2011年2月13日日曜日

『スクール!!』でわかるジュニア・ビジネスの裏側

『スクール!!』
フジテレビにて毎週日曜日夜9時から絶賛放送中!!


今月から始まったドラマに『スクール!!』というのがある。
江口洋介扮する民間出身の校長が、着任した問題小学校を熱血で変えていく、という王道の物語だ(ろう)。
恩師の家に住み込んで、学校と私生活の両面から主人公の人間性を深めていく手法も、往年の名作『熱中時代』を思い起こさせ、懐かしい。
今期のドラマで、これから最後まで見ようかなと私が思っているのは、このドラマと田村正和の『国選弁護人』と、織田裕二の『外交官』の三つだ。三作品はちょっと多いかなとも感じるが、『国選』と『外交』のどちらかは途中で脱落しそうなので、まあこれでいいとしよう。
ちなみに、だ。
『コクセン』の方で気になっていること──橋爪功はもういいの?
『オダユウ』の方で気になっていること──メキシコ大使館からちょこっと抗議されただけでこんなに腰が引けているのに、医療産業の裏みたいな問題に踏み込めるの? どうせいつもの政治家が悪いパターンになるに200エジプトポンド。

さて本題。

『スクール!!』というドラマは、小学校が舞台なだけあって、小学生を演じる劇団員が大勢登場する。
彼ら彼女らの目標はプロの俳優になることだろうし、彼ら彼女らの親御さんや祖父母さんらも、(当面は)同じ夢を抱いているケースがほとんどだろう。
そして彼ら彼女らを起用するドラマ制作側や、彼ら彼女らの所属する劇団は、子役らが将来有名俳優となり、自分たち(制作側や劇団関係者など)のために“芸能界での存在感”を増し“自分たち(制作側や劇団関係者など)の業界人としての業界への影響力”を強化してくれることを願っている。

演出家やプロデューサーにとって、自分がその業界で生き残れるかは、長寿作となる作品に“代えようのない中心人物”として関われるか、そして“簡単には仕事を頼めないような超人気俳優”と親密な信頼関係を築けるかにかかっている。「あの人じゃなきゃだめだ」という作品を多く持てれば多く持てるほど、その人間はドラマ製作現場で生き残って行ける(出世できる)可能性が高くなるのだ(いかに名作であっても、いかに人気をはくした俳優であっても、一発だけでは『あの人は今』になってしまう)。

また劇団にとっては、大手芸能事務所へどれだけ自分の劇団から役者を送り込めるか、が、生き残りのカギとなる。
老舗の劇団には、繋がりの深い(気心が知れている、とか、しがらみが強い、とも言う)芸能事務所があって、見込みのある役者の卵やスポンサーの受けがよさそうな役者の卵は、そこへ優先的に送れるように、いろいろ仕掛けをしたりする。それは時には、その芸能事務所の人気俳優と交流させたり、その事務所のレッスンに参加させたり、その事務所の影響力が効くテレビドラマにちょい役で出演させたりするような事であったりする。大手芸能事務所が、自分の傘下に劇団や養成所を作ったり、資金面で援助したりすることも多い。
しかしこのあたりも、昔とは違って、子どもや親も、妙に芸能界の裏事情に詳しかったりするので、あの事務所は嫌だとか、どうしてもこの事務所へ入りたい(入れたい)とか、そういうのもよくあるので、なかなか難しいことになってきているのが現状だ。
とは言っても、そこはやはり、好きな事務所へほいほい入れるものでもなく、嫌な事務所だからそこへは行きたくないというわがままがすんなり通るという世界でもない。

そういったことすべてが、関係者すべてにからまりつき、「結果論」によって軽重が問われる世界、それが“The芸能界”なのである。

「The芸能界is結果論」のわかりやすい例をひとつあげるとすればこういうのはどうだろう。

俳優には、人気があるから、ドラマに出るのではなく、人気があるドラマへ出ているから、人気が出る、あるいは維持できるという面がある。
ドラマのDVD販売やレンタルが多くなり、またデジタル化が普及して「キーワード予約録画」が一般化すれば、この傾向はますます強くなる。「人気があるドラマ」しか見られなくなるからだ。
つまり、テレビの見方においてデジタル化が浸透すれば、これまでのように「ながら」で「たまたま見たら面白かった」というようなことはなくなるわけだ。
はじめから見るつもりであった番組しか見られなくなり、それ以外は実質存在しないこと同然になる。
放送される番組も、人気のあった作品の再放送が増える(制作費がかからない上、リピーターも確実に期待できるから)ので、その反動として新作の入り込む余地は引き算で狭くなっていく。
ドラマの視聴率がこのまま右肩下がりなら、その傾向はかけ算で増していく。
となると、新人が顔を売り名前を売って有名になるには、どこかのコアな固定ファンがいる集団で安定した人気を得て、それを根拠にメジャーメディアへ認めさせるのがほぼ唯一の道となる。有名芸能人の親族が安易に芸能界デビューしている背景にも、これと同じベクトルの理由が隠れている。“いわゆるブランド商法”的なマーケティング手法と言えるだろう。
それの成功例が、韓国流タレントやパフューム(韓国やネットメディアのコアファン)、AKB48(秋葉原のオタクファン)、おバカタレント(番組のファン)、渋谷系モデル出身タレント(渋谷文化のファン)、そして言わずもがなの、名のある親から生まれたおぼっちゃまおじょうちゃまタレントなどだ。逆に、従来の「ちょい役」から徐々に、とか、下積み何年、とかいう道は段々細くなって行く。ちょい役の余地や下積みのできる場が消滅するからだ。

