各地で全日本少年サッカー大会予選が大詰めの今日は父の日でしたね。
子供たちのサッカーに熱をあげるのも良いですが、その子供たちが大人になったときにお父さんのことを思い出すための「思い出(記憶)作り」もお忘れなきよう。
特に、少年団やクラブチームでコーチをしているお父さんたちは、ついつい我が子のことをないがしろにしてしまいがち。
強豪チームであればあるほど、この傾向は強くなります。
今年の埼玉の全少予選では、そうした強豪チームがけっこう早い段階で姿を消しました。でもそのおかげで、各コーチのご家庭では「この時期の週末にパパが家にいるなんて初めてじゃない?」「そうか? かもなあ~」なんていう会話もあっただろうと想像します。
基本に立ち返れば、なぜお子さんのサッカーを家族で応援しているのかというと、そのことで家族が幸せを感じるからのはずです。日常の生活が楽しくなるからのはずです。そうじゃなければダメです。
当たり前のようにスタメンで活躍して、やれトレセンだ、やれ優勝だ、というのはサッカーという広大で深遠な世界から見てみればほんの些細なささくれのような出来事に過ぎません。それよりも、そのことで家族がどんな思い出を築けたか、そっちの方がはるかに大事だと私は確信しています。
ですから、ずっと補欠で、ヘタッピで、トレセンなんか雲の上、みたいな選手であっても、その子とその家族が、サッカーを通じてどんな記憶を形成できたかの方がはるかに重要だということになるので、サッカーによる「幸福度」や「楽しさ体験度」は、スタメン君トレセン君にも勝るとも劣らないことになります。これは真理です。
たとえば父と息子、二人で行った被災地ボランティア、間違いなくこれは一生語ることのできる記憶となるでしょう。
世のため人のためになり、なおかつ家族にとっても一生の「共通体験」となる被災地ボランティアを、全少敗退によって時間のできたサッカーファミリーにお奨めします。
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