FCバルセロナからマネぶ(学ぶ)こと
それは見かけのテクニックではなくて、
“育成哲学”だと思うのです。
それは「仲間を生かすことのできる選手を育てる」ではないでしょうか。
FCバルセロナではそれを「愛」であるとか「バルサ愛」だとかと表現しているようですが、
要は「One for All, All for One」というチームスポーツの鉄則を、
具体的に修得させる方法論だと思うわけです。
メッシやイニエスタは育てられなくても、おなじこのハートをもった人間を育てることは、どんなクラブであっても可能な目標だと思います。
2011年12月21日水曜日
2011年12月2日金曜日
頭が良いんだか悪いんだか
朝日新聞
2011年(平成23年)12月2日 金曜日
オピニオン面 私の視点
TPP交渉 反対するなら批准手続きで
渡辺頼純 わたなべ よりずみ
元GATT事務局経済問題担当官
慶應大総合政策学部教授
TPP(環太平洋経済連携協定)を巡る議論が迷走している。
与野党を問わず「慎重派」と称する抵抗集団が、「反対のための反対」に時間を浪費している。
菅直人前首相が昨年10月の国会演説でTPP交渉参加を話題にしてから1年以上も「慎重に」議論してきた。
国民は彼らの言う「慎重」とは「何もしないこと」だと感じ始めている。
そもそもTPP協定なるものはまだ出来上がっていない。
交渉次第で日本にとって有益なものとなりうるのに、なぜ国会議員は「交渉入り」することにさえ反対するのか。
TPPを交渉することと、交渉を経て合意されたTPPという国際協定を受諾することは、制度上異なっている。
交渉するのは外務省を中心とした政府であり、この交渉結果を日本として受け入れるかどうかを決定する「批准」行為は国会の仕事である。
政府に交渉させて、その結果が国益に反しているなら、その時点で国会が批准しなければ良いだけの話だ。
ましてや国会が政府に対し、交渉する前から「コメは除外せよ」「医療は外せ」などと迫ることは交渉上必要な柔軟性を奪うことになり、百害あって一利なしだ。
交渉の本質は「条件闘争」であり、その「条件」は交渉の間はブラックボックスにしまい込んでおかなければならないからだ。
TPPは本当に日本にメリットをもたらすのか。
この質問も、国際交渉についての理解の欠如に由来する。
答えは簡単で、「日本にメリットをもたらすように交渉する」ことが肝要なのだ。
1986年から94年まで続いたGATT(関税貿易一般協定)のウルグアイ・ラウンドを思い出してほしい。
交渉を開始した時点でいったい誰が、今日のWTO(世界貿易機関)協定という「交渉の果実」を想定していただろうか。
TPPを巡っては農業が問題とされることが多い。
しかし、農業問題は21もあるTPPの交渉分野の一つでしかない。
他のほとんどの分野で日本は「攻め」の姿勢で臨むことが出来る。
工業製品は言うまでもなく、知的所有権の保護強化、投資環境の改善、インフラ輸出など日本にとってのメリットは多々ある。
農業はどうでもよいと言っているのではない。
むしろ逆だ。
日本農業は保護され過ぎてここまで衰退した。
今、変えるべきは「農政」であって、農政を変えることで農業を再生するのである。
そのためには日本の農業を国際競争にさらすことが重要で、TPPはそのための、またとない機会を与えてくれている。
──以上──
『他のほとんどの分野で日本は「攻め」の姿勢で臨むことが出来る。』
まったくイメージがわかないのだが、「攻めの姿勢の交渉」とははたしてどういうものなのだ?
そのあげく
『結果が国益に反しているなら、その時点で国会が批准しなければ良いだけの話だ。』
なんてことが可能なのだろうか?
どうも「国際交渉についての理解が欠如」しているらしいオレにはまったくわからん。
ちんぷんかんぷんだ。
っつうか、「ちんぷんかんぷん」って何だ?
2011年(平成23年)12月2日 金曜日
オピニオン面 私の視点
TPP交渉 反対するなら批准手続きで
渡辺頼純 わたなべ よりずみ
元GATT事務局経済問題担当官
慶應大総合政策学部教授
TPP(環太平洋経済連携協定)を巡る議論が迷走している。
与野党を問わず「慎重派」と称する抵抗集団が、「反対のための反対」に時間を浪費している。
菅直人前首相が昨年10月の国会演説でTPP交渉参加を話題にしてから1年以上も「慎重に」議論してきた。
国民は彼らの言う「慎重」とは「何もしないこと」だと感じ始めている。
そもそもTPP協定なるものはまだ出来上がっていない。
交渉次第で日本にとって有益なものとなりうるのに、なぜ国会議員は「交渉入り」することにさえ反対するのか。
TPPを交渉することと、交渉を経て合意されたTPPという国際協定を受諾することは、制度上異なっている。
交渉するのは外務省を中心とした政府であり、この交渉結果を日本として受け入れるかどうかを決定する「批准」行為は国会の仕事である。
政府に交渉させて、その結果が国益に反しているなら、その時点で国会が批准しなければ良いだけの話だ。
ましてや国会が政府に対し、交渉する前から「コメは除外せよ」「医療は外せ」などと迫ることは交渉上必要な柔軟性を奪うことになり、百害あって一利なしだ。
交渉の本質は「条件闘争」であり、その「条件」は交渉の間はブラックボックスにしまい込んでおかなければならないからだ。
TPPは本当に日本にメリットをもたらすのか。
この質問も、国際交渉についての理解の欠如に由来する。
答えは簡単で、「日本にメリットをもたらすように交渉する」ことが肝要なのだ。
1986年から94年まで続いたGATT(関税貿易一般協定)のウルグアイ・ラウンドを思い出してほしい。
交渉を開始した時点でいったい誰が、今日のWTO(世界貿易機関)協定という「交渉の果実」を想定していただろうか。
TPPを巡っては農業が問題とされることが多い。
しかし、農業問題は21もあるTPPの交渉分野の一つでしかない。
他のほとんどの分野で日本は「攻め」の姿勢で臨むことが出来る。
工業製品は言うまでもなく、知的所有権の保護強化、投資環境の改善、インフラ輸出など日本にとってのメリットは多々ある。
農業はどうでもよいと言っているのではない。
むしろ逆だ。
日本農業は保護され過ぎてここまで衰退した。
今、変えるべきは「農政」であって、農政を変えることで農業を再生するのである。
そのためには日本の農業を国際競争にさらすことが重要で、TPPはそのための、またとない機会を与えてくれている。
──以上──
『他のほとんどの分野で日本は「攻め」の姿勢で臨むことが出来る。』
まったくイメージがわかないのだが、「攻めの姿勢の交渉」とははたしてどういうものなのだ?
そのあげく
『結果が国益に反しているなら、その時点で国会が批准しなければ良いだけの話だ。』
なんてことが可能なのだろうか?
どうも「国際交渉についての理解が欠如」しているらしいオレにはまったくわからん。
ちんぷんかんぷんだ。
っつうか、「ちんぷんかんぷん」って何だ?
2011年9月18日日曜日
2011年9月14日水曜日
2011ナショナルトレセンU-12 ─関東─夏
2011ナショナルトレセンU-12 関東メンバー
№ ポジション 氏名 生年月日 身長 体重 所属チーム 学年 都道府県
01 FP 阿須間 貫太 19990517 157 43 FC北浦 小6 茨城
02 FP 西廣 洋介 20000128 142 32 フットボールクラブ波崎 小6 茨城
03 FP 岡安 優 19990720 145 35 古河SS 小6 茨城
04 FP 常松 祐星 19990515 148 40 古河SS 小6 茨城
05 FP 富山 隼 19990718 143 33 古河SS 小6 茨城
06 FP 仲上 悠音 19990525 153 46 古河SS 小6 茨城
07 FP 長谷川 隼平 19991110 135 30 千代田サッカー少年団 小6 茨城
08 FP 菅谷 晃平 19990508 155 42 那珂フットボールクラブ 小6 茨城
09 FP 細谷 樹 19990413 142 33 吉田ヶ岡サッカースポーツ少年団 小6 茨城
10 GK 石川 頒悟 19990708 153 40 那珂フットボールクラブ 小6 茨城
11 FP 酒井 綜一郎 19990405 146 36 バディーサッカークラブ 小6 神奈川
12 FP 藤田 一途 19990630 152 38 特定非営利活動法人あざみ野FC 小6 神奈川
13 FP 松井 康輔 19990726 161 46 3BSC 小6 神奈川
14 FP 本山 鐘現 19990630 150 37 特定非営利活動法人あざみ野FC 小6 神奈川
15 FP 橋本 新生紀 19990605 145 37 菅FC 小6 神奈川
16 FP 浦川 流樺 19990608 145 32 足柄フットボールクラブ 小6 神奈川
17 FP 佐々木 龍生 19990705 140 32 林サッカークラブ 小6 神奈川
18 FP 岩崎 駿 19991106 148 34 リトルジャンボサッカークラブ 小6 神奈川
19 GK 尻無浜 竜太 19990413 160 45 林サッカークラブ 小6 神奈川
20 FP 西山 大雅 19990824 156 40 FC六会湘南台 小6 神奈川
21 GK 瀧澤 蓮 19991108 153 45 平井JFC 小6 群馬
22 FP 堤 寿輝 19990622 158 45 芝根リトルスター 小6 群馬
23 FP 堀越 竜成 19990531 145 39 前橋荒子フットボールクラブ 小6 群馬
24 FP 松田 陸 19990503 141 31 美土里サッカークラブ 小6 群馬
25 FP 田部井 涼 19990625 145 39 図南サッカークラブ前橋 小6 群馬
26 FP 桐生 浩太 19990412 144 32 前橋ジュニア 小6 群馬
27 FP 青木 大和 19990902 150 38 ジラーフ赤堀SCジュニア 小6 群馬
28 FP 森口 滉平 20000106 146 38 J・Oフットボールクラブ 小6 群馬
29 FP 岡田 将英 19990509 160 41 フットボールクラブ碓東ジュニア 小6 群馬
30 FP 大原 彰輝 19990828 154 42 芝根リトルスター 小6 群馬
31 FP 品田 愛斗 19990919 149 36 レジスタFC 小6 埼玉
32 FP 白田 颯人 19990512 140 33 レジスタFC 小6 埼玉
33 FP 山崎 舜介 19990519 143 37 越谷サンシンサッカースポーツ少年団 小6 埼玉
34 FP 中村 一貴 19990821 138 30 1FC川越水上公園 小6 埼玉
35 FP ※シマブク カズヨシ 19990729 145 31 NPO法人東松山ペレーニアFCジュニア 小6 埼玉
36 FP 山下 勇希 19991028 138 32 プログレッソサッカークラブ 小6 埼玉
37 FP 菊池 泰智 19990507 136 34 浦和辻サッカー少年団 小6 埼玉
38 FP 大西 翔也 19991007 150 39 NEOS Football Club 小6 埼玉
39 GK 高草木 天平 19991008 161 50 浦和大門サッカー少年団 小6 埼玉
40 FP 小林 純 19990617 157 46 深谷サッカースポーツ少年団 小6 埼玉
41 FP 中川 創 19990601 163 44 市川フットボールクラブ 小6 千葉
42 FP 高坂 龍之介 19990513 157 46 ペガサスジュニアフットボールクラブ 小6 千葉
43 FP 古川 大悟 19990915 155 45 長生FC 小6 千葉
44 FP 木村 隼人 19990430 147 36 バリエンテオンセフットボールクラブ 小6 千葉
45 FP 森 大輝 19990410 144 32 市川K・IFC 小6 千葉
46 FP 榎本 啓吾 19990905 142 32 市川中央リトルキッズ 小6 千葉
47 FP 深川 大輔 19990602 161 42 幸町サッカー少年団 小6 千葉
48 FP 吉田 和拓 19990429 150 45 矢切サッカークラブ 小6 千葉
49 FP 山田 葵士 20000122 145 35 レイソルサッカースクール長生U-12 小6 千葉
50 GK 鈴木 歩 19990619 147 37 FCウーノ木更津 小6 千葉
51 FP 塩澤 隼人 19990418 155 40 バディサッカークラブ 小6 東京
52 FP 梶野 航平 19990729 140 35 クリアージュフットボールクラブクリアンサ 小6 東京
53 FP 長谷川 光基 19990427 152 38 FC春江 小6 東京
54 FP 石塚 海 19990628 152 41 ジェファフットボールクラブ 小6 東京
55 FP 小林 真鷹 19990713 149 35 サンデーサッカークラブ 小6 東京
56 FP 小林 粋 19990728 163 53 東京・清瀬VALIANT 小6 東京
57 FP 杉山 伶央 20000304 134 26 白百合サッカークラブ 小6 東京
58 GK 和田 侑大 19990614 157 44 白百合サッカークラブ 小6 東京
59 FP 小林 幹 19990427 157 44 多摩平ジュニアサッカークラブ 小6 東京
60 FP 原 大智 19990505 158 41 多摩平ジュニアサッカークラブ 小6 東京
61 GK 青木 誠 19991214 155 43 KSC鹿沼 小6 栃木
62 FP 本多 亨輔 19990407 164 47 阿久津サッカークラブ 小6 栃木
63 FP 森 心耶 1999 0510 162 50 高根沢西フットボールクラブ 小6 栃木
64 FP 赤澤 蓮 20000314 145 38 栃木サッカークラブジュニア 小6 栃木
65 FP 荒井 克己 19991227 135 32 宇都宮北部FCトレ 小6 栃木
66 FP 金澤 礼弥 19990610 150 34 FCアネーロ宇都宮・U-12 小6 栃木
67 FP 和氣 昌平 19990624 151 35 昭和・戸祭サッカークラブ 小6 栃木
68 FP 齋藤 雅之 19990821 126 23 エスペランサMOKA 小6 栃木
69 FP 早乙女 達海 19990622 151 36 都賀クラブジュニア 小6 栃木
70 FP 桧山 悠也 19990910 150 43 栃木サッカークラブジュニア 小6 栃木
71 FP 桑田 龍虎 19991005 137 30 Uスポーツクラブ 小6 山梨
72 FP 桑原 直也 19990827 165 54 Uスポーツクラブ 小6 山梨
73 FP 竹川 忠我 19991127 143 33 Uスポーツクラブ 小6 山梨
74 FP 塚田 裕介 19990609 140 37 Uスポーツクラブ 小6 山梨
75 FP 雨宮 慶伍 19990427 155 37 中央湯田ジュニア 小6 山梨
76 FP 須賀 佑 19991004 142 30 ふぉるとぅなサッカークラブU-12 小6 山梨
77 GK 三枝 蒼 19991015 153 37 八田サッカースポーツ少年団 小6 山梨
78 FP 秋山 友作 19990408 164 53 韮崎スポーツクラブ 小6 山梨
79 FP 入間川 景太 19990520 153 37 ヴォルケーノ富士吉田ジュニアサッカークラブ 小6 山梨
80 FP 佐藤 颯 19990827 148 39 CSCルーデンス 小6 山梨
※JFA公式サイトの記載ママ(なぜに片仮名?)
