2011年1月10日月曜日

不摂生が招いた凋落

サッカー=ロナウジーニョ、不摂生が招いた早過ぎる凋落


[ミラノ 6日 ロイター] 

かつて時代を代表する偉大なサッカー選手の一人だったロナウジーニョが、母国ブラジルに戻ることとなった。華麗なステップやオーバーヘッドキックという代名詞が、いつしか夜遊びや太り過ぎに取って代わった末の退団劇だった。

ミランとの契約をあと6カ月あまり残しながらクラブを去るロナウジーニョは、故郷のグレミオ(ブラジル)など複数のクラブと接触中と報じられている。だがそうしたクラブは普通なら盛りを過ぎた選手がキャリアの最後にプレーするところであり、30歳という年齢で選ぶ場所ではない。

ロナウジーニョはブラジル代表の一員として2002年ワールドカップ(W杯)を制覇。その準々決勝のイングランド戦で決めたフリーキックは伝説となり、当時在籍していたパリ・サンジェルマン(フランス)からバルセロナ(スペイン)に移る前には、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)からも熱心な勧誘を受けた。

ポニーテールと笑顔、そして優れたボールコントロール力は世界的な人気を博し、2004年から2年連続でFIFA選出の世界年間最優秀選手賞に輝いたリロナウジーニョ。2006年にはバルセロナで欧州チャンピオンズリーグを制覇し、2008年に1900万ユーロ(約20億4000万円)という巨額の移籍金でACミラン(イタリア)に移籍した。

ミラン移籍1年目のシーズンには国内リーグのライバル、インテルとのダービーマッチで決勝ゴールを決めたロナウジーニョだが、当時の指揮官カルロ・アンチェロッティ氏(現チェルシー監督)は、同選手のプレーには当時から落ち目の兆候が出ていたと証言している

ブラジル代表の先輩FWロナウドがそうであったように、ロナウジーニョは移籍前のバルセロナで見せていた輝きを、ミランのファンには3シーズンの在籍中、ほんのわずかしか見せられなかった。

練習に専念せず、早い時間帯から盛り場に姿を現す場面も数多く目撃されていたロナウジーニョには、クラブも愛想を尽かした。今季から指揮官に就任したマッシミリアーノ・アッレグリ監督は、シーズン前半のほとんどの試合で同選手を先発から外した。

アッレグリ監督は「ロナウジーニョほどの逸材を失うのは誰にとっても残念なことだが、母国へ帰るという人生の決断をしたのは本人だ」と、突き放すように語っている。

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実際のところはどうなのだろう?
「不摂生」のせいにしたいのは、ロナウジーニョ本人なのではないだろうか。


『認知的不協和』

手が届かない高い木の枝にブドウを見つけたキツネが「どうせあのブドウは酸っぱくてまずい」と、ブドウをあきらめて立ち去ってしまうイソップ物語に見られるような、感情の合理化のこと。
この童話は、ブドウをあきらめたという自分の過去の行動を正当化するために、「ブドウはまずい」と好みが変化することを示している。
このような現象は「認知的不協和」という概念で説明されてきた。
自分の過去の行動と自分の好みが一貫していない場合に、「認知的不協和」という不快な感情状態が引き起こされ、それを低減するために自分の好みを変化させると考えられている。つまり、「好きだから買う」や「嫌いだから買わない」ではなく、「買ったから好き」や「買わなかったから嫌い」というように、心の方が実態に合わせて、無意識のうちに変化するようなことをいう。
ことわざの「あばたもえくぼ」や「住めば都」も、この類(たぐい)かもしれない。

ロナウジーニョは、自分のプレーのイメージと実態とに差を感じ、それを不快に思っていた。そしてその不快さから逃れるため、「不摂生」という「理由付け」を必要としたのかも知れない。

認知的不協和が起きていることに、本人が気づくことはない。
何年も経ち、若かりし日を思い返したとき「あのときにああしていればよかった」とか「あの頃にもっとがんばっていればよかった」などと思うのである。

思春期を迎えた子供たちを指導、導く立場にある大人は、その子の中でどのような認知的不協和が生じているのかを読み取ることで、効果的に成果を得させるヒントを見いだせるに違いない。

世間で、名教師だとか、名カウンセラーと呼ばれている人たちも、必ずこの認知的不協和を意識して、対象と接しているはずだ。

こうした海外ニュースからでもちょっと視点を変えれば学ぶべき点は多々あるものなのだ。


おわり

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