。
彼は気に食わない家臣を叩き切って、父親に勘当され追放。
以後は槍一本で戦国の世を渡り歩くが、行く先々でトラブルを起こし、段々仕官先が無くなってきた。
毛利家の臣、三村親成に仕官した時は、それでも別格の厚遇を受け、主家の姫(お柵)と結婚。
にも関わらずその侍女(お登久)に手を出し、しかも男子出産。
やがて豊臣秀吉の死後、徳川家康の取り成しで勘当が解かれると、
生まれたばかりの子を見捨てて実家へ帰る。
その後、父が暗殺されて家督継承したり、関ヶ原に参加したりと色々あって、
大名として地盤を固めた。
そんな所へ「江戸に誰か人質下さい」と幕府から通達。
「そういや、なんかガキがいたっけ・・・」
勝成、ようやく子供を引き取りに行かせ、そのまま人質に送った。後の福山藩二代目「勝俊」である。
この時「勝俊の実母である」という理由で、自動的にお登久が正室とされてしまったのである・・・
ある意味勝成らしいとも言えるが、大名としてはかっこ悪い正室の話。
***********************************
93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:16:03 ID:gZtiRh86
ひでえな
お柵はどうなったんだ?
94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:16:13 ID:vsLy8lvR
前田慶次は、実態がよくわからない割りにマンガや小説の中ではモテまくりだが、
水野勝成はリアルに行く先々でモテまくったらしいね。
95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:46:03 ID:GmVVdQlA
>>93
お柵も水野家に引き取られ、一応正室扱いされてる。
三村家も後に福山藩家老として迎えられた。
だけど実家の七光りも無く、子も出来ないんじゃ、やっぱり正室はきついよな。
ただ、勝俊は二人の母を同列に遇している。
96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:15:26 ID:SEelcqZk
>>94
こんなにだらしなくてもモテんのかwww
まぁ、今とは恋愛観というか理想的な男性も違うんだろうなぁ。
しかし、この時代の姫さんの名前って、ちょっと不思議というか
意味がわかりづらいの多いね。このお柵とか。
97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:30:55 ID:3iHjDhMy
ウィキペに載ってるかと思って水野勝成の項見たら案の定だが主君が転々としすぎてて笑った。
お柵の方については殆ど書かれてなかったけど、勝成のおかんって本願寺光佐の妹なのね。
やたらとモテるのは蓮如の血かもしれん。
98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:36:06 ID:g3IF0tSu
>>92
そういやこの前クレしんの戦国大合戦見たんだけど、主君の娘を嫁取りするって
どれくらいのハードルの高さ?
99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:38:18 ID:mf3s2UlG
こいつが主人公のエロ小説が全4巻で存在する。
100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 15:14:44 ID:1t2c/xdg
>>98
ほとんど無理。
なにせ、基本戦国時代の主君の娘というのは他国に政略として送られる可能性のほうが
高いからな。
信長みたいに自分の超お気に入り側近とか、
蒲生氏郷みたいに超有能で微イケメン(ただし戦国時代の美意識的なものに限る)とか、
(※但し信長の場合は結構な娘持ちなのでそういうことができたのだが)
wikipedia見た限りでは主家の残された一人娘、ということなので、
『雷神』道雪に見込まれた高橋紹運の息子である立花宗茂みたいな感じ?
(ちょっと違うか)
つまり、「主君が『こいつになら娘やってもいい』位の気概があるほどの働きがなければ奇
跡でもなければ無理」
ということになるか。
102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 16:05:27 ID:i1z4NChW
勝成の三男も蜂須賀だか山内だかの姫様オトして
生まれた子が水野十郎左衛門じゃなかったっけ?
103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 16:20:46 ID:vsLy8lvR
そんな水野勝俊さん、父の後を継いでからは
幕府から松山城の在番を命ぜられたとき、藩士がみな木綿の服を着ていて、その質実さに
松山の町民がみな感心した。
不作が続いたとき、農民に大規模な資金供与や年貢の減免を行い、その没落を防いだ。
その居城、福山城が消失したとき
「町民達に迷惑がかからないよう、再建は急がないように。」
飢饉が起こったとき
「もし藩の鷹師が領民の畑を荒らすことがあったら、父勝成の領地であってもかまわないので
百姓総出でそのものを処罰してかまわない。」
と、質素倹約に努め領民の事を心から気遣う、絵に描いたような名君であったそうです。
104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 16:45:54 ID:nyNv8WeH
幼い頃、苦労したんだろうな・・・
105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 17:24:14 ID:/GTS2M8B
>>96
ほんの数十年前の西部グループの創業者もえげつないぜ
時代関係ないんじゃない
*******************************
446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/10(日) 01:52:15 ID:nSOWF9t9
水野勝成は年をとってもよく鷹狩をした。年齢が年齢なので、
布団をしいた駕籠に乗って移動した。この事について勝成は
「お前達はおかしな事をしていると思っているかもしれんが、
わしにはちゃんとした考えがある」と語った。考えとは下情を
知る事だった。
勝成がいつものように鷹狩をしていると、昔勝成に仕えていた
男に会った。勝成は「お前は昔三百石で仕えていたな。越前で
召し抱えられて千石と聞いたが、何かあったのか?」と尋ねた。
男は「確かに越前で加増していただきましたが、かつて上様に
お仕えしていた頃、上様は下の者でも、お優しくしてくださいました。
また、懇ろにお話をしていただいたことも思いますと、七百石など
取るに足りないと感じ、こうして戻って来た次第です」と言った。
こうして勝成はその日の内に男をかつてよりも高禄で召し抱えた。
勝成は隠居しても鷹狩に行った。ある日、先述の男の家に行くと
門が閉ざされていた。不思議に思って理由を聞いたところ、勝成の
息子勝俊の勘気に触れて去って行った
という。
いきさつを知った勝成は「惜しい男を失った。わしの倅は下の者の
気持ちがわからないとみえる。立派な人物なら、主君や上司の
言う事だろうと無理な事を簡単に承服したりはしない。部下に
多少の咎めがあっても、二、三度は気付かぬふりをするべきだ。
例えどうしようもない場合でも、まずは相手の友人に諌めさせる
ようにするものなのに」と言って残念がったという。
*************************************
447 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/10(日) 02:28:31 ID:nf3mLhLz
>>446
この逸話って最近紹介されていても、大概が勝成の下に帰って来て
めでたしめでたしで終わるんだよな
でもここではちゃんと勝俊のオチまで書いてくれて、単なる
勝成を称賛するだけの逸話に終わらなくって良かった。
458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/10(日) 12:39:26 ID:Um/cWBf4
>>446
儂も昔はヤンチャしたもんだぜ。だがな……
という、DQNから転じた名君だな。
頭ごなしに咎めたり、失敗を責めればにんげんだもの、意固地になって余計反抗したりする。
身に覚えがあるだけに聡い殿様になったんだなぁー
***************************************
水野勝成から学びたいこと、それは──
『反省はこのくらいで十分』
ということです。
時間は遡(さかのぼ)らないし、人間の記憶は曖昧(あいまい)だし、客観は主観の公約数に過ぎない以上、過去を振り返ることにさほどの価値はないと私は思っています。だって、過去をいくら振り返っても、それは「過去」はむろんのこと「未来」にさえなんの影響も及ぼさないのですから。
なぜなら存在しているのは「今」というこの瞬間だけで、「過去」も「未来」も、すべては「今」の「自分」が認識している「過去」と「未来」でしかあり得ないからです。
簡単に言うと、
忘れちゃえば無かったのと一緒
考えなければ無いのと一緒
ってことです。
あ、言っておきますけど、これってのはあくまでも私はそう思ってるってことですのであしからず。
子供の頃の強烈な体験の記憶が、実はまるっきり違っていたらしいことが後日判明したという経験以来、私はそう思っているのです。
人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)
inscrutable are the ways of heaven
or
fortune is unpredictable and changeable
Joy and sorrow are today and tomorrow.(楽しみと悲しみは今日と明日。)
過ぎたことは忘れ、先のことは考えない。ただ、今を生きる。
私の哲学です。
まぁ、いっか
END
永禄7年(1564)~慶安4年(1651)
官位(大坂の陣時点) 日向守 (ひゅうがのかみ。自称)
隆慶一郎著『かぶいて候』は、徳川家と縁戚関係にある水野勝成の息子である水野成貞が主人公です。
戦国時代板@wikiというサイトに面白い評価が出ていました。
水野勝成
統率…関が原、大阪の陣での活躍が評価傾向
武勇…猪武者として武功多数
知略…大阪の陣における計略を評価する向きがある一方、不祥事を繰り返したことから低くて良いという主張も
政治…治世において福山発展の礎を築いたと評価
掲示された数値
統率70 武勇100 知略55 政治75
統率84 武勇89 知略61 政治73
統率78 武勇91 知略25 政治69
統率65 武勇90 知略55 政治70
統率67 武勇97 知略62 政治72
--------------------------------------------------------------------------------
617 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/01(木) 06:02:18 ID:UebbvdWr
水野
70 100 55 75
足A馬Bで戦法多め 城B内A
出世意欲or評価を欲しがってるのに行動がバカって印象
頭は切れそうだが知略は35でも70でも良いような
そんなこともあり、政治も内政能力以外が微妙
信憑性が増した前田慶次 ってとこか
残ってる話を全部信じれば、こんな数値
762 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/03(土) 22:15:39 ID:yj59sTRA
参考までに俺が革新でつけていた水野の能力値をば披露
統率 84
武勇 89
知略 61
政治 73
足軽B 騎馬A 鉄砲B
うんうん。
777 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 05:00:43 ID:rww467jv
統率と武勇はいいとして、水野の知略はそんなに高くないと思うけどな
実際でも家康が過小評価してたってことは頭悪そうな中二病的な痛い奴だったんだと思う
ただイクサ慣れしてるっつーか、戦闘能力は間違いなく高いだろうから
統率 78
武勇 91
知略 25
政治 69
こんな感じじゃね?
820 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 18:12:24 ID:ecxWlB9B
自分が確認した参謀本部編纂の「大坂役」は、
国会図書館の近代デジタルライブラリー中の、
著作権が切れてる物凄い古いエディションだから、多少差異はあるかもね
247頁といえば、こっちでは木村重成の武者振りについて書かれてる
水野の能力値だけど統率65武勇90知略55政治70
(それぞれ±5で微調整)くらいが妥当だと思うけど、どうよ
武勇と政治が過小なのは同意だけど、統率はこんなもんじゃね
828 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 20:45:52 ID:L6GB+RLb
話題になってた武将で俺が使ってる数値
可児 58 99 20 4
水野 67 97 52 72
森 62 94 16 11
渡辺 52 83 35 19
おまけに
服部 64 81 73 26
806 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 16:24:00 ID:cldSxhx5
水野勝成スレからコピペ
178 名前: 人間七七四年 投稿日: 2007/11/23(金) 20:07:28 ID:lxtXnVSO
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 前半生
掛川対陣。○ 徳川家康VS武田勝頼。徳川家康の麾下、水野忠重の指揮下。武田勝頼戦わずして撤退。勝成、初陣の功名を上げられなかったとして涙を流した。
第二次高天神城の戦い ○ 徳川家康VS岡部元信。織田信長の与力大名。徳川家康への援軍。朝比奈弥六、その外首十五。織田信長から左文字の名刀と感状を貰う
武田征伐 ○ 織田信長VS武田勝頼。織田信忠の麾下。水野忠重の指揮下。
本能寺の変 ? 水野忠重、信長の軍に属し、中国攻めのため宿陣中この変に遭う。忠重には明智に加担していた疑惑がある。
黒駒の戦い 〇 鳥居元忠二千VS北条氏忠一万。鳥居元忠と喧嘩して勝手に先鋒を務め、自ら内藤某を打ち取る。
星崎城の戦い 〇 水野忠重VS岡田善治。水野軍は二手に別れ、一方を指揮。
長久手の戦い 〇 織田信雄、徳川家康VS三好秀次。勝成、三好軍に一番槍。重臣・白井備後(偽物)と一騎打ち。討ち取る。その後、井伊部隊に参加。麾下の杉山孫六は森長可を撃ち殺す。
蟹江城の戦い ○ 織田信雄、徳川家康VS滝川一益、九鬼嘉隆。一益の息子滝川三九郎と一騎打ち。三九郎は逃亡。
桑名の対陣 △ 水野忠重VS羽柴秀吉。この後、勝成、水野家勘定奉行の富永半兵衛を斬って奉公構にされる。
浪人中、京都清水で喧嘩して、刃傷沙汰を起こす。
紀州雑賀攻め ○ 羽柴秀長(筒井定次とも)軍として参加。秀吉から七百石。
四国長宗我部攻め ○ 羽柴秀次軍として参加。秀吉から七百石。
戸次川の戦い × 仙石秀久VS島津家久。帰還の船の中、同僚を斬り殺して出奔。秀吉に刺客を放たれる。虚無僧になって逃亡。
美作流浪。野武士の安東国貞の娘婿になるが、身持ちの悪さを注意され逆切れ、国貞を殺して逃亡。
九州攻め ○ 佐々成政の麾下として参加。
肥後一揆 ○ 佐々から千石。
隈本城救援軍の先鋒を任される。佐々家で千石。
救援軍の立花宗茂に合力。十時連貞と合言葉を掛け合い、無事兵糧入れ作戦を成功。
田中城攻め 一番槍。
首謀者の隈部親子を討ち取ったという説あり。
志岐・天草一揆 ○ 小西家で千石。
志岐城攻め 先鋒を任された小西主殿介の補佐。
天草城攻め 攻撃命令がでてないのに清正と呼応して攻略。自ら敵を殺す。女武者と戦った逸話あり。乱鎮圧後に出奔するわけだが、このとき、行長の本陣に首を投げつけたとか、行長の弟に手傷を負わせたとかの逸話あり。
長岩城攻め ○ 黒田長政VS野中重兼。黒田家で千石。後藤又兵衛と並び評される活躍。黒田家からも出奔。長政から追っ手を駆けられる。
朝鮮出兵 三村親成の麾下。十八石。三村家の姫を妻とする。たぶん、毛利麾下の三村軍として渡海したのでは? ちなみに三村家では茶坊主を殺して出奔するも、すぐに帰参。
再度三村家出奔。上京途中で盗賊退治した逸話あり。
807 名前:名無し曰く、[sage] 投稿日:2009/10/04(日) 16:25:17 ID:cldSxhx5
もう一つ
179 名前: 人間七七四年 投稿日: 2007/11/23(金) 20:09:11 ID:lxtXnVSO
◆水野勝成の華麗な戦歴◆ 後半生
関ヶ原の役 家康麾下。三万石。
岐阜城攻め 勝成も参加していたという説もあるが、なにしていたか不明。2ちゃんねる情報だと、ミミズ食ってみせて諸大名をビビらせていたという。
曽根城の戦い ○ 水野勝成VS島津義弘。曽根城を襲った島津に、援軍に駆けつけた勝成が鉄砲を撃つ。義弘はすぐに撤退。おそらく両軍とも死傷者なし。
大垣城の戦い ○ 水野勝成三千余人VS福原長堯六千余人。関ヶ原の本戦が始まるまえに開戦。三の丸を占拠し、二の丸まで攻め込む。本戦から逃亡中の義弘は大垣城に入ろうとしたが、落城と誤認して方向転換。本戦後に内応工作を用いて攻略。
大坂冬の陣
博労淵砦の戦い 家康から大砲の用意を命じられる。勝成に手柄を独占されると心配した蜂須賀が抜けがけ。
天満橋の戦い ○ 森忠政VS堀田盛高? 森忠政の軍監として救援に駆けつける。ちなみに前任の城昌茂を勝成は職務怠慢で叱責し改易。自らが後任になった経緯がある。
大坂夏の陣
大和の戦い ○ 水野勝成VS大野治房 治房軍は、奈良に勝成着陣に風聞に、四里退去。その後、追撃で数人討つ。
道明寺の戦い ○ 水野勝成VS大野治長。大和口総大将は勝成だが、諸大名、特に伊達政宗はまったくいうことを聞かず、背後から鉄砲まで撃たれた。勝成が自ら槍を持って後藤又兵衛、薄田兼相を討ったという伝説あり。
天王寺・岡山の合戦 ○ 徳川家康VS豊臣秀頼。真田信繁の寄騎・大谷吉胤を討ち取る。明石全登を撃破。勝成家人の汀三右衛門が全登を打ち取ったという説あり。大坂城桜門に一番旗。
島原の乱 ○ 松平信綱の麾下。十万石。勝成が到着すると総攻撃決定。すぐに攻略される。このときも勝成自ら前線に立って首を取ったという伝説があるらしい。原城一番乗りを争う(戦後、水野と有馬のどちらが一番乗りかで騒動になったが、公式には決まらなかった)。
戦国ちょっといい話・悪い話まとめ : Category [ 水野勝成 ]
*********************************
『五霊鬼』
水野勝成といえば後年の名君ぶりと共に、前半生の野放図で無茶無茶な生き様も有名である。
勝成自信はその生涯に後悔はなかったようではあるが、それでも気にかかることがあった。
それは彼が殺した人々についてである。
といって勘違いしてはならない。彼は数えきれないほどの人間を戦場、およびそれ以外で
殺してきたが、その殆どについて気になどかけていない。ただ、そのうちの5人だけどうにも
忘れられないのだ。何故か
「いやあ、その五人を殺したのは、今考えても理不尽だったw」
殺した人間自身が、しかも勝成のような人間が理不尽というのだから、おそらくは想像を絶する
理不尽さで殺しちゃったのであろう。その為勝成は
「まあ、あれだけ理不尽に殺しちゃったんだから、あの5人はウチに祟っても仕方ないよねw」
などと言っていたらしい。
その後いつしか、水野家中では勝成が理不尽に殺した5人のことを、誰ともなしに
”五霊鬼”と呼ぶようになり、何か不吉なことが起こるたびに”五霊鬼の祟りだ”と囁かれたそうである。
のちに福山藩水野家が5代目で断絶した時も、”五霊鬼の祟り”と取りざたされたという。
水野家の五霊鬼、と言うお話
*******************************
水野勝成
92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:10:56 ID:GmVVdQlA
たまたま手を付けちゃった女が妊娠して、仕方なしに結婚。
いわゆる「出来ちゃった婚」だが、戦国時代にもそんな男がいた。
その名は水野勝成。
彼は気に食わない家臣を叩き切って、父親に勘当され追放。
以後は槍一本で戦国の世を渡り歩くが、行く先々でトラブルを起こし、段々仕官先が無くなってきた。
毛利家の臣、三村親成に仕官した時は、それでも別格の厚遇を受け、主家の姫(お柵)と結婚。
にも関わらずその侍女(お登久)に手を出し、しかも男子出産。
やがて豊臣秀吉の死後、徳川家康の取り成しで勘当が解かれると、
生まれたばかりの子を見捨てて実家へ帰る。
その後、父が暗殺されて家督継承したり、関ヶ原に参加したりと色々あって、
大名として地盤を固めた。
そんな所へ「江戸に誰か人質下さい」と幕府から通達。
「そういや、なんかガキがいたっけ・・・」
勝成、ようやく子供を引き取りに行かせ、そのまま人質に送った。後の福山藩二代目「勝俊」である。
この時「勝俊の実母である」という理由で、自動的にお登久が正室とされてしまったのである・・・
ある意味勝成らしいとも言えるが、大名としてはかっこ悪い正室の話。
***********************************
93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:16:03 ID:gZtiRh86
ひでえな
お柵はどうなったんだ?
