2010年12月11日土曜日

縦の縁、横の縁

いただいたコメントを読み、反省しました。
で、要旨はそのまま、大幅に書き直しました。


メインテーマは「少子化問題を具体的に考えさせられる事態が、秘かに進行している」ということです。

発端は、先日、ある人から聞いた話でした。

それは、「ひとりっ子同士の夫婦で、その子供も一人という事例がここ数年で、ダダダダと増えている実感がある」というものでした。

話題になったのは、その子は、兄弟姉妹がいるという感覚が理解できないことはもちろんだけど(ひとりっ子なので)、叔父や叔母、さらにいとこやはとこがいるという感覚も理解できない(両親に兄弟姉妹がいないので)のではないだろうか、ということでした。

その感覚とはいったいどういったものなのでしょうか?

元々日本の社会構造は、兄弟姉妹が複数存在するということが土台となって積み上げられて来ました。その中には、口減らしだとかの悲しい歴史も含まれます。
そもそも「氏(うじ)」だとか「家」という仕組みも、複雑に絡み合わざるを得なかった状況を整理するために定着したものです。
言ってみれば、日本とは「横の血のつながり」を前提にした国なのです。

さて今、そうした社会構造と歴史を持つ国である日本に、「横の血のつながり」を持たない、「縦の血のつながり」のみの大きな集団が形成されつつあります。
そのような世代がある一定数を占めるような社会が存在したことは、世界史の上でも稀(まれ)なのではないでしょうか?

このことは、日本にどのような影響を及ぼすのでしょうか。

なかなかこういったテーマについての議論は、人権であったり、各家庭の事情であったり、個人の信条や、また健康上の理由などと複雑に絡むため、行政でも、またマスコミでも、なかなか取り上げられません。

また、これも批判を受けそうな考え方ではありますが、これからますます移植医療分野での研究が進んだときに、自分と遺伝的に非常に近い親族が多ければ多いほど、可能性は広がっていくとも思うのです。しかしその一方で、遺伝子解析技術が進めば、法律的にはまったくの他人なのに、遺伝子的にはとても近い、というようなケースも見つかるようになる可能性もあります。

このような「人命・人体の商取引」につながりかねないこうした面からの議論も、やはりモラルの問題から論議されにくいものとなっています。


すぐそこにある現実であるにもかかわらず、まるでそれがタブーであるかのようなこの「一人っ子問題」。

私たちはどう考えるべきなのでしょうか。

あるいは、このまま考えない方がいいのでしょうか。



実はこの問題の大先輩が、すぐそばにいるのです。

それは中華人民共和国です。

この国は、1979年から導入された、いわゆる「一人っ子政策(中国では「計画生育政策」と呼んでいます)」によって、かなり面白いことになっています。1980年に誕生した世代が、2010年でちょうど30歳になりました。中国国内ではこの世代を「80後」と呼んで、一人っ子政策前の世代とは全く違う世代として区別しています。それくらい「違っている」ということなのでしょう。

中国のニュースと言えば政治経済のことばかりになりがちですが、こうした「一人っ子政策のその後」のような面からの分析も読んでみたいものです。


さて日本では「少子化」が叫ばれて久しいですが、私は問題の本質は「少子化」ではなく「一人っ子化」と言いますか、「孤子化(こしか、と読みます)」なのではないだろうか、と思っています。
現実問題として、これからは一人っ子家庭が増えていくでしょうし、となると当然、一人っ子同士の結婚も増え、そしてその夫婦の子も一人っ子というケースも増えるでしょう。

でも行政は、いつものごとく、何もしないで先送りして、問題が取り返しのつかないくらいになってから、ようやく検討委員会を立ち上げる的な展開となる未来が、手に取るように私には見えます。

まあ国なんかに期待したり頼ったりする方が間違ってる、と私なんかは確信しているので、どうということもないのですが。


そこで私が考えたのは、ボーイスカウト・ガールスカウトの再活用です。
ボーイスカウト・ガールスカウトの良いところは、人間関係が縦と横に結びついて様々な環境で考え、力を合わせて活動できるという点です。ここが、他の習い事であったり、スポーツ少年団と異なります。

もしも、本心では、うちの子にも弟か妹がいたらいいと思ってるんだけど、事情によってそれが難しいと悩んでいらっしゃるご夫婦がありましたら、ぜひボーイスカウト・ガールスカウトの情報を集めてみることをお奨めします。

あとこれは、邪(よこしま)な情報ですが、同じような人間のどっちを採用しようかと考えたとき、「ボーイスカウト・ガールスカウト」の経歴は、結構なプラス評価ポイントになるはずです(まあ、これはいやらしい考え方なんですけど、私、根がいやらしいもので。スミマセン)。

この「一人っ子(孤子)問題」というのは、まさに合成の誤謬の問題であると私は考えています。
ある個人が一人っ子であることは、本人にとっても、またその親や周辺の人々にとっても、その個人の個性の問題でしかありません。でもある集団におけるその割合がある水準を超えたとき、全体の方向さえ変えてしまう大きなうねりとなる可能性を秘めています(決して危険性ではありません。あくまでも可能性です。良い結果を生む可能性だってあるのですから)。

一人っ子に限らず、ある条件に当てはまる個が、個としてはたしてどうであるかということとは別に、その条件が全体へ及んだときどうなるのか予測することも、物事を考える際には必要な視点だと思います。

木にとらわれてしまい、森が見えなくなるような失敗は、我が身を振り返っても数え切れないくらい重ねてきました。
同様に、少子化対策にこだわるあまり、人口政策全体を誤ってしまわないよう、政府の皆さんにはお願いしたいものです。


以上

1 件のコメント:

  1. うちは、4回妊娠して3回流産した末の一人っ子です。親が死別した一人っ子や、数年の不妊治療の末の一人っ子等も周りにはいます。「少ない子に、多くの投資をした方が、その子のためにもなる」って考え方の人に会ったことはありません。あなたの「死ね。」が誰を指しているのか・・・

    あなたのブログですから、何をおっしゃっても構わないのかもしれませんが、「考え方が合わない人」や「そう見える人」は「死ね。」なのですね。

    長く読ませていただいている一読者ですが、残念です。もう来ません。

    返信削除