以上
№ ポジション 氏名 生年月日 身長 体重 所属チーム 学年 都道府県
01 FP 阿須間 貫太 19990517 157 43 FC北浦 小6 茨城
02 FP 西廣 洋介 20000128 142 32 フットボールクラブ波崎 小6 茨城
03 FP 岡安 優 19990720 145 35 古河SS 小6 茨城
04 FP 常松 祐星 19990515 148 40 古河SS 小6 茨城
05 FP 富山 隼 19990718 143 33 古河SS 小6 茨城
06 FP 仲上 悠音 19990525 153 46 古河SS 小6 茨城
07 FP 長谷川 隼平 19991110 135 30 千代田サッカー少年団 小6 茨城
08 FP 菅谷 晃平 19990508 155 42 那珂フットボールクラブ 小6 茨城
09 FP 細谷 樹 19990413 142 33 吉田ヶ岡サッカースポーツ少年団 小6 茨城
10 GK 石川 頒悟 19990708 153 40 那珂フットボールクラブ 小6 茨城
11 FP 酒井 綜一郎 19990405 146 36 バディーサッカークラブ 小6 神奈川
12 FP 藤田 一途 19990630 152 38 特定非営利活動法人あざみ野FC 小6 神奈川
13 FP 松井 康輔 19990726 161 46 3BSC 小6 神奈川
14 FP 本山 鐘現 19990630 150 37 特定非営利活動法人あざみ野FC 小6 神奈川
15 FP 橋本 新生紀 19990605 145 37 菅FC 小6 神奈川
16 FP 浦川 流樺 19990608 145 32 足柄フットボールクラブ 小6 神奈川
17 FP 佐々木 龍生 19990705 140 32 林サッカークラブ 小6 神奈川
18 FP 岩崎 駿 19991106 148 34 リトルジャンボサッカークラブ 小6 神奈川
19 GK 尻無浜 竜太 19990413 160 45 林サッカークラブ 小6 神奈川
20 FP 西山 大雅 19990824 156 40 FC六会湘南台 小6 神奈川
21 GK 瀧澤 蓮 19991108 153 45 平井JFC 小6 群馬
22 FP 堤 寿輝 19990622 158 45 芝根リトルスター 小6 群馬
23 FP 堀越 竜成 19990531 145 39 前橋荒子フットボールクラブ 小6 群馬
24 FP 松田 陸 19990503 141 31 美土里サッカークラブ 小6 群馬
25 FP 田部井 涼 19990625 145 39 図南サッカークラブ前橋 小6 群馬
26 FP 桐生 浩太 19990412 144 32 前橋ジュニア 小6 群馬
27 FP 青木 大和 19990902 150 38 ジラーフ赤堀SCジュニア 小6 群馬
28 FP 森口 滉平 20000106 146 38 J・Oフットボールクラブ 小6 群馬
29 FP 岡田 将英 19990509 160 41 フットボールクラブ碓東ジュニア 小6 群馬
30 FP 大原 彰輝 19990828 154 42 芝根リトルスター 小6 群馬
31 FP 品田 愛斗 19990919 149 36 レジスタFC 小6 埼玉
32 FP 白田 颯人 19990512 140 33 レジスタFC 小6 埼玉
33 FP 山崎 舜介 19990519 143 37 越谷サンシンサッカースポーツ少年団 小6 埼玉
34 FP 中村 一貴 19990821 138 30 1FC川越水上公園 小6 埼玉
35 FP ※シマブク カズヨシ 19990729 145 31 NPO法人東松山ペレーニアFCジュニア 小6 埼玉
36 FP 山下 勇希 19991028 138 32 プログレッソサッカークラブ 小6 埼玉
37 FP 菊池 泰智 19990507 136 34 浦和辻サッカー少年団 小6 埼玉
38 FP 大西 翔也 19991007 150 39 NEOS Football Club 小6 埼玉
39 GK 高草木 天平 19991008 161 50 浦和大門サッカー少年団 小6 埼玉
40 FP 小林 純 19990617 157 46 深谷サッカースポーツ少年団 小6 埼玉
41 FP 中川 創 19990601 163 44 市川フットボールクラブ 小6 千葉
42 FP 高坂 龍之介 19990513 157 46 ペガサスジュニアフットボールクラブ 小6 千葉
43 FP 古川 大悟 19990915 155 45 長生FC 小6 千葉
44 FP 木村 隼人 19990430 147 36 バリエンテオンセフットボールクラブ 小6 千葉
45 FP 森 大輝 19990410 144 32 市川K・IFC 小6 千葉
46 FP 榎本 啓吾 19990905 142 32 市川中央リトルキッズ 小6 千葉
47 FP 深川 大輔 19990602 161 42 幸町サッカー少年団 小6 千葉
48 FP 吉田 和拓 19990429 150 45 矢切サッカークラブ 小6 千葉
49 FP 山田 葵士 20000122 145 35 レイソルサッカースクール長生U-12 小6 千葉
50 GK 鈴木 歩 19990619 147 37 FCウーノ木更津 小6 千葉
51 FP 塩澤 隼人 19990418 155 40 バディサッカークラブ 小6 東京
52 FP 梶野 航平 19990729 140 35 クリアージュフットボールクラブクリアンサ 小6 東京
53 FP 長谷川 光基 19990427 152 38 FC春江 小6 東京
54 FP 石塚 海 19990628 152 41 ジェファフットボールクラブ 小6 東京
55 FP 小林 真鷹 19990713 149 35 サンデーサッカークラブ 小6 東京
56 FP 小林 粋 19990728 163 53 東京・清瀬VALIANT 小6 東京
57 FP 杉山 伶央 20000304 134 26 白百合サッカークラブ 小6 東京
58 GK 和田 侑大 19990614 157 44 白百合サッカークラブ 小6 東京
59 FP 小林 幹 19990427 157 44 多摩平ジュニアサッカークラブ 小6 東京
60 FP 原 大智 19990505 158 41 多摩平ジュニアサッカークラブ 小6 東京
61 GK 青木 誠 19991214 155 43 KSC鹿沼 小6 栃木
62 FP 本多 亨輔 19990407 164 47 阿久津サッカークラブ 小6 栃木
63 FP 森 心耶 1999 0510 162 50 高根沢西フットボールクラブ 小6 栃木
64 FP 赤澤 蓮 20000314 145 38 栃木サッカークラブジュニア 小6 栃木
65 FP 荒井 克己 19991227 135 32 宇都宮北部FCトレ 小6 栃木
66 FP 金澤 礼弥 19990610 150 34 FCアネーロ宇都宮・U-12 小6 栃木
67 FP 和氣 昌平 19990624 151 35 昭和・戸祭サッカークラブ 小6 栃木
68 FP 齋藤 雅之 19990821 126 23 エスペランサMOKA 小6 栃木
69 FP 早乙女 達海 19990622 151 36 都賀クラブジュニア 小6 栃木
70 FP 桧山 悠也 19990910 150 43 栃木サッカークラブジュニア 小6 栃木
71 FP 桑田 龍虎 19991005 137 30 Uスポーツクラブ 小6 山梨
72 FP 桑原 直也 19990827 165 54 Uスポーツクラブ 小6 山梨
73 FP 竹川 忠我 19991127 143 33 Uスポーツクラブ 小6 山梨
74 FP 塚田 裕介 19990609 140 37 Uスポーツクラブ 小6 山梨
75 FP 雨宮 慶伍 19990427 155 37 中央湯田ジュニア 小6 山梨
76 FP 須賀 佑 19991004 142 30 ふぉるとぅなサッカークラブU-12 小6 山梨
77 GK 三枝 蒼 19991015 153 37 八田サッカースポーツ少年団 小6 山梨
78 FP 秋山 友作 19990408 164 53 韮崎スポーツクラブ 小6 山梨
79 FP 入間川 景太 19990520 153 37 ヴォルケーノ富士吉田ジュニアサッカークラブ 小6 山梨
80 FP 佐藤 颯 19990827 148 39 CSCルーデンス 小6 山梨
※JFA公式サイトの記載ママ(なぜに片仮名?)
以上
2011年9月13日火曜日
2011U-13日本選抜メンバー
JFAエリートプログラムU-13(U-13日本選抜) トレーニングキャンプ (9/15~19)
◆【スタッフ】
監督
木村 康彦 キムラ ヤスヒコ KIMURA Yasuhiko
【(財)日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ】
コーチ
猿澤 真治 サルサワ シンジ SARUSAWA Shinji
【(財)日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ】
GKコーチ
望月 数馬 モチヅキ カズマ MOCHIZUKI Kazuma
【(財)日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ】
◆【選手】
選手名 フリガナ アルファベット表記
生年月日 身長 体重 所属
GK
鶴田 海人 ツルタ カイト TSURUTA Kaito
1998.04.16 173 cm 65 kg ヴィッセル神戸伊丹U-15
渡辺 優三 ワタナベ ユウゾウ WATANABE Yuzo
1998.05.24 167 cm 60 kg 川崎フロンターレU-15
FP
中尾 慶心 ナカオ ケイシン NAKAO Keishin
1998.01.11 164 cm 54 kg 徳島ヴォルティスジュニアユース
阿部 雅志 アベ マサシ ABE Masashi
1998.03.07 160 cm 54 kg FC四日市ジュニアユース
川尻 龍司 カワジリ リュウジ KAWAJIRI Ryuji
1998.03.17 165 cm 54 kg コンサドーレ札幌U-15
佐々木 匠 ササキ タクミ SASAKI Takumi
1998.03.30 158 cm 48 kg ベガルタ仙台ジュニアユース
川原田 湧 カワラダ ユウ KAWARADA Yu
1998.04.05 149 cm 40 kg 横浜F・マリノスジュニアユース
高 宇洋 コウ タカヒロ KO Takahiro
1998.04.20 160 cm 47 kg 川崎フロンターレU-15
川上 エド オジョン智慧 カワカミ エド オジョン チエ KAWAKAMI Ed Ojohn Chie
1998.04.21 150 cm 41 kg 浦和レッズジュニアユース
西田 一翔 ニシダ カズト NISHIDA Kazuto
1998.04.28 151 cm 44 kg ガンバ大阪ジュニアユース
東野 広太郎 ヒガシノ コウタロウ HIGASHINO Kotaro
1998.06.10 176 cm 58 kg エスポワール白山FCジュニアユース
岩崎 悠人 イワサキ ユウト IWASAKI Yuto
1998.06.11 152 cm 45 kg JFAアカデミー福島
西本 卓申 ニシモト タカノブ NISHIMOTO Takanobu
1998.06.12 148 cm 35 kg アルバランシア熊本FC
堂安 律 ドウアン リツ DOAN Ritsu
1998.06.16 159 cm 53 kg ガンバ大阪ジュニアユース
イヨハ 理 ヘンリー イヨハ オサム ヘンリー IYOHA Osamu Henry
1998.06.23 159 cm 48 kg FCフェルボール愛知
崎村 祐丞 サキムラ ユウスケ SAKIMURA Yusuke
1998.06.27 165 cm 48 kg アビスパ福岡U-15
中間 俊亘 ナカマ タカヒロ NAKAMA Takahiro
1998.07.03 153 cm 43 kg サンフレッチェ広島ジュニアユース
飛鷹 啓介 ヒッタカ ケイスケ HITAKA Keisuke
1998.08.21 153 cm 40 kg ソレッソ熊本/JFAアカデミー熊本宇城
渡辺 皓太 ワタナベ コウタ WATANABE Kota
1998.10.18 152 cm 42 kg 東京ヴェルディジュニアユース
常本 佳吾 ツネモト ケイゴ TSUNEMOTO Keigo
1998.10.21 160 cm 46 kg 横浜F・マリノスジュニアユース
◆【スケジュール】
9月17日(土)10:00 トレーニングマッチ 対 星稜中学校
9月19日(月)10:00 トレーニングマッチ 対 石川県U-15トレセン
◆【参照】
2010u12トレセン
エド選手の旅立ち
2011レッズu13選手リスト
レッズエド選手画像
朝日新聞のエド選手記事
◆【スタッフ】
監督
木村 康彦 キムラ ヤスヒコ KIMURA Yasuhiko
【(財)日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ】
コーチ
猿澤 真治 サルサワ シンジ SARUSAWA Shinji
【(財)日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ】
GKコーチ
望月 数馬 モチヅキ カズマ MOCHIZUKI Kazuma
【(財)日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチ】
◆【選手】
選手名 フリガナ アルファベット表記
生年月日 身長 体重 所属
GK
鶴田 海人 ツルタ カイト TSURUTA Kaito
1998.04.16 173 cm 65 kg ヴィッセル神戸伊丹U-15
渡辺 優三 ワタナベ ユウゾウ WATANABE Yuzo
1998.05.24 167 cm 60 kg 川崎フロンターレU-15
FP
中尾 慶心 ナカオ ケイシン NAKAO Keishin
1998.01.11 164 cm 54 kg 徳島ヴォルティスジュニアユース
阿部 雅志 アベ マサシ ABE Masashi
1998.03.07 160 cm 54 kg FC四日市ジュニアユース
川尻 龍司 カワジリ リュウジ KAWAJIRI Ryuji
1998.03.17 165 cm 54 kg コンサドーレ札幌U-15
佐々木 匠 ササキ タクミ SASAKI Takumi
1998.03.30 158 cm 48 kg ベガルタ仙台ジュニアユース
川原田 湧 カワラダ ユウ KAWARADA Yu
1998.04.05 149 cm 40 kg 横浜F・マリノスジュニアユース
高 宇洋 コウ タカヒロ KO Takahiro
1998.04.20 160 cm 47 kg 川崎フロンターレU-15
川上 エド オジョン智慧 カワカミ エド オジョン チエ KAWAKAMI Ed Ojohn Chie
1998.04.21 150 cm 41 kg 浦和レッズジュニアユース
西田 一翔 ニシダ カズト NISHIDA Kazuto
1998.04.28 151 cm 44 kg ガンバ大阪ジュニアユース
東野 広太郎 ヒガシノ コウタロウ HIGASHINO Kotaro
1998.06.10 176 cm 58 kg エスポワール白山FCジュニアユース
岩崎 悠人 イワサキ ユウト IWASAKI Yuto
1998.06.11 152 cm 45 kg JFAアカデミー福島
西本 卓申 ニシモト タカノブ NISHIMOTO Takanobu
1998.06.12 148 cm 35 kg アルバランシア熊本FC
堂安 律 ドウアン リツ DOAN Ritsu
1998.06.16 159 cm 53 kg ガンバ大阪ジュニアユース
イヨハ 理 ヘンリー イヨハ オサム ヘンリー IYOHA Osamu Henry
1998.06.23 159 cm 48 kg FCフェルボール愛知
崎村 祐丞 サキムラ ユウスケ SAKIMURA Yusuke
1998.06.27 165 cm 48 kg アビスパ福岡U-15
中間 俊亘 ナカマ タカヒロ NAKAMA Takahiro
1998.07.03 153 cm 43 kg サンフレッチェ広島ジュニアユース
飛鷹 啓介 ヒッタカ ケイスケ HITAKA Keisuke
1998.08.21 153 cm 40 kg ソレッソ熊本/JFAアカデミー熊本宇城
渡辺 皓太 ワタナベ コウタ WATANABE Kota
1998.10.18 152 cm 42 kg 東京ヴェルディジュニアユース
常本 佳吾 ツネモト ケイゴ TSUNEMOTO Keigo
1998.10.21 160 cm 46 kg 横浜F・マリノスジュニアユース
◆【スケジュール】
9月17日(土)10:00 トレーニングマッチ 対 星稜中学校
9月19日(月)10:00 トレーニングマッチ 対 石川県U-15トレセン
◆【参照】
2010u12トレセン
エド選手の旅立ち
2011レッズu13選手リスト
レッズエド選手画像
朝日新聞のエド選手記事
2011年9月5日月曜日
ザック氏の3バック
現役時代は「ブラックエンジェル」「見えないひじを持つ男」「サッカーができる若頭(わかがしら)」「さわやかテロリスト」との異名を馳せた福西現NHK解説者と、現日本代表不動のボランチ遠藤選手の対談です。
遠藤選手が、ザッケローニ監督の3バック戦術について説明しています。
(ガンバTVより)
http://youtu.be/tg8VqMV6gvQ
(動画の埋め込みができませんでした)
遠藤選手が語った内容から、ザッケローニ監督が求める“343”がどういう戦術なのかをざっと推察してみます。
従来の3人のセンターバックによる3バック戦術と異なって、ザック監督の3バックというのは、4バックにおけるサイドバックがサイドハーフの役割もこなす、というもののようです。
でもそうかといって、5バックの両サイドバックが、時には攻撃にも参加するというような岡田俺解説は得意なんだよね武史氏の実質5バック型の3バックとはまったく違います。
ザック監督の3バックは、3バックの3人がセットを保ったまま振り子のように左右へ移動し、それによって空いたサイドを同サイドのハーフがカバーするというもののようです。ただしこの場合でも、サイドハーフは、安易にDFラインへ吸収されることのないよう、高度なリスク判断が求められるみたいです。つまり、リスクの危険度に応じて、ポジションの調節をする(例えば、リスクが低ければ高い位置を保ち続ける、みたいな)ってことです。
これって当たり前みたいに思えますけど、遠藤選手の話では、ボランチも前線の選手も、サイド地域のカバーは求められていないらしいので(前線の選手も、以前の日本代表のような、強烈なプレスは求められていないそうです)、両サイドに1人ずつ配置されるハーフの選手は相当頭も体力も使うことになるでしょう。それに「勇気」も!
