2014年7月18日金曜日

街が死んでゆく

町のふつうの少年サッカー団を元気にするぞ!
そのためのちいさな一歩をはじめました。

フレコミ桶川

2013年6月23日日曜日

【中学】2013年 平成25年度学校総合体育大会


【中学学総】
2013年 平成25年度学校総合体育大会 埼玉県大会

各地区予選をまとめると、こんな感じですかね。



さいたま市 枠10(通常7枠+新人戦ベスト4枠3)
埼玉栄、常盤、白幡、東浦和、南浦和、原山、土合、日進、尾間木、岸


飯能日高地区は、加治が優勝 県大会出場
美杉台が2位で、狭山市・入間市・所沢市の2位とプレーオフです。


戸田蕨地区の代表は新曽中と蕨一中。
新曽が1位で、蕨一が2位です。
決勝戦は延長の末、PKで新曽勝利。

草加地区の代表は花栗中と谷塚中。
草加は、1位花栗中、2位は谷塚中。

27日に代表決定戦が行われ勝った方が県大会出場。
新曽中対谷塚中、蕨一中対花栗中。


戸田蕨地区と草加地区の代表決定戦結果
新曽中が谷塚中に2対1
蕨一中が花栗中に1対0
県大会出場 谷曽中 蕨一中


比企松山 県大出場、滑川吉見


上尾市は 上尾中学校が県大会出場。


北足立北
決勝      伊奈対鴻巣西 1対1      延長    0対0      PK0ー3   鴻巣西優勝 
鴻巣西中伊奈中 県大会出場



春日部地区
準決勝
春日部2-1飯沼  豊春2-1大沼
決勝
春日部1-0豊春

春日部中が県大会出場。豊春中は地区プレーオフ


入間北部地区     住吉中


入間東部(通常枠1+新人戦ベスト4枠1)
決勝 勝瀬中対福岡中 4-0
優勝 勝瀬中
勝瀬中福岡中 県大会出場


川越地区  1位  川越砂中、2位   川越高階中



川口市
優勝 八幡木  八幡木 対 芝  1-0
県大会出場 八幡木 芝 戸塚西


朝霞、新座、志木、和光  立教新座中朝霞第一中

狭山  狭山台中

所沢 南陵中


入間市  決勝戦  野田中 対 上藤沢中 1-0で野田中が県大会出場。
上藤沢中は飯能美杉台中とプレーオフ

南埼地区 白岡南中

久喜幸手地区 栗橋東中



6月28日時点 県大会出場決定  33校




県大会 
組み合わせ抽選 7月10w 日
試合開催日 7月 21sn、23t、24w、26f、27st、29m 日


以上

2013年2月10日日曜日

少年サッカーとゲンコツ

少年サッカーとゲンコツ


 大阪市立桜宮高校男子バスケ部キャプテンの自殺の問題と、部活指導における肉体的プレッシャーの使用の問題と、スポーツ指導における同様の問題と、学校内における教師による体罰と、家庭における親による体罰と、は別々に考えなければならないのは明白だ。
 また先輩や同級生からの暴行は論外。
 さらに、学業指導や生活指導における、肉体的プレッシャーはどうなのか。
 また、では精神的プレッシャーはどうなのか、という問題もある。

 今回の高校生の自殺に関しても、報道によれば、わたしの目には、何十発なぐられたとかよりも、顧問やチームメートから受けた精神的なプレッシャーの方が、強く影響しているように見えた。
 特に、事件後も平然と部活動を続け、事件が明るみになった後も、強硬に部活動再開を求めるチームメイトの姿勢には、異質さを通りこえ不気味ささえ感じた。もし私が高校生の時、クラスメートや部活の仲間が自殺したりなどしたならば、それこそ人生がひっくりかえるくらいのショックを受け、部活動どころか学業や日常生活さえもフリーズしてしまうだろう。なのにここの生徒たちといったら…。『愛と青春の旅立ち』でも見せて、ぜひ感想を聞いてみたいところだ。

 今一度思い返してほしいのは、この事件の前、生徒が自殺した場合に問題とされてきたのは「陰湿ないじめ」であったということだ。決して直接的な暴力ではない。大人の目には触れないような形で、はた目にはいじめなのか、仲良く遊んでいるのかふざけあっているのかわからないような形での、精神的なプレッシャーによって、自殺や不登校に追い込まれるのが問題となっていたのだ。

 ということで、今回の問題を、ここでは自殺の問題としては考えないことにする。
 ここで考えるのは、スポーツ指導と肉体的プレッシャーの関係についてだ。特にエリートではない、ふつうの少年から中高生段階でのサッカー指導にとってどうなのか、を考えたい。

 当たり前のことだが、言語能力を持たない動物たちは、偶然や真似によって、えさの取り方や危険からの逃れ方を学ぶ。
 そのときに軽度の失敗をすると、それは肉体的なプレッシャー、つまり、ケガによる痛みや空腹による餓えというストレスとなって返ってくる。そのことから、もう同じ失敗はしないぞ、と学ぶのだ。

 言葉と論理をまだ理解できない乳幼児期の人間も、同じように学習する。

 言語学的にいえば、実は、人間が言葉をどのように学ぶのかというのも、肉体的プレッシャーの作用によって説明ができる。
 いろいろ口を動かすうちに、偶然発した「まま」という音が、自分の庇護者である「母」を意味し、また空腹を満たしてくれる「乳」を意味する「まんま」となったのであって、決して逆ではない。もし仮に「母」の幼児語が「ヒヒ」、「乳」の幼児語が「レレ」だったとしたら、乳幼児は「ヒヒ」「レレ」と言えるのかというと、そうはならない。乳幼児の発声の構造は、「ヒヒ」や「レレ」ではなく「ママ」あるいは「まんま」と似た音を自然と発声するようにできているからだ。

 
 「学ぶ」とは「まねぶ(真似ぶ)」が語源だと言われるが、ではなぜ「真似る」のかと言うと、真似ないと「痛い目に遭う」つまり「肉体的なプレッシャーを受ける」から、言い換えると、真似ないことで痛い目に遭った経験があるから、真似るのだ。

 スポーツ指導における肉体的プレッシャーは、この「痛い目」にあたる。まずこの大前提を、共通の認識とした上で、ここから先の話は書かれていることを含みおいていただきたい。つまり、「いわゆる体罰はなんでもダメ」的な立場の人に向けたものではない。それはもはや思想信条の類の話になってしまうので、どう説明しても理解してはもらえないとわかっているからだ。もちろん個々人の思想信条を否定するつもりはもうとうない。わたしは思想信条の自由の強烈な信奉者だ。

 さて本題に戻ろう。
 スポーツ指導の場において、体罰は有効だ。

 もちろん時と場合による。
 戦術の説明のときに選手の尻を叩きながら「相手のサイドバックは不用意に上がるクセがあるから、その裏をねらえ」と指示するコーチはいない。
 逆に、テクニックで勝てない相手の選手に対して、相手がけがするとわかっててアンフェアなタックルをしたような選手には、ガツンとくれてやらないコーチもいないはずだ。まさかこういう状況で、見て見ぬふりをするだとか、「〇〇君、ああいうプレーは気をつけないと自分もケガするかもしれないから、やらないほうがいいかなあ(+さわやかスマイル)」なんて言っただけで終わりにするコーチはいないだろう。
 私が大好きな新座片山も、いわゆる体罰で有名だ。
 でも私が知る限り、コーチのげんこつが飛ぶのは、みんなががんばってるのにサボった選手だとか、相手にビビッて尻込みしたようなプレーに対してであって、試合に負けたからとか、得点できなかったからとか、そんな理由でゴチンとやったのは見たことがない。むしろ、勇気を出してチャレンジしたようなプレーや選手に対しては(たとえ結果が伴わなかったとしても)、のどをからして「ようし! それだよ! それだ! できるじゃないか!」と声をかけ、プラス評価をしていることをちゃんと選手やほかのチームメイトに伝えていたように記憶している。

 また、肉体的プレッシャーは、短時間での修正にも有効だ。
 試合中のハーフタイムに、一から説明している時間的な余裕はない。また受け取る選手の側も興奮状態で、細かく指示されても「ハイ、ハイ」と反射的に返事しているだけで脳にまで届いていないということも多い。
 そういうときに、ゴツンとやられると、カチッとスイッチが入る。スイッチが入れば、コーチの言葉も理解できる。細かい指示や理屈の説明は、それからの話だ。

 さらに、大人の目の届かないところで子供たちを支配しているようなボス的な存在がいた場合、体罰がなくなったことで、かえって増長させてしまって、新たな火種を生んでしまう可能性も、子供たちの成長に責任を持つ立場の大人としては無視できない。サッカーでいえば、自分より伸びそうな子の足を引っ張ってつぶしたり、日常生活で言えば、犯罪に巻き込んでしまうようなことだ。そういう子にとっては「コーチ(あるいは先生に)殴られる」というのは、非常に有効な言い訳となりうる。
  もしこれがなかったら、子供同士の間で通用する『悪いことをしない言い訳』を見つけることは、なかなか難しいだろう。

 ここまでの話を読んでもらって気づいた人もいるかもしれないが、実は、体罰と呼ばれる肉体的なプレッシャーが指導のテクニックとして必要とされるのは、『できない子をなんとかできるようにしたい』という状況においてなのだ。
 できない子をなんとかしたいから、まず体で覚えさせる。体が覚えた後に、なぜそうなのかを学ばせる。そうしていくうちに少しずつできることが増えていって、いつしか、自分の頭で考えて行動できるようになる。

 ところが『できない子をなんとかできるようにしたい』としなかったらどうだろう。つまり、『できる』『できない』は本人の責任だ、とコーチが考えたとしたら、だ。

 コーチは『できる子』だけを見るようになって、『できない子』のことは見なくなるのではないだろうか。

 「いや、だからと言って体罰は容認できない。コーチも『もしドラ(珍著『もし女子マネージャーがドラッカーを読んだら』)』のようにマネジメント能力を高めれば、体罰なしでも弱小チームを強豪にできるはずだ」的な反論もあるかもしれない。
 なるほどなるほど。
 でもドラッカー的なマネジメントの本場であるアメリカのビジネス界は、超学歴主義、即戦力主義、成果主義、巨額報酬と即時解雇と弱者切り捨ての本場でもあるわけ。ドラッカーを読み、共感しているのは、、そうした現実からはじき出された人たちで、決してアメリカの主流にいる人たちじゃ
ないってこともちゃんと見て欲しい。

 アメリカのプロ野球の仕組みだって、育てるという仕組みにはなっていない。下部リーグから這い上がってきた選手だけを、高額報酬でこき使っている。対する高額報酬の選手側も、組合を作って、代理人をたてて、経営側と徹底的に労使交渉する。そこに「やりがい」だとかが入り込む余地は
微塵もない。NFLなんかもっと酷くて、選手の健康がどうなろうとしったこっちゃないっていう世界だ。これのどこにドラッカーが?