サッカー界にあてはめてみると、これが思っていた以上にピタリとくる。
子役劇団がサッカー少年団やサッカースクールで、芸能プロダクションがJの下部チーム、トレセンや年代別代表は単発ドラマや企画モノ、そしてJリーグが芸能界で、さらにヨーロッパのチームやフル代表は高視聴率番組の主役であったり映画の主人公だったり、などと置き換えられそうに思えるのだ。

『スクール』でどの子役にどういう役をやらせるのかは、その子役の個性だけではなくて、当然「大人の目論見(もくろみ)」もからんでくる。いや、むしろ、こっちの方の比重が大きくならざるを得ないはずだ。
少し想像力を働かせれば、それもさもありなんと納得できる。
まず、出演している子役が将来スターになった場合、この番組が再放送されたり、DVDの売上が伸びることが期待される。デジタル化がこのまま進めば、当然テレビ局は過去番組の有料配信(アーカイヴ)やDVD販売での収益も柱にしていく。その際、この番組が検索結果にどれだけ引っかかるかが、とても重要なのだ。有名俳優がからんでいれば、当然、その有名俳優がベテランとなった時であっても人気番組に出演している可能性が高いし、そうなるとその俳優の名前で検索される機会も多くなる。ということは、こうした過去の番組も検索に引っかかる率が高くなるということになる。

同様のバイアスは、関係者全員に働く。
「わたし、あの番組の○○だったんです」あるいは「あの番組で○○をしていた□□さんに、お願いしたい」のような広告媒体として、非常に効果的だからだ。有名作詞家であり、放送作家でもある秋元康さんが、確固たる地位を築いた今になっても無名新人発掘に積極的な理由も、間違いなくこれだと私は思っている。未来の有名タレントを自分の宣伝媒体として利用しようと考えているのだ。

この裏事情を理解した上で、『スクール』での配役を見ると、今現時点で、どの子役にどれくらいの期待がかけられているのかが透けて見えてくる。
出演している子役の中には、次の、またその次の出演作も決定している子が何人もいる(子役が子役でいられる時間はそう長くないし、ドラマ制作の前準備下準備にも時間がかかるし、頼っている学校の都合もあるので、当然スケジュールは1年から1年半先を見据(す)えて組むから)。
当然そういう子役には、「人気ドラマから視聴率を引っぱってきてもらう」ことが期待される。これが続くと、よく言われる「彼(彼女)は視聴率を持っている」という存在と認知されて、人気芸能人への道がつながることになる。

学校モノ・学園モノのドラマは「教室」というまな板から逃れられない、このことが、他の設定のドラマではうかがい知れない、「裏に隠されている意図」を見やすくしてくれる。

まるで「ドラマから“偶然”生まれたスター」であるかのように見えたのは、実は全て計算された「演出」であることの方がはるかに多い。というかプロならば当然それを狙ってそう作る。まぐれ当たりに頼っていては、飯が食えないからだ。

どういう配役で、どういう盛り上がりを作って、どう次の作品へつなげていくつもりなのか、その辺の狙いを想像しながら『スクール』を観ることは、サッカー観戦でのスカウティング能力を高める訓練にもなる(かな?)、なんて私は確信している(わけではない)。

議員だけでなく産業界、霞ヶ関、報道機関、政治活動団体(統一痴呆選挙前だというのに街宣車も妙におとなしいですよね)、などなど自民党を応援してた側の勢力が、この頃やけに菅政権のサポートに回っているということの意図も、もしかしたら、自分たちが再び政権を奪還する前に、増税やTPPといった「人気のない政策」を民主党にやらせてしまおう、というあたりに隠れているのかもしれない、などとひねくれた見方を私はしちゃっています。また一度は引退したようなベテラン(ロートル)を、政府の要職へカンバック起用したのも、民主党の将来の首相候補(と本人たちは思っている)たちに、「こいつは増税した大臣だったよな」「このアホが大臣の時にTPPを強行した」などという類(たぐい)の傷が付かないように、と考えてのことなのではないか、とも思ってます。今はすぐ、昔の映像が流されますからね。

この世に税という仕組みが発明されて以来、支配者・権力者に対抗するには武器を持って立ち上がるか、税をいかに納めないかしかないので(税がなかった時代には、支配や権力が永続することはなかったので、直接の敵対者以外は対抗する必要もなかった。サルの群と同じです)、武器を持って立ち上がるつもりのない私としては、残るもう一方の対抗手段をとるしかなく、したがって『増税を進めようとする勢力』にはどうしても反対の立場になってしまうのであります。あしからず。


ジャジャ~ン

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