94 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:16:13 ID:vsLy8lvR
前田慶次は、実態がよくわからない割りにマンガや小説の中ではモテまくりだが、
水野勝成はリアルに行く先々でモテまくったらしいね。
95 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 12:46:03 ID:GmVVdQlA
>>93
お柵も水野家に引き取られ、一応正室扱いされてる。
三村家も後に福山藩家老として迎えられた。
だけど実家の七光りも無く、子も出来ないんじゃ、やっぱり正室はきついよな。
ただ、勝俊は二人の母を同列に遇している。
96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:15:26 ID:SEelcqZk
>>94
こんなにだらしなくてもモテんのかwww
まぁ、今とは恋愛観というか理想的な男性も違うんだろうなぁ。
しかし、この時代の姫さんの名前って、ちょっと不思議というか
意味がわかりづらいの多いね。このお柵とか。
97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:30:55 ID:3iHjDhMy
ウィキペに載ってるかと思って水野勝成の項見たら案の定だが主君が転々としすぎてて笑った。
お柵の方については殆ど書かれてなかったけど、勝成のおかんって本願寺光佐の妹なのね。
やたらとモテるのは蓮如の血かもしれん。
98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:36:06 ID:g3IF0tSu
>>92
そういやこの前クレしんの戦国大合戦見たんだけど、主君の娘を嫁取りするって
どれくらいのハードルの高さ?
99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 13:38:18 ID:mf3s2UlG
こいつが主人公のエロ小説が全4巻で存在する。
100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 15:14:44 ID:1t2c/xdg
>>98
ほとんど無理。
なにせ、基本戦国時代の主君の娘というのは他国に政略として送られる可能性のほうが
高いからな。
信長みたいに自分の超お気に入り側近とか、
蒲生氏郷みたいに超有能で微イケメン(ただし戦国時代の美意識的なものに限る)とか、
(※但し信長の場合は結構な娘持ちなのでそういうことができたのだが)
wikipedia見た限りでは主家の残された一人娘、ということなので、
『雷神』道雪に見込まれた高橋紹運の息子である立花宗茂みたいな感じ?
(ちょっと違うか)
つまり、「主君が『こいつになら娘やってもいい』位の気概があるほどの働きがなければ奇
跡でもなければ無理」
ということになるか。
102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 16:05:27 ID:i1z4NChW
勝成の三男も蜂須賀だか山内だかの姫様オトして
生まれた子が水野十郎左衛門じゃなかったっけ?
103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 16:20:46 ID:vsLy8lvR
そんな水野勝俊さん、父の後を継いでからは
幕府から松山城の在番を命ぜられたとき、藩士がみな木綿の服を着ていて、その質実さに
松山の町民がみな感心した。
不作が続いたとき、農民に大規模な資金供与や年貢の減免を行い、その没落を防いだ。
その居城、福山城が消失したとき
「町民達に迷惑がかからないよう、再建は急がないように。」
飢饉が起こったとき
「もし藩の鷹師が領民の畑を荒らすことがあったら、父勝成の領地であってもかまわないので
百姓総出でそのものを処罰してかまわない。」
と、質素倹約に努め領民の事を心から気遣う、絵に描いたような名君であったそうです。
104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 16:45:54 ID:nyNv8WeH
幼い頃、苦労したんだろうな・・・
105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/07(月) 17:24:14 ID:/GTS2M8B
>>96
ほんの数十年前の西部グループの創業者もえげつないぜ
時代関係ないんじゃない
*******************************
446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/10(日) 01:52:15 ID:nSOWF9t9
水野勝成は年をとってもよく鷹狩をした。年齢が年齢なので、
布団をしいた駕籠に乗って移動した。この事について勝成は
「お前達はおかしな事をしていると思っているかもしれんが、
わしにはちゃんとした考えがある」と語った。考えとは下情を
知る事だった。
勝成がいつものように鷹狩をしていると、昔勝成に仕えていた
男に会った。勝成は「お前は昔三百石で仕えていたな。越前で
召し抱えられて千石と聞いたが、何かあったのか?」と尋ねた。
男は「確かに越前で加増していただきましたが、かつて上様に
お仕えしていた頃、上様は下の者でも、お優しくしてくださいました。
また、懇ろにお話をしていただいたことも思いますと、七百石など
取るに足りないと感じ、こうして戻って来た次第です」と言った。
こうして勝成はその日の内に男をかつてよりも高禄で召し抱えた。
勝成は隠居しても鷹狩に行った。ある日、先述の男の家に行くと
門が閉ざされていた。不思議に思って理由を聞いたところ、勝成の
息子勝俊の勘気に触れて去って行った
という。
いきさつを知った勝成は「惜しい男を失った。わしの倅は下の者の
気持ちがわからないとみえる。立派な人物なら、主君や上司の
言う事だろうと無理な事を簡単に承服したりはしない。部下に
多少の咎めがあっても、二、三度は気付かぬふりをするべきだ。
例えどうしようもない場合でも、まずは相手の友人に諌めさせる
ようにするものなのに」と言って残念がったという。
*************************************
447 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/10(日) 02:28:31 ID:nf3mLhLz
>>446
この逸話って最近紹介されていても、大概が勝成の下に帰って来て
めでたしめでたしで終わるんだよな
でもここではちゃんと勝俊のオチまで書いてくれて、単なる
勝成を称賛するだけの逸話に終わらなくって良かった。
458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/10(日) 12:39:26 ID:Um/cWBf4
>>446
儂も昔はヤンチャしたもんだぜ。だがな……
という、DQNから転じた名君だな。
頭ごなしに咎めたり、失敗を責めればにんげんだもの、意固地になって余計反抗したりする。
身に覚えがあるだけに聡い殿様になったんだなぁー
***************************************
水野勝成から学びたいこと、それは──
『反省はこのくらいで十分』
ということです。
時間は遡(さかのぼ)らないし、人間の記憶は曖昧(あいまい)だし、客観は主観の公約数に過ぎない以上、過去を振り返ることにさほどの価値はないと私は思っています。だって、過去をいくら振り返っても、それは「過去」はむろんのこと「未来」にさえなんの影響も及ぼさないのですから。
なぜなら存在しているのは「今」というこの瞬間だけで、「過去」も「未来」も、すべては「今」の「自分」が認識している「過去」と「未来」でしかあり得ないからです。
簡単に言うと、
忘れちゃえば無かったのと一緒
考えなければ無いのと一緒
ってことです。
あ、言っておきますけど、これってのはあくまでも私はそう思ってるってことですのであしからず。
子供の頃の強烈な体験の記憶が、実はまるっきり違っていたらしいことが後日判明したという経験以来、私はそう思っているのです。
人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)
inscrutable are the ways of heaven
or
fortune is unpredictable and changeable
Joy and sorrow are today and tomorrow.(楽しみと悲しみは今日と明日。)
過ぎたことは忘れ、先のことは考えない。ただ、今を生きる。
私の哲学です。
END
2011年3月1日火曜日
3月の月曜日
NHK教育 福祉ネットワーク
月~木 午後8時から8時29分 再放送は翌週の午後0時から0時29分
2011年2月28日(月) 再放送:3月7日(月)
シリーズ 動き出した自殺対策 第一回 新公表のデータを読み解く
昨年(2010年4月12日)のアンコール放送らしい。
なんでも、3月の月曜日が、最も自殺の多い日なのだという。
確か、年間平均が80数人/日(これでも相当驚いた)で、3月の月曜日は100人超/日に増加するのだという。
それも被雇用者(つまり社長さん)や自営業者の割合が、他の期間とは段違いに多くなるのだそうだ。
年度末の月曜日に自ら命を絶つ……。
************関連記事*************
自殺者数「3月の月曜日」が最多 年度末と週初め重なり
2010年3月30日【朝日新聞】
「3月の月曜日」の自殺者数が1日あたり平均105人にのぼり、最も多いことが30日に発表された内閣府の調査で明らかになった。年度末と週初めという生活環境の変化が重なることが要因とみられる。内閣府は時期や属性、地域別の傾向を詳しく分析・公開することで、より効果的な自殺対策を進めたいとしている。
自殺について厚生労働省が人口動態統計、警察庁が自殺統計でそれぞれ集計しているが、内閣府が初めて両省庁のデータを集約・分析した。
内閣府によると、2004年から5年間の自殺者数を月別にみると、3月が最多の1日あたり91.0人で、4月87.5人、5月86.6人の順。最も少ないのは12月で72.9人だった。リーマン・ショック直後の10月が最多だった08年を除くと、毎年3月が最も多かった。
3月に自殺者が多かった職業は、09年では「自営業・家族従業者」「被雇用者・勤め人」などの有職者が4割を占めた。一方、「主婦」は4~5月、「失業者・年金・雇用保険等生活者」は5~6月に多い傾向があるという。
曜日別では月曜が92.8人と最多で、週末の土曜、日曜は少ない。また、月初めや月末に多い傾向がある。月と曜日で合わせてみると「3月の月曜」が平均105.3人で最も多く、最少は「12月の土曜」の63.1人だった。
内閣府参与として分析にあたった、自殺予防や遺族の支援に取り組むNPO「ライフリンク」の清水康之代表は「3月は決算期で、月曜や月初めとともに生活、環境の変わり目であることが影響している可能性がある。『3月の月曜日』はそうした要因が重なり、自殺のきっかけとなってしまうのかも知れない」と分析する。
また、有名人の自殺や無理心中、いじめによる自殺などが報じられた直後に、自殺が増える傾向も明らかになった。前後で1週間あたりの自殺者数を例年の数値と比べると、当日からの1週間の自殺者数が突出していた。
鳩山内閣は3月を自殺対策強化月間と位置づけ、自治体と連携した対策に取り組んでいる。今回は都道府県ごとに職業や時期、市区町村の特徴などについて自殺との関連を幅広く分析しており、今後の対策に役立てていく方針。清水氏は「さらに検証を続け、この複合的な分析を地域の自殺実態に合わせた対策につなげて欲しい」と話している。
---------------------------------------------------
自殺は月曜、月初め、3月が危険 厚労省などが傾向分析
2010/03/30【共同通信】
自殺対策に取り組む内閣府と厚生労働省は30日、自殺の傾向分析結果をまとめ、公表した。月曜日や毎月1日と月末、3月に自殺する人が多い傾向が鮮明になった。配偶者と別れた無職の人は自殺リスクが激増することも判明した。4月1日までに、内閣府と厚労省のホームページ(HP)に掲載する。
内閣府と厚労省は、警察庁が提供した昨年の自殺統計と2004~08年の人口動態統計を分析。市町村単位の自殺実態が分かり、自治体の対策づくりに活用してほしいと呼び掛けている。
04年から5年間の平均で、日別で自殺者が多いのは「3月1日」を先頭に上位10位がいずれも各月の1日か末日。曜日別では全年齢層で月曜が最多。月別ではリーマンショック直後の08年10月に同年の月別自殺者が最多だったのを除き、毎年3月が多い。「生活の変わり目」(厚労省担当者)に自殺リスクが高まることが分かる。
また妻と死別か離別した35~54歳の男性で無職の人の自殺率は、職に就く妻帯者の20倍に達した。有名人の自殺や多人数の無理心中が報じられた直後に自殺者が急増する傾向が表れ、報道の影響がうかがわれる。
*****************************************
伊奈の丸山スポーツ広場の向かいには、県の精神保健福祉センターという施設があります。
周辺住民の大反対を押し切って、県と関係者ががんばって「どうしても必要だから」と作った施設です。
埼玉県立精神保健福祉センター
mailto:n2314451@pref.saitama.lg.jp
Tel:048-723-1111(代表電話【ホームページ担当窓口】企画広報担当)
Fax:048ー723-1550
〒362-0806
北足立郡伊奈町小室818-2
開庁時間
午前8時30分から午後5時15分
**************************************
精神保健的な観点からの自殺対策はもとより、弁護士会や司法書士会などと協働し、総合的な対策を推し進めていきます。
埼玉県立精神保健福祉センター
自殺対策キャラクター『まぁ、いっか』について
埼玉県立精神保健福祉センターではこのたび、自殺対策を検討するにあたって、センターとして共通の考え方を表すシンボルとして「まぁ、いっか」を採用しています。心の健康のために、「まぁ、いいか」と思うゆとりを持とうとのアピールのためのキャラクターです。今後さらに、総合的な自殺対策への当センターからの参画をあらわすシンボルとして活躍?してもらう予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
**************************************
社会学的に言うと、出生率の低下、未婚率の上昇、自殺者数の増加は、社会の成熟や文明の発達、大衆の知的レベルの高度化と密接に結びついています。その理由のひとつは下述のような、脳という器官がバランス悪く発達した生き物である人間という種の業(ごう)にあります。
「優秀である」ということは、突き詰め単純に言いかえれば「予測能力がある」ということになります。
ところが「予測」は「予知」ではないので、どうしても悲観的な方へ引っぱられがちになります。
「予知」ならば、それは「(将来の)結果」ということですから、良いことも悪いこともあるわけです。でも「予測」となると、リスクをヘッジする(危機への対処を準備しておく)方が「生存する」ためには有利であるので、悪いことを予測する方へ比重が置かれるようになるからです(良い結果は生存にマイナス影響ではないので)。
優秀であればあるほど悪い将来を予測してしまうので、どうしても暗くなりがちです。
いっそ、優秀であることをやめてみませんか。
おわり
月~木 午後8時から8時29分 再放送は翌週の午後0時から0時29分
2011年2月28日(月) 再放送:3月7日(月)
シリーズ 動き出した自殺対策 第一回 新公表のデータを読み解く
昨年(2010年4月12日)のアンコール放送らしい。
なんでも、3月の月曜日が、最も自殺の多い日なのだという。
確か、年間平均が80数人/日(これでも相当驚いた)で、3月の月曜日は100人超/日に増加するのだという。
それも被雇用者(つまり社長さん)や自営業者の割合が、他の期間とは段違いに多くなるのだそうだ。
年度末の月曜日に自ら命を絶つ……。
************関連記事*************
自殺者数「3月の月曜日」が最多 年度末と週初め重なり
2010年3月30日【朝日新聞】
「3月の月曜日」の自殺者数が1日あたり平均105人にのぼり、最も多いことが30日に発表された内閣府の調査で明らかになった。年度末と週初めという生活環境の変化が重なることが要因とみられる。内閣府は時期や属性、地域別の傾向を詳しく分析・公開することで、より効果的な自殺対策を進めたいとしている。
自殺について厚生労働省が人口動態統計、警察庁が自殺統計でそれぞれ集計しているが、内閣府が初めて両省庁のデータを集約・分析した。
内閣府によると、2004年から5年間の自殺者数を月別にみると、3月が最多の1日あたり91.0人で、4月87.5人、5月86.6人の順。最も少ないのは12月で72.9人だった。リーマン・ショック直後の10月が最多だった08年を除くと、毎年3月が最も多かった。
3月に自殺者が多かった職業は、09年では「自営業・家族従業者」「被雇用者・勤め人」などの有職者が4割を占めた。一方、「主婦」は4~5月、「失業者・年金・雇用保険等生活者」は5~6月に多い傾向があるという。
曜日別では月曜が92.8人と最多で、週末の土曜、日曜は少ない。また、月初めや月末に多い傾向がある。月と曜日で合わせてみると「3月の月曜」が平均105.3人で最も多く、最少は「12月の土曜」の63.1人だった。
内閣府参与として分析にあたった、自殺予防や遺族の支援に取り組むNPO「ライフリンク」の清水康之代表は「3月は決算期で、月曜や月初めとともに生活、環境の変わり目であることが影響している可能性がある。『3月の月曜日』はそうした要因が重なり、自殺のきっかけとなってしまうのかも知れない」と分析する。
また、有名人の自殺や無理心中、いじめによる自殺などが報じられた直後に、自殺が増える傾向も明らかになった。前後で1週間あたりの自殺者数を例年の数値と比べると、当日からの1週間の自殺者数が突出していた。
鳩山内閣は3月を自殺対策強化月間と位置づけ、自治体と連携した対策に取り組んでいる。今回は都道府県ごとに職業や時期、市区町村の特徴などについて自殺との関連を幅広く分析しており、今後の対策に役立てていく方針。清水氏は「さらに検証を続け、この複合的な分析を地域の自殺実態に合わせた対策につなげて欲しい」と話している。
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自殺は月曜、月初め、3月が危険 厚労省などが傾向分析
2010/03/30【共同通信】
