ここ数日、ふと岡田前日本代表監督のことを思い出す。
日本代表・岡田監督「進退伺は冗談」
2010/05/25(火) サンスポ
サッカー日本代表の岡田武史監督(53)は25日、前日に行われた南アフリカW杯への壮行試合を兼ねた韓国戦で0-2で敗れ、日本サッカー協会の犬飼基昭会長(67)に進退を伺った件について「真剣に言ったわけじゃない。これからは口を慎みたい」と話し、冗談めかした発言だったと弁明した。
岡田監督はきょうの練習後の会見で「選手が付いてきてくれているのに投げ出すことは絶対にない」と昨日の憔悴しきった表情とは違い、晴れやかな表情で応えた。
岡田監督は「1年で韓国に2回も負けて申し訳ない。当然責任問題ということになると思うので、会長に問いただす…というか、尋ねました。でも『やれ』ということでしたので、前を向いてやるしかないと思っています」と発言していた。
岡田監督、“進退伺”は冗談だったと弁明
2010/05/26(水) 06:42:10 スポニチ
0―2で惨敗した24日の韓国戦後に日本サッカー協会の犬飼基昭会長(67)に“進退伺”を
申し入れた日本代表の岡田武史監督(53)が一夜明けた25日、収拾に追われた。
最終的にはW杯本大会で指揮を執ることをあらためて明言したが、説明に食い違いが
生じるなど釈明も迷走した。日本代表は26日未明にチャーター便で日本を出発し、
同日午後(日本時間同日夜)に直前合宿地スイス・ザースフェーに入る。
釈明までも迷走した。前代未聞のW杯壮行試合直後の監督の“進退伺”。韓国戦の会見で
自ら衝撃的事実を公表した岡田監督は一夜明けたこの日、事態収拾に動いた。
午後、選手全員が参加して埼玉県内で行われた練習の開始前に約6分間のミーティングを
行った。円陣の中で岡田監督は「心配していないかもしれないが、あれはジョーク。
こんなところで仕事を投げ出すつもりはない」と前夜の“進退伺”が冗談だったと釈明した。
続いて練習後、報道陣に対しては「冗談ではない。でも、言ったこと自体は真剣に言ったわけ
じゃない。僕が選手を決めて預かって、選手がついてきてくれているのに、それを僕が自分から
投げ出すことは絶対しない」と弁明した。
さらに首相官邸に鳩山由紀夫首相を表敬訪問した後、原博実強化・技術委員長、犬飼会長と
それぞれ会談。犬飼会長には「“僕がもう1回やります”という意思表示だった」と真意を説明した。
自らの不用意な発言が波紋を広げ、選手に不安を与えたことから必死に取り繕ったが、
コメントには矛盾もあり説得力には欠けた。
岡田監督、暴言一転!進退伺は冗談だった
(2010年5月30日) デイリースポーツ
サッカー日本代表の岡田武史監督(53)は25日、前日に行われたW杯壮行試合を兼ねた韓国代表との試合後、日本協会の犬飼基昭会長(67)に進退を伺った件が、冗談での発言だったと弁明した。選手たちはこの日、指揮官の“無責任発言第2弾”にも動揺した様子はなく、さいたま市内で軽めの調整を行い国内合宿を打ち上げた。26日未明にチャーター機で直前合宿地のスイスに出発。6月6日に南ア入りする。
この日も周囲に耳を疑わせた。惨敗から一夜明け、指揮官は薄ら笑いを浮かべて言い放った。「進退伺?冗談…じゃないけど、そんなにみんなが真剣にとらえるとは思わなかった。会長に言ったこと自体は、全然そんな真剣に言ったわけではない」。W杯での指揮を放棄するような暴言の弁明もまた、あまりに子供じみた言い訳だった。
韓国に0‐2と完敗を喫した直後、壮行試合を観戦したサポーターへのあいさつを投げ出し、犬飼会長に「会長もいろいろ言われるけど、僕でいいんですか」と伺い、直後の会見で青白い顔を浮かべながらそれを暴露。だが、この日は一転「真剣に言ったわけではない」と取り繕う始末。練習前のピッチ上で行われたミーティングでは、選手に対して「あれは冗談の発言だった」と伝えたというから驚きだ。
練習後に首相官邸を表敬訪問した後に犬飼会長と会談し、「僕でいいんですか、というのは、僕がやりたいという意味だった。言葉足らずで申し訳ない」と、これまた報道陣への弁明とは整合性の付かない言い方で釈明。事実上、現段階での監督交代は不可能なだけに同会長も「どうせ(責任問題について)聞かれるだろうから、先に言ったと聞いている」と、苦しい擁護をせざるを得ない状況だ。
指揮官は“冗談”と言い張るが、日本協会の原技術委員長からは「(勘違いを生む)余計なことは言わないでください」と厳重注意を受けた。無責任の上塗りとなる“冗談発言”。W杯ベスト4という目標も、もはや大風呂敷を広げた“冗談”にしか聞こえない。
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また、以下は、岡田前監督と鳩山前首相を俎上(そじょう:まな板の上という意味)にのせて、リーダーシップについて述べられたコラムであるが、とても面白いので是非目を通してみて欲しい。
サッカーワールドカップ(W杯)南アフリカ大会出場を前に日本代表の岡田武監督らが鳩山由紀夫首相を表敬訪問した。26日付の岐阜新聞は2人が並んでいる写真を掲載し、次のような見出しをつけた。
迷える「ツートップ」
思わず膝を打つようなうまい表現だ。
鳩山首相は、普天間で〝迷〟走を繰り返した挙げ句、連立パートナーの社民党からは「辺野古移設反対」という造反を掛けられ対応に苦慮している。もうひとりのトップである岡田監督は、先日の韓国戦で完敗した後の記者会見で進退伺いについて言及したが、翌日になって「真剣に言ったわけじゃない」と冗談であったと釈明、マスコミから「軽率すぎる」と大ブーニングを浴びせられている。
このツートップの共通点は、『トップの言葉の重み』というのをあまりにも自覚していない点にある。自分の発言が周囲にどのような影響を及ぼすのかを常に頭の片隅に置いていれば、滅多に口が滑ることはないはずだ。トップが前言を翻し、ブレまくっていては部下も付いていけなくなる。そして、こうしたトップは往々にして「リーダーシップが取れない」という烙印を押される。
ではリーダーシップとは何だろうか?
