2011年1月24日月曜日

見習いコックは、なぜナベの底をなめるのか。

見習いコックは、なぜナベの底をなめるのか。



名シェフへの根性修行ものの映画やドラマで、洗い物をしているスキに師匠や先輩コックの使った鍋(なべ)の底をさっとなめ、そこに残ったわずかなソースの味を盗む若い見習いコック、というような場面を見たことのある方もいるだろう。

不思議に思わなかっただろうか?

調味料の味も、素材の味も、まあふつうに生活してきた者なら知っているはずだし、また美味しい料理の味だって、昔ならともかく今なら自分で好みのレストランへ行けば、それこそ最高の味を知ることができる。

つまり、わざわざ鍋底に残ったソースをなめる必要などないのでは?

と思ってしまったりしないだろうか。


しかし、スタートとゴールを知っているだけでは“すばらしい”料理は作れないのだ。

調理の過程で味は変化する。
知っていたはずの素材の味も、調味料の味も、加工され、加熱され、お互いに混ざり合い、変わってゆく。
さらに時間という条件が、その味の変化をさらに複雑にする。
80度で1分間過熱した味、加熱をやめゆるやかに熱を奪いながら1分間待った味、100度以上に熱した別の素材を混ぜた直後の味、また数秒後の味、煮たたせた味、煮たつ寸前で止めた味、細かく切った素材の味、加える調味料の順序を変えた味、その他、それこそ無限にある調理方法によって、その過程の味は千変万化する。

その過程にある途中の味を知ることだけが、正しい道を進んで、良い料理を完成させるというゴールへたどり着く唯一の道なのだ。

そんな面倒くさいことをしなくても、完成した料理の味を見て、最終的な味つけをすればいいじゃないか、と考えがちだが、それは「ごまかし」でしかない。そしてそれは、わかっていない人ならあざむくことができるかな、という程度の「ごまかし」でしかない。

良い料理人が正しく作った料理が美味しいのは、その調理の過程で、その正しい調理の過程の味と香りが、完成品となった料理のそれぞれの素材の中に、階層状態で閉じ込められているからだ。素材が味のタイムカプセルになっている。それも数層の。

対して「ごまかし」の方は、最初に舌に触れる表面の味だけが、まあまあ美味しい味だというだけ。
第一印象は「美味しい」と感じるだろうが、食べ進むうちに「美味しい」と感じた感動は薄れてしまい、ただ食べ物を口へ運ぶという動作を繰り返し、胃をふくらませるためだけのものにそれはなってしまう。

食べ物なら、それを選ぶという選択の自由もあるだろう。
だがこれを、サッカー選手の育成に置き換えた場合はどうだろうか。

ジュニア、ジュニアユース、高校・ユース、それぞれの段階で「美味しい味」に整えてしまったら、果たしてその完成型が「いつまでもずっと美味しい味」になるだろうか。歴史は、それが簡単はことではないことを証明している。

ヨーロッパやブラジル、アルゼンチンなどのサッカー強国から毎年優秀な選手たちが現れるのは、その歴史と伝統の中で経験を積んだ、「過程の味」を知った育成者が市井(しせい。昔は井戸の周りに人々が集まったことから、庶民や街中という意味になった)に大勢いるからだろうと私は確信している。

「本物の過程の味」を知らない指導者や親や大人は、テレビ等を通じて知った、あるいは想像した「最高の完成型の味」が「良い味」だと思い違いしてしまう。実は、本当に知らなければならないのは、「最高の完成型の味」へ至る、その「過程の味」なのではないだろうか。っていうか、そうなのだ。

レストランへお金を払って美味しい料理を食べに来るお客さんなら、確かに「完成型の味」を知っていればいいだろう。
しかし料理を作る側にいる人間は、それだけではだめなのだ。さらに、素材の味と質を見極める目と、無数にある調理の方法についての知識と、その過程で変化する「途中の味・中途の味」を知っている経験が必要なのだ。

調理の途上であるのにすでに「美味しい味」になってしまったら、その完成型はそこからさらに美味しくなるよりは落ちてしまうものだ。
むしろ、物足りない味、あるいはクセの残る味、あるいはやや濃い味、であることが結果としての「美味しい味」に至る道だったりする。

結局のところ、素材に秘められた可能性以上の味を引き出すことはできない。
鯖(さば)でモンブランを作ることはできないが、味噌で煮込めば最高の味になる。
しかしその鯖であっても、途中で美味しく食べられるような味つけ(例えば酢でしめるとか)をしてしまったら、あとで味噌で煮込んでも決して美味しい味にはならない。最後に調味ダレをたっぷりふりかけても、ひとたび噛みしめれば……。

見習いコックが鍋底をなめて味を盗むのは、そうした理由があるからなのだ。


と、こんなところで終わりです。

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