自殺対策に取り組む内閣府と厚生労働省は30日、自殺の傾向分析結果をまとめ、公表した。月曜日や毎月1日と月末、3月に自殺する人が多い傾向が鮮明になった。配偶者と別れた無職の人は自殺リスクが激増することも判明した。4月1日までに、内閣府と厚労省のホームページ(HP)に掲載する。
内閣府と厚労省は、警察庁が提供した昨年の自殺統計と2004~08年の人口動態統計を分析。市町村単位の自殺実態が分かり、自治体の対策づくりに活用してほしいと呼び掛けている。
04年から5年間の平均で、日別で自殺者が多いのは「3月1日」を先頭に上位10位がいずれも各月の1日か末日。曜日別では全年齢層で月曜が最多。月別ではリーマンショック直後の08年10月に同年の月別自殺者が最多だったのを除き、毎年3月が多い。「生活の変わり目」(厚労省担当者)に自殺リスクが高まることが分かる。
また妻と死別か離別した35~54歳の男性で無職の人の自殺率は、職に就く妻帯者の20倍に達した。有名人の自殺や多人数の無理心中が報じられた直後に自殺者が急増する傾向が表れ、報道の影響がうかがわれる。
*****************************************
伊奈の丸山スポーツ広場の向かいには、県の精神保健福祉センターという施設があります。
周辺住民の大反対を押し切って、県と関係者ががんばって「どうしても必要だから」と作った施設です。
埼玉県立精神保健福祉センター
mailto:n2314451@pref.saitama.lg.jp
Tel:048-723-1111(代表電話【ホームページ担当窓口】企画広報担当)
Fax:048ー723-1550
〒362-0806
北足立郡伊奈町小室818-2
開庁時間
午前8時30分から午後5時15分
**************************************
精神保健的な観点からの自殺対策はもとより、弁護士会や司法書士会などと協働し、総合的な対策を推し進めていきます。
埼玉県立精神保健福祉センター
自殺対策キャラクター『まぁ、いっか』について
埼玉県立精神保健福祉センターではこのたび、自殺対策を検討するにあたって、センターとして共通の考え方を表すシンボルとして「まぁ、いっか」を採用しています。心の健康のために、「まぁ、いいか」と思うゆとりを持とうとのアピールのためのキャラクターです。今後さらに、総合的な自殺対策への当センターからの参画をあらわすシンボルとして活躍?してもらう予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。
**************************************
社会学的に言うと、出生率の低下、未婚率の上昇、自殺者数の増加は、社会の成熟や文明の発達、大衆の知的レベルの高度化と密接に結びついています。その理由のひとつは下述のような、脳という器官がバランス悪く発達した生き物である人間という種の業(ごう)にあります。
「優秀である」ということは、突き詰め単純に言いかえれば「予測能力がある」ということになります。
ところが「予測」は「予知」ではないので、どうしても悲観的な方へ引っぱられがちになります。
「予知」ならば、それは「(将来の)結果」ということですから、良いことも悪いこともあるわけです。でも「予測」となると、リスクをヘッジする(危機への対処を準備しておく)方が「生存する」ためには有利であるので、悪いことを予測する方へ比重が置かれるようになるからです(良い結果は生存にマイナス影響ではないので)。
優秀であればあるほど悪い将来を予測してしまうので、どうしても暗くなりがちです。
いっそ、優秀であることをやめてみませんか。
おわり
2011年2月28日月曜日
「考えてプレーしろ」を禁句にしよう。
「考えてプレーしろ」を禁句にしよう。
人間は“言語”を獲得したがために、まるで思考が行動を支配しているような錯覚に陥ってるけど、実態は言語を持たない他の動物同様に、行動は思考に独立しているんっすよね。いやむしろ、思考も行動の一部なのだというのが実際のところって感じっすか。
それなりにでもぉ、そこそこ説明しようとするとぉ、長くなるんでぇ、さわりだけをざっくり言えばぁ────
脳が神経細胞のかたまりであって、そこで行われているのは、化学反応を伴う微弱電気信号のやり取りでしかないのだから、そこに“言語”が先行する道理はないということだ。
思考が成立する順番は、思考→行動→記憶ではなくて、行動→思考→記憶が正解。
行動を合理的に理由付け(つまりこれが思考)することで記憶を節約しているのだ。
以上の理屈が理解できれば、特に育成段階において、「考えて」→「プレーする」という順番よりも、「プレーする」→「考える」という順序でトレーニングを構成する方が、子供たちの脳を混乱させることなく効率的に経験を積ませることができることがわかると思う。
私がおすすめしたいのは、『白紙に好きな絵を描いてごらん』式の指導ではなく、『楽しそうな動物園の絵を描いてごらん』式の指導だ。
ただそう言われただけじゃあ「なんじゃそりゃ」と思うのも当たり前なので、例をあげてみる。
たとえばゴール前のシーンを設定してのトレーニングで、
【フリーな味方にパスをしろ】
じゃあなくて
【☆~ゴールから最も近い味方にパスをしろ~☆】
と条件を設定するのだ。
そしてその結果について、子供らに考えさせる。
DFにしてみれば、最も危険な選手からチェックして行くのだから、フリーでいる選手というのは、DFの視点に立ってみれば最も危険度の低い選手だということになる。
よって、理屈から言っても、ゴール前でのラストパスは、本来、ゴールに近い選手へのパスを狙うべきなのだ。
もし通れば、得点可能性は他とは比較にならない。相手DFも、すでに寄せている選手へさらに寄せることは、ファールになるリスクが高まるので難しい判断を求められることになる。対してフリーな選手へパスが向かった場合は、思い切ってチェックに行くことができる。
ボールを受けた側にしてみれば矢が一斉に飛んでくるようなものだ。そのプレッシャーの中で、ゴールを決めることは相当に困難だろう。その際のスキルアップ指導では、ピッタリついてくる相手の動きはかえって読みやすいのだ、という体験を実感させることにポイントを置きたい。
その辺のことを頭に入れた上で、子供たちにプレーの結果について考えさせるような声かけ(唯一の正解を詰め込むことじゃない)をすることがコーチの仕事なのだと私は確信している。
ゴール前での『間違った法則』にはこんなものもあるので、参考にして欲しい。
× 【トラップからシュートまでは早くしろ~】
○ 【☆~トラップではボールをコントロールすることが最優先~☆】
× 【シュートはゴールの枠を狙って打て】
○ 【☆~シュートはキーパーのいないところを通せばいい~☆】
× 【攻撃はシュートで終われ】
○ 【☆~シュートの当事者以外は、シュートのことを考えるな~☆】
サッカーに攻守の別はない。
味方がシュートしそうだからといって、自分まで攻撃しているつもりになっていてはいけない。
ボールを持っていない選手は、シュートのことを考える必要はない。シュート以外のことを考えろ。
× 【サイドからの崩しが一番得点しやすい】
○ 【☆~前があっての横。攻めの基本は三角形~☆】
サイドからであっても、まず狙うのはシュート。
その次にパス。
“崩し”にこだわるのは、前例にしばられてるのと同じこと。あるいは、責任から逃げているのと同じこと。
つまりそれはこういう思考だ。
↓
「サイドからの崩しを狙っていくのが正解で、もしうまくいかなくてもそれは不可抗力で責任はない。なぜならそれが、昔からのセオリー(前例)だから」
違う。そうじゃない。サイドからの攻撃は、手段のひとつであって、決して目的じゃない!
「考えれプレーしろ!」では、子供を混乱させるだけだ。
頭よりも体が先に動くようにするのがトレーニングであって、「考える」ことは、そのトレーニングの成果を効率的に定着させる為の手段の一つでしかないことを、コーチや親、そして本人も、きっちり理解することが必要だと私は確信している。
本番に酷似した状況設定・条件設定での反復練習、これこそがサッカーに限らず、人間を含む動物を成長させる唯一の道なのだと私は確信しているのだ。
ハイ、ではこのあたりで終わりにしま~す。
人間は“言語”を獲得したがために、まるで思考が行動を支配しているような錯覚に陥ってるけど、実態は言語を持たない他の動物同様に、行動は思考に独立しているんっすよね。いやむしろ、思考も行動の一部なのだというのが実際のところって感じっすか。
それなりにでもぉ、そこそこ説明しようとするとぉ、長くなるんでぇ、さわりだけをざっくり言えばぁ────
脳が神経細胞のかたまりであって、そこで行われているのは、化学反応を伴う微弱電気信号のやり取りでしかないのだから、そこに“言語”が先行する道理はないということだ。
思考が成立する順番は、思考→行動→記憶ではなくて、行動→思考→記憶が正解。
行動を合理的に理由付け(つまりこれが思考)することで記憶を節約しているのだ。
以上の理屈が理解できれば、特に育成段階において、「考えて」→「プレーする」という順番よりも、「プレーする」→「考える」という順序でトレーニングを構成する方が、子供たちの脳を混乱させることなく効率的に経験を積ませることができることがわかると思う。
私がおすすめしたいのは、『白紙に好きな絵を描いてごらん』式の指導ではなく、『楽しそうな動物園の絵を描いてごらん』式の指導だ。
ただそう言われただけじゃあ「なんじゃそりゃ」と思うのも当たり前なので、例をあげてみる。
たとえばゴール前のシーンを設定してのトレーニングで、
【フリーな味方にパスをしろ】
じゃあなくて
【☆~ゴールから最も近い味方にパスをしろ~☆】
と条件を設定するのだ。
そしてその結果について、子供らに考えさせる。
DFにしてみれば、最も危険な選手からチェックして行くのだから、フリーでいる選手というのは、DFの視点に立ってみれば最も危険度の低い選手だということになる。
よって、理屈から言っても、ゴール前でのラストパスは、本来、ゴールに近い選手へのパスを狙うべきなのだ。
もし通れば、得点可能性は他とは比較にならない。相手DFも、すでに寄せている選手へさらに寄せることは、ファールになるリスクが高まるので難しい判断を求められることになる。対してフリーな選手へパスが向かった場合は、思い切ってチェックに行くことができる。
ボールを受けた側にしてみれば矢が一斉に飛んでくるようなものだ。そのプレッシャーの中で、ゴールを決めることは相当に困難だろう。その際のスキルアップ指導では、ピッタリついてくる相手の動きはかえって読みやすいのだ、という体験を実感させることにポイントを置きたい。
その辺のことを頭に入れた上で、子供たちにプレーの結果について考えさせるような声かけ(唯一の正解を詰め込むことじゃない)をすることがコーチの仕事なのだと私は確信している。
ゴール前での『間違った法則』にはこんなものもあるので、参考にして欲しい。
× 【トラップからシュートまでは早くしろ~】
○ 【☆~トラップではボールをコントロールすることが最優先~☆】
× 【シュートはゴールの枠を狙って打て】
○ 【☆~シュートはキーパーのいないところを通せばいい~☆】
× 【攻撃はシュートで終われ】
○ 【☆~シュートの当事者以外は、シュートのことを考えるな~☆】
サッカーに攻守の別はない。
味方がシュートしそうだからといって、自分まで攻撃しているつもりになっていてはいけない。
ボールを持っていない選手は、シュートのことを考える必要はない。シュート以外のことを考えろ。
× 【サイドからの崩しが一番得点しやすい】
○ 【☆~前があっての横。攻めの基本は三角形~☆】
サイドからであっても、まず狙うのはシュート。
その次にパス。
“崩し”にこだわるのは、前例にしばられてるのと同じこと。あるいは、責任から逃げているのと同じこと。
つまりそれはこういう思考だ。
↓
「サイドからの崩しを狙っていくのが正解で、もしうまくいかなくてもそれは不可抗力で責任はない。なぜならそれが、昔からのセオリー(前例)だから」
違う。そうじゃない。サイドからの攻撃は、手段のひとつであって、決して目的じゃない!
「考えれプレーしろ!」では、子供を混乱させるだけだ。
頭よりも体が先に動くようにするのがトレーニングであって、「考える」ことは、そのトレーニングの成果を効率的に定着させる為の手段の一つでしかないことを、コーチや親、そして本人も、きっちり理解することが必要だと私は確信している。
本番に酷似した状況設定・条件設定での反復練習、これこそがサッカーに限らず、人間を含む動物を成長させる唯一の道なのだと私は確信しているのだ。
ハイ、ではこのあたりで終わりにしま~す。
2011年2月19日土曜日
「どうして私ばかり」スパイラル
「どうして私ばかり」スパイラル
ここのところ、同じような「あああ、こういう人(連中)『どうして私ばっかりスパイラル』に入っちゃってるよ。気づかなきゃ、もう一生抜け出せないんだろうな」という事例に触れることが重なった。
ひとつは、寄せられたこのコメントや試合会場で耳にした情報から推察される、あるサッカーチームの経営者。
ひとつはNHKの「無縁社会キャンペーン」。
ひとつは、ルールを無視したことを注意したら「こっちは仕事なんだよ!」と切れた営業マン。
そして、昨夜(木)9時から放送されていた『ホンマでっかTV』で紹介されていたモンスターペアレンツたち。
ここに登場した人たちは皆、「自分が生きるために必死なのだから、自分のすることは許される」という倫理規範だ。
言いかえれば、「他人のために自分が死んだら元も子もない」という価値観だと言ってもいい。
「まったくその通りじゃないか」と同調する人がいたら、私は、「おいおい、少しは考えてから同調してくれよ」とアドバイスするだろう。
実際には、上で紹介した誰も「生命の危機」には晒(さら)されていないのだ。
ただただ、自分が「しない」ことのための言い訳、自分「だけ」がうまくいかないことの理由付けとして「生きるために必死」という“フレーズ”を拝借(はいしゃく)しているに過ぎない。
自分たちのチームの子供たちがより高いハードルにしようとしたときに、そのチームの“指導者(何を指導してるんだっつうの)”が子供たちの足を引っぱってしまったら、その話は永遠に語り継がれる。
兄弟、親戚、友人、知人、ご近所さんが困っているときに知らぬ存ぜぬを決め込み、自分だけには火の粉が降りかからないようにと身を隠していたくせに、いざ自分が困ったら世の中を「無縁社会」だと嘆(なげ)くのは、滑稽千万(こっけいせんばん)だ。
仕事を理由にルールやモラルをないがしろにした結果は、巡り巡って、いたるところ駐禁、防犯カメラ、ゴミの分別&有料化、渋滞、保険料高騰、そして規制規制規制。こうしたこともろもろが社会の生産性を押し下げて、結局自分の仕事の足かせ要因になる。
そして自分の子供のことしか考えない、あるいは自分のことしか考えない親たち。それは一見、「自分の子供」や「自分のこと」を優先しているようでいて、実際に起きていることは「自分の子供」と「自分」の状況の悪化促進でしかない。自分の成績表について、自分の親が学校に特別あつかいを強要したことを、自分の子供は気づかないとでも思っているのだろうか? また自分のことしか考えていない親の元で育った子供が、将来、問題なくすくすく育つと思っているのだろうか?
同じ『ホンマでっかTV』の中で、人間を含む高等動物の持つ選択認知についても触れられていた。
タカの視力や犬の嗅覚と同じ「選択認知」の能力を、人間も持っている。
タカが動く物体に対する認知能力を持ち、犬が知っている臭いに対する認知能力を持つのと同じように、人間は自分の関心がある情報に対する認知能力を持っている。また『ホンマでっかTV』の話を持ち出して恐縮だが、この番組に出演していた女性の心理学者(おそらく)が、「人は関心のある情報へアンテナを向けるので、自然と関心のある情報ばかりが集まってくる。人間が“オタク”になるのは極自然な傾向である」というような主旨の発言をしていた。
確かに人間の持つこの傾向が“オタク”のような積極的な方向へ進んでいる時は、そう悪くもないが、現実にはそうなることばかりではない。その暗黒面の例が、鬱(うつ)病であり自殺である。
一旦アンテナが、負の方向へ向いてしまうと、負の情報ばかりが集まってくることになる。またそれは同時に、負の方向へ向いているアンテナの感度を強化する(高める)働きも持ってしまう。
これの行き着く先は、何もないのにわざわざ自らマイナス情報を掘り起こしに行って自ら己の立場を悪化させて己を責めるというような「自虐(じぎゃく)行為」のエンディングだ。
こうなってしまうと、自分から火をつけて「火事よ火事よ」と騒ぎ、「私の家だけがなんでこんなに燃えやすいのよ」と嘆(なげ)いているようなもので、もはや周りが「あなたの家はちっとも変じゃないですよ。自分で火をつけるから火事になるんですよ」と指摘しても、何も耳に入らない。いやそれどころか、「私が火をつけた? バカ言わないで。元々燃えていたのを私が早期発見したのよ。私は良いことをしたのよ!」とまさに火に油を注ぐことにもなりかねない。つうか、そうなる。くわばらくわばら。
「どうして私ばっかりスパイラル」に入っている人は、自分の境遇を理由にして自分の行為を正当化しようとすると上で述べた(自分が生きるため、自分の子供のため、自分の仕事のため、etc.)が、それを聞かされた周囲はどう受けとるだろうか?
まあふつうなら、「かわいそうに、それは大変だね。何かできることとがあったら遠慮しないで言って。配慮するから」というような反応をするしかないだろう。
この言葉の意味するところは、ずばり「同情」である。同情とは、「あわれみ」であって、決して「あなたとわたしは同等」との認識ではない。同情している方が「強者」であって、同情されている方が「弱者」であることを、互いに認め合った状況、それが「同情する・している」という状態なのだ(まあ、「実態は」ということであって、これに気づかないままにいる関係も多いが)。
同情関係が認識されると、何かにつけて「配慮する」という条件が加わることになる。
この「配慮」というのは、裏を返せば「あてにできない」「まかせられない」ということだ。
「配慮しなければならない人物」に重要な役割、責任を伴(ともな)うような仕事を任せることはできない。万が一途中離脱するようなことになった場合、「私、ちゃんと相談しましたよね」と言われたら、そのお鉢(はち)は「配慮が足りなかった」こちらへ回ってくることになるからだ。
この「配慮」は、「配慮される側」にとっても良くないと私は確信している。
多少の資金援助や、他の同僚・仲間よりも「楽(らく)」はできるかもしれない。しかし、その人物へは決して「リスクはあるけど大きなリターンも期待できる話」や「一時的に負担や責任は重くなるけど、それを成し遂げれば出世につながる仕事」が回ってくることはない。気づいたら自分ばかりが取り残されていた。自分は貧しいままだった。必ずやそういうことになるだろう。そしてまた「自分だけどうして……」「どうして私ばっかり……」というスパイラルの奥底へと落ちていてしまうのだ。
他人の財布が重くなれば嫉妬し、軽くなればよろこぶ人生──おめでとう!