 はっきりと明言しておきたいのは、体罰なんてのは、やられる方もいやだけど、やる方だっていやなのだってこと(相撲界と日本柔道界を除く)。
 怒りにまかせて、頭が真っ白になった状態で、選手に肉体的プレッシャーを与える指導者はいない。怒っているような態度を取りながらも、頭では冷静に、どこにどのくらいのプレッシャーならケガさせないか、をちゃんと考えてる。なぜなら、子供たちの戦闘力を奪うのがその目的ではないからだ。むしろ、子供たちの戦闘力を高めることが目的だ。「いいぞ、悟飯をもっと怒らせるんだ」(by 悟空)。

 プレーできなくなるようなケガを負わせるような体罰は論外だし、子供たちがサッカーをきらいになるような体罰も論外だ。これに議論の余地はない。

 でも、コーチの役目は、子供たちから好かれることじゃない。子供たちがもっとサッカーを好きになってくれるよう、サッカーの深さを理解できるくらいの最低限のスキルは身に付けさせてあげたいと工夫するのが、コーチの役目だ。
 その工夫のひとつとして、いわゆる体罰とされるような肉体的プレッシャーを与える手法も、決して間違ってはいない。選択肢の一つとして有効に活用すべきだ。そう私は確信している。

 子供たちがサッカーの本当の楽しさをわかってくれて、さらに自分のチームを心から愛してくれるようになるのならば、コーチである自分がきらわれることなど何でもない、そう考えるのが真の指導者だ。
 子供たちのアイドルになりたい、子供たちと友達のように仲良くしたい、素敵なお兄さんでいたい、そんなのは指導者ではない。それどころか子供たちの将来よりも今の自分の心地よさを優先している卑怯な大人だ。指導者の皮をかぶったエゴイストだ。自分のために子供たちを利用しているだけだからだ。

 でも正直、叩かれるのはわたしだっていやだった。
 叩かれた理由について、いまだ納得できていない記憶だってないわけじゃない。
 その一方で、褒められた場面よりも、叩かれた場面の方が、しっかりと刻み込まれている。
 人間の記憶とはそういう仕組みになっている。
 話せばわかる、は理想ではある、が、人間もまた動物であるということも、厳然とした事実なのだ。

 大阪市立桜宮高校の件で問題とすべきなのは、生徒が自殺してしまったことであって、決して部活動での体罰ではないことへ、関係者たちは思い至るべきだし、スポーツ指導の場において重要なのは、選手としてのスキルアップと、人間としての成長であることへ、動揺した大人たち皆は今一度立ち戻るべきだ。
 すべてはそこからだ。


以上


追伸
 大阪市立桜宮高校の問題は、それこそ教員や教育委員会のマネジメントの問題であって、一教員がどうのこうのって話じゃない。生徒の自殺にしたって、成績や家庭問題や友人関係で自殺してしまう子供たちが、毎年大勢いるということの方が問題なのだ。ここからはわたしの経験からの推測になってしまうので、かなり控えめに述べるが、思春期の男子はとてもプライドが高いという点を軽視すべきではないと思う。自殺した生徒の遺書に書かれていたこと、あるいは相談に訪れた子供が語ったこと、実はそれがその子を苦しめている本当の問題ではない場合は決して稀ではない。本当のことを言うと自分のプライドが傷つくから、表向きわかりやすい、通りやすい、見えやすいことを、あえて書いてしまうことがあるのだ。
 大人であっても、自分の本当の悩みを、外の目に触れさせることには勇気がいる。まして未成年ならなおさらだ。
 遺書を残さず自殺してしまった子に悩みがなかったのか、そんなことはない。命を絶つほど苦しいのに、その苦しみを口にできない、それがプライド、自尊心の怖いところだ。
 プライドは人を殺す。
 これは大人として、子供と接するときに心掛けるべき態度だとわたしが確信していることのひとつなのだが、『時に大人は、子供たちの前で、あえて恥をかくべきである』と思っている。それを目にすることで、子供はプライドの呪縛を緩めることができる。
 そういう意味で、昭和の宴会の「部長の裸踊り」は、とても意味のあることだったのだ、と私は確信しているのだ(まあ新入社員は子供ではないけど、社会人としてはまだ“子供”ってことでお許しを)。
 少年サッカーチーム内で、体罰上等の怖いコーチと思われている“権威ある”大人たちには、ぜひ年に一回くらい、クリスマス会や卒団式で、下手くそな宴会芸を披露してあげてほしい(下手でみっともないことが重要。うまくやってしまったら、「コーチは何でも上手にできるんだ」と逆効果になってしまう)。
 子供たちの成長ために。将来のために。
 その際の演目としては、裸踊りがおすすめ。親の裸も見たことのない子供たちに、これが大人の男の体なのだ~!というところを見せつけてやってほしい。子供たちは一生忘れないだろう。そして、何年後かに会った時も、きっとその話で盛り上がることができる。ゴツンとやったことも、これで全部チャラになる必殺アイテム。
 子供の前で裸踊りもできないようなコーチには、子供に手をあげる資格なんてない。
 子供の前での裸踊りにまでプライドのハードルを下げさせてあげることができれば、もうその子は将来、プライドの呪縛にそう簡単に負けるようなことにはならないはず。「あれに比べれば、こんなの大したことない」とプライドの器が広がり、底も深くなるから。
 完璧な大人なんていないんだってことを、子供たちに見せつけてやってください。
 どうか、お願いします。

 

【参考記事】
大阪桜宮高校男子バスケ部の主将が自殺したという事件が、2013年1月8日に報じられた。

『制服ネクタイ首つり、試合ミス平手の体罰 強豪バスケ部』
昨年12月下旬、大阪市立桜宮高校(都島区)2年の男子生徒=当時(17)=が自宅で自殺をしていたことが8日、分かった。市教委によると、生徒は男子バスケットボール部の主将で、同部顧問の男性教諭(47)から自殺前日、体罰を受けていた。市教委は自殺と体罰の因果関係などについて調査している。

『顧問教諭は体罰傾向』
市教委によると、男子生徒は昨年12月23日午前6時半ごろ、自宅の自室で制服のネクタイで首をつっているのを母親が発見。病院に搬送されたがまもなく死亡が確認された。
遺書とともに教諭に宛てた手紙がみつかり、手紙には教諭からの厳しい指導と体罰に苦しんでいたことや主将としての責任に苦しんでいたという趣旨の記載があった。手紙は自殺の数日前に書かれており、市教委が調査したところ、自殺前日にも教諭から体罰を受けていたことが判明した。




以上

2012年12月11日火曜日

セ大阪 クルピ監督コラム④

FELIZ! フェリース(ポルトガル語で“幸せな”)

王国 もう怪物は生まれない?

朝日新聞 2012年(平成24年)12月11日 火曜日


10月にブラジルが4-0で日本に勝った試合には、MFカカ(レアル・マドリード)ら教え子3人が出ていた。
地元開催の2014年W杯は優勝候補の筆頭に挙げられる。

世界ランクは13位と低いかもしれないが、最多5度の優勝を誇る国には関係ない。

11月下旬に、代表のメネゼス監督が解任された。
ロンドン五輪で銀メダルに終わったことが響いた。
いい仕事はしていたけど、色々な選手を使いすぎた。
後任はJ1磐田の元監督であるフェリペ・スコラリ氏になった。
正解だと思う。
短期間の決戦やトーナメントで力を発揮できる指揮官だ。

周囲に左右されずに、W杯本番までメンバーを7人前後は固定するべきだ。
組織を成熟させないといけない。
8強に終わった10年南アフリカ大会と同じ過ちを繰り返してはいけない。

僕も00年に代表監督の候補に挙がった。
でも、報道陣に「ロマリオを呼ばない」と余計なことを言って物議を醸した。
当時はまだ監督として経験不足だった。
その後、代表を率いて02年W杯で優勝したのがスコラリ氏。
「最高の選手だ」と言い続けて、本番直前にロマリオを外した。
それはそれで大騒動となったのだが……。

W杯ブラジル大会での注目はFWネイマール(サントス)。
怪物だ。
現在20歳。
これまでに挙げたゴール数はペレに近い。
メッシ(バルセロナ)を超える可能性がある逸材だ。
10代で子供も作ってしまったけどね。
昨年、サントスと契約を更新し、年俸は16億円とも言われる。

だが、そんな選手はごく一部。
サンパウロやコリンチャンス、グレミオなど6チームくらいは破格の環境だが、他では給料の未払いなど深刻な問題が起きている。

都市化が進んで、ストリートサッカーをする場所も減っている。
原石を磨くのではなく、ビジネスに徹する代理人も絡んでくる。

町クラブからスタートして、大きな夢を追うという道がなくなってきている。
サッカー王国から怪物が生まれる可能性は低くなっているのかもしれない。


コラム終わり


この4回シリーズのコラムの第2回では確か、日本の育成システムは素晴らしいというようなことを書いていたクルピ監督だが、今回はブラジルでストリートサッカーのできる環境が失われてきている状況を嘆いている。
日本の育成システムには、当然ストリートサッカーは含まれていない。日本の道路事情では、子供がそこでサッカーをすることなど不可能だ。

つまり、同じような育成環境について、それが日本の場合であれば賞賛し、ブラジルの場合であれば問題視しているのだ。

このことから、クルピ監督は、母国ブラジルのサッカーと、異国日本のサッカーを、別物として捉えていることが読み取れる。

これは理屈を超えた、感覚的な分類なのだろうとわたしは思う。
いわば、天然物と養殖物の違いに近いのではないだろうか。
どれほど養殖技術が進んでも天然物にはかなわない、「やっぱり天然物は違うね」の世界。