心理的には、大事な試合になればなるほど、ギリギリの展開になればなるほど、安全ゾーンを多めに見積もって低めにポジションを取りたくなるものです。裏を取られたら全て自分の責任になりますから。でもそこを高めに取れ! っていうのがザック氏の戦術のキモ。これ、勇気いりますよね。監督も、本人も、周りも。
テレビの画面からも、常に逆サイドはガラガラに見えるんでしょうね。松木氏のような解説者が「危険だ! 危険だ!」などと大騒ぎするのが、今から見えるようです。
この戦術の一端を私なりに理解したところで言うと、ザック監督は「前でボールを奪うこと」を求めていない、ということなのでしょう。
ボールのあるサイドのDFライン+ボランチによって形成したブロックでボールを奪い、それを逆サイド方向へ早く動かすことでダイナミックに攻めたい、みたいなイメージなのではないでしょうか。
これがうまく機能すれば、とても効率的に守備と攻撃をリンクさせることができます。
問題は、非常に高度な頭脳と体力を要求される両サイドの選手を2人確保以上確保できるのかどうかなのですが、それは長友選手と酒井(柏)選手の成長次第ということなのかもしれません。
追伸 内田選手は、いまのままなら、日本代表には、いらないのではないでしょうか。
遠藤選手が、ザッケローニ監督の3バック戦術について説明しています。
(ガンバTVより)
http://youtu.be/tg8VqMV6gvQ
(動画の埋め込みができませんでした)
遠藤選手が語った内容から、ザッケローニ監督が求める“343”がどういう戦術なのかをざっと推察してみます。
従来の3人のセンターバックによる3バック戦術と異なって、ザック監督の3バックというのは、4バックにおけるサイドバックがサイドハーフの役割もこなす、というもののようです。
でもそうかといって、5バックの両サイドバックが、時には攻撃にも参加するというような岡田俺解説は得意なんだよね武史氏の実質5バック型の3バックとはまったく違います。
ザック監督の3バックは、3バックの3人がセットを保ったまま振り子のように左右へ移動し、それによって空いたサイドを同サイドのハーフがカバーするというもののようです。ただしこの場合でも、サイドハーフは、安易にDFラインへ吸収されることのないよう、高度なリスク判断が求められるみたいです。つまり、リスクの危険度に応じて、ポジションの調節をする(例えば、リスクが低ければ高い位置を保ち続ける、みたいな)ってことです。
これって当たり前みたいに思えますけど、遠藤選手の話では、ボランチも前線の選手も、サイド地域のカバーは求められていないらしいので(前線の選手も、以前の日本代表のような、強烈なプレスは求められていないそうです)、両サイドに1人ずつ配置されるハーフの選手は相当頭も体力も使うことになるでしょう。それに「勇気」も!
心理的には、大事な試合になればなるほど、ギリギリの展開になればなるほど、安全ゾーンを多めに見積もって低めにポジションを取りたくなるものです。裏を取られたら全て自分の責任になりますから。でもそこを高めに取れ! っていうのがザック氏の戦術のキモ。これ、勇気いりますよね。監督も、本人も、周りも。
テレビの画面からも、常に逆サイドはガラガラに見えるんでしょうね。松木氏のような解説者が「危険だ! 危険だ!」などと大騒ぎするのが、今から見えるようです。
この戦術の一端を私なりに理解したところで言うと、ザック監督は「前でボールを奪うこと」を求めていない、ということなのでしょう。
ボールのあるサイドのDFライン+ボランチによって形成したブロックでボールを奪い、それを逆サイド方向へ早く動かすことでダイナミックに攻めたい、みたいなイメージなのではないでしょうか。
これがうまく機能すれば、とても効率的に守備と攻撃をリンクさせることができます。
問題は、非常に高度な頭脳と体力を要求される両サイドの選手を2人確保以上確保できるのかどうかなのですが、それは長友選手と酒井(柏)選手の成長次第ということなのかもしれません。
追伸 内田選手は、いまのままなら、日本代表には、いらないのではないでしょうか。
2011年9月4日日曜日
8月中旬の被災地状況─その5─ 岩手県釜石市&まとめ
岩手県釜石市の三陸鉄道南リアス線の高架です。
震災直後は、こんな様子でした。
----------------------------------------------------------------
釜石市は、想像していたよりも“狭いなあ”という印象でした。海に向かった谷間の街というような地形で、有名な新日鐵の製鉄所も無理矢理そこへ押し込んだような立地にありました。
釜石製鉄所で生産していたのは、自動車関連部品(タイヤ他)に使われるワイヤーとか、建築資材向けの鉄筋鉄棒針金なんからしいんですけど、それらも震災後は室蘭製鉄所や千葉の君津製鉄所へ移して生産しているそうです。
室蘭や君津の両工場は被害も浅かったということなので、移転した生産ラインが再び釜石へ戻ってくることは、もうないのかもしれません。たぶん。
釜石製鉄所の石炭火力発電設備の能力は、岩手県の一般家庭電力を40%程度をまかなえるものらしいので、今後はそっち方面で利用されることになるのでしょう。
ただ発電所は、製鉄所と比較にならないくらい独立性の強いプラントですから(産業としてのすそ野が狭いってことです)、地域経済は縮小せざるを得ません。
仕事が減るから労働人口が減る、のか、労働人口が減るから仕事も減る、のか──。
【参照】
震災前の釜石市
----------------------------------------------------------------
【まとめ】
岩手県の三陸沿岸を宮古市田老地区から釜石市まで南下して来てわかったのは、この土地に古くから暮らす人々、それこそ十何世代にもわたって暮らしてきたような人々は、おしなべて山側の集落で暮らしているということでした。
まあ、この沿岸へは何度も何度も大津波が押し寄せているわけですから、生き残れば生き残るほど、自然とそういうことになっていくのでしょう。
ではなぜ、これほどまでの人々が沿岸部へ家屋を建てて生活するようになったのかを考えると、どうしても国家の影が濃く見えてきてしまうのです。
戦前の富国強兵期に、山に囲まれた水深の深い入江で構成される三陸のリアス式海岸は、天然の要塞として国家=軍部に目をつけられたのではないでしょうか。
沿岸に基地や造船所を建設し、製鉄所や発電所を建設し、そこに街を造り、人を住まわせた。
戦争が終わり、軍がなくなると、その設備は公や民間のものとなって社会が回り始める。そんな日々が当たり前のように繰り返されるうちに、そこで暮らす人々はなぜそこに街ができたのかをいつしか忘れてしまった。
三陸のリアス式海岸線へ軍港を建設する必要のない現在、もう一度この地域に港湾インフラや重工業インフラが整備されることは、何か特別な事情が再び生じない限り、厳しいような気がします。
もともとこの地域は、今回の震災がなかったとしても厳しい経済環境にありました。その理由は、戦後無料で利用できるようになった旧軍関連の大型公共投資による“貯金”を使い果たしてしまったから、だろうと私は考えています。
かろうじて可動していた港湾設備や鉄道、工場もこの度の震災によって破壊され、この沿岸地域の産業インフラは富国強兵時代以前に近い状態となってしまったのかもしれません。
この地域にまた巨大な堤防を設置したり、同じような鉄道を引き直したりするというのは、いかがなものかと私は思います。
この地域の将来につながらないどころか、マイナスの効果しかもたらさないと思うからです。
巨大な堤防を作るくらいなら、逆に、時代劇の撮影にも耐えられるくらいに美しい海岸線を回復させるべきだろうと思うし、鉄道を引くなら世界中の観光客を呼び込むことを考えた「失われた光景」「郷愁」といったものを意識した設計にすべきだろうと思います。
どんなに巨大な堤防で囲ったとしても、漁業に若者は魅力を感じません。巨大なコンクリートで囲われた街はまるで刑務所みたいで、そんなところでの暮らしに魅力を感じるファミリーはいないし、積極的に住もうとも思いません。そこで働くことで、他での何倍もの収入を得られるとかいうのなら、そこで生活する理由にもなるでしょうけど、逆に収入が全国平均をかなり下回るとかいうのでは、誰も戻っては来ません。あげく、夏は短く、冬も厳しいとかいうのでは……。
個人的な結論をまとめれば、この地域のストロングポイントは、美しい海岸線なのです。安い海産物じゃあありません。円高+TPPが当たり前の経済環境になったら、もっともっと安い海産物がどかっと輸入されます。そうなったときに政府へ泣きついても、どうにもなりません。手遅れです。といいますか、日本の漁業に好況が訪れる日は来ないでしょう。少なくとも、“野生生物”である海棲生物をタダで捕りまくり、量によって収益を得てきたような漁業には、未来はありません。マジで。
この地域へ人々が戻ってくるためには、身近な小さな仕事を誠実に向上させる暮らしを積み重ねて行くしかないだろう、というのが私の結論です。
小さな商店、小さな農家、小さな漁師、小さな工場、それらがきっちり足元を踏み固めて行く。
遠回りに思えて、じれったく感じるかも知れませんが、それがこの地域の未来にとって最善の道だと、私は確信しています。
震災直後は、こんな様子でした。
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釜石市は、想像していたよりも“狭いなあ”という印象でした。海に向かった谷間の街というような地形で、有名な新日鐵の製鉄所も無理矢理そこへ押し込んだような立地にありました。
写真の右手前中寄りにあるのが新日鐵です。
上にあげた高架の写真は、写真中央の、道路でできた三角形の河川側底辺の真ん中あたり(河口の橋のやや上流)から海方向を向いて撮影しました。
上にあげた高架の写真は、写真中央の、道路でできた三角形の河川側底辺の真ん中あたり(河口の橋のやや上流)から海方向を向いて撮影しました。
釜石製鉄所で生産していたのは、自動車関連部品(タイヤ他)に使われるワイヤーとか、建築資材向けの鉄筋鉄棒針金なんからしいんですけど、それらも震災後は室蘭製鉄所や千葉の君津製鉄所へ移して生産しているそうです。
室蘭や君津の両工場は被害も浅かったということなので、移転した生産ラインが再び釜石へ戻ってくることは、もうないのかもしれません。たぶん。
釜石製鉄所の石炭火力発電設備の能力は、岩手県の一般家庭電力を40%程度をまかなえるものらしいので、今後はそっち方面で利用されることになるのでしょう。
ただ発電所は、製鉄所と比較にならないくらい独立性の強いプラントですから(産業としてのすそ野が狭いってことです)、地域経済は縮小せざるを得ません。
仕事が減るから労働人口が減る、のか、労働人口が減るから仕事も減る、のか──。
【参照】
震災前の釜石市
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【まとめ】
岩手県の三陸沿岸を宮古市田老地区から釜石市まで南下して来てわかったのは、この土地に古くから暮らす人々、それこそ十何世代にもわたって暮らしてきたような人々は、おしなべて山側の集落で暮らしているということでした。
まあ、この沿岸へは何度も何度も大津波が押し寄せているわけですから、生き残れば生き残るほど、自然とそういうことになっていくのでしょう。
ではなぜ、これほどまでの人々が沿岸部へ家屋を建てて生活するようになったのかを考えると、どうしても国家の影が濃く見えてきてしまうのです。
戦前の富国強兵期に、山に囲まれた水深の深い入江で構成される三陸のリアス式海岸は、天然の要塞として国家=軍部に目をつけられたのではないでしょうか。
沿岸に基地や造船所を建設し、製鉄所や発電所を建設し、そこに街を造り、人を住まわせた。
戦争が終わり、軍がなくなると、その設備は公や民間のものとなって社会が回り始める。そんな日々が当たり前のように繰り返されるうちに、そこで暮らす人々はなぜそこに街ができたのかをいつしか忘れてしまった。
三陸のリアス式海岸線へ軍港を建設する必要のない現在、もう一度この地域に港湾インフラや重工業インフラが整備されることは、何か特別な事情が再び生じない限り、厳しいような気がします。
もともとこの地域は、今回の震災がなかったとしても厳しい経済環境にありました。その理由は、戦後無料で利用できるようになった旧軍関連の大型公共投資による“貯金”を使い果たしてしまったから、だろうと私は考えています。
かろうじて可動していた港湾設備や鉄道、工場もこの度の震災によって破壊され、この沿岸地域の産業インフラは富国強兵時代以前に近い状態となってしまったのかもしれません。
この地域にまた巨大な堤防を設置したり、同じような鉄道を引き直したりするというのは、いかがなものかと私は思います。
この地域の将来につながらないどころか、マイナスの効果しかもたらさないと思うからです。
巨大な堤防を作るくらいなら、逆に、時代劇の撮影にも耐えられるくらいに美しい海岸線を回復させるべきだろうと思うし、鉄道を引くなら世界中の観光客を呼び込むことを考えた「失われた光景」「郷愁」といったものを意識した設計にすべきだろうと思います。
どんなに巨大な堤防で囲ったとしても、漁業に若者は魅力を感じません。巨大なコンクリートで囲われた街はまるで刑務所みたいで、そんなところでの暮らしに魅力を感じるファミリーはいないし、積極的に住もうとも思いません。そこで働くことで、他での何倍もの収入を得られるとかいうのなら、そこで生活する理由にもなるでしょうけど、逆に収入が全国平均をかなり下回るとかいうのでは、誰も戻っては来ません。あげく、夏は短く、冬も厳しいとかいうのでは……。