私はこんなに大変なの。
私はこんなにかわいそうなの。
私はこんなに不運なの。
私はこんなにぎりぎりなの(いっぱいいっぱいなの)。
あるいは、
自分の命が一番大事。自分が死んだら元も子もない。
自分の子供が一番大事。自分の子供が一番になれないならぶちこわしてやる。
自分の仕事が一番大事。自分の仕事が最優先であって他のことなんかどうでもいい。
こういう姿勢の人に集まるのは、「重要な仕事、面白い役、リターンの大きな可能性」ではなく、「同情、あわれみ、ほどこし」だ。
なぜならその「どうして私ばっかりスパイラル」に陥っている人が発信しているのは、「自分のこの状況は自分のせいではなく周りのせいなのだ。私の能力に問題があるのではなく、ついていない(不運不幸な)だけなのだ」ということではなく、「私は自分を客観視できず、工夫も努力もする気がない、無能で弱くて無責任な人物なんですよ」というアピールでしかない。
ああ無情。
「私を、あるいは私の子を一番大事にして! して! して!」←こんなことは他人に要求することじゃない。
自分のことならば、他人から尊重されるような自分になるよう工夫すること、これが「自分の成すべき事」だ。
また、自分の子供のことならば、他人から尊重されるような人物になろうと努力できるような人間に育てられるよう工夫すること、これが「親の成すべき事」だ。
サッカークラブの経営者なら、子供たちが自分のクラブを選んでくれるように経営上の工夫をすること、これが「経営者の成すべき事」であって、離れていく顧客に嫌がらせをすることじゃない。その顧客に、離れていったことを後悔させるようなクラブに育てることが本道なのに、それがわからないなら遠からず報いを受けることになる。
自分がいかにかわいそうな存在なのかをアピールすることが正しいかのような風潮は、戦後日本の悪しき文化だと私は確信している。
己を「かわいそう」と喧伝して、何かしらの「ほどこし」を受けようとするのは、乞食(こじき。仏教的な意味の方ではなく、社会風俗としての意味の方)文化であり、家畜同然の思考だ。
足を捻挫していて、ひざを痛めていて、ラフなタイプの2人のDFにぴったりマークされている状況でも、「俺によこせ」とパスを要求するのが真のストライカーだ。
「ぼく、疲れてるからパス出さないで」「きっとぼくにパス出したら、すぐとられちゃうよ」そういう顔をして、パスを拒むような奴には、そういう顔をしていないときでもパスが来なくなる。
つらいときこそ、平気な顔をすべきだし、
不安な状況であるほど、楽観しているような態度をしてみせるべきだ。
殺されそうなとき、「助けてください」と命乞いしたら、そのまま殺される。
獲物は弱ければ弱いほど、弱そうに見えれば弱そうに見えるほど、殺す方にとっては都合が良いのだ。
テレビのインタビューで不安げに「もう百社以上受けましたが全滅です」なんて言うなよ、就活生。
そういう時は、ニヤリとして「もう内定はいくつかもらったんですけど、他にも興味ある企業があるので、これからうかがうところです」と自信たっぷりに答えてみろ。就職活動してる学生みんながそういう態度を見せれば、採用する方だって学生たちを舐めなくなる。
ったく、どこの自然界に、「ここに弱ってる生き物がいますよ」って自分でアピールするアホがいる?
「俺は誰よりも強い。そして今、俺は絶好調だ」と、そうアピールしてこそ道は拓(ひら)けるのだ、と、私は確信している。
自分は自信家なのだと思い込むこと、自分は楽天家だと思い込むこと、実は結構ラッキーじゃんと思い込むこと、これらは全部タダでできるし、すぐにできる。
そして最も大事なことなのだが、
なんだかんだ言ってもこの世はすべてが面白いのだ。
おわり
ここのところ、同じような「あああ、こういう人(連中)『どうして私ばっかりスパイラル』に入っちゃってるよ。気づかなきゃ、もう一生抜け出せないんだろうな」という事例に触れることが重なった。
ひとつは、寄せられたこのコメントや試合会場で耳にした情報から推察される、あるサッカーチームの経営者。
ひとつはNHKの「無縁社会キャンペーン」。
ひとつは、ルールを無視したことを注意したら「こっちは仕事なんだよ!」と切れた営業マン。
そして、昨夜(木)9時から放送されていた『ホンマでっかTV』で紹介されていたモンスターペアレンツたち。
ここに登場した人たちは皆、「自分が生きるために必死なのだから、自分のすることは許される」という倫理規範だ。
言いかえれば、「他人のために自分が死んだら元も子もない」という価値観だと言ってもいい。
「まったくその通りじゃないか」と同調する人がいたら、私は、「おいおい、少しは考えてから同調してくれよ」とアドバイスするだろう。
実際には、上で紹介した誰も「生命の危機」には晒(さら)されていないのだ。
ただただ、自分が「しない」ことのための言い訳、自分「だけ」がうまくいかないことの理由付けとして「生きるために必死」という“フレーズ”を拝借(はいしゃく)しているに過ぎない。
自分たちのチームの子供たちがより高いハードルにしようとしたときに、そのチームの“指導者(何を指導してるんだっつうの)”が子供たちの足を引っぱってしまったら、その話は永遠に語り継がれる。
兄弟、親戚、友人、知人、ご近所さんが困っているときに知らぬ存ぜぬを決め込み、自分だけには火の粉が降りかからないようにと身を隠していたくせに、いざ自分が困ったら世の中を「無縁社会」だと嘆(なげ)くのは、滑稽千万(こっけいせんばん)だ。
仕事を理由にルールやモラルをないがしろにした結果は、巡り巡って、いたるところ駐禁、防犯カメラ、ゴミの分別&有料化、渋滞、保険料高騰、そして規制規制規制。こうしたこともろもろが社会の生産性を押し下げて、結局自分の仕事の足かせ要因になる。
そして自分の子供のことしか考えない、あるいは自分のことしか考えない親たち。それは一見、「自分の子供」や「自分のこと」を優先しているようでいて、実際に起きていることは「自分の子供」と「自分」の状況の悪化促進でしかない。自分の成績表について、自分の親が学校に特別あつかいを強要したことを、自分の子供は気づかないとでも思っているのだろうか? また自分のことしか考えていない親の元で育った子供が、将来、問題なくすくすく育つと思っているのだろうか?
同じ『ホンマでっかTV』の中で、人間を含む高等動物の持つ選択認知についても触れられていた。
タカの視力や犬の嗅覚と同じ「選択認知」の能力を、人間も持っている。
タカが動く物体に対する認知能力を持ち、犬が知っている臭いに対する認知能力を持つのと同じように、人間は自分の関心がある情報に対する認知能力を持っている。また『ホンマでっかTV』の話を持ち出して恐縮だが、この番組に出演していた女性の心理学者(おそらく)が、「人は関心のある情報へアンテナを向けるので、自然と関心のある情報ばかりが集まってくる。人間が“オタク”になるのは極自然な傾向である」というような主旨の発言をしていた。
確かに人間の持つこの傾向が“オタク”のような積極的な方向へ進んでいる時は、そう悪くもないが、現実にはそうなることばかりではない。その暗黒面の例が、鬱(うつ)病であり自殺である。
一旦アンテナが、負の方向へ向いてしまうと、負の情報ばかりが集まってくることになる。またそれは同時に、負の方向へ向いているアンテナの感度を強化する(高める)働きも持ってしまう。
これの行き着く先は、何もないのにわざわざ自らマイナス情報を掘り起こしに行って自ら己の立場を悪化させて己を責めるというような「自虐(じぎゃく)行為」のエンディングだ。
こうなってしまうと、自分から火をつけて「火事よ火事よ」と騒ぎ、「私の家だけがなんでこんなに燃えやすいのよ」と嘆(なげ)いているようなもので、もはや周りが「あなたの家はちっとも変じゃないですよ。自分で火をつけるから火事になるんですよ」と指摘しても、何も耳に入らない。いやそれどころか、「私が火をつけた? バカ言わないで。元々燃えていたのを私が早期発見したのよ。私は良いことをしたのよ!」とまさに火に油を注ぐことにもなりかねない。つうか、そうなる。くわばらくわばら。
「どうして私ばっかりスパイラル」に入っている人は、自分の境遇を理由にして自分の行為を正当化しようとすると上で述べた(自分が生きるため、自分の子供のため、自分の仕事のため、etc.)が、それを聞かされた周囲はどう受けとるだろうか?
まあふつうなら、「かわいそうに、それは大変だね。何かできることとがあったら遠慮しないで言って。配慮するから」というような反応をするしかないだろう。
この言葉の意味するところは、ずばり「同情」である。同情とは、「あわれみ」であって、決して「あなたとわたしは同等」との認識ではない。同情している方が「強者」であって、同情されている方が「弱者」であることを、互いに認め合った状況、それが「同情する・している」という状態なのだ(まあ、「実態は」ということであって、これに気づかないままにいる関係も多いが)。
同情関係が認識されると、何かにつけて「配慮する」という条件が加わることになる。
この「配慮」というのは、裏を返せば「あてにできない」「まかせられない」ということだ。
「配慮しなければならない人物」に重要な役割、責任を伴(ともな)うような仕事を任せることはできない。万が一途中離脱するようなことになった場合、「私、ちゃんと相談しましたよね」と言われたら、そのお鉢(はち)は「配慮が足りなかった」こちらへ回ってくることになるからだ。
この「配慮」は、「配慮される側」にとっても良くないと私は確信している。
多少の資金援助や、他の同僚・仲間よりも「楽(らく)」はできるかもしれない。しかし、その人物へは決して「リスクはあるけど大きなリターンも期待できる話」や「一時的に負担や責任は重くなるけど、それを成し遂げれば出世につながる仕事」が回ってくることはない。気づいたら自分ばかりが取り残されていた。自分は貧しいままだった。必ずやそういうことになるだろう。そしてまた「自分だけどうして……」「どうして私ばっかり……」というスパイラルの奥底へと落ちていてしまうのだ。
他人の財布が重くなれば嫉妬し、軽くなればよろこぶ人生──おめでとう!
私はこんなに大変なの。
私はこんなにかわいそうなの。
私はこんなに不運なの。
私はこんなにぎりぎりなの(いっぱいいっぱいなの)。
あるいは、
自分の命が一番大事。自分が死んだら元も子もない。
自分の子供が一番大事。自分の子供が一番になれないならぶちこわしてやる。
自分の仕事が一番大事。自分の仕事が最優先であって他のことなんかどうでもいい。
こういう姿勢の人に集まるのは、「重要な仕事、面白い役、リターンの大きな可能性」ではなく、「同情、あわれみ、ほどこし」だ。
なぜならその「どうして私ばっかりスパイラル」に陥っている人が発信しているのは、「自分のこの状況は自分のせいではなく周りのせいなのだ。私の能力に問題があるのではなく、ついていない(不運不幸な)だけなのだ」ということではなく、「私は自分を客観視できず、工夫も努力もする気がない、無能で弱くて無責任な人物なんですよ」というアピールでしかない。
ああ無情。
「私を、あるいは私の子を一番大事にして! して! して!」←こんなことは他人に要求することじゃない。
自分のことならば、他人から尊重されるような自分になるよう工夫すること、これが「自分の成すべき事」だ。
また、自分の子供のことならば、他人から尊重されるような人物になろうと努力できるような人間に育てられるよう工夫すること、これが「親の成すべき事」だ。
サッカークラブの経営者なら、子供たちが自分のクラブを選んでくれるように経営上の工夫をすること、これが「経営者の成すべき事」であって、離れていく顧客に嫌がらせをすることじゃない。その顧客に、離れていったことを後悔させるようなクラブに育てることが本道なのに、それがわからないなら遠からず報いを受けることになる。
自分がいかにかわいそうな存在なのかをアピールすることが正しいかのような風潮は、戦後日本の悪しき文化だと私は確信している。
己を「かわいそう」と喧伝して、何かしらの「ほどこし」を受けようとするのは、乞食(こじき。仏教的な意味の方ではなく、社会風俗としての意味の方)文化であり、家畜同然の思考だ。
足を捻挫していて、ひざを痛めていて、ラフなタイプの2人のDFにぴったりマークされている状況でも、「俺によこせ」とパスを要求するのが真のストライカーだ。
「ぼく、疲れてるからパス出さないで」「きっとぼくにパス出したら、すぐとられちゃうよ」そういう顔をして、パスを拒むような奴には、そういう顔をしていないときでもパスが来なくなる。
つらいときこそ、平気な顔をすべきだし、
不安な状況であるほど、楽観しているような態度をしてみせるべきだ。
殺されそうなとき、「助けてください」と命乞いしたら、そのまま殺される。
獲物は弱ければ弱いほど、弱そうに見えれば弱そうに見えるほど、殺す方にとっては都合が良いのだ。
テレビのインタビューで不安げに「もう百社以上受けましたが全滅です」なんて言うなよ、就活生。
そういう時は、ニヤリとして「もう内定はいくつかもらったんですけど、他にも興味ある企業があるので、これからうかがうところです」と自信たっぷりに答えてみろ。就職活動してる学生みんながそういう態度を見せれば、採用する方だって学生たちを舐めなくなる。
ったく、どこの自然界に、「ここに弱ってる生き物がいますよ」って自分でアピールするアホがいる?