そういう視点で見てみれば、確かに日本の育成システムは“養殖的”だ。
求められているニーズに合わせて、効率的に選手を作り上げる仕組みになっている。
もっともこうした育成システムは、なにもサッカー選手に限ったことじゃない。
日本の育成・教育システム全般がこうした傾向にあるのは、誰の目にも明らかだ。
育成・教育だけではない。
ビジネスの世界もそうだし、個人消費の世界もそうだ。
どれも、自分が損をしないように、そして最も効率よく、最大の利益を得ようと選択し判断決定している。

しかしこの考え方には根本的に矛盾している。
全員が「損をしないように」選択をしたら、効率は下がり、結果得られる利益は小さくなるからだ。
初期段階であれば、みなが損をせず効率よく利益をアップすることも容易だろう。
しかしいずれそれは行き詰る。
誰かの利益は誰かの損になるし、ある部分の効率アップはある部分への負担増となってしまうからだ。
ちなみに「弱肉強食」の意味は、「優れるものが勝ち残り、劣るものは消え失せる」ではないことをご存知だろうか。
「弱肉強食」の意味は、「結果として、生き残ったものが強く、消え失せたものが弱い」というものだ。
つまり、騙そうが、裏切ろうが、ルールを破ろうが、少数を多数で襲おうが、後ろから刺そうが、空から爆弾を落とそうが、それこそ弱者を強者が踏みにじろうが、まったく考慮されない価値観、それが「弱肉強食」だ。
「勝てば官軍」と共に、わたしの大嫌いな言葉のひとつ、それが「弱肉強食」だ。
たとえ勝とうが賊軍は賊軍だ。
警察官を殺したら、そいつが警察官になるか? そんなわけないじゃないか。
「やられたのは、そいつが弱いからだ」 ←はあ? 何言ってんの? まず『狼王ロボ(実話)』を読んでから出直して来い。

かなり脱線したが、話を本筋へ戻せば、日本サッカーの今の「効率偏重育成システム」はいずれ、それもそれほど遠くなく、破綻するってこと。少なくとも、4、5年後には行き詰まりが表面化してくる。それはJリーグの人気低下となってまず現れる。
似たような選手ばかりの似たようなチームばかりのリーグを、誰が観戦に行こうと思うだろうか。
世界のトップチームと善戦するであろう日本代表戦の人気は衰えないだろう。
なぜなら、相手チームに個性や特徴があるので、その相対として日本にも個性や特徴があるように見えるからだ。
でも国内リーグではそうはいかない。

養殖物しかない寿司屋にしては、Jリーグチケットは高すぎる。


以上

2012年12月6日木曜日

セ大阪 クルピ監督コラム③

FELIZ! フェリース(ポルトガル語で“幸せな”)③
日本の育成には未来がある

朝日新聞朝刊 2012年12月4日 火曜日

1日の最終節の川崎戦ではロスタイムに引き分けに持ち込んだ。
自力でJ1に残れて、本当にうれしい。
残留ラインの勝ち点が過去最高になったのは驚きだ。

今季はJリーグの歴史のなかでも、誰も予想できなかった異例の年。
全体のレベルは少し落ちていた。
優勝経験のあるガ大阪がJ2に降格して、鹿島までも残留争いに巻き込まれた。
強豪は代表や五輪に選手たちを取られたうえに、育てた若手が欧州のクラブに流出してしまったのが痛かった。

優勝を争った広島と仙台はメンバーが固定されてチームの完成度が高かった。
クラブに資金力はないが、A代表などに選ばれる選手が少ないことが、逆にプラスに働いた。

今は日本の景気も悪く、ブラジルなどから最高クラスの選手を呼んでくるのは不可能。
補強にお金をかけられないクラブが増えることで、力が伯仲した時代が続くだろう。

初めてセ大阪で指揮した1997年にはジョルジーニョ、スキラッチ、ストイコビッチら各国の代表級がいた。
あの時代に興味を持った子供たちがJの育成組織に集まってきて、今、Jリーガーになっている。

日本の育成組織は素晴らしく、世界の強豪に近づくための土台となっている。
基礎技術を大事にし、ひたむきに練習する国民性もあって、技術力が高い選手が育っている。

日本人は敏捷性に優れているし、献身的なプレーも大きな特徴だ。
もっと得点を増やすなど、数字へのこだわりを持てば、MFだけでなく、世界に通用するFWも出てくる。

日本にはマンチェスター・ユナイテッドの(香川)真司のような才能を持った原石がゴロゴロいる。
歴史を積み重ねれば、これからもどんどん世界のトップで活躍する選手が出てくる。

ただ、最近の若手は海外に出るのが早すぎる。
真司もキヨ(清武)も乾もそう。
Jリーグで優勝してから移籍すれば、名前も売れて、移籍金も高くなる。
もし、3人がセ大阪に残っていれば、今季は優勝戦線に絡んで、こんなに苦労することもなかったのに。

おわり


前回までで言いたいことは言い終えたのか、あるいは最終回であろう次回のためにとってあるのか、そのどちらかなのであろうと邪推してしまうくらい、内容のない今回のコラム。
セ大阪がJで大変だったので、コラムのことにまで頭が回らなかったのかもしれない。

このコラムに関連して、わたしが常日頃抱いている疑問のひとつを簡単に書く。

【疑問 海外移籍する選手が増えたのは、本当に育成の結果?】

このコラムにもある通り、一般的には、日本の育成が素晴らしいので、その成果として海外でも活躍する選手が増えてきた、と考えられている。

でもわたしはそこに疑問を感じている。
それは本当に育成システムが向上した結果なの? と。

わたしにはそれが、サッカー開始年齢の低下(つまり、サッカー経験の量的増)と、欧州の経済悪化によるものであって、単純に、日本サッカー界の育成システムが向上したことによって選手のレベルが上がったから、とは言えないと考えている。っていうか、「日本の育成のレベルが高いって? それはないでしょ」と思っている。

どうしてそう思うのかという理由を、ここでは2点だけ述べる。

・長年日本サッカーと似たようなレベルで戦ってきた他の国(韓国、中国、アメリカ、オーストラリア、イラク、イランなど)を見ると、日本人選手よりもずっと先に、すでにたくさんの選手がヨーロッパ各地で活躍している。

・長友がいい選手であって、わたしも好きなプレースタイルであることは間違いなのだが、それでもインテルでポジションを確保できるようなレベルにないことは、誰の目にも明らか。

以上の点を頭において、同じテーマを考えてみれば、どうも「日本の育成が素晴らしいから日本人選手のレベルがアップした」という分析は成立しにくいのがわかると思う。なぜなら、日本以外の国の選手の活躍についてと、インテルというチーム自体の低迷っぷりの説明がつかないから。

それに、育成の方法でそれほど劇的な変化があったとは思えない日本野球界でも、年々北米メジャーでプレーする選手が増えていることも忘れてはいけない。
あとJのチームがここ数年陥っている、ACLでの悲惨な状況からも目をそらしてはいけない。

日本サッカー界の育成には、まだまだ問題が多いし、レベルも決して高くはない、と私は確信している。

以上

2012年12月4日火曜日

セ大阪 クルピ監督コラム①

FELIZ! フェリース ①
選手の傲慢 父のように諭す
J1 セレッソ大阪 レビー・クルピ監督

朝日新聞朝刊 2012年11月20日 火曜日


昨季限りでセ大阪の監督を退任したのに、また8月後半に戻ってくるとは、自分自身でもサプライズだった。
一度はオファーを断ったが、降格の危機を救えるならうれしいし、ピッチに戻りたいとアドレナリンが出始めた頃だったので、思い直した。
我が家に帰るような気持ちだった。

格別だったのが、(柿谷)曜一朗の成長ぶり。
練習への遅刻を5回も繰り返して、2009年途中にJ2徳島に放出した。
今季、期限付き移籍から戻ってきて大きく変わっていた。
彼には「若い選手が過ちを犯すことはよくあること。もう何をすべきか分かっているだろう」と声をかけた。

放出という判断が、今も正解だったのかは分からない。
違う方法でもっと早く自覚を持たせることができたなら、すでに(香川)真司と同じ道を歩んでいたかもしれない。
そこは自分の責任を強く感じる。

成功する選手に共通するのは、謙虚な気持ちを忘れないこと。
傲慢になると、パフォーマンスは必ず落ちてくる。
自分は完璧ではない、まだまだ成長する余地があると自覚することが大きな資質の一つだ。
そこはピッチの内外でしっかりと目を光らせている。

キヨ(清武)や乾も、少なからず問題はあった。
メディアに注目されて、一気に有名になると危ない。
監督と選手は、父親と息子の関係と同じで、時には尻をたたかないといけない時がある。

キヨがまだ代表で活躍していない頃の話だ。
たった1人で待っていた女性のサポーターを素通りしたことがあった。
「サインは3秒でできる。その3秒で、一生応援してくれるかもしれないサポーターを悲しませてしまうんだ」。
そう諭したことがある。

交代を命じた乾がユニホームをベンチに投げつけたこともあった。
話をしても十分に理解せず、過ちを繰り返した時には、試合のメンバーからも外した。
その後、彼らは自分を律することができるようになった。
だから、欧州への扉が開いた。


おわり

※FELIZとはポルトガル語で「幸せな」という意味。クルピ氏はサッカーチームの監督という仕事を、「幸せな仕事」と考えている。

レベルの違いはあっても、似たような状況は少年サッカーでもよくある話。
わがままな態度を目にしたとき、つい言葉で指導してしまいたくなりますが、子供は大人の言葉の真意をまだ理解できません。誤解してしまうことも多々あります。相手がまだまだ子供であるということをふまえ、言葉ではない方法で指導することを考えてみるのも、指導者には必要です。そこがサッカーを通じて、子供たちの人間としての成長にもかかわれる、少年サッカーの監督という「幸せな」仕事の面白いところでもあります。
「乾や清武もこうだったんだ」と一言加えると、子供の心にも伝わるかもしれません。
参考にできるコラムだと私は思います。