個人的な結論をまとめれば、この地域のストロングポイントは、美しい海岸線なのです。安い海産物じゃあありません。円高+TPPが当たり前の経済環境になったら、もっともっと安い海産物がどかっと輸入されます。そうなったときに政府へ泣きついても、どうにもなりません。手遅れです。といいますか、日本の漁業に好況が訪れる日は来ないでしょう。少なくとも、“野生生物”である海棲生物をタダで捕りまくり、量によって収益を得てきたような漁業には、未来はありません。マジで。
この地域へ人々が戻ってくるためには、身近な小さな仕事を誠実に向上させる暮らしを積み重ねて行くしかないだろう、というのが私の結論です。
小さな商店、小さな農家、小さな漁師、小さな工場、それらがきっちり足元を踏み固めて行く。
遠回りに思えて、じれったく感じるかも知れませんが、それがこの地域の未来にとって最善の道だと、私は確信しています。
2011年8月30日火曜日
8月中旬の被災地状況─その4─ 岩手県大槌町
大槌町の役場正面です。
献花台が設置してありました。
時計の針は「3時16分」を指しています。
献花台が設置してありました。
時計の針は「3時16分」を指しています。
町役場の隣のビル。日本生命の支所が入っていたらしいです。
時計の針は「2時49分」を指しています。
時計の針は「2時49分」を指しています。
車の残骸。
この写真とは関係ないのですが、ここへ向かう道中に「ポッキリ車あります」という手書き看板があり、私はてっきり『ニコイチ(事故車などを複数台組み合わせて作り上げられた完成車)』のことなのかなあ、などと勝手に解釈していたら大間違いで、「ポッキリ車」っていうのは、税・諸費用抜きで「この価格ポッキリで販売します」ってことの業界用語らしいことを知りました。
この写真とは関係ないのですが、ここへ向かう道中に「ポッキリ車あります」という手書き看板があり、私はてっきり『ニコイチ(事故車などを複数台組み合わせて作り上げられた完成車)』のことなのかなあ、などと勝手に解釈していたら大間違いで、「ポッキリ車」っていうのは、税・諸費用抜きで「この価格ポッキリで販売します」ってことの業界用語らしいことを知りました。
がれきの山です。
木材、その他、タイヤ、と一応分別してはありました。
大変な労力であったろうと、頭が下がります。
そしてこの全てが、元は人々の家であり、職場であり、歴史のある街であったことに圧倒されました。
がれきが片づけられた、かつて街のあった場所には、もうなんの痕跡もありません。
そこを歩いているとき、私は方角や今さっき自分が移動したはずの距離さえつかめない感覚に陥りました。
見えているところまで、どれくらいあるのかがわからないのです。
来た方角へ戻ることができないのです。
目印が一切ないのです。砂漠でもないというのに。
通常の火災や地震、あるいは戦災とまったく違う災害なんだという現実を目の当たりにした思いがしました。
木材、その他、タイヤ、と一応分別してはありました。
大変な労力であったろうと、頭が下がります。
そしてこの全てが、元は人々の家であり、職場であり、歴史のある街であったことに圧倒されました。
がれきが片づけられた、かつて街のあった場所には、もうなんの痕跡もありません。
そこを歩いているとき、私は方角や今さっき自分が移動したはずの距離さえつかめない感覚に陥りました。
見えているところまで、どれくらいあるのかがわからないのです。
来た方角へ戻ることができないのです。
目印が一切ないのです。砂漠でもないというのに。
通常の火災や地震、あるいは戦災とまったく違う災害なんだという現実を目の当たりにした思いがしました。
橋に設置されていた、へし曲げられた街路灯です。
一度に折れ曲がったのではなく、少なくとも3方向からの強い力を受けたことがわかります。
現在の川の水位と、痕跡に残る津波の水位との差が、怖いです。
いろいろなものが流され、この橋げたにひっかかったのでしょうね。
一度に折れ曲がったのではなく、少なくとも3方向からの強い力を受けたことがわかります。
現在の川の水位と、痕跡に残る津波の水位との差が、怖いです。
いろいろなものが流され、この橋げたにひっかかったのでしょうね。
折れ曲がった街灯のあった橋の水門です。
右側の、砂だらけの道に見えるのが橋です。
欄干(らんかん)が変形しています。
はたして水門のどのあたりまでが水没したのでしょうか。
右側の、砂だらけの道に見えるのが橋です。
欄干(らんかん)が変形しています。
はたして水門のどのあたりまでが水没したのでしょうか。
基礎のみとなった住居跡に飾られていた盆棚です。
ここにはほんの5カ月前まで、わたしと同じ市井に暮らすふつう人々のふつうの生活と家族の歴史があったのだ、確かにあったのだ、と胸に迫ってきました。
雨が降ったわけでもないのに、あちらこちらに水たまりや湿った地面があるのが気になしました。
ここにはほんの5カ月前まで、わたしと同じ市井に暮らすふつう人々のふつうの生活と家族の歴史があったのだ、確かにあったのだ、と胸に迫ってきました。
雨が降ったわけでもないのに、あちらこちらに水たまりや湿った地面があるのが気になしました。
いつまでも引かない水。
堤防の奧に見えるのは、がれきの山です。
堤防の奧に見えるのは、がれきの山です。
----------------------------------------------------------------
山田町と異なり、ここ大槌町は非常に奥行きのある地形となっています。
さらに2本の大きな河川によって、街が分断されていることも、避難の足を引っぱったのではないでしょうか。
構造的には、山に囲まれた河口の中洲上に街ができているも同然なので、海からのものに限らず、水害全般に対して脆弱であったのではないかと思われます。
役場のある中心地から避難するにしても、もっとも近い高台へ向かうには、海岸線や河川から遠ざかるのとは逆の方向へ進まなければならないので、心理的にも、また時間的にも、リスクはかなり高かったでしょう。
また、震災後消防団の一員として捜索をされた方にうかがったところ、予想外に危険だったのが“くみ取り式トイレ”だったそうです。
がれきや泥に隠れている上に、深さは2メートル以上あるし、中は汚物まじりの海水で満杯になっている。さらに厄介なのが、穴の直径が30~45センチ前後だということ。そこへ落ちると、まあ全身すっぽり落ち込むということはめったにないんですけど(全身が落ちたら、おそらく死ぬだろうとのこと)、腰まで落ちただけでもすぐ周りのがれきに覆い尽くされそうになるし、地力で這い上がるのは難しいし、さらにひどい汚れと臭いでその後はどうしようもなくなってしまうのだそうです。洗い流そうにも水道は使えないし──。
時間が経ったからそんな話もしてくれたのでしょう。
現実は例えようもないほどに深刻なのですが、深刻に考えているばかりでは、事態は前に進みません。
頭ではわかってはいるのですが……、一年前のお盆には、間違いなくたくさんの帰省客とそれを迎える家人でにぎやかだったであろう通りの真ん中に、ただ私は立ちつくすばかりでした。
街の中心部です。
白い建物屋上の塔には、まだ何かが引っかかったままになっています。
白い建物屋上の塔には、まだ何かが引っかかったままになっています。
【参照】
震災前の大槌町
2011年8月29日月曜日
8月中旬の被災地状況─その3─ 岩手県山田町
岩手県宮古市の南隣にある山田町の様子です。
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鉄道駅(陸中山田駅)と港(山田漁港市場)を一直線に結ぶ駅前通りと国道45号線との交差点が街の中心になっていたようです。
ですがそれこそそのあたり全て、街全部が津波と火災で消失してしまっていました。
スーパーマーケット「びはん」と、ホームセンター「ホーマック」と、ファッションセンター「しまむら」は満員の人集りでした。「びはん」の近くにいた街の人の話では、「お盆だもの」とのことでした。あと、パチンコ屋の駐車場も満杯でした。
これまでこの地域に産業は漁業しかなかったのかもしれませんけど、でも漁業を中心にしていては、たぶんこの街が再興する日はこない、と私は思います。ここまで破壊された街を立て直せるほどのパワーは、現在の日本漁業にはないからです。
さらに円高ですからね。海産物の加工品輸入は、これまで以上に伸びるでしょう。『三陸』は海産物のブランドですけど、生鮮品を卸しているだけでは、儲けもたかが知れてしまいます。といって加工して付加価値をつけようとしても、ライバルは海外ですから価格で勝負になりません。TPP参加もほぼ決定でしょうし。
工場を誘致するなんてのも、それこそこの円高環境では無理筋でしょう。
円高ということは、円で商売が完結する産業を中心にしないといけないわけです。
せっかくあんなに澄んだ海と、手頃な大きさの湾と、丁度良い位置に島があるのですから、マリンスポーツに着目したらきっとうまくいくんじゃないかなあ、なんて私は思っています。
ダイバーは南の海にばっかり潜りたいわけじゃないんです。
北の海には北の海の魅力があります。
これまでも三陸の海に潜るダイバーはいましたけど、漁業関係者への説明不足もあってその存在感は今ひとつでした。
でも、そこを逆手にとって、北海道やバンクーバーにも負けない、いやある面では勝るであろう三陸ダイビングのメッカ(宗教的に正しくない表現でしたらゴメンなさい)を目指すのはどうでしょう。
ホイール・ウォッチングもできそうじゃないですか? 鯨と海の科学館とかいうのもあるようですし。
あと、岩手の道はドライブにも適していると思います。
ちょっときれいな自然があって、円高だと聞けば、すぐに観光レジャー産業だというのは安直すぎると鼻でお笑いになるかもしれませんが、ちょっと聞いてください。
日本のマリンスポーツは、常に“漁業権”との摩擦によって頭を抑えられてきました。
山田町は、その問題を克服した国内最初の海として、ブランドとなる可能性を秘めていると私は考えているのです。
漁業だけを考えれば、円高&TPP環境下での東アジアは強力なライバルです。っていうより勝ち目はありません。
でもマリンスポーツを考えてみると、太平洋に面した北の海で寒流(親潮)と暖流(黒潮)がぶつかり合う位置にある、手頃な大きさの湾で、その中心にかわいい島のある山田湾は、これから急増するであろう東アジアのマリンスポーツ愛好家たちをお客さんにできる可能性が大きいと、私は確信しています。
そう遠くない時期に、花巻空港と釜石山田道路が直結するらしいですし。
大型船が使える港に戻すのは難しくても、レジャー船が使えるレベルになら、ちょっとした手直しでも間に合うようにも見えましたし。
いかがでしょうか。
マリンスポーツの各方面へ、こんなようなことを考えているのだけれど実現可能性はどれくらいだろうか? と行政側からアドバイスを求めてみれば、きっとみんなよろこんでいろんな協力をしてくれると思いますよ。だって、みんなそういうの好きですし。
なんてことを妄想してみました。
でも、やっぱり漁業でがんばるんだ! っていうのもアリだと思います。
街の幸せは、経済だけじゃないですからね。
【参照】
震災前の山田町
防潮堤を堺にして撮影しました(大沢地区)。言うまでもないことですが、右が海側で左が陸側です。
電柱をはるかに越える量の海水が一瞬で襲ってきたのだと想像すると、そら恐ろしくなります。
その一方で、この薄い構造の堤防が崩壊していないところや、あまり頑丈そうではない構造物が残っているところを見ると、こちらを襲った津波は、田老地区を襲った津波とは異なるタイプであったのだろうとも推察できます。田老の堤防はズタズタのごっそりボロボロでしたから。
徐々に水位が上昇してきたのなら逃げようもあったでしょうけど、襲ってきたのがわかったときにはすでにこの堤防以上の水量だったとかいうのでは、どうしようもなかったでしょう。
また、この写真からも、重茂半島同様に(当たり前ですが)ここの海水面位も高くなっていることがわかります。正確に計測したわけではありませんが、この時、岸壁との差は50~60センチ程度しかなかったかもしれません。
電柱をはるかに越える量の海水が一瞬で襲ってきたのだと想像すると、そら恐ろしくなります。
その一方で、この薄い構造の堤防が崩壊していないところや、あまり頑丈そうではない構造物が残っているところを見ると、こちらを襲った津波は、田老地区を襲った津波とは異なるタイプであったのだろうとも推察できます。田老の堤防はズタズタのごっそりボロボロでしたから。
徐々に水位が上昇してきたのなら逃げようもあったでしょうけど、襲ってきたのがわかったときにはすでにこの堤防以上の水量だったとかいうのでは、どうしようもなかったでしょう。
また、この写真からも、重茂半島同様に(当たり前ですが)ここの海水面位も高くなっていることがわかります。正確に計測したわけではありませんが、この時、岸壁との差は50~60センチ程度しかなかったかもしれません。
撮影当日の山田駅です。
火災で燃えてしまったようです。
駅舎も線路も撤去されてしまっていました。
再び線路を引き直すというのも、なかなか難しいのかなあという印象でした。
奧に見える白い高架が、下にあげた写真を撮影したバイパス道路です。
火災で燃えてしまったようです。
駅舎も線路も撤去されてしまっていました。
再び線路を引き直すというのも、なかなか難しいのかなあという印象でした。
奧に見える白い高架が、下にあげた写真を撮影したバイパス道路です。
駅前に掲示してあった写真です。
駅舎がまだ残っています。
日付は「2011.06.08」。
駅舎がまだ残っています。
日付は「2011.06.08」。
上の写真と並べて貼ってあった、震災前の駅と思われる写真です。
日付は「2010.05.17」。
寅さんが降り立ちそうな、良い雰囲気の駅舎だったのですね。
駅前の立派な木は、シイノキだったのでしょうか、クスノキだったのでしょうか?
