2010年12月4日土曜日

最大公約数は絶対に最大値にはなれない。

材料は同じでも、たこ焼きの味は全部違う。
なのに、「たこ焼きはここのが一番おいしい」なんてことをいうバカ、いや失礼、アホがいる。

自分が受験生だった頃のことを思い返してみて欲しい。
もし、模試でたまたま隣に座った男──仮に関西弁を話すにきび面だったとしよう──が、問題集を指し示して「微積ではこの問題が一番難しい」なんてことを話しかけてきたら、ちょっと勉強してる奴なら「こいつ、バカだな」とわかるはずだ。なぜなら、「一番難しい問題」なんてのが存在するわけのないことを、知っているからだ。

同じように、たこ焼きは大阪が一番!
だとか、
お好み焼きは広島が一番!
だとか、
豚骨ラーメンは博多が一番!
だとか断言するのは、自分の食体験の乏しさを自ら公言しているだけで、他には何の意味も持たない。

感覚という刺激認識作用は、非常に不安定なものだ。
中でも特に味覚は、体調の影響を受ける知覚の最たるものだ。
そして、もっとも鈍い感覚のひとつでもある。
味覚を感じる最重要器官である「舌」についても、もっとも鋭敏なのは「触覚」であって、次が「温度感覚」で、最後が「味覚」なのだ。

さて、ここからが本題。

私はたこ焼きが好きだ。
それも、小ぶりで、コロコロと転がりそうなくらい固めなタコ焼きが好きだ。
実際、いろいろなたこ焼きを食べてみたけど、固めのたこ焼きの方が、タコと衣(ころも)が一体化して味がふくらむのでずっとおいしいと感じてきた。
鯛焼きを入れるような白いかさかさの紙袋に入れて、ソース、青のり、おかかをかけて、指でつまんで食べられるようなたこ焼きが、私は好きだ。

だから今どきの、大ぶりで、グニャグニャのたこ焼きは、そんなにおいしいとは思えない。
フードパックや舟皿に入れないと形が崩れてしまうようなのや、衣にまで味が付いてしまっているのや、外側だけ揚げたみたいになっていて内部はドロドロなんていうのもダメだ。乗っているおかかが砕片じゃなくて花かつおなのもダメ。食感でも味でも(ソースなどが絡みすぎる)、たこ焼きの邪魔をするから。

たこ焼きはふわふわがいいなんて、一体誰が言い出したのだろう?
外がカリ、中がフワフワトロトロ、だったりしたら、タコの硬さと全然違ってしまって、噛んだ途端に、タコと衣が分離してしまうじゃないか。
ああいう調理法にあうのは、もっとやわらかい食材なんだってことがわからないのかなあ?
口の中の感覚がふつうなら、誰だってそう思うはずなんだけど。

口の中で一体化させて、渾然(こんぜん)とした中に、味の相乗効果を狙うなら、硬さ(と温度)をそろえるっていうのは調理の基本中の基本でしょ。
なんでぐにゃぐにゃのでかいたこ焼きばっかりになってしまったのか──。

私は残念で仕方がない。

そもそも論として、あんなに形が崩れてもいいんなら、丸い形を付けた鉄板で焼く必要なんてないじゃんか。
はじめから、ペシャッとなった形を想定しての調理法に変えた方が、きっと技術的にも簡単だし、効率的だとも思う。
タコも、入れる必然性失ってるし。
もしどうしても入れたいなら、柔らかく煮て、味も付けたタコを使うようにするのが理にかなっている。

(人間は考える葦だそうだが、こんなことを考えててもいいのだろうか)

さて、浦和レッズの監督を2シーズンしてきたフィンケ氏が、レッズ監督の任を解かれた。
チームが、来期レッズ監督を任せるのは違う人材にする、と決断したのだ。
わたしはこの決断を正しいものだと思っている。