「俺は誰よりも強い。そして今、俺は絶好調だ」と、そうアピールしてこそ道は拓(ひら)けるのだ、と、私は確信している。
自分は自信家なのだと思い込むこと、自分は楽天家だと思い込むこと、実は結構ラッキーじゃんと思い込むこと、これらは全部タダでできるし、すぐにできる。
そして最も大事なことなのだが、
なんだかんだ言ってもこの世はすべてが面白いのだ。
おわり
2011年2月15日火曜日
人間の6つの性格
エドゥアルト・シュプランガー(Eduard Spranger 1882~1963 ドイツの哲学者、教育学者、心理学者)
性格診断テスト
人間は、その無意識に持つ“価値のものさし”によって類型化できる生き物である。
その“ものさし”には6つの種類がある。
それは──
理論、政治、経済、宗教、社会、審美である。
これを──
『シュプランガーによる生活領域における価値観類型』と呼ぶ。
【解説】
■理論・論理志向■
「知性」「知識」「知恵」の獲得を最重視するタイプ。
真理の探究に最大の価値を見出し、客観的なデータの収集や論理的な思考の展開を重視する。人間や感情に対する関心が弱く、他者に対する思いやりや共感に乏しい。集団生活が苦手であり実際的な生活や経済的な利害に関する興味も余りないので、社会適応は一般に良くない。
世界の物事を客観的に見つめ、論理的に理解する事で真理を追究→知識を獲得。
合理的、効率的な志向・行動パターンを重んじる。
学者・研究者・科学者
■政治・権力志向■
「支配」「命令」「権力」に価値を置いて最重視するタイプ。
政治的な権力の掌握に最大の価値を置き、世界を弱肉強食的な上下関係で眺めることを好む。
権力型の人間は『支配・服従』や『優位・劣位』の二元論で社会を規定しているので、政治権力を持って他者を支配したり命令することに価値を見出す。
権力型の人間は『己の劣等性』を否認するために『他者との比較による優越欲求』が強くなる(『他者との比較』であることが特徴)。またそれそのものが行動のモチベーションとなってしまうことも多い。
他者への共感性や美的センスの追求といったことには殆ど興味がなく、他者との相対的な優劣(主従)が明らかでない事柄に魅力を感じない。
『自分は権力を持っている。力を手に入れた。』と感じる瞬間に無上の喜びを感じ、満足感を覚える。
政治家
■経済志向■
「お金」「利益」「実利」に価値を置いて最重視するタイプ。
経済的な利益に最大の価値を置き、功利的な損得勘定で物事を判断しようとする。金銭や財産への欲求が強く、絶えず市場における商売や利害を意識しているので、利己主義的な行動が多くなる。
他人の苦しみや悲しみに対する共感は弱く、一般に合理的で効率的な行動を好む。
能率・能率・有用性などの経済的観点から物事を捉え、お金や財産全般の獲得が最大目標となる。
ビジネスマン・会社経営
■宗教志向■
「神」「愛」「慈悲」に価値を置いて最重視するタイプ。
宗教的な崇高性に最大の価値を置き、世俗社会では経験することが不可能な神秘的な超越体験や清浄さを保った禁欲的な生活態度に惹かれる。
金銭・性的快楽・物欲といった世俗的な価値観に左右されることがなく、禁欲・清浄・敬虔といった宗教的な価値観に従って正しく生きることに強い意義を感じる。道徳的な生活態度と敬虔な信仰生活によって、世俗的な快楽を超越した永遠普遍の幸福や安楽がいずれ得られると信じている。
愛他的・博愛的・非利己的な傾向を示し、個々人の物事の捉え方によって、「人生は愛に満ちたもの」「人生は無」などと分かれる。
宗教家
■社会志向■
「奉仕」「貢献」「援助」に価値を置いて最重視するタイプ。
社会的な貢献や仲間との連帯に最大の価値を置き、利己的欲求を抑えて他者への協力や帰属集団への奉仕をすることに喜びを感じる。
社会型の人間の行動理念は『他者への愛』と『社会への奉仕』であり、家族や恋人を愛するように他人を愛することに意味を感じ、自分が所属する集団社会に役立つ貢献をすることに生き甲斐を見出す。
理想的な共同体的人間が社会型であり、社会適応性に非常に優れている。
他人や集団のための苦労や手間を惜しまないので、他人から好意や信頼の念を寄せられることが多い。しかし、他人と関係しない「プライベート(私的時間)」における趣味や娯楽を見出すことが苦手で、社会奉仕(他人への世話)を抜きにして自分個人が「何が好きなのか?何がしたいのか?」が分からなくなることがある。
「自分が楽しい」ということよりも「周りの人が楽しい」ということが絶えず優先されるので、知らず知らずのうちに精神的ストレスを溜め込みやすい。
社会全体への貢献や、困った人を援助する事に喜びを見出し、「人の役にたつ自分」「見返りを求めない自分」を追求。
福祉家
■審美志向■
「美」「美しさ」「美学」に価値を置いて最重視するタイプ。
美の探究に最高の価値を置き、美的な芸術(対象)を鑑賞したり美しい人間と交流することを楽しむ個人主義者である。
繊細な感受性と豊かな感情を持ち、物事を美しいかそうでないかによって感情的に判断するので、経済的な損失や対人的な不利益を受けることも多い。
理論型と同様に現実的な生活や経済的な損得への関心は殆どなく、芸術的な陶酔と身体的な快楽を求めることこそが人生の意義だと考えている。
現実の生活のやり繰りには余り目が向かず、「物体として美しい物」「自分の美しさ(外見・内面)」など、美しいものの獲得に価値を置く。
美しさの追求こそ人生の目標
芸術家・音楽家・画家
このように、その人を特徴づける持続的で一貫性のある行動・感情・認知・人間関係のパターンで幾つかのタイプ(性格類型)に分類した仮説が『類型論(タイプ論)』だが、類型論による性格心理学の起源は、古代ローマの医学者ガレノス(A.D.131-199)が提示した体液理論(体液病理学:humoral pathology)に類型論の原初形態があると言われている。
2世紀の医師ガレノスは四大体液のバランスによって『多血質・粘液質・胆汁質・憂鬱質(黒胆汁質)』という4つの気質類型(四大気質)を分類できると考えた。
【ガレノスの体液理論に基づく四大気質論】
■多血質■
日常生活の動作が美しく洗練されていて、外観的なスタイルにも秀でた人が多い。
テンポの良い話し方をして、社交的で快活なコミュニケーションをするので良好な人間関係を築きやすい。
美的センスや知的能力(理解力・記憶力・弁論術)に恵まれているが、一つの物事に集中して熟慮することが苦手で飽きっぽい部分がある。
他人への共感性や自分の感情表現に優れており、他人の期待や要求に応えるために努力することを厭わないことが多い。
■粘液質■
血色が良く若々しい外貌をしており、慌しい(あわただしい)ところがなく落ち着いた振る舞いをする。
良く言えば、重厚感のある雰囲気を漂わせ威厳のある態度を取っているといえるが、悪く言うと、機敏さ(鋭敏さ)に欠けていて鈍重でのんびりし過ぎている印象がある。
感情が安定しており喜怒哀楽の変化が少なく、何かが原因で急に怒ったり泣いたりするようなことが殆どない。
冷静沈着で深い思考力を持っているが、実際的な行動に移すまでに時間がかかり優柔不断な面がある。
しかし、いったん最後まで物事をやり通すと決断すれば、強い集中力と持続力を発揮する。
善良で温厚な性格と悪徳で冷淡な性格が同居していて、アンビバレンツ(両価的)な特徴を指摘することができる。
■胆汁質■
筋肉が発達していて行動に瞬発力があるが、一つ一つの動作に丁寧な気配りや慎重な配慮が乏しい。
実際的な行動力と決断力に優れており、集団内において強いリーダーシップを発揮することが多い。
熱しやすく冷めやすい性格で感情の変化は激しいが、他人の信頼や期待を裏切らない性格で執念深さのような陰湿な面がない。
■憂鬱質(黒胆汁質)■
体格はがっしりとしているが血色が悪く、物事をやり遂げる覇気が感じられない。
憂鬱感と失望感を抱えてふさぎ込んでおり、非社交的で人間関係は少ない。
意欲や関心が著しく減退しているが、時に個性的な創造性や深い思索力を発揮する。
現在の臨床心理学(精神医学)でいえば、H.テレンバッハの「メランコリー親和型性格」や下田光造の「執着気質」などのうつ病の病前性格と重複する特徴を多く持っている。
このような性格心理学の類型論(タイプ論)は、限定的な臨床経験や行動観察を元にして構築されるため、科学的な客観性や個性記述の厳密性はないが、人間の性格(人格)の本質論を展開して、典型的な性格像(性格パターン)のエッセンスを抽出するという意義はあるように思う。
個人の性格傾向の全体像を直感的につかみやすいので、実際の人間関係へ応用しやすいというメリットもある。
個々の子供をその場その場で的確に指導する際には、科学的に厳密な性格分析よりも、こうしたざっくりとした性格分類の方が応用が効くと私は確信している。
心理ゲームっぽい面も面白いし、と思ってここに紹介するものである。
終わり
性格診断テスト
人間は、その無意識に持つ“価値のものさし”によって類型化できる生き物である。
その“ものさし”には6つの種類がある。
それは──
理論、政治、経済、宗教、社会、審美である。
これを──
『シュプランガーによる生活領域における価値観類型』と呼ぶ。
【解説】
■理論・論理志向■
「知性」「知識」「知恵」の獲得を最重視するタイプ。
真理の探究に最大の価値を見出し、客観的なデータの収集や論理的な思考の展開を重視する。人間や感情に対する関心が弱く、他者に対する思いやりや共感に乏しい。集団生活が苦手であり実際的な生活や経済的な利害に関する興味も余りないので、社会適応は一般に良くない。
世界の物事を客観的に見つめ、論理的に理解する事で真理を追究→知識を獲得。
合理的、効率的な志向・行動パターンを重んじる。
学者・研究者・科学者
■政治・権力志向■
「支配」「命令」「権力」に価値を置いて最重視するタイプ。
政治的な権力の掌握に最大の価値を置き、世界を弱肉強食的な上下関係で眺めることを好む。
権力型の人間は『支配・服従』や『優位・劣位』の二元論で社会を規定しているので、政治権力を持って他者を支配したり命令することに価値を見出す。
権力型の人間は『己の劣等性』を否認するために『他者との比較による優越欲求』が強くなる(『他者との比較』であることが特徴)。またそれそのものが行動のモチベーションとなってしまうことも多い。
他者への共感性や美的センスの追求といったことには殆ど興味がなく、他者との相対的な優劣(主従)が明らかでない事柄に魅力を感じない。
『自分は権力を持っている。力を手に入れた。』と感じる瞬間に無上の喜びを感じ、満足感を覚える。
政治家
■経済志向■
「お金」「利益」「実利」に価値を置いて最重視するタイプ。
経済的な利益に最大の価値を置き、功利的な損得勘定で物事を判断しようとする。金銭や財産への欲求が強く、絶えず市場における商売や利害を意識しているので、利己主義的な行動が多くなる。
他人の苦しみや悲しみに対する共感は弱く、一般に合理的で効率的な行動を好む。
能率・能率・有用性などの経済的観点から物事を捉え、お金や財産全般の獲得が最大目標となる。
ビジネスマン・会社経営
■宗教志向■
「神」「愛」「慈悲」に価値を置いて最重視するタイプ。
宗教的な崇高性に最大の価値を置き、世俗社会では経験することが不可能な神秘的な超越体験や清浄さを保った禁欲的な生活態度に惹かれる。
金銭・性的快楽・物欲といった世俗的な価値観に左右されることがなく、禁欲・清浄・敬虔といった宗教的な価値観に従って正しく生きることに強い意義を感じる。道徳的な生活態度と敬虔な信仰生活によって、世俗的な快楽を超越した永遠普遍の幸福や安楽がいずれ得られると信じている。
愛他的・博愛的・非利己的な傾向を示し、個々人の物事の捉え方によって、「人生は愛に満ちたもの」「人生は無」などと分かれる。
宗教家
■社会志向■
「奉仕」「貢献」「援助」に価値を置いて最重視するタイプ。
社会的な貢献や仲間との連帯に最大の価値を置き、利己的欲求を抑えて他者への協力や帰属集団への奉仕をすることに喜びを感じる。
社会型の人間の行動理念は『他者への愛』と『社会への奉仕』であり、家族や恋人を愛するように他人を愛することに意味を感じ、自分が所属する集団社会に役立つ貢献をすることに生き甲斐を見出す。
理想的な共同体的人間が社会型であり、社会適応性に非常に優れている。
他人や集団のための苦労や手間を惜しまないので、他人から好意や信頼の念を寄せられることが多い。しかし、他人と関係しない「プライベート(私的時間)」における趣味や娯楽を見出すことが苦手で、社会奉仕(他人への世話)を抜きにして自分個人が「何が好きなのか?何がしたいのか?」が分からなくなることがある。
「自分が楽しい」ということよりも「周りの人が楽しい」ということが絶えず優先されるので、知らず知らずのうちに精神的ストレスを溜め込みやすい。
社会全体への貢献や、困った人を援助する事に喜びを見出し、「人の役にたつ自分」「見返りを求めない自分」を追求。
福祉家
■審美志向■
「美」「美しさ」「美学」に価値を置いて最重視するタイプ。
美の探究に最高の価値を置き、美的な芸術(対象)を鑑賞したり美しい人間と交流することを楽しむ個人主義者である。
繊細な感受性と豊かな感情を持ち、物事を美しいかそうでないかによって感情的に判断するので、経済的な損失や対人的な不利益を受けることも多い。
理論型と同様に現実的な生活や経済的な損得への関心は殆どなく、芸術的な陶酔と身体的な快楽を求めることこそが人生の意義だと考えている。
現実の生活のやり繰りには余り目が向かず、「物体として美しい物」「自分の美しさ(外見・内面)」など、美しいものの獲得に価値を置く。
美しさの追求こそ人生の目標
芸術家・音楽家・画家
このように、その人を特徴づける持続的で一貫性のある行動・感情・認知・人間関係のパターンで幾つかのタイプ(性格類型)に分類した仮説が『類型論(タイプ論)』だが、類型論による性格心理学の起源は、古代ローマの医学者ガレノス(A.D.131-199)が提示した体液理論(体液病理学:humoral pathology)に類型論の原初形態があると言われている。
2世紀の医師ガレノスは四大体液のバランスによって『多血質・粘液質・胆汁質・憂鬱質(黒胆汁質)』という4つの気質類型(四大気質)を分類できると考えた。
【ガレノスの体液理論に基づく四大気質論】
■多血質■
日常生活の動作が美しく洗練されていて、外観的なスタイルにも秀でた人が多い。
テンポの良い話し方をして、社交的で快活なコミュニケーションをするので良好な人間関係を築きやすい。
美的センスや知的能力(理解力・記憶力・弁論術)に恵まれているが、一つの物事に集中して熟慮することが苦手で飽きっぽい部分がある。
他人への共感性や自分の感情表現に優れており、他人の期待や要求に応えるために努力することを厭わないことが多い。
■粘液質■
血色が良く若々しい外貌をしており、慌しい(あわただしい)ところがなく落ち着いた振る舞いをする。
良く言えば、重厚感のある雰囲気を漂わせ威厳のある態度を取っているといえるが、悪く言うと、機敏さ(鋭敏さ)に欠けていて鈍重でのんびりし過ぎている印象がある。
感情が安定しており喜怒哀楽の変化が少なく、何かが原因で急に怒ったり泣いたりするようなことが殆どない。
冷静沈着で深い思考力を持っているが、実際的な行動に移すまでに時間がかかり優柔不断な面がある。
しかし、いったん最後まで物事をやり通すと決断すれば、強い集中力と持続力を発揮する。
善良で温厚な性格と悪徳で冷淡な性格が同居していて、アンビバレンツ(両価的)な特徴を指摘することができる。
■胆汁質■
筋肉が発達していて行動に瞬発力があるが、一つ一つの動作に丁寧な気配りや慎重な配慮が乏しい。
実際的な行動力と決断力に優れており、集団内において強いリーダーシップを発揮することが多い。
熱しやすく冷めやすい性格で感情の変化は激しいが、他人の信頼や期待を裏切らない性格で執念深さのような陰湿な面がない。
■憂鬱質(黒胆汁質)■
体格はがっしりとしているが血色が悪く、物事をやり遂げる覇気が感じられない。
憂鬱感と失望感を抱えてふさぎ込んでおり、非社交的で人間関係は少ない。
意欲や関心が著しく減退しているが、時に個性的な創造性や深い思索力を発揮する。
現在の臨床心理学(精神医学)でいえば、H.テレンバッハの「メランコリー親和型性格」や下田光造の「執着気質」などのうつ病の病前性格と重複する特徴を多く持っている。
このような性格心理学の類型論(タイプ論)は、限定的な臨床経験や行動観察を元にして構築されるため、科学的な客観性や個性記述の厳密性はないが、人間の性格(人格)の本質論を展開して、典型的な性格像(性格パターン)のエッセンスを抽出するという意義はあるように思う。
個人の性格傾向の全体像を直感的につかみやすいので、実際の人間関係へ応用しやすいというメリットもある。
個々の子供をその場その場で的確に指導する際には、科学的に厳密な性格分析よりも、こうしたざっくりとした性格分類の方が応用が効くと私は確信している。
心理ゲームっぽい面も面白いし、と思ってここに紹介するものである。
終わり
2011年2月14日月曜日
人間の5つの欲求
アブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow, 1908年4月1日 - 1970年6月8日アメリカの心理学者)
ブルックリン生まれのマズローは、ロシア移民の貧しいユダヤ人を両親に持つ。7人兄弟の長男の彼は、両親の期待を背負い学問の道へと進んだ。貧しい生活、マイノリティへの所属、アカデミックでの成功。マズローの欲求段階説には、こうした生い立ちが色濃く影響しているだろうことを理解した上で、読み進めて欲しい。
マズローによると、人間の欲求は五段階に分けることができて、下位の欲求から順を追って充足を目指んだよってことらしい。彼はこれに「欲求段階説」っていう名前をつけて発表した。
その欲求を下位から順に言うと、生理的欲求→安全の欲求→帰属の欲求→自我の欲求→自己実現の欲求となる。
●生理的欲求
おなかが空いたので食事をしたいとか、ねむたいので眠りたいとかみたいに、人が生きていく上で欠かせない基本的な欲求。
これが満たされないと、いらだちや不快感を覚え、時には生命の危険さえも──。
●安全の欲求
読んで字のごとく、(自分が)生きることを脅かされないことの欲求。
たとえば、暴力や災害などにより自分の生存を脅かされると、その危険な状態からいかに逃れ、回避し、自己の生命の安全を確保するかに必死とならざるを得ず、他のことが考えにくくなる。将来的なリスクを考えることもこの欲求に含まれる。
●帰属の欲求(社会的欲求、親和の欲求、愛情の欲求)
会社、家族、国家など、あるグループへ帰属していたいという欲求。
この欲求は、生存を脅かされない状態になってこそ生じるものだというのが、この説でのポイント。
また、基本的欲求(生理的欲求と安全の欲求)が満たされた“次に”この欲求を持ってきていることから見て、マズローがこの帰属欲求を、それだけ基本的なものだととらえていることがわかる。
親和の欲求(自分をあたたかく受け入れてくれる集団の中に入りたい)とも、愛情の欲求(自分のことを愛して欲しい)とも言う。
●自我の欲求
最終段階のひとつ手前にこれがくるところが、「The 人間」って感じがして私は好きだ。なぜならこの欲求は、他人からの賞賛を求める欲求であり、それはグループへの帰属が前提となるからだ(なんかしらグループに属しなければ、自分を、認めてほしい褒めて欲しいリスペクトして欲しい他者を認識することなんてあり得ないから)。
名声とか地位とか高級品とか装飾品とか「世界に一つだけの花信仰」とか「ぼくのわたしの個性は尊重されるべき価値観」とか「他人が持っているものは持ちたくない症候群」とか「自分は自分でいいよね、ね、ね」とか「自分さがしの旅してますアピール」とか、その手の欲求も、実はここに当てはまる。
この欲求には二種類あって、そのひとつは仕事の遂行や達成で、もうひとつは、そのことによって他人から注目され、賞賛されること。シュートを決めたらみんなから祝福して欲しいのって当たり前だもんね。
●自己実現の欲求
これが最後の欲求。最終到達点。
これは、あるべき自分になりたいっていう欲求のこと。
将棋の羽生名人が将棋を追求し続けている原動力は、間違いなくこれだと思う。
もう羽生名人クラスになると、将棋で勝って人から「すごいですね」とか「頭が良いんですね」とかって褒められたいなんていう欲求なんてないはずなんだ(もしあったら、それは自我の欲求になってしまう)。
“ライバルは自分”っていう表現があるけど、それとも違って、この欲求の背景には、『自我を越えた、ある種の無償性』があるとされてる。
マズローの欲求段階説ってのは、自己啓発系の本とか、中間管理職向けの組織マネジメントセミナーなんかで人気のテーマだ。