日付は「2010.05.17」。
寅さんが降り立ちそうな、良い雰囲気の駅舎だったのですね。
駅前の立派な木は、シイノキだったのでしょうか、クスノキだったのでしょうか?
山田駅構内のホームの様子です。
レールは撤去されていました。
レールは撤去されていました。
山側にある新しいバイパス道路よりの遠景です。
海岸線まで家々が連なっていたであろう在りし日の姿が想像されます。
以前は、海岸線も、こんな風には見えなかったんでしょうね。
写真奧左に、湾の中央に浮かぶ島が映っていますが、津波時にこの島はどうなっていたのでしょうか。
津波の水位からすると完全に水没したはずなのですが、島の木々は枯れてはいないようですね。
海岸線まで家々が連なっていたであろう在りし日の姿が想像されます。
以前は、海岸線も、こんな風には見えなかったんでしょうね。
写真奧左に、湾の中央に浮かぶ島が映っていますが、津波時にこの島はどうなっていたのでしょうか。
津波の水位からすると完全に水没したはずなのですが、島の木々は枯れてはいないようですね。
こちらは同じ撮影位置から、ちょっと右へ角度を変えてズームしてみました。
緑の草萌える空き地も、田畑ではないんです。
かつては家や工場などが建っていたはずの場所なんです。もう、基礎部分しか残ってはいませんが。
地面の高さが、海面とほとんど同じ高さにあるように感じられました。
川が流れているので若干の勾配はあるのでしょうけど、下水道の排水なんかは難しい環境だったのではないかなあ。
土壌自体も砂地で、大昔は広い広い砂浜だったのではないでしょうか。
緑の草萌える空き地も、田畑ではないんです。
かつては家や工場などが建っていたはずの場所なんです。もう、基礎部分しか残ってはいませんが。
地面の高さが、海面とほとんど同じ高さにあるように感じられました。
川が流れているので若干の勾配はあるのでしょうけど、下水道の排水なんかは難しい環境だったのではないかなあ。
土壌自体も砂地で、大昔は広い広い砂浜だったのではないでしょうか。
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鉄道駅(陸中山田駅)と港(山田漁港市場)を一直線に結ぶ駅前通りと国道45号線との交差点が街の中心になっていたようです。
山田駅前ロータリーから港方向へ
ですがそれこそそのあたり全て、街全部が津波と火災で消失してしまっていました。
スーパーマーケット「びはん」と、ホームセンター「ホーマック」と、ファッションセンター「しまむら」は満員の人集りでした。「びはん」の近くにいた街の人の話では、「お盆だもの」とのことでした。あと、パチンコ屋の駐車場も満杯でした。
これまでこの地域に産業は漁業しかなかったのかもしれませんけど、でも漁業を中心にしていては、たぶんこの街が再興する日はこない、と私は思います。ここまで破壊された街を立て直せるほどのパワーは、現在の日本漁業にはないからです。
さらに円高ですからね。海産物の加工品輸入は、これまで以上に伸びるでしょう。『三陸』は海産物のブランドですけど、生鮮品を卸しているだけでは、儲けもたかが知れてしまいます。といって加工して付加価値をつけようとしても、ライバルは海外ですから価格で勝負になりません。TPP参加もほぼ決定でしょうし。
工場を誘致するなんてのも、それこそこの円高環境では無理筋でしょう。
円高ということは、円で商売が完結する産業を中心にしないといけないわけです。
せっかくあんなに澄んだ海と、手頃な大きさの湾と、丁度良い位置に島があるのですから、マリンスポーツに着目したらきっとうまくいくんじゃないかなあ、なんて私は思っています。
ダイバーは南の海にばっかり潜りたいわけじゃないんです。
北の海には北の海の魅力があります。
これまでも三陸の海に潜るダイバーはいましたけど、漁業関係者への説明不足もあってその存在感は今ひとつでした。
でも、そこを逆手にとって、北海道やバンクーバーにも負けない、いやある面では勝るであろう三陸ダイビングのメッカ(宗教的に正しくない表現でしたらゴメンなさい)を目指すのはどうでしょう。
ホイール・ウォッチングもできそうじゃないですか? 鯨と海の科学館とかいうのもあるようですし。
あと、岩手の道はドライブにも適していると思います。
ちょっときれいな自然があって、円高だと聞けば、すぐに観光レジャー産業だというのは安直すぎると鼻でお笑いになるかもしれませんが、ちょっと聞いてください。
日本のマリンスポーツは、常に“漁業権”との摩擦によって頭を抑えられてきました。
山田町は、その問題を克服した国内最初の海として、ブランドとなる可能性を秘めていると私は考えているのです。
漁業だけを考えれば、円高&TPP環境下での東アジアは強力なライバルです。っていうより勝ち目はありません。
でもマリンスポーツを考えてみると、太平洋に面した北の海で寒流(親潮)と暖流(黒潮)がぶつかり合う位置にある、手頃な大きさの湾で、その中心にかわいい島のある山田湾は、これから急増するであろう東アジアのマリンスポーツ愛好家たちをお客さんにできる可能性が大きいと、私は確信しています。
そう遠くない時期に、花巻空港と釜石山田道路が直結するらしいですし。
大型船が使える港に戻すのは難しくても、レジャー船が使えるレベルになら、ちょっとした手直しでも間に合うようにも見えましたし。
いかがでしょうか。
マリンスポーツの各方面へ、こんなようなことを考えているのだけれど実現可能性はどれくらいだろうか? と行政側からアドバイスを求めてみれば、きっとみんなよろこんでいろんな協力をしてくれると思いますよ。だって、みんなそういうの好きですし。
なんてことを妄想してみました。
でも、やっぱり漁業でがんばるんだ! っていうのもアリだと思います。
街の幸せは、経済だけじゃないですからね。
【参照】
震災前の山田町
2011年8月28日日曜日
サッカーのフォーメーション
サッカーにおけるフォーメーションについて、私の理解している範囲でざっくり書いてみました。
【フォーメーション─フォーメーションに攻撃的守備的の区別はない】
サッカーのフォーメーション自体には、どれが攻撃的でどれが守備的か、なんてことはないと思っています。
ゲーム展開の中で、攻撃に重心がかかっている状態と守備に重心がかかっている状態が、刻々と行き来するからです。
あえて言えば、中盤にボールが入った時に、そのボールの位置よりも前に選手が多ければ攻撃的で、少なければ守備的な状態であると言えるかと思います。
また、試合展開においては、マイボールの時、相手ボールの時、マイボールから相手ボールに切り替わる時、相手ボールからマイボールに切り替わる時、この4つの状態しかあり得ないということを大前提の枠組みとして頭に置いておくと、試合や練習の分析・評価がすっきりするような気が私はしています。
【DF─DFの枚数は、単純に網の目の粗さ】
基本的なフォーメーションにおけるDFの枚数には3~5まであります。3バックから5バックまであるということです。
枚数が増えれば、DF1人の分担するエリアが狭くなるので、その分守りが堅くなります。物理的に移動する距離が短くなることが、非常に大きな意味を持つのです。追いつくかどうか、届くかどうか、いくら予測能力が優れていても、物理的に間に合わない届かない場合にはどうしようもないからです。
南アフリカワールドカップで岡田言ってることとやってることが違う武史監督が見せた5バックシステムの守りがどれほど堅かったかを思い起こしてみれば、DF枚数の多さがいかに守備を堅固にするかが納得できると思います。
現在の標準である4バックでも、その配置の仕方には3つのパターンがあります。
最も一般的なのは、ゆるやかな孤の字(逆台形)型です。
センターバック(CB)2人が横に並んで、両サイドバック(SB)が若干前方にポジションを取ります。ゴールキーパーから見ると翼を広げたようなイメージです。ライン4と呼んだりします。
4バックが横並びになるもう一つの形は、4人が一直線になるパターンです。
オフサイドを取りたいときに、こうした形をとることが多いです。フラット4と呼んだりもします。でも、オフサイドのルールが変わって、オフサイドトラップ破りが簡単になって以降は、あまり見られなくなりました(まあ、相手のレベルにもよります。だぼハゼのようにオフサイドへ何度もひっかかるアホFWが相手の場合には、いまもって有効なフォーメーションです)。
最後は絶滅危惧種のスイーパーを置くパターンです。
センターバック(CB)を縦並びに配置します。後ろのCBがスイーパーです。
3バックシステムのカバーを、スイーパー1人で担うことになるので、スイーパーには非常に高い能力が求められます。
フラット4もスイーパーシステムも、まともなレベルのサッカーをしてくるふつうのチームが相手の実戦ではメリットよりもデメリットの方が大きいと考えられるので、DFそれぞれが状況に応じてフォローしあえる、逆台形型のライン4を採用するのがどうしたって多数派になります。
【MF─4人中盤─フラット4─】
4枚のミッドフィールダー(MF)を横一線に並べるシステムです。
ピッチを幅広く使うことがしやすい配置です。
その一方で中盤中央の守備が手薄になるという弱点があります。
守備の時には、CBの2人とセントラルMF(中央のMF)の2人でブロック(固い四角形)を作りやすかったり、またDFラインとMFラインの間を狭めることで、全体をコンパクトにすることもしやすい形です。
【MF─4人中盤─ダイヤモンド─】
菱形に配置します。
この配置の最大の魅力は、三角形をたくさん作れることです。三角形というのは、パスをもらう動きの基本「三角形を作るようにポジションをとる」の三角形のことです。ただしフラット4に比べると、どうしてもサイドへの張り出しは狭くなります。
また守備の時も、1ボランチとなってしまう選手の負担が過大になり、試合展開によっては「死にます」。
あと、全体をコンパクトにすることも、それなりの取り決めを徹底しておかないと失敗します。中盤の厚みができるということ=縦に間延びする可能性アリ、ですから。
【MF─4人中盤─ボックス─】
ボックス、簡単に言えば2ボランチを底に左右前方へサイドハーフ(SH)配置した極ふつうのフォーメーションです。
バイタルエリアにブロックを作りやすいので守りが安定する形なのですが、中盤中央部に広大なスペースが生まれてしまうので、そのケアに気を配る必要があります。
フラット4と比べてボランチ横が空いているので、SBが上がりやすい効果もあります。SBが上がった場合、CBとボランチが協力してフォローしやすいフォーメーションでもあります。
【FW─2トップ─横並び─】
2人の動きが重ならないようにします。その時その時の状況によって、いかようにも組合せを変更できる柔軟な形です。
【FW─2トップ─縦置き─】
組合せは固定的で、ターゲットマン役とその周囲をケアする衛星役で構成されます。
このコンビがピタリといっている場合、この2人だけで得点を狙うことができる強力な布陣です。ただ、なかなかこうしたコンビはそろわないのが難点です。
【MF─3人中盤─三角形─】
両サイドがスカスカ。サイドバックやウイングなどの上下動が非常に重要となります。サイドに強力な選手を持っていると、ワイドでダイナミックな攻撃が可能です。CBとブロックを形成できるので中央の守備は固くなります。
【3人中盤─逆三角形─】
守備の時はもちろんのこと、攻撃の時やポゼッションの時も、後ろで1人きりの守備的MFと2人のセンターバックがどれだけ連携できるかがポイントとなります。
この形も、両サイドは手薄になりがちなので注意が必要です。
【3人中盤─フラット3─】
MF全員に総合的な高い個人能力の求められるフォーメーションです。オランダ代表やFCバルセロナなんかが採用しています。育成の段階で、まだ選手個々の特性ができあがっていないときにも有効な形だと思います。
蛇足ですが、わたし的には、現在主流の4-4-2よりも、こちらを生かした4-3-3というフォーメーションの方が好きです。
【FW─3トップ】
私個人的には大好きなフォーメーションです。昔はこれしかなかったですもんね。
両ウイングとセンターフォワード←う~ん、すばらしい。ワクワクします。
ただ昨今は、センターフォワードらしいセンターフォワードが少ないので、なかなか採用しにくいというのも分からないではないです。
でも、私個人的には、また人気を取り戻して欲しいシステムなのです。
何度でも書きますが、わたし的には、現在主流の4-4-2よりも、こちらを生かした4-3-3というフォーメーションの方が好きです。
【MF─5人中盤─M型─】
前に2人、後ろに3人の配置。中央には後方1人のMFだけなので、守備の面で穴ができやすいように思います。相手の攻撃に押し込まれた場合、両サイドのMFがDFラインに吸収されて5バックになりがちでもあります。
でもこちらが優勢な時は、前の2人のMFと両サイドの2人のMFがリンクして、中盤を完璧に支配できるというメリットもあります。
【MF─5人中盤─W型─】
後方の2人のMFとセンターバックで、バイタルエリアに強固なブロックを形成できます。また、前方3人のMFがプレッシングをしかけることに成功すれば、連続攻撃もしやすいです。ただそれが機能しない場合は、両サイドのスペースを突かれてしまう両刃の剣でもあります。
----------------------------------------------------------------
日本の子供たちは頭が良いし、攻略本で前知識を仕込むビデオゲームにも慣れているので、この程度の極々基礎的なフォーメーションの説明くらいは、してあげてもいいように思います。その方が、自分で考えてサッカーをするようにもなるのではないでしょうか。
フォーメーションの話に関連して、各ポジションごとに求められる役割や能力についても書いてみたいとも思いましたが、それはまた別の機会にします。
【フォーメーション─フォーメーションに攻撃的守備的の区別はない】
サッカーのフォーメーション自体には、どれが攻撃的でどれが守備的か、なんてことはないと思っています。
ゲーム展開の中で、攻撃に重心がかかっている状態と守備に重心がかかっている状態が、刻々と行き来するからです。
あえて言えば、中盤にボールが入った時に、そのボールの位置よりも前に選手が多ければ攻撃的で、少なければ守備的な状態であると言えるかと思います。
また、試合展開においては、マイボールの時、相手ボールの時、マイボールから相手ボールに切り替わる時、相手ボールからマイボールに切り替わる時、この4つの状態しかあり得ないということを大前提の枠組みとして頭に置いておくと、試合や練習の分析・評価がすっきりするような気が私はしています。
【DF─DFの枚数は、単純に網の目の粗さ】
基本的なフォーメーションにおけるDFの枚数には3~5まであります。3バックから5バックまであるということです。
枚数が増えれば、DF1人の分担するエリアが狭くなるので、その分守りが堅くなります。物理的に移動する距離が短くなることが、非常に大きな意味を持つのです。追いつくかどうか、届くかどうか、いくら予測能力が優れていても、物理的に間に合わない届かない場合にはどうしようもないからです。
南アフリカワールドカップで岡田言ってることとやってることが違う武史監督が見せた5バックシステムの守りがどれほど堅かったかを思い起こしてみれば、DF枚数の多さがいかに守備を堅固にするかが納得できると思います。
現在の標準である4バックでも、その配置の仕方には3つのパターンがあります。
最も一般的なのは、ゆるやかな孤の字(逆台形)型です。
センターバック(CB)2人が横に並んで、両サイドバック(SB)が若干前方にポジションを取ります。ゴールキーパーから見ると翼を広げたようなイメージです。ライン4と呼んだりします。
