2011年5月29日日曜日

すいません。今、プライベートなもんで。

君が代不起立「実名公表」 橋下知事、検討の意向

「大阪維新の会」の大阪府議団が5月府議会で成立をめざす君が代斉唱時の教員の起立義務化条例案について、維新の会代表の橋下徹知事は18日の記者会見で、不起立を繰り返した教員の学校名と実名の公表を検討する考えを示した。

府は現在、懲戒処分した職員の実名を原則として公表していない。橋下氏は会見で「職務命令違反を繰り返す教員の名前は保護者も知りたいと思う。府民の総意をもとに実名公表の基準を考える」などと述べた。

維新の会は5月府議会で「君が代条例」の成立を図り、9月府議会で起立を拒む教員の処分ルールを定める条例案を提出する方針。

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社会人の一般常識に照らせば、仕事なりなんなりで公の責務を負っているときには、その職責を全うするよう努力しましょうってのはごく当たり前のことで、何の疑問も生じない。
憲法にある「思想信条の自由」についても、別に心の中までああしろこうしろって言う話でもないんだから(っつうか、そんなのムリ。ここ数年の研究で、いわゆる“洗脳”や“催眠”、“マインドコントロール”ってのでさえ、かなり従来のイメージとは異なる作用だってことがわかってきている。『自由意思』なんてものはそもそもないのだ、なんて話にもなってきているので、むしろそっちの方がある意味怖いことになってきている)、何の問題もない。冠婚葬祭や礼儀作法、ビジネス上のマナーと同じっしょ。

もしそれでも、「国民学校における戦時教育への反省」という観点から、どうあっても国旗国歌に敬意を示すことはできない、という公務員がいたとするなら、その人が個人的な信念に基づく行動をとることを誰も強制的に制止することはできない。ただ、当然、その行為行動にともなう結果も、その人(一人前の大人なら)は受け入れなければならない。公や職責よりも「個」である「私」を優先したのだから、その責任が及んでくるのも「個」であり「私」になるからだ。

「いや、教員としての本来の仕事である、正しい日本人を教え育てているのは(日の丸君が代反対の)私の方であるのだから、私は自分の職務に忠実に従ったまでである。ゆえに処罰は不当である!」というような類(たぐい)の理屈を通したいのなら、それは私塾を開いて実現すべきであって(実際にそうしている人たちも大勢いる)、義務教育の場で、まして生徒にも親にも教員選択の余地が与えられていない公立学校で教鞭を執る立場にある公務員の個人的思想信条については、憲法のもとであっても相応の制限を受けざるをえない、ということを呑み込んだ上での教師と生徒との交流、さらにそこから職業倫理や哲学にまで踏み込んだ教育を試みる、というのもまた楽しからずや※





※ 楽しくないわけがない。
あしなが育英会 東日本大震災 津波遺児 単発寄付

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