リンク
セ大阪 クルピ監督コラム②

セ大阪 クルピ監督コラム②


FELIZ! フェリース ②
香川に口酸っぱく言ったこと
J1 セレッソ大阪 レビー・クルピ監督

朝日新聞朝刊 2012年11月27日 火曜日


マンチェスター・ユナイテッドで(香川)真司が開幕スタメンを奪ったのは、驚きでも何でもない。
ただ、イングランドに行ってほしくなかった。
ロングボールを多用して、フィジカルで渡り合うのは醜い。
サッカーとはパスやドリブルを交えて、人々を魅了する芸術だ。
スペインのバルセロナとかレアル・マドリードで、美しいサッカーを体現してほしかった。

2007年にセ大阪の監督に復帰すると、すぐに当時18歳だった真司を先発で使った。
サッカーに年齢は関係ない。
才能があったから起用した。

1週間ほど練習を見て、ブラジルのサンパウロFCで、00年に指導した駆け出しの頃のカカ(レアル・マドリード)と同じくらいの能力があると確信した。
両足でシュートをしっかり蹴れるし、運動量も豊富で、足が最後まで止まらない。
何よりも得点への意欲があり、ゴール前に飛び込んでいく勇気があった。
サイドバックはともかく、それまでボランチをやっていたのが不思議でたまらない。

ダイヤの原石の状態の真司を、試合に出しながら、磨いていった。
並外れたシュート力はない。
シュートも初めは下手だった。
イメージはすごくいいものを持っていた。
だから、どのタイミングで、どのコースを狙うのか、あらゆる場面を想定して練習した。

ゴール数にはこだわるように、口酸っぱく言った。
数字を残したか、残していないかで決まる世界。
日本人は国民性なのか、数字への意識が足りない。
サッカーはあくまでもスポーツというとらえ方。
ブラジルでは正しいあり方とは思わないが、戦争。
生きるか死ぬか。
勝てばいい生活、負ければ惨めな生活が待っている。

J1で15~20得点を挙げれば、A代表に選ばれて、欧州への可能性が広がる。
キヨ(清武)、乾にも、真司の成功例を持ち出して、伝えてきた。
3人ともまだまだ眠った才能がある。
スピードに乗ったドリブルシュートが魅力の乾は左足の精度を、最高のアシストができるキヨはもっとゴールへの意欲を高めるべきだ。
真司はもう少しヘディングを練習した方がいいね。


おわり




数字にこだわるのは、地元街クラブにこそ重要だとわたしは思っています。

Jの下部や、名門と呼ばれて事実上Jの下部団体化しているジュニアチームは、ジュニアの大会での成績や勝利数さほどこだわらなくても、経営は成り立ちます。有望な選手候補が、向こうから足を運んできてくれるからです。

それに対して地元の街クラブはどこも選手集めに苦心しています。
ちょっと良さそうな子供は、それこそ進学塾を選ぶように、名の通ったチームへ電車を使ってでも通ってしまいます。
幼児教育系、スポーツクラブ系、フットサル場系のチームが台頭してきた昨今、昔ながらの地元小学校少年団系のチームの選手集めはますます厳しくなってきています。

ここは割り切って、8人制に特化したチーム作りを目指すのも悪くない方針だと思います。
11人がやっとのチームであっても、8人制であれば、ベンチに3人の余裕が生まれます。
練習に広い場所もいりませんから、照明のある小さな公園や広場を利用すれば夜間練習も可能になります。
コーチ役の大人が少なくても、ちゃんと目が届きます。
しっかりしたゴールがなくてもOK。
ゴールキーパーも、全員が交代交代でやることで、無用な不満を生じさせる心配もありません。
それにゴールキーパーの経験は、必ず得点感覚を伸ばしてくれますし、身体のバランス良い成長のためにもプラスになりこそすれマイナスには絶対になりません。
メンタルでも、ボールを怖がらなくなります。
ヘディングの競り合いで、亀のように首をすぼめる玉なしチキン野郎撲滅にはもってこいです。

サッカー協会は個人技の育成のために8人制を推進しているようですが、街クラブとしては、数字を残すために8人制へ積極的に取り組むべきです。
街クラブを取り囲む状況は、それくらい急速に悪化しているからです。

街クラブにとっては、生きるか死ぬか。
生き残れるか、消滅するか。
数字を残せば、成績を残せば、実際に試合を見ていない子供や親にも、そのクラブの存在が伝わります。
地元クラブの存在が伝われば、地元の子に地元のクラブを選んでもらえる可能性が高まります。
個人技の育成への注力は、Jや有名チームに任せておきましょう。
そのあたりのことはすべて、それなりの質の選手がそれなりの量集まってから考えましょう。

子供たちにとっても、確固とした数字が残れば、自信につながります。
そうして得た自信は、サッカー以外の人生にも生きてきます。

勝てば生き残れる。負ければ消滅する。
昨今の街クラブにとっては、まさに戦争。
それくらいの気持ちで、8人制に取り組むべきだと、最近のわたしは思っています。
それくらいここほんの1、2年で、本当に、街クラブの状況、特に北足立北部地区を含む埼玉県の少年サッカーを取り巻く状況は、激変しました。

これまで通りのんびりのどかに11人制をやっている場合ではないと思います。
とはいえ、選手にとっても、コーチにとっても、観戦者にとっても、サッカーというゲームにとっても、面白いのはあきらかに11人制の方なのは変わりません。
でも、そう言ってもいられない、それが現実。
日本サッカー文化のためには、決して望ましい方向だとも思えませんが、でも、これは、生き残りをかけた戦争なのです。

子供たちが、お金をかけずともちゃんとしたサッカーの真剣試合を通じて、思いっ切り泣いたり笑ったり、ときには悔しがったり怒ったりして、人生の貴重な子供時代を存分に楽しむために、地元の街クラブは絶対になくなってはならないとわたしは確信しています。

でもそのためには、まず指導者が己の意識を変えなくては。



ただなあ…、観ていてつまらないんだよなあ、8人制。



2012年10月26日金曜日

コーチとしての目線 具体例

 コーチとしての目線の例として、チャンピオンズリーグの試合を観ていたら、ちょうどいい場面があったので紹介します。

 その場面は、先日フジテレビで中継していた、マンチェスター・ユナイテッド対ブラガ戦にありました。

 ブラガが先制得点をあげるシーン。

 左サイドからのクロスを、ゴール前で待っていた選手がヘディングで決めました。

 解説の方は、このシーンを、DFのマークがずれたための失点だと分析していました。試合開始直後で、マークがはっきりしていなかったために、マークがずれ、ポジションを前に入られたのだと。

 でもそれは間違いです。

 そもそも、試合開始直後だからこそ、マーカーは細心の注意を払っていたはずです。
 マンUのCBであればなお更です。それもCLの試合です。開始直後だから緩んだ、なんてことは絶対にありません。そんな選手は、マンUに入団できません。

 ではなぜ、ゴールを決められてしまったのか。

 それは、クロスのボールの質を、ブラガの選手は知っていて、マンUの選手は知らなかったからです。

 それを意識して観てもらえばわかりますが、このクロスは、最後の方で急激に曲がって落ちています。野球の変化球で言うと、2階から落ちてくるカーブ、あるいはシンカーといった感じの球質です。

 ブラガの選手は、それを知っていて、マンUの選手は知らなかった。
 
 マンUの選手は、クロスが蹴られた直後、ぴったりそのコースにポジションを取っています。もしこのクロスが、通常の球質であれば、マンUのDFは有利な位置で余裕でクリアできていたはずです。

 ところがこのクロスがどんな球筋をたどるのかを知っているブラガの選手は、マンUの選手とはまったく違う位置を狙っていることがわかります。助走する体の向きが、マンUの選手のそれとは違うことからも、それはわかります。

 ボールは、ゴール付近まで接近したところで急激にそのコースを変化させます。
 ぐぐっと曲がって、すとんと落ちたのです。

 マンUのDFがあわててそれに対応しようと、競るポイントを修正しようとしたときにはもう手遅れ。
 助走十分にジャンプしたブラガの選手の万全な体制でのヘディングに蹴散らされてしまいました。

 もしこのクロスが1本目ではなく、マンUの選手がすでに体験していたのであったなら、この得点は生まれていなかった可能性がかなり高いです。球筋を予測して、対応できるからです。当然ゴールキーパーもそれなりの反応をするでしょうし。

 観客であれば、「マークをしっかりしろ!」で十分ですけど、もしあなたがコーチであれば、この失点の原因を、DFの集中力の欠如、としてしまうのは間違いです。

 集中していなかったように見えたのは、あるいは、集中していなかったプレーに見えたのには、それなりの理由があるということです。

 これはトップレベルに限った話ではなく、どんな年代にも当てはまります。
 まわりに誰もいなければ、子供はドリブルをし続けるものですし、ゴールにシュートするものです。
 それが楽しいからサッカーをしているんですから。
 でもそうしなかったとき、その原因は、その子だけにあるのではないんじゃないか、その子の周辺で何かが起こったのかも、あるいは起こらなかったのかも、そういう視点を常に忘れないことが、コーチには必要なんじゃないかなあ、なんて思う今日この頃なのであります。

 しかし、スロー再生でまで、「試合開始直後でマークがずれた」という解説を繰り返すあのフジテレビの解説者氏は、いかがなものかなあと率直に感じました。
 まあ、テレビ局のモニタが小さくて、よく見えなかったということなんでしょうね、きっと。

 とにかく、コーチであれば、「すごい、ひどい」ではなく「なぜ、どうして」を見つけ出す目を持って欲しいなあってことです。
 そういうことです。
 あと、この試合自体は、録画したものの最初の数分を見ただけで、まだ全体を見終わったわけではありません。もしかするともっといい場面があるのかもしれませんけど、たまたま出てきたこのシーンでもいいかと、とりあえず書いてみました。

 おわり

2012年10月23日火曜日

コーチとしての目線

 ゲームを観ているとき、普通は「起きていること」に目線が向かってしまうものです。
 パスをしたとか、ドリブルをしたとか、シュートをしたとか、タックルしたとか、ポジションを移動したとか、あるいはその逆に、パスを失敗した、ドリブルを失敗した、シュートを失敗した、相手にかわされた、ポジションを間違えた、そういうことに目を向けてしまいます。

