2010年7月9日金曜日

中学受験

小学6年生の子を持つ家族の中には、中学受験をひかえてこの夏が勝負だと意気込んでいる親子も多いことだろう。
たとえ第一志望に合格できなかったとしても、選抜される経験、そして選抜されるための準備に懸命となる経験は、その後の生き方に大きくプラスに影響する。
それは努力によって自分の能力は高まるのだという経験であり、あるいはがんばってるのは自分だけじゃないということを知る経験でもある。そして辛いことではあるが、どれほどがんばっても叶わない望みもあるのだということを知る経験となる子も生まれる。
こうした経験を積んだ子と、ただ遊んで夏休みを過ごした子とでは、たとえ結果は同じ公立中学校へ進学したとしても、そこでの3年間の過ごし方には大きな差が生じるであろうことは容易に予測できる。

同じことは、ジュニアユースのセレクションを受けさせるかどうかにも言える。
もっとも、何の準備もさせないで受けさせては効果薄だが、それでも受けさせないよりはずっといい。
しかし私は、親も一緒になって、中学受験をする子と同じように、セレクションの為の準備をしてから、実際のセレクションを受けた方が、その子の経験値をはるかに高めることができると思っている。
会場の下見であったり、どういう形式で行われるのかを情報収集したり、また自分の子の得意不得意を見極めたりして、長所を伸ばして短所を補うにはどうすればいいかを一緒に考えたりする。これだけでも充分に楽しいではないか。
お父さんお母さんは、自分の子が30メートル走、50メートル走、100メートル走を何秒で走るのかを知っているだろうか。
正確な身長体重、足のサイズ、股下の長さを知っているだろうか。垂直跳びが何センチなのか、1000メートルを何分何秒で走れるのか、そういうことを知っている親はまずいない。しかしおそらく、自分の子をオリンピック選手に育てたいと考えている親や、イチローの親や、石川遼の親は、知っていただろう。彼らはそれくらい自分の子に関心があっただろうからだ。

中学受験をサポートしている親が、自分の子が勉強しているのかどうかとか、テストの成績はどう変化しているのかとかに興味がないということはあり得ない。よっぽど自分の子が成績優秀で、何の心配もなく第一志望に合格できると確信しているくらいの実力があれば別だが、たいていはそうじゃない。
サッカーでジュニアユースのセレクションを受けようと思っている子の親たちも、同じようにサポートしてみたら、思春期を迎えた子育ても充実すると思うのだがどうだろうか。
サッカーの技術は教えられなくても、車や巻き尺で、走る距離を計ってあげることは出来るし、腕時計のストップウォッチでタイムを計ってあげることも出来る。スタートの合図を送ることもできるし。シュート練習やトラップ練習をする子に、ボールを投げてあげることも出来る。テニスボールでボレーシュートやヘディングの練習したいという子には、テニスボールを買ってあげることもできるし、それを投げてあげることも出来る。
自分がどういう姿勢でプレーしているかをチェックしたいと言う子には、携帯のムービーで撮ってあげればいい。
夏休みにこれだけはやるっていう目標と毎日の計画表を作らせて、家の目立つところに張り出してあげるのもいい。

結果として合格するとかしないとかは、本当はそれほど大事なことじゃないと私は思っている。
それよりも、明確な目標を置いて、そのために計画的に段階を踏んで努力する、準備する、という経験を積む方がはるかに大事なのではないだろうか。
そしてもし、結果が自分の望むものでなかったとき、それを昇華できるようにするための経験を積むこともできる。
学生時代に何もしないでいて、社会に出てから、あるいは社会に出られないで途方にくれている若者たちを見るたびに、かわいそうだなと思いつつ、その一方で、永遠の夏休みなんてないってことはわかってたはずだろって言いたくなっている自分もいる。

今、小学6年生の子は、来年の今ごろは中学1年生になっていなければならない。
出来れば高校-3年生、あるいは大学-6年生、あるいは社会人-10年生(言い換えると、社会人になったときはすでに社会人10年目としての準備ができている状態)、くらいの気概があると頼もしい。
決して小学7年生にしてはいけない。
それは間違いなく、親の責任である。
そのための手口のひとつとして、ジュニアユースのセレクションは使いようによっては使い道があると私は思っている。

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