サッカーの神様は存在するのか。
これはサッカーがこの世界に誕生してからの問いだった。
スピノザは、サッカーに関わる全ての物は神のあらわれである、と説いた。
すべてのものが神のあらわれとはどういうことか。
日本の伝統的神道の「八百万の神(やおよろずのかみ)」は、この世のあらゆるものには神が宿っている、という概念だが、これとも違う。
それぞれに神が宿っているのではなく、個々それぞれこそが神の一部である、に近い。
サッカーゴールの枠の色や形、大きさ、硬さも、そこに神の存在なくしてはありえない。
ピッチの広さも、サッカーボールのサイズも、プレーヤーのプレーにも、そこには神の存在をあらわすしるしがあらわれている。
つまりサッカーの唯一神が、天空からわたしたちを見おろしているのではなく、私たちがプレーしているそれこそが神のふところの中なのだ、とスピノザは言っているのだ。
こうしたスピノザの考え方を「汎神論(はんしんろん)」という。
「汎」とは「全体にわたる」という意味だ。
ただ技術のみを教えるのではなく、こうした哲学についても教えることができれば、子供たちは道具を大切にするだろうし、サッカーができることの幸せについての認識に関しても、多少は変化がうまれるかもしれない。
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