でも、わが子や他人の為に自分の身を投じる例なんかが代表的だけど、実際にはこの段階通りに人間はできていない。
また「誰でもいいから殺してみたかった」とか「生きている実感が欲しくてリストカット」みたいな欲求も、この5段階のどこにも属していない。
なのになぜこの説を紹介したのかというと、まだ小学生段階の育成でなら、この説も役に立つだろうと考えたからだ。
その子(人)が抱え悩んでいるのは、はたしてどの欲求なのか、それを判断する際に、この段階欲求説が頭の片隅にあると観察しやすい(まあ、これはわたしの個人的体験からなのだが)。
悩んでいる子から発せられる言葉だけを聞いていると、「自我の欲求」に思えたものが、よく観察しているうちに実は「生理的欲求」がとか「安全の欲求」だったことがわかってメシを腹いっぱい食わせたら元気になった、なんてこともある。
バカバカしいと思わないで、こんな考えもあるんだなあ、くらいでもいいので、ちょこっと頭にメモって置いて頂けたら本望である。
BYE
ブルックリン生まれのマズローは、ロシア移民の貧しいユダヤ人を両親に持つ。7人兄弟の長男の彼は、両親の期待を背負い学問の道へと進んだ。貧しい生活、マイノリティへの所属、アカデミックでの成功。マズローの欲求段階説には、こうした生い立ちが色濃く影響しているだろうことを理解した上で、読み進めて欲しい。
マズローによると、人間の欲求は五段階に分けることができて、下位の欲求から順を追って充足を目指んだよってことらしい。彼はこれに「欲求段階説」っていう名前をつけて発表した。
その欲求を下位から順に言うと、生理的欲求→安全の欲求→帰属の欲求→自我の欲求→自己実現の欲求となる。
●生理的欲求
おなかが空いたので食事をしたいとか、ねむたいので眠りたいとかみたいに、人が生きていく上で欠かせない基本的な欲求。
これが満たされないと、いらだちや不快感を覚え、時には生命の危険さえも──。
●安全の欲求
読んで字のごとく、(自分が)生きることを脅かされないことの欲求。
たとえば、暴力や災害などにより自分の生存を脅かされると、その危険な状態からいかに逃れ、回避し、自己の生命の安全を確保するかに必死とならざるを得ず、他のことが考えにくくなる。将来的なリスクを考えることもこの欲求に含まれる。
●帰属の欲求(社会的欲求、親和の欲求、愛情の欲求)
会社、家族、国家など、あるグループへ帰属していたいという欲求。
この欲求は、生存を脅かされない状態になってこそ生じるものだというのが、この説でのポイント。
また、基本的欲求(生理的欲求と安全の欲求)が満たされた“次に”この欲求を持ってきていることから見て、マズローがこの帰属欲求を、それだけ基本的なものだととらえていることがわかる。
親和の欲求(自分をあたたかく受け入れてくれる集団の中に入りたい)とも、愛情の欲求(自分のことを愛して欲しい)とも言う。
●自我の欲求
最終段階のひとつ手前にこれがくるところが、「The 人間」って感じがして私は好きだ。なぜならこの欲求は、他人からの賞賛を求める欲求であり、それはグループへの帰属が前提となるからだ(なんかしらグループに属しなければ、自分を、認めてほしい褒めて欲しいリスペクトして欲しい他者を認識することなんてあり得ないから)。
名声とか地位とか高級品とか装飾品とか「世界に一つだけの花信仰」とか「ぼくのわたしの個性は尊重されるべき価値観」とか「他人が持っているものは持ちたくない症候群」とか「自分は自分でいいよね、ね、ね」とか「自分さがしの旅してますアピール」とか、その手の欲求も、実はここに当てはまる。
この欲求には二種類あって、そのひとつは仕事の遂行や達成で、もうひとつは、そのことによって他人から注目され、賞賛されること。シュートを決めたらみんなから祝福して欲しいのって当たり前だもんね。
●自己実現の欲求
これが最後の欲求。最終到達点。
これは、あるべき自分になりたいっていう欲求のこと。
将棋の羽生名人が将棋を追求し続けている原動力は、間違いなくこれだと思う。
もう羽生名人クラスになると、将棋で勝って人から「すごいですね」とか「頭が良いんですね」とかって褒められたいなんていう欲求なんてないはずなんだ(もしあったら、それは自我の欲求になってしまう)。
“ライバルは自分”っていう表現があるけど、それとも違って、この欲求の背景には、『自我を越えた、ある種の無償性』があるとされてる。
マズローの欲求段階説ってのは、自己啓発系の本とか、中間管理職向けの組織マネジメントセミナーなんかで人気のテーマだ。
でも、わが子や他人の為に自分の身を投じる例なんかが代表的だけど、実際にはこの段階通りに人間はできていない。
また「誰でもいいから殺してみたかった」とか「生きている実感が欲しくてリストカット」みたいな欲求も、この5段階のどこにも属していない。
なのになぜこの説を紹介したのかというと、まだ小学生段階の育成でなら、この説も役に立つだろうと考えたからだ。
その子(人)が抱え悩んでいるのは、はたしてどの欲求なのか、それを判断する際に、この段階欲求説が頭の片隅にあると観察しやすい(まあ、これはわたしの個人的体験からなのだが)。
悩んでいる子から発せられる言葉だけを聞いていると、「自我の欲求」に思えたものが、よく観察しているうちに実は「生理的欲求」がとか「安全の欲求」だったことがわかってメシを腹いっぱい食わせたら元気になった、なんてこともある。
バカバカしいと思わないで、こんな考えもあるんだなあ、くらいでもいいので、ちょこっと頭にメモって置いて頂けたら本望である。
BYE
2011年2月4日金曜日
ためしてガッテンに疑問符
NHK ためしてガッテン 2011年2月2日放送
『がん発見!最先端SP』
番組をご覧にならなかった方へその内容を説明すると、要するに、これまで見つからなかったような極小のがんも見つけることができますよ。さらにがんになるならないも遺伝診断でわかりますよ。というものだった。
私は変に長生きして、それこそガンやボケで苦しむよりは、心筋梗塞でぱったり逝こうと決めているので、最新のがん診断なんてのは正直どうでもいい情報なのだが、ちょっと論理的にそれはどうなのよ、と思わない点がなきにしもあらずだったので、ちょっとそれを考えてみたい。
まず、遺伝診断とかいうがん予測方法について。
これは、遺伝的に癌にならないタイプの人は、どうやっても癌にはならないということなのだろうか?
もしそうなら、それならそれで話はわかりやすい。
これまでいろいろ言われてきた、タバコだの酒だの焦げた肉だの放射線だのってのとは関係なく、遺伝のレベルで既に癌になるならないは決まっているのだってことになるんで、これはこれで非常にすっきりする。
でも司会者や解説ゲストの話ぶりだと、そういうことでもないみたいなように感じられた。
「癌になるタイプの人は、専門の医師に相談してください」みたいなことを言っていた。
ってことは、癌になるタイプの人も、癌になることを防げるというのだろうか? そんな方法あるのか? そんなのがあるなら、それこそ大ニュースだと思うのだが。
また逆に、癌にならないタイプの人にとって発ガン物質ってのはどういう位置づけになるのだろう?
そもそも遺伝で決まるなら、発ガン物質も何も関係ないと思うのだが……遺伝ってのはそういうものだし。
遺伝的に癌になるタイプであっても、また癌にならないタイプであっても、実際に癌になるかならないかは、その時になってみないとわかりません程度の結果しか得られないのなら、こういう「遺伝診断」は無用な不安と差別(結婚、就職、保険など)を生むだけだと思うので、私は(研究目的以外では)大反対であります。
またもう一つのテーマだった、極小の癌も見つけられる新技術って方も、クエスチョンマークがいくつもつく内容だった。
これはつまり、今現在行われているがん検診ってのは、実は効果がないんだよってことを言いたかったのだろうか?
番組では1ミリサイズでも発見できるって胸を張ってたけど、この方向の技術開発が進んでいけば、いずれは0・5ミリサイズとか、それ以下のサイズも発見できるってことになる。じゃあそうなったとき、今回の1ミリサイズでも発見可能な検査って、いったい何だったのってことになるじゃんか。
「わーそんなに小さな(1ミリとか、痰(たん)に混じっている剥離細胞レベルとか)がんも見つけられるんですか!」って歓声を上げたことの裏返しは、その最新技術よりは大きなサイズ──5ミリなのか1センチなのか2センチなのか知らないけど──までの癌しか発見できない今現在のがん検診には意味がないってことになるのに、それでいいのかNHK。漁網の目が粗いとか、空港で検査官がゲート三つおきにしか立っていないとか、つまりそういうことだよね、NHKさん。
っつうか、そもそも本当にそんなに極小サイズのポッチン(ポリープ、できもの)が、生命にかかわるような癌に成長するのかよって思うのだがどうなのだろう?
癌が、小さければ小さいほど治療できるとかっていう性質を持っている病気だっていうのなら、まあ可能な限り小さいサイズの癌を発見できるような技術を開発する理由もわかるけど、癌ってそういうものじゃないんじゃないの? 遺伝子レベルでの変異によって癌が生じるって理解してたけど、違うのか? 遺伝子レベルでの変異なんて、それこそ絶え間なくしょっちゅう起きているんだから、24時間毎日この遺伝診断をしてないと、結局いつか「発見漏れ」が出てくるよ。それともそういう問題じゃないのかなあ。
決定的な治療法がないのに、早期発見の方ばかりが進んでしまうと、それは結局、予備軍ばかり生産することになる。
極小サイズも発見できるってことは、素人ながら想像するにおそらく、発生した時点からの経過時間も短いということになるのではないだろうか。これは言いかえれば、例えばこれまでのがん検診が1年1回だとしたら、それでは間隔が開きすぎるということになる。いや、むしろもしこれまで通りの1年1回でいいのなら、この極小サイズ検診は必要ないことにもなりかねない。
今回の番組で紹介されていたような方向性の「健康観」というのは、どうも世の中を不健康にするように思えて仕方がない。
検診をする医療関係者以外は、誰も幸せにならないと私は確信……まではいかないけど、そんな気がするのだ。
遺伝レベルで、それこそ癌みたいに生死にかかわる病を判定するほど、遺伝子研究は進んでいない。
また、細胞分裂の異常なんてのは日常茶飯に生じているのに、それを、生活に何の不都合も生じていない段階で、自ら積極的に、また貴重な時間と資金を費やして、発見するための検診を受けることのどこらあたりに意味があるのだろう。
何もなくても、それは単に、その時受けた、その検査で、その瞬間だけは、それらしきものは発見できませんでしたよっていうだけの話でしかないのではないだろうか。だって、検査が終わったその直後には、また新しく細胞は分裂してるんだから。
「延々流れる荒川の水の太郎右衛門橋真下の部分を、ある一瞬だけ透視撮影して、それを詳細に分析できる技術を開発しました。2月4日の午後11時には、1ミリサイズのゴミも発見できませんでした。ですから荒川にゴミは一つもありません!」
そう言われて、
「ああよかった。これで荒川はもうゴミで汚れることはないわね」
とかって安心できますかってーの、とかって俺は思ってしまう。
でもきっと、俺は根本的なところで癌への認識を誤っているのだろうと思う。
そうじゃないと、NHKの『ためしてガッテン』が、あんなに大々的に紹介することを理解できないから。
にしてもやっぱり、癌が遺伝子レベルでの疾患だとしたら、1センチであっても1ミリであってもそれ以下であったとしても、大差ないと思うのだが、違うのかなあ。
それに、遺伝子の変異で発生する疾病なのに、遺伝子診断ができるってのもよくわからん。
「あなたは癌にならないタイプだったんですけど、突然変異でガンができてしまったんですね。こういうこともあるんです。可能性はゼロではないので」とかってのがアリだったりしたら、ホント、まったく意味ないじゃん。
まだ癌じゃない人に「あなたは将来癌になりますよ」とか「実はあなたはもう癌なんですよ」とか通知する方向じゃなくて、今現在既に癌となってしまった人を治療する方向とか、不安を軽減する方向の方の技術革新が進んで欲しいなあ、と私は思うんだけど、世の中の大勢が要求しているのは、やはり「発見」の方の進歩なのだろうなあ。
でもどうしても、「それ違うんじゃね?」っていう疑念がどうしても消えないんだよなあ。
そんなに早く発見したいのかなあ、みんな。
あるいは死因を癌以外にしたいとか……。
俺にはまったくそんな願望ないんだけど。
そのうち一億総癌患者&予備軍っていう時代も、もう少しだな。
そうなる前に、俺はさっさと人生を“あがる”ことに決めてるんで、どーでもいいけど。
END
追伸
今も発展し、これからも発展を続けるであろう、インド、中国、ブラジルはむろんのこと、世界中のほとんどの国や地域では、癌検診なんてやってないんじゃないかね。ヨーロッパでも、フランス人やスペイン人が、癌検診の列に並んでいる姿を想像できないのだが、実際どうなんだろ。
なのにもし死因に占める癌の割合が、世界で日本が一番高かったりしたら、それこそかなりのブラックジョークだよね。で、癌の次が自殺だったりしたら、さすがにもう笑えない──。
『がん発見!最先端SP』
番組をご覧にならなかった方へその内容を説明すると、要するに、これまで見つからなかったような極小のがんも見つけることができますよ。さらにがんになるならないも遺伝診断でわかりますよ。というものだった。
私は変に長生きして、それこそガンやボケで苦しむよりは、心筋梗塞でぱったり逝こうと決めているので、最新のがん診断なんてのは正直どうでもいい情報なのだが、ちょっと論理的にそれはどうなのよ、と思わない点がなきにしもあらずだったので、ちょっとそれを考えてみたい。
まず、遺伝診断とかいうがん予測方法について。
これは、遺伝的に癌にならないタイプの人は、どうやっても癌にはならないということなのだろうか?
もしそうなら、それならそれで話はわかりやすい。
これまでいろいろ言われてきた、タバコだの酒だの焦げた肉だの放射線だのってのとは関係なく、遺伝のレベルで既に癌になるならないは決まっているのだってことになるんで、これはこれで非常にすっきりする。
でも司会者や解説ゲストの話ぶりだと、そういうことでもないみたいなように感じられた。
「癌になるタイプの人は、専門の医師に相談してください」みたいなことを言っていた。
ってことは、癌になるタイプの人も、癌になることを防げるというのだろうか? そんな方法あるのか? そんなのがあるなら、それこそ大ニュースだと思うのだが。
また逆に、癌にならないタイプの人にとって発ガン物質ってのはどういう位置づけになるのだろう?
そもそも遺伝で決まるなら、発ガン物質も何も関係ないと思うのだが……遺伝ってのはそういうものだし。
遺伝的に癌になるタイプであっても、また癌にならないタイプであっても、実際に癌になるかならないかは、その時になってみないとわかりません程度の結果しか得られないのなら、こういう「遺伝診断」は無用な不安と差別(結婚、就職、保険など)を生むだけだと思うので、私は(研究目的以外では)大反対であります。
またもう一つのテーマだった、極小の癌も見つけられる新技術って方も、クエスチョンマークがいくつもつく内容だった。
これはつまり、今現在行われているがん検診ってのは、実は効果がないんだよってことを言いたかったのだろうか?
番組では1ミリサイズでも発見できるって胸を張ってたけど、この方向の技術開発が進んでいけば、いずれは0・5ミリサイズとか、それ以下のサイズも発見できるってことになる。じゃあそうなったとき、今回の1ミリサイズでも発見可能な検査って、いったい何だったのってことになるじゃんか。
「わーそんなに小さな(1ミリとか、痰(たん)に混じっている剥離細胞レベルとか)がんも見つけられるんですか!」って歓声を上げたことの裏返しは、その最新技術よりは大きなサイズ──5ミリなのか1センチなのか2センチなのか知らないけど──までの癌しか発見できない今現在のがん検診には意味がないってことになるのに、それでいいのかNHK。漁網の目が粗いとか、空港で検査官がゲート三つおきにしか立っていないとか、つまりそういうことだよね、NHKさん。
っつうか、そもそも本当にそんなに極小サイズのポッチン(ポリープ、できもの)が、生命にかかわるような癌に成長するのかよって思うのだがどうなのだろう?
癌が、小さければ小さいほど治療できるとかっていう性質を持っている病気だっていうのなら、まあ可能な限り小さいサイズの癌を発見できるような技術を開発する理由もわかるけど、癌ってそういうものじゃないんじゃないの? 遺伝子レベルでの変異によって癌が生じるって理解してたけど、違うのか? 遺伝子レベルでの変異なんて、それこそ絶え間なくしょっちゅう起きているんだから、24時間毎日この遺伝診断をしてないと、結局いつか「発見漏れ」が出てくるよ。それともそういう問題じゃないのかなあ。
決定的な治療法がないのに、早期発見の方ばかりが進んでしまうと、それは結局、予備軍ばかり生産することになる。
極小サイズも発見できるってことは、素人ながら想像するにおそらく、発生した時点からの経過時間も短いということになるのではないだろうか。これは言いかえれば、例えばこれまでのがん検診が1年1回だとしたら、それでは間隔が開きすぎるということになる。いや、むしろもしこれまで通りの1年1回でいいのなら、この極小サイズ検診は必要ないことにもなりかねない。
今回の番組で紹介されていたような方向性の「健康観」というのは、どうも世の中を不健康にするように思えて仕方がない。
検診をする医療関係者以外は、誰も幸せにならないと私は確信……まではいかないけど、そんな気がするのだ。
遺伝レベルで、それこそ癌みたいに生死にかかわる病を判定するほど、遺伝子研究は進んでいない。
また、細胞分裂の異常なんてのは日常茶飯に生じているのに、それを、生活に何の不都合も生じていない段階で、自ら積極的に、また貴重な時間と資金を費やして、発見するための検診を受けることのどこらあたりに意味があるのだろう。
何もなくても、それは単に、その時受けた、その検査で、その瞬間だけは、それらしきものは発見できませんでしたよっていうだけの話でしかないのではないだろうか。だって、検査が終わったその直後には、また新しく細胞は分裂してるんだから。
「延々流れる荒川の水の太郎右衛門橋真下の部分を、ある一瞬だけ透視撮影して、それを詳細に分析できる技術を開発しました。2月4日の午後11時には、1ミリサイズのゴミも発見できませんでした。ですから荒川にゴミは一つもありません!」
そう言われて、
「ああよかった。これで荒川はもうゴミで汚れることはないわね」
とかって安心できますかってーの、とかって俺は思ってしまう。
でもきっと、俺は根本的なところで癌への認識を誤っているのだろうと思う。
そうじゃないと、NHKの『ためしてガッテン』が、あんなに大々的に紹介することを理解できないから。
にしてもやっぱり、癌が遺伝子レベルでの疾患だとしたら、1センチであっても1ミリであってもそれ以下であったとしても、大差ないと思うのだが、違うのかなあ。
それに、遺伝子の変異で発生する疾病なのに、遺伝子診断ができるってのもよくわからん。
「あなたは癌にならないタイプだったんですけど、突然変異でガンができてしまったんですね。こういうこともあるんです。可能性はゼロではないので」とかってのがアリだったりしたら、ホント、まったく意味ないじゃん。
まだ癌じゃない人に「あなたは将来癌になりますよ」とか「実はあなたはもう癌なんですよ」とか通知する方向じゃなくて、今現在既に癌となってしまった人を治療する方向とか、不安を軽減する方向の方の技術革新が進んで欲しいなあ、と私は思うんだけど、世の中の大勢が要求しているのは、やはり「発見」の方の進歩なのだろうなあ。
でもどうしても、「それ違うんじゃね?」っていう疑念がどうしても消えないんだよなあ。
そんなに早く発見したいのかなあ、みんな。
あるいは死因を癌以外にしたいとか……。
俺にはまったくそんな願望ないんだけど。
そのうち一億総癌患者&予備軍っていう時代も、もう少しだな。
そうなる前に、俺はさっさと人生を“あがる”ことに決めてるんで、どーでもいいけど。
END
追伸
今も発展し、これからも発展を続けるであろう、インド、中国、ブラジルはむろんのこと、世界中のほとんどの国や地域では、癌検診なんてやってないんじゃないかね。ヨーロッパでも、フランス人やスペイン人が、癌検診の列に並んでいる姿を想像できないのだが、実際どうなんだろ。
なのにもし死因に占める癌の割合が、世界で日本が一番高かったりしたら、それこそかなりのブラックジョークだよね。で、癌の次が自殺だったりしたら、さすがにもう笑えない──。
2011年1月30日日曜日
アジアカップ日本優勝!
