2011年4月15日金曜日

「『金持ちになるかどうかは努力次第』はうそ-努力の役割、ごくわずか」はホント?

「金持ちになるかどうかは努力次第」はうそ-努力の役割、ごくわずか
2011/04/08


ブルームバーグ:
19世紀の米国の三文小説家、ホレイショ・アルジャーの「ぼろ着から富へ」神話は今も広く信じられている。しかし、強い意志と勇気と努力が貧しい少年たちの夢をかなえてくれるというこの神話は、真実ではない。実は、人間の生涯収入を決める大きな要因は、個人のコントロールの及ばないところにある。

世界銀行のエコノミスト、ブランコ・ミラノビッチ氏の著書、「TheHaves and the Have-Nots: A Brief and Idiosyncratic History ofGlobal Inequality」は、生まれた場所が生涯収入を決める要因の60%超を占めると説く。豊かな国に生まれるとまず地域の優位さが得られる。

次に、豊かな両親の下に生まれることが20%を左右するという。では残りの20%を努力が占めるのかというと、そうではない。生まれた国と両親に加えて、性別や運など、個人の力の及ばない要因がほかにもあるという。そういうわけで、生涯の収入について、自身の努力が占める役割は、驚くほど小さいということになる。
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この手の珍論は定期的に掲載される。
まあだいたい春が多い。
春は自分についていろいろと考える季節だから、この手の話受けがいいのかもしれない。

でもこの手の話が語られるとき、俺はいっつもひっかかる。
例えばこの部分。

「生まれた場所が生涯収入を決める要因の60%超を占めると説く。豊かな国に生まれるとまず地域の優位さが得られる。 」

昨今の世界経済状況を見て、こんな話にうんうんうなずいている脳天気は、少なくと日本にはいないはずだ。
だって、お隣に中華人民共和国があるのだから。
20年前、日本と中国とではどちらが豊かでしたか?
そして、今現在二十歳の平均的日本の青年と、平均的中国の青年とを比較して、生涯収入では日本の方が「優位」だなんて誰が予測しますか。
また、アメリカ合衆国の貧富の格差、医療格差、教育格差を見たら、とても「豊かな国に生まれると」とは言えないはず。




確かに麹町あたりで育って、名門校を出たら、そんなに低収入な職業には就かないだろうとは思う。
でもそれをもって

「自身の努力が占める役割は、驚くほど小さい」

ことにはならないと俺は思うわけ。

むしろ

など、個人の力の及ばない要因」

の影響が圧倒的に大きいので、

「自身の努力が占める役割は、驚くほど小さい」

という結論となるとするのが正しい視点なのではないだろうか(まあ、これで書いたらその本は売れないだろうけど)。


っつうか、そもそも論として“努力”とは何なのかっていう問題があるよね。

例えばサッカーでも、こんな話がある。

ボールと友達になればテクニックは向上するんだ!
ボールと友達になるために、いつもボールに触っているようにしよう!

こんな話を真に受けて、勉強中や就寝中にボールを足で触っていても、テクニックなんて向上するわけがない。

トレーニングはトレーニングとして、ちゃんと目的を持って、科学的な合理性に基づいて、系統立てて計画的に積み上げていかないと、テクニックもスキルも向上なんてするわけがない。
鉛筆をいつも使っているからといって、ペン回しはできるようにならないのと同じこと。ペン回しができるようになりたいのなら、ちゃんとペン回しの練習をしなきゃ、いつまでたってもできるようにはならない。






ただし、ここでまた問題はフリダシへと戻ってしまう。
それは、

トレーニングは努力なのだろうか?

ということだ。


それについては、また別の機会があったらその時にでも。








おわり

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