4バックが横並びになるもう一つの形は、4人が一直線になるパターンです。
オフサイドを取りたいときに、こうした形をとることが多いです。フラット4と呼んだりもします。でも、オフサイドのルールが変わって、オフサイドトラップ破りが簡単になって以降は、あまり見られなくなりました(まあ、相手のレベルにもよります。だぼハゼのようにオフサイドへ何度もひっかかるアホFWが相手の場合には、いまもって有効なフォーメーションです)。
最後は絶滅危惧種のスイーパーを置くパターンです。
センターバック(CB)を縦並びに配置します。後ろのCBがスイーパーです。
3バックシステムのカバーを、スイーパー1人で担うことになるので、スイーパーには非常に高い能力が求められます。
フラット4もスイーパーシステムも、まともなレベルのサッカーをしてくるふつうのチームが相手の実戦ではメリットよりもデメリットの方が大きいと考えられるので、DFそれぞれが状況に応じてフォローしあえる、逆台形型のライン4を採用するのがどうしたって多数派になります。
【MF─4人中盤─フラット4─】
4枚のミッドフィールダー(MF)を横一線に並べるシステムです。
ピッチを幅広く使うことがしやすい配置です。
その一方で中盤中央の守備が手薄になるという弱点があります。
守備の時には、CBの2人とセントラルMF(中央のMF)の2人でブロック(固い四角形)を作りやすかったり、またDFラインとMFラインの間を狭めることで、全体をコンパクトにすることもしやすい形です。
【MF─4人中盤─ダイヤモンド─】
菱形に配置します。
この配置の最大の魅力は、三角形をたくさん作れることです。三角形というのは、パスをもらう動きの基本「三角形を作るようにポジションをとる」の三角形のことです。ただしフラット4に比べると、どうしてもサイドへの張り出しは狭くなります。
また守備の時も、1ボランチとなってしまう選手の負担が過大になり、試合展開によっては「死にます」。
あと、全体をコンパクトにすることも、それなりの取り決めを徹底しておかないと失敗します。中盤の厚みができるということ=縦に間延びする可能性アリ、ですから。
【MF─4人中盤─ボックス─】
ボックス、簡単に言えば2ボランチを底に左右前方へサイドハーフ(SH)配置した極ふつうのフォーメーションです。
バイタルエリアにブロックを作りやすいので守りが安定する形なのですが、中盤中央部に広大なスペースが生まれてしまうので、そのケアに気を配る必要があります。
フラット4と比べてボランチ横が空いているので、SBが上がりやすい効果もあります。SBが上がった場合、CBとボランチが協力してフォローしやすいフォーメーションでもあります。
【FW─2トップ─横並び─】
2人の動きが重ならないようにします。その時その時の状況によって、いかようにも組合せを変更できる柔軟な形です。
【FW─2トップ─縦置き─】
組合せは固定的で、ターゲットマン役とその周囲をケアする衛星役で構成されます。
このコンビがピタリといっている場合、この2人だけで得点を狙うことができる強力な布陣です。ただ、なかなかこうしたコンビはそろわないのが難点です。
【MF─3人中盤─三角形─】
両サイドがスカスカ。サイドバックやウイングなどの上下動が非常に重要となります。サイドに強力な選手を持っていると、ワイドでダイナミックな攻撃が可能です。CBとブロックを形成できるので中央の守備は固くなります。
【3人中盤─逆三角形─】
守備の時はもちろんのこと、攻撃の時やポゼッションの時も、後ろで1人きりの守備的MFと2人のセンターバックがどれだけ連携できるかがポイントとなります。
この形も、両サイドは手薄になりがちなので注意が必要です。
【3人中盤─フラット3─】
MF全員に総合的な高い個人能力の求められるフォーメーションです。オランダ代表やFCバルセロナなんかが採用しています。育成の段階で、まだ選手個々の特性ができあがっていないときにも有効な形だと思います。
蛇足ですが、わたし的には、現在主流の4-4-2よりも、こちらを生かした4-3-3というフォーメーションの方が好きです。
【FW─3トップ】
私個人的には大好きなフォーメーションです。昔はこれしかなかったですもんね。
両ウイングとセンターフォワード←う~ん、すばらしい。ワクワクします。
ただ昨今は、センターフォワードらしいセンターフォワードが少ないので、なかなか採用しにくいというのも分からないではないです。
でも、私個人的には、また人気を取り戻して欲しいシステムなのです。
何度でも書きますが、わたし的には、現在主流の4-4-2よりも、こちらを生かした4-3-3というフォーメーションの方が好きです。
【MF─5人中盤─M型─】
前に2人、後ろに3人の配置。中央には後方1人のMFだけなので、守備の面で穴ができやすいように思います。相手の攻撃に押し込まれた場合、両サイドのMFがDFラインに吸収されて5バックになりがちでもあります。
でもこちらが優勢な時は、前の2人のMFと両サイドの2人のMFがリンクして、中盤を完璧に支配できるというメリットもあります。
【MF─5人中盤─W型─】
後方の2人のMFとセンターバックで、バイタルエリアに強固なブロックを形成できます。また、前方3人のMFがプレッシングをしかけることに成功すれば、連続攻撃もしやすいです。ただそれが機能しない場合は、両サイドのスペースを突かれてしまう両刃の剣でもあります。
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日本の子供たちは頭が良いし、攻略本で前知識を仕込むビデオゲームにも慣れているので、この程度の極々基礎的なフォーメーションの説明くらいは、してあげてもいいように思います。その方が、自分で考えてサッカーをするようにもなるのではないでしょうか。
フォーメーションの話に関連して、各ポジションごとに求められる役割や能力についても書いてみたいとも思いましたが、それはまた別の機会にします。
2011年8月27日土曜日
8月中旬の被災地状況─その2─ 岩手県宮古市市街~津軽石~重茂半島
宮古市市街地から、国道45号線沿いに南下し、津軽石から県道41号を東進し、太平洋と正対する重茂半島の重茂漁港を巡りました。
黒い津波が“ウェーブ”をするかのように堤防を乗りこえる映像が印象的だった宮古市役所のそばです。
建物は残っていても、使用はできないみたいです。
「解体可」の下に書かれた「バカヤロー」は、誰に向かっての「バカヤロー」なのか。
下の2枚は、宮古市魚菜市場に掲示してあった、タレントのみなさんのサインです。
宮古市から津軽石川沿いに山田町方向へ南下すると、左手に見えた野球場です。
照明に囲まれたスタジアムの中は、がれきの山で埋まっていました。
下の3枚は、重茂半島の重茂漁港です。
ここにたどり着くまでは、けっこうな山道を登り下りしなければなりませんでした。
山中の集落に被害は見られませんでしたが、厳しい状況におかれたであろうことは想像できました。
地盤の沈下がはっきりわかります。
海水面と港湾との高低差が、ほとんどなくなってしまっています。
これでは船への乗降は一苦労でしょう。
上物(うわもの)だけじゃなく、土台、基盤となる施設もダメージは深刻なようです。
基礎部分がずれたり割れたりしているのだとしたら、沈下分を盛るだけみたいな工法は使えないでしょう。
かといって掘り起こして、除去して、一から作り直し、をするのも難しそうです。
----------------------------------------------------------------
がれきの処理と地盤沈下の影響、この2点は想像していた以上に深刻だとわかりました。
仮にあのがれきの半分程度が海中に沈み、あるいはただよっているのだとしたら、漁業への影響は長期にわたって続くことでしょう。
また、問題を地盤の沈下だけに絞れたとしても、港の再可動はそう簡単なことではありません。
台風や高潮の際にどうなるかを考えると頭が痛くなってきます。たとえば、船をどうやって繋留(けいりゅう)すれば良いのでしょうか? 現状では、まるでサイドブレーキのない車を斜面に停めるようなものなのですから。
今後、食物連鎖によって大型魚に海洋汚染の影響が出てくることは100%確実です。
それが実際に健康へ影響あるかどうかは別にして、検査の結果何かしら数値がでれば、国は出荷制限せざるを得ないでしょう。
「漁業については補償すればいい」というものではなく、実際に漁業関連の産業サイクルが回らないと、遠からず三陸の地場経済は死滅してしまいます。アウトです。ゲームセットです。厳しいです。
沈下した港湾については、拠点港に集約する。
放射性物質による海産物汚染については、その影響と対策に関する研究を国家の最優先政策として遂行する。
まずはそこからでしょうか。
消費者が口にしなければ、何をどうやろうが、食品産業は成り立たないのですから。
そうした視点に立つと、漁業関係者の生活をどうするのかという問題と、三陸の漁業をどうするのかという問題は、似ているようでいて実はまったく別な問題なのだということがわかってきます。
海洋食物連鎖の頂点にいるクジラへの影響は、どのくらいのもんになるのでしょうね。
健康への影響は別にしても、シーシェパードとかオージーの方々は、大騒ぎするのでしょうね。
鬼の首を取ったみたいに。
重茂漁港への山道の終点付近に建立されていた石碑です。
「昭和8年3月3日」という日付が刻まれていました。
「昭和8年3月3日」という日付が刻まれていました。
【参照】
震災前の宮古市
2011年8月25日木曜日
8月中旬の被災地状況─その1─ 岩手県宮古市田老地区
今月(2011年8月)中旬に岩手県の三陸沿岸を訪れました。
岩手県宮古市田老地区
宮古市田老地区です。たろう観光ホテル(写真)の3階部分までは強い波の影響を受けたであろう事が推察できます。
この写真のちょうど中央奧、山際の四角い建物がたろう観光ホテルだと思われます。
現地で感じたのは、この道路設計では緊急時にはつまってしまうだろうな、ということでした。
海から山方向へまっすぐ伸びる数本のやや幅広道を幹に、側溝のある片側1車線の狭い道が碁盤の目状に交差していました。
この道を、歩行者、自転車、自動車が混在している状態で、迅速に避難できたとは思えません。
直角の十字交差点では確実に渋滞しますし、限られた目的地へ向かうに連れてどんどん集約され加速度的に急増していったであろう交通量を処理できたとも思えません。まして避難先へたどり着くにはまがりくねった急斜道をのぼらなければなりませんし、避難所には広い駐車場があって有能な誘導係も配置されていた、とも到底思えません。
そもそも碁盤の目状の街路というのは、街を無駄なく細分化しやすくするための手段であって、交通を潤滑にするためのものではありません。もしも街の道路配置が放射(クモの巣)状に広がって行くような、交通の流れを意識した設計であったなら、渋滞につかまっている間に津波へ呑み込まれてしまうような事例は確実に少なかったでしょう。
同様に強大な防潮堤というものも、こと迅速な避難という面を考えるならはなはだ疑問です。
巨大な防潮堤があったがために、津波への意識や、避難の経験やノウハウの蓄積が貧弱化していったことが容易に想像されるからです。
ただ、これも後知恵感は否めません。
今回の津波が来なかったならば、碁盤の目状の歩道のない街路構造や巨大な防潮堤というものは、不動産の合理的な活用という点では理にかなったものでした。公共工事による地域への資金投下という効果も、若干はあったでしょうし。過疎化高齢化の進む地場経済を活性化したいと願えば、便の良い堤防の海側へ建物を建設することも禁止はできなかったであろうことも理解できます。合法である認可申請を制限できる権限を、当時の行政が持っていたとも思えません。住民の合意も得られなかったでしょう。
しかしそれでも考えてしまったのです。
一方では巨大津波が来ると言って、巨大な堤防を造り、
もう一方では、まるで巨大津波のことなど考えていないかのような街作りをしている。
今も残る田老の巨大防潮堤は、住民にとっての「願望」だったのではないか、と。
いつかまた巨大津波が来るだろうことはわかってはいても、もう二度と来ないで欲しいという願い。
考えなければまるでその問題が存在しないかのような心理。
そうした願望が、巨大堤防という実体を得ることによって、『事実化』させられた。
そうした田老地区住民の心の象徴が、あの巨大堤防だったように私には思えたのです。
岩手県宮古市田老地区
宮古市田老地区です。たろう観光ホテル(写真)の3階部分までは強い波の影響を受けたであろう事が推察できます。
この写真のちょうど中央奧、山際の四角い建物がたろう観光ホテルだと思われます。
現地で感じたのは、この道路設計では緊急時にはつまってしまうだろうな、ということでした。
海から山方向へまっすぐ伸びる数本のやや幅広道を幹に、側溝のある片側1車線の狭い道が碁盤の目状に交差していました。
この道を、歩行者、自転車、自動車が混在している状態で、迅速に避難できたとは思えません。
直角の十字交差点では確実に渋滞しますし、限られた目的地へ向かうに連れてどんどん集約され加速度的に急増していったであろう交通量を処理できたとも思えません。まして避難先へたどり着くにはまがりくねった急斜道をのぼらなければなりませんし、避難所には広い駐車場があって有能な誘導係も配置されていた、とも到底思えません。
そもそも碁盤の目状の街路というのは、街を無駄なく細分化しやすくするための手段であって、交通を潤滑にするためのものではありません。もしも街の道路配置が放射(クモの巣)状に広がって行くような、交通の流れを意識した設計であったなら、渋滞につかまっている間に津波へ呑み込まれてしまうような事例は確実に少なかったでしょう。
同様に強大な防潮堤というものも、こと迅速な避難という面を考えるならはなはだ疑問です。
巨大な防潮堤があったがために、津波への意識や、避難の経験やノウハウの蓄積が貧弱化していったことが容易に想像されるからです。
ただ、これも後知恵感は否めません。
今回の津波が来なかったならば、碁盤の目状の歩道のない街路構造や巨大な防潮堤というものは、不動産の合理的な活用という点では理にかなったものでした。公共工事による地域への資金投下という効果も、若干はあったでしょうし。過疎化高齢化の進む地場経済を活性化したいと願えば、便の良い堤防の海側へ建物を建設することも禁止はできなかったであろうことも理解できます。合法である認可申請を制限できる権限を、当時の行政が持っていたとも思えません。住民の合意も得られなかったでしょう。
しかしそれでも考えてしまったのです。
一方では巨大津波が来ると言って、巨大な堤防を造り、
もう一方では、まるで巨大津波のことなど考えていないかのような街作りをしている。
今も残る田老の巨大防潮堤は、住民にとっての「願望」だったのではないか、と。
いつかまた巨大津波が来るだろうことはわかってはいても、もう二度と来ないで欲しいという願い。
考えなければまるでその問題が存在しないかのような心理。
そうした願望が、巨大堤防という実体を得ることによって、『事実化』させられた。
そうした田老地区住民の心の象徴が、あの巨大堤防だったように私には思えたのです。
2011年8月24日水曜日
それでも子供たちは成長している。
2011年 平成23年 8月24日(水)
朝日新聞 教育
いま子供たちは №121 被災地で考えた1
もったいなかった 今まで
エド・13歳
真っ青な夏空に、ペットボトルのロケットが水しぶきを上げて飛んでいく。
「やったー!」。
他の子のよりも遠くまで飛んだ自分のロケットを追って、川上エドオジョン智慧(ちえ)君(13歳)が駆け出した。
宮城県南三陸町のキャンプ場で7月、十数人の小中学生が一緒に遊んでいた。
東京からこの日バスで来た川上君たち10人と、地元の被災した子たち。
