2010年4月29日木曜日

ヒューリスティックバイアスと少年サッカー

教育の世界では発見的学習などと呼ばれる「heuristic(ヒューリスティック)」が、行動経済学の世界へ入ってくると「安易」の一言に変貌してしまう。
何が安易かというと、

ろくに探そうと努力もしないで、簡単に入手できた情報で結論づけてしまう、

ような行為を、安易だと言っている。ある人はそれを「直感」とも言う。

まだそれが、統計や確率といった客観データの積み重ねから導かれたのなら効率的であり、その面で合理的だとも言える。
だがそうじゃないとしたら…

たとえば、橋のたもとに人を生き埋めにすると橋が落ちない(人柱)、とか…

そういえば川島町の市ノ川にかかる橋のそばには、石塔がたくさん立っていたぞ…

(こ、こわ~)

川島の橋のたもとに何が埋まっているのかは別にして、こんな風に客観的データとまったく関係がなくなってしまったヒューリスティックを、「ヒューリスティックバイアス」という。
根拠のない直感ってやつだ。

ヒューリスティックバイアスにとりつかれた指導者がいるチームの子供たちは悲惨だ。
大昔、そういう監督のいたプロ野球チームがあった。
悲惨だった。

このヒューリスティックバイアスが進行してしまうと、「後知恵バイアス」を生む。
何かが起こった後から「そういえば…」と、ろくに検証もしないで事前の予測を過大に評価してしまうのだ。

ある試合での失点を、「あの前の前のプレーで、○○が××したから失点してしまったのだ」とか、
「俺が△△をトップで使ったから、今日あいつが点を入れて勝てたんだ」とか、
この手の話はすべて後知恵に過ぎない(正しい分析の結果がそうなら違うけど)。

ヒューリスティックバイアスや後知恵バイアスは、結局のところ、自分に都合の良い結論を導き出して自分を納得させたいがための「ぼくの美しい思い出」でしかない。
科学的な思考訓練の経験が乏しい人は、何かが起きて後からそのことについて考えてみるとき、印象の強かったことや、たまたまよく覚えていたことを中心に分析(まがい)をしてしまうので、
「ああ、そうだったのか!」←ヒューリスティック
とあさっての方向へ突き進んでしまう。
そしてまた同じような結果を得ようとして、後知恵バイアスに拠った間違った行動をとってしまうのだ。
お疲れ様でした。

その子が失敗したのは、本当にそれが原因なの?

これをちょっと考えてあげるだけで、指導者の指導力は飛躍的に向上する。
上手でミスしない子を見て感心するだけ人は指導者には向いていない。
むしろ、失敗した子を見て「面白い」と興味を引かれるような人こそが、少年サッカーの指導者には向いているのだ。

あくまで少年サッカーでは、ね。
上のレベルでこんな指導者じゃあ困るけど。

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