 応援しているご父兄であったり、実際にプレーしている選手であれば、それでもいいでしょう。
 でも、コーチは、それだけを見ていてはだめです。

 コーチが目線を向けるべきもうひとつは、「起きなかったこと」です。

 「起きなかったこと」とは、以下のようなことです。

 ・あそこへパスすべきだったのに、そこへのパスを選択しなかった。
 ・もっとドリブルでチャレンジすべきだったのに、パスを選択した。
 ・シュートチャンスがあったのに、シュートしなかった。
 ・フリーだった選手が、ボールを要求しなかった。

 他にもいろいろありますが、イメージとしてはこのようなことです。
 あるいはこういうことも、「起きなかったこと」に含まれます。

 ・あそこへパスをされたら決定的なピンチだったのに、相手はそうしなかった。
 ・もっとドリブルで食い込まれていたら厳しかったのに、相手はそうしなかった。
 ・いい感じで相手がボールを回していたのに、なぜかバックパスをしてくれたので一息つけた。

 これらはみな、そうなって当然だったのに、そうならなかった展開です。「起きるはずだったのに、起きなかったプレー」と言っていいでしょう。
 
 どうしてそうならなかったのかには、必ず何か理由があります。
 パスコースの先に敵が見えたとか、選択を躊躇させる声が聞こえたとか、直前に同じような状況があり、そこで失敗していたとか、あるいは試合前のコーチの一言とか、前日の練習に、その理由が隠れているかもしれません。

 コーチであれば、そこまで観る必要があります。考える必要があります。
 逆に言えば、それができるのはコーチだけなんです。

 個々の選手の特徴や性格、普段の練習、そして試合前の指示など、そうしたことをわかっているのはコーチだけだからです。

 試合中のこのようなプレーのことを、別の言い方で「見えないプレー」と呼びます。
 南米や南欧の、いわゆるラテン系の選手は、こうした「見えないプレー」が巧みです。そしてコーチも、そういうプレーを見る目を持っています。
 わかっているから、コーチはそういうプレーを的確にほめますし、的確にしかります。だから選手たちにも、自然とこうしたプレーが身についていきます。

 それが偶然であってもいいんです。あるいは、厳密にはそうなっていなかったとしても(つまり、見えないプレーとして成立していなくても)いいんです。

 それに近いような状況があったとき、コーチが一言「今のはいいプレーだ。それで相手をコントロールできたんだぞ。本当はこうしたかったのに、今のお前の見えないプレーで、相手はそれができなかったんだ」と指摘してあげましょう。
 試合中であれば、どの選手がこうしたプレーを自然とできているのか、あるいはできていないのか、にも目を向けましょう。そうした情報は、その選手の今後の伸びに大きく影響する、重要なカギになるからです。

 「どうしてそこで、あそこにパスをしないんだ!」
 「もっとドリブルできただろ!」
 「シュートしろよ!」
 と、怒鳴るだけではなく、なぜそうしなかったのか、できなかったのか、あるいは、ああなっていたら決定的なピンチとなっていたのになぜそれは「起きなかったのか」にも目を向けましょう。

 それができるのはコーチだけであり、また、そこを楽しむことができるのもコーチの特権なんですから。

 カラーコーンを使って、ドリブルやトラップや対人スキルの練習をさせているだけでは、犬に芸を教えているのと大差ありません。
 器用な犬を育てるのは、少年サッカーのコーチの仕事ではないんです。
 もちろん個人技の習得は、とても重要です。
 でも、子供たちは犬じゃありません。
 ちゃんと考える頭を持っています。

 子供たちが自分の頭で何を考え、それがどう成長していくのか、それに関わることができる、これこそが少年サッカーのコーチの醍醐味であり、大きな楽しさだと、わたしは確信しています。

 ちなみに、試合で失点したとき、子供たちが下を向いてしまった、という状況で「下を向くな!」と声をかけつつ、目では「なぜ下を向いてしまったのか」「それぞれの子の下の向き具合、程度、違いはどうか」を冷静に観察している、そういうコーチがいいコーチだとも確信しています。

 どうか是非、「起こったこと」だけではなく「起こらなかったこと」にも目を向けることのできるコーチが、一人でも多く少年サッカーにたずさわっていただけることを切に願う、今日この頃なのであります。


以上

2012年10月22日月曜日

2012浦和レッズジュニアユース

2012 浦和レッズ ジュニアユース メンバー

ポジション 氏名 身長 体重 生年月日 前所属

U-15 

GK2名 DF7名 MF7名 FW4名 計20名

GK 岩本 拓 172 56 下落合SSS
GK 大川 圭為 173 61 19980327 FC浦和(浦和仲本SSS)
DF 新井 克之 167 58 19970415 レアル狭山ジュニア
DF 小木曽 佑太 177 61 19970622 FC浦和(浦和栄和SSS)
DF 高橋 聡史 169 50 19970810 FC浦和(浦和岸町SS)
DF 中塩 大貴 175 53 19970608 江南南SS
DF 信沢 啓人 168 57 19970924 NEOS FC
DF 東 信幸 182 62 19970709 FC浦和(浦和大牧SSS)
DF 水上 真 165 58 19970410 FC浦和(北浦和SSS)
MF 石井 康輝 158 52 19971226 戸塚FCジュニア
MF 小田切 真人 151 38 19970730 浦和道祖土SS
MF 影森 宇京 156 42 19980107 戸塚FCジュニア
MF 田中 拓真 149 41 19970905 FC浦和(浦和三室SSS)
MF 松尾 佑介 146 36 19970723 戸塚FCジュニア
MF 村上 秀斗 162 48 19970819 FC浦和(浦和岸町SS)
MF 渡辺 将矢 166 51 19970402 新座片山FC
FW 川上 開斗 163 54 19970416 浦和大牧SS
FW 新納 大雅 156 48 19980315 江南南SS
FW 堀内 千寛 170 55 19970831 NEOS FC
FW 和久井 大輔 168 53 19970725 NEOS FC

 先日観戦した対クマガヤ戦では、右サイドにスピードのある面白い選手がいたんだけど、それはどの選手なんだろう?

U-14

GK2名 DF6名 MF8名 FW4名 計20名

GK 関 敦也 166 62 19980609 川越ひまわりSC
GK 宮川 聖冬 156 41 19981209 浦和尾間木SSS
DF 浅賀 祐太 165 52 19980512 浦和尾間木SSS
DF 小崎 魁 169 53 19980702 FCアビリスタ
DF 河内 渉真 160 48 19980605 東川口FC
DF 斎木 大輔 165 55 19980506 FCアビリスタ
DF 高橋 海翔 157 48 19980409 浦和尾間木SSS
DF 渡辺 陽 158 48 19981014 東川口FC
MF 伊藤 敦樹 159 40 19980811 浦和道祖土SS
MF 清水 裕太 145 37 19980516 新座片山FC
MF 関 慎之介 161 44 19980430 浦和大東SSS
MF 知久 航介 155 43 19990203 浦和三室SSS
MF 中嶋 海登 157 46 19981230 FCアビリスタ
MF 野口 琢真 148 37 19981020 浦和尾間木SSS
MF 平野 正人 147 43 19980427 浦和土合SSS
MF 松高 遼 164 53 19980801 FCアビリスタ
FW 川上エドオジョン智慧 158 53 19980421 西上尾キッカーズ
FW 轡田 登 172 61 19981110 越谷サンシンSSS
FW 萩原 大智 161 51 19980811 江南南SS
FW 町田ジェフリー 167 58 19980804 鶴ヶ島サザンキッカーズ

 この年代では、やっぱりエド君に期待したい。

U-13

GK2名 DF7名 MF7名 FW4名 計20名

GK 柿沼 優輔 169 50 19990615 浦和大久保SSS
GK 高草木 天平 165 52 19991008 浦和大門SSS
DF 角田 涼太朗 150 38 19990627 北浦和SSS
DF 橋岡 大樹 170 50 19990517 浦和大久保SSS
DF 樋口 颯太 154 40 19990930 浦和常盤SSS
DF 松永 悠希 150 34 19990728 プログレッソSC
DF 三井 愁雲 152 38 19990807 戸塚FCジュニア
DF 山崎 広大 145 38 19990519 越谷サンシンSSS
DF 山崎 舜介 145 38 19990519 越谷サンシンSSS
MF 大西 翔也 154 41 19991007 NEOS FC
MF 萩原 拓也 150 39 19991123 1FC川越水上公園
MF 菊池 泰智 140 33 19990507 浦和辻SSS
MF 立川 将吾 154 42 19990423 FCアビリスタ
MF 長倉 幹樹 143 34 19991007 NEOS FC
MF 山下 勇希 140 33 19991028 プログレッソSC
MF 弓削 翼 150 40 20000205 戸塚FCジュニア
FW シマブク カズヨシ 148 37 19990729 東松山ペレーニア
FW 白田 颯人 143 36 19990512 レジスタFC
FW 関根 陸斗 143 32 19990608 与野西北
FW 長谷川 魁哉 152 40 19990602 浦和三室SSS

 シマブク君は、察するに沖縄からブラジルへ移民して、その後帰国された方の息子さんなんだろうか? 東松山ペレーニアはブラジル式の育成に注力しているチームだから、彼の個人技にはすばらしいものがありそうだ(まだ実際に見たわけではないけど)。レッズユースで今後サッカーというゲームについて学ぶであろう、彼の今後に期待したい。

 あと、レジスタ出身の選手が全体で一人だけっていうのは意外だった。
 レジスタの子は、FC東京や帝京FC志向なんだろうか?


以上
 



2012年10月11日木曜日

少年団大会予選観戦メモ

第41回 埼玉県サッカー少年団大会 北足立北部地区予選


順位決定戦および準決勝、決勝

2012年10月13日(土) 桶川総合運動場(太郎右衛門橋下の荒川河川敷かな?)