子どもが被災地を見て学ぶNPO主催のツアー「がれきの学校」のひとこまだ。
初め硬かった子どもたちの中で、みんなが「エド」と呼ぶ川上君は一番よく笑い、跳ねていた。
芝の斜面を段ボールのそりで滑り降りたり、チーム対抗リレーを始めたり。
地元の子たちは、自然と彼の周りに寄ってくる。
「どこに住んでんの?」「部活何してんの?」。
別れ際には「メアド交換しよう」。
本当は緊張していた、とエドが後で教えてくれた。
「話しかけてもらえないと思ってた」。
自分が住む埼玉県には、震災後も普通の生活がある。
大事な物を失った人たちには腹立たしく映るのではないか、と。
東京への帰り道。
「もったいなかったな」
エドがつぶやいた。
津波で流された物やお金のことではない。
自分のことだと言う。
彼はツアーで見た廃墟の小学校と、出会った子どもたちを思い出していた。
「小学校の時、俺、悪かったんすよ。授業に出なかったり。学校に行きたくても行けない子もいるのに。ちゃんとやればよかった」。
まだ声変わり途中の少しかすれた声で言った。
つい半年前、小学生だった彼は学年で十数人の「やんちゃな男子」のリーダーだった。
授業中に校内をうろつき、空き教室でほうきをバットにして野球に興じる。
自由が楽しかった。
震災にも興味はなかった。
繰り返し流れる津波や廃墟の映像に「もういいよ。分かったって」とうんざりしていた。
その彼がこのツアーに加わったのは、いま通っている中学の岩崎正芳先生(54)がきっかけだ。
5月に学年集会で、先生が岩手県へボランティアに行った話を聞いて、「連れて行ってください」と頼んだ。
「前にも先生に『人の役に立て』って言われてて。俺にも何かできるかなって」
実は中学に入るころから、そろそろリセットしたいとひそかに思っていた。
でも「問題児」との評判は中学校にも届いている。
どうせ先生には煙たがられるのだろうと思っていた。
でも岩崎先生は意外な言葉をかけてくれた。
「お前は面白いやつだ。いいものを持ってる」。
先生は「小学校の話は聞いていたが、会ってみると行動力があって、筋を通す魅力的な子。それを素直に伝えた」と話す。
エドはそれから「やっぱり変わろう」と思いを強くしたという。
「まだ間に合うのかなって」。
先生のボランティアの話を聞いたのは、そんな時だった。
8月中旬、記者はエドを訪ねた。
「もったいなかった」と悔いて、彼の日常は変わったのだろうか。
「変わりました!」。
彼は即答した。
所属するサッカークラブで自主練習を提案するようになった。
相手にボールを奪われても全力で走って戻る。
きつい時でも手を抜かない。
「被災地の子たちは良い環境にいないのに、俺らに普通に関わってくれた。それがありがたくて。だから自分が今やれることは一生懸命やろうって」。
その日も自主練習の帰りだった。
「それも『俺よくやった』って感じです」。
少し得意げに鼻をふくらませた。
「人の役に立つ」も実践中だ。
電車で高齢者に席を譲る。
きちんとあいさつし、礼儀を守る。
大人にはささやかなことのようでも今の彼には大きな一歩だ。
「人の役に立つとなんか達成感がある。今、生活の充実感がすごくあって。充実させていくのが楽しい」
あのとき南三陸で会った子たちとは、今もメールや電話でつながっている。
(原田朱美)
----------------------------------------------------------------
エド君へ
君は良い先生と出会ったことで、自分が変わったと思っているのかもしれない。
でもそれは違うんだ。
以前の君なら、先生の体験談を聞いても、
「もういいよ。分かったって」とうんざりしていただけだっただろう。
でも、そうじゃなかった。
すでに君は変わっていたんだ。
【参照】
成長しつつあるエド君
エド君の所属チーム
エド君の旅立ちへ
2010ナショトレU12関東
2011年7月22日金曜日
ツイッター爆弾炸裂
『なでしこ』で検索をかけたら
なでしこ熊谷、ツイッターで被害 “合コン”内容が流出、協会は注意
というのがトップに出て来たので記事を読んでみたがいまひとつ何が問題なのかがわからない。
で、今度は、主要登場人物である「熊谷紗希」選手の名前で、
『熊谷紗希 まとめ』
と検索をかけて、顛末のまとめサイトを探した。
そしてわかったのは、熊谷選手の凱旋歓迎会における会話を参加者がツイッターで流して大騒ぎ、みたいなことのようだということだった。
背筋が寒くなった。
何かの会合で名刺交換や写真撮影をした相手が、この一件と似たような形で、「○○がこんなことを言っていたよ」というように流布したらと考えると……。
「事実ではありません」「事実無根です」「私はそんなことは言っていない」「そういう意味で言ったのではない」などと申し開きしても、関係各位への影響は免れないだろう。取引や今後の信頼関係にも大きく影を落とす。
問題は、これがツイッターに限った話ではないところにある。
刑事事件の捜査なら、ほとんどこれと同じようなレベルで十分に「証言」として証拠採用されるし(○月○日○時頃、△△さんと会っていましたね。△△さんは、あなたとこんな会話をしたと証言しています)、学生時代なら簡単に友人、恋人関係に亀裂を生じさせられる(この間の飲み会で、□□がお前のことを××だって言いふらしてたぜ)。さらにこれを国際的にやられたりすると、翻訳の問題も絡んできて訂正はかなり困難になる(原状回復は事実上不可能)。
便利な通信回線であったり安価なコミュニケーションツールのような顔をしているが、実態は地球規模の分散型データベースであるというインターネットの本当の怖さは、「情報の拡散力」ではなくて「情報の残存力」にある。
さらにそれは、人間の記憶(噂や検索キーワードの偶然を含む)との間を行ったり来たりしながら、削除と増殖を繰り返しつつ永遠に存在し続ける。
中学生時代、高校生時代、大学生時代、あるいは以前所属していた集団で、あるいは旅行先で、ふと誰かの手によってネットへ送りこまれた情報(発言や写真、あるいは伝聞や感想)が、20年後30年後、子供やま孫、または新しい所属先の誰かに目に触れる日が必ずやってくる。それは生前に限らない。死後数十年してからということだって十二分にある得る。
私の学生時代に、写メやブログやツイッターがなくて本当によかったと心から思う(AIDSもなかったし※)。
昨今の若者は元気がねえってなげく人もいるけど、仕方ねえって。
ちょっとはしゃいだら、この騒ぎなんだもん。
※
HIV感染者・AIDS患者は累計1万人突破!~先進国で唯一感染者が急増する日本~
厚生労働省によれば、2004年1年間の新たなHIV感染者は780件、新たなAIDS患者は385件と、共に過去最高となった。合計数は1165件となり、初めて1000件を突破。特に日本人男性の増加が顕著で、前年度を大きく上回った。日本は先進国で唯一、新しい感染者が増加しているが、この事実事態ほとんど知られていない。
【参照】
フェイスブックで人生崩壊
なでしこ熊谷、ツイッターで被害 “合コン”内容が流出、協会は注意
というのがトップに出て来たので記事を読んでみたがいまひとつ何が問題なのかがわからない。
で、今度は、主要登場人物である「熊谷紗希」選手の名前で、
『熊谷紗希 まとめ』
と検索をかけて、顛末のまとめサイトを探した。
そしてわかったのは、熊谷選手の凱旋歓迎会における会話を参加者がツイッターで流して大騒ぎ、みたいなことのようだということだった。
背筋が寒くなった。
何かの会合で名刺交換や写真撮影をした相手が、この一件と似たような形で、「○○がこんなことを言っていたよ」というように流布したらと考えると……。
「事実ではありません」「事実無根です」「私はそんなことは言っていない」「そういう意味で言ったのではない」などと申し開きしても、関係各位への影響は免れないだろう。取引や今後の信頼関係にも大きく影を落とす。
問題は、これがツイッターに限った話ではないところにある。
刑事事件の捜査なら、ほとんどこれと同じようなレベルで十分に「証言」として証拠採用されるし(○月○日○時頃、△△さんと会っていましたね。△△さんは、あなたとこんな会話をしたと証言しています)、学生時代なら簡単に友人、恋人関係に亀裂を生じさせられる(この間の飲み会で、□□がお前のことを××だって言いふらしてたぜ)。さらにこれを国際的にやられたりすると、翻訳の問題も絡んできて訂正はかなり困難になる(原状回復は事実上不可能)。
便利な通信回線であったり安価なコミュニケーションツールのような顔をしているが、実態は地球規模の分散型データベースであるというインターネットの本当の怖さは、「情報の拡散力」ではなくて「情報の残存力」にある。
さらにそれは、人間の記憶(噂や検索キーワードの偶然を含む)との間を行ったり来たりしながら、削除と増殖を繰り返しつつ永遠に存在し続ける。
中学生時代、高校生時代、大学生時代、あるいは以前所属していた集団で、あるいは旅行先で、ふと誰かの手によってネットへ送りこまれた情報(発言や写真、あるいは伝聞や感想)が、20年後30年後、子供やま孫、または新しい所属先の誰かに目に触れる日が必ずやってくる。それは生前に限らない。死後数十年してからということだって十二分にある得る。
私の学生時代に、写メやブログやツイッターがなくて本当によかったと心から思う(AIDSもなかったし※)。
昨今の若者は元気がねえってなげく人もいるけど、仕方ねえって。
ちょっとはしゃいだら、この騒ぎなんだもん。
※
HIV感染者・AIDS患者は累計1万人突破!~先進国で唯一感染者が急増する日本~
厚生労働省によれば、2004年1年間の新たなHIV感染者は780件、新たなAIDS患者は385件と、共に過去最高となった。合計数は1165件となり、初めて1000件を突破。特に日本人男性の増加が顕著で、前年度を大きく上回った。日本は先進国で唯一、新しい感染者が増加しているが、この事実事態ほとんど知られていない。
【参照】
フェイスブックで人生崩壊
2011年7月20日水曜日
ロンドン五輪最終予選展望 ─サッカー女子─
女子サッカー アジア最終予選/ロンドンオリンピック予選 マッチスケジュール
女子サッカー日本代表 なでしこジャパン
アジア最終予選/ロンドンオリンピック予選のマッチスケジュールが下記の通り決定しましたのでお知らせいたします。
女子サッカー アジア最終予選/ロンドンオリンピック予選(開催地:中国/山東省済南)
試合日
キックオフ 対戦 会場
9月1日(木)
15:30 日本 対 タイ 山東スポーツセンター
15:30 朝鮮民主主義人民共和国 対 オーストラリア 済南オリンピックスポーツセンター
19:00 中国 対 韓国 済南オリンピックスポーツセンター
9月3日(土)
15:30 オーストラリア 対 タイ 済南オリンピックスポーツセンター
19:00 韓国 対 日本 済南オリンピックスポーツセンター
19:00 中国 対 朝鮮民主主義人民共和国 山東スポーツセンター
9月5日(月)
15:30 韓国 対 朝鮮民主主義人民共和国 済南オリンピックスポーツセンター
15:30 日本 対 オーストラリア 山東スポーツセンター
19:00 タイ 対 中国 山東スポーツセンター
9月8日(木)
15:30 タイ 対 韓国 済南オリンピックスポーツセンター
15:30 朝鮮民主主義人民共和国 対 日本 山東スポーツセンター
19:00 オーストラリア 対 中国 済南オリンピックスポーツセンター
9月11日(日)
15:30 タイ 対 朝鮮民主主義人民共和国 済南オリンピックスポーツセンター
15:30 韓国 対 オーストラリア 山東スポーツセンター
19:00 日本 対 中国 済南オリンピックスポーツセンター
※キックオフ時間は現地時間です。
※山東スポーツセンター=山東省体育中心、済南オリンピックスポーツセンター=済南奥林匹克体育中心
※本大会には上位2か国が出場します。
----------------------------------------------------------------
日本以外のアジア各国の女子サッカー代表がどんなチームなのかまったくわからないのですが、間違いなく中国が最もやりやすいようにスケジュールを組んでいるであろう事から類推しますと、
中国側の腹算用はこんな感じなんじゃないかなあって推察できます。
・中国チームの試合時間は全てナイター、それ以外の試合は実質デーゲームのみにしてスタミナを奪おう(土曜の日韓戦がナイターになったのは、南コリテレビ局側からの“強い”要請でしょう)。
・中国の対戦相手たちには、その前に必ず強国と戦わせて、体力消耗、負傷、警告退場を期待しよう。
・力の劣るタイ戦は、折り返しの第3戦目に持ってきて、そこで主力を休ませよう。
・さらに中国戦にいたる前のタイには、中一日で日本、オーストラリアとデーゲームで連戦させて気力体力を奪い、負傷や警告でベストメンバーを組めなくなるだろうところで大量得点を狙おう(この予選方式では総得点や得失点が重要なカギとなるから)。
・逆に最終戦の日本と第4戦目となるオーストラリアには、タイ戦を初戦と第2戦に持ってくることで、中国戦の前に主力を休ませないようにしよう。
・もし五輪出場権を逃したとしても、最悪最終戦で日本に勝利すれば、国民の不満が爆発することはないだろう。
仮に中国の思惑通りに事が運んだとして、キップの1枚目は中国のものとなったとします。
事実、その確率はかなり高いでしょう。
では残る一枚を手に取るのはどこの国になるでしょうか。
最終節を前に、日本、オージー、南コリ、北コリの勝ち点、得失点、総得点が並んだと仮定しましょう。
となるとタイが相手で大量得点を期待できる北コリが最も有利な立場となるでしょう。
そしてもう一国、ライバルたちの状況を見た上で試合にのぞめる我が日本も、(相手が中国とはいえ)かなり有利です。
大差がつくとは考えにくい、南コリ×オージー戦の両国は非常に厳しい状況ですけど、もし両国が互いに守備を捨てていわゆる“バカ試合”、つまり5対6みたいにばかすか得点の入る試合となった場合のみ、総得点で勝者が出場権を得る可能性が出て来ます。まあ確率は低いですけど。
私は日本が出場権を得るためのポイントとして、
・初戦のタイ戦で3点差以上をつけての無失点で勝利できるか。
・2戦目の南コリ戦を、負傷者退場者を出さずに引き分け以上で乗り切れるか。
の2点に注目します。
万が一、3戦目を終えて日本が1勝1敗1分けの勝ち点4に留まっていても、チャンスはまだまだ残っています。
こうなったときには、初戦でタイ戦を終えていたことが逆に追い風となって日本の逆転出場を後押ししてくれるからです。
W杯決勝でも明らかだったように、日本チームは追われるよりも追うような状況の方が力を発揮できるメンタリティを持っています。
ですから第4戦、第5戦(最終戦)で、直接のライバルであろう、北コリや中国と対戦できることは、「日本逆転で五輪出場権獲得!」となるための舞台設定としては絶妙だと私は確信しています。
(会場が中国なんですから、最終戦は南コリよりも中国の方が盛り上がります。ましてその試合で勝って出場権獲得なんてことになったら、プライムタイム視聴率トップ間違いなしです)
私はキーウーマンに、新婚永里選手を上げます。
彼女が前線でどれだけふんばれるか、確実にそれが分かれ目になります。
特に第3戦のオージー戦では、イングランド、ドイツ、アメリカよりもしょぼいであろうオージーのDF陣をケチョンケチョンにしてくれるはずです。ニュージーランド戦の時のように。
ピッチ状態がドイツよりかなり悪い済南市@山東省でのゲーム(それも昼間)で、日本のパスワークやドリブルは乱れるだろうことが予想されるからこその永里選手なんだと私は大いに期待しています。
しっかし……、ここまで露骨だとかえってサッパリするわって言いたくなるくらいのマッチメイクですね。
さすが!
