2011年2月28日月曜日

「考えてプレーしろ」を禁句にしよう。

「考えてプレーしろ」を禁句にしよう。




人間は“言語”を獲得したがために、まるで思考が行動を支配しているような錯覚に陥ってるけど、実態は言語を持たない他の動物同様に、行動は思考に独立しているんっすよね。いやむしろ、思考も行動の一部なのだというのが実際のところって感じっすか。

それなりにでもぉ、そこそこ説明しようとするとぉ、長くなるんでぇ、さわりだけをざっくり言えばぁ────


脳が神経細胞のかたまりであって、そこで行われているのは、化学反応を伴う微弱電気信号のやり取りでしかないのだから、そこに“言語”が先行する道理はないということだ。

思考が成立する順番は、思考→行動→記憶ではなくて、行動→思考→記憶が正解。
行動を合理的に理由付け(つまりこれが思考)することで記憶を節約しているのだ。



以上の理屈が理解できれば、特に育成段階において、「考えて」→「プレーする」という順番よりも、「プレーする」→「考える」という順序でトレーニングを構成する方が、子供たちの脳を混乱させることなく効率的に経験を積ませることができることがわかると思う。

私がおすすめしたいのは、『白紙に好きな絵を描いてごらん』式の指導ではなく、『楽しそうな動物園の絵を描いてごらん』式の指導だ。


ただそう言われただけじゃあ「なんじゃそりゃ」と思うのも当たり前なので、例をあげてみる。
たとえばゴール前のシーンを設定してのトレーニングで、

【フリーな味方にパスをしろ】

じゃあなくて

【☆~ゴールから最も近い味方にパスをしろ~☆】

と条件を設定するのだ。
そしてその結果について、子供らに考えさせる。

DFにしてみれば、最も危険な選手からチェックして行くのだから、フリーでいる選手というのは、DFの視点に立ってみれば最も危険度の低い選手だということになる。
よって、理屈から言っても、ゴール前でのラストパスは、本来、ゴールに近い選手へのパスを狙うべきなのだ。
もし通れば、得点可能性は他とは比較にならない。相手DFも、すでに寄せている選手へさらに寄せることは、ファールになるリスクが高まるので難しい判断を求められることになる。対してフリーな選手へパスが向かった場合は、思い切ってチェックに行くことができる。
ボールを受けた側にしてみれば矢が一斉に飛んでくるようなものだ。そのプレッシャーの中で、ゴールを決めることは相当に困難だろう。その際のスキルアップ指導では、ピッタリついてくる相手の動きはかえって読みやすいのだ、という体験を実感させることにポイントを置きたい。

その辺のことを頭に入れた上で、子供たちにプレーの結果について考えさせるような声かけ(唯一の正解を詰め込むことじゃない)をすることがコーチの仕事なのだと私は確信している。







ゴール前での『間違った法則』にはこんなものもあるので、参考にして欲しい。


× 【トラップからシュートまでは早くしろ~】
○ 【☆~トラップではボールをコントロールすることが最優先~☆】


× 【シュートはゴールの枠を狙って打て】
○ 【☆~シュートはキーパーのいないところを通せばいい~☆】


× 【攻撃はシュートで終われ】
○ 【☆~シュートの当事者以外は、シュートのことを考えるな~☆】

サッカーに攻守の別はない。
味方がシュートしそうだからといって、自分まで攻撃しているつもりになっていてはいけない。
ボールを持っていない選手は、シュートのことを考える必要はない。シュート以外のことを考えろ。


× 【サイドからの崩しが一番得点しやすい】
○ 【☆~前があっての横。攻めの基本は三角形~☆】

サイドからであっても、まず狙うのはシュート。
その次にパス。
“崩し”にこだわるのは、前例にしばられてるのと同じこと。あるいは、責任から逃げているのと同じこと。
つまりそれはこういう思考だ。
        ↓
「サイドからの崩しを狙っていくのが正解で、もしうまくいかなくてもそれは不可抗力で責任はない。なぜならそれが、昔からのセオリー(前例)だから」

違う。そうじゃない。サイドからの攻撃は、手段のひとつであって、決して目的じゃない!






「考えれプレーしろ!」では、子供を混乱させるだけだ。
頭よりも体が先に動くようにするのがトレーニングであって、「考える」ことは、そのトレーニングの成果を効率的に定着させる為の手段の一つでしかないことを、コーチや親、そして本人も、きっちり理解することが必要だと私は確信している。
本番に酷似した状況設定・条件設定での反復練習、これこそがサッカーに限らず、人間を含む動物を成長させる唯一の道なのだと私は確信しているのだ



ハイ、ではこのあたりで終わりにしま~す。

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