私はフィンケ氏の招聘(しょうへい)が決定したと聞いた時に、「あ~あ、やっちゃったな」と思ったことをなんとなく覚えている。

でも、「先に、チームのサッカースタイルをフロントが決定してしまう」というやり方に違和感を感じていたのは確かだ。

サッカースタイルというものが、ほんの1、2年で意図的に作り上げられるとは、私には到底思えないからだ。

次に、「新しい酒は新しい革袋に※」という警句を地で行くような判断に見えたことが気にかかった。

※《新約聖書「マタイによる福音書」第9章から》
せっかくの新しい葡萄酒(ぶどうしゅ)を古い革袋へ入れるのは愚かなことだ。古い革袋が破れ新しい葡萄酒がこぼれて、袋と酒のどちらともがダメになってしまう可能性が非常に高いからだ。同様に新しい内容を古い形式に盛り込もうとすると、内容も形式もともに生きないのが常である。新しい酒は新しい袋に入れ、古い袋はこれまで通りに使えば、どちらも長く用いることができる。(by ゲゲ)

ほとんどの選手はそのままなのに、そこへまったく違うサッカーを求めても、なかなかうまくはいかないだろうな、という危惧がどうしても消えなかった。

案の定、チームは不安定になり、良いときと悪いときの差が大きくなった。いや正確に言えば、1シーズンの中で、「なるほど! こういうサッカーがしたかったのか!」と伝わってくるような場面が、ほんの数回しか見ることのできないようなチームになってしまった。
もしこれがたこ焼き店だとしたら、客は足を運ぶだろうか?
その店のたこ焼きが好きだという地元客が大勢いたというのに、何を思ったか店の主人が「たこ焼きのトレンドは関西風の、外カリ中トロ花かつおのデカたこ焼きだ」と決めつけ、どこかから焼き手をスカウトしてきたとしよう。さらに“ずれている”ことに、そのスカウトしてきた焼き手は、本場大阪でバリバリにやっていた人ではなく、西日本のどこかの調理学校で関西風のたこ焼きを教えていた講師の人だったとする。
確かにこの新しい焼き手は、店の若いバイトを育てる意欲は持っていた。入ったばかりのバイトの子も、店で出せるようなレベルのたこ焼きを、すぐに焼けるようになった。
関西風のたこ焼きが好きなお客さんも、来店するようになった。
でも困ったことがひとつ。
これまで毎日たこ焼きを焼いてきた、古手のパートさんが、どうしてもうまく関西風たこ焼きを作れないのだ。
焼き手のローテーションによって、できあがるたこ焼きの味が異なるような店が繁盛することはない。案の定客足は遠のき、評判も下がり、オーナーは慌てて焼き手の首をすげ替えた。はたしてこの後、このたこ焼き店はどうなるのか……。

古い革袋を使い続けるのなら、そのまま袋を繕(つくろ)いながら、飲んだ分だけ注ぎ足していく方が良い結果になる。
少なくとも、何もかもダメにしてしまうリスクはない。仮に袋が破れたとしても、こぼれるのは古い酒で済むし、破れなければ、古い袋に入った古い酒と、新しい袋に入った新しい酒の、どちらも手に入れることができる。レッズの話に置き換えれば、トップチームにはタイトルを争えるだけの戦力と経験、ユースチームには新しい育成方針と生きの良い選手たち、となるだろう。

レッズのここ数年は、古い酒を新しい袋へ移して新しい酒を注ぎ足せば、酒がすべて新しく生まれ変わる、とでも思ったかのような状況だった。そして今現在、レッズが手にしているのは、新しかった酒と古い酒の混じった古“そうな”革袋になってしまった。

ここから立て直すのは、簡単なことではないだろう。
ここは足元を見つめ直す意味でも、レッズのことを微に入り細に渡って理解していて、微に入り細を穿(うが)つ気配りのできる、生え抜きの人に監督を任せるべきだろうと私は思う。その方が、チームを蘇らせられると私は確信している。


要するに何が言いたいのかというと、私はアホなのだ、ということだ。




おわり

0 件のコメント:

コメントを投稿