まさに中国人民ここにありって感じですね。
女子サッカー日本代表 なでしこジャパン
アジア最終予選/ロンドンオリンピック予選のマッチスケジュールが下記の通り決定しましたのでお知らせいたします。
女子サッカー アジア最終予選/ロンドンオリンピック予選(開催地:中国/山東省済南)
試合日
キックオフ 対戦 会場
9月1日(木)
15:30 日本 対 タイ 山東スポーツセンター
15:30 朝鮮民主主義人民共和国 対 オーストラリア 済南オリンピックスポーツセンター
19:00 中国 対 韓国 済南オリンピックスポーツセンター
9月3日(土)
15:30 オーストラリア 対 タイ 済南オリンピックスポーツセンター
19:00 韓国 対 日本 済南オリンピックスポーツセンター
19:00 中国 対 朝鮮民主主義人民共和国 山東スポーツセンター
9月5日(月)
15:30 韓国 対 朝鮮民主主義人民共和国 済南オリンピックスポーツセンター
15:30 日本 対 オーストラリア 山東スポーツセンター
19:00 タイ 対 中国 山東スポーツセンター
9月8日(木)
15:30 タイ 対 韓国 済南オリンピックスポーツセンター
15:30 朝鮮民主主義人民共和国 対 日本 山東スポーツセンター
19:00 オーストラリア 対 中国 済南オリンピックスポーツセンター
9月11日(日)
15:30 タイ 対 朝鮮民主主義人民共和国 済南オリンピックスポーツセンター
15:30 韓国 対 オーストラリア 山東スポーツセンター
19:00 日本 対 中国 済南オリンピックスポーツセンター
※キックオフ時間は現地時間です。
※山東スポーツセンター=山東省体育中心、済南オリンピックスポーツセンター=済南奥林匹克体育中心
※本大会には上位2か国が出場します。
----------------------------------------------------------------
日本以外のアジア各国の女子サッカー代表がどんなチームなのかまったくわからないのですが、間違いなく中国が最もやりやすいようにスケジュールを組んでいるであろう事から類推しますと、
中国側の腹算用はこんな感じなんじゃないかなあって推察できます。
・中国チームの試合時間は全てナイター、それ以外の試合は実質デーゲームのみにしてスタミナを奪おう(土曜の日韓戦がナイターになったのは、南コリテレビ局側からの“強い”要請でしょう)。
・中国の対戦相手たちには、その前に必ず強国と戦わせて、体力消耗、負傷、警告退場を期待しよう。
・力の劣るタイ戦は、折り返しの第3戦目に持ってきて、そこで主力を休ませよう。
・さらに中国戦にいたる前のタイには、中一日で日本、オーストラリアとデーゲームで連戦させて気力体力を奪い、負傷や警告でベストメンバーを組めなくなるだろうところで大量得点を狙おう(この予選方式では総得点や得失点が重要なカギとなるから)。
・逆に最終戦の日本と第4戦目となるオーストラリアには、タイ戦を初戦と第2戦に持ってくることで、中国戦の前に主力を休ませないようにしよう。
・もし五輪出場権を逃したとしても、最悪最終戦で日本に勝利すれば、国民の不満が爆発することはないだろう。
仮に中国の思惑通りに事が運んだとして、キップの1枚目は中国のものとなったとします。
事実、その確率はかなり高いでしょう。
では残る一枚を手に取るのはどこの国になるでしょうか。
最終節を前に、日本、オージー、南コリ、北コリの勝ち点、得失点、総得点が並んだと仮定しましょう。
となるとタイが相手で大量得点を期待できる北コリが最も有利な立場となるでしょう。
そしてもう一国、ライバルたちの状況を見た上で試合にのぞめる我が日本も、(相手が中国とはいえ)かなり有利です。
大差がつくとは考えにくい、南コリ×オージー戦の両国は非常に厳しい状況ですけど、もし両国が互いに守備を捨てていわゆる“バカ試合”、つまり5対6みたいにばかすか得点の入る試合となった場合のみ、総得点で勝者が出場権を得る可能性が出て来ます。まあ確率は低いですけど。
私は日本が出場権を得るためのポイントとして、
・初戦のタイ戦で3点差以上をつけての無失点で勝利できるか。
・2戦目の南コリ戦を、負傷者退場者を出さずに引き分け以上で乗り切れるか。
の2点に注目します。
万が一、3戦目を終えて日本が1勝1敗1分けの勝ち点4に留まっていても、チャンスはまだまだ残っています。
こうなったときには、初戦でタイ戦を終えていたことが逆に追い風となって日本の逆転出場を後押ししてくれるからです。
W杯決勝でも明らかだったように、日本チームは追われるよりも追うような状況の方が力を発揮できるメンタリティを持っています。
ですから第4戦、第5戦(最終戦)で、直接のライバルであろう、北コリや中国と対戦できることは、「日本逆転で五輪出場権獲得!」となるための舞台設定としては絶妙だと私は確信しています。
(会場が中国なんですから、最終戦は南コリよりも中国の方が盛り上がります。ましてその試合で勝って出場権獲得なんてことになったら、プライムタイム視聴率トップ間違いなしです)
私はキーウーマンに、新婚永里選手を上げます。
彼女が前線でどれだけふんばれるか、確実にそれが分かれ目になります。
特に第3戦のオージー戦では、イングランド、ドイツ、アメリカよりもしょぼいであろうオージーのDF陣をケチョンケチョンにしてくれるはずです。ニュージーランド戦の時のように。
ピッチ状態がドイツよりかなり悪い済南市@山東省でのゲーム(それも昼間)で、日本のパスワークやドリブルは乱れるだろうことが予想されるからこその永里選手なんだと私は大いに期待しています。
しっかし……、ここまで露骨だとかえってサッパリするわって言いたくなるくらいのマッチメイクですね。
さすが!
まさに中国人民ここにありって感じですね。
2011年7月18日月曜日
2011 上尾市長旗争奪杯
2011年 平成23年 7月17日 日曜日
晴れ メチャクチャ暑い 全国143カ所で猛暑日記録。
鳩山 38.7℃ 熊谷 38.2℃
上尾市長旗争奪杯 決勝トーナメント
会場 上尾市 平方スポーツ広場
お昼をはさんでの数試合のみ観戦。3位決定戦及び決勝戦は見ず。
コパ・アメリカのアルゼンチン×ウルグアイ戦を観てから出かけた。
会場へ着いた時のは11時近かったように思う。
道中何度も「引き返せ」という言葉が頭に浮かんだ。
それくらい暑く感じた。
睡眠不足が続いていることの影響もあるだろう。
集中力が消失し、観戦メモもほとんど取ることができず、二言三言を殴り書きしただけだ。
上尾富士見の8番君は、また少し背が伸びたように見えた。
それが理由なのかはわからないが、全少予選で見た時よりも動きにキレや躍動感がなかった。
コーチの意向としては、彼をターゲットマンもできるセンターフォワードとして育てたいようだが、もしそうであるなら“意図的に”相手を背負ってボールを受けるようなプレーをもっとトライさせた方が、彼も生きてくるのになあなんてことを思ったりもした。
マークを外す動きをさせないで、あえてマーカーを引きつけた状態でボールを受けるようなプレーを繰り返すことで、「マーカーを殺すプレー」を感覚的に体で覚えることができる。それがわかってくると、CFとして今の年代のレベルを越えたプレーヤーになれる、かも。
上尾朝日は、球際に厳しさが出て来てたし、攻撃もサイド(左側限定だったけど)を意図的に使うようになっていて、実にイイ感じ。
選手個々の能力は昨年の方が高かったように私には見えたけど、でも『サッカーをしてる』のは今年のチームの方だ。私見ではあるが、サッカーをやめないで現役引退後もずっとサッカーを愛してくれる子の割合は、「タマ遊び好き」や「足技コレクター」という感じの子よりも、「サッカーが楽しい」って感じの子の方が多いように思える。今年度のこのチームの子供たちが、後者になってくれたら嬉しいなあ。
ユベントスは……どうしちゃったのかなあ、って感じだった。
決勝トーナメントに上がってきているので弱くはないんだろうけど、とにかくサッカーが乱雑過ぎる。チームの雰囲気も良くなさそう。試合中、ある特定の子ばかりを他の子みんなでなじっていた。サポートや盛り上げの声も出ていないし。
いい選手もいたし、ちらほら光るプレーもあっただけに、いろいろと残念なことになってるんだとしたら悲しい。
【全体的な感想】
女子選手が増えたなあ。
それも“おミソ感”なしで、ふつうに混じってる。
なでしこジャパンの力だね。
晴れ メチャクチャ暑い 全国143カ所で猛暑日記録。
鳩山 38.7℃ 熊谷 38.2℃
上尾市長旗争奪杯 決勝トーナメント
会場 上尾市 平方スポーツ広場
お昼をはさんでの数試合のみ観戦。3位決定戦及び決勝戦は見ず。
コパ・アメリカのアルゼンチン×ウルグアイ戦を観てから出かけた。
会場へ着いた時のは11時近かったように思う。
道中何度も「引き返せ」という言葉が頭に浮かんだ。
それくらい暑く感じた。
睡眠不足が続いていることの影響もあるだろう。
集中力が消失し、観戦メモもほとんど取ることができず、二言三言を殴り書きしただけだ。
上尾富士見の8番君は、また少し背が伸びたように見えた。
それが理由なのかはわからないが、全少予選で見た時よりも動きにキレや躍動感がなかった。
コーチの意向としては、彼をターゲットマンもできるセンターフォワードとして育てたいようだが、もしそうであるなら“意図的に”相手を背負ってボールを受けるようなプレーをもっとトライさせた方が、彼も生きてくるのになあなんてことを思ったりもした。
マークを外す動きをさせないで、あえてマーカーを引きつけた状態でボールを受けるようなプレーを繰り返すことで、「マーカーを殺すプレー」を感覚的に体で覚えることができる。それがわかってくると、CFとして今の年代のレベルを越えたプレーヤーになれる、かも。
上尾朝日は、球際に厳しさが出て来てたし、攻撃もサイド(左側限定だったけど)を意図的に使うようになっていて、実にイイ感じ。
選手個々の能力は昨年の方が高かったように私には見えたけど、でも『サッカーをしてる』のは今年のチームの方だ。私見ではあるが、サッカーをやめないで現役引退後もずっとサッカーを愛してくれる子の割合は、「タマ遊び好き」や「足技コレクター」という感じの子よりも、「サッカーが楽しい」って感じの子の方が多いように思える。今年度のこのチームの子供たちが、後者になってくれたら嬉しいなあ。
ユベントスは……どうしちゃったのかなあ、って感じだった。
決勝トーナメントに上がってきているので弱くはないんだろうけど、とにかくサッカーが乱雑過ぎる。チームの雰囲気も良くなさそう。試合中、ある特定の子ばかりを他の子みんなでなじっていた。サポートや盛り上げの声も出ていないし。
いい選手もいたし、ちらほら光るプレーもあっただけに、いろいろと残念なことになってるんだとしたら悲しい。
【全体的な感想】
女子選手が増えたなあ。
それも“おミソ感”なしで、ふつうに混じってる。
なでしこジャパンの力だね。
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