コンタクトスポーツであるサッカー(フットボール)の根元的な魅力はタックルにあると、私は確信している。
足技の妙技だとか、パスワークだとか、ゴール前の攻防だとか、そういうことは全て、正々堂々とした、迫力のある、勇気に満ちた、タックルがあってこその、二次的・副次的な「盛り上げ要素」に過ぎないと思うのだ。
防具なしだから、ここ(下の写真)までは求めないにしても、スタジアムが興奮するのはこういう“闘う”姿勢なのだ。
かわいいリスがマークになってるアルディージャは、永遠にスタジアムを興奮させることはできない。
いつまで経っても、お子様ランチのレストラン。ファミリーレストラン。中央デパート屋上の観覧車の興奮。その程度だ。
「アルディージャの良いところは、家族みんなで応援できるところ」
はあ? 違うわドあほ。
家族が歯を食いしばって、喉を枯らせて、こぶしを握りしめてこそ、次の試合もスタジアムに足を運ぶんだ。
お子様ランチを毎週食べたいか?
屋上の観覧車に、毎週乗りたいか?
スタジアムを満員にするのは、怒りであり、使命感であり、絶頂感と絶望なんだよ。
お解りか、アルディージャの経営陣ども。
以下のタックルには負けない迫力を、小学生といえども男であるなら見せて欲しい。
「キャー(ハート)」とか「がんばれー(LOVE)」とか言ってる、チンコのないゴムウエストママさん連中に悲鳴を上げさせるくらいに闘ってこその、サッカーの楽しさだと、私は確信している。
サッカーは「お上手ねー」と褒められて喜んでるような競技じゃない。
サッカーとは言葉通りに「強い」「弱い」で語られる競技なのだ。
心を揺り動かされるのは、技巧じゃなくて気迫なんだ。
だから私は少年サッカーを愛している。
少年サッカーの試合には「気迫」がある。特に春先の試合には(夏過ぎのゲームは気迫が薄れていて正直がっかり気味だ)。
今の小学生は、UFOや幽霊を信じているのだろうか?
ラグビーやアメフト、そしてサッカーが盛んで、強い国は、本気で「神」とか「天国」とか、「未知の世界」というものを信じている文化圏だ。その延長線上に、「夢」だとか「可能性」というものへの信念も存在している。
UFOを信じない人間は、夢を信じることはできないのだ。
言葉として「信じる」と口にしてはいても、疑いようもない信念として「信じる」ことはできない。
タックルもそうだ。
「ケガをするかもしれない」とか「痛いかも」なんて思ったら、突っ込んで行くことはできない。
ルールやモラルを無視して、相手にケガをさせるとわかっててやるタックルなんてのは論外だ。そういう奴には天罰が下ればいい。柔道着に柔軟剤を染み込ませて「ヌルヌル」させたクズとか、モールやラック内で倒れてる選手のひざを踏みつけたり、顔面をひじ打ちをした大八木とかは、それこそ未知の寄生虫に全身を食われて腐って消滅して欲しい、なんて思ったりはボクはしないですけど、たまたま偶然そんなことになったらいいなあ(ハート)。
きっちりしたタックルや、かっちりしたブロックを、教えることもとても大事だと、私は思うのです。男として。
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