アジアカップ決勝点のシーン
0050 長友選手は、サイドタッチラインの外へ出て、視野の確保と、体の向きと、キッカーへのパスコーススペースと、自分がトラップするスペースを作り出している。もしラインの内側1メートルくらいの場所で、真後ろを向いていたら、キッカーはパスをあきらめたかもしれない。また、仮にパスが通ったとしても、トラップは後方へしかできず、オーストラリアの2人につめられ、中へのパスコースもない状況でのバックパスも、キッカー横にいるオーストラリアの3人目にカットされていただろう。
0052 横向きの体勢をとっていたおかげで、トラップと同時に中の状況を確認できている。ゴール前には得点した李選手と、そのマーカー1人しかいない。二人の周囲がガラガラであるイメージが、長友選手にも見えたはずだ。
0053 長友選手お得意の「晒(さら)し」からの抜けだし。ボールを相手の面前(めんぜん)へ晒(さら)すことで、相手の体の向きを変えさせて、スタートを遅らせるプレー。これを成功させるポイントは、走力ではなく、相手との間隔。近すぎるよりは「遠いかな」「早いかな」と思うくらいのタイミングの方がいい。
それと面白いのが、李のマーク役であるオージービーフ。自分のマーカーを一度も振り返ることなく、ゴールニアサイドのスペースを埋めに移動している。おそらくニアへ飛び込む岡崎選手のイメージや、韓国戦での同点弾(前田選手)の情報に釣られたのだろう。日本のセンタリングはニアへの低いボールというデータがあったとしか思えない。そうじゃなかったとしたら、このオージービーフは、ゴールポスト横の水を飲みに行ったか、だ。ペナルティエリア際にいるオージーも、ぼーっとしたまま。このオージーは、長友選手の突破が始まる前から、ずっとぼーっとしてる。「オージーシンジ君」と命名。
0056 見事なボレーシュート! 結果がすべてのストライカー。すばらしい。
【最もすばらしい判断・プレー】
長友選手が突破に時間をかけなかったことだろう。そしてセンタリングまで一気に行っている(チラ見して決断した後は、蹴る直前に中の状況を再確認もしていない。このことも、オーストラリアDFにニアへの「思い込み」をさせた要因だろうと思われる。意図的にそれを狙ったのかどうかは聞いてみなければわからないが……)。
この状況は、例えばテレビ解説者なら「あ~中が少ない。もう一枚いないとだめだ」とか「中がいないのにただ上げるのは、モタイナイですね。中がいないのにセンタリングしてもハイラナイですね。モタイナイ」とか責められる形。でも長友選手は、他の味方が上がってくる時間をかせぐよりも、オージービーフの守備体制が立て直される前のタイミングを選んだ。これはまさに「決断」だ。
繰り返すが、もしセンタリングが中の李選手に合っていなかったら(抜けるとか、後ろに反れるとか)、間違いなく長友選手はマイナス評価となる状況でもあったのだ。この中での決断を迷いなく下せたことは、イタリアでの成長の証だと思う。
また、もしニアでクリアされてたとしたら「ニア! ニア! ニアにつめないと! 逃げちゃだめだ!」「オーストラリアDFは大きいですから、後ろで待っていてもボールが来る可能性はナイデスネ」などと、今度は李選手が非難されてたに違いない。
結果をそのまま見ているだけでは、サッカーはもったいない。
噛めば噛むほど旨味が出てくる、それが“サッカー”という世界だ。
サッカーという競技が、競技の性格として野球やアメリカンフットボール等と大きく異なるのが、「確率による分析が当てはまらない」点だ。
このシーンにしても、ゴール前には体の大きな敵が複数いるのに味方は一人きり、という状況でハイボールからのシュートを狙うという判断は、確率論から言えば無謀な部類に入るだろう。まして、疲労がたまっている時間に左足でのセンタリングなのだ。
だが見事なボレーシュートが決まり、試合はオーストラリアが負け、アジアカップは日本代表の手によって掲げられた。
これがサッカーなのだ。
最後に、日本代表へ。
アジアカップの優勝おめでとう。
やったね~!!!!
ヤッホーのホー!
うっひょーのひょー!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
も一度万歳三唱!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
も一度万歳三唱!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
も一度万歳三唱!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
も一度万歳三唱!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
最後におまけで、も一度万歳!
バンザ~~~~~イ!
おわり
0050 長友選手は、サイドタッチラインの外へ出て、視野の確保と、体の向きと、キッカーへのパスコーススペースと、自分がトラップするスペースを作り出している。もしラインの内側1メートルくらいの場所で、真後ろを向いていたら、キッカーはパスをあきらめたかもしれない。また、仮にパスが通ったとしても、トラップは後方へしかできず、オーストラリアの2人につめられ、中へのパスコースもない状況でのバックパスも、キッカー横にいるオーストラリアの3人目にカットされていただろう。
0052 横向きの体勢をとっていたおかげで、トラップと同時に中の状況を確認できている。ゴール前には得点した李選手と、そのマーカー1人しかいない。二人の周囲がガラガラであるイメージが、長友選手にも見えたはずだ。
0053 長友選手お得意の「晒(さら)し」からの抜けだし。ボールを相手の面前(めんぜん)へ晒(さら)すことで、相手の体の向きを変えさせて、スタートを遅らせるプレー。これを成功させるポイントは、走力ではなく、相手との間隔。近すぎるよりは「遠いかな」「早いかな」と思うくらいのタイミングの方がいい。
それと面白いのが、李のマーク役であるオージービーフ。自分のマーカーを一度も振り返ることなく、ゴールニアサイドのスペースを埋めに移動している。おそらくニアへ飛び込む岡崎選手のイメージや、韓国戦での同点弾(前田選手)の情報に釣られたのだろう。日本のセンタリングはニアへの低いボールというデータがあったとしか思えない。そうじゃなかったとしたら、このオージービーフは、ゴールポスト横の水を飲みに行ったか、だ。ペナルティエリア際にいるオージーも、ぼーっとしたまま。このオージーは、長友選手の突破が始まる前から、ずっとぼーっとしてる。「オージーシンジ君」と命名。
0056 見事なボレーシュート! 結果がすべてのストライカー。すばらしい。
【最もすばらしい判断・プレー】
長友選手が突破に時間をかけなかったことだろう。そしてセンタリングまで一気に行っている(チラ見して決断した後は、蹴る直前に中の状況を再確認もしていない。このことも、オーストラリアDFにニアへの「思い込み」をさせた要因だろうと思われる。意図的にそれを狙ったのかどうかは聞いてみなければわからないが……)。
この状況は、例えばテレビ解説者なら「あ~中が少ない。もう一枚いないとだめだ」とか「中がいないのにただ上げるのは、モタイナイですね。中がいないのにセンタリングしてもハイラナイですね。モタイナイ」とか責められる形。でも長友選手は、他の味方が上がってくる時間をかせぐよりも、オージービーフの守備体制が立て直される前のタイミングを選んだ。これはまさに「決断」だ。
繰り返すが、もしセンタリングが中の李選手に合っていなかったら(抜けるとか、後ろに反れるとか)、間違いなく長友選手はマイナス評価となる状況でもあったのだ。この中での決断を迷いなく下せたことは、イタリアでの成長の証だと思う。
また、もしニアでクリアされてたとしたら「ニア! ニア! ニアにつめないと! 逃げちゃだめだ!」「オーストラリアDFは大きいですから、後ろで待っていてもボールが来る可能性はナイデスネ」などと、今度は李選手が非難されてたに違いない。
結果をそのまま見ているだけでは、サッカーはもったいない。
噛めば噛むほど旨味が出てくる、それが“サッカー”という世界だ。
サッカーという競技が、競技の性格として野球やアメリカンフットボール等と大きく異なるのが、「確率による分析が当てはまらない」点だ。
このシーンにしても、ゴール前には体の大きな敵が複数いるのに味方は一人きり、という状況でハイボールからのシュートを狙うという判断は、確率論から言えば無謀な部類に入るだろう。まして、疲労がたまっている時間に左足でのセンタリングなのだ。
だが見事なボレーシュートが決まり、試合はオーストラリアが負け、アジアカップは日本代表の手によって掲げられた。
これがサッカーなのだ。
最後に、日本代表へ。
アジアカップの優勝おめでとう。
やったね~!!!!
ヤッホーのホー!
うっひょーのひょー!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
も一度万歳三唱!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
も一度万歳三唱!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
も一度万歳三唱!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
も一度万歳三唱!
バンザ~イ! バンザ~イ! バンザ~イ!
最後におまけで、も一度万歳!
バンザ~~~~~イ!
おわり
2011年1月10日月曜日
不摂生が招いた凋落
サッカー=ロナウジーニョ、不摂生が招いた早過ぎる凋落
[ミラノ 6日 ロイター]
かつて時代を代表する偉大なサッカー選手の一人だったロナウジーニョが、母国ブラジルに戻ることとなった。華麗なステップやオーバーヘッドキックという代名詞が、いつしか夜遊びや太り過ぎに取って代わった末の退団劇だった。
ミランとの契約をあと6カ月あまり残しながらクラブを去るロナウジーニョは、故郷のグレミオ(ブラジル)など複数のクラブと接触中と報じられている。だがそうしたクラブは普通なら盛りを過ぎた選手がキャリアの最後にプレーするところであり、30歳という年齢で選ぶ場所ではない。
ロナウジーニョはブラジル代表の一員として2002年ワールドカップ(W杯)を制覇。その準々決勝のイングランド戦で決めたフリーキックは伝説となり、当時在籍していたパリ・サンジェルマン(フランス)からバルセロナ(スペイン)に移る前には、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)からも熱心な勧誘を受けた。
ポニーテールと笑顔、そして優れたボールコントロール力は世界的な人気を博し、2004年から2年連続でFIFA選出の世界年間最優秀選手賞に輝いたリロナウジーニョ。2006年にはバルセロナで欧州チャンピオンズリーグを制覇し、2008年に1900万ユーロ(約20億4000万円)という巨額の移籍金でACミラン(イタリア)に移籍した。
ミラン移籍1年目のシーズンには国内リーグのライバル、インテルとのダービーマッチで決勝ゴールを決めたロナウジーニョだが、当時の指揮官カルロ・アンチェロッティ氏(現チェルシー監督)は、同選手のプレーには当時から落ち目の兆候が出ていたと証言している。
ブラジル代表の先輩FWロナウドがそうであったように、ロナウジーニョは移籍前のバルセロナで見せていた輝きを、ミランのファンには3シーズンの在籍中、ほんのわずかしか見せられなかった。
練習に専念せず、早い時間帯から盛り場に姿を現す場面も数多く目撃されていたロナウジーニョには、クラブも愛想を尽かした。今季から指揮官に就任したマッシミリアーノ・アッレグリ監督は、シーズン前半のほとんどの試合で同選手を先発から外した。
アッレグリ監督は「ロナウジーニョほどの逸材を失うのは誰にとっても残念なことだが、母国へ帰るという人生の決断をしたのは本人だ」と、突き放すように語っている。
------------------------------------------------
実際のところはどうなのだろう?
「不摂生」のせいにしたいのは、ロナウジーニョ本人なのではないだろうか。
『認知的不協和』
手が届かない高い木の枝にブドウを見つけたキツネが「どうせあのブドウは酸っぱくてまずい」と、ブドウをあきらめて立ち去ってしまうイソップ物語に見られるような、感情の合理化のこと。
この童話は、ブドウをあきらめたという自分の過去の行動を正当化するために、「ブドウはまずい」と好みが変化することを示している。
このような現象は「認知的不協和」という概念で説明されてきた。
自分の過去の行動と自分の好みが一貫していない場合に、「認知的不協和」という不快な感情状態が引き起こされ、それを低減するために自分の好みを変化させると考えられている。つまり、「好きだから買う」や「嫌いだから買わない」ではなく、「買ったから好き」や「買わなかったから嫌い」というように、心の方が実態に合わせて、無意識のうちに変化するようなことをいう。
ことわざの「あばたもえくぼ」や「住めば都」も、この類(たぐい)かもしれない。
ロナウジーニョは、自分のプレーのイメージと実態とに差を感じ、それを不快に思っていた。そしてその不快さから逃れるため、「不摂生」という「理由付け」を必要としたのかも知れない。
認知的不協和が起きていることに、本人が気づくことはない。
何年も経ち、若かりし日を思い返したとき「あのときにああしていればよかった」とか「あの頃にもっとがんばっていればよかった」などと思うのである。
思春期を迎えた子供たちを指導、導く立場にある大人は、その子の中でどのような認知的不協和が生じているのかを読み取ることで、効果的に成果を得させるヒントを見いだせるに違いない。
世間で、名教師だとか、名カウンセラーと呼ばれている人たちも、必ずこの認知的不協和を意識して、対象と接しているはずだ。
こうした海外ニュースからでもちょっと視点を変えれば学ぶべき点は多々あるものなのだ。
おわり
[ミラノ 6日 ロイター]
かつて時代を代表する偉大なサッカー選手の一人だったロナウジーニョが、母国ブラジルに戻ることとなった。華麗なステップやオーバーヘッドキックという代名詞が、いつしか夜遊びや太り過ぎに取って代わった末の退団劇だった。
ミランとの契約をあと6カ月あまり残しながらクラブを去るロナウジーニョは、故郷のグレミオ(ブラジル)など複数のクラブと接触中と報じられている。だがそうしたクラブは普通なら盛りを過ぎた選手がキャリアの最後にプレーするところであり、30歳という年齢で選ぶ場所ではない。
ロナウジーニョはブラジル代表の一員として2002年ワールドカップ(W杯)を制覇。その準々決勝のイングランド戦で決めたフリーキックは伝説となり、当時在籍していたパリ・サンジェルマン(フランス)からバルセロナ(スペイン)に移る前には、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)からも熱心な勧誘を受けた。
ポニーテールと笑顔、そして優れたボールコントロール力は世界的な人気を博し、2004年から2年連続でFIFA選出の世界年間最優秀選手賞に輝いたリロナウジーニョ。2006年にはバルセロナで欧州チャンピオンズリーグを制覇し、2008年に1900万ユーロ(約20億4000万円)という巨額の移籍金でACミラン(イタリア)に移籍した。
ミラン移籍1年目のシーズンには国内リーグのライバル、インテルとのダービーマッチで決勝ゴールを決めたロナウジーニョだが、当時の指揮官カルロ・アンチェロッティ氏(現チェルシー監督)は、同選手のプレーには当時から落ち目の兆候が出ていたと証言している。
ブラジル代表の先輩FWロナウドがそうであったように、ロナウジーニョは移籍前のバルセロナで見せていた輝きを、ミランのファンには3シーズンの在籍中、ほんのわずかしか見せられなかった。
練習に専念せず、早い時間帯から盛り場に姿を現す場面も数多く目撃されていたロナウジーニョには、クラブも愛想を尽かした。今季から指揮官に就任したマッシミリアーノ・アッレグリ監督は、シーズン前半のほとんどの試合で同選手を先発から外した。
アッレグリ監督は「ロナウジーニョほどの逸材を失うのは誰にとっても残念なことだが、母国へ帰るという人生の決断をしたのは本人だ」と、突き放すように語っている。
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実際のところはどうなのだろう?
