2010年4月29日木曜日

外集団同質性バイアスと少年サッカー

人間は誰しも、自分のことのように他者を見ることはできない。
この習性は集団に対しても同様に見られる。
それを「外集団同質性(内集団異質性)バイアス」という。

読んで字のごとく、自分が入っている(と思っている)グループのことについてはいろんなことが気にかかるのに、入っていないグループのことはひとくくりにしがちであるということだ。
テレビで全共闘世代のコメンテーターが
「私たちの頃の大学生は元気があり、大人で、もっと政治に関心があった。いまどきの大学生は子供のまま体だけでかくなった、草食系とかいう男だか女だかはっきりしない連中ばかり。政治に対しても他人事。日本の将来は暗いね」
などという、あれだ。

少年サッカーでいうと、保護者らが、
「うちのチームにもレベルが高い子(おそらく一番は我が子)が何人もいるのに、どうしてトレセンに選ばれないのかしら。きっとトレセンのコーチがひいきしてるんだわ」
なんて言ってグチっているのも、この手の話に含まれる。

注意しなくてはならないのは、この人間の特性は、その内集団に関する知識の量と外集団に関する知識の量とは、まったく関係がないという点だ。
同じクラスだった子が別クラスになってしまったりすると、なんとなく前とは違う距離感になってしまった、という経験がないだろうか。どう考えても、去年一年間一緒だった子と、今年はじめて机を並べた子とでは知識量も理解度も段違いだというのに、新しい子の方が個性的に見えたりしてしまう。自分にとって、どちらが外集団で、どちらが内集団か、がポイントになっていることの、ひとつの経験的な証しである。

強豪チームとされる、たとえば大宮アルディージャジュニアなどが、あのトップチームと同じユニフォームで登場したりすると、全員がまるで将来のJリーガーが確約されたスーパーキッズであるかのように見えてしまう。
しかし個々の選手をそれそれ冷静に観察してみれば、彼らのうち本当にトップチーム登録される可能性があると思われるのは、はたして何人? というような感じに私には見えた。まあこれも外集団同質性バイアスのなせるわざなのかもしれないが。

まあ要するに何を言いたいのかと言えば、外集団同質性バイアスを常に意識しないと、誤った先入観にとらわれてしまって、間違った判断をしかねないよってことだ。

みんなそれぞれいろいろなんだし、ましてまだ子供なんだから、偏った枠に当てはめてしまうのはもったいない。
トレセンに選ばれなかったからうちの子は才能がないんだ、ってこともないし、セレクションで落ちたからもうプロにはなれない、と親子共々悲観することもない。

アホな協会のオモチャになってるグダグダのJリーグでうかつにプロになるよりも、世界を飛び回るビジネスマンになって、社内サッカーチームの中心選手として40、50になってもレギュラーで試合に出て、外国の取引相手チームと対戦してゴールを決めるって人生の方が、もっとサッカーを楽しめるかもしれない。大金持ちになって、Jリーグチームのオーナーになるのも悪くない。
買収発表会見で、
「実はわたし、子供の頃、ここのセレクションに落ちたんですよ」
なんてコメントしたら、相当にカッコイイ。

そのためにも、子供たちは一生サッカーを愛し続けて欲しいし、大人たちは子供たちがサッカーを愛せるような環境を与えて欲しい。
それは決して高価なスパイクでも、常勝のチームでもない。大人たち自身が、私はサッカーを愛しているんだと、子供に伝えることなんじゃないか、と私は思っている。

少年サッカー、それもこの日本の、一地方の少年サッカーのレベルで、あそこは強豪だから、うちじゃあ歯が立たない、なんて思い込むのはまったく根拠のない先入観。
その先入観は、自分のチーム(内集団)の粗ばかり見え、相手チーム(外集団)の個々が見えない、心のバイアスによって生じているのだということを、北足立郡北部代表となったチームの指導者たちは心にとめて、県南大会に挑んで欲しい。
前半で大差がついて、すっかり背中を丸めている子の背中をぽんと叩いて、
「試合は負けてるけど、お前は負けてないだろ? お前は自分のサッカーを思いっきりやってこい。俺もお前のパパママも、チームメートも、みんなそれが見たいんだぞ」
と送り出して欲しい。

サッカーに偏見なんかいらないんだから。
(でも少年サッカー段階からラフプレー上等のお隣の国のサッカー関係者には、もうちょっとどうにか…とは思うけど)

0 件のコメント:

コメントを投稿