ドラッカーのリーダーシップ論の主旨は、簡単明瞭である。
すぐれたリーダーシップにはカリスマ性は無用であり、生まれながらのリーダー的資質も存在しない。
ドラッカーは、カリスマ性(個人的崇拝)は、組織から柔軟性を奪うことでシステム化を遠ざけ、組織そのものの衰退や破滅につながると否定し、さらに次のように述べている。
リーダーシップとは神秘的なものではなく、平凡で退屈なものであり、その本質は行動にある。それは集団をよりよい方向へ導くための行動手段であって、リーダーシップを身につけること自体が目的化してはいけない。
言い換えれば、たとえ凡庸な人間でもリーダーシップを発揮することは十分に可能であるということである。またリーダーシップは、持って生まれた天賦ではなく、一種のスキルとも判断できる。
そしてドラッカーは、すぐれたリーダーシップの条件を3つ掲げている。
1、リーダーシップを「仕事」ととらえる
組織の〝使命〟を〝目標〟に定義し直すことで、組織の生産性を上げ、成果に結びつけていく。鳩山首相も、岡田監督も使命と目標が混同してしまい、明確な戦略が策定できていないのではないだろうか?
2、リーダーシップを地位や特権ではなく「責任」ととらえる
「責任」である以上、失敗したら最終的に〝腹〟を切らねばならない。だから岡田監督の進退伺いは決して冗談では済まされない話だし、鳩山首相も普天間の問題が公約とは違う決着になった場合には、相応の責任を取る必要があると思う。
3、信頼が得られる人物であること
ただし、それは必ずしも好かれることではない。鳩山首相も岡田監督も人間的には「いい人」かもしれないが、リーダーとして信頼できるかと問われると、疑問符が付いてしまう。
では信頼感とはどこから生まれるのか? ドラッカーは下記のようなことを挙げている。
★話が信じられる(その言動が真意に基づいていると信用できる)
★言動が一致している
★一貫性がある
小泉内閣以降の歴代内閣を振り返ってほしい。どの内閣も首相の言動がふらつく、俗に言う「ブレた」ことから支持率の下落が始まり、1年ほどで終焉を迎えてしまった。逆説的に考えれば、小泉元首相が長期政権を維持できたのは、『変人』と言われようとも自分の政治的信条(例えば郵政民営化)を曲げずに貫いたことが国民から信頼を得られる要因になったのではないだろうか。
さて、崖ぷっちに立たされた鳩山首相と岡田監督のツートップは、起死回生を図ることができるか。しかし、ふたりがリーダーシップを取り戻すために残された時間や手段はあまりにも少ない。
参考文献 『ドラッカー理論』(かんき出版、久垣啓一著)
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菅直人内閣に対して「リーダーシップがない」とか「問題処理能力がない」などと批判するのはお門違いである、と私は確信している。
なぜなら、菅内閣の中核であるところの現首相である菅直人氏、現官房長官である枝野幸男氏、そして前官房長官である仙谷由人氏は、『政治資金の面で問題がない政治家』ということでその地位を得た人たちだからだ。
さらに思い出して欲しいのは、彼らをその地位につけたのは、一般国民ではなくて、民主党の党員とサポーターたちだ。もちろん民主党の党員やサポーターの中にも日本国民はいるだろうが、そうでない人も大勢いる。そういう人たちから多数票を得た人たちなのだから、日本国の危機に際して、優先順位をどうつけるかやその問題処理にたいしてそれほど気乗りしないというのも仕方がないではないか。だって、元々そういう人たちなのだから。
この3人の何がすごいって、これだけのプレッシャーがある中で、誰1人食事が喉を通らないなんてことになっていないってこと。
3人とも、どう見たって、震災前よりも体重が増えている。
この3人にとって、この度の一連の大災害(大人災)は、その根っ子のところでは“他人事”なのだろう。
知識や思考では「危機」だろうとは認識していても、個の人間としての本能的、根元的な部分では、間違いなく「危機」だと認識してない。
もっと踏み込むと、彼らはそのことを誤解している。
こんな危機にあっても冷静でいられるのは自分が優秀だからだ、とか、混乱時だからこそ物事を客観的に捉えられる自分たちでなければ事態を収拾することはできない、などと誤解している。
逆だ。
こういう時、彼らのようなタイプは害毒だ。
八甲田や真珠湾のときの指揮官や外交官らのように。
リーダーに必要なのは、熱いハートとクールな頭脳なのに、
菅政権三人衆は、冷たいハートとすぐカッカする思考回路しか持っていない。
国民として私は、どんな批判があろうとも、一票を投じる機会が欲しい。
一日でも早く。
冬が来る前に。
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