10時から(あるいは9時からかも)

当日の対戦カードについては、検索で発見できず。

2012年10月9日火曜日

大敗濃厚なときのメンタルコントロール法

 ではさて、体育の日に浦和レッズジュニアユースがクマガヤSCに0-8の大敗を食らった、昨日の高円宮杯県予選を題材に考えてみたい。

 試合開始前のウォーミングアップのとき、リラックスしていたのは浦和の方で、クマガヤの方が緊張しているように見えた。
 キックオフ直前も、各ポジションに散った仲間に対して、「びびらないで思いっきり行こう」と声を掛けていたのはクマガヤの方だった。

 ところが試合が始まると、クマガヤが浦和を終始圧倒。浦和はハーフラインを越えられないような状態で、防戦一方となった。
 そして確か10分くらいに失点。
 浦和がキックオフして試合再開するときには、ベンチからコーチの「大丈夫だ。ゼロゼロだと考えてプレーしろ」という声が飛んでいた。
 ということは、実は浦和の方は、かなり厳しい試合になるであろうというような予想をしていたことが読み取れる。なぜなら、失点した選手たちに対して、コーチは勇気付けているからだ。これがもし、自分たちの方に自信があったのであれば、「なにやってんだ! まだ寝てんのか! 気合入れろ!」という叱責の声が飛ぶはずだ。

 前半で3点目を入れられると、浦和ベンチからは励ましの声も消えた。
 点差的にも内容的にも、こりゃあどうにもならんな状態だったからそれも致し方あるまい。

 後半になると、まず浦和のベンチが選手を次々入れ替え始めた。
 クマガヤの方は、後半5分過ぎくらいからどんどん選手を入れ替え始め、最終的にはCBの二人を除いた8人くらいが交代したのではないだろうか。

 浦和の選手たちから聞こえてくるのは「下向くな」「笛が鳴るまで」「1点取ろう」というような言葉と、味方がトラップするときに「フリー」「来てる」という声くらいだった。その声のサポートも、クマガヤの寄せが早いので、フリーと言われた直後にガツンとやられてるような場面がいくつもあった。ボールを持っていない選手にも、それくらい余裕がなくなっていたということなのだろう。フリーって教えるのも大切だけど、同時に全速力でフォローに行くことも大事だよ、って見ていてちょっと思ったシーンだった。

 さて本題。
 大敗濃厚な試合では、どのようなことを意識してプレーすべきなのだろうか。

 まず「ゼロゼロだと考えろ」と言われても、それは無理なのだということを理解する必要がある。
 知ってしまった以上、知らなかった心理状態に戻ることはできない。また「ゼロゼロだと考えろ」という指示は、心理学的には、逆に点差を意識させる効果を持つ。忘れようとすればするほど、記憶が強化されていく作用と同じように。同様に、「自信を持て」というアドバイスは、かえって不安を強めてしまう。本当に自信があれば、それができるかどうかなんてまったく考えないので、そもそも自信があるないなんて疑問は思い浮かばない。

 ではどうすればいいか。
 答えは「他の事を意識させる」だ。

 他の事を意識させることで、心理的に悪影響を与えている情報を思考から排除させる。
 人間の脳は、同時に二つのことを考えることができない。
 何かを考えているときは、そのことしか頭の中にはないのだ。寝るときに、いろいろなことが頭を離れなくて眠れない、と悩んでいる人は、実は、つまみ食いをするように、あっちを考えたら今度はこっち、こっちを考えたら次はむこう、というように思考のザッピングをしているだけで、その瞬間瞬間には、実はひとつのことしか考えられていない。

 ちなみにわたしは寝つきが悪いとき、自分の額の真ん中の、骨の厚みはどれくらいだろうかを考える。そう、自分の頭蓋骨の厚さが、皮膚の下からどこまであるのかを、感覚としてつかむことに集中するのだ。
 なんの意味もない、無駄で、馬鹿馬鹿しい行為だ。
 でもだからこそ、他の事は考えない。
 心配事や不安があっても、とにかくおでこの真ん中の骨の厚みがどれくらいなのか、それがはっきりとわかるまではそれしか考えない。
 そうしているうちに、いつしか眠ってしまう。

 大敗濃厚なときも、この人間の脳や心理の働きを利用するのが正解だ。
 問題となっていることとはまったく違うことに意識を向けることで、問題を深刻化させている心理の悪作用を解消するのだ。
 大差がついているのであれば、意識を点差以外のことへ向けざるを得ないようなことを指示する。たとえば「鼻で呼吸しろ」とか「激しく当たれ」とか、体を意識するようなことを指示すると、点差という、実体のないイメージは頭から消える。点差なんて、そのときそのときのプレーにはまったく関係がなくて、ただ最終的に勝敗を決定する際の目安として記録しているだけのものでしかないのだから、本人が意識しない限り、それは存在しないも同然なのだ。

 個人的には、知らないことは存在しないも同然だ。
 鏡や写真がなかった時代は、人は自分の顔のイメージを持っていなかった。自画像を描こうなんて思いもしなかったし、実際にはほぼ不可能だった。だから自分が美人か不細工かなんていう悩みは存在しなかった。
 健康診断のいろいろな数値だって、知らなければ自分が健康かなんて考えないし、知ったからといって健康になるわけでもない。けがや病気の原因のうち、健康診断の数値に関係するものはほんの一部でしかないからだ。

 セルフコントロールのコツは、いかに違うことを考えられるかだ。
 負けているときに「時間はまだあるぞ」と言われれば、残り時間のことを意識してしまう。
 プレッシャーを感じているときに「落ち着け」と言われれば、あわてている自分を意識してしまう。

 たとえそれがポジティブなものであったとしてもイメージは、それが問題に関係があることであれば、意識にどうしても問題それ自体へ向けさせてしまう作用を持っている。
 であるからしてである、負けている試合では、勝ち負けに関係のない、たとえば当たりについて指示を出すのが正解なのだ。
 具体的には「まず1点取り替えそう」ではなくて「マークをハードにしろ! 逃げないで強く当たれ!」と指示をする。
 負けている状況では、たいてい相手の方がボールをキープしている。そこで自分たちの攻撃に関する指示をされても、選手たちに無力感を与えるだけだ。そうじゃなくて、相手がボールを持っている状況でも、自分から積極的に戦っていけるような指示をもらえば、選手は自信を持ってそのプレーに集中できる。
 
 だからこれからは、負けている選手たちに「最後まで」とか「顔を上げろ」と言うのはやめてあげてください。
 それは顔の不自由な人に「人間は顔じゃない」とか」「心が大事だよ」と言っているようなものだからです。

 ちなみに、病気でもない人に、「あなたは将来病気になる可能性があります」といって利益を上げるビジネスは、天国行きか地獄行きかって言ったら、絶対に地獄行きだとわたしは思うのであります。
 
 話がずれたけど、要するに、考えたからって良くなることなんてないんだよってことです。人間に超能力はないんですから。




2012年10月8日月曜日

埼玉県ユース(U-15)大会

埼玉新聞社旗争奪第21回埼玉県ユース(U-15)サッカー選手権大会 兼
高円宮杯 第24回全日本ユース(U-15)サッカー選手県大会 埼玉県予選
高円宮杯 第24回全日本ユース(U-15)サッカー選手県大会 埼玉県クラブ予選

県クラブユース連盟のサイトの予定表だと、どれがどれなのかよくわからなかったんですけど、とにかく今日、熊谷スポーツ公園のサブグラウンドへ観戦に行ってきました。

10月8日(体育の日) 1100キックオフ
クマガヤSC 対 浦和レッズジュニアユース

快晴で気温は高かったが、湿度は低かったのでそれほど悪いコンディションではなかったように思います。でも、暑かったことは暑かったです。日差しも強かったし。
天然芝水を吸っていて深めで、風もややありました。

そして、

ほとんど予備知識なく観戦したため、わたしはひどい失敗をしてしまったのです。
とても反省しています。

というのも、試合内容があまりにも一方的だったので、勘違いしてしまったのです。これがまずかった…

クマガヤ 浦和レッズ
前半 3-0
後半 5-0
計  8-0

体格も、走力も、当たりも、プレースピードも、パススピードも、判断のスケールも、ファイティングスピリットも、そして声も、あきらかにクマガヤの方が上回っていました。

それでてっきり、スケジュールの都合か何かの理由で、浦和はベストメンバーを組めず、中2と中1が主体のチームだったのではないか、と。
それに対してベストメンバーで挑むこととなったクマガヤは、そのプライドに掛けて全力で倒しに来たため、あれほど極端な内容になったのではないか、と。

わたしが後悔している失敗とは、その試合終了直後に起きました。というか、やってしまいました。

すぐ近くで応援していた、浦和レッズ選手の父兄の方々に、確認のために尋ねてしまったんです。
「今日の浦和は何年生主体のチームなんですか?」と。

父兄の方は(やさしそうなお父さん風でした)、
「中3と中2です」と教えてくれました。

そのあとわたしはうっかり、言わなくてもいいことを言ってしまったのです。
「ああそうなんですか。てっきり中2と中1のチームだったのかと思いました」

このあと、父兄の方々の顔色は、明らかに変わりました。

しまった、と思ってももう後の祭り。

失礼を言って、申し訳ありませんでした。

自分の思い違いだったのか、という意味で言ったのであって、決して他意はありませんでした。
でも絶対に、バカにされたとか、からかわれたとか、侮辱された、と受け取られたでしょうね。

本当にすみませんでした。

ああ、失敗した。
ただ「ありがとうございました」でよかったのに、どうして余計なことを言ってしまったのだろう。

こういう、思いもよらない侮辱って、結構記憶に残るんですよね。
あのお父さんも、ずっと覚えてるんだろうなあ。
気分悪くしただろうなあ。
悪いことしたなあ。

試合中、あんなにぺちゃくちゃいろいろ話してた、奥さんまで黙っちゃったもんなあ。









でも、もしかしたら、意外と気にしてないかもしれないし。
もうすっかり忘れてしまったかもしれないし。
わたしもなかったこととして、忘れちゃおう。

そもそも、あんなにひどい試合をした浦和レッズが、一番悪いという見方もできなくないし。
だってマジで、前半途中からは、「去年まで小学生だったにしては、ベストのクマガヤ相手にこれだけできるんだから、やっぱ浦和の選手たちはすごいなあ。この子たちが3年生になったらすごいことになるんじゃないだろうか。浦和もものすごい育成の仕方をするよなあ。公式戦でクマガヤ相手に、あえて新人を千尋の谷に落とすんだから」と思って感心して観てましたから。