「不摂生」のせいにしたいのは、ロナウジーニョ本人なのではないだろうか。
『認知的不協和』
手が届かない高い木の枝にブドウを見つけたキツネが「どうせあのブドウは酸っぱくてまずい」と、ブドウをあきらめて立ち去ってしまうイソップ物語に見られるような、感情の合理化のこと。
この童話は、ブドウをあきらめたという自分の過去の行動を正当化するために、「ブドウはまずい」と好みが変化することを示している。
このような現象は「認知的不協和」という概念で説明されてきた。
自分の過去の行動と自分の好みが一貫していない場合に、「認知的不協和」という不快な感情状態が引き起こされ、それを低減するために自分の好みを変化させると考えられている。つまり、「好きだから買う」や「嫌いだから買わない」ではなく、「買ったから好き」や「買わなかったから嫌い」というように、心の方が実態に合わせて、無意識のうちに変化するようなことをいう。
ことわざの「あばたもえくぼ」や「住めば都」も、この類(たぐい)かもしれない。
ロナウジーニョは、自分のプレーのイメージと実態とに差を感じ、それを不快に思っていた。そしてその不快さから逃れるため、「不摂生」という「理由付け」を必要としたのかも知れない。
認知的不協和が起きていることに、本人が気づくことはない。
何年も経ち、若かりし日を思い返したとき「あのときにああしていればよかった」とか「あの頃にもっとがんばっていればよかった」などと思うのである。
思春期を迎えた子供たちを指導、導く立場にある大人は、その子の中でどのような認知的不協和が生じているのかを読み取ることで、効果的に成果を得させるヒントを見いだせるに違いない。
世間で、名教師だとか、名カウンセラーと呼ばれている人たちも、必ずこの認知的不協和を意識して、対象と接しているはずだ。
こうした海外ニュースからでもちょっと視点を変えれば学ぶべき点は多々あるものなのだ。
おわり
2010年12月22日水曜日
2010年12月9日木曜日
エネルギータンクはひとつきり。心も体も、同じタンクを使ってる。
2010年 平成22年 12月2日(木)
朝日新聞×モーニング コラボ企画
40歳の教科書2 自分の人生を見つめ直す
メンタルレスキューインストラクター
陸上自衛隊コンバットストレスコントロール教官
下園壮太(しもぞの そうた)
1959年生まれ。『今度こそ、「うつ」から抜け出す本』大和出版。他。
若いころの自分を捨て「大人」のうつ対策を
「うつって、結局なんですか?」
これは、私がよく受ける質問です。
ぼんやりしたイメージはあるけれど、具体的な原因や症状はよくわからない。
きっとみなさんも同じ思いではないでしょうか。
結論から述べましょう。
うつとは「人が疲労しきった状態」のことである。
近年急増しているうつについて、私の答えはこのひと言に尽きます。
心が弱いとか、根性が足りないとか、そんなことはまったく関係ありません。
じゃあ「疲労しきった状態」とは、具体的にどんな状態なのか。
これは生きるためのエネルギーが空っぽになった状態だと思ってください。
休むことなく走り続けていたら、いつしかエネルギーが枯渇してしまいます。
このとき、心と体が緊急モードに切り替わり、悲しみや不安、怒りなどさまざまな感情を同時多発的に発動させる。
それがうつです。
悲しくもないのに涙が出たり、疲れているのに不安でそわそわしたり、わずかなことで激高したりと、自分の感情をコントロールできなくなる。
当然、エネルギー不足なので意欲もわきません。
そして疲労を考えるとき、大切なのは「エネルギーのタンクはひとつしかない」という認識です。
つまり、心も体も同じタンクからエネルギーを使っている。
一般に、うつとは精神が消耗して起こるものだと思われがちですが、肉体的な消耗も大きく関係しているのです。
これは40代のうつを考える上で、非常に大きなポイントとなってきます。
◆うつは「心の風邪」でなく 「心の骨折」だと考える
40代といえば仕事も増え、責任も増し、なにかとストレスの多くなる年代です。
しかも晩婚化が進んだ現在、子育てがもっとも大変な時期もここに重なる。
にもかかわらず、体力は確実に落ちてくる。
求められる仕事の量と体力とが、明らかに不釣り合いなのです。
近年、30代から40代にかけてのうつが急増していますが、私はこれを「35歳クライシス」と呼んでいます。
うつの原因究明と治療は、心と体の両面から考えていかなければなりません。
困難にぶつかったとき「我慢するんだ」「人に頼っちゃダメだ」「なんでも完璧にやらなきゃ」と頑張っていけるのは、体力にあふれた10代や20代までの話です。
もう少し大人になったら、我慢をせずに人の助けを借りて、完璧を目指さず、行き詰まったら別の道を探すこと。
これは逃げでも妥協でもありません。
人生をうまく乗り切る力こそ、大人たちに求められる「強さ」なのです。
特に、これまで気合いや根性を大事にしてきた「心の強い人」は、意識的な切り替えが必要になります。
また、うつ状態のことを「心の風邪」と呼ぶことがありますが、これは誤解を招きかねない表現でしょう。
うつは風邪ほどたやすく治るものではありません。
私はうつ状態とは「心の骨折」だと考えています。
骨折した野球選手が退院後に1シーズンかけてリハビリするように、1年単位での復調を目標にする。
焦る気持ち、休むことへの罪悪感もあるでしょう。
でも、骨がくっつかないままグラウンドへ出ても、また骨折してしまいますよね。
「大人の心」を鍛えるいい機会だと思って、時間をかけたリハビリに取り組みましょう。
(談)
------------------------------------
このコラムでは、2つ「なるほど」と思った箇所がありました。
ひとつは「エネルギータンク」の箇所、もうひとつは「求められる『強さ』=うまく乗り切る力」という箇所です。
前者は、練習や試合、大会へのモチベーションの持って行き方、調子の波の作り方を考えるとき、とても参考になるでしょう。
後者は、まさしくサッカーのゲームにおける、判断の基本そのものです。
「我慢をせずに人の助けを借りて、完璧を目指さず、行き詰まったら別の道を探すこと。これは逃げでも妥協でもありません。」
子供たちがこの意識を持ってゲームにのぞむことができるようになれば、その選手のスキルアップの速度は格段に上昇するでしょう。
子供にもよくわかる表現へ書き直して、子供たちひとりひとりにプレゼントしてあげて欲しいと思うくらい、的確に、ポイントをまとめた文章だと思います。
いまのバルサのサッカーなんて、本当にこのままです。
こういうコラムと出会うと、サッカーの知識を得たいからと言って、サッカーの本ばかり読んでいるのは、かえって遠回りなのかもしれないなあって思います。
サッカーの本やコラムを読んでいるだけでは、おそらくこの2つの表現を知ることはなかったでしょうから。
子供たちにも、サッカーとDSばっかやってるんじゃなくて、いろんな本を読め。特に昔の児童小説を読め。と薦めたいなあ。
以上
朝日新聞×モーニング コラボ企画
40歳の教科書2 自分の人生を見つめ直す
メンタルレスキューインストラクター
陸上自衛隊コンバットストレスコントロール教官
下園壮太(しもぞの そうた)
1959年生まれ。『今度こそ、「うつ」から抜け出す本』大和出版。他。
若いころの自分を捨て「大人」のうつ対策を
「うつって、結局なんですか?」
これは、私がよく受ける質問です。
ぼんやりしたイメージはあるけれど、具体的な原因や症状はよくわからない。
きっとみなさんも同じ思いではないでしょうか。
結論から述べましょう。
うつとは「人が疲労しきった状態」のことである。
近年急増しているうつについて、私の答えはこのひと言に尽きます。
心が弱いとか、根性が足りないとか、そんなことはまったく関係ありません。
じゃあ「疲労しきった状態」とは、具体的にどんな状態なのか。
これは生きるためのエネルギーが空っぽになった状態だと思ってください。
休むことなく走り続けていたら、いつしかエネルギーが枯渇してしまいます。
このとき、心と体が緊急モードに切り替わり、悲しみや不安、怒りなどさまざまな感情を同時多発的に発動させる。
それがうつです。
悲しくもないのに涙が出たり、疲れているのに不安でそわそわしたり、わずかなことで激高したりと、自分の感情をコントロールできなくなる。
当然、エネルギー不足なので意欲もわきません。
そして疲労を考えるとき、大切なのは「エネルギーのタンクはひとつしかない」という認識です。
つまり、心も体も同じタンクからエネルギーを使っている。
一般に、うつとは精神が消耗して起こるものだと思われがちですが、肉体的な消耗も大きく関係しているのです。
これは40代のうつを考える上で、非常に大きなポイントとなってきます。
◆うつは「心の風邪」でなく 「心の骨折」だと考える
40代といえば仕事も増え、責任も増し、なにかとストレスの多くなる年代です。
しかも晩婚化が進んだ現在、子育てがもっとも大変な時期もここに重なる。
にもかかわらず、体力は確実に落ちてくる。
求められる仕事の量と体力とが、明らかに不釣り合いなのです。
近年、30代から40代にかけてのうつが急増していますが、私はこれを「35歳クライシス」と呼んでいます。
うつの原因究明と治療は、心と体の両面から考えていかなければなりません。
困難にぶつかったとき「我慢するんだ」「人に頼っちゃダメだ」「なんでも完璧にやらなきゃ」と頑張っていけるのは、体力にあふれた10代や20代までの話です。
もう少し大人になったら、我慢をせずに人の助けを借りて、完璧を目指さず、行き詰まったら別の道を探すこと。
これは逃げでも妥協でもありません。
人生をうまく乗り切る力こそ、大人たちに求められる「強さ」なのです。
特に、これまで気合いや根性を大事にしてきた「心の強い人」は、意識的な切り替えが必要になります。
また、うつ状態のことを「心の風邪」と呼ぶことがありますが、これは誤解を招きかねない表現でしょう。
うつは風邪ほどたやすく治るものではありません。
私はうつ状態とは「心の骨折」だと考えています。
骨折した野球選手が退院後に1シーズンかけてリハビリするように、1年単位での復調を目標にする。
焦る気持ち、休むことへの罪悪感もあるでしょう。
でも、骨がくっつかないままグラウンドへ出ても、また骨折してしまいますよね。
「大人の心」を鍛えるいい機会だと思って、時間をかけたリハビリに取り組みましょう。
(談)
------------------------------------
このコラムでは、2つ「なるほど」と思った箇所がありました。
ひとつは「エネルギータンク」の箇所、もうひとつは「求められる『強さ』=うまく乗り切る力」という箇所です。
前者は、練習や試合、大会へのモチベーションの持って行き方、調子の波の作り方を考えるとき、とても参考になるでしょう。
後者は、まさしくサッカーのゲームにおける、判断の基本そのものです。
「我慢をせずに人の助けを借りて、完璧を目指さず、行き詰まったら別の道を探すこと。これは逃げでも妥協でもありません。」
子供たちがこの意識を持ってゲームにのぞむことができるようになれば、その選手のスキルアップの速度は格段に上昇するでしょう。
子供にもよくわかる表現へ書き直して、子供たちひとりひとりにプレゼントしてあげて欲しいと思うくらい、的確に、ポイントをまとめた文章だと思います。
いまのバルサのサッカーなんて、本当にこのままです。
こういうコラムと出会うと、サッカーの知識を得たいからと言って、サッカーの本ばかり読んでいるのは、かえって遠回りなのかもしれないなあって思います。
サッカーの本やコラムを読んでいるだけでは、おそらくこの2つの表現を知ることはなかったでしょうから。
子供たちにも、サッカーとDSばっかやってるんじゃなくて、いろんな本を読め。特に昔の児童小説を読め。と薦めたいなあ。
以上
2010年12月8日水曜日
まずは転ばせてから
2010年 平成22年 12月2日(木)
朝日新聞×モーニング コラボ企画
40歳の教科書2 自分の人生を見つめ直す
NPO法人 自殺対策支援センター「ライフリンク」代表
清水康之(しみず やすゆき)
1972年生まれ。2004年「ライフリンク」設立。
ひとごとと決め込まずに「もしや」の気持ちを
現在、日本の自殺者は12年連続で3万人を超えています(※)。
これは、毎日100人近い方々が自ら命を絶っている計算です。
しかも、未遂者はその10倍はいるとされている。
想像してください。
この国のどこかで、今日も1000人もの方々が自殺を図っているのだと。
我々はそんな社会に生きているのです。
我々ライフリンクでは、自殺者のご遺族への支援活動も行っているのですが、みなさん口をそろえて使う言葉が「まさか」です。
まさか自分の家族が、まさかお父さんが、まさかあの人が自殺するとは思わなかった、と。
私が数字を強調する理由はここにあります。
現実として年間3万人以上が自殺でなくなっている。
しかも、20代と30代の死因第1位は、事故でも病気でもなく自殺です(※)。
この現実をしっかり受けとめて、自殺に対する「まさか」を「もしかしたら」に変えてほしいのです。
また、40歳という流れでいえば、自殺者全体の4割が40~60歳の男性、つまり父親世代です(※)。
この世代の男性は、どうしても「悩みの吐露=弱さの表れ」と考えてしまい、周囲に悩みを打ち明けることが苦手です。
このとき大切なのは、近くにいる人が先に悩みを打ち明けること。
その人との関係のなかに「弱音を吐いていいんだ」「何でも相談していいんだ」という空気をつくることです。
そうすれば、相手も悩みを打ち明けやすくなるでしょう。
私はアメリカで4年間生活しましたが、彼らは道ばたで子どもが転びそうになっても、そのまま転ばせます。
そして立ち上がるときに、手を差し伸べる。
一方、日本では転ぶ前から手を差し伸べてしまいがち。
いちばん大事な「立ち上がり方」を教えないわけです。
いざ転んでしまったとき、対処法がわからないのも当然でしょう。
もっと失敗に寛容な、「立ち上がる力」をサポートする社会になるべきだと思います。
◆悩みはひとつじゃない 複合的な悩みへの対策を
自殺というと、悩みを誰にも相談できないまま死に至る、というイメージがあるかもしれません。
しかし、実際には自殺者の72%が自殺を図る前に、何らかの専門機関に相談しています。
にもかかわらず、自殺を止められない。
我々は500人以上の自殺者について綿密な調査を行い、専門家の協力を得ながら、自殺に至るまでのプロセスを分析していきました。
その結果、人は平均して四つの要因が重なって自殺に追い込まれていることがわかりました。
たとえば「失業+生活苦+多重債務+うつ病」というように、決してひとつの理由で自殺するわけじゃない。
こうなると、仮にひとつの問題が解決しても、あとの三つは残ったままで、その人を自殺の危機から完全に救うことはできません。
日本には、失業や借金、うつ病などの相談を受けつける専門機関はたくさんあるのですが、それぞれがバラバラで、うまく連携できていないことに問題があります。
そこで我々は「ライフリンクDB(http://lifelink-db.org/)」という総合検索サイトを作成しました。
さまざまな悩みについて、どこで相談を受けつけているか、所在地や条件ごとに検索・表示してくれるサイトです。
携帯電話からもアクセスできるので、ぜひ活用してください。 (談)
※出典 平成22年版自殺対策白書
---------------------------------------------
太字にしたところは、少年サッカーでの育成にも応用できる考えかただと思うんだよね。
いい教師とは、正解を教えるんじゃなく、いい質問のできる教師のこと、だというのが欧米の考え方。
日本の指導者でも常識になって欲しいと思ってます。
以上
朝日新聞×モーニング コラボ企画
40歳の教科書2 自分の人生を見つめ直す
NPO法人 自殺対策支援センター「ライフリンク」代表
清水康之(しみず やすゆき)
1972年生まれ。2004年「ライフリンク」設立。
ひとごとと決め込まずに「もしや」の気持ちを
現在、日本の自殺者は12年連続で3万人を超えています(※)。
これは、毎日100人近い方々が自ら命を絶っている計算です。
しかも、未遂者はその10倍はいるとされている。
想像してください。
この国のどこかで、今日も1000人もの方々が自殺を図っているのだと。
我々はそんな社会に生きているのです。
我々ライフリンクでは、自殺者のご遺族への支援活動も行っているのですが、みなさん口をそろえて使う言葉が「まさか」です。
まさか自分の家族が、まさかお父さんが、まさかあの人が自殺するとは思わなかった、と。
私が数字を強調する理由はここにあります。
現実として年間3万人以上が自殺でなくなっている。
しかも、20代と30代の死因第1位は、事故でも病気でもなく自殺です(※)。
この現実をしっかり受けとめて、自殺に対する「まさか」を「もしかしたら」に変えてほしいのです。
また、40歳という流れでいえば、自殺者全体の4割が40~60歳の男性、つまり父親世代です(※)。
この世代の男性は、どうしても「悩みの吐露=弱さの表れ」と考えてしまい、周囲に悩みを打ち明けることが苦手です。
このとき大切なのは、近くにいる人が先に悩みを打ち明けること。
その人との関係のなかに「弱音を吐いていいんだ」「何でも相談していいんだ」という空気をつくることです。
そうすれば、相手も悩みを打ち明けやすくなるでしょう。
私はアメリカで4年間生活しましたが、彼らは道ばたで子どもが転びそうになっても、そのまま転ばせます。
そして立ち上がるときに、手を差し伸べる。
一方、日本では転ぶ前から手を差し伸べてしまいがち。
いちばん大事な「立ち上がり方」を教えないわけです。
いざ転んでしまったとき、対処法がわからないのも当然でしょう。
もっと失敗に寛容な、「立ち上がる力」をサポートする社会になるべきだと思います。
◆悩みはひとつじゃない 複合的な悩みへの対策を
自殺というと、悩みを誰にも相談できないまま死に至る、というイメージがあるかもしれません。
しかし、実際には自殺者の72%が自殺を図る前に、何らかの専門機関に相談しています。
にもかかわらず、自殺を止められない。
我々は500人以上の自殺者について綿密な調査を行い、専門家の協力を得ながら、自殺に至るまでのプロセスを分析していきました。
その結果、人は平均して四つの要因が重なって自殺に追い込まれていることがわかりました。
たとえば「失業+生活苦+多重債務+うつ病」というように、決してひとつの理由で自殺するわけじゃない。
こうなると、仮にひとつの問題が解決しても、あとの三つは残ったままで、その人を自殺の危機から完全に救うことはできません。
日本には、失業や借金、うつ病などの相談を受けつける専門機関はたくさんあるのですが、それぞれがバラバラで、うまく連携できていないことに問題があります。
そこで我々は「ライフリンクDB(http://lifelink-db.org/)」という総合検索サイトを作成しました。
さまざまな悩みについて、どこで相談を受けつけているか、所在地や条件ごとに検索・表示してくれるサイトです。
携帯電話からもアクセスできるので、ぜひ活用してください。 (談)
※出典 平成22年版自殺対策白書
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太字にしたところは、少年サッカーでの育成にも応用できる考えかただと思うんだよね。
いい教師とは、正解を教えるんじゃなく、いい質問のできる教師のこと、だというのが欧米の考え方。
日本の指導者でも常識になって欲しいと思ってます。
以上
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