良いところを「褒(ほ)める手紙」を渡してあげましょう。
ひとり一人に、その子の素晴らしいところ、良いところ、褒めてあげたいところ、感心したところ、長所だと思うところ、かっこいいところ、そういうところをたくさんたくさん、思いつく限りリストアップして、渡してあげましょう。
監督・コーチだけじゃなく、チームメートや後輩にも聞いてあげてください。大人の知っているその子と、子供の知っているその子の姿は、たいてい異なっているものですから。
悪いところ、欠点、短所、改(あらた)めたら良いところ、そんなことを書いてはダメです。
自分でわかっているところを指摘されれば腹立たしいし、知らないところを指摘されれば傷つくからです。
これは学校の通信簿じゃあなくて、「褒める手紙」なんです。
これが大事なんです。
わが子の良いところを、他の大人たちやチームの仲間たちや後輩たちからリストアップされれば、親だって悪い気はしないものです。「うちの子にこんな面があったのか」と、より一層わが子が誇らしくなるものです。
この「褒める手紙」には、良い点とともに、ずっと一緒にやってきての楽しかった思い出、印象・記憶に残っていることなんかも、「こんなこともあったね」と書き添えてあげられれば尚良い(なおよい)です。
注意!
繰り返しになりますけど、欠点、弱点、嫌な記憶、失敗の思い出、そしてここをこうすれば良くなる系の改良点などは、この手紙に絶対に書いてはいけません。
どうしてもその手のことを伝えたいのなら、それはそれで別の機会に伝えればいいことです。この手紙に書いてはだめです。絶対!
この手紙が価値を持つためには、良いこと、長所、楽しい記憶、だけが書いてある「褒めの力(パワー)」を持たせることが必須(ひっす)なのです。
これから、もしも苦しいこと、つらいこと、そして理不尽な壁にぶちあたったとき、ふっと開くと力が湧いてくるような魔法、この手紙は、そういう存在でもあって欲しい手紙なんです。
将来もし苦しい場面に陥(おちい)ったり遭遇したりして、そういうつらいときにふっとこの手紙を読んだら「お前のここがダメ」みたいなことが昔も指摘されてたなんて、まさに泣きっ面に蜂になってしまいます。
ですから、この手紙には、褒めることしか書いちゃだめなんです。
内容は、あああのときのあのことねと思いだせるくらいに具体的でもいいし、ざっくりと抽象的でもいいです。
大事なのは、とにかく褒めること。
そんなに自分のことを、褒めて褒めて褒めまくられて、一言も小言のない手紙をもらう事なんて、この機会を逃せば一生ないです。きっとないです。だって私はなかったですから。
これは私の印象なんですけど、道を踏み外しそうになった時にふんばれる人は、強烈に褒められた記憶のある人間である気がするんです。
今後の私たちの暮らす世の中は、うまくいって現状維持、ふつうにいけば徐々に「国際化」という名のモラル低下、治安悪化、ストレス増加、競争激化という社会になって行くでしょう。いま小学生でいる子供たちが大人になる頃には、年間の自殺者が5万人を越えているかも知れません。そんな時代になったら、それこそ誰も自分を褒めてなんかくれません。「お前はダメだ」→「ここがダメだ」→「もうダメだ」と追い込まれてしまうのが当たり前の世の中になってしまっているかもしれません。
そんなときに、もしかしたらこの手紙が力(パワー)となってくれるかもしれない。
いまのその子に渡す手紙なんですけど、本当は未来のその子に送った手紙なんですよね、これ。
バカバカしいと一笑に付さず、せっかくサッカーボールでつながった縁なんですから、この「褒める手紙」を一度検討してみて欲しいなあ。どうかぜひ、宜しくお願いします。
0 件のコメント:
コメントを投稿