だから、わたしも悪かったですけど、レッズも悪かったってことで、差し引きゼロで、チャンチャン。

てへ。

2012年10月5日金曜日

天然芝グラウンド

 先月行った前橋市には、国際交流市長杯の試合会場となっているものだけでも、確か三箇所は天然芝グラウンドが整備されていた。
 群馬県の中心都市と北足立郡北部地区を比較するのもなんではあるが、それでも1市対4市1町として、決して言い訳のできる環境差ではないとわたしは思う。

 北足立北地区の天然芝グラウンドでぱっと思い浮かぶのは、鴻巣市の陸上競技場だ。
 次は桶川市のごみ処理場隣のグラウンド。ここは何かの施設の屋上にあるので、ボール拾いがとても危険だった記憶がある。
 上尾市と北本市と伊奈町については、天然芝のグラウンドがあったのか、わたしの記憶では定かではない。
 あと、そうそう、鴻巣市の荒川河川敷に、手入れが行き届いているとは呼べないような天然芝の広場のような運動場があったはずだ。

 人工芝のグラウンドは、鴻巣市の上谷総合運動場にひとつあるだけ。

 こうしてみると、この地区では鴻巣市がサッカーに理解があるといっていいだろう。

 上尾高校のある上尾市が、サッカーよりも野球重視だというのは理解できる。上尾市にとっては、大事にしたいイメージなのだろう。「上尾といえば野球」というのは。

 桶川市と北本市には、率直に言って何もない。
 桶川市には本田飛行場があって、北本市には解脱会がある、と思っているのは地元の人間だけで、まあ今度圏央道が全線開通すれば桶川北本インターチェンジとして、多少は知名度が向上するだろうが、それでも特徴のない自治体、地域であることには変化はないだろう。

 ここはそれを逆手にとって、看板ではなく内容で勝負する行政に注力してはどうだろうか。言い換えれば、『穴場の自治体』として、リピーターを増やすことを考えて街づくりをするのだ。
 リピーターとは、この地域で生まれ育った人、仕事で一時期暮らした人をさしている。
 そういう人に「この地域で暮らしたい」と思ってもらえるような街づくりだ。

 効果的なのは、地域の人が気軽に参加できるイベントやクラブや自由さが、日常に転がっているような環境を整えること。
 あれやっちゃ駄目、これやっちゃ駄目、では、その枠の中にいる人は暮らしいいかもしれないが、その枠に入らなかった人にはストレスでしかない。

 昨今、ボール遊び禁止、ペットの同伴禁止、飲食禁止、そういう公園が増えていると聞く。そういう注意書きが増えることはあっても減ることはない、それが当たり前だという風潮を、この地域から変えて行きたい。
 何週間も前に予約しないと使えないグラウンドじゃなく、思い立ったら気軽に使える天然芝のグラウンドがたくさんある地域にしたい。
 手入れが大変だというなら、マシンで整備しようじゃないか。粉砕すれば、犬猫の糞だって肥料になる。芝刈りや草刈りが好きな人だって、実は大勢いる。あれって無心になれるから、すごくいいストレス解消になるし。
 公園の樹木や街路樹には、甘い実のなる木を植えよう。
 市の広報には、毎回季節の花の種を添付しよう。
 公用車には、楽しくなるようなイラストやデザインをほどこそう。
 民家の庭先や門には、防犯も兼ねて太陽電池のライトを付けよう。夜に真っ暗な街は怖いから。
 暗渠になっている小川を復活させよう。そして錦鯉の泳ぐ姿を見せよう。

 コストが掛かるから。一部の人しか使わないので不公平だから。役人や議員は、いつもそんなことを言って、なにもやらない。
 もっと困っている人がいる。それよりもまず弱者対策が先だ。とクレームをつけてくる大声の人たちもいる。

 それは確かに正論だ。
 でも思い返してみて欲しい。
 正論ばかり言ってたやつに、友達がいなかったことを。
 そんなやつがいた記憶はあるけど、だれも名前を覚えていないことを。

 木登りしたら危ないよ。これは正論だ。
 でもクラスのヒーローは、高い木に登っていった。
 そしてみんなから「どこまで見えた?」と質問攻めにあう。
 そしてヒーローは答えるのだ。
 「ずっと遠くまで見えたよ」と。

 どうか桶川市と北本市の行政を預かるポジションにある方々には、ずっと遠くまで見据えた政策で、この地域を育てて言って欲しい、と願う今日この頃なのでありました。


おわり

2012年10月3日水曜日

前橋市長杯

今年も前橋市長杯を観戦にでかけた。

第16回国際交流サッカー大会前橋市長杯U-12
前橋市制施行120周年記念事業 東日本大震災復興支援
9月15日(土),16日(日),17日(祝)

総合結果順位(1位より降順)

浙江緑城FC
川崎フロンターレ
バディーSC
柏レイソル
レジスタ
VF甲府
アスペガス生駒
JACPA東京
NEOS
柏RAA’82
VIVAIO船橋
図南SC
SP-フッチ
アビリスタ
在日本朝鮮選抜
アイリス住吉
ソウル市選抜
韓国全国選抜
前橋市選抜
江南南SS
アスルクラロ沼津
名古屋FC
横浜F・MP追浜
FTP SC
コラソン
三菱養和巣鴨
アルティスタ
スクエア富山
エスポルチ秋田
福島ユナイテッド
杉並アヤックス
VIENTO
門真沖SC
FC杉野
チョンリマFC
FC Enable

以上全36チーム


1位の浙江緑城FCというチームだが、ウィキペディアによれば――

 杭州緑城足球倶楽部(こうしゅう-りょくじょう-)は中華人民共和国の東部、浙江省杭州市を本拠地とするサッカークラブである。中国サッカー・スーパーリーグ(中国超級聯賽、国内リーグ1部に相当)に所属。1998年 緑城房産、浙江大学、浙江省サッカー協会が共同で浙江緑城足球倶楽部創立。


現在トップチームには、レッズにいたマゾーラやフロンターレにいたレナチーニョが所属しているらしい。

浙江省杭州市といえば、先日の反日デモで日本料理店や日本のラーメン店が破壊されたことでも有名な街であり、上尾市の姉妹都市でもある街。
http://sankei.jp.msn.com/world/photos/120819/chn12081922130005-p8.htm

緑城(グリーンタウン)というのは浙江省で好き勝手やってる大手不動産グループ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0216&f=stockname_0216_106.shtml


 わたしは大会初日に、今年オープンしたばかりの天然芝グラウンドである下増田多目的広場で観戦した。
 伊勢崎オートレース場のすぐ裏ということだったのだが、何本もの川とローカル鉄道に挟まれた立地で、会場へ着くには意外と手間取った。
 会場のコンディションはすばらしいの一言。できたばかりとあって、雑草の一本も生えていない天然芝のグラウンドで試合ができる子供たちは幸せだ。
 ただし、なぜかカラスが大量にいて、フェンスの上からじっと試合を眺めていた。
 おそらくカラスの方が先に住み着いていて、そこにあとから人間がグラウンドを造成したということなのだろう。

 観戦した試合は、バディーSC対ソウル市選抜選。全日本少年サッカー大会ベスト4のチームが、おそらく一学年もしくは二学年上も混じっているであろうソウル市選抜とどういうゲームをするのかが楽しみだった。
 ちなみにソウル市選抜に上の学年が混じっているだろうというのは、わたしの憶測だ。
 この大会に参加する海外チームは、学制の違いからなのだろうが、例年中学生が混じっている。ソウル市選抜もそうなんだろうなあと考えた。

 実際体格では一回り以上、ソウル市選抜の方が大きかった。髪も、韓国ファッション独特の茶髪が何人もいた。態度も、日本の基準からするとそうとうに悪く、時間もまったくルーズだった。
 まあ別に悪気があるのでもないのだろう。あくまで日本の感覚からすると、わたしにはそう感じられたという話だ。
 ちなみに、試合開始時も後半開始時も、規定の時間が来て、審判が呼んでも、まったく意に介さずだらだら歩いて来るあたり、それに対してコーチらも気にしていない様子は、同じ東アジア人といっても外国人なんだなあとあらためて学ばされた。

 試合内容は、個人技でまさるバディーに戸惑うソウル選抜という感じで終始進んだ。
 相手が小学生だと思ってなめていたら、ガツンとやられたってところだろう。
 前半早々にバディーの決定的なヘディングがバーをたたき、そこからもシュートチャンスがあったのはバディーだけ。ソウル選抜はシュートゼロだった。

 後半になると尻をたたかれたのかソウル選抜が猛攻をしかけてきた。当たりも激しくなり、シュミレーションも大げさになってきた。オーバーに転んで「オオウ、アオオウ」と審判へアピールする辺りは、さすが泣き女の文化の国の人たちだなあと、腹の中で大笑いした。

 試合結果はバディーが前半に、完璧な崩しからインサイドで冷静に流し込んだ1点を守りきって、1-0でバディーの勝利。

 各大会会場がもっと近ければ、レイソルやレジスタ、韓国全国選抜、江南南、フロンターレ、アビリスタ、そして浙江緑城の試合を見たかったのだが、この日はとにかく暑くて、1試合だけの観戦で早々に退散した。

 『泣き女』
 韓国や台湾の冠婚葬祭文化の代表的なもののひとつ。葬式の際、故人がいかに徳のある人だったかをアピールするために雇われる、泣きのプロ集団。どれだけ激しく泣きじゃくるか、またその人数がどれほどか、によって故人の「すばらしい人ランク」が決まる。この風習のことを知らずに、韓国や台湾の方の葬式に出席すると腰を抜かすほど驚く。なにせ、徐々に盛り上がって泣くのではなく、「ではお願いします」といった感じに突然スイッチが入って、大の大人が駄々をこねる子供のように泣きじゃくるのだから(でもたぶん、上手い下手はあると思う。絶対)。
 感想はいろいろあるとは思うが、昨今のあまりにさっぱりあっさりした日本の葬式も、正直なんだかなあとわたしは思っているので、あの盛り上がりっぷりは、韓国の飲み会と共に、敬意を払ってしまう。だって今時の日本の葬式じゃあ、ほんとに香典渡しに行ってるだけみたいだもん。わざわざ喪服に着替えるのも面倒に思えるくらいに形式的になってる。あれじゃあ、そう遠くない時に廃れてしまうだろうね。


以上









2012年9月29日土曜日

梅ちゃん先生

 NHK朝の連続小説『梅ちゃん先生』が最終回を終えた。
 全回見たとは言えないが、それでもほとんどの回は見たはずだ。

 わたしがこの朝ドラを見続けたのは、あまり人が死ななかったからだ。
 現実の世界で毎日たくさんの人が死んでいるのに、何も朝ドラでまで人が死ぬシーンを見る必要はないとわたしは思う。

 命あるものはいつか必ず死ぬのだから、死を描かないドラマにはリアリティがない、ということもあるかもしれない。
 でもそういうのであれば、そこに描かれる死もリアルでなければならないのではないだろうか。

 まるで眠っているかのような死体に、ドラマチックな音楽をかぶせるようなものは、命あるものの死ではないとわたしは思う。

 いや、そのへんはテレビだから、というのであれば、最初からリアリティなど持ち出さなければいいだけの話だ。

 というわけで、死よりも生を描いた『梅ちゃん先生』を、わたしは楽しく見ることができたのであります。

2012年9月28日金曜日

がっかりする理由

 小学生のときには、この子はどこまで成長してくれるのだろうか、と期待していた選手が中学生になってぱっとしなくなっていたときのがっかり感は、いったいどこから来るのでしょうか。


 答えは簡単で、それは期待した側の経験不足から来るのです。

 人間でなくてもいいのですが、長い時間を掛けて何かを育てる経験や、長い時間と手間を掛けて何かを作り上げる、あるいは成し遂げる経験を何度も積み重ねて来ていれば、予測や期待がどれほど当てにならないものなのかを学んでいます。

 『親ばか』という言葉がありますが、『教師ばか』や『コーチばか』という言葉はありません。
 『ばか親、ばか教師、ばかコーチ』はあるのにです。

 どうしてなのかというと、一般的に親と教師やコーチは、質の差こそあれ、育てることについての経験が違うからです。


 期待を裏切られた、期待外れだったという状況には、単純に期待した期待が間違いだったというだけの意味しかありません。
 いや能力的にはもっと上へ行ける素材だったのに、本人が努力を怠ったのだ、あるいは友人関係が良くなかった、あるいは指導者に恵まれなかったのだ、というのも、要するに、期待する側にその辺りの可能性まで考慮するだけの経験が不足していたというだけのことなのです。

 結局のところ、期待や予測というのは、期待や予測をする側の器の外には出られません。
 そういうものだと、まず期待する側が理解することが大切です。

 サッカーでぱっとしなくなったからといって、その子の評価が下がるものではありません。その子は、プロサッカー選手を育てるゲームのキャラクターではないからです。まず、その子の人生があって、その一部にサッカーがあるというイメージを持ちましょう。

 さてここで大事になるのは、そのぱっとしなくなったサッカーと今後どう付き合っていくか、です。
 もちろんその子本人のことです。
 ぱっとしなくなったから辞めてしまうのか、遊びのつもりで適当にやるのか、あるいはもう一度輝くために更なる努力を続けるのか、あるいはたとえもう前のようにはならなかったとしても、自分にできる精一杯で継続していくのか。
 
 親として子の人生を見通したとき大事なのは、最後に紹介した姿勢で現実と向き合える人間に、わが子が成れるかどうかだと、わたしは思うのです。
 自分の思い通りにならなくとも、一番手や主役になれなくとも、一度はじめたことは余程のことがない限り自分からは止めない。マラソンで言えば、優勝が不可能となっても、ゴールを目指して最後まで足を進め続けるような、そんな信念を当たり前のこととして抱く人間になれるかどうかで、人生は大きく変わってきます。

 以前、試合で負けている状況でどういう態度を取れるかが大事だと書きました。そこからが面白くなってくるのだと。
 実社会も同じだと、わたしは確信しています。
 苦しい状況、絶体絶命の状況、面白くない状況、自分の思いとは違う状況、そういう状況に陥ったときこそ、実は人生が本当に面白くなってくる序曲が始まっていることに気づくべきです。

 「おれこの前、山に登ったんだけど、途中で嵐になって来ちゃってさ」
 「それでどうしたの?」
 「ヤバくなる前に下山したよ」

 これじゃあ面白くもなんともないです。
 やはり、

 「本格的に荒れる前に、頂上行っちゃえって思ったわけ」
 「おまえ~そりゃあ無茶だよ」
 「そう思うだろ? ところがさ…」
 「なになに、どうなったの?」

 こうじゃなきゃ、楽しくないです。
 
 サッカーがうまくいかなくなったからって、すぐあきらめて下山して、じゃあ今度はあっちの山にしようとか、山は止めて海にしようとか、それじゃまたちょっとうまくいかなくなったら、次はどうするんですか? 同じことを繰り返すんですか?

 途中で止めたら、その後、本当に予想通りに失敗したのかさえわかりません。
 予想や期待は、それを下す当人の器から出られないんですから。
 その外にあるものを手にするためには、むしろ経験値の低い者の予想や期待は、かえって足かせになると、わたしは確信しています。

 お父さんお母さんも、わが子にがっかりする前に、三人以上は子育て経験を積みましょう。
 期待してがっかりするのは、その後です。
 それが無理だというのであれば、『今』だけをしっかりと見ましょう。
 勝手に期待しておいて、「おまえにはがっかりしたよ」などとわが子に感じさせるような態度は絶対に止めてください。
 親の期待に応えようとして人生を誤るケースが後を絶ちません。
 そうならないために。


 雨上がりの最高の絶景。
 雲海の上に輝く巨大な虹。
 それらを見ることができるのは、雨の中を登り続けた者だけなのです。

2012年9月26日水曜日

領土問題その2

日本と周辺諸国の領土問題を考える前提として、第2次大戦終了時の東アジアの雰囲気を忘れてはなりません。 原爆水爆を食らい、首都および主要都市&インフラを空襲で壊滅させられた日本は、実質滅亡状態であり、いずれそう遠くない時期に、地球上から消滅する国と見られていました。少なくとも、日本以外のアジア諸国はそう見ていました。日本は必ず復活するなんて思っていたのは、日本人でも一部に過ぎません。 東アジアを含むユーラシア大陸は、社会主義共産主義の赤色に染め尽くされると思われていました。 こんなに悲惨な戦争の原因は資本主義にあるとされたからです。アメリカでさえ、そうした考えが主流となりつつありました。 ちなみにアメリカがそうならなかったのは、イデオロギーの力ではなく、宗教の力、つまりキリスト教の力でした。宗教を否定する社会主義共産主義を、清教徒の国であるアメリカはどうしても許せなかったんです。それはどちらが正しいかではなく、神と悪の戦いと同義だったからです。 東アジアにはそうした抵抗勢力が存在しなかったため、帝国主義の日本が消滅すれば、あとは平和と平等の社会主義共産主義のユートピア世界が誕生するのを待つだけ。時間の問題。そういう雰囲気でした。 ところが社会主義共産主義勢力は、朝鮮戦争でまさかの朝鮮半島制圧に失敗。 そのままの流れで、東アジア地域もヨーロッパ同様に東西冷戦状態に陥ります。 そしてそんな中、いずれ消滅するのは確実と見られていた日本が奇跡の復活を遂げてしまいました。 このことは東アジアの関係諸国にとって、戦後最大の誤算となりました。 さらに追い討ちが掛かります。 社会主義共産主義が歪み、その結果、東西冷戦で東側の大敗北。 終戦時には圧倒的な優位にあった北朝鮮に対抗させるために、アメリカが日本に課したノルマである韓国の国力アップミッション(戦時体制を維持させたまま経済を強化するという非常に無理筋なミッションでした)も、アメリカの期待以上にやり遂げました。 やがて東側が自壊したことにより、終わらないと思われた冷戦は、西側の地滑り的勝利として終わります。 こうした状況の変化は、すべて終戦時にはだれも想像していなかったことだということを、前提にして考えないと、昨今の領土問題は混乱するだけです。 領土問題や歴史認識についての韓国や中国の主張はすべて、現在から過去を振り返っての視点に立って構築されています。現在がこうであるためには、過去はこうでなければならない、という論法です。両国は、当時はどうであったとか、実際にはどうであったとか、そういったことに関心はないのです。 こうした歴史観は中国、というかシナ文化圏の伝統的な歴史観であって、それは司馬遷にまでさかのぼる根深い文化です。 この地域の大陸文化圏の人々には、この歴史観が血肉となって染み付いています。 逆の見方をすれば、このいわゆるシナ(中国はあくまで国名の略称です)文化圏であるなら、正しい歴史観はこっちの方であって、むしろ同じ文化圏にありながら客観的な史実にこだわる歴史観の日本の方が異常だと言えるわけです。 ということは、日本的な歴史観に基づいて、中国韓国両国を説得することはできない、ということになります。なぜなら、こちらの方が異常なのですから。 客観的に見ても、史実的に見ても、正しいのは日本の方です。でも、それは、この文化圏では通用しないのです。 ですからこの地域で領土問題を解決するには、日本が相手に合わせるか、相手が変化するのを待つか、その二つしか道はありません。 日本が証拠を挙げて正論を主張すれば中国韓国を説得できる、誠意を持って根気強く説明すればわかってくれる、国際司法裁判所の裁定が下れば従わざるを得ないはず、などと考えるのはこの地域(何度でも書きますが、いわゆるシナ地域文化圏のことです)を知らないからです。こんな期待を持ってもがっかりイライラ腹立たしい思いをするだけで、自分の損です。そんなことはあり得ないからです。彼らは絶対に認めません。認めないためになら死を選ぶくらいのことはやります。血肉となるというのは、そのくらい強烈なことなんです。自らの存在意義そのものに掛かる大問題であって、自分が間違っていたとは間違っても認められないんです。やっかいな連中です。でも、それがふつうなんです。本来は。この地域では。日本の方が異常なんです。この地域では。そこをわかってあげないと。 日本が、敗戦後の自国の領土を守るためには、ロシアを含めた中国韓国といった国々の側にとっての「現在の歴史」が変わってくれるのを気長に待つしかありません。 中国や韓国の将来の歴史で、己の正統性を証しせねばならずその時点での状況を正当化するために、昨今の両国の政権は間違っていたとなったとき、領土問題や歴史認識を含めた戦後のこうした問題は、あっさりと解決するでしょう。 